「ユリ君かい? 今日は授業に出ると言っていたから、教室の方に向かったと思うが」
翌日、授業が始まるよりも早く鬼灯ユリが所属するエンジニア部を訪れたモモイとミドリは、部長を務める白石ウタハからそんなことを告げられて、顔を見合わせた。いつも午前中は授業に出ないでラボに入り浸り、毎日のように遅刻して教師に叱られている姿ばかり見ていたがために、そんなことを言う姿が想像できなかったのである。
なんでいきなりそんなことを言いだしたんだろうと疑問に思ったモモイは、今日自分がここに来た理由を思い出してしまって顔を顰めた。
「ね、ねえミドリ、ユリはもしかして私たちにイヤホンのこと聞くために教室に行ったんじゃ」
「私たちが拾ってくれたと信用してくれてるのに、無くしちゃったとは言いずらいね」
妹から自分の想定より胸が痛む可能性を指摘されて、モモイは眉を寄せて天を仰ぐ。
しかし、自分の過失で彼女の所有物を失くしてしまった以上はきっちりと落とし前を付けないといけない。知らぬ存ぜぬで無視を決め込むこともできないわけではないのだが、アリスに悪い影響を与えるかもしれないと思うとその辺りはちゃんとしておきたいと背筋が伸びた。
身内とゲームをする中で盤外戦術を使ったり小狡い手を使ったりするのとは話が違うのだということをアリスに示さねばならない。なにより、アリスが模倣する『勇者』であれば、自らの非を認めず責任から逃げるなんてことはしないはずだから。
「え? いや、別に先生にこれ以上遅刻したら留年だって言われただけだけど」
意を決したモモイに声を掛けられて片耳のイヤホンを外したユリは、きょとんとした顔でそんなことを
ユリを教室に引きずり出してしまった責任を取らねばと思っていた自分が馬鹿ではないかと顔を赤くするモモイが羞恥に震える横で、ミドリは冷静にユリのその姿に目を瞬いていた。
「ユリ、それ……」
「あー! イヤホン見つけたの!? 昨日ユリがゲーセンに置いてっちゃったから届けようとしたんだけど外出た時に見失っちゃってさー! 見つかったんなら良かったよー!」
パチクリ、という擬音が聞こえてきそうなほど目を丸くしたユリは一拍だけ空白の時間を置いて、それから「そうそう」と言葉を紡ぎ始める。
「今朝ゲーセンの前を通ったときに落ちてるのを見つけてさー。いやー見つかってよかったよかった。あ、もしかして声掛けてきたのってこれのことだった? いやー心配かけてごめんねー」
その空元気じみた反応にミドリは違和感を覚えたが、自身の姉とユリが始めたゲームの話に耳を奪われて、意識が思わずそちらに引っ張られてしまう。そしてその正体を掴めぬままに、彼女の中から抜け落ちていく。
そんなこともあったなという思い出として、違和感は塗り潰される。
「先生、わざわざミレニアムまでありがとうございます」
「"ううん、他ならぬユウカの頼みだからね"」
またそうやって、とため息を吐きながらも、ユウカはタブレットを操ってそれを目の前のウィンドウに表示する。
今回はシャーレの当番としてではなく、セミナーの生徒会役員として先生を呼び出しているのである。目的を見失ってはいけないとばかりに手を動かすユウカは、画面を見ながら早速本題を切り出した。
「アリスちゃんのことがあったので、念のため生徒のデータベースを洗い直したんです」
一人の学籍データがディスプレイに表示される。
先生はその顔を確認したが、見たことがない生徒だった。
「注目するのはここなんです。本来この学籍番号は所属科や学級を示す英数字と番号で構成されているはずなんですが、このデータだけここがただの適当な文字列になっているんです。他のデータは偽造するにしてもその辺りのルールは守られていて、ブラックマーケットで買ったり第二の身分証として取得したりとかだと結構巧妙な手口でやるケースが多いんですけど」
「"これは全然違う、外部の人間がやったかもしれないっていうこと?"」
「そうなんです」
先生の推測に肯定しながらも、「でも逆にそれだと偽造した意図がわからなくて」とユウカは続ける。
「スパイなら、それこそブラックマーケットでちゃんと作ると思うんです。バカな学校ならこのぐらい杜撰なことをするのかもしれないけど、それだったらそもそも
「"他の学校の生徒が別の身分証として作ったんじゃなくて?"」
「私も最初はそう思ったんですけど、この子のこと、見たことあるんですよ。それこそアリスちゃんとかゲーム開発部の子たちと一緒に遊んだりしているみたいで、学校にも普通に通ってるようなんです」
その言葉を受けて、先生も考える。先のユウカの考察には概ね賛成だった。
他学園からのスパイであればもっと上手く偽造を行うだろうし、それが出来ない学校であるならばそもそもミレニアムのセキュリティを突破することは難しいはずだ。実際に学校に通っている生徒がいるのであれば偽の身分証としての学生証が目的でもないはずだし、ただセキュリティを突破したかっただけの愉快犯の可能性も潰える。
もしかするとコユキのようにセキュリティを突破したからという理由で悪意なく身分証の偽造を行ってのうのうと暮らしているだけの可能性も否定はできないのだが、どちらかといえば
「それでですね、先生。勘違いしないで聞いてほしいんですが、先生にはこの子のことを――」
「"どうしてミレニアムに来たのか、聞いて来ればいいんだね"」
その先生の言葉に、ユウカが言葉を止める。
しばらく見つめ合って、根負けしたように肩を落としながらユウカは大きく息を吐いた。
「この子は別に、悪い子じゃないと思うんです。ゲーム開発部の子たちも普通に接してるし、会長みたいに何か企んでいる感じもしませんし」
「"私は生徒のことは疑わないよ"」
「知ってます! だから勘違いしないで聞いてほしいって前置きしたんです! ……アリスちゃんは、言わば先生という保証人がいるので見逃してあげてますが、彼女はそうじゃありません。なので先生には、この子と話していい子かどうか確かめてきてほしいんです」
先生はそれでようやく、彼女が今日一人でここにいる理由に気が付いた。ユウカは、最初から彼女のことを見逃すつもりでいるのだ。アリスのことを黙認したように。
だが一抹の不安が拭えずに、こうして
それはいろいろと情けない姿を見せてきた自分を、信頼してくれているという証左に外ならず。
「"わかった。ちょっと話してくるね"」
「はい。よろしくお願いします」
そうして先生は、鬼灯ユリの調査を承った。
盗聴器のスイッチを切り、紫色を揺らして彼女は笑う。
「オーケー、良い頃合いですわね。ユリがヘマをしたタイミングもちょうどいい。救世主との接触には少し早いですが、種を蒔くには良い時期ですわね」
彼女の背後でがたがたと何かが揺れる。
キーボードを叩いてそれが静まったのを確認して、彼女は器に注がれた牛乳に口を付けた。