2010年12月。
ハルノウラワが全日本2歳優駿を勝利したその週の土曜日のこと。
「いやぁ、福延さん、ハルノウラワもよく頑張ってくれた。クロススキッパー以来の全日本2歳優駿勝利だよ……!」
「そ、そんな、ジョッキーとして当然のことをしたまでです」
「ブルッフンッ」〈まぁたまた、謙遜しちゃってまぁ〉
私は先ほどまで見ていた競馬新聞を器用に丸めて厩務員さんに返そうとしたが、福延さんが謙遜していたのでついでにそれで軽く背中を押してみた。……新聞が潰れたけどまぁいいか。これぐらいは許してちょ。
ちなみに、先ほどまで見ていた新聞は全日本2歳優駿の記事だった。
その中で福延さんは、「ハルノウラワの走りたいように走らせてみた。最後は大外からの捲り上げを決めてくれて、ようやく勝たせてあげられてよかった」ってインタビューしてた。涙ぐんでる写真と一緒に……。
別の記事では、「もしあそこで逃げや先行をハルノウラワが選んでいたら馬群に飲み込まれて勝てなかったかもしれない」とまで出ていた。
さらには「浦和の新星アイドルは、判断力に優れていただけでなく運にも恵まれた」……いやはや、今の今まで浦和で走ったことがなかったから私自身浦和所属ってことを忘れるところだったわぁ。
良い意味でも悪い意味でも私にそれを思い出させたのはキスミープリンスだ。
あいつが絡んできて、ついでに野田トレセンに私のことを触れ回った。
お陰で浦和所属のお馬さんたちの間では「ダートG1を勝った凄いお牝馬がいる」とかいう噂で持ちきりに。
なお、お口の軽いキスミープリンスには砂を掛けておいた。
馬主さんは私を横目にこんなことを言った。
「そこで、何かハルナちゃんにご褒美をあげたいところなんだが、何か案はないか?」
「ご褒美……ですか?」
「そう。何でもいい。ハルナちゃんが出掛けたいならその場所へ連れて行ってあげるのもいいし、食べたいものがあれば食べさせてあげて。あぁ、もちろん、馬が食べられるもの限定で」
それを聞いた岡嶋さん親子と福延さんが三者三様に困惑したような表情を見せていた。
まるで、「普通の競走馬にそこまでするものか?」と。
もちろん私だってビックリだよ!
あぁ。流石に私はタービンさんみたいに焼き鳥は食べらんないから安心してね。
しっかし、ご褒美かぁ……。何にしてもらおうかなぁ……。
「クリスマスイブの夜に恋人と一緒に大井競馬場のメガイルミを歩きたい」……なんて、前世では願ったものだけど、相手は見つからないわ、私自身が階段から落ちて……やめよう、思い出したら悲しくなってくるだけだ。
だから今生ではその願いを叶えたい!
って思ったのに、うーん……? あれ? 大井競馬場といえばメガイルミでしょ? 記事を探せど探せど出てこない……何で無いの???*1
その他には……お!?これは!!
「ブルッ、ヒンッ、ブルルルッ!」
「お、ハルノウラワから何か強請ってきてくれたか、えっと、これは……《菓匠 浦和庵》の広告だね……?」
「12月20日〜23日の4日間、浦和競馬場の埼玉県物産スペースにて出店か……へぇ」
「つまり……和菓子を食べながらレースに出たいとか見たいってこと?」
「ヒンヒンッ!!」〈その通り!!〉
肯定のつもりで全力のヘドバンをかます私。
そもそも前世から甘いもの好きの甘党で、特に和菓子が大好きで、馬でも一応食べれると知れば、味を見ないなんて無作法ってものよ!
それに、今年一度も浦和で走ることなく年を越そうとしてるんだから、一目見ておきたいの。出来れば予習したい!
