浦和の桜吹雪   作:Simca Ⅴ

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 大変遅くなって申し訳ありません。
 私生活でゴタゴタしていたものでして……。

 また、活動報告にて『質問箱』を設置させていただきました。
 皆さんの投稿、心よりお待ちしております。

 今回は今までにも増してオリ馬・オリジナル展開が増えますので、ご了承ください。


#14「"園田の切り札"との邂逅」

 ふぅー……「やり切ってやったぜ」という満足感と同時に、最高に疲れた……。

 正直言って、あれはかなり無茶した感じだけど、それでも南関東オークスを勝てたってことは、ジャパンダートダービーでも勝てる可能性が出てきたのは嬉しい限り。

 

 そこへ個人的にはさらに嬉しいニュースが飛び込んできた。

 何と7月6日のさくらんぼ記念(Jpn3)でセイウンプレジャー先輩が1着を勝ち取った。

 今年で9歳になりながらも重賞初制覇! しかもJpn3だから交流重賞で、あの高知のグランシュヴァリエや船橋のフリオーソなどが同じレースに顔を出していたのに纏めて全員下した大金星でオーバルスプリントへの出走を確実に決めた。プレジャー先輩、マジでどうしちゃったの!?

 ちなみに、プレジャー先輩の陣営はオーバルスプリントをラストランにするつもりだ。……しかし、当の本()はというと、「ヤダヤダ、俺も東京大賞典に出てハルナちゃんとの決戦の舞台にしたい!」と駄々を捏ねていた……らしい(キスミープリンス談)。

 

 しかし、これまで走り続けてきて遠く届かなかった重賞を漸く1つとはいえ手にすることが出来たプレジャー先輩の喜び様といったら、こっちまで嬉しくなるし、より一層、オーバルスプリントでは誠心誠意、全身全霊を以て挑もうって気合いを入れなきゃね。

 そんなウキウキ気分のまま馬房に戻ってきてみたら、厩務員さんが「ほらよ」と言いながら競馬新聞を渡してきた。

 

 ……そういえば、日めくりカレンダーを見たら、もう7月10日だったか……。

 本番に向けての調教で忙しくてすっかり曜日感覚が無くなってた。

 ……って、そうだ、出馬表!

 今日、出馬表が新聞に載る日じゃないの!?

 

 それで慌ててひったくる様に厩務員さんから競馬新聞を口に咥えて馬房で広げてみたら……あー、やっぱりぃ……。

 基本的に競馬というのは、出走の3日前には出馬表というものが出てくる。

 つまりは案の定、そこには《第13回ジャパンダートダービー》の出馬表が載っていた。

 どれどれ、読んでみると、あらまぁ……とんでもないことになってる。

 いつもは息抜きに競馬新聞を読んでいるのに……読んでる内に気が休まるどころじゃなくなっていく。

 


 

 第13回ジャパンダートダービー(Jpn1)

 ダート右2000m / 天候 : 晴 / ダート : 良

(枠番)(馬番)
(馬名)
(騎手名)

マニエリスム益田紀文

ナコウトオトメオー和多龍次

ジャクソンライヒ森上浩

アムロ飛部直人

カネマサコンコルド三村弘典

クラーベセクレタ尾崎啓太

タガノロックオン河田裕雅

オオエライジン元村健士

ボレアス拓 勇鷹

10
ヴェガス坂井信夫

11
グレープブランデー縦峰則大

12
ベストマイヒーロー管原 勇

13
ミサキティンバー山元朱音

14
ハルノウラワ福延悠一

15
エーシンブラン石田泰成

16
グッバイテキサス四ツ木岱斗

 


 

 なんか色々と気になる名前が並んでるなぁ、騎手さんも馬も。

 

 まず、カネマサコンコルドくん。

 この世界では何故か福山所属に変更になっている上に、戦績を見たら何と福山ダービーをちゃっかり勝っちゃってる!?

 マジか、カネマサくんマジかぁ。全日本2歳優駿でやり合った時よりも強くなってるわけか。

 

 次に名古屋所属のアムロって馬が気になった。

 ……前置きしておくけど、私の前世はガンオタだったわけじゃないからね……断じて違うから!

 何故気になったかというと……あー、やっぱりだ。兵庫ダービーの次の日にやってたあの東海ダービーを勝ったお馬さんだ。ラジオで聴いてたからレース映像はさっぱり分からないけど、要注意には変わりない。

 ちなみに、その時の2着にちゃっかりいるのが、あのミサキティンバーくん。全日本2歳優駿以来の対戦だ。鞍上はあの時と同じ女性騎手さんかぁ……。

 

 続けて、16番のグッバイテキサス。

 名前の由来は「ガンマン無頼*1」という古い西部劇映画に因むらしい。

 群馬所属で、騎手はナコウトプカラさんの主戦でお馴染みの四ツ木さん。

 その血統表を見ると、父がアイルトンシンボリで、母がダンツシリウス……って、母父見たらタマモクロスじゃん!?

 なお、父父は皆さんご存知のシンボリルドルフ……改めて見直すと何ちゅうロマン血統や!?

 

 何々戦績は……え?マジ? 今年の北関東二冠馬ってこの子なの?

 しかもここまで7戦無敗、北関東最後の三冠は北関東菊花賞を残すのみ。

 もし無敗のまま北関東三冠を達成すれば、お祖父さんほどではないものの、名実ともに「無敗三冠馬」を名乗れる。

 ……何故わざわざこんなところに?

 と思いつつ馬主さんとか調教師の人のインタビュー記事を読んでみれば、《日本全国から地方ダービー馬が集まったJDDを勝てないと折角の北関東二冠馬の称号も意味がない》か……なるほど。折角の皇帝の血を引いてても「井の中の蛙」じゃあ勿体無いものね。

 

 父の名が懸かっているお馬さんといえば、中津所属のナコウトオトメオーちゃんも外せない。

 兵庫ダービーの激走で2着に食い込んでいたけれども、そこまでの成績は8戦全勝でその中には九州の重賞(KG2)G1級(KG1)も含まれている紛れもない強者。

 その血統を見ると、お父さんがテイエムオペラオーで……お母さんがクアドトリテケール。

 鞍上はお父さん繋がりで和多さんかぁ。

 ……「クアドトリテケール」?

