それが2025年になって本当に実現し、しかもG3という格を与えられることになるなんて思ってもいませんでした……。
しかも、明日(1月25日)に迫っているというんだから世の中どう転ぶかわかったもんじゃない。
ただ、土曜日は船橋競馬場が休みなのが地味に痛い……今年が
……まぁ、ハルノウラワの物語では特に関係ない事なんですが、「小倉牝馬ステークス」は作中の何処かで言及しようとは思っていました。
今回?
それらの話が実は全く関係ありません。
というのも……「2011年」という年を語る上で避けては通れない話題を今回は描かなければならないからです。
長い前置きはここまで。
不快な表現が登場するかもしれませんが、予めご了承ください。
2011年3月23日浦和競馬場で開催される桜花賞……に向けて、私は今群馬トレセンでトレーニングの真っ最中!
午前は坂路トレーニングを兼ねた全長3kmのコースを一周。
そして、午後は。
「いやぁ、まさかここでリアライズノユメとまた遭うなんて」
「こちらもびっくりですよ。北関東桜花賞のためにと「一番キッツイ調教コースは何処か」と探していたら群馬トレセン様からお声が掛かりまして……では今日は併走トレーニング、よろしくお願いします」
〈ユメちゃんお久ー〉
〈ハルナちゃん久しぶりー〉
〈聞いたよ。足利に移籍してから紅梅特別と北関東クイーンカップで2連勝したんだって?〉
〈そうだよ。北関東に移籍して正解だったかも。ここの方が何となく脚が合う気がしてさ〉
群馬トレセンと高崎は分からないけど、確か宇都宮と足利のダートの砂はJRAで使われてるのと産地が同じだった気がするけど?
……まぁ、そこはプラシーボ効果というやつだ、ツッコむのは無粋ってもの。私は空気の読めるお馬さんなのだ。
ちなみに、北関東三冠と北関東三冠牝馬。それは、前者には北関東皐月賞・北関東ダービー・北関東菊花賞があり、後者には北関東桜花賞・北関東オークス・北関東秋華賞がある。この内、北関東秋華賞は2009年10月に新設された比較的新しい競走なんだけども、これは同時に南関東牝馬三冠ともリンクしていて、「浦和桜花賞と南関東オークスはわかるが、東京プリンセス賞が分かりにくい」という声も少なくなかったので、北関東秋華賞だけは特別に「南関東・北関東所属の3歳牝馬のみ出走可能」という条件が付加されているらしい。
もちろん、南関東牝馬三冠を獲ってから北関東秋華賞で牝馬四冠を目指すのもアリだ。私ぁやりたくないけども。
また、北関東の三冠レースの主戦場といえば2006年まで宇都宮だったのが、この世界では足利競馬場が廃場を免れ、さらに私の前世でも行なわれた高崎競馬場の大改修工事と群馬トレセンがある関係で、
「ダート短距離〜マイル戦特化の足利」、「短距離から長距離まで幅広い分野をカバーできる宇都宮」、「中長距離戦を主とする関東圏地方競馬場で最も過酷な高崎」、といった具合に役割が分担され、それは三冠レースにも現れている。
北関東桜花賞と北関東皐月賞の開催地が足利、北関東オークスとダービーの開催は宇都宮、北関東菊花賞と秋華賞の開催は高崎といった具合であり、足利所属になったユメちゃんの目標はまず北関東桜花賞だ。
前述した「紅梅特別」と「北関東クイーンカップ」は両方とも宇都宮開催なので、ユメちゃんは調教以外で足利競馬場を走ったことがないという……うーん。ちょっと心配かな。
〈大丈夫よ。あなただってユングフラウ賞をほぼぶっつけ本番で勝ったっていうじゃないの。私だってやってやるわよ。あと、プレジャーさんだっけか? あの人、あなたの自慢ばかりしてたわよ〉
〈あははは……〉
〈ひー。おじさん、待ってよー!!〉
〈まだまだだな若いの!〉
脚質と得意な距離が似ているということで私とユメちゃんは併走トレーニングをしてちょっと休憩していたんだけど、視界の隅に坂路爆走中のプレジャー先輩と芦毛のやや小ぶりな2歳馬くんが見えた。
