浦和の桜吹雪   作:Simca Ⅴ

12 / 46
 ご愛読の皆様。
 新年あけましておめでとうございます。
 今年も宜しくお願いします。

 今回は拙く短いですが、ウマ娘編を投下いたします。

 後書きにおまけも入れさせていただきました。


ウマ娘編⓪「埼玉のトレセン事情(お家騒動)」※後書きにおまけ有り

 埼玉県さいたま市に所在する「さいたまトレセン学園」。

 

 さいたま市といえば、2001年に浦和市、大宮市、与野市が合併*1して誕生した政令指定都市であり、埼玉県の県庁所在地。「さいたま新都心」とも呼ばれている。

 

 ただ、この辺りはある意味で火薬庫のような事情を抱えている。

 

 一昔前のこと。

 

【勝つのは浦和の意地か、はたまた大宮の下剋上なるか!?】

 

 ある年の浦和レース場。9月の土曜日で非開催日にも関わらず、1号スタンドと3号スタンドにウマ娘たちが詰めかけていた。

 その間の2号スタンドには、一般のお客さんが入っていて、彼ら彼女らの視線は浦和レース場のダートコースに向けられていた。

 

【浦和代表!トロットサンダー!】

「「「ワー!!」」」「「「ブー!!」」」

【野田大宮代表!ゴーアレディ!】

「「「ブー!!」」」「「「ワー!!」」」

 

 浦和代表のウマ娘───トロットサンダーの名が実況で紹介されると1号スタンドからは歓声、3号スタンドからはブーイングが飛び、

 大宮代表のウマ娘───ゴーアレディの名が紹介されればその逆が起きる。

 

 ここで、この時代の埼玉のトレセン事情について語りたいと思う。

 

 それは、さいたま市が出来る(浦和市と大宮市が合併する)前、埼玉には2つの地方トレセン学園があったことだ。

 一方が浦和レース場を本拠地とする浦和トレセンである。

 そのルーツは、1947年に廃場となった春日部レース場。現在でいうと、東武伊勢崎線*2の北春日部駅東口方向にあったのだが、廃場になった理由が、交通の便が悪く、売上不振に陥ったせいだった*3

 そんな業績不振に悩む運営側に救いの手を差し伸べたのが当時の浦和市であり、浦和トレセン学園が開校し、浦和レース場が建設されて今に至る。

 

 もう一方が今のさいたま市緑区に位置した野田トレセン。

 この野田トレセン学園も浦和レース場と浦和トレセンが位置する同じ浦和市に存在したのだが、この野田トレセンのルーツは1931年〜1942年まで存在した大宮競馬場に併設されていた日本国大宮馬娘訓練学校(現代で言う「トレセン」に相当する)である。大宮競馬場*4は42年に廃場となり、その跡地には航空機工場が作られ、馬娘訓練学校も規模縮小を余儀なくされる。戦後、航空機工場は自動車や船舶用のエンジンを製造する工場に生まれ変わり、大宮馬娘訓練学校も「大宮トレセン学園」に改称されてしばらくは大宮の地に学校は残っていたが、間も無く用地が住宅地として再開発されることになり、1969年から74年の間に浦和市上野田へと校舎及びトレセン施設を移管。この地が旧北足立郡野田村*5とも呼ばれていたため、大宮トレセン改め「野田トレセン学園」となる。

 

 これを快く思わなかったのが、一足早く浦和に根付いた浦和トレセンである。浦和トレセンからすれば、野田トレセンは余所者でしかなかった。

 故に野田トレセンの生徒は浦和トレセン側からは「大宮」とも言われ、野田トレセン側も浦和トレセンをライバルとして意識せざるを得なかった。

 

 1号スタンドを埋め尽くしているのは浦和トレセンの生徒たちであり、一方で3号スタンドを埋め尽くしているのは野田トレセンの生徒たちだった。

 そんな両者が直接スタンド上で殴り合うような状態を避けるために、2号スタンドには緩衝材よろしく一般のお客さんを入れる羽目になった。

 ……まるでどこぞのフーリガン対策のような様相を呈しているのだが、この一般観客も様々で、地元浦和から来た人や大宮から来た人までいた。

 

 そもそも大宮と浦和は埼玉県が発足した当時から二度の世界大戦を挟んでなお政令指定都市の座を争ってきた歴史があり、隣接しているが故にその対抗意識は代々受け継がれてきたようなもの。

 

