この度、ギーノさん(ID:252734)から九十六話後半部の改稿・リメイクをしていただき、作品が素晴らしい出来上がりとなっていた為、許可をいただき更新しました。
当初の話よりも完成度が上がっていると感じています。一度読んだ方も、ぜひ読み直してください!
「珍しいな。緑間、お前があのように大きな声で叫ぶとは思わなかったぞ」
観客席では突如声を張り上げた緑間に大坪が茶化すように話しかけていた。
「見るに堪えなかっただけです」
「なんだ? 言った後になって恥ずかしくなっちゃったか?」
「黙るのだよ高尾。——ふん。もう同じ事はしない。おそらくは、今度こそ最後になるのだから」
先輩や同級生のたわいのない言葉を適当に流し、緑間はじっとコートを見る。
タイムアウトから一分、両校とも大きな指示は出ずに休息にあてた時間が過ぎて選手たちが戻ってきた。
その中でも負担が大きい白瀧へと視線を向ける。おそらくは次に倒れるような事があれば今度こそ終わってしまう。そう緑間は予感していた。
現に白瀧の足取りは非常に重く、審判のもとへと向かう途中で足を引っかけて転倒してしまいそうになった。
「大丈夫か要!?」
寸前、白瀧は光月の肩を借りる事で転倒はさけた。
「……明。少しそのまま耳を貸してくれ」
「え?」
白瀧は顔をうつむけたまま、小声で光月に話を続ける。
少しだけ彼と話すと彼の肩から手を下ろして審判のもとへと向かう。
「ツーショット!」
審判から白瀧へとボールが渡った。タイムアウト後の再開は白瀧のフリースローから。
「大仁多にとっては二本とも決めたい。決めないときついところだ」
「現状6点差。二本とも決められればシュート二本分だが、一本外せばスリー一本を決める必要が出てくる。この差は大きい」
「疲労がたまっている中で集中力も限界だろう。だが、ここが正念場だぞ」
多くの者の意識が白瀧へと集まる。フリースローの得点は一点とはいえそれが二本行われるのだ。この成否は大きく影響するだろう。
点差の問題だけではない。リバウンドに備えてセットしている面々を見れば、二本目を外してしまえば間違いなく陽泉にボールが渡る危険性が高い。下手すれば速攻を受けるかもしれない。
だから二本とも決める事が求められる。
『決まれ』、『外せ』と皆が念を送るように祈りながら白瀧のシュートを見届ける。
その一本目は、きれいにリングの中央を射貫いた。
「よしっ!」
「まず一本!」
(大仁多)77対82(陽泉)。最初の一投が決まり、これで5点差に。
決めた白瀧は審判からもう一度ボールを受け取るといつものようにボールを付いて自分のリズムを作った。
そしてボールを両腕に構え、最後の一投が放たれた。
同時に岡村、劉、紫原が。光月、小林が飛び出してリバウンドに備える。
外れても絶対に取ってやるとポジションを競り合う5人。
激しい地上戦が行われる中——ボールがリングに弾かれる。
「なっ!?」
「白瀧がフリースローを外した!?」
「マズイ! リバウンド! 取れ!」
決まる可能性が高いと思っていた中、大仁多にとっては最悪の事態となった。
周囲から悲鳴のような叫びが木霊する。
攻防の行方はゴール下の選手達にゆだねられた。
リングに衝突し、大きく外にはねたボール。それを手にしたのは、岡村だ。両腕でガッシリとボールを掴みとっていた。
「ああっ!」
「ナイス岡村!」
大仁多から失意の声が、陽泉から歓喜の声が上がる。
攻守の交代。誰もがそう考えて意識を切り替えた。その瞬間、すぐ横から伸びた光月の右腕が、岡村の腕からボールを強引に奪い取る。
「なんじゃと!?」
「なっ!」
「光月!」
起死回生の一発となるリバウンド。岡村からボールを奪った光月は懐に両腕をボールを呼び込んで着地する。そのままリングへと視線を戻すと両腕を挙げて膝を伸ばした。
「このっ!」
「させないアル!」
「潰す!」
だがすぐに陽泉ディフェンスが光月に迫った。
近くにいた岡村と劉だけではなく、反対側にいたはずの紫原までもが距離を詰めるとブロックに跳ぶ。
完全にシュートコースを防がれた光月。
すると、光月は視線をそのままリングへと向けたまま、紫原の足元に落とすようにボールを弾ませた。
「えっ?」
「馬鹿な! パスだと!? 大仁多の選手達は全員カバーしているというのに、誰に!?」
バウンドパスだが、誰に対してやったものなのか、陽泉の選手達はすぐに理解できなかった。
逆サイドの外へと向けられたパスだが、神崎は光月と同じ側にいて、山本は中央で宮崎がカバーしている。小林もリバウンドを行おうとしていたためすぐ近くにいた。
だから誰もこのパスを受けられないはず。
パスミスかと疑われたそのパスを受け取ったのは、フリースローを放った白瀧だった。
「し、白瀧!?」
(まさか光月がリバウンドを取ると信じて走っていたのか!? フリースローを放った直後、自分から注意が外れた事を理解して!)