私の群馬行きに〈じゃぁ俺も〉とついてきたプレジャー先輩は早速私がユングフラウ賞を勝った時の話をユメちゃんに布教したみたいだ。
そのプレジャー先輩は前回のレースを無事勝利したことで復調したらしく、やる気に溢れていた。
〈今年で引退するつもりでいたが、重賞の一つでも獲って錦を飾りたい〉
と、意気込んでいて、新たな目標として7月の宇都宮で開催されるJpn3さくらんぼ記念というレースを狙っているそうな。*1
そんな彼の併走トレーニングの相手役になった2歳馬くん、名前を「メジロクーパー」というらしい。
競馬新聞を読みまくって事前に知識を蓄えていたとはいえ、それでも、この世界ではメジロ牧場が健在という証拠をいざ目の前に出されると驚きを隠せなかった。
このクーパーくん、お母さんがメジロシクローヌで、お父さんがダイタクヘリオスという、うちの馬主さんのセンスといい勝負のかなり攻めた配合。それも、ダイタクヘリオスのラストクロップだったらしく、母馬が別れを嫌がったという逸話まであるらしい。
しかし、ウマ娘ではギャルズと化していたが、実馬のダイタクヘリオスは温和で真面目な性格で賢い馬だったというし、さらに母のメジロシクローヌは帝王賞などのダート重賞でも勝ち星を複数上げて、さらにこの世界においてJRA所属の日本馬として初めて凱旋門賞を制覇した名牝、つまりパワーとスタミナを兼ね備えた強靭さを持っている。
その父の気性と賢さ、母からパワーとスタミナと根性を受け継いだ子がメジロクーパーというわけで。
まだ小柄な2歳馬ながらプレジャー先輩の坂路トレーニングに必死について行っている姿にその素養の高さが窺い知れる。
足元を見ると、ちゃんとダートも走れる脚使いをしている……これはもしかすると、ダート馬として大成するかもしれないけど、もっと上だとすれば、エルコンドルパサーやアグネスデジタルみたいに芝もダートも戦場を選ばずに戦い抜ける可能性も秘めている。デビュー戦もまだまだなのに、侮り難い子だと思う。
しかし……メジロクーパーが今2歳ということは、彼の同世代にはケイジやゴールドシップやジャスタウェイとかがいるはず。牝馬も含めるならジェンティルドンナとヴィルシーナがいて、短距離路線にはシゲルスダチ、ダートだとホッコータルマエがいたはず。つまりはどの路線に転ぼうとも、否が応でも戦国時代に放り込まれる。今、才覚や素質が見えても、果たしてそれをどこまで伸ばしてあの最強世代に太刀打ちしていくのか。
見ものでもあり、才能やメンタルが潰れるかもと怖くもある。
なお、今日はシマカゼタービンさんはお休み。故に、スパーリングパートナーが不足しているナコウトプカラさんは群馬トレセンの練習コースをグールグルしてもう既に5周走り切っていた。
「ちょ、ストップ、ストップだよ、トプ子ちゃん」
「ヒヒンッ。……ブルッ?」〈四ツ木さん? ……え、もう終わりでいいの?〉
タービンさんがいない状況下で無心に坂路を含めた全長3kmの練習コース、これを5周なら15000mということになる。
前回練習を見ていた時はタービンさんを〈鬼!悪魔!血がガソリン!〉などなどとプカラさんは悪態を吐きながら同じ距離を周回していたのに、今日は嘶く事すらなく走りまくっていたため、流石に心配になった敷浪先生が「これ以上は走らせ過ぎ」ということで休憩に入ることにした。
プカラさんはよっぽど集中していたのか、〈え? これでいいの?〉とキョトンとしていたが、鞍上の四ツ木さんに「もう午前はお終い」と言われながら手綱を握られて、訳が分からないといった様子を見せながらも馬房へ戻って行った。
ちなみにタービンさんは何でも〈(本業の酒造の)仕事が忙しいから来る暇がない〉と言っていたとナコウトプカラさん談。3月は年度末だし当然かー。日本じゃぁ12月を「お坊さんですら走るほど忙しい」として「師走」とか言うけれども、現代人は3月もクッソ忙しいのだ。