 だがしかし、幸いなのは彼らが客席で殴り合うようなことはなく、彼らの注目は両トレセンのエースたちに注がれていた。

 

 それもそのはず。トロットサンダーとゴーアレディ、両者は対極でありながら人々の魅力を惹きつけるエピソードや戦績を持っていたからだ。

 トロットサンダー。

 元々は中央トレセン学園に内定していたのだが、その前に過度な食事制限を原因とする拒食症によって痩せこけてしまった。

 これで中央に行くのは無理だと感じた本人はもう一つの内定先である浦和トレセン学園に入学する。ここには彼女の叔父である金津沢トレーナーがおり、「ダメ元」で叔父を頼った結果、本格化の兆候が見えたジュニア期でのデビューを見送り、元の体重と肉付きに戻すリハビリのような生活を続けることになった。

 クラシック期を迎えて漸く彼女は浦和レース場のスターティングゲートからの出走を許されることになった。ただし、もうこの時期ではメイクデビュー戦は無く、未勝利戦だけしか開催していなかったのだが、その初出走で2バ身差の逃げ切り勝利を納めた。その後、デビュー戦含めて5連勝を飾り、1敗を挟んでからの1勝、ここまで7戦6勝という成績を重ねて順風満帆に思えたのだが、シニア期1年目に入った時のトレーニング中に片足の膝関節を故障。しかもこれがかなりの重体で、一時期は競技ウマ娘としての復帰は絶望視されたほどだった。

 しかし、それから1年以上のリハビリを重ね、さらにここで一度は諦めた中央での活躍の夢を叔父の金津沢トレーナーと相談した結果、編入試験をパスした。そして、シニア期2年目、戦線離脱から約15ヶ月後の復帰戦で見事勝利を飾った。ただ、金津沢の夢であった浦和記念の制覇にもトロットサンダーは拘ったため、その年の後半は浦和のダートコースと中央の芝コースを行き来する生活を繰り返した。これが祟ったためか骨膜炎を発症したこともあるが、浦和記念への出走という金津沢トレーナーの夢を叶えた。残念ながら2着で終わったものの、翌年のシニア3年目では本格的に中央へと移籍し、芝コースで2連勝を飾ったことを皮切りに、その年のマイルCSを勝利してみせた。その翌年のシニア4年目───つまり今年の安田記念でも、中央の人気あるウマ娘たちを纏めて抑えて勝利、浦和出身のウマ娘が中央G1を2勝以上するのは前代未聞だった*6。このトロットサンダーの不屈の精神と挑戦への衰えない意欲は浦和トレセンの生徒たちにとっては希望の光となり、もはや伝説級となっていた。

 

 それに面白くないと言わんばかりの顔をしたのは当然野田トレセンであったが、トロットサンダーほどの実力も人気もあるウマ娘は中々現れなかった───トロットサンダーがシニア3年目を迎える頃までは。

 

 野田トレセンに現れた新星───そのウマ娘こそがゴーアレディだった。

 

 ゴーアレディは野田トレセン学園の生徒ながら浦和レース場でメイクデビューし、勝利した。

 しかも、彼女以外が全員浦和トレセン所属のウマ娘という状況下で最終直線で2着に3バ身差を付ける快勝を遂げるのだが、彼女曰く「まだまだ青かった時」に「日本の全ダート地方レース場制覇!」を競技人生の目標として掲げた。

 手始めに大井で1勝クラス、川崎で2勝クラスを危なげなく勝利し、そこからはジュニア期からクラシック期にかけて、北関東の三大レース場(足利・高崎・宇都宮)のオープン級レースを荒らし回り、東北では当時まだ稼働していた上山レース場を皮切りに岩手の盛岡と水沢で重賞や地方G1クラスのレースを次々に制覇してみせた。その勝ち鞍には、南部駒賞(M1)、東北優駿(M1)、青藍賞(M2)、不来方(こずかた)賞(M2*7)があり、北関東と東北の地方レース場の勝者に「ゴーアレディ」の名が刻まれてその存在を不動のものとした。

 そのゴーアレディはクラシック期を残すところあと3ヶ月としていたが、来年の2月に川崎記念*8を控えていた関係から北海道遠征を取りやめた(より正確には、トレーナーからシニア期最初の目標についてそう提案された)。しかしそれで一旦南関東に戻ってきてみれば、なんと、秋の天皇賞に向けて調整のために古巣に戻ってきたトロットサンダーと鉢合わせになり、あっという間に「浦和vs大宮 マッチレース」の渦中に放り込まれてしまっていた、というわけである。

