日が進むのは早いもので、今日はもう金曜日。練習試合の前日となっていた。
さすがにここまでくると一軍メンバーの変更はなく、練習試合に出場する選手は今の一軍に所属している選手の中から選出されると考えていいだろう。
そのためか最近は特に練習でも熱がいつも以上に入っている。監督へのラストアピールというわけだ。そのおかげで油断が続かない日が続いている。
今は昼休み。こうして昼飯を食べているわけだが、こういう時間が数少ない貴重な安らぎの場となっている。……うん、今日もご飯が美味しい。早起きしただけの価値はあるというものだ。
「……お疲れ様です、白瀧さん。隣いいですか?」
「おう、お疲れ様西村。全然構わないよ」
食堂の一角にある長テーブルで一人箸を進めていると、同じ弁当組であるために早くここに来れた同級生が来た。
若干茶髪がかかった黒髪ショートで、愛嬌のある顔が特徴のチームメイト、
「あざっす。……はぁ。ようやく午前の授業が終了か。
午後もまだあるわけですけど、部活の前に疲れちゃいますよ。授業まで本格化してきてちょっとヤバイっす」
「そうか? ま、確かに徐々に授業ペースも上がってきたからな。テスト前になったらまた勉強教えてやるよ」
「ありがとうございます。本当に頼りにしています!」
俺の言葉に笑みを浮かべ、テーブルに頭をぶるけるくらいの勢いで頭を下げる西村。
……素直なやつだ。こういうやつは嫌いではない。純粋に頼りにしているのだとわかってしまうからこちらも少し気分がよくなる。
そういえばこいつが大仁多高校を受験する時にも俺が何度か学習指導をしたんだっけか。俺が大仁多高校を受験すると知ったとたん、担任に進路変更の紙を提出したと聞いたときには驚いたものだった。……そのせいで勉強が大変になったわけだけど。
「まあ今はちゃんと授業を受けて、板書を写してくれればそれでいいさ。ノートまとめとからは手伝ってやれるからさ」
「なるほど。……今度、時間があるときに以前の英語の和訳を写させてもらってもいいですか?」
「マテコラ」
包んでいる風呂敷をほどき、弁当を開きながらお願いしてくる。
今は親戚の家で生活しているという話だが、随分手の込んだ弁当だな。おかずが充実している。
……が、ちょっと待て。悪いがそれだけで今の発言を見逃すほど俺は甘くはないぞ。
「え、何? 和訳って授業でやったやつだよな? ……なぜそれを写す?」
「……寝てました」
テヘッ、と相手の背後から聞こえてきそうなほどの満天の笑みを浮かべている。
……背筋が凍る感覚を覚える。正直そういうことをやるのは可愛い女子だけでいい、本気でそう思った。
無言で自分を見続けている俺に気づき、あわてて西村は弁解をしようとする。
「いや、どうも練習のせいか疲れてて、英語が心地よい子守唄のように聞こえるというか……」
どうやら先生の言葉をBGMとして心地よい眠りについていたようだ。
「言い訳は以上か。……そうか。ならば仕方がない、自力で頑張ってくれ」
「ちょっと本気で待ってください!」
視線を静かにそらした俺の手を握って、必死に懇願してくる西村の姿がそこにはあった。
『お願いします』と何度も何度も言い放つ。俺しか頼りになる相手がいないのか、手を離すまいと必死だ。できればその情熱は明日の練習試合にまでとっておいてもらいたい。
「はぁ。……OK。ただ最低限単語の意味とかは調べておけよ」
「ありがとうございます!」
本日だけですでに何度目となるかわからない感謝の言葉をBGMに食事を進める。ふむ、今日のメニューは少し肉が少なかったかな? 夜はタンパク質摂取の意味も兼ねて肉中心のメニューにするとしよう。
……そういえば他のバスケ部員は勉強大丈夫なんだろうな? テスト前になっていきなり焦り始めなければいいんだけど。
「おうおう、今日はやけに賑わっているなお前ら」
「お待たせ。食堂がいつもより混んでてね、時間がかかっちゃったよ」
「あ、勇と明。来たのか。悪いな、授業準備の関係上先に食ってた……って、あれ? 橙乃も一緒か?」
聞きなれた二人の男の声が聞こえ、座ったまま振り返る。
……すると、いつもは食事の時は見かけない橙乃も一緒にいた。珍しいな、てっきり他の女子と一緒に食事を取るものだと思っていたのだけど。普段からおとなしい性格のようだし。
「ああ、さっき券売機のところで見かけてさ。俺が声をかけたんだよ。一緒に食うやつもいないって話だったからな、いいだろ?」