 何だっけ、こんな名前。昔聞いたことがあるような……。確か古いSFドラマに出てきた毛玉ボールみたいな動物の名前だったっけ……?*2

 名前だけ聞いたら「何だその馬?」ってなるけど、その両親の名前を聞いたらビックリした。なんと、このクアドトリテケールさんのお父さんはダイタクヤマトで、母はヤマノシルエット。幼名を「ヤマノシルエットの2003」と言ったんだそうな。

 

 ……実は馬主さん、90年代初頭にダイタクヘリオスとメジロパーマーの宝塚記念を観客席で見た影響で爆逃げコンビにすっかり脳をこんがりと焼かれたらしく、それこそ、引退後にこの2頭を買い取りに行こうとする勢いでオーナーさんたちに粘り強く交渉したんだそうだ。

 もちろん、そんな名馬を簡単に手放したがらないメジロ牧場と太陽ファームを前にして当時無名の馬主さんでは太刀打ち出来ず、交渉は決裂したらしい。

 

 ところが、転んだ馬主さんもただでは起きなかった。

 メジロの総帥とダイタクの社長に、「せめてメジロパーマーとダイタクヘリオスの血だけでも継がせてください!」と必死に泣きついた。

 残念ながらこの時はどちらも種付け出来なかったらしいが、後年、ダイタクヤマトが種牡馬になると、馬主さんが真っ先に手を挙げて大枚を叩いた結果、ヤマノシルエットにダイタクヤマトが種付けしたんだという。

 その縁があって、2006年に太陽ファームが倒産した際には馬主さんがダイタクヤマトの引き取り手になれたという。

 

 ダイタクヤマトとヤマノシルエット……どちらも私が知ってる世界(前世)では長生き出来なかった。

 その理由についてはあまり触れたくないけれども、少なくともこちらの世界では2頭ともうちの馬主さんに引き取られてハグロ牧場でのんびりと余生を過ごしてるというから、この世界も案外悪くない気がしてきた。

 おまけに、テイエムオペラオーといえば私が知ってる世界では……確か、バーネットキッドの半弟くんが大活躍していたか。

 こちらの世界ではバーネットキッドどころかその母のレイヴンカレンが存在しないため、どうなることかと思ったら、こう来たか……。

 

 おまけに、ジャクソンライヒに、クラーベセクレタに、マニエリスムちゃん……ここら辺は再戦組かぁ。

 

 特に要注意はクラーベセクレタとマニエリスムちゃん。

 

 マニエリスムちゃんは見慣れてるけど、実は戦績を見れば侮れない相手だってことを再認識する。

 福山の若草賞と南関東オークスでは私が勝ってるものの、大井では今のところ負け無し。

 浦和の桜花賞が無事開催出来ていたのなら、間違いなく南関東G1(S1)の舞台でぶつかっていたはずで、事実、南関東牝馬三冠レースの内、東京プリンセス賞を制している。

 ちなみに今気付いたけど、お父さんがあのゼンノロブロイか……。ウマ娘化したらこの子も眼鏡ウマ娘になるのかな?

 

 次に、クラーベセクレタ。

 ユングフラウ賞では私が勝ったけど、その悔しさをバネにしてか、その後の京浜盃を勝ち、羽田盃と東京ダービーを制して南関東クラシック二冠を達成……この子、これでホントに牝馬なのか? これでジャパンダートダービーまで勝っちゃうと南関東クラシック三冠をお牝馬ちゃんが獲っちゃうことに?

 これって日本競馬史に残る大偉業になるんじゃね? 確か南関東三冠に牝馬が輝いた例なんて無かったはずだし*3*4

 うわぁ、歴史的瞬間に立ち会えるかも、っていうのは素直に嬉しい。嬉しいけど……申し訳ないが負けられないのよね。

 ……あれ? ちょっと待って……2011年のジャパンダートダービー……クラーベセクレタ……何かあった気がするけど……何だったけ、思い出せない……。

 

 ……気を取り直して、南関東オークスで競ったマンボビーンちゃんからの耳寄り情報。

 彼女たちの地元からやってくる“園田の切り札”───オオエライジン。

 兵庫競馬生え抜きの新星で、デビュー戦から数えてここまで7戦全勝。

 途中、出走取り消しを一度挟んでいるけれども、この前の兵庫ダービーのビデオ映像を見る限りだと決して弱い馬ではない。

 むしろ、逃げで挑んできたならば、競り合う相手を掛からせて引き摺り回せる限り引き摺り回してスタミナを削る、という戦法を得意としているように見えた。まるでメジロマックイーン……いや、そのお牝馬バージョンとも言えるメジロシクローヌみたいにエゲツない戦術だ。

 どんな方法で相手を掛からせるのかは分からないし……困ったことに兵庫ダービー以外にオオエライジンが勝ち星を上げたレースの映像が入手できなかったため、競馬新聞の断片的な情報に頼るしかない*5

 しかし、それらを繋ぎ合わせてみても……オオエライジンという馬が「ヤバい」強さを持ってる事実が浮かび上がってくるだけだった。

 例えば、去年8月のデビュー戦では2着に9馬身差を付けての快勝。デビュー3戦目の兵庫若駒賞で無敗の重賞制覇を達成。園田ジュニアカップでは逃げ切り勝ち……。

 同世代では芝のクラシック三冠馬(オルフェーヴル)にみんな目が行きがち(私も含まれた)だけど、ダートもダートで強敵がズラリといるこの現状!

 上の世代にはグランシュヴァリエにフリオーソにワンダーアキュートにエスポワールシチーにスマートファルコンなどなどまでが控えている現状で、我ながらこんな魔境に飛び込んでしまうとはビックラこいた。

 

 ビビってるかって?

 とんでもない、()()()()()()()()()()()()()()

 未だ無敗な高崎のグッバイテキサスと兵庫のオオエライジン。

 東海ダービーをワンツーフィニッシュしたアムロとミサキティンバー。

 福山ダービーを勝利したカネマサコンコルド。

 一敗しててもその強さは本物のナコウトオトメオー。

 南関東三冠制覇が掛かっているクラーベセクレタ。

 そんな彼ら彼女らを纏めて倒して全国区の頂点を獲る……!

 そんなの、めっちゃ興奮するに決まってんじゃん!

 

「おーい、ハルナちゃん、静かにしようねー?」

「ビヒンッ!? ……ヒンヒン」

「よしよし、良い子だ」

 

 いけない、いけない……興奮するあまり騒いだりドッタンバッタン大騒ぎをしたりだったようで厩務員さんに注意されて漸く我に返った。

 


 

 そうしてあっという間に時間は過ぎて、7月13日。ジャパンダートダービー当日を迎えた。

 

 朝の調教を終えてからしばらく休憩の後、馬運車に乗って揺られて。

 

 ♪太陽のシーズン♪

 

 ゴールゲイト 潜り抜けていま 風になる

 海へ続く 走るハイウェイを 南へ

 遠ざかる都会のノイズ きらめく陽射し

 いまあなたの瞳に 焼き付けたい 感じる愛

 

 今日の車内BGMはちょっと趣向を変えてユーロビートの日本語カバー曲。

 初手で安室奈美恵さんかぁ。

 

 例によって例の如く、岡嶋先生の息子さんのチョイスした曲が流れる馬運車の中。

 実は野田トレセンと大井競馬場って、車で行くとあまり時間がかからない。首都高を使えば1時間ぐらいで着ける。

 ……しかし。

 