それは競走馬とて同じこと。特に本番が控えているなら尚更。
前回群馬トレセンに滞在していたのは精々2、3日だったけど、今回は3月頭から2週間たっぷり特訓するつもりで来ている。
そこに足利からはユメちゃんが、美浦からはクーパーくんがやってきたため、より調教に熱が入った。
ユメちゃんと一緒に坂路トレーニングしたり、プレジャー先輩との併走で差し足の使い方や先行での走り方を教わったり、逆に今度はクーパーくんと併走して逃げ脚の使い方や逃げ馬の走り方を教えたりと密度の濃い調教になった。
〈そういえば、ハルナちゃん。今年は何を走るんだっけ?〉
調教の合間の休憩に、ユメちゃんからそんなことを尋ねられた。
別に隠す必要もないので、ぶっちゃける。
〈えっと……南関東牝馬三冠は当然狙うけど、その後に大きい目標はジャパンダートダービーかな〉
〈……ねぇ。オーバルスプリントは出る?〉
〈馬主さんが一応考えてはいるみたいだけど、私からは何とも言えない〉
そういえば今年から12月開催が9月に変更だって言ってたような?
馬主さんは難色を示してるらしいけど、これが馬生の辛いところ。
いくら調教で努力しても、そもそも馬主さんが出したいレースに私たちは出るだけだ。
構想外だったら出たくても出られない。
私は最悪駄々を捏ねてでも出たいレースは出さして欲しいのー!
〈そう……なら、あたしからの挑戦状よ〉
〈挑戦状……? オーバルスプリントで対決?〉
〈えぇそうよ。今年から「指定交流重賞」?とやらになるって聞いてね。これって南関東だけじゃなく、中央と、他の地方の馬も参戦していいんでしょ?*2〉
〈へぇー……〉
〈……怖気付いた?〉
〈まさかぁ。その挑戦、受けて立つわよ〉
〈決まりね。北関東三冠牝馬vs南関東三冠牝馬、どっちが最強か、そこで決めてやりましょう〉
〈えぇ〉
そうして熱いハグを交わしたその日は群馬トレセンへの滞在も残りあと4日。
しかしその後、私はちょっとしたミスを犯す。
それは、タービンさんがいないため長距離走のトレーニングで張り合いのある相手が見つからずにフラストレーションを溜め込んでいるプカラさんの併走に付き合ってしまったことである。
その後どうなったかだって?
ヘトヘトだよぉ……。
〈つっかれたぁ……もう動きたくなーい……〉
件のプカラさんの群馬スペシャルに付き合った結果、ご覧の有様だよぉ!
全力で4000m走破なんてやるんじゃなかった……。
「あーぁ、だから言ったのに……」
「いつものマイル戦用の調教距離が2400mでしたっけ? そこからいきなり4000m走破しようとするなんて無茶だよ。そういうのは少しずつ距離を伸ばしていかないと」
脚部のケアとか云々やってもらってから馬房まで戻ってきたけど、疲れ果ててバタンキュー……。
岡嶋せんせーと敷浪せんせーが呆れたような顔しているけど、ここでトレーニング出来るのはあと4日しかないのを忘れてない?
「やっぱりハルナちゃんは賢いお馬さんだよ……ジャパンダートダービーの距離を知ってか知らずかその倍の距離を走れるようにって頑張ったんだから。でも、無理は禁物だよ?」
「ブルルンッ……」
福延さん、今日は美浦で調教があったらしいけどその帰りにここに立ち寄って私の様子を見にきてくれた。
こんな疲れてぶっ倒れてる私の頭を撫でながら褒めてくれた。
私の意識はそこでブラックアウトした───。
───きろ。起きろ。
誰かに起こされて、目を覚ます。
……あれ?
「手……人間の?」
目を開けたら、自分の手が見えた。
それは、いつも見ている馬の蹄ではなく、人間の手だった。
「よく来たな」
そう声を掛けてきたのは、髪が真っ白な少年とも少女とも取れる人物と───しかし直後に頭からウマの耳が一対ピョコンと立ち……ウマ娘!?