疲労している。フリースローを放った直後である。意識が逸れる要因が多くある状況を利用した動きだった。
再び陽泉の意表を突いた光月と白瀧のプレイ。白瀧はスリーポイントラインの外で光月のパスを受け取った。
「決めろぉ!」
「止めろっ!」
再び両軍の叫びが響く。
だがオフェンスリバウンドの獲得により、光月に全員の意識が注目していたのだ。いまさら白瀧に追いつける者はいなかった。
「——見たか、緑間。」
白瀧のスリーが炸裂する。(大仁多)80対82(陽泉)。
ついに、大仁多が陽泉の背中を目前に捉えた。
「嘘だろ。2点どころか、一気に4点詰めやがった。」
「なんて強欲なのよ! 味方がリバウンドを取れる確信なんてなかった。下手すれば速攻で二点を失っていたかもしれないというのに!」
光月がリバウンドを取ると信じていなければ成立しなかったであろう一連の流れだ。
とても共感できないと根武谷も実渕も驚愕を露にした。
「……信じるものを失い絶望に陥った時。やつが何を信じようと考えたかわかるか?」
そんな彼らに諭すように口を開いたのは赤司だ。
「あいつは、『信じる』という行為そのものだけを信じると、決めたんだ」
信じたいものに裏切られ、失意に沈んだ白瀧。そんな彼が、それでも理想を貫けた理由は、その信じるという概念その物を信じるという妄信とも捉えられる考え故だと。
「よしっ! ナイッシュ! これで二点差だ!」
得点を見届けた光月は笑みを浮かべ、すぐに白瀧のもとへと向かった。
「————」
しかし数歩手前で彼の足は止まる。
肩で息をし、うつろな表情を浮かべる白瀧。
一喜一憂する体力さえ残されていない。タイムアウトの一分は焼け石に水だった。今すぐにでも倒れてしまいそうな友の姿を見て、光月は掛けようとした声を飲み込んだ。
「要……」
(もう立っているのもやっとの状態で、君はまだ……)
「無理だと、思うか?」
「え?」
光月が呆然と立ち尽くすと、白瀧が彼に問いかける。
「限界だと、思うか? 俺はもう、戦えないと。お前はそういうのか明!」
「……そんなことはない。大仁多のエースは、まだ健在だ!」
「ああそうだ。その通りだとも! 休んでいる暇なんてない。必ず追いつき、逆転するぞ!」
友を、己を焚きつけるように白瀧は言う。
無理ではない。限界ではない。まだ戦える。
たった二点差だ。監督の逆転するという指示もまだ達成できていない。それなのに休んではいられないと自分に鞭を打つ。
必死の覚悟で白瀧はゾーンプレスに参加した。
「……これが最後だ。俺はもう、お前を倒すまで解除しない」
紫原をマークしながら、白瀧は彼に向って話し始めた。
白瀧は馬鹿ではない。光月にあのように発言しても、自分の状態をきちんと理解している。おそらく次に倒れるような事があれば今度こそ自分は終わる。この試合で戦う事は出来なくなるだろう。
そしてその次は数秒先に訪れるのか。あと何回戦えるのかわからない。だから、白瀧はそれまでは全力を尽くして戦う事を誓った。
「……立ってるのも辛いんでしょ? 見ればわかるよ。それでもやるっていうの?」
「やるさ。まだ戦う事が出来るなら、1%でも可能性が残っているというのならば、俺は最後まで勝利を追い求めるさ。だから!」
(俺は守る。俺が戦う。今度こそ……! フロー、強制解放!)
「そう。ただ、俺も負けるのは嫌なんだよね」
(……初めてだよ。こんなにしぶとい敵は。さすがにここまでくると、呆れるどころか尊敬さえ覚えてくる)
「だから勝つ! 捻り潰してやる!」
白瀧は三度没頭状態に突入する。
その彼のあり様を見た紫原は、初めて敵に尊敬の念を抱き、負けられないと集中力を高めた。大きく息を吸い込み、力を篭める。紫原もこれまでの試合の中でも一番精神的に最高の状態になっていた。
二人のエースが放つ気迫にあてられたのか、両校の攻防は激化する。
第4Qが始まって以来、最も点差が縮まった大事な局面での攻防で。
大仁多は6秒間、陽泉オフェンスをバックコートの中に押しとどめた。
(くそっ! マズイ!)