「参ったなぁ、渋滞だ」

 

 首都高は交通量が多いので、それだけ事故も多い。

 もちろん、この遅れも加味して早めに出てるので、流石に影響はないはず。

 しかし、鈍行な渋滞の中で曲が切り替わり、「TRY ME〜私を信じて〜」と「MEMORIES 〜明日のために〜」に続いて、「Into the night」の日本語カバーという具合にボーカルも切り替わり。

 全日本2歳優駿の時といい、高崎や福山への遠征といい、流れる曲は違えど行動パターンや曲のジャンルがあまり変わらないのはある意味気楽で私としては助かるなぁ。

 とはいえ、あの時みたいなスピードに乗った爽快感はなく、周りの景色があまり変化しないのは退屈の極み。

 そこで騎手じゃない方の田原(田原俊彦)さんの「雨が叫んでる」のローテンポ曲が来ると何だか眠くなってきた……───。

 


 

 ───きて。お……さい。起きなさい。

 

「ヒヒンッ!?」

「ハルナちゃん、やっと起きたな……大井に着いたよ」

 

 いつの間にか寝ていたら着いた……って、ええぇっ!?

 ちょっと待って、何じゃこりゃあ!?

 

「はいはい、押さないで! 皆さん下がってください!」

 

 ちなみに、この日の第1レースの発走は14時35分で、第1レースに出る馬はもちろんのこと、私が出走するJDDはナイターだが、お昼までには馬房に入って待機していないとならない。

 ところが、その最初のレースが始まる1時間以上前だというのに、大井競馬場の前は多数のお客さんで溢れていて、しかも私が姿を現した途端、群衆の視線がこっちに向いた。ある意味怖い。なにこれ。

 

 しかも、私目当てでやってきたらしきご家族連れもまぁ多い事多い事……。

 警備員さんたちが制止すると流石にそれ以上は前に出てこない辺り、さすがは日本人。

 あ、でも、フラッシュはやめてね……。

 

「フラッシュはやめてください、お馬さんがビックリしちゃいます!」

 

 今日は馬主代理として美鶴ちゃんに付き添ってもらい、お客さんに注意してもらうと、フラッシュを炊くお客さんがパッと見、減ったように思う。

 馬主さんはナコウトオトメオー(別の馬)に付き添っているので、きっと後で顔を合わせることになると思う。

 

 何とか群衆の撮影によるシャッター音の嵐を避けつつ、美鶴ちゃんに引かれて大井競馬場に併設された厩舎内へ。

 

「ブルルルッ、ヒンッ?」

「凄い人集りだったね……今日は浦和でやったみたいなグリーティングなんて予定に入っていないはずなのに」

 

 美鶴ちゃんも困惑顔だった。

 こんなに私を目当てに見に来るなんて去年のオーバルスプリントでほぼゲリラ的に開催した「ハルノウラワ・グリーディング」以来。

 いや、浦和の収容能力を軽くキャパ越えしてる大井だとさっきは体感でもあの3倍か4倍ぐらい人がいたような……うー、都会さ怖いとこだなぁ。

 流石は「大井は別格」と言われるだけある。最初っから圧倒されっぱなし……うーん……こんなんで本番大丈夫なのかな……?

 

「……そういえば、思い出した。お義父さんがね、大井から「ハルノウラワ・グリーディングをやってほしい」って頼まれたらしい。でも「浦和ならともかく、大井は大きすぎるし、人が多すぎるから、ハルノウラワの負担になる」って言って断ってくれたんだった。正解だったね、馬房に行くだけであんなことになっちゃっていたもん」

 

 マジか。ここ大井でも「ハルノウラワ・グリーディング」の開催を検討してたってこと!?

 それはまず本()に確認とってからにしてほしかったかも。

 ……でも、まぁ、そっか。運営側から馬主さんに話が行って、馬主さんが「これはOK」ってものだけをこっちに持ってくるのは確かに筋だもんね。お馬さんのあたしにゃぁ人の言葉は分かっても日本語喋れねぇもんね、ドクター・ドリトルが現実にもいれば良かったんだけども。

 ……あ。筆談があった。練習すればできらぁ。今度のグリーディングで披露でもしてあげましょうかねぇ? 次いつやるか知らんけど!

 

「さぁ、着いた。ここだよ」

〈……あ〉

〈え……〉

 

 美鶴ちゃんに馬房に案内されてレースまで仮眠しよう、と思ったら、その途中で別の馬房にいる牡馬と目が合った。……って、

 

〈あなたは……オオエライジン?〉

 

 まさかのまさか? あらやだ。写真で見て覚えていたら、噂のご本()登場、しかも馬房が隣ですか!?

 

〈そ、そうだけど……わての事知ってるん……?〉

〈もちのろん。お噂は予々〉

「ハルナちゃん……お隣さんが気になってる?」

「ヒヒン」〈うん〉

「そっかー。仲良く出来るといいね」

 

 そうして美鶴ちゃんに鍵を開けてもらい、オオエライジンくんの馬房の隣に私が入ることになった。

 

〈……ねぇ〉

〈な、何ですか……?〉

 

 美鶴ちゃんがいなくなってから数分して、私からオオエライジンに話しかけてみた。

 そしたら、やけにビクつかれた。

 そんな怖がらなくてもねぇ。別に取って食ったりはしませんわよ。おほほほ。

 まぁ、でも、ライジンくんの戸惑いは分からないでもない。

 

〈あなた……園田から来たのよね?〉

〈!〉

〈遠路遥々ようこそ。慣れない土地で同郷の仲間もいなくて不安かもしれないけれど、何か力になれることがあれば教えてね〉

〈……うぅ……〉

〈……う?〉

〈うぅええええええん!〉

〈ちょ……!?〉

 

 ちょっとちょっとちょっと!? いきなり泣き出されてもお姉さん困っちゃうだけなんだけど!?

