黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第九十五話 交わした約束を胸に

「……作戦を一部変更する」

 

 タイムアウト中の陽泉ベンチ。

 荒木が重々しく語る姿は、試合展開が彼女の思惑通りに運んでいない証拠であった。

 白瀧、光月を追い詰めるどころか、自軍のエースである紫原の限界が近づいたことが明らかになった現状で、今の方針を続行することは不可能と結論付けた。下手すれば紫原が彼らよりも先に離脱してしまう可能性もある。

 

「紫原、お前は守備範囲を狭めろ。ペイントエリアを固めてくれればそれでいい。白瀧には福井、劉が引き続きマークに付き、岡村はミドルを守れ。宮崎は神崎のマンツーマンを続行だ。下手すればこの試合がひっくり返されない。限界が近い相手だからと侮るな。お前たちの守備力を見せてやれ!」

「おう!」

 

 ここで紫原が抜けるような事があってはならない。

 多少インサイドの守備が甘くなることは覚悟のうえで、荒木は紫原の負担を減らすことを優先した。

 これならば少なくとも相手の消耗の方が激しいだろう。守りに徹すればそう崩れることはない。相手の勢いに乗らないように、乗らせないようにと選手たちに言い聞かせてタイムアウトの指示を閉めた。

 一方、同時刻の大仁多ベンチでは。

 

「ここが分岐点ですかね。——白瀧さん。山本さん。ポジションチェンジ、行けますか?」

 

 こちらも陽泉と同様に作戦の変更を藤代が示唆していた。

 

「えっ。ちょっと待ってください監督!」

「現状、白瀧さんに司令塔の役を続行させるのは負担が大きい。十分陽泉の意識を引き付けることは出来ました。ならばその役割を山本さんに引き継いでもらいたい。小林さんには引き続き中での高さの維持、パス回しに努めていただきたい」

「しかし!」

 

 エースの消耗が激しいのは大仁多も同じこと。特に白瀧は敵のトリプルチームを受けながらPGを務めていた。このポジションではどうしてもボールに触っている機会が増えている。その分消耗も大きいだろう。

 それを考慮して藤代は二人に変更できるかと問いかけた。だが白瀧は山本がそのポジションには不慣れであろうことを考慮して反発する。自分を配慮しての提案という事も促したのだろう。

 

「白瀧!」

「ッ!?」

 

 退こうとしない白瀧であったが、その時山本が一喝した。珍しい怒声に白瀧も怯み、それ以上先の言葉を続けることはなかった。

 

「わかってんだろ。お前自身が限界をよ。……あとは任せろ。お前達のところまでボールは俺が供給してやる。今まで小林やお前をサポートしていたのは俺だろうが! こういう時くらい任せろ!」

 

 これまでの試合、小林や白瀧など司令塔を務めてきた多くの選手をサポートしていたのは、一番は山本だ。SGとしてPGのサポートを任されていた。その実績と、レベルの高い選手達のサポートをしてきたからこそ身についた自信もある。

 不慣れなポジションであることはわかっている。同時に、今の面々でよりオフェンスに特化する為には己がボールを運び、神崎や白瀧に外からの攻撃を任せた方が効率が良いという事も。

 故に山本は強い口調で逸る後輩を諭した。

 

「……はい。ありがとうございます」

 

 彼の心境を理解したのだろう。白瀧もおとなしく引き下がり、そして役回りを引き受けてくれた先輩に礼を告げた。

 

 

————

 

 

 そしてタイムアウトの時間が過ぎ、第四Qが再開された。

 陽泉ボールから試合が始まると大仁多がゾーンプレスを続行。ボールを奪おうと試みる。

 対する陽泉はこの強襲に一度はボールを奪われかけるも、福井・宮崎・紫原の足の速さに優れた面々のドリブルとパス回しで突破。第一線を突破すると、そのまま先に走っていた岡村・劉へとボールを託し、そのまま手薄となっているゴール下から得点を決めた。

 (大仁多)63対76(陽泉)。タイムアウト後、初の得点は陽泉が獲得する。

 

「問題ない。これでいい。もはや大仁多に、うちのゴール下を止められるだけの戦力はない。うちは守備力が強みのチームだ。大仁多の破壊的なゾーンプレスをどこかで突破できれば——必ず守り勝つ」

 

 試合終盤、敵の激しい守備が続いても荒木は動じない。切り札である守備力は今だ健在。最強の攻撃チームである大仁多を、最小失点で抑えられれば、必ず勝てると。

 

(やはり、一度でも抜かれれば大仁多が不利だ。中で競り勝てるのが光月しかいない以上、途中でボールを奪えなければ即失点となりかねない)

「だが関係ねえ。取られたならそれ以上の点数を取り返す!」

 

 失点がどうしたと、叫んだのはポジション変更となった山本だ。神崎からスローインを受け取ると一人でボールを運びながらコートを駆け上がる。

 

6番(山本)がトップのポジションに?)