「何と贅沢な……でも、なぁ……レースがある日にそれは……」
「ブルルッ……」〈やっぱりダメ……?〉
「それにこの前のレースの疲労が取れていないしなぁ……」
「うーん、ハルノウラワが今までに見たことがないほどに悲しい目をしてるな……何とかしてあげたいが……」
岡嶋先生と福延さんと馬主さんが悩んでいると、馬主さんが何か思いついたみたい。
「……そうだ。ちょっと浦和の競馬組合に連絡してみよう」
そう言って馬主さんが胸ポケットから昔懐かしな薄型のガラケーを取り出して何処かに電話し始めた。
それから数日後の12月23日。
この週、実は浦和競馬は開催日で、何ならこの日は
オーバルスプリントは、1991年から開催された「テレビ埼玉杯」、ダート1900mのレースが前身に当たる。その後、南関東G3が格付けとして付与され*2、距離を1400mに変更*3、2007年より南関東重賞の導入に伴い「S3」となり、そして2008年に現在の名称である「オーバルスプリント」に競走名が変更されている。後に「テレ玉杯オーバルスプリント」となるのが2014年であり、その前年にあたる2013年には交流重賞としてJpn3の格付けを与えられることになる。この世界ではどうなるか? それは後のお楽しみである。
……ちなみに、後にハルノウラワはオーバルスプリントに出走して勝利もするのだが、残念ながら2010年の彼女は全日本2歳優駿から日が経っていないし、何ならオーバルスプリントの出走要件に満たない*4ため、蚊帳の外である。
にも関わらずこの日、ハルノウラワの姿が浦和競馬場にあった。
それも、クリスマスシーズンらしく頭にはサンタの赤い帽子を被り、馬着衣もサンタクロースをイメージした赤いもの、これにはご丁寧に《ハルノウラワ》と名前が刺繍されていた。……もしかして馬主さん、元々これを準備していたのだろうか?
そんな出立ちで現れたハルノウラワは、当然だが、
何なら、「注意!本日、ハルノウラワは出走しません」という置き看板まで用意されていた。
この日限定のイベント、その名を、《ハルノウラワ・グリーディング》。
そのためにハルノウラワがやってきたのだ。
巷では「浦和の桜吹雪」とも呼ばれ始めているハルノウラワだったが、デビューしてからこのかた浦和競馬場を走ったことがない。
その点をある意味気にしていたオーナーの黒松義隆が、ハルノウラワの大人しい気性や人懐っこい性格を見込んで、浦和競馬場を訪れる競馬ファンや子供向けに触れ合えるイベントを企画するに至ったというわけである。
ついでに言えば、浦和競馬場を訪れたのは
……一見すると「何言ってんだお前」とか言われそうだが、事実なんだから仕方ない。
「まさかハルノウラワがここに来たがるなんて思いもしなかったなぁ……」
「ストイックというべきなのか、それとも?」
「ブルルルッ」
ハルノウラワは調教助手の岡嶋、騎手の福延、そして、馬主の黒松義隆……の代わりに、彼の義理の娘を伴って、浦和競馬場に姿を見せていた。(岡嶋調教師は出走馬がいるため同席しなかった)
今日は南関東重賞オーバルスプリントの開催日。そのため、中央の公園*5には立ち入れない状態である。
残念ながらコースを挟んで向こう側の公園は見つめるしかなかった。
(地下馬道……じゃなくて、スタンドから公園への地下通路みたいなもの作ってくれないかなぁ)
ハルノウラワはかつての1号スタンド跡地に作られた芝生広場に立ちながらそんなことをボーッと考えていた。
……彼女は知らなかったか忘れていたかもしれないが、そもそも浦和競馬場という場所は単なる競馬場ではない。
本場開催ではない日は浦和競馬場の中央にあるエリアは公園として開放されており、たまにサッカーをしている少年たちの姿もある。何なら地元サッカーチームである浦和レッズなどのイベントが開催されることすらある。
しかし、台風や集中豪雨などが発生した非常時には、調整池として使用されることもあるので……まぁ、地下道なんて用意したら水没するだろう。
「美鶴さん。今日はどうぞよろしくお願いします」
「はい、岡嶋さん、福延騎手。義父がお世話になっております。ハルナちゃんもお久しぶりね?」
「ブルルッ、ヒンヒンッ」
「あ、こら、あははは、くすぐったいwww」
