ちなみに実は次の話の展開に悩んでいます……。
詳しくは活動報告を参照いただきたい。
この話の末尾にアンケートを設置したので、よろしければ投票をよろしくお願いします。
※2025年11月25日追記……後書きにおまけとしてハルノウラワの現時点までの戦績表を追加してみました。
※2025年11月30日追記……緊急事態が発生したため、お知らせを掲載します。詳しくは『こちら』をご覧ください。
それは北関東秋華賞が終わってしばらく経った後のこと。
「困ったなぁ……」
ハルノウラワの馬主である黒松義隆は、牧場の母屋のデスクで頭を抱えて悩んでいた。
時期は11月だが、早くも来年のカレンダーを壁に掛け、そのページを何枚か捲り、2月を見た。
(フェブラリーステークスは……2月19日。で、船橋の報知グランプリカップは2月8日か……)
日程に余裕がない。となるとどちらかを諦めるしかないのだが、この状況に思わず溜め息を漏らす義隆。その悩みの原因はハルノウラワのレースローテについてであった。
(レース間隔はそんなに詰まっていなかったとはいえ、今年のハルナにはだいぶ無理をさせた)
脳裏を過ぎるのは、今年の7月に大井で開催されたジャパンダートダービーでの最終直線。
逃げではなく先行で抑える形を取ったままオオエライジンと競り合っていたハルノウラワ。
ゴールまで残り約300mの辺りで先頭に立ったハルノウラワだったが、最終的には追い上げてきたクラーベセクレタに差される形での2着。
その後の薬物検査でクラーベセクレタが失格になりハルノウラワが繰り上がりで優勝という扱いにはなったが、最終直線でのハルノウラワがそのまま逃げきれなかったのは明らかにスタミナ切れ。
これよりも長い南関東オークスを勝利しているとはいえ、2000m以上の距離に挑ませるには時期尚早だったかもしれないと義隆は大いに反省していた。
そこで、2011年の後半はオーバルスプリント、レディスクラシックとなるべく1800m以下のレースを選択。結果的に浦和記念も東京大賞典も今年は諦めたし、2012年はゆっくりと始動したいと考えていた。
(確か、最初の予定はっと……)
義隆は岡嶋調教師と相談して決めたレースローテを書き込んだメモを見返す。
そこには2012年の予定がびっしりと書かれていた。
(まず、2月に報知グランプリカップ。この次に1レースか2レースを挟んで控えているのはさきたま杯。その後は黒潮盃か、オーバルスプリントのリベンジ、年内で比較的大きな目標は南部杯っと……とりあえずここまでは決まっていたか……)
もちろん、まだどれもこれもずっと先の話だ。
ハルノウラワの戦績や体調次第では出走回避、もしくは出れないレースもあるだろうし、逆にここには書いてないレースが追加される可能性も十分にあり得る。
とはいえ、義隆はこう考えていた。
(まだハルノウラワに中央のG1は早すぎると思うが……)
実は年内最後のレースにと検討していたのは東京大賞典の他にもう一つ、候補としてはジャパンカップダートがあった。
ハルノウラワの実績と賞金であれば、同レースに出走することは全く問題がないだろう。
しかし、中京開催の1800m、
……だが、中央というのは別世界だ。
馬主を始めてまだ10年も経っていないが、幼い頃から父や祖父と共に馬産に携わって、幾度も中央と地方の両方に愛馬たちを送り出して行く姿を見ながら大人になり、叔父の義安から黒松家当主の座を譲り受けてまだ5年も経っていない。
その間にクロススキッパーやハグロフォルゴーレのような
(……しかも東京競馬場のフェブラリーステークスか……)
ハルノウラワ自身が「クソ難しいコース」と詰っていたことなど義隆は知る由もないのだが、彼も東京競馬場のコースレイアウトに悩みの種が尽きなかった。
(芝を150mほど走った後にダートへ入る。外枠を引いた場合は地獄か……)
前述したように、ハルノウラワもきっとフェブラリーステークスであろうとジャパンカップダートであろうと、
だが、問題はそこではない。
地方から中央に送り込んだ馬があまりの実力差を見せつけられてイップスに陥ったり、レースに対して臆病になったりといった事例は決して珍しくはないと聞く。
地方から2005年と6年のフェブラリーステークスに送り込み、ドイツG1や凱旋門賞を勝たせた時のシムーンカルマみたいな存在はまさに
それに、あの頃は若かった。
今だと同じローテを行かせようとしたら止めるだろうか……いや、自信はないな。
(もしハルノウラワがレースを嫌いになってしまったらどうすればいいのだろうか……?)