「むうっ!」

 

 トップのポジションでボールを伺う山本を見て、岡村は警戒心を強めて前に出た。

 現在の大仁多は山本がトップのポジションに立ち、神崎・白瀧の両名が左右のポジションに位置するワンガードを取っている。二人にはそれぞれマークがついているものの山本のマークは岡村がケアするしかない。

 外からのシュートもある以上、そう距離を離すわけにはいかないと考えて指示よりも前の位置取りで山本の出方を窺った。

 

(白瀧はダブルチームがついている。三人よりはまだマシだが、すぐ攻撃に参加は出来ない)

「なら、俺は俺らしく行かせてもらう!」

 

 陽泉の守備は岡村が白瀧のマークから中央へと移ったのみ。それを確認すると、山本は彼の懐へ飛び込むように鋭く切り込んだ。

 そして対応しようとした岡村へ神崎がスクリーンをかける。これでマークを突破すると紫原が反応する前に光月へとパスをさばく。すかさず紫原が詰めるも、光月は無理に攻めずに中央へとボールを戻すと、これを小林が受けて横へと素早いパスをさばいた。

  誰もいないはずのパスコースに、白瀧が飛び込んでいく。

 

「こ、んの!」

(わかってはいたが、こいついきなりスピード上げやがる!) 

「撃たすか!」

 

 警戒していても、白瀧の瞬発力に対応しきるのは難しかった。

 それでも意地で手を伸ばす福井、さらに中央からヘルプに出た岡村が左右からブロックを試みる。

 すると、その二人の下を潜り抜けるギャロップステップで白瀧は突破。着地すると同時に飛び上がりすかさずシュートを撃っていく。

 

「なっ!?」

「速い。しかも早い!」

 

 紫原が距離を詰める前に放たれたジャンピングシュート。跳ぶ前に撃たれたのでは止めようがない。

 

「こんなところで、負けるわけにはいかねえんだよ」

 

 白瀧のミドルシュートが炸裂する。

 (大仁多)65対76(陽泉)。大仁多もすかさず反撃し、陽泉の逃げ切りを許さない。

 

「……これでいいのです。確実に陽泉を止める術がない以上、陽泉より点を取るしかない。うちは攻撃力を強みとするチームだ。たとえどれだけ失点しようとも、どこかでボールを奪う事が出来れば——必ず攻め勝つ」

 

 紫原の守備範囲が狭まっても脅威であることは変わりない。それでもうちの攻撃力が通じている。最強の守備チームである陽泉から、一点でも多く得点することが出来れば、必ず勝てると。

 

「行くぞ! 全員で奪い取れ!」

 

 それを示すように、再び大仁多はゾーンプレスを続行。最前線に山本が立ちプレッシャーをかけていく。 

 

「失敗しても、リスクは承知で続行か!」

「うざい奴らアル!」

 

 守備とは思えない攻撃的な戦術。突破は難しいが、しかしただ黙ってもいられない。

 陽泉は福井と宮崎のスクリーンプレイで最初のマークをかわし切ると、中央の紫原へとパスをさばく。

 

「まずい!」

(行かせねえ!)

 

 サイドラインの突破は防げても、中央から崩されては結局意味をなさない。

 紫原に白瀧がすぐさまプレッシャーをかけて立ちはだかる。

 

「邪魔だよ、白ちん!」

「紫原!」

 

 火花を散らす両名。

 約1秒。にらみ合いが続くと、突如紫原の巨体が動いた。

 鋭いクロスオーバーで切り返すと白瀧の体を置き去りにする。

 

「ぐっ……!」

 

 真横を一直線に抜き去る紫原。まだ一対一の戦いでは紫原は負けない。

 

「させ、ねえ!」

 

 だが白瀧も負けてはいない。

 横から抜いた紫原に白瀧がバックチップ。後ろから紫原が持つボールを弾いた。

 