 ちなみにダート1600mの施行距離にゲートが置かれていた。

 浦和に思い入れのあるトロットサンダーはともかくとして、ゴーアレディは大宮にも野田にも特に思い入れがない、故に「どうしてこうなった……」と言わんばかりに目が死んでいた。

 

「岩見沢、旭川、札幌……、岩見沢、旭川、札幌……」

 

 ゲート内に押し込まれたゴーアレディはブツブツとそんなことを呟いていた。「本来であれば今頃、北海道のダートレースを走っていたはずなのに……」と。まるで南関東に戻ってきたことを後悔しながら気を遠くしていたのだが。

 

「───じょう、───おい、お嬢さん!」

「は……っ!? な、何? あっ」

【あぁっと! ゴーアレディ、大幅に出遅れた!】

「しまった……!」

 

 その間にマッチレースがスタートしてしまった!

 対戦相手のトロットサンダーも「あれ?」と思い振り返った。そしたら、ゲートが開いているのに走り出してすらいないゴーアレディの姿が見えたので大声を掛けると、漸くゴーアレディは自身の出遅れに気付き、慌てて走り出した。

 

【ゴーアレディ、大幅に出遅れた、トロットサンダーからは10バ身以上も差が開いた!】

 

 この状況に1号スタンドの浦和勢からは「いいぞ」とか「行っちゃえトロットサンダー先輩!」といった声援が飛んでいたが、一方の3号スタンド側の野田勢からは「あーダメだ!!」「スタートやり直して!!」といった悲痛な叫びにも似た声が飛んでいた。

 

(うーん……そこまで熱くなる必要ある? 来年には野田も浦和もさいたまトレセン学園として合併するのに)

 

 実はこのゴーアレディとトロットサンダーのマッチレースから約5年後に浦和市と大宮市が合併してさいたま市になる。

 それに一歩先んじて浦和トレセンと野田トレセンを合併し、来年度より「さいたまトレセン」として新たに再編することが既に決まっており、何なら浦和レース場からウマ娘の脚で数分行った所、JR高崎・宇都宮線の高架を挟んだ向こう側に新校舎が建設中だ。

 野田トレセン、浦和トレセンは共に校舎が老朽化しており……実は野田も浦和も両トレセンが浦和市に含まれているのだが、野田トレセンの調教コースや設備と、浦和トレセンの設備とレース場を同時並行で運用していることについて、現浦和市長が就任した時に「二重に費用が掛かっていないか」と思い収支見直しを始めたことを皮切りに、両者の統合を市長は早い段階から考え始めていた。

 しかし、浦和レース場と浦和トレセンといえばその周りを住宅街が固めていたことが問題をさらにややっこしくした。

 新校舎については浦和駅の南にあった女子校を近隣の別高校と統合するために用地を確保できていたが、野田・浦和トレセンの両調教コースの統合については浦和市長が直接住宅地の住民たちの元に出向いて演説したり説明会を行ったり、場合によっては市長が直接訪問して懇願するなどなど、地道でとても骨の折れる活動を行なった結果、2001年のさいたま市立ち上げ時にギリギリ間に合う形で浦和レース場と浦和トレセン調教コースの統合を終えられる算段がこの前ようやく立ったところだった。

 

 このトレセン統合の話はつい去年に入ってから両校の生徒間に急速に広まり、しかも悪いことにこの後誕生するさいたま市の県庁所在地が旧浦和市役所から移転しないことを野田トレセンの生徒たちが聞きつけてしまい、故にこのレースはさいたま市へと統合されて消滅することになる浦和・野田の両トレセンにとって最後のぶつかり合いであり、野田トレセンにとっては「簡単に浦和に統合されてなるものか」と言わんばかりの最後の足掻きのつもりで浦和トレセンに持ちかけたものだった。

 

 ……これは第三者から見ても浦和トレセンにとっては何のメリットもない。何なら、浦和にはスターウマ娘になったトロットサンダーが中央で大活躍中であり、対する野田トレセンには挑戦者として相応しい実力を持つウマ娘がいないという有様だった。

 そもそもこのマッチレース自体、野田トレセン側が何度も浦和トレセン側に持ちかけていたが上記の理由で却下され続けていた。

 