馬にも感情があることをクロススキッパーと出会った時に嫌と言うほど教えられた。
ハルノウラワはレースを走るのが好きだ。だが、出すレースを誤ればその「好き」を奪ってしまいかねない。
だからこそ、義隆は慎重だった。
「……はぁ〜……どうしたもんか……」
さらに競馬関連の新聞記事を読み直すと溜め息がつい出てしまう。
《リアライズノユメ、疲労によりJBCレディスクラシック回避》
《次走の予定はフェブラリーステークスに照準か》
幸か不幸か、ハルノウラワは日本語が読めるし、何なら書ける。
当然この記事を見たなら「フェブラリーステークスに出たい」と意思表示してくるであろうことは目に見えている。
あの馬なら絶対にそんな仕草を見せるだろう。
(血は繋がっていないはずなのに……)
似たようなことをした馬といえばクロススキッパーと、聞いただけであるがその父・クロスクロウも「自分で出走するレースを決めた」みたいな話まである。
ちなみに、クロススキッパーやクロスクロウと、ハルノウラワには直接の血の繋がりはない。
一体どこからこんな馬離れした、実に人間臭い性格で且つ高い知能を得たのかはさっぱり分からない。……これも競馬の神様の
(……悩んでいても仕方ない)
気付けばこんな事で悩み始めて何十分が経っただろうか。
自問自答を繰り返していても埒が空かないと判断した義隆は、
(まだ11時半か……)
時計を見ると
「なるほど……」
『えぇ……岡嶋先生はどうお考えでしょうか?』
午後0時。
昼食の時間帯で休憩に入った岡嶋厩舎に一本の電話が。
出てみると、ハルノウラワのオーナーである義隆からであった。
その義隆から、ハルノウラワの次走、つまり2012年最初に出走するレースについての相談を受けることになった岡嶋正男調教師であるが、彼の内心は(やはりそう来たか)だった。
というのも、リアライズノユメがフェブラリーステークスに出走予定と聞けば、ハルノウラワは見るからにやる気を出して自分も同じレースに出る気満々でいた。
当初立てていた目標では2012年最初のレースは船橋の報知グランプリカップを想定していたが、今更「フェブラリーステークスには出しませんよー」なんて言ったらハルノウラワがどれだけ機嫌を損ねるかわかったもんじゃない。
……ならば素直に報知グランプリを諦めてフェブラリーステークスに出したほうがいいのかもしれないとは岡嶋も考えるが、これまで同競走で南関東の馬が勝てた実績がない……シムーンカルマを除いては。ただ、東京のは普通のダート1600mではなく、芝からダートに入るという特殊なコースレイアウトだ。
足元が芝からダートに切り替わること、中央のG1という舞台でハルノウラワが萎縮するかもしれないことなど、義隆の懸念材料は聞けば聞くほど「あり得る」と思えてしまうのだが。
(せめて、向こうの目標がかしわ記念とかさきたま杯とかだったなら、義隆さんもここまで悩まなかっただろうか)
口には出さないが、とんでもない風呂敷をリアライズノユメ陣営が広げたことに(何てことしやがった)と今更ながら岡嶋調教師は思ったのだが、ここで岡嶋調教師は、とんでもないことを思いついて提案した。
「……そうだ、それなら……」
それを聞いた義隆。
『……えぇ? 本当に?』
「試す価値はあるかもしれません」
義隆は少し考えたが、すぐに返事を出した。
『……わかりました、ちょっと話してみますね』
「よろしくお願いします」
そうして電話は切れた。
「……我ながら無茶振りが過ぎただろうか」
食べかけの弁当に再び箸を付けながら、そんな言葉をボソッと呟いた岡嶋正男であった。
……だが、ここからさらに数日後。
2人の予想を遥かに飛び越えたとんでもない話がハルノウラワが放牧中に齎されることを、義隆も岡嶋調教師も知る由がなかった。
実は調べていたら浦和の「ニューイヤーカップ」が4歳以上じゃなくて3歳馬限定戦だということに気付き、慌てて修正しました。
あとついでに整理がてら、ハルノウラワの戦績表を載せときます。
◎ハルノウラワの戦績(2011年12月末時点)
12戦8勝4敗
⚪︎出走レース名と内訳
・新馬戦(高知開催・1着)
・鎌倉記念(S2・1着)
・ローレル賞(S3・6着)
・兵庫ジュニアグランプリ(Jpn2・2着)
・全日本2歳優駿(Jpn1・1着)
・ユングフラウ賞(S3・1着)
・若草賞(重賞・1着)
・東京湾カップ(S3・1着)
・南関東オークス(Jpn2・1着)
・ジャパンダートダービー(Jpn1・1着※クラーベセクレタ失格のため繰り上がり勝利)
・オーバルスプリント(重賞・3着)
・JBCレディスクラシック(重賞・1着)
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