「なっ!?」

「獲った!」

「……おおっ!」 

 

 手からこぼれたボールに選手達が集まる中、これを小林が確保する。絶対に渡してなるものかとボールを胸元へ引き寄せた。

 

「おおおおおお!!」

 

 負けている大仁多には一度でも攻撃の機会が増える事は大きい。再びボールが巡ってきた事で大仁多のベンチが歓喜に湧く。

 

「……なんなのよ、あの子」

 

 攻守が激しく入れ替わる試合。

 その試合を観客席で見ていると、実渕が恐ろしいものを見るかのような目で白瀧を凝視していた。葉山は自分たちの方が上であると語っていたが、少なくとも実渕はまるで化け物を目にしたかのような心境で。

 

「まるで消える直前の蝋燭のように、この極限の場面でより凄みを増している!」

 

 すでに疲労も痛みも蓄積しているはず。それでも格上であるキセキの世代に渡り合っている。彼はすでに常軌を逸していると。

 

「最終Q、もはや気力の勝負となる時間帯での真っ向勝負。攻撃と守備、正反対の頂上チームのぶつかり合いだ」

「ここから先は、一つでも取りこぼせば命取りとなりかねねえ。気を緩める時間なんて残ってねえぞ」

 

 ただ、赤司や青峰は驚きはしなかった。

 キセキの世代と呼ばれた経験を持つ者同士の戦いだ。この終盤においては当然の事。そうでなければ勝機は得られない。

 第4Q、最強の守備チームと最強の攻撃チームの真っ向勝負。両極端の二チーム、必ずどちらかがこの試合で消える。果たして軍配はどっちに上がるのか、それだけは二人にもわからない。

 

「皮肉な話ですね。この試合はもう白瀧さんは出したくないと思っていたのに。今紫原さんと最も渡り合っているのは、他でもない白瀧さんだ」

「……“キセキの世代”を擁するチーム同士が戦うと、必ずこのような状況に一度はなるという噂があります。白瀧も一度は“キセキ”の看板を背負った選手。こうなるのはもはや宿命なのかもしれません」

「バスケの神様も本当に酷いことをする。この展開は、あまりにも……」

 

 一方で、試合に出させたのは自分であるとはいえ、藤代はこの戦いの巡り会わせを嫌悪した。選手に無理を強いるこの試合は指揮官には辛いものであった。中澤は『宿命』であると例えたが、その二文字で片付けるには、あまりにも非情すぎる。

 

「正直、あの場にいる四人がうらやましい。俺もあそこで一緒に戦いたい……」

「監督に言ってもいいと思うぜ。お前のことは色々聞いているんだからさ」

「今俺がそんなことしたら、俺はどうやって他の方々に謝罪すればいいんですか?」

 

 辛いのは藤代だけではない。思わず西村は胸中の苦悩を吐き出した。

 つぶやきを聞いた本田が提案するも、西村はすぐに彼の案を拒絶する。

 西村は知っている。今何もしないこと、それが大仁多にとって最善であるということを。知っているからこそこの現状が、何もできない自分の無力さが、嫌に感じてしまうのだ。

 

「俺は一体、何のために大仁多に入ったんだ……!」

 

 今のような状況の際に白瀧を助けられるようにとそう望んでいたのに。結局、ベンチから声を張ることしかできない。あの時と何も変わってなどいなかった。

 多くの人間のあらゆる感情が渦巻く中、それでも試合は進んでいく。

 そして、試合の命運を分けるであろう出来事がついに起こった。

 

 

 

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 残り時間7分に迫ろうとしたところで藤代がタイムアウト。これは何も作戦の変更を行うためのものではなかった。白瀧の負担を考慮し、少しでも疲れを無くそうと判断してのタイムアウトである。

 故に作戦は引き続き陽泉、大仁多ともに大きな動きはなく試合は再開された。

 ただ、その試合再開から一分もたたないうちに、それは起こった。

 

『ディフェンス、プッシング! 白九番! フリースロー、ツーショット!』 

 

 ゾーンプレスでボールを奪う事が叶わず、ハーフコートディフェンスに移行した大仁多。しかし神崎と白瀧が戻れず、アウトナンバーとなり中央から崩されてしまう。

 なんとか防ごうと光月が劉のシュートをブロックしたものの、これがファウルを取られてしまう。

 これが彼にとって4つ目のファウルだった。

 