 ちなみに、浦和と野田の両トレセンの統合についてはかなり早い段階で両者の上層部で合意に至っていたことを生徒たちは未だに知らない。

 加えて、県庁所在地が実は旧浦和市役所でも旧大宮市役所でもなく、さいたま新都心駅と共に新市庁舎が建設中であり、それが完成するまでの間、与野本町駅の最寄りにある与野市役所がその代行に選ばれた。なので、県庁所在地が浦和に奪われたまま、というのは野田トレセンの生徒たちの勘違いだったのだが……。

 

 ところがそこに、トロットサンダーに続くかもしれない実力あるウマ娘───つまりはゴーアレディが野田トレセンに現れたとなれば、こうなったわけだ。

 

 現に、逃げを打つトロットサンダーと出遅れ故に本能的に追いつこうと急いでいたゴーアレディの差は、スタート直後は10バ身以上開いていたのが、第2コーナーを越えて向正面に入った時にはその差が1バ身差にまで詰まっていた。

 

【両者第2コーナーを超えて向正面へ。最初は開いていた差がもう1バ身差にまで詰まって参りました、これが野田の新星の実力か!】

 

(……おかしい)

 

「……変だな」

「何が?」

 

 しかし、トロットサンダーに間も無く追いつくゴーアレディと、浦和側のスタンドから見ていた1人の黒鹿毛のウマ娘が違和感に気付いた。彼女が呟くと、共に観戦していた栃栗毛のウマ娘からその理由を尋ねられた。黒鹿毛のウマ娘は答えた。

 

「トロットサンダー先輩、わざと速度を落としていないか?」

「……言われてみれば」

 

 ちなみにこの2人は先輩であるトロットサンダーから「ゴーアレディと自身の通過タイムを測ってメモしてほしい」と頼まれていて、栃栗毛のウマ娘はトロットサンダーの400m毎のラップタイムを、違和感に気付いた黒鹿毛のウマ娘はゴーアレディの400m毎のラップタイムを。お互いにストップウォッチをカチカチと操作してタイムをノートに書き殴るようにして記録していたのだが、最初の400mこそトロットサンダーの方が早かったのに中間地点を越えるとゴーアレディのタイムの方が明らかに早く───いや、トロットサンダーのタイムが明らかに遅くなっていた。

 そしてちょっと目を離している内にトロットサンダーとゴーアレディが併走のように並んでいた。

 

【両者並んだ!】

「……ちょっと。どういうつもり?」

 

 横に並んだ内ラチ寄りのトロットサンダーにゴーアレディは自身が感じた違和感について問い質した。すると、

 

「お、ようやく来たな野田」

 

 顔を顰めるゴーアレディとは対照的に飄々とした様子でトロットサンダーは応じた。

 

「あなた、わざと速度を落としてるわね……!」

「そっちこそレースに集中してないようだったじゃないか。困るんだよ、マッチレースなのにボーッとされちゃぁ」

「それは……」

 

 トロットサンダー。

 その態度は飄々としていたが、こちらに向けてきた目は笑っておらず、むしろ怒りのような感情すらも込められているように感じた。

 

「何だ何だ? あたしじゃぁあんたの相手には不足かぁ? そりゃ骨折しまくってて既にピークも過ぎた年老いたピューマみたいなあたしだが、だいぶ舐められたものだ。マッチレースだというのに真面目にやってるのがバカみたいじゃないか」

 

 そのトロットサンダーの言葉からは、自身がゴーアレディの眼中に映っていないことへの憤りが込められていた。

 だが、最後の部分についてゴーアレディは反論した。

 

「……それはこっちのセリフです。こんなマッチレースに意味なんてあるんですか? どうせ来年にはさいたまトレセン学園として1つになってしまうというのに」

 

 そう彼女は呆れたかのような言葉を吐いた。

 

「何だ? 野田代表のくせにだいぶ冷めた目をしているじゃないか!」

【向正面、間も無く第3コーナーに入りますがここでトロットサンダー加速! しかし、ゴーアレディも負けじと喰らいつく!】

「……はんっ、根性はあるみたいだなお嬢ちゃん」

「お嬢ちゃん言わないでほしいです。確かにこんなマッチレース、私の目から見ればくだらない」

「くだらな……っ!?」

「だってそうでしょ? 浦和と大宮の対決なんて、過去の因習に縛られているだけじゃないの。正直なところ私は大宮にも野田にも特に思い入れはありません。大宮なんて生涯で2、3回しか訪れたことしかないのに」

「なら何でその()()()()()()()()とやらに出てきたんだ?」

「そっちが挑発してきたからでしょう? 私にはこの後、川崎記念があるから戻ってきただけなのに」

「……フェブラリーステークスには出ないのか?」

「私には()()早いとトレーナーさんが判断しました。私の目標は日本の全地方レース場に可能な限り名を刻むこと! 生憎とまだそれが途中ですので」

「……ガッカリだなぁ」

 