 

 その後暫くは宥め賺して。

 ……ようやく落ち着いた時にオオエライジンが話してくれた。

 

〈……わて、生まれてこの方身体が弱い方らしくて、園田しか走ったことないんよ。でも、オーナーさんが、「兵庫ダービーも勝てたし、ついでにジャパンダートダービーも出よう」なんて言い出して……こんな遠くまで来ちゃった〉

〈そっかぁ……〉

〈どうしてこんなことに……わて、今までも他の馬に囲まれるのが怖くて逃げてたってだけなのに〉

 

 ホームシックに、見慣れた園田の馬もいない、不安な気持ちを吐露したオオエライジン。

 逃げ馬には、よくあるパターンとして「他馬嫌い」や「馬群嫌い」がある。

 胆力はあるものの綺麗好きなバーネットキッドはこの内の後者にあたるが、大抵の逃げ馬というのは臆病な性格をしているらしい。

 例えばツインターボやカブラヤオーみたいな逃げ馬たちは、他の馬に怯えて常に先頭を走るような性格だったと聞いているので、どうやらオオエライジンもその類だったようだ。

 しかし、それだと見立てと矛盾しているように感じたハルノウラワ。もっと深く切り込んで尋ねてみた。

 

〈ホントに? その兵庫ダービーではホクセツサンデーとかナコウトオトメオーちゃんと激しくやり合ってなかった?〉

〈え?〉

 

 何故それを? と問いたかったものの、あのダービーは結構世間では有名になったらしいと聞いてるのでそれを飲み込み、代わりにハルノウラワからの質問に答えた。

 

〈……あ、あ、あれは……サンデーくんとは園田ジュニアカップで仲良くなって、それでついつい熱くなっちゃって……〉

〈なるほどね〉

 

 つまり、あのスタミナを削るような走り方は狙ったものじゃなくて、お互いに掛かり気味になったから起きた偶然の産物だったか。

 ただ、あの兵庫ダービーにはほぼ全国の強者たちが参戦していた激戦だった。

 例え、オオエライジンが臆病な馬で、逃げていただけだとしても、

 

〈……それでも、あのダービーをちゃんと勝ってきた。それに、今まで負けたことないんでしょ?〉

〈!? そ、それはそうだけど……〉

 

 オオエライジンからすれば虚を突かれたかのような驚きだった。

 

 一方、ハルノウラワの胸中では全く別のことに考えが及んでいた。

 彼女にとってオオエライジンは……知り合ってみると、何だか前世の弟を思い出してしまったようだった。

 でも……その親近感の正体ってもしかすると。

 

〈……ねぇ、オオエライジン〉

〈あ……コロって呼んでくれていいです……〉

〈コロ?〉

〈は、はい……昔からそう呼ばれてきたので……〉*6

〈……じゃぁ、コロ。私とあなたはね、お父さんが同じお馬さんなんだよ〉

〈え? 嘘だぁ!?〉

〈嘘ついてどうするのよ〉

 

 しかし、そこでオオエライジンは、ハッとする。

 ようやく今まで感じていた()()()に気付いた。

 

〈……ねぇ、何で? わてのダービーのこととか、今まで負け無しのこととか。どうしてわかるの……?〉

 

 思い返してみれば、まるで心の中を読まれたかのように自分に詳しすぎる。

 よく考えてみれば不気味だ。でも、彼女が言っていた自分の父親のことが気にならないかと言えば嘘になるし、もっと話を聞いてみたい、という好奇心の方が警戒心を勝った。

 そう問われてハルノウラワは、ちょっと困った顔をしながらも、素直に白状した。

 

〈あー……私はね、人間さんの文字や言葉がわかるから。これよこれ〉

〈?〉

 

 実は馬房に入る時、仮眠できない時用に競馬新聞を持ち込むことを厩務員さんに許してもらい、口に咥えてきた。

 それがちょうどオオエライジンの特集記事だった。

 その本人の目の前に新聞を広げて見せて、寝藁の一本を咥えて、血統表の所を指し示してあげた。

 

〈あなたのお母さんの名前はフシミアイドルよね?〉

〈! ママの名前だ!〉

〈そう。そして、あなたのお父さんの名前はキングヘイロー。……私のお父さんでもある〉

〈……どうして?〉

〈競走馬の世界ではよくある事よ。……でもその事を深く説明するのはちょっとアレだからやめとく。私が言いたいのは、私たちのお父さん───キングヘイローがどんな馬だったか、ってこと〉

〈……()()()()は知ってるの?〉

〈えぇ……伝え聞いた話だけど。私たちの世代から見れば、もはや伝説の域にいるわね〉

 

 そこで私はキングヘイローがどんな馬だったか……母から伝え聞いた話と、ウマ娘で知った話を織り交ぜながらオオエライジン───コロくんに語り聞かせた。

 かつて、中央の競馬界で競った()()の「黄金世代」の話。

 その一翼を担ったキングヘイローは、同期たちが次々とG1で勝ち星を上げる中で幾度も惜敗を味わったこと。

 しかし、敗北を何度重ねようと首を垂れることなく、頂点を諦めることなく挑み続け、10度目の出走でついにG1の頂点に立ったこと。

 そして、その馬の血が私たちに流れていること。

 私たちは「お父さん」から勝負根性、諦めの悪さをきっと継いでいる。

 

〈……わてらのお父ちゃんって、そんな凄い馬だったんだ……〉

〈そうよ。だから、あなたも自信を持ちなさい。ね?〉

〈……ありがとう、お姉さん〉

〈例には及ばないわよ。むしろずっと喋りっぱなしで昔話に付き合わせちゃったみたいで……もうこんな時間。ちょっとだけでもいいから寝ておかないと〉

 

 ハルノウラワが時計を見ると時刻は15時を指していた。大井に着いてからオオエライジンと話している間に1時間半ほど過ぎていたことになる。

 

〈どうして?〉

〈私たちが出るジャパンダートダービーがナイター、つまり夜のレースだから。私たちにとっては真夜中に走るようなものだし、今の内に仮眠しとかないとレースで集中できなくなる〉

〈なるほど……って、え? お姉さんもわてと同じレースに出るん!?〉

〈あれ、言って無かった?〉

〈全然……。えぇ……? てっきりわてより一歳か二歳ぐらい年上かと思っとって……もしや、わては騙された?〉

〈騙す? 騙すなんて人聞きの悪い、そんなことしないわよ〉

〈じゃあ、何でこんなに優しいの? 同じレースで戦うんだからライバルなはずなのに〉

〈まぁ、そうね……あなたが寂しそうな顔をしてて放っておけなくてね。それに、あの激戦だった兵庫ダービーを勝ったお馬さんだから、話せる機会があればなぁ、と元々思っていた〉

〈……お姉さん、変わってるね〉

〈よく言われてるわ。……さて、私はお昼寝させてもらうわね〉

〈……ちょっと待って〉

〈なぁに……?〉

〈名前は?〉

〈え?〉

〈わて、そういえばお姉さんの名前を聞いていない〉

〈……ハルノウラワ〉

〈……え?〉

〈私の名前。ハルノウラワよ〉

〈ハルノウラワ……〉

〈元々この名前はね、お母さんの名前に馬主さんが駄洒落を混ぜて作ったもの。最初は嫌だったけど、今じゃあすっかり慣れたものよ〉

〈そ、そうなんだ……〉

〈ふあ〜ぁ……もう寝ないと……〉

〈……そうだね。色々とありがとう〉

〈どういたしまして。おやすみなさーい……zzz〉

 


 

【大井競馬開催4日目、今日のメインレースは第11競走、第13回ジャパンダートダービー。スタンド、いや、大井競馬場全体に、例年とは比較にならないほど大勢の競馬ファンが詰めかけています】

 

 うわぁ。

 パドックに出てきただけでとんでもない人集りが出来てるのが嫌でもわかるわ。これ、足の踏み場も無くね?