「4ファウル!」

「マズい!」

「ここで唯一ゴール下に対抗できる光月が4つ目かよ!」

 

 大仁多のベンチ、観客席に動揺が広がった。

 一試合の間に選手が許されるファウルは4つまで。5つ目を宣告されれば退場となる。これで光月はファウルをもはや一つも許されない状況に陥った。派手に動くことは難しいだろう。

 当然のことながら、光月をはじめ選手たちに暗い空気が広がる。作戦の見直しもしなければならない。

 そんな流れを断つべく、藤代がタイムアウトを取った。

 

「皆さん。——作戦は続行です。このまま攻め続けますよ」

 

 ただ、藤代はここで選手の交代も作戦の変更も指示しなかった。

 光月を下げる事で士気が下がる事、攻め気を失う事を嫌っての判断だ。彼に出来るだけ接触を控えるように指示を出し、あとは気にせずプレイするようにと軽く声をかけただけで。

 

「大丈夫だ、光月」

「キャプテン……」

「お前が長い時間チームを支えてくれたんだ。これくらいで揺らいだりしねえよ。安心しろ。まだ俺たちは負けていない」

 

 この五人で逆転まで行ける。最初からそう考えていたのだから。4ファウルもあり得ると考えていた。

 それでも信頼は揺るがない。小林が光月の背中を押すように語りかけた姿を見て、それは確信となる。

 

「行くぞ、陽泉!」

 

フリースローの二点を取られた直後の大仁多の反撃。

今度は外からパスとドリブルで切り崩すと、ボールは中央の小林へ。

岡村の接触を受けながらも体の軸はぶれずにシュートを放つ。

 

「ファウル! ディフェンス、プッシング。黒4番! バスケットカウントワンスロー!」 

 

 体幹に優れた選手であるからこそできたプレイ。小林がフリースローも決めて大仁多は三点を返す。  

 

「うちのオフェンスは、要や明だけじゃねえ!」

 

 さらに大仁多の猛攻は止まらない。外からの攻撃に長けたこの男、神崎がいる。

 外でボールを受けた神崎はワンドリブルで切り返すと、ボールを掴み直してシュートを放った。

 スリーポイントラインよりも外の位置。しかも切り込みも意識して少し深く守っていた宮崎のブロックは届かない。

 神崎のスリーポイントシュートがゴールネットを揺らす。 

 

「決まった!」

「相変わらずだな。あいつは」

「やはり先ほど神崎が中から得点したのが大きい。紫原の守備範囲も狭まったから敵の選手はどうしても中を意識してしまう」

「……前からあったスリー。そして山本から教わったドリブルに古谷のステップバックシュートが加わった。小林や白瀧がミドルで得点を決めてるし、神崎のシュートは止まらないだろう」

 

 西條や楠達は、ライバルであった選手達の猛攻ぶりに息を飲んだ。以前でさえ厄介だったが今はそれ以上の脅威を示している。

 神崎を見ても、もはや外からのシュートだけではない。切り込んで相手をかわす技術もある。加えて他の選手たちも暴れているとなれば、防ぐことは困難だ。

 第4Q、大仁多はあらゆるオフェンスを展開し、陽泉の背中に迫っていく。

 

「いずれにせよこれで」

「6点差。ついに大仁多が射程範囲に捉えた」

 

 この神崎のスリーにより得点は(大仁多)74対80(陽泉)。6点差、スリー二本で同点となる点差となった。

 もう少しで同点、うまくいけば逆転も狙える。

 大丈夫。行けると。多くの人の期待が高まる中で。

 

「ハァ、ハァッ……」

 

 白瀧が限界を迎えていた。

 すでに息は絶え絶えで、顔を上げているという事さえままならない。

 それでも攻め続けようとゾーンプレスに参加する。

 

「……くっ、そっ……が!」

 

 だが、体が思うように動かない。

 福井と宮崎が連携で白瀧の横を突破する。

 手を伸ばしてもパスを弾けない。このままでは失点は免れない。アウトナンバーを防ぐため、ディフェンスに戻ろうと切り替えた。

 

「ッ!」

「白瀧!?」

 

 されどその思いは敵わない。

 コートの中央で足が止まってしまった。白瀧は膝をついてその場から動けない。山本が声をかけるが、それに返す事も出来なかった。

 

