時間軸は 第A章:最後の別れ 後の話です。
未来ガジェット研究所の廊下は、いつもとは違う異様な静けさに包まれていた。普段ならメンバーの誰かが作業したり話したりしているはずなのに、今夜はまるで空っぽの箱のように静まり返っている。その異常な静けさに紅莉栖は不安を覚え、胸騒ぎがするまま廊下を歩き出した。
「…どうしてこんなに静かなんだろう…?」
廊下を進むたび、彼女の心臓が早鐘を打つ。誰もいないはずなのに、背後に何か気配があるような感覚に襲われ、何度も振り返ってしまう。しかし、そこにはただ静寂が広がるばかりだった。紅莉栖は足早に歩き、やがて見覚えのある部屋に近づいた瞬間、血の匂いが鼻をついた。
そして次の瞬間、目の前に広がったのは信じがたい光景だった。床には血の海が広がり、その中心にはダルとまゆりが倒れている。紅莉栖は衝撃に凍りつき、無意識に二人のもとへ駆け寄った。
「ダル…まゆし…」
震える手で二人の体を揺さぶり、必死に名前を呼びかける。しかし、二人の体は冷たく、返事はなかった。絶望と恐怖が紅莉栖の胸に押し寄せ、頭の中が真っ白になる。彼女は必死に意識を保ち、「誰か生きている人はいないか」と希望を胸に、震える足で立ち上がった。
廊下をふらふらと歩きながら、紅莉栖は無事な仲間を探して研究所内を歩き続けた。少し進むと、廊下の奥から岡部が急いで駆けつけてくるのが見えた。紅莉栖は動揺したまま、何とかダルとまゆりの状況を岡部に伝えようとするが、岡部は彼女の言葉を遮るように、恐怖に歪んだ表情で叫んだ。
「紅莉栖!今すぐ逃げろ!!」
彼の声が紅莉栖の耳に届くと同時に、銀色の刃が岡部の首筋を通り過ぎ、彼は言葉を発する間もなくその場に倒れ込んだ。紅莉栖は呆然と立ち尽くし、目の前で起こったことが信じられず、ただ震えたまま岡部の倒れる姿を見つめるしかなかった。
岡部の背後には、ナイフを握り冷たく笑みを浮かべる「槙島聖護」の姿があった。だが、その表情には、紅莉栖が知っている槙島の面影はなかった。彼は静かな冷たい瞳で紅莉栖を見つめ、薄く口元に笑みを浮かべる。
紅莉栖は震える手で口元を覆い、恐怖に震えながらも、絞り出すように問いかけた。
「な…なんで…こんなことをするの…?」
その言葉に、彼は何の感情もないような冷静な声で答えた。
「志乃の干渉から解放された結果、本来の自分に戻ったまでだよ。」
紅莉栖はその言葉を聞いて、内心で強い違和感を覚えた。彼が「槙島聖護」であるなら、こんな言葉を口にするだろうか?紅莉栖は、追体験した槙島聖護の記憶を思い返し、目の前の男に何かが違うと確信する。思わず、震える声で言葉が漏れる。
「あなたは…聖護さんじゃない。」
その言葉に男は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに冷たい笑みを浮かべ始めた。そして、楽しげに、少し低く囁くように言った。
「なるほど、君にはすぐにわかってしまうのか…やはり聖護君のようにはいかないな。」
紅莉栖は恐怖に打ち震え、心臓が早鐘を打つ。彼の不気味な笑みと冷たく無機質な言葉により、彼が「槙島聖護」を装った偽物であることがはっきりとわかった。目の前の男は、槙島の仮面をかぶりながらも、冷酷で何も感じない瞳を浮かべて紅莉栖を見つめていた。
男は楽しげに紅莉栖を見つめ、軽く首を傾げる。
「どうしてだろうね?こんなに聖護君のように振る舞っていたのに、君には見破られてしまうとは。不思議なことだ。」
その言葉に、紅莉栖は限界を超えた恐怖を感じ、無意識に後ずさりした。「逃げなければ」そう思った瞬間、体が反応し、踵を返して廊下を駆け出した。
紅莉栖は、廊下を駆け抜けながら、冷静さを失いかけている自分を必死に抑えようとした。背後からは男のゆっくりとした足音が響き、廊下に冷たい笑い声が小さく響いている。彼の声が耳に届くたび、紅莉栖の心臓は恐怖で張り裂けそうだった。
「お願い…お願いだから誰か…」
心の中で助けを呼びながら、紅莉栖は目の前に見える出口に向かって全力で走り続けた。そしてついに、研究所の出口が見えてきた。息を切らしながら、紅莉栖は安堵の表情を浮かべ、手を伸ばす。しかし、その瞬間だった。
突如、強烈な痛みが背中を突き刺し、全身に電流が走った。紅莉栖は声を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。意識が薄れていく中、視界の隅で、ゆっくりと彼女に近づいてくる男の姿が映る。
男は角から姿を現し、スタンガンを手に持ちながら、紅莉栖にゆっくりと近づいてきた。紅莉栖の意識はすでに遠のきかけていたが、彼の冷たく無機質な声がはっきりと耳に届いた。
「大丈夫、1人にはさせないよ。」
彼は紅莉栖の顔を覗き込み、優しく微笑んだ。その微笑みは温かさなど微塵もない、ただの冷酷さが漂っている。彼の声が淡々と続く。
「みんな一緒に、永遠に美しいままでいられるように、してあげる。」
男はそう囁きながら、紅莉栖の髪にそっと触れ、愛おしむように撫でた。その冷たい指先の感触が、紅莉栖の頬を伝い、恐怖が彼女の体に染み込むように広がった。男の視線は、まるで彼女を「標本」として見つめているかのようで、意識を手放す瞬間、紅莉栖の胸に深い絶望が押し寄せた。
「君は特別だから、丁寧に仕上げてあげるよ…永遠に美しい標本として。」
その囁きとともに、紅莉栖はついに意識を完全に手放し、暗闇に沈んでいった。