 パドックからL-WINGの出入り口まで見渡す限り人、人、人!?

 

【今年は日本全国からダート日本一を決めるために各地のダービーを勝ち抜いた優駿たちが勢揃いしております。加えて本日、天候は晴れですが、平日水曜日の夜とは思えないほどの記録的な来場者にも恵まれました】

【そうですね。先ほどゲート係員からの報告で、本日の来場者数がなんと10万人を突破したとのことです!】

 

 ふぁ、マジで!? 10万人!?

 大井の収容人数って確か5〜6万人ぐらい*7なはずなのに、それのざっと2倍ぐらいお客が来ちゃったってこと!?

 これって平日の夜ぞ?

 

【この賑わいの要因は有力な出走馬たちがずらっと並んで天候に恵まれたことももちろん一因ですが、一番大きいのはやはりこの馬の存在が大きいでしょう。本日の2番人気、浦和から参戦のハルノウラワです!】

【ここまで9戦7勝の成績。母は皆さんご存知、高知のアイドルホースのハルウララ。ハルノウラワを一目見たくて詰めかけた観客の中には小さなお子様を連れた家族連れも多数見受けられます。東京湾カップ、南関東オークスを勝利してここジャパンダートダービーに駒を進めてまいりました】

【しかし、ここ大井ではまだ走ったことがないはずなので実力は未知数。そのためか1番人気に推されているのは船橋から参戦のクラーベセクレタ。ユングフラウ賞ではハルノウラワに敗北するも、その後、羽田盃と東京ダービーを制覇し、南関東二冠を達成。ここでリベンジと南関東三冠を果たせるか。その他にも、浦和のアイドル馬にそう易々と勝ちを譲ってはなるものかと、3番人気には偏差でJRAから参戦のグレープブランデー。4番人気には、中津から参戦のナコウトオトメオーが続きます。1枠2番ナコウトオトメオー、父はテイエムオペラオー、母父にダイタクヤマトという家系ですがいかがでしょうか】

【そうですね、九州では佐賀皐月賞、荒尾ダービー他重賞クラスを多数制覇しています。これまで9戦8勝、その一敗も兵庫ダービーだけという安定した戦績を収めていますし、荒尾ダービーで2000mという距離も経験済み。母父譲りの瞬発力と父譲りのスタミナが持ち味で、その実力は中央馬にも引けを取らない。ハルノウラワの勝利を阻止するとしたらこの馬だろうと思います】

【陣営のコメントによると、次走に控えていますは9月半ば開催の中津菊花賞とのことです。ここを勝利し、足掛かりを築きたいと気合も十分】

【ダート2700mの激戦が控えていることを考えれば尚更。今後の九州地方三冠達成を占う重要な一戦になるでしょうね】

【えぇ、続きましてはこちらも偏差で5番人気、8枠16番グッバイテキサス】

【北関東二冠馬でここまでの戦績も7戦無敗。父はあのアイルトンシンボリ、母父にタマモクロスという家系】

【この馬も高崎含めて北関東では強い勝ち方をしてました。四ツ木騎手も高崎で鍛えたベテラン、大井2000mを走り切るぐらいは平然とやってのけるでしょう】

【えぇと続いて6番人気は兵庫から参戦のオオエライジン。園田で兵庫ダービーを含めて7連全勝。園田の切り札とも噂されていますが、2000mという発走距離での実力は未知数……おっと?】

【オオエライジンがハルノウラワに近付いていきましたね】

 

〈……()()()

 

 オオエライジンにそう呼び止められて、私はちょっと驚きつつ振り向くと、目が合った。

 

〈……何かしら?〉

〈さっきは色々とありがとう〉

 

 すると、オオエライジンが頭を下げた。それを見て私も同じ仕草をして返した。

 

【オオエライジンが……ハルノウラワにお辞儀したように見えました】

【それに対してハルノウラワもお辞儀をして返しました……?】

 

〈いいってことよ。こっちこそ色々話せて楽しかった〉

〈……でも、勝負では手加減しないから〉

〈もちろん。こっちだって全力で走るからね〉

〈うん。いいレースにしよう〉

 

 それから間も無く、「止まーれー」という間延びした声がして、パドック内を周回していたお馬さんたちの歩みが一旦止まる。

 そして、私の背中に福延さんが乗ったのを確認すると、再びパドックをまた周回する。

 すると、たまたま私の真後ろにいたのお馬さんが、私が視線を向けた途端、ビク付いた。ゼッケン5番ってことはカネマサコンコルドくんか……ちょっと傷つくなぁ。

 

〈やぁカネマサくん、調子はどう?〉

〈お、お陰様で……福山でダービー勝てました〉

〈そう、よかった〉

 

 カネマサくん……そこまで萎縮しなくても良くないかな?

 ……あ。思い出した。

 

〈ねぇ、カネマサくん〉

〈は、何でしょうか……?〉

〈もし、レース中に気持ちが悪くなったりしたら無理せず走らないこと〉

〈え?〉

〈いいわね?〉

〈わかり……ました?〉

〈よろしい〉

 

 そうだった……2011年のジャパンダートダービー。

 ここが彼にとっては、文字通り生きるか死ぬかの分岐点になる。

 この世界線では長生きしてほしいけど果たしてどうなるか……。

 

 その次に目が合ったのはゼッケン2番のナコウトオトメオーちゃん。

 この子は……私の前世には少なくともいなかった子の一頭だったはずだ。

 それが、中津の代表馬としてここにいる。

 そして、「ナコウト」って冠名ってことは。

 

〈オトメオーちゃん?〉

〈はい? ……何でしょうか?〉

〈私たち馬主さんが同じだけど、手加減はしないからね?〉

〈え? 私たち馬主さん同じ人なんですか?〉

〈そうだよ〉

 

 そうして私が視線を向けた先には、美鶴ちゃんと、馬主の義隆さんたちがいた。

 私が2人に軽く嘶くと、2人は小さくだが手を振って応えてくれた。

 

〈あ、馬主さんだ!〉

〈どうどうどう!〉

「ちょ、落ち着きなって」

「オトメオーちゃん。馬主さんが好きなんだよなー」

 

 馬主さんを見つけるなり駆け出していきそうになったのを私と騎手の和多さんで何とか抑えた。

 うーん……何だろう、複雑な気持ちだ。

 

〈お前さんがハルノウラワか?〉

 

 騒ぎを起こすきっかけになってしまったのではと気不味くなりつつも、そこへ新たに声を掛けてきたのは、高崎代表のグッバイテキサス。

 