私の馬主である義隆さんの義理というか養女に当たるのがこの美鶴ちゃん。
何でも、今は役者さんだか芸人さんを目指しているらしい。
また、
で、私のご主人様は何をやってるのかと言えば、
「お忙しい中、急にお声がけすることになって申し訳ないです」
「いえいえ。俳優の卵としては顔が売れるのである意味ありがたいです。ただ肝心の義父はインフルで倒れたのに這ってでも行こうとしたもんだから母が制止してベッドに放り込んだそうです。それだけ愛娘の晴れ姿を見たかったんじゃないかと」
愛娘って……美鶴ちゃんは優しそうな眼差しを向けながら撫でてくれるけど、娘になったつもりはないなぁ。
むしろ、私が「パパ」って呼びたいのは福延さんだ。というわけで福延さんの顔を美鶴ちゃんにやったみたいに舐め回してみた。
「お、お、お? 何々ハルナちゃん?」
「あらあら……お義父さんの言ってた通り。ハルナちゃんは福延さんのことが大好きみたいね」
「あ、いえいえ。生沿くんに比べたらまだまだ……私こそ中々ハルナちゃんを勝たせてあげられなくて申し訳ないぐらいなのに」
「でも福延さん。全日本2歳優駿でハルナちゃんに金星を飾らせたでしょ? ちゃんと結果も伴っている。お義父さんから言付かりました。「これからもハルノウラワをよろしくお願いします」って」
すると、そこでサイレンが鳴り、アナウンスが入った。
【平成22年度浦和競馬第8回開催4日目、これより開幕です】
それと共に正面ゲートが開き、来場客がぞろぞろと浦和競馬場に入場してくる。
ちなみに、平成時代の12月23日は天皇誕生日であり祝日なので、世間も休日だ。
ここ5年間のオーバルスプリントの開催は12月後半の週であり、特に去年と今年は同じ12月23日の開催。
去年はそこまで混まなかったのだが、
(今年は人が多いな……)
調教助手の岡嶋はすぐにその変化に気付いた。
「わー、ハルノウラワだー」
「ほんものー?」
その内にハルノウラワとのグリーティング目的の子供連れが彼らの前に訪れた。
彼ら彼女らはハルノウラワに子供を乗せたり、成人男性や女性の場合はハルノウラワと並んで立って、その姿を写真に納めたりしていく。
現役競走馬がふれあい牧場のような芸当をしていること自体が競馬やその分野に詳しい人々には衝撃だったのだが、実際にハルノウラワと触れ合いをしてみれば、これが「ハルノウラワだからこそ出来たイベントだった」と知ることになる。
子供にたまに鼻を叩かれたりしているが、それでハルノウラワが不機嫌になったり暴れたりはせず……ただ、子供が大人数で囲ってやって来た時は流石のハルノウラワは「どうしましょうこれ?」と言わんばかりの眼差しを岡嶋調教助手や馬主代理の美鶴に向けたりもする。
そんな姿がまた人々の笑いを誘っていた。
人が出入りして、ハルノウラワと触れ合って写真をとって、休憩して、《菓匠 浦和庵》のお菓子を頬張り、またグリーディングへ。
そうこうしている内に、あっという間に今日のメインレースの時間がやってきた。
【平成22年度浦和競馬第8回開催4日目、今日のメインレースは第10レース、南関東重賞S3のオーバルスプリント。去年と同じく12月23日の祝日に開催と相成りましたが、テレビをご覧の皆様、浦和競馬場のスタンドにご注目ください。去年を遥かに上回る盛況ぶりでございます】
【本日は1号スタンド跡地の芝生広場にて、浦和期待の新星ハルノウラワと触れ合えるイベントを開催中ですが、その影響もあるのでしょうか?】
【かもしれません。ハルノウラワ効果の渦中に我々はいるようです。残念ながら今年のオーバルスプリントにハルノウラワは出走できませんが、来年からはもしかすればその勇姿が見れるかもしれませんね】
【ただ、来年からオーバルスプリントの開催が9月になるんですよね】
【そうですね……この変更も果たして客足にどんな影響が出るのかまだまだ未知数ですね】
「あ。お義父さんったら……」
「美鶴さん、どうしました?」
「お義父さんはハルノウラワをオーバルスプリントに出したいって考えているみたいですが、12月開催だと思い込んでいるみたいで」
「あらら……インフルエンザが治り次第親父……じゃなくてテキも一緒に交えてお話しないとですね」
「ですね」
え? 何? 私の来年の目標レースがオーバルスプリントなの?