「マズい!」

「完全に限界だ」

「無理もない。一番負担が大きいゾーンプレスを続行していたんだ。白瀧と紫原、どちらが先に限界を迎えるかなど、火を見るよりも明らかだ」

 

 誰もがもう白瀧は動けないだろうと考えた。

 そしてこうなってしまえば、陽泉のカウンターを止めることは大仁多には不可能であった。

 数的不利な上に、光月が積極的なプレイが出来ない。

 外から切り崩されるとフィニッシュは紫原。レイアップシュートを軽く決めて得点する。

 (大仁多)74対82(陽泉)。点差は8点。ゾーンプレスを突破した陽泉の攻撃が決まった。

 

「よしっ!」

(決まった。これで大仁多は選手交代か、少なくともタイムアウトを……)

 

 この得点が決定打になったと、荒木は口角を挙げた。

 敵の主力をついに追い詰めた。さすがにこれで藤代も動くしかない。

 そう思って反対側のベンチを窺った。

 しかし藤代は立ち上がらない。その為に試合も止まらない。

 

「……なにっ」

 

 何故だ。ここで試合を止めない理由がわからない。タイムアウトを取っておきたいならば、せめて選手交代をするはずだ。

 荒木がその理由を考えていると、山本が小林にスローインしてボールが再開された。ボールを受けた小林は、その場で右半身を後ろに引き、大きく振りかぶる。ロングパスの姿勢を取った。

 

「え?」

「はっ?」

(何をしている小林!? まだ誰も上がっていない。白瀧だって……)

 

 陽泉の選手達が皆驚愕し、目を見開いた。

 速攻を仕掛けようとする動きだが、まだ小林以外の三人もすぐ近くにいる。最後の一人、速攻の得意な白瀧もまだ膝に手を付いて動けないでいるのに。

 

「ッ!?」

(膝に手を付いて。——重心がすでに走りだせる状態に!?)

「まさか」

 

 まさかまだ走れるのか。突如脳裏に嫌な予感が浮かぶ。すぐに劉がパスを防ごうと手を伸ばしたが、小林の出だしの方が早かった。

 

「キセキの世代を倒すんだろ白瀧! だったら、自分の限界なんかに負けるな!」

 

 そして二人専用のパスであるタッチダウンパスが放たれた。

 

「——ええ。わかって、います!」

 

 矢のような鋭い送球に白瀧も負けじと走り出す。

 主将の檄を受けたエースが奮起した。フリースローラインでボールを受け取ると、紫原達が戻り切るより先にレイアップシュートを沈めた。

(大仁多)76対82(陽泉)。再び点差は六点。そう簡単に譲らない。

 

「嘘だろ。完全に足止まってただろ」

「信じられないアル」

「白ちん……」

「……舐めんなよ。10秒近く休んだんだ。十分すぎる休息だ」

 

 驚き、呆れた表情を浮かべる福井達。

 ふと紫原に名前を呼ばれると、白瀧は不敵に笑った。まだ自分は動ける。そう言っているようだった。

 限界のはずだが、先ほどの速攻を見て本当に動けるのではないかと疑惑は広がる。

 その悩んでいる最中にゾーンプレスがまた襲い掛かり、陽泉の選手たちの動揺は大きなものとなった。

 

「くそっ!」

(まずい、このままだと……!)

「怯むな!」

「ッ!?」

 

 スローインもままならない中、荒木のコートを引き裂くような声が響き渡る。ベンチから立ち上がった彼女は選手達を落ち着かせようと強い語気で活を続けた。

 

「言ったはずだ! 挙動に惑わされるなと! すでに敵は限界だ! トドメを刺せ!」

 

 まさに選手達の迷いを振り払うような言葉だった。

 敵の言動を真に受けて惑わされてはならない。白瀧が動けないのは間違いがないのだ。

 今こそ大仁多の反撃に終止符を打つ時だと、荒木はあえて白瀧の所から突破するように指示を飛ばした。

 

「……ちくしょう」

 

 敵の指揮官の言葉を耳にした白瀧は、悔しそうに表情をゆがめた。

 その通りだ。限界などもう超えている。それでも何とか敵と渡り合おうと必死にふるまっているというのに、見切られてしまった。

 

(やはり、紫原は最悪の相手だったか)

 