「……うん。白瀧君、隣大丈夫?」
「別に構わないよ」
ありがとう、と一言お礼を述べて橙乃は俺の隣の席に座った。彼女のメニューはパスタ、女子に特に人気のあるメニューである。
……てっきりお弁当なのかとも思ったが、どうやら違ったようだな。
ちなみに男子二人のメニューはどちらも日替わりの定食メニューである。今日はカツなどのおかずが見える。たまには俺も学食を食べてみようかな? いつも弁当だしたまにはいいかも。
「橙乃は普段昼飯の時どうしているんだ? いつも一人で?」
「ううん。友達と食べているんだけど、彼女今日は委員会の仕事があっていなくて……」
「そっか。……もし一人のときは普通に声かけてくれて大丈夫だよ。食事は大勢の方がいいし、色々話したいこともあるからさ」
「……そうだね。ありがとう」
改めて橙乃の姿を見ると、以前練習の時に見かけた時の表情とは違って、おとなしく物静かな感じだな。こっちの方が素の姿なのかもしれない。こちらの方が可愛らしくて個人的には好きだな。
……うん? そういえば俺って橙乃とゆっくり話すのは練習初日以来じゃないか? ミニゲームの後は結局話す時間がなかったし、その後もクラスが違うという事情もあってまともに話していない。
……あ、全然だ。よく考えたら俺彼女にあまり良いイメージをもたれていない気がする。初めの会話があれだったからな。……さすがにこのままではまずいな。少なくともIH予選までには一度話をしておこう。
「そうだぜ、同じ部活仲間で知らない仲でもないんだから。なんなら頼めば弁当だって白瀧が作ってくれるかもよ?」
「……いや、さすがにそれでは要の負担が大きすぎるよ」
「あ、白瀧君って弁当手作りなんだ」
「ああ、時間がある時にはいつも作っているよ。……今のところ毎日だけどね」
さすがに大会中は厳しいだろうが、今はまだ疲れもピークを迎えているわけでもないからな。
学食でもいいのだが自分で作った方が栄養バランスも管理しやすく量も調整できるから丁度いいのだ。料理は作っていて楽しいこともあるし、今のところ言うほど負担となってはいない。
「でも、時間とかは大丈夫なの? 最近は特に練習が厳しいし……」
「俺もそこは同感なんですけど。白瀧さんて寮でも休んでいるイメージがないし」
「西村、お前は俺を何だと思っているんだ!?」
休まないとかもう人間ではないだろう。さすがに自分でも限界だと感じればすぐに方針は変える。
……しかし、それでも余裕があるうちはできることはなんでもする。それが強くなることへの近道だからな。
「心配には及ばないよ。たしかに練習密度は濃くなっているけど、なにせ練習試合が明日なんだ。そのためにやっているわけだし……ここで弱音は吐いていられない」
「……そうだな。ここ数日ゲーム方式が中心だし、もう少し頑張らないと。監督も今悩んでいるだろうよ。明日の選手選考をな」
勇の意見に明や西村も同意して首を縦に振った。
……十二人。それが明日の試合における登録選手の人数だ。今の一軍から八人の選手が落とされ、さらにその中から五人の
今のところAチームとBチームの中から選ばれるだろうが、それでも半分だからな……
「西村も頑張ってくれよ。お前にだって十分可能性はあるんだから」
「いや、それはわかっているけど。……すでに小林さんと中澤さん、二人の正メンバーがいるんすよ?」
「馬鹿やろう。仮にも帝光バスケ部でベンチ入りしていたような男が、そんな簡単に弱音を吐くな!」
「うっ……」
ビクッと体を震わせ、西村が箸を止めた。
……西村は帝光中学時代、スタメンには選ばれなかったもののベンチを暖めていた貴重な戦力だ。赤司という絶対的支配者がいたためにポイントガードとしてコートに立っていた時間は短いものの、決して西村が不要な人間であったはずがない。
こいつは努力家だ。
一年の時は偵察部隊、二年でようやく二軍入りを果たし、上の代が引退したのとほとんど同時に一軍入りを果たした。
少しずつではあるが、確実に強くなっていた西村だ。ならばその実績には誇りを持ってもらわなければならない。
「まだ結果は決まっていないだろう。ミニゲームの時だって、お前は最初から最後までチームを果敢に指揮し勝利に導いていた。……自信を持て。お前が思っている以上にお前は強い。それは俺が保証する」
「……どうも」
気恥ずかしそうに視線をはずし、西村はまたご飯へと箸を伸ばした。……少しは良くなったかな?