 そう言われてゴーアレディは額に青筋を浮かべそうになる。

 

「……何ですって?」

「まだクラシック期で地方レース場を荒らし回って巡業してるから、その実力は如何程かと思ったら、中央に出てくる気がないのか!」

「……すぐにそれですね」

「何がだ?」

「すぐにみんな「中央」「中央」って言う。そんなに中央が偉いんですか? そもそも中央のメインは芝で、地方はダート。中央のダービーを勝てても地方で川崎記念まで勝てるわけがないでしょう?」

「……っふん、中々言うじゃないか!」

【両者第4コーナーを回ってスタンド前直線へ! トロットサンダー、ゴーアレディ並んでいるが、トロットサンダー踏み込む、ラストスパートに入った!】

「頑固なお嬢ちゃん、ついて来な! はぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ゴーアレディの考え方も決して間違ってはいないだろう。

 だが、決め付けている様子はトロットサンダーには気に入らなかった。

 それに反論するためにトロットサンダーは自らの走りで語る。ラストスパートで一気に加速してゴーアレディを引き離しに掛かった。

 

(……っ!)

 

 その時にトロットサンダーは何かを感じた。

 しかし、その方向に目を向ける前に栗毛のウマ娘の後頭部が自分の視界の右側から割って入ってくるように現れた。

 

「やぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ゴーアレディは声を張り上げながら最終直線でトロットサンダーを抜きに掛かる、が、

 

(くだらないと言う割にはやるじゃないか。だがハナはそう簡単に譲らないぞ!!)「はぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ゴーアレディに対して言いたかったことを飲み込み、代わりにトロットサンダーも声を上げて応戦するかのようにゴーアレディに並ぶ。

 

 そのまま浦和vs野田大宮の最後の馬鹿騒ぎも、2人がゴール板をほぼ同時に抜けていき、終わりを迎えた───。

 


 

 ───馬房でバッと起き上がる小柄な牝馬。

 

(え?夢?今のってウマ娘たちが走っていたような……)

「ハルナちゃーん、起きたかい?」

「ブルルッ、ヒン!」『あ、岡嶋さーん、おはようございまーす』

「はははっ、年明けから元気だなぁ。さぁ、朝の散歩に行こうか」

『はーい』

 

 浦和の桜吹雪───その渾名でハルノウラワが呼ばれることになるのは今暫く先の話であるが、2011年を迎えたばかりの彼女は岡嶋調教助手に「朝の散歩」という名の調教を受けることになり、ウキウキ気分で馬房を後にした。

 

 彼女が出た後の馬房だが、そこには2枚の新聞があった。

 1枚は、《新旧スターによるマッチレース》と題して、「1996年9月に野田トレセンで行なわれた競走馬2頭による公開調教」についての記事があった。

 

 もう1枚は、《オルフェーヴル、次走はシンザン記念で決まった》という見出し。その日付は2010年12月31日を示していた……。

 

*1
後の2005年に岩槻市も合併した

*2
東武スカイツリーラインとも言う

*3
ちなみに、北春日部駅の開業は1966年9月だった……。

*4
誤字ではない。ウマ娘世界の戦前の日本ではウマ娘競技用のコースを持つ会場は「レース場」ではなく、「競馬場」と呼ばれていた。

*5
1956年に近隣村と合併して美園村になり、さらにその後、1962年に美園村が南北に切り離され、野田村が位置した北部は浦和市に編入されている

*6
なお、クロスクロウの活躍はさいたまトレセン学園に合併した後

*7
現在ではJpnII

*8
2024年現在では開催が4月に変更されている。




 ウマ娘世界の埼玉について考えてみた番外編のようなものであります。

 劇中で出てきた「大宮vs浦和」。地元民ではないのでよく知らないのですが、さいたま市が根付く前の世代では恒例行事だったとか。

 その過程で埼玉に存在したとされる廃競馬場を調べていたら、今回のようなことになりました。

 それにしても、歴史を調べれば調べるほど、「もしもこうなっていたら」っていう惜しいものが出てきますね……。
 特に春日部競馬場。
 1947年に廃場、どこにあったか調べたら「北春日部駅の沿線? これで客足が悪かったなんて余程運がなかったんだな」とか思ったんですが、北春日部駅の歴史を調べたら、「あと20年頑張っていたら状況が変わっていたかもな……」と思いました。