……じゃぁ、見ていかないとね。
その意思を示すために軽く嘶き、手綱を福延さんに渡した。
「ブルルルッ」
「ハルナちゃん?」
「……そう、やっぱりレースが気になるんだね?」
「美鶴さん?」
美鶴は直感した。
(この娘。やっぱりホッパーくんと似てる。懐かしい感じがしたのはそのせいかしらね?)
そう思いながら美鶴はハルノウラワの鬣と顎の下を優しく撫でていた。
すると、ハルノウラワのいる芝生広場を囲うように置かれた柵を退けて、美鶴がその鞍に乗り、芝生広場から、ゴール前の観衆が集まるコース際のフェンスまで、慌てた岡嶋調教助手と福延騎手に引かれる形でカッポカッポと歩いて向かう。そして、定位置に着くと、そこで美鶴が下馬し、ハルノウラワが観覧スペースの床にそのまま座った。
観客たちも実に驚いたことだろう。本物の競走馬がまさか客席側の床に座った状態ながらレースを見るためにやってくるなど普通は思いもしないことだ。
(そもそも現役の競走馬が観客とほぼゼロ距離で愛想を振り撒きながら触れ合いイベントをしていること自体が異例というか異常なのだが)
【何と……ハルノウラワが今まさに、観客席からレースを観戦しているような姿を見せています……】
【こんなの……見たことがない光景です】
その姿はまるで誘導馬か、それともレースを観戦しにきたアラサー女子か。
((どーしてこぉなったぁー……!?))
騎手の福延、調教助手の岡嶋の2人は、某所の前世が社畜な幼女のセリフを先取りしたかのような心の声を漏らし、(2人しかいないが)三者三様に頭を抱える。
「一緒に見ていきましょ」
「ヒヒンッ」
しかし馬主代理の美鶴はそんなことは意に介さず。まるで女友達と居るような感覚でハルノウラワに語りかけ、レースが始まる時を刻一刻と待っていた。
その異様な光景には競走馬たちも一様に驚くことになる。
パドックからコースに出てくる際、彼らは1号スタンド跡地に建ってる開催本部棟横の道を使う。
その道の出口、すぐ出て左を見てみれば、観客席に座って、すわ厩務員らしき女性からお団子のようなものを貰ってムシャムシャと食べながら浦和競馬場のコースを見つめている鹿毛の牝馬がこんにちは、である。
〈はぁ? なんでそんなとこに同胞がいるんだ!?〉
〈観客席に陣取ってやがる……って、待てよ。お前、さっきまで観客やその小さいのたちにチヤホヤされてたやつじゃねーか!〉
〈あ、どうもこんにちは〉
物の例えではなく本当に呑気に挨拶をするハルノウラワ。
「何でこんな所にハルノウラワが?」
「さっきパドックから出る時に後ろ姿を見たが、まさか本当にレースを見に来るとは……」
今日の出走馬、セイウンプレジャーとナイキマドリードに跨る騎手たち、和多丈路と河島昇太も共に呆気に取られる。
〈ハルノウラワ? あ。今年の全日本2歳優駿を勝利したとかいう浦和のお牝馬ちゃんってお前か!?〉
〈おっさん、知ってるのか?〉
〈野田トレセンではその噂で持ちきりだったんだぞ。マッド、そういうお前さんこそ全日本2歳優駿って出たことないのか?〉
〈うーん……いや、覚えは無ぇな〉
〈そうか……〉
セイウンプレジャー。元々は中央でデビューした馬だったが、成績が振るわず、今年浦和に移籍してきた。
「8歳牡馬のベテラン」と聞こえは良いが、重賞には出走こそすれども勝てた試しがない。
今回、彼の隣の枠順になったのが11番のナイキマドリードであるが、そのナイキマドリードは元々から大井所属、つまり根っからの地方馬だ。ついでに言えば、これまで21戦8勝。しかも敗れたレースの中にもJBCスプリントで2着という好走ぶりを見せており、自分よりは成績が優秀で重賞勝利に後一歩で手が届きそうな実力を持っている。それ故に「(ナイキマドリードは)全日本2歳優駿に出走した経験があるのだろう」、とセイウンプレジャーは思い込んでいたが、残念ながら勘違いであった。
しかし、セイウンプレジャーはこの時予感した。