 紫原が最悪の相性の存在であることは当然だが、白瀧にとっては陽泉というチームそのものが天敵であった。

 相手がどんな手を打とうとも動じない、大木のようなチームが陽泉だ。力が届かないならば策を弄して立ち回ろうとする白瀧にとってこれ以上ない程の最悪の組み合わせだ。

 こうなってしまえば白瀧に出来る事は多くなかった。

 宮崎からパスを受けた福井が迫ると、彼の縦に変化するドリブル・ロッカーモーションに揺さぶられてしまった。動きについていこうとして足がもつれ、その場で崩れ落ちる。

 

「ァ――」

「要!」

(駄目だ。もう、走るのもやっとで……)

「——ッ!」

「監督?」

 

 神崎が倒れた白瀧に呼びかける。だがそれ以上の事は出来ずに彼もディフェンスに戻っていった。

 そんな選手の動きを見て、藤代がベンチから立ち上がった。

 

「タイムアウトを取ります」

「ですが、もう次で後半最後の」

「わかっています!」

 

 後半三つ目のタイムアウト。勝負時に取っておくべきではないかと東雲が意見するが、今はそうも言っていられなかった。藤代は真っすぐタイムアウトの申請に向かった。

 本当の事ならば、時計を止めるにしても次のプレイで大仁多がボールを奪ってラインの外に出す。あるいは攻撃に成功した後にと思っていた。そうすることでより白瀧の印象を陽泉に見せることが出来ると。

 だが、その前に荒木が陽泉の選手達の落ち着きを取り戻した。こうなってしまえばもう善後策に移るしかない。苦渋の決断だった。

 

(……畜生)

 

 コートに倒れこんだ白瀧が、ゆっくりと顔を上げた。

 味方のベンチでも監督が申請を行おうと振る舞う姿が見える。他の選手達もその監督の姿や、先に走っていく仲間の姿を不安げに見守っている。

 自分のせいでこんな事になってしまった。

 悔しい。申し訳ない。様々な負の感情が浮かんでくる。

 

「————」

 

 そんな中、ただ一人だけ。このような状況下になってもただ一直線に自分を見つめる存在と、目が合った気がした。

 

《ちゃんと、見てるから。だから——勝って》

 

 彼女、橙乃と交わした約束が脳裏によみがえる。

 何故かまた少しだけ力が湧き出てくるような錯覚を覚えた。

 

 

 

 

 

「死守しろ! 何としても守り抜け!」

 

 ここで失点してはならないと小林が気を吐いた。

 チームメイトに指示を飛ばし、自身も突破を防ごうと腕を上げ続けた。

 4対5。数で有利な陽泉は確実に点を取ろうとゆっくりとパスを回していた。

 シュートを撃たれる前に獲りたい大仁多だが、どうしても隙が出来てしまう。

 せめてボールを弾いてラインの外に出す。劉からボールを受けた福井がドリブルで切り込もうとした瞬間を狙って手を伸ばした小林。

 だが、読んでいたのか福井は小林をかわすように、体の後ろ側から横へとパスをさばいた。

 

「なっ!?」

「うっ!」

(ヤバッ!)

 

 すると、宮崎を警戒していた神崎も岡村のスクリーンに掴まってしまう。

 フリーになった彼はトップの位置に走ると、福井のパスをスリーポイントラインの外で受け取った。

 

「しまった!」

(宮崎。ここでスリー!)

「……八点差と九点差では、大きく意味が違う」

「ああ。スリー三本でようやく逆転できる点差と、それでも同点にしかならない点差。ここで陽泉は本当にトドメとするつもりだ」

「止めろおぉぉぉぉ!!」

 

 ここで加わる三点の重みは大きい。

 ようやくここまで追い上げたのに、再び三点離されれば勝利は大きく遠ざかるだろう。

 故に『誰でもいいから止めてくれ』と応援席の悲痛な声が響いた。

 しかし、止められる位置に選手がいない。光月はゴール下、山本は中央にいて、神崎と小林も間に合わない。

 そんな時に。

 

「お、おお!」

 

 白瀧の叫びが響いた。

 

(勝つんだよ、今度こそ!)

「うわああああああああ!!!!」

(もう嫌なんだよ! 仲間が傷つき苦しんでいる姿を、見ていることしかできないのは!)