〈そういうあなたは、グッバイテキサス?〉

〈テキサスって呼んでくれ。「さよなら」は好きじゃない〉

〈わかったわ、テキサス……それでどうしたの?〉

〈あぁ、そうだった。あんたのことはタービンさんとプカラさんから聞いてるぞ。覚悟しとけよ〉

〈ふふふ、上等よ〉

〈それを言うなら俺たちも忘れてもらっちゃ困るぜ〉

〈半年前のリベンジだ!〉

 

 グッバイテキサスからの挑戦状を受け取っていたら、そこに東海ダービーコンビのアムロとミサキティンバーまでやってきた。

 人気者は困っちゃうなー(棒)

 

〈ふんっ。何よあの子。良い気にならないでよね〉

〈クラーベもそう言ってる割りに羨ましいんじゃないの?〉

〈う、五月蝿い〉

 

 そんな私のことを遠巻きに見ていたのは共に船橋所属のクラーベセクレタとマニエリスム。

 

〈噂をすれば……お前が南関東二冠馬のクラーベセクレタだな?〉

〈そういうあんたは?〉

〈はぁ? 俺は北関東二冠馬だぞ。まさか知らないとでも言うつもりか?〉

〈悪いけど、()()()()()()()()()なんて一々覚えてらんない〉

〈はぁ!? 何だと!? 俺がお前に負けるだと!?〉

〈言っておくけど、あんたなんて眼中にないわよ。同郷の仲間ならまだしも一回会ったらこれっきりなんでしょ?〉

〈むきー!〉

〈落ち着きなって……〉

 

 クラーベセクレタからの挑発兼毒舌にテキサスくんが熱したヤカンのように顔を真っ赤にして怒る。

 あー……これは勝負あったか?

 

 レース展開は確かに大事だけど、心理戦を絡めた盤外戦術はパドックから既に始まっている。

 ……ここは余計な火の粉が飛んでくる前にフェードアウトしときますかね。

 

 それで私たちはゆっくりゆっくりとパドックを後にして、今日の舞台へと歩みを進めるも……スタンドを見て愕然とした。

 うっわぁ……マジだ。

 スタンドを見たらさっきのパドックみたいに身動き取れないぐらい人がいっぱい居るし!?

 えぇー……これって、有馬記念並みに人居るってことやん。ヤバッ。

 

「ハルナちゃん。ビックリしてるのかい?」

「ブルルッ……」

 

 福延さんからの問い掛けに思わず首を縦に振って応じた。

 

「気にするこたぁないさ。落ち着け。俺たちはいつも通り走ろう、な?」

「……ヒヒン」

「よしよし、良い子だ」

 

 あまりの観客の多さに福延さんも実は驚きを隠せないでいる。

 無理もない。交流重賞とはいえ、今日のジャパンダートダービーは国内G1(Jpn1)のレースの1つに過ぎない。

 なのに、蓋を開けてみれば、年末の大井か中山かと見紛うほどの大観衆が集まっていたなど、きっと福延さんですら経験したことがないだろう。

 それでも、私を落ち着かせるために優しく首を撫でてくれた。

 

「さぁ、返し馬に行こう」

「ヒンッ」

 

 気を取り直して、ゲートに向かうついでに返し馬で大井レース場を走ってみる。

 船橋とも浦和とも砂質が違うような気がするけど……何とかなると思う。いや、何とかしないとダメだ。

 となると戦術としては……。

 

「……ヒヒン」〈あ、そうだ〉

「? どうしたんだいハルナちゃん?」

 

 ハミを使って、福延さんに意志表示をしてみる。

 すると。

 

「うーん……やめた方がいいと思うな」

「ヒン?」〈やっぱり?〉

「2000mって分かってるだろ? それを……アレと同じことをやるだなんて」

 

 周りに他の馬やジョッキーさんがいるかもしれないので、敢えて主語を隠した状態の会話をする福延さん。

 うーん……でも、アレ以外に方法ある?

 ちょうどタイミング的に輪乗りしてる集団が見えたので減速しつつ、ほぼ完全に止まってから、私は右前脚を上げて、地面の砂を示すかのように軽く叩いてみる。

 私が何か言いたげだと察した福延さんはその私の行動を見て、

 

「そうか……だが……それなら」

 

 すると、福延さんは私の首を撫でながら、何か字を書いてみせた。

 ……ははーん、なるほどね。

 あの中間の()()()B()で行ってみようってことね?

 合点承知の助。

 

 その短いやり取りの後、ゲート前へカッポカッポと駆けて行き、私も輪乗りに加わった。

 


 

 

 そしていよいよ出走時刻を迎えた。

 

 〜♪

 

 夜空に鳴り響くファンファーレ。

 その演奏が終わると、既に夜だというのに目も覚めるような万雷の拍手と声援が巻き起こる。

 

「「「わぁぁぁぁぁぁぁっ」」」

 

【テレビでご視聴中の競馬ファンの皆さん、スタンドをご覧ください。本日の大井競馬場の来場者数は何と11万872人を数える大賑わい! 今年は何と、全国の地方ダービーの優勝馬、及び準優勝馬に優先出走権が与えられた初の招待試合方式が採用されました。出走馬は、JRAからの参戦は4頭。2枠3番のジャクソンライヒは感冒*8のため残念ながら出走取り消しとなり、南関東からの出走も4頭。一方で、兵庫のオオエライジン、岩手のベストマイヒーロー、高崎からはグッバイテキサス。中津のナコウトオトメオーに、福山からはカネマサコンコルド。東海ダービーのワンツーを決めたアムロとミサキティンバーなど、南関東以外からも全国の地方競馬場から参戦した優駿たち7頭が出揃った豪華なメンバー。15頭でお送りします、第13回を数えましたダートG1ジャパンダートダービー。天候は晴れ、馬場状態は良】

 

 実況が流れている間にゲート裏で輪乗りする馬たちも徐々にゲートに入っていく。

 

【最後に16番、高崎代表のグッバイテキサスがゲートに収まりまして、全15頭の枠入り完了。第13回ジャパンダートダービー───】

 

 ガチャンッというゲートの開く音と同時に、16頭の馬たちが一斉に砂のコースへと飛び出していった。

 

【───スタートしました。横一線です。外から15番エーシンブランが先頭を行きます、内からは12番のベストマイヒーロー。11番グレープブランデー、ここら辺が先頭を行きますが、すぐ1馬身後ろに14番ハルノウラワと8番オオエライジンが続きまして、1番人気クラーベセクレタがその後ろを追走して6番手。さらに、16番グッバイテキサス、7番タガノロックオン、9番ボレアス、1番マニエリスム、2番ナコウトオトメオーが続きます、先団固まっています。そこからちょっと離されて5番カネマサコンコルド。さらに離されて4番アムロ。後方に10番ヴェガス。最後方に13番ミサキティンバーで縦に長くなった展開、先頭が第2コーナーに入ります。先頭は依然としてエーシンブラン。12番ベストマイヒーロー、11番グレープブランデーが続きます。さらに14番ハルノウラワ、8番オオエライジン、ここで16番グッバイテキサスがクラーベセクレタを交わして6番手に浮上して向正面中間を通過。おっと、5番カネマサコンコルドが大外へ行きまして減速しています、故障でしょうか!?】