(このお牝馬ちゃん、将来大物になるぞ)
この予感は後々的中することになるのだが、その片鱗は既に目の前に現れている。
観客席に馬が紛れてレースを見ているなど前代未聞の光景だ。しかも、迷い込んだわけでもなく、暴れることもなく、大人しくただ座って自分たちを見つめてくるという、内心驚きはありつつも、わずかに静かな時間が訪れた。
「……」
「「……」」
〈〈……〉〉
ハルノウラワと、出走馬2頭と2人の騎手に、何とも言えない空気が漂っていた、そんな時だった。
「和多さん、河島さん」
「! ……っと、いけない。つい見とれてた」
「サンキュー、尾崎くん」
後ろから続いてきたナカヤマパラダイスの騎手、尾崎啓太に声を掛けられた河島と和多は我に返る。
今までにない異様な光景ではあるが、自分たちも仕事がある。
さぁ、愛馬に栄冠を。
【第21回を数えました、浦和開催年末の大一番。トロットサンダー記念オーバルスプリント。来年からは短距離ダート競走の整備の一環として9月開催に移行する予定でありますが、今日の大盛況ぶりを見ていると果たして、な部分がありますね】
【はい。まさかのまさかで今日の浦和競馬場ですが、何と今日の入場者数が先ほど6万人を突破したそうです! ここでテレビの前、ラジオの前にいる皆さまにお伝えしますが、浦和競馬場の最大収容人数は約3万人なんです。つまり今日はその倍のお客様が浦和に来てくださったことになるんです! 】
【ハルノウラワを一目見ようと訪れた家族連れの方々が割合として今日は多い感じですが、そのせいなのか人気にも変動が起きています。ハルノウラワがスタンドに現れるまでは7番人気だった12番セイウンプレジャーが、今6番人気、いえ失礼、5番人気に上がってまいりました。ナイキマドリードは1番人気のままですが、倍率が1.7倍から1.3倍に……】
〈8歳になるおっさんの俺にそんなに期待してくれる人たちがいるんだな……〉
競走馬であるセイウンプレジャー。牡の8歳馬。中央にいた時、最初は芝を走っていたがいつの間にかダート馬になり、中々勝ち上がれないまま今年浦和に移籍してきた。最後に走ったのはもう11ヶ月も前だ。生まれて走り始めてから大した勝利こそ収めていないが、5年も競馬場で走り続けていたら、オッズの見方やら騎手たちが何を話しているかが何となく分かってしまうようになった。
さっき、自分の人気が7番だったことも知っていた。それが一気に5番、倍率?というのを見ていると4番人気にギリギリ迫る勢いだったが、ここで「投票を締め切りました」の大きな文字がスタンドビューに映し出されていた。これはレースまでもう秒読み段階であることを意味していた。
〈それもこれも、あの娘さんのお陰か……〉
観客席の隅っこに佇む、鹿毛の牝馬。
噂話などを繋げ合わせて聞いてみれば、まだ2歳だというが、そんなお嬢さんがなんと、全日本2歳優駿とかいう重賞を勝ってみせたというから驚きだ。(なお、後でセイウンプレジャーは全日本2歳優駿がダートのG1級レースだったと知り、さらに驚くことになる)
〈おっさん。あんたの番だぜ?〉
〈……あ。すまんな〉
先に隣の11番ゲートに入ったマッド───ナイキマドリードに指摘されて自分もゲートに歩みを進めるが。……そういえばナイキマドリードが1番人気だったことを思い出したセイウンプレジャーは、8歳馬とは思えないような
【今12番セイウンプレジャー収まりまして───】
一瞬間を置いて、ガチャンッという音と共に、
【───スタートしました、おっと! 12番セイウンプレジャーがグングン行く!】
〈は!?〉
〈何だって!?〉
驚きの声を上げたのはナイキマドリードと10番のノースダンデー。セイウンプレジャーがスタートダッシュを決めてぐんぐん加速して行った。
これに少々遅れて、9番バロズハートと6番ディアーウィッシュが喰らいつく。ナイキマドリードも一歩遅れる形で4番手か5番手のポジションにつく。
