ユリの近くに、人影はない。
それはつまりホシノの時のように外部からの影響を受けて暴走したわけではなく、彼女自身の中で暴走が発生したということに他ならない。
それ故に、歓迎はされなかった。
否、ユリ自身は来てくれたこと自体は嬉しいのだろう。だが、荒れ狂う力の奔流はただ周囲を傷つけるだけの暴力装置でしかなかった。
地下生活者から『セトの憤怒』と呼ばれる神性が雷を操ったように、鬼灯ユリもまた鬼火のような炎を発生させて周囲の存在を否定する。
「おうおう! 手洗い歓迎じゃねえか!」
ネルがそれを回避しながらユリに近付こうとすれば、その攻撃はさらに苛烈さを増す。
自身の力が荒れていることに気付いて顔を上げたユリは、皆の存在を認めると悲痛そうにその顔を歪ませる。
「何で!? 何で来たの!?」
彼女が感情を荒ぶらせると共に、彼女の周囲に浮く鬼火の数が増していく。
それにユリも気が付いたのだろう。ひゅっと息を呑みながら頭上を見上げて、それらをどうにか律しようと身体を縮こまらせる。
それを見て、先生はユリの意識がまだしっかりと残っていることを認識した。
ホシノ時とは違う。ホシノは反転しかけていたから別の事象と言えばそうなのだが、ホシノの場合は自身の意識を埋没させてしまっていた。
しかし、ユリは違う。暴走しているのは力だけだ。本人の意識は残ったままで、だからこそ彼女は苦しんでいる。残った意識で周囲を傷つけまいと考えて、独りになることを選んだのだ。
「放っておいてよ! これは私の自業自得なんだよ! 私が欲張ったから! 捨てられなかったから!」
「そんなことできないよ! ユリに一緒にいたいってお願いしたのは私たちなんだよ!? そのユリが人になって苦しんでるんだったら、放っておけるわけないじゃん!」
「お姉ちゃんの言う通りです。私たちのわがままでユリがこんな状態になっているんだったら、私たちも力を貸すのが道理ってものです!」
ユリの叫びに、才羽姉妹がそれを否定する。
鬼灯ユリに一緒にいたいと祈ったのは彼女たちだ。だからこそ、彼女たちはユリの独り善がりだったという言を否定する。
だが、そんな言葉を吐こうとも、現状は何も変わらない。
弾幕は戦闘時のスプリントでキヴォトス随一のネルでさえ近付かせない物量で、その被害はゲーム開発部がいるこちら側まで届きそうになっている。
「そういうことじゃないの! これは私の問題! 私の問題でしかないの! だから私がどうにか制御できるようになるまで、待っててよ! 私が戻るって信じて待っててよ!」
「ハッ! お前も分かってんだろ! 一緒につるんできたんだ。そんな正論が通用するような連中じゃねえってよ! こいつらはお前を連れ戻すってためなら何でもする熱い奴らなんだよッ!」
そんなことを言いつつ、吹っ飛ばされたネルが起き上がる。
そして、攻略が始まった。
「ネル先輩の言う通りです! アリス達は絶対、ユリを救ってみせます!」
アリスのレールガンを盾にして、ゲーム開発部は進んでいく。
そこに集中砲火が飛びそうなところにアスナが持ち前の勘を活かして回避しつつ進み、ネルと共に鬼火を誘導する。カリンは後ろから対物ライフルで鬼火を相殺する援護をして、アカネは爆弾と煙幕を張りながら少しずつ席の陰に隠れて移動している。
先生もアロナとプラナのサポート受けながら近づいていく。シッテムの箱をユリに触れさせれば、ホシノのときと同様に何かユリの神性へ直接働きかけることができるかもしれないという希望を信じて。
「クソッ! 一定以上近付くと集中砲火が飛んでくるな。あれじゃあ一人で行ったらいつまで経っても近づけねえな。アスナ! タイミング合わせろ!」
「オッケーリーダー!」
ステージ脇まで近づいた二人が、息を合わせてユリの元へ飛び込む。
ここまで鬼火は一発ずつしか飛んできていない。であれば、分散すれば隙が作れるはず。
そう考えて見守っていた一同は、突然の挙動の変化に目を見張ることしかできない。
「リーダー! ストップ!」
持ち前の勘で良くないことが起こると悟ったアスナだったが、そのタイミングは少し遅く。
二発どころか数十発同時に放たれた鬼火が急ブレーキをかけた二人の周囲に着弾して逃げ場を失くし、そこに意識を割かれた隙に本命が二人に突き刺さった。
その心配の声を上げようとした面々も、その声を放つことは叶わない。
「きゃああああ!!」
「ミドリッ!?」
先程までのがお遊びだったと言うように苛烈さを増した鬼火は、この場に立ち続ける者を許さないと言わんばかりに降り注ぎ続ける。
アリスのレールガンを回り込んでミドリを、並ぶ席を回り込んでアカネを、射程範囲外と見定めて様子をしていたカリンのところにも鬼火は飛んでいき、各々が想定外の挙動に対応を強いられる。