「え!? ウマ娘!? ウマムスメナンデ!?」
「あれれ、驚きすぎでカタコトになってるデス」
「……って、あなたはエルコンドルパサー!?」
「どうもー……って、私のことを知っているんデスか?」
「え。あ、はい。まさかウマ娘として会うことになるとは思ってもいませんでしたけど……って、まさか私も?」
「自分の姿を見てみるか?」
髪が真っ白なウマ娘が指をパチンッと鳴らすと、私の目の前に姿見のような鏡が現れた。
その鏡に写っていたのは、若葉色の長い髪をしたウマ娘。
鏡で見て左側に長い髪をサイドテールにして結い、同じく左耳に花飾りを付けていた。
着ている服は……上着は見たことがない紺色ブレザーの制服。ワイシャツにストライプが入ったピンクのリボン。紺色のチェックのスカート。白のハイソックスに、足先に蹄鉄がついたウマ娘用のローファー。胸には、横倒しにした蹄鉄のマークにSTの文字が刺繍されていた。
「これが私……?」
「そう。君だ。ハルノウラワ」
「! 私の名前を知っているんですか?」
「もちろんだ。俺はもうすぐお迎えが来る身だが、度々息子やその親戚のレースをこれで見させてもらっていたからな」
そう言うと白い髪の毛のウマ娘は、炬燵に腰掛けて、目の前にあるブラウン管テレビのようなものを指で指し示した。
「お迎えって、よく言うネ、クロ。『スキッパーとシクローヌの活躍を見届けるまであの世に行けない!』って神様に我が儘を言ったかと思えば、エルが昇天してきたら『黄金世代が全員揃うまで待って』なんて言い出しちゃって。お陰でエルはここで足止めデース」
少々呆れたようにコメ食いてー顔でボヤく鹿毛のウマ娘。ハルノウラワの記憶にある通り赤と黄色のマスクを付けているエルコンドルパサーだが、彼女も白いウマ娘と一緒に炬燵に両足を突っ込んでいる。
なお、2人の頭には天使の輪っかのような物が浮かんでいた。
「クロって……もしかしてあなたが?」
「そうだな、自己紹介がまだだったな。俺はクロスクロウだ」
「クロスクロウ……お噂は予々です」
そう言ってハルノウラワはお辞儀をしたが、
「あぁ、そんな畏まらなくていい。それより座りなよ」
「は、はい。ではお言葉に甘えて」
そうしてウマ娘姿のハルノウラワはエルコンドルパサー、クロスクロウが足を入れている炬燵に一緒に入った。
「……それで、ハルノウラワ。……長いからハッちゃんかハルナちゃんって呼んでもいいかい?」
「じゃぁ……ハルナでお願いします。ハッちゃんって言ってきたおっさんはあまり好きじゃないので」
「じゃぁハルナって呼ぶよ。ハルナちゃん。遅ればせながら全日本2歳優駿勝利おめでとう。息子の時以来の同レース勝利だった」
「ありがとうございます。自分勝手に振る舞っちゃったかもって思いましたけど」
「いやいや、俺の時に比べたらまだマシだよ。奥分さんや生沿なんて俺の奇行にだいぶ振り回されたと思う。あの時はやんちゃして周りに迷惑をかけまくっていたな……」
そう語ったクロスクロウの赤い瞳は何処か遠くを見ているかのようだった。
「ホントデース。エルやグラスたちだって散々クロに振り回されマシタから。特にグラスとウンス!」
「あの2人には改めて謝らないとな……」
「あ、あの!」
「「?」」
「す、すみません、何で私がここに居るのかわからなくて……まさか?」
一瞬嫌な想像が浮かんだが、
「大丈夫だ、君は死んでいない。でも、無茶なトレーニングでだいぶ疲れているじゃないか。それを見て居ても立っても居られなくてつい、な。だから君を呼んだんだ」
「……」
ハルノウラワが知ってる限り、クロスクロウの死因は予後不良では無かったはずだ。
だが、言われて心当たりがあり、同時に、
「……その顔。俺に何があったか知っているな?」