【スタンド前直線、先頭を駆けていくのは12番セイウンプレジャー! 9番バロズハート、6番ディアーウィッシュ、5番アーサルビーが続き、11番ナイキマドリードが5番手の位置。間も無く第1コーナーに入っていきます。続くは10番ノースダンデー、3番イーグルショウ、4番クレイアートビュン、8番ウツミランカスター、7番ナカヤマパラダイス、2番エネルマオー、1番ベルモントギルダーの順で第2コーナーを通過して向正面。先頭セイウンプレジャーのままだが、2番手ディアーウィッシュとの距離が縮まっていく! ここで3番手に上がってきたナイキマドリード早めに仕掛けた! 残り800m、そろそろ半分を超える、第3コーナーに入りまして12番セイウンプレジャー先頭のままだが苦しいか、残り600mで先頭がディアーウィッシュに変わった! セイウンプレジャー粘る、粘るが……今直線入って二番手! ナイキマドリード、ナイキマドリードが上がってきた!先頭でディアーウィッシュとナイキマドリード叩き合い、三番手争いにイーグルショウ、アーサルビー、ノースダンデー加わるもセイウンプレジャーも負けじと踏み込む! 残り200m、先頭ナイキマドリード、先頭はナイキマドリード、ゴールイン! 4ヶ月ぶり、9勝目を挙げた! 勝ちタイムは1分25秒5。2着ディアーウィッシュとはクビ差の決着。3着争いは……写真判定です。セイウンプレジャー、イーグルショウ、アーサルビーらが競り合っていましたが、6着にノースダンデーです。予想外の混戦になりましたが……おっと。セイウンプレジャー、ゴール前を通過して減速しながらハルノウラワの元へ?】
〈あら、さっきの〉
〈嬢ちゃん。……見てくれてありがとうな〉
【写真判定のランプが消えました……3着イーグルショウですが、4着は同着です、セイウンプレジャーとアーサルビー、同着です! 8歳のベテラン、ただでは負けてやらぬとばかりに意地と驚きの結果を残しました!】
〈おっさん……すげぇよ、あんな走り方出来るなんて〉
〈いやそれほどでも。同じセイウン冠の先輩の走り方を真似てみただけだ。残念ながら俺は遠く及ばなかったが〉
〈え? あの、プレジャーさん〉
〈何だい嬢ちゃん?〉
〈その「セイウン冠の先輩」って、もしかして……〉
馬同士が何か話し込んでるような姿に騎手たちはほっこりとするのだが、第10競走が終わったなら次のレースがあるので、その場を後にしなければならない。セイウンプレジャーの鞍上の和多が手綱を引きながら言った。
「プレジャー。行くぞ」
〈おっと。行かなきゃな。嬢ちゃん、野田トレセンにいるんだろ? また会う時が来たらその時に話してやるよ〉
〈は、はい。お願いします〉
〈……もしかして惚れたのか?〉
〈ば、バカ言ってんじゃねぇよ///〉
〈おっさん照れてるwww〉
〈やかましい〉
ウィナーズサークルに残されたナイキマドリードを除く、同レースの出走馬たちに揶揄われながらセイウンプレジャーは浦和競馬場の馬房へと脚を向けた。
後日。ハルノウラワは正月の挨拶代わりにセイウンプレジャーの元を訪れて、彼の言う「セイウン冠の先輩」について熱く語り合うことになるのだが、それはまた別の話。
オーバルスプリントが終わってから、浦和競馬場でグリーディングイベントを再開したハルノウラワ陣営であるが、第12競走の終了とともにその撤収作業へと移る。
荷物やイベントに使った道具類を片付け、岡嶋厩舎の馬運車にハルノウラワを乗せ、一路野田トレセンへ。……と思ったが、レースが終わると案の定渋滞に捕まるため、浦和駅を経由する大回りルートを選んだ。
「あの……岡嶋くん? 迂回にしても何でわざわざ西口側に?」
「いやぁ、浦和庵の本店がここら辺にある*6っていうから、見たらハルノウラワが喜ぶかなって……あ。ほら、あった」
「ヒンッ!」
馬運車の荷台をルームミラーで確認した岡嶋と福延と美鶴は、ハルノウラワが目を輝かせているのを見た。見てしまった。
「……ちょっとだけだぞ?」