 

 その実況に観客席の一部からは悲鳴が上がった。

 まさかの状況に福山から駆けつけたであろうファンの1人がショックで倒れたほどだった。

 

【つ……続きまして、2番ナコウトオトメオーが8番手へ。1番マニエリスムも行きました。7番タガノロックオン、9番ボレアス、10番ヴェガスも前へ前へ詰めていく。ここでグッバイテキサスがハルノウラワとオオエライジンを追い越して4番手に浮上、釣られてかクラーベセクレタも上がって行きます、先頭第3コーナーから4コーナーに入ります。先頭エーシンブランのままスタンド前直線に入りますが、ここでグレープブランデーが交わして先頭に立つ、だがここでオオエライジンとハルノウラワも上がってきた、グレープブランデー苦しいが粘っている。ここからは南関最大の大井の直線! ここで先頭に立ったハルノウラワ、だがオオエライジンも続く、外に回ったクラーベセクレタ、グッバイテキサス外に持ち出そうとしていますが、さらに外から差しに行くナコウトオトメオー、だが一歩出遅れたか。ここでクラーベセクレタ、クラーベセクレタがオオエライジン、ハルノウラワ、纏めて交わして今先頭に立ったままゴールイン!!】

 

 ぬぁぁぁぁっ。負けたぁ!

 先行策で中団手前で待機して脚を残す作戦だったのに、最後の最後にぶっ差されたぁ!!

 

【やりました、クラーベセクレタ! ジャパンダートダービーを勝利! 牝馬による南関東三冠、ロジータ以来22年ぶりの快挙達成!! 2002年からの新体制では史上初めてです!】

 

「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉーっ!!」」」

 

【2着はクビ差でハルノウラワ。3着のオオエライジンも大健闘でした】

 

 かー、悔しい。

 ……しっかし、スタンドの盛り上がり様を見ていると、悔しさが一瞬で吹き飛んだ。

 

〈はぁ……はぁ……はぁ……ふう……。おめでとう、クラーベセクレタ〉

〈はぁ……はぁ……はぁ……あ、ありがとう……?〉

〈……そんなキョトンとしてどうしたの?〉

 

 私からのお祝いの一言に、クラーベセクレタは驚いたような顔をしてこっちを見てくる。

 一瞬の間の後、彼女は私にこんなことを尋ねてきた。

 

〈……どうしてそんなこと言ってくれるの?〉

〈え? 何で? ()()()()()()()じゃん〉

〈え……!? あ、あんた、悔しくないの!?〉

〈悔しくない……って言ったら嘘になる〉

〈なら、何でわざわざそんなことを……?〉

〈この大歓声。よく聞きなさい〉

 

「クラーベセクレター!!」

「三冠おめでと!!」

「よく頑張ったよ!!凄かった!!」

 

〈聞こえるでしょ? あなたを応援してくれた人たちの声が〉

〈……えぇ。そうね〉

〈それに、あなた22年ぶりの新記録を出したんでしょ? そんな瞬間に立ち会えたのは光栄だわ。こんなこと、馬の一生に一度あるかないかってぐらいだもの。……だから、敗者の私は潔く去るだけよ。この歓声は今あなたのものなんだから〉

〈……姉さん〉

〈オオエライジン、行きましょう〉

 

 ……なんて私は格好を付けて、オオエライジンを引き連れてすごすごとバックステージ(検量室)に引っ込む。

 

 その道中で、オオエライジンはこんなことを呟くように言った。

 

〈姉さん……やっぱりあなたは凄いよ〉

 

 その声が果たして本()の耳に届いたかどうかは定かではない。

 


 

 2011年7月13日水曜日 大井競馬 第11競走

 第13回ジャパンダートダービー Jpn1 ダ2000m(右) 晴 良

 

 着順

1着・クラーベセクレタ

2着・ハルノウラワ

3着・オオエライジン

4着・ナコウトオトメオー

5着・グッバイテキサス

 

6着・グレープブランデー

7着・ボレアス

8着・タガノロックオン

9着・ミサキティンバー(同着)

9着・マニエリスム(同着)

11着・ヴェガス

12着・アムロ

13着・ベストマイヒーロー

 

中止・カネマサコンコルド

取消・ジャクソンライヒ

 


 

「コロ、ダメだよ、コロ。手綱を放しなさい、ペッしなさい、ペッ」

「ブルフンッ」〈やだー!〉

 

 レースも終わり、レース中に具合が悪くなったカネマサコンコルドくんの無事を見届けて、あとはみんな家に帰るだけ……と思ったら、馬運車に乗ろうとしたオオエライジン───コロちゃんが私の手綱を咥えて放そうとしない珍事が発生。

 涙目で、完全に駄々っ子モードに突入……競走馬じゃない時のオフはこの子、こんな感じになっちゃうの!?

 

〈園田に来て欲しい! 姉さんが一緒なら寂しくないもん!!〉

〈我儘言わないの! というか、いつの間に私あなたのお姉さんになってんの……!?〉

 

 今まで感じていた違和感というか、コロちゃんからの視線の変化ってこれか……!

 

「どうしましょう、これ……?」

「困ったなぁ。向こうでのスケジュールもあるのに」

 

〈ほらぁ、騎手さんや調教師の先生(せんせー)たち、みんな困ってるじゃん〉

〈でもぉ……でもぉ……!〉

 

「うーん……これだったら来月の黒潮盃に出すべきだったか……?」

「その方がハルノウラワとかち合わなかったかもしれないですし……でも、今回の競走も3着に入れるぐらいの実力も見せてくれましたし、今更それは……」

 

〈そっか、黒潮盃があった……〉

〈黒潮盃……って、何?〉

〈大井で8月にやる予定の重賞よ〉

〈姉さんも出てくれるの!?〉

〈どうだろ……ちと厳しい……あ。そうだ。コロちゃん、私良いこと思いついちゃった〉

〈どんなこと?〉

〈今から説明するから、これ、放してくれないかな?〉

〈……約束だよ、ちゃんと教えて〉

 

 ようやくコロちゃんが私の手綱を放してくれた。

 そこにまだ鞭を手に持ってたコロちゃんの騎手さんからちょっと拝借。

 

「え? ハルノウラワが僕の鞭を……?」

 

 拝借した鞭を口に咥えて……このままお尻を叩きに行ったら岩手の皇帝(カイザーフェルゼン)みたいになっちゃうけど、私ぁそこまでしませんことよ?