 

 あの時とは違う。まだ動ける。まだ戦える。もうあんな思いはしたくない。誰にもさせたくない。

 そんな想いが、白瀧の体を強引に突き動かした。

 倒れた場所から全速力で走りだした白瀧。宮崎のスリーが放たれた瞬間、彼の後方からそのシュートを叩き落とした。

 

「なっ!」

「……馬鹿な」

「白瀧!」

「ッ! マジかよおい!」

 

 本当に間一髪の出来事だった。あと一歩でも遅れていれば間違いなく決められたであろう。

 ありえないと思われた攻防に多くの者が目を疑った。

 その間に、コートに落ちてきたボールを山本が確保。陽泉の追撃を振り切った。

 

「裏切って、たまるか」

 

 白瀧はボロボロの状態になりながらも胸中の思いを声にして、その覚悟をさらに強くする。

 

「これ以上、俺を信じる人を裏切ってたまるか!」

 

 裏切り。白瀧は今まで期待に応えられなかった自分の行いをそう例えた。戦いたいときに戦えず、救うべきものを救えなかった。そんな己の裏切りを、他ならぬ彼が許さなかった。

 絶対に負けない。彼が絶望に耐えてきたのはここで立ち止まる為でも、負けを受け入れる為でもない。そんな現実に屈する為ではないのだから。

 

(まさに『百折不撓』か。やはり、大仁多のエースはあなたですよ)

「監督。どうしますか、タイムアウトの申請を今なら変更もできますが」

「いいえ。少しでも休ませられるなら、やはり休ませましょう」

「……そうですね」

 

 誰にも負けない精神で志を貫く姿は、まさに大仁多のスローガンである『百折不撓』を体現しているようだった。

 藤代は目を細め、エースの姿をじっくりと見つめる。東雲が申請の変更も可能であると助言するが、今は少しでも休養が必要だ。だからその必要はないと彼女の提案を断った。

 これでタイムアウトをいつでもとれる状態での大仁多の攻撃が始まる。この一連の攻防の結果は大きかった。

 今回も山本がボールを運んでオフェンスを組み立てる。

外の神崎、中央の小林がフェイクを織り交ぜて敵の意識を集中させた。そして一度トップの山本へとボールを戻すと……

 

(くれっ!)

「よしっ。いけっ!」

 

 山本の後方から白瀧が接近し、彼と入れ替わる形でボールを直接受け取った。これで山本がスクリーン代わりとなり、マークを外す。

 直後、白瀧は中に切り込むと敵が接近する前にティアドロップへと移行する。

 

「よし!」

「このっ。小癪な!」

 

 リングの遠い位置から放たれるレイアップシュート。これは守備範囲が限定されている今の紫原では止められない。

 ならばと岡村が無理やり体を寄せて、白瀧に向かって跳躍した。

 

「ぐっ!」

 

 巨体が白瀧に衝突する。その衝撃は大きく、白瀧は姿勢を保つことが出来ない。シュートは中断されボールが彼の手から落ちた。

 

「——ァッ」

 

 白瀧は少し遅れて、背中からコートに叩きつけられた。短い悲鳴が空気と共に口からこぼれた。これを見た審判の笛がすぐに鳴る。

 

「ディフェンス、黒4番!  フリースロー、ツーショット!」

「大仁多高校タイムアウトです!」

 

 岡村のこのQ二つ目のファウルが宣告された。そしてすぐに藤代の要請によるタイムアウトが成立する。

 陽泉にとって反則を取られたとはいえ、確実な失点を防ぐことが出来た。賢明な判断と言えるだろう。

 

「止められたか。まあこれでフリースローを二本獲得ならいけんだろ」

「……いや」

「えっ? なんで?」

 

 大仁多にとっても小休憩をはさみたかった。その中でのフリースロー獲得してのタイムアウトならばよい展開だろう。

 そう根武谷は楽観視していたが、赤司は同じようには考えられず彼の意見を否定する。

 根武谷と同じ意見であった葉山は何故だと赤司に問いかけるが……

 

「最悪の展開だ」

「どういう意味や、青峰?」

「おそらくだが、ファウルの衝撃で……」

 

 赤司と同じく嫌な予感がよぎった青峰は、今吉の疑問に重々しく答える。

 

「要のフローが切れた」

「それも突発的にな」

 

 二人は同じ結論に至っていた。岡村のブロックの衝撃により、白瀧の没頭状態が途切れてしまったと。

 

「おそらく切れ方としては最悪だ。ただでさえ痛みや疲労を没頭する事で抑えていたというのに」

「それがなくなったとすれば、今度こそ耐えられねえ。もう一度フローに入ろうにも、抑えていたものが邪魔をする。他の何かで抑え込もうとしても、無理だろうよ」

 