「お店に連絡しますね」
ハルノウラワがどうしても浦和庵に寄りたい様子だったので、根負けした人間サイドは馬運車を停められそうな近場の駐車場を探し出し、突然ながら快くアポイントを受け入れてくれた浦和庵の店長さんやスタッフさんたちに感謝しつつ、お店を訪問することになった。
この時の様子を美鶴は写真に収めており、さらに閉店直前にお店の前でハルノウラワと一緒に浦和庵のスタッフ一同および美鶴らが並んで記念撮影した。
そして、
((どーしてこぉなったぁー……!?))
騎手の福延、調教助手の岡嶋の2人は、本日二度目の同一の心の声を漏らし、目を皿のようにして写真に収まった。
なお、この様子は通行人たちにもバッチリと目撃されており、昔懐かしのカメラ付きガラケーやまだ発売されたばかりのiPhoneなどで撮影され、これが後々webニュースにも載ることになるのだが、本人たちがその事実を知ることになるのは翌年になってからである。
(もちろん、これについては被写体になったスタッフ一同、及び美鶴らが掲載を許可していたため、肖像権侵害には至らなかった)
クリスマスイルミネーションに彩られた街中。
クリスマスが終われば新年に向けてまた忙しくなる。
しかし、ハルノウラワは忘れていた───2011年がどういう年だったかを。
実はこの話、最初は「浦和競馬場か、野田トレセンからハルノウラワが脱走して浦和駅前の浦和庵まで行ってしまう」というプロットで作るつもりでいましたが、よくよく考えると後処理やらが大変だし、あまりに考え出したら筆が止まってしまい、その後二転三転して、現在の形になりました。
今では9月後半に行われている浦和のオーバルスプリントも、2010年当時までは12月開催だったとか。
しかし劇中の2010年のオーバルスプリント……動画サイトを探しても、パドックと騎手の勝利インタビューは見つけても肝心のレース内容と実況のある動画が見つからなくてさっぱりわからんかった。なので、着順が史実とだいぶ違っていたり、セイウンプレジャーがこんな走り方ができる馬かどうかもわからないものの、こんなことを考えた。
「ウマ娘のアプリ版でハルノウラワのSSRが出てきたらファン数ボーナスとやる気効果アップがえっぐいことになってそうだなぁ」なんて。
前話では川崎競馬場の歴史とか3号スタンドがいつまで使われていたか、などなどを調べるのに苦労したんですが、浦和競馬場の場合は2010年ぐらいからはもう現在の形に近いものになっていたそうです。(ちなみに、2号スタンドは2019年のJBC開催に合わせて改装されていたそうです)
よって、この話の浦和競馬場のレイアウトはウマ娘編も含めて現在のものをほぼ踏襲しています。
早くアプリ版にも浦和レース場来てほしいぃ……。
※2024年12月27日追記……今回登場する黒松義隆の義理の娘である美鶴という女性は、スタークさん作の『また君と、今度はずっと』、及び筆者がその番外編として投稿している『〜If you can Cross to tomorrow〜』に登場する人物であり、特に後者の実馬編と本編は地続きになっています。
そろそろウマ娘編出した方がいい?
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出していいよ
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出してもいいけどアプリ版準拠で
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出してもいいけど浦和所属で
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[ライジェル]所属でおk(同人誌版)
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まだ早いんじゃないの?