「! ……何故それを?」
「君は顔に出やすい。遠慮するな。言ってくれ。きっと君の答えは当たっているぞ」
クロスクロウが真剣な顔でそう言うと、ハルノウラワは言葉を選びつつ、しかし、競馬新聞などで得た知識から
「確か……喉鳴りから始まった呼吸器不全、でしょうか?」
「……さすがだ。俺のことをちょっとでも知ってるだけのことはある。そう。キングジョージ6世&クイーンエリザベス・ステークスで。アスコットのコースと高低差の激しい坂のアップダウン……調教時とは違う対戦相手からのプレッシャー、絶対に勝つ!という決意以外頭から消え失せて火事場の馬鹿力みたいなものを発揮してみれば、喉と肺を壊してあのザマだ……エル、改めてすまないことをした」
「クロが謝ることではないデスよ」
「いいや。あそこで別に勝たなくても、その次に俺は凱旋門賞に出るはずだった。お前を1人で行かせる羽目になって……」
「あ、あの……」
「……あぁ、済まないな。つまりはそういうことだ。無茶なトレーニングをしていたら、それがそのまま寿命を縮めることになっちまう。気を付けるんだぞ。俺みたいになるな」
「……わかりました」
「それにな……君を呼んだ理由だけど、もう一つあるんだ」
「え?」
「……明日。あれが起きるのは知っているな?」
「!」
「何デスか?」
クロスクロウに言われて、ハルノウラワは
状況を飲み込めないのはエルコンドルパサーだけだったが、ハルノウラワはつい嫌な想像が脳裏を過り、クロスクロウに尋ねた。
「ま、まさか、群馬のみんなや浦和の人たちが……?」
「……いや。大丈夫。少なくとも君の仲間には被害が出ないはずだ。だが───」
「───桜花賞」
「……そういうことだ」
「え? クロ? ハルナ? ちょ、ちょっと、どういうことデスか!?」
この後に起きる出来事をハルノウラワは察し、クロスクロウは肯定した。未だに話を飲み込めないエルコンドルパサーを置き去りに。
「なぁ、ハルナちゃん。……ちょっと目を瞑っていてくれるか?」
「は、はい……」
言われた通りに目を閉じたウマ娘のハルノウラワ。
次の瞬間、クロスクロウが指をパチンッと鳴らすと、
「オォー、お馬さんでもベッピンさんデース!」
〈え? ……え?〉
ハルノウラワは馬の姿に戻っていた。
〈クロスクロウさん、これってどういうこと……って、一応喋れてる?〉
「まぁ、夢の世界みたいなものだから何でもありってやつだ。それより、この後起きることに備えよう」
そうして、クロスクロウとエルコンドルパサーが馬の姿のハルノウラワに教えたのは───。
───気付けば、そこは群馬トレセンの馬房内。
〈……あれ?〉
ハルノウラワが目を覚まし、四肢に力を入れて伸びをすると、視界は今生で見慣れた馬の目線。目の前には蹄鉄を付けた前足が見え、振り返ればお尻がまだ寝藁に入っていた。
時計を見ると、午前7時だった。
〈……もう朝!?〉
寝坊したサラリーマンのごとく飛び起きたハルノウラワ。
競走馬の調教というのは早ければ朝の3時や4時から始めていないとならない。つまり完全に遅刻だ!と慌てていたが、
「あ、ハルナちゃん、起きたか。おはよう」
馬房に姿を見せたのは彼女の主戦騎手である福延だった。
……寝坊したのを怒ってる様子は無く、むしろ、
「今日はのんびりしよう。連日の調教で疲れも溜まってるしな」
「ブルルル?ヒンヒンッ!」
「ダメダメ。今日は1日お休みだよ」
「ブルル……ッ」
トレーニングに行かなきゃ、と焦る気持ちがハルノウラワの目に浮かんでいたが、福延はすぐに気の早ったハルノウラワを落ち着かせて、今日の調教は休みだと説明して顔と鬣を優しく撫でる。