 思いがけない、外からの衝撃。没頭状態を掻き消すには十分すぎるものだった。加えてもう一度フローに入ろうにも、反動が大きすぎる。最悪の解け方だ。 

 

(……嘘だろ。ヤベえ。こんな時に。)

「おい、要?」

(フローが、切れた。来る。押し上げてくる。痛みが……)

 

 倒れたまま動けない白瀧。神崎達が駆け寄り、声をかけるが返事をする余裕もない。

 赤司や青峰の考えが的中していた。

 白瀧のフローは切れていた。途端に今まで感じないでいた苦痛が次々と込みあがる。

 

(ふざけるな。まだ、6点差で。俺は勝ってない。なのに、こんな所で)

 

 強引な快進撃の反動が、体を縛り付ける重圧となり白瀧に襲い掛かった。

 だが今はまだあの日交わした約束の途中。まだ倒れることはできない。

 お願いだからまだ戦わせてくれと祈るが、雑念(痛み)を振り払うことが出来ない。

 

(終わり、なのか……)

 

 立ち上がる事さえままならなかった。

 完全に集中力が切れた。白瀧の胸中に敗北が過ぎる。

 

「————何をやっている白瀧!!」

 

 そんな重苦しい空気を引き裂くような、甲高い咆哮が木霊した。

 

「あっ?」

「……来ていたのか」

「まさか」

「あいつ! やっぱり来てたのかよ!」

 

 突然観客席から響いた叫びに、多くの者がその発生源へと首を向ける。

 帝光の出身者は見慣れた姿を見てそれぞれ驚き、納得し、試合開始前に彼の姿をチラッと見ていた火神は苦手意識をもって彼をにらみつけた。

 そして呼ばれた本人である白瀧も、何とか体を起こして声の主を見る。

 

「……緑、間?」

 

 そこにいたのは友であり、かつての仲間であった緑間慎太郎。

 緑間は高尾や大坪など秀徳の面々と共にこの試合を観戦に来ていたのだ。緑間は席から立ち上がり、白瀧を一心に見て彼への活を続ける。

 

「これで終わりと言うつもりか? ふざけるな! 俺の代わりに戦うと語ったのを忘れたか! 俺はこんな事で倒れる男ではない!」

 

 ここで終わるなど許さない。

 敗戦後、緑間と誓ったのは他ならぬ白瀧なのだから。

 だからこそこんなところで終わりを受け入れるなと。

 

「誰かに倒されて終わるな! 勝って終われ! その為にお前は戦ってきたのだろう、白瀧!」

 

 力尽きるなら勝って終われと。お前のやってきた意味を思い出せと。

 緑間は弱音を許さない、強い口調で白瀧へ発破をかけ続けた。

 

「……まったく。あいつは、いつも厳しいな。少しくらい、優しくしてくれたっていいだろうに」

 

 緑間の声掛けは昔から変わらないものだった。

 そういえば最初からそうだったと白瀧は昔を思い返した。スリーを決めてもタッチが甘いなどと注文を付けて、少しでも気を緩めれば叱るような厳しい存在だった。

 

「でも今はありがとうな。緑間」

 

 だからこそそんな彼をいつも頼もしく思っていた。

 

「そうだ。あの紫原だってまだ戦ってるんだ。もう少し、足掻いてみるよ」

 

 気持ちが楽になった。ゆっくりと、しっかりと白瀧は立ち上がった。

 そうだ。まだ役割を果たしていない。紫原より先に倒れてなどいられない。

 残り時間4分30秒。理想()を思い返し、もう一度白瀧は力を振り絞る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――黒子のバスケ NG集――

 

 突然観客席から響いた叫びに、多くの者がその発生源へと首を向ける。

 帝光の出身者は見慣れた姿を見てそれぞれ驚き、納得し、試合開始前に彼の姿をチラッと見ていた火神は苦手意識をもって彼をにらみつけた。

 そして呼ばれた本人である白瀧も、何とか体を起こして声の主を見る。

 

「……緑、間?」

(声は聞こえるけど、何処!?)

 

 大勢の観客+極限に疲労している中で緑間を見つける難易度:EXPERT




約束を胸に秘めて希望を背負っていく。これが彼の本質なんだろうな。

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