「いやだ……嫌だ……」
本当に制御ができないのだろう。
ユリはその光景を見て、頭を抱えて現実から目を背けることしかできていなかった。
どれだけ自分の意思で留めようにも、自分がここにいる以上は仲間たちを傷つけ続ける。だが、自分が逃げ出したとしても、仲間たちはどこまでも追ってくる。傷ついても、どれだけ追い返し続けても、逃げ続けたとしても、どこまでも。
自分のことを諦めない勇者がいると、ユリは知ってしまっている。
だが、それでも自分はこのままここに居てはいけない。そう判断したユリはこの場を去るために立ち上がる。そうしなければ仲間たちが死んでしまう。どこまでも追い続ける意思があったとしても、彼女たちが傷を癒す時間を与えなければ、その意思は露と消えてしまうだけだ。
「待って! ユリ!」
モモイが動こうとしたユリに声を投げるが、その声に呼応したのは鬼火だけ。
立ち上がったユリが見た景色は、悲痛そうな顔を浮かべて無力に打ちのめされる大人が小さく立ち尽くす姿だけ。
もう既に、他に立っている者はいなかった。
「助けて……」
思わず零れてしまったその言葉を聞いて、まだ立ち上がろうとする者がいる。
約束された勝利の象徴、コールサイン
絶対に諦めることのない二者に対して、容赦なく鬼火が迫っていく。
辛うじて転がってそれを躱しても、次が、またその次が彼女たちを逃がさない。
「誰か、助けて!」
それは、彼女の心からの叫びだった。
力を振るうことに苦しむ、半端になることを選んだ彼女が背負った因果。
その鎖をどうすることもできない先生は、神の力の前に歯噛みすることしかできない。届きそうだった。だが、届かなかった。
あともう少しだったのに。
視界の隅で、青の勇者が沈黙する。
「誰か、私を助けてよ!」
彼女は不完全だ。生徒の姿に押し込められた神の力は、糸を掛け違えれば御すこともできたのかもしれない。
だが、それをできるのは神の力を宿した者だけだ。アリスはその使い方を解さず、ユリ自身はその力に振り回されてしまっている。
だからこそ、彼女がその名を呼んでしまうのは必然だった。
「私を助けてよ! ラン!」
それが、彼女の一番の後悔である。
「助けて、と私に請いましたね、ユリ」
紫色の、足音が聞こえた。
その音にそちらを見れば、その言葉を待っていたとでも言うような所作で、紫色の少女は歩いていく。
既に先生の横を通り過ぎてその後姿しか認めることはできず、先生から彼女の表情は伺えない。策があると言った彼女が、どんな表情で力に振り回されるユリを見つめているのか、まっすぐにユリのところへ向かっていく彼女の横顔すらも映らない。
鬼火は彼女に向けられる。
だが、小さな彼女の本体には当たらない。その身体に直撃しているように見えても、彼女の本当はその足元にいるはずの小さな小動物の姿である。
ユリが造った装置が、ランをユリの元へと歩ませる。
「待って、ラン!」
「先生、私をここへ連れてきてくれてありがとうございました」
嫌な予感がした。
何か、重要なことを見落としているような気がした。それに気が付けていれば、この結末には至らなかったのかもしれない。別の方法を見つけられたのかもしれない。
「違う! ラン、今のは違うの!」
「ユリ、先生の言うことをちゃんと聞いて、正しく生きるのですよ。あと、先生は無理をしすぎるきらいがありますわ。困っていたら、いえ、困っていなくとも勝手に潰れないように見ていてあげてください」
きっと、ユリは気が付いている。
自分が救いを求めてしまった相手に、良くないことが起こることに気が付いている。
それが何であるか情報は揃っているはずなのに、先生はそれをうまく繋げることができず、答えを見つけることが叶わない。
ランはユリの前に辿り着く。
そして自身に助けを求めた儚い炎に手を伸ばし、その手が触れる寸前で何を思い出したようにその手を止めて、振り返る。
「アリスさん、意識はありますか? ……良かった。ゲーム開発部の皆様や、エンジニア部の皆さまにもお伝えしておきかったですから」
彼女は笑っていた。
諦めや寂しさが混じることのない、心からの笑みだった。
それでも喜びというよりは、安堵のようにも思えてしまって。
深々と頭を下げたランは、とても優しい声音で言った。
「ユリのこと、よろしくお願い致しますわ」
それが、彼女たちが聞いた矢生ランの最期の言葉だった。
最初は敵はフランシスの予定だった。でもアビドス3章後と明言した後でロア編でフランシスがあの場で消えたと明言されちまったので出せなくなりました。でもまあこれもこれで。
次回、エピローグ。