 さて、結末でも述べられているように、作中でも2011年を迎えました。
 そう、ついにあの年です……。



おまけ

ゴーアレディ(Go a lady)(1993〜2023)
 父・イージーゴア
 母・ハギノトップレディ

 仮名は「ハギノトップレディの1993」。
 馬主は黒松重源(重源の死後は一旦は兄の玄英に渡り、その後、甥の義隆に権利が移っている)。
 名前の由来は、父馬の「ゴア」と、母馬の「レディ」を合わせて、「それ行け、お嬢様!」という意味を込めて「ゴーアレディ(Go a Lady)」となった。

 地方で走っていた馬ながら、その戦績は全国、一度は目にするほどの活躍を見せていた。
 デビューは浦和で。
 その後、一勝クラスを大井で上げ、二勝目を川崎で飾った後、高崎、宇都宮、足利、上山、水沢、盛岡などを2歳・3歳時に転戦。

 1996年の9月に一度野田トレセンに帰厩するが、その際に行なわれたトロットサンダーとの併走はマッチレースの様相を呈するような伝説を残した。(なお、この直後にトロットサンダーは故障し、引退を余儀なくされた)
 そのままの流れで浦和記念に出走するとこれを危なげなく勝利。しかし、4歳馬になった翌年2月、川崎記念へ出走するも4着で敗れる。
 船橋のかしわ記念は勝利を掴むが、帝王賞の代わりにさきたま杯へ出走して勝利。
 その後は、7月からは札幌、旭川、岩見沢を転戦し、10月には金沢競馬で白山大賞典を勝利、12月には名古屋に渡り、名古屋記念の初代王者に輝く。
 1998年、5歳を迎えると、福山、高知、荒尾、佐賀などの南方へ転戦した。(なお、当時存在した益田競馬場と、1999年までの園田競馬場は重賞がアラブ系競走馬によるものに限定されていた。姫路競馬場もその傾向が強かったこととゴーアレディが出走できる条件のレースが見つからなかったため、ゴーアレディはこの3つの競馬場には生涯立ち入れなかったという)

 全国の地方競馬場を渡り歩いていたが、生涯浦和所属であり続けたことから、
 「東からやってきた砂塵の女王」、「放浪の天才少女」、「偏西風に乗ってやってきた娘」、さらには「神出鬼没の令嬢」と呼ばれ、これら4つを合わせて「貿易風の御令嬢」といった別名を名付けられた。「貿易風」とは地球規模で吹く恒常風の一つで、大航海時代にはこれが貿易航路の風として使われていたという。

 1998年末までの公式戦で22戦18勝という成績を残すが、6歳になった直後に引退を余儀なくされる。

 1999年1月3日。中津競馬場で行なわれた中津大賞典に参戦するも、出走直前に歩様がおかしいことに騎手が気付き、馬体検査の結果、骨折が判明、ここで馬主の黒松重源は引退を決断した。
 引退後は繁殖牝馬になる。

 1999年6月、九州の黒松牧場にて療養後、マヤノトップガンとの種付けを行なう。
 その翌年の4月30日、後に「イーストウインド」という名前の競走馬になる牡馬を出産する。
 名の由来は、母の異名に因む。

 翌年にはクロスクロウと交配、さらに翌々年には同じ浦和所属だったトロットサンダーと交配し、「ゴーアレディの2002」を産み落とした。

 2005年にはナリタトップロードと交配(その年の11月に亡くなっている)、その仔が「ゴーアレディの2006」であり、後の「ナコウトプカラ」である。

◎ウマ娘姿
【挿絵表示】

 ウマ娘編では大手商社を経営する一家の御令嬢であり、実は旅行好き。
 その趣味と日本各地に点在する地方レース場に興味が湧いた結果、北は旭川(現役当時はまだ稼働していた)、南は佐賀までを渡り歩き、オープン戦相当から地方G1級レースまで、ありとあらゆるグレードのレースに顔を出していた。その姿はまさに「神出鬼没」。日本全国を地方レース場限定ながらも闊歩した結果、実家と彼女の戦績に因んで「貿易風の御令嬢」の異名を世間から賜ることとなる。

そろそろウマ娘編出した方がいい?

  • 出していいよ
  • 出してもいいけどアプリ版準拠で
  • 出してもいいけど浦和所属で
  • [ライジェル]所属でおk(同人誌版)
  • まだ早いんじゃないの?
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。