そして、福延の言った通り、連日の調教疲れが祟って(特に昨日は限界まで走ったため)、間も無く再びハルノウラワは眠りこけてしまう───。
───しかし、次に目を覚ました時、地面から突き上げるような激しい揺れを感じた。
〈……!?〉
時計を見ると、運命の時刻───午後2時46分を迎えた時だった。
〈な、何これ、地面が揺れてる!〉
〈怖い怖い怖い!誰か助けて!!〉
足元がドカンッと沈み込むような衝撃と共に、地面が揺れる。
コースで調教中の馬たちは慌てて止まり、騎手たちも急いで馬から降り、地面に伏せる。馬にも同じような姿勢を取るようにと奮闘する中、ハルノウラワの周りの馬房にいる馬たちは慌てふためき、中にはヒステリックな嘶きを上げる馬までいた。
〈鎮まれぇぇぇぇぇっ!!〉
そう叫ぶように嘶いたのは、この場では最年長であるセイウンプレジャー。彼の嘶きに群馬トレセンの厩舎にいる馬たちの注目が集まった。
そこでハルノウラワは我に返り、
〈みんな、こういう風に地面に伏せて!!〉
ハルノウラワは足を畳んで頭を下げ、地震の揺れで転ばないようにと馬の身体を極力低姿勢にする。
〈ハルナの言う通りにして〉
同じ姿勢をリアライズノユメとナコウトプカラ、メジロクーパー、そしてセイウンプレジャーが取ると、他の馬たちも同じ姿勢を取り、次々と地面に伏せた。
暫くして地震が収まると、
「ハルナ、無事か!?」
厩舎の馬房へ慌てて様子を見に福延や岡嶋調教師、それに敷浪調教師などなど群馬トレセン関係者がやってきた。
その姿を見た馬たちは安堵したが、
「……え? これは一体どういうことだ……?」
厩舎に駆けつけてみれば、一頭残らず馬たちが同じ姿勢を取っていることに人間たちは驚愕した。
〈みんな、しばらくはこのままの姿勢を維持〉
〈な、何で?〉
〈人間さんが来てくれたからもう立っても良いでしょ……?〉
〈いいえ、この後余震がくるわ〉
〈ヨシンって?〉
〈さっきと同じぐらい地面が揺れるってこと!〉
〈ヒィーッ!?〉
「ハルナ……お前がやってくれたのか、ありがとうな」
「ヒヒンッ」
ハルノウラワが警告した通り、その後数回、群馬トレセンは強い揺れを伴う余震に襲われ、これがその日の夜まで断続的に続いた。
しかし、その間に馬たちが地震を凌ぐために取っていた姿勢について、ハルノウラワが呼びかけたのか、他の馬によるものかは判然としなかったが、少なくとも群馬トレセンで怪我をした馬は一頭として出ずに助かった。
福延はこの時ほど自分の愛馬を逞しく思ったことはなく、「よくやった」という気持ちを込めて優しくハルノウラワの顔を撫でた。
余震が続く中、福延を始めとする騎手たちや、群馬トレセンの調教師や厩務員たちスタッフはその後一丸となって対処に努め、この日、疲労困憊になった福延はハルノウラワに寄り添いながら眠りに落ちたという。
後にこの出来事は「東日本大震災」と呼ばれるが、この時の様子を、福延を含め、群馬トレセンのスタッフたちが写真に納めており、これが歴史資料の一部として後世で語り継がれることを、まだこの時は誰も知らなかった。
今回の話では、セイウンプレジャー・リアライズノユメ・メジロクーパー・ナコウトプカラ、そしてハルノウラワが一堂に会する場面を描きたくなり、その舞台として再び群馬トレセンの登場と相成りました。
また、本編でも描いていた「ウマ娘世界との狭間の世界」の「その後」も登場させた実験的要素が強い回です。
しかし、2011年の日本、とりわけ関東圏が舞台となるなら、どうしても東日本大震災を避けては通れない───それはハルノウラワの物語を描き始めたその日からわかっていたことでした。
何話か前からこの出来事は匂わせていましたが、いざ形にしてみると、果たしてその凄惨さをちゃんと表現できたかどうか……。