 さすがに何もしてない人のお尻を叩いたりはしないから。

 

 そうじゃなくて、鞭の先端を使って、地面をグリグリとなぞる。

 

「ヒヒンッ。ヒンヒン」

「ハルナちゃん? ……ちょっと待ってね。誰かマジックと紙持ってませんか?」

「美鶴ちゃん、これ使いなよ」

「ノートならあるけど使えるか?」

「お義父さん、福延さん、ありがとう」

 

 そうして私の行動を察してくれた美鶴ちゃんが鞭の代わりにキャップを取ったマジックを口に咥えさせてくれて、ノートの何も書いてないページを開いてくれた。

 まだ練習する前だったから上手く書けるか自信ないけど……ぶっつけ本番でやるしかない。

 

「え? あ、あの、黒松さん、一体何をするおつもりで?」

「おいおい嘘だろ、馬が字を書いてる……!?」

 

 一方で、一連の動きを見ていたオオエライジン陣営は驚嘆して固まっていた。

 ……まぁ、普通はこういう反応だよね。普段の私と接してる人たちや馬主さんに美鶴ちゃんにとってはもう特に驚かないような状態で、何なら美鶴ちゃんは私の行動を察して道具を用意してくれたし。それが向こうにとっても予想外すぎたようだ。

 

 というわけで、たった9文字(句読点を入れたら10文字?)を書くだけで大人数に注目され、恐らくは1分か2分しか経ってないが、それでも字を書くだけで信じられないほど長い時間が掛かったものの、すぐに美鶴ちゃんが解読してくれた。

 

「《8がつ、グリーデング》……あぁ、なるほど。そういうことね」

「グリーデング……グリーディングの事か。ハルナちゃんが8月にグリーディングをやりたい、って言ってるのかこれは?」

「ヒヒヒン」〈その通り〉

「そっか、なるほどな……ここからオーバルスプリントの間にレースを入れるつもりはなかったし、検討してみるか」

 

〈グリーディングって何のこと? レースの名前?〉

〈ファンサービスのイベントみたいなもの〉

〈……ファンサービス?〉

〈私たちのことを応援してくれる人たちとのふれあい交流会みたいなものよ〉

〈えぇ……人間さんたちって、モトムラくんやせんせーのカンケイシャ?以外って危ない人ばかりじゃないの……?〉

 

 おいおい誰よ? コロちゃんにそんな認識植えつけた張本人はどこのドイツだ?

 ……なんてね。私基準だからすっかり麻痺してるけど、普通なら現役の競走馬がファンとのふれあいイベントなんて出来ないもの。

 本来、馬という動物は捕食される側の動物で、聴覚や嗅覚、視界の範囲などが人間より優れている反面、警戒心が強くて怯えやすく神経質な生物だ。

 だから、大勢の人間にわっと囲まれてしまうと普通の馬ならパニックになってしまうだろう。

 

 幸いにして、私はそういう点が他の馬たちとは違ってるお陰で直接ファンサが出来るので、実は歴代のアイドルホースで一番人気だと自負してる。……まぁ、オグリキャップとか、ハイセイコーとか、うちの母(ハルウララ)には負けるだろうけど。というか、母の人気にまだぶら下がってる状態を突かれたら痛い部分だ。ある意味、事実で否定できないし。

 

〈まぁ、ともかく、グリーディングが黒潮盃をやる大井で出来るならコロちゃんとまた会えるだろうし、見かけたら応援するね〉

〈ホント!? 約束だからね!〉

〈えぇ、もちろんよ。だから園田に帰ったらしっかりトレーニングしてきなさいよ?〉

〈うん!〉

 

 そうして再会の約束を交わせば、オオエライジンは先ほどの駄々っ子モードから一転して馬運車に向かって歩き出し、漸く帰路に着いた。

 そんな彼の姿をハルノウラワと彼女の関係者たちは微笑ましくもあり、疲れた表情を浮かべつつ見送った。

 


 

 しかし、ジャパンダートダービーの数日後。

 “牝馬による南関東三冠制覇”の大ニュースに競馬ファンたちが浮き足立っていた時だった。

 その余韻を吹き飛ばすような一報に、競馬界隈は上を下への大騒ぎとなり、世間でも物議を醸すことになった。

 

 ───1着になったクラーベセクレタは禁止薬物(カフェイン)が検出されたため、失格。

 2着馬・ハルノウラワを繰り上がりで優勝馬とする。

 

 

*1
原題:Texas, Addio、米題:Goodbye Texas

*2
ハルノウラワが言ってる「毛玉ボールみたいな動物」とは、海外SFドラマ「スタートレック」シリーズに登場する「トリブル」という宇宙生物のこと。「クアドトリテケール」は、そのトリブルが初登場したエピソードの題名「新種クアドトリティケール(原題:The Trouble with Tribbles)」、及び、作中に登場する穀物の名前。

*3

*4
なお、2001年までの南関東三冠レースは「羽田盃」「東京ダービー」「東京王冠賞(2001年休止)」で、この三冠を勝利した唯一の牝馬としてロジータがいる。

*5
オオエライジンのWikipediaのページが開設されたのは2020年になってから

*6
オオエライジンの調教師曰く幼駒の頃は「コロッとはしてるけど線が細い」という評価だったとか。

*7
なお、2025年現在のデータでは60350人(Wikipedia調べ)

*8
風邪のこと




 今更ながら気付いたけど、ウマ娘のクロノジェネシスとうちのハルノウラワって似たようなことしとるなぁ……(競馬新聞を広げてるところとか)。

 そんなわけで、どうも。2011年ジャパンダートダービーの回でございます。

 オリジナルのお馬さんとか、中津や北関東が生き延びている時間線故にそこからのバタフライエフェクト(?)その他諸々を噛ませて演出や構成に悩んだ結果、色々とカオスな展開になりまして……冒頭でも述べましたが、改めまして、更新が大変遅くなり申し訳ありませんでした。

 今回、特に悩んだのは、オオエライジンの描き方や、ハルノウラワとの関わり方でした。
 本来ならこの2頭の邂逅はもっと後になるはずでしたが、ジャパンダートダービーだけを描こうとしたらどうにも単調になりそうだった懸念や、ウマ娘編での2人の関係もやや出来てきたことから、「実馬編ではどうだったか」をいよいよ書き上げた方がいいな、という考えに至り、オオエライジンのジャパンダートダービー参戦という史実もビックリな展開となりました。

 ちなみに余談ですが、前回のウマ娘編、今回の実馬編で登場しているナコウトオトメオーちゃんは、某所で乙女に振り切れてしまった感じのテイエムオペラオーから思いついたキャラクター。なので、ウマ娘化したら、世紀末覇王にそっくりになる(予定)。

本作のジャパンダートダービーはどっち版を(できれば)見たい?

  • 実馬で
  • ウマ娘で

使用楽曲コード:02951347,02958651,03064255,0B518341,0I287272

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