西村が不安視しているのは、自分より上がいるということだろう。中学時代どれだけ強くなっても、赤司という正レギュラーの存在によってスターターとして選ばれることはなかった。
ここでも小林さんという絶対的戦力がいる。元々西村は体格がよくないし、ポイントガードとしての実力も小林さんには敵わない。おそらくそれは事実だ。
……だが、だからと言って西村が弱いわけではない。仮にも一年生で一軍入りを果たしているのだ、それは自信をもっていいことなんだから。だから頑張ってくれ西村。俺だって皆と悔いなくバスケをしたいんだからさ。
「悪い、食事中だっていうのになんだか重たい雰囲気にしちまったな」
「いや、むしろ聞けてよかったよ」
「うん。私少し感動しちゃった」
「……橙乃、こんなことで感動しないでくれ。俺個人の意見なんだから」
大げさに反応を示している橙乃を諭すように諌めた。……そんな大層なことを言ったか俺?
ご飯を進めながら自分の言ったことを振り返る。まあ悪い気分ではないのだが、俺まで少し恥ずかしくなってきた。
「ま、要の言うとおりだよ。今日で決定と言っても練習が残っているんだ。最後まで頑張るとしようか」
「……うん。皆頑張ってね。私も当日は無理だろうけれど、今日は精一杯フォローに回るから」
言葉と共に橙乃の顔が寂しげな表情へと変わり、視線も下がっていった。
……そういえば、そうだったな。彼女はマネージャーだ。俺達選手とは違う。当日は、俺らとは違うことになるということを、きっと彼女も知っているのだろう。
「何言っているんだよ。橙乃だってマネージャーとしてベンチに入るんだろう? だったら……」
「馬鹿、勇!」
「……へ? え?」
なぜ止められたのかわからない、と勇は疑問の声を上げている。
こいつ、忘れたのか? ……いや、本当に知らないだけか? まあ確かにチーム事情によっては問題視されないことではあるのだが……
「どうしたんだ、要。何か問題でもあるのか?」
「お前もかよ、明。……はぁ」
「……いや、だから何がだ?」
「……公式戦において一チーム内におけるマネージャーの登録人数、つまりベンチに入れるのは、一人だけですよ」
「「……え!?」」
……どうやら本当に知らなかったようだ。二人とも西村の説明に驚愕している。
大仁多にはすでに三年のマネージャー、東雲さんがいる。ベンチに入るとしたら、まず間違いなく彼女だろう。部内における信頼、コミュニケーションなど彼女が一番バスケ部のことを知っているからだ。
そしてそうなると橙乃は明日の練習試合でもベンチには入れないのだ。こればかりは、監督もすでに決めているだろうしな……。
「気にしなくて大丈夫。こうなるってことは考えていたから」
橙乃は気丈に笑ってパスタへとフォークを伸ばす。
――『考えていた』、か。たとえそれが本当だとしてもやっぱりつらいだろうな。
練習中だってあれだけ真剣に取り組んでいたんだ。何も感じていないわけがない。
「……安心しろよ橙乃。ベンチ入りしてもしなくても、お前がバスケ部に貢献したってことは変わらないし、チームメイトであるってことには変わらない。近くで俺達を支えられなくても、見守っててくれるんだろ? だったらその分まで俺達はベストを尽くすさ。
だから、あまり深く考えるなよ? どんな形であれ、試合に挑む姿勢は皆同じなんだから」
「……うん」
できるだけゆっくりと、そして穏やかなこえで話しかけた。
選手と同様、マネージャだってベンチに入りたいという思いはある。当然のことだ。
……なんだか、余計に負けられなくなってきたな次の試合。橙乃が安心して試合の行く末を見届けるように、奮起しないといかないな。
「さっすが要。言うこと一つ一つが違うね」
「……ちょっと黙ってろ勇」
「へぶしっ!?」
空気をぶち壊す勇の足に一つ蹴りを入れておく。これで静かになった。
たしかに空気を変える時にはそういう明るさは必要だが、橙乃のような女性が相手の時はこうやって黙らせたほうが都合が良い。
「……いや、だが確かにお前の言う言葉には説得力があったぞ白瀧」
「だから今は黙っててと……って、小林さん!?」
「東雲さんも! 聞いていたんですか!?」
椅子の背後からどこかで聞いたような声が聞こえてきたと思ったら……小林さんと東雲さんの姿があった。
「まあな」と気さくに返してくる様子から、大体の話は聞いていたということが想像できる。
「お前達が揃って食事している姿が見えたんで、少し気になってね。
……だが、真剣に話しているところ悪いんだが。橙乃、残念ながらお前の考えていることははずれだよ」
「……え?」
「伝え忘れていたことがあったの。折角だから今伝えておこうと思って」
「……?」
「先ほどまでの空気を壊してしまうようだが、皆で出られるならば別に構わないだろう?」
「「……は?」」
小林さんと東雲さんの言っている言葉の意味がわからず、俺も含めてテーブルにいる全員が頭に疑問符を浮かべている。
……果たして、一体どういう意味ですか?
さすがの俺も答えが見つからず、小林さんの笑みを不思議そうに見つめるのであった。