もうすぐ8秒ルールに接触してしまう。ボールを保持したチームは8秒が経過する前にボールをフロントコートに運ばなければならないというのに、前線から激しいプレッシャーをかける大仁多を陽泉は突破できない。福井はボールを保持するのもやっとの状態だった。
「よこせ!」
すると紫原が横から駆け込みながら声をかける。
残り時間を考えても彼に託すのが最も可能性が高いと判断すると、福井は彼にボールを預けた。
ドリブル突破を図る紫原。そんな彼に、白瀧が迫る。
「行かせない!」
「勝つ! トドメを刺してやる!」
これを止めれば間違いなく流れは大仁多だ。
緊迫した二人の戦い。その決着は、一瞬だった。
紫原のこれまでで一番キレのいい切り返し。その速さはフローに入った白瀧に勝るとも劣らない動きで。
白瀧の反応が一瞬遅れをとってしまった。
「うっ!?」
(馬鹿な! いくらなんでも速すぎる!)
「行け、紫原!」
この勝負所で見せた紫原の最高のドライブ。時間ギリギリの所でフロントコートに突入すると、さらに小林、光月二人のマークも一人で突破した。
(嘘だろっ。ここにきてまだ速くなるなんてあり得るのか!?)
(やはり化け物か! ドリブルをしているというのに、紫原の速さに体が追いつけない!)
「させねえ!」
最後、紫原が三人を突破する間に戻ってきた山本が立ちはだかる。
「邪魔だよ。白ちん以外の奴に、止められるものか!」
「ッ!」
ただ紫原は彼を歯牙にもかけなかった。ドリブルで目の前に迫ると、一回の切り返しで彼の真横を突破する。
「白瀧! 今だ、取れ!」
「ッ!?」
通り過ぎようとした瞬間、山本の白瀧への呼びかけが紫原の耳にも届いた。
紫原はすぐにドリブルを中断。ボールを胸元に寄せてスティールを警戒する。自分とて先ほどもボールを後ろから取られたのだ。周囲を見渡して白瀧の位置を確認する。
「……へっ?」
「え?」
しかし、白瀧は近くにいなかった。確かに紫原を追いかけてはいたものの、スティールするにはあまりにも遠い位置で紫原を追いかけている。
呼ばれた白瀧が、紫原も呆然としていると。
山本が紫原の両腕からボールを叩き落とした。
「なっ!?」
「悪いな。もらうぜ」
「……止めた! 獲った!」
奪ったボールを山本が自分で手にする。これで大仁多は連続で攻撃権を確保。まだ攻める時間は終わらない。
「白瀧の執念を活かしたか。うまいな、山本」
「先も突然後方からのスティールやブロックを実際に見せていた白瀧だ。陽泉にとってはいつ現れるかわからない、もっとも警戒しなければならない相手となってる」
「だからこそ、その場にいなくてもそう見せるだけで意味があるってことか!」
観客席ではわかりにくかった攻防であったが、勇作達は今の数秒の出来事をしっかり理解していた。
これまでのエースの働きがあったからこそ、陽泉に出来た警戒心。それを利用して一瞬の隙を作りだした。単純ではあるものの誰もがとっさに出来るような事ではない。山本のファインプレーだった。
「今だ! 攻めるぞ!」
「行けっ!」
そしてその山本の働きを活かさない手はない。
すぐに大仁多はカウンターに移行する。山本から小林にボールが渡ると、劉がマークにつくまえに白瀧へパス。すると今度は岡村が迫るが、これを光月のスクリーンでかわした。
「ヤバい!」
「誰か止めろ!」
陽泉ベンチが必死に叫び声を上げた。
同点どころか逆転まであり得る大仁多の反撃だ。何としても止めなければならない。
ただボールを運んでいるのが白瀧となれば、誰にでも止められるわけではない。
止められるとするならばただ一人。その唯一の男である紫原が、ベンチの前を横切って一気に自陣へと戻り白瀧の速攻に備えた。
(馬鹿な! もう戻っただと!?)
先ほどまで誰よりも敵のゴールへと攻めていた紫原の早すぎる戻り。突然の脅威の出現に、今度は大仁多が驚かされる番だった。
(まさか、こいつ!)
そしてこの時、対峙する白瀧。さらに青峰と赤司、緑間は紫原の異変に気付いた。
(紫原も俺と同じ……!)
紫原も白瀧と同じ没頭状態、あるいはそのさらに上である集中状態に入りかけている。
集中力が徐々に高まり、まもなく最高潮に高まるであろう直前の状態だ。おそらくこの攻撃が止められるような事になれば間違いなく紫原は戦意がさらに高まり、突入するだろう。
(どうする? 考えろ!)
容易に攻めては間違いなく止められる。白瀧は頭の中の思考回路を全て回し、考えを巡らせた。0.1秒さえ惜しい、刹那の戦いだ。
(このまま攻める? 右、に切り返すとみせて左。あるいはダブルクロスオーバー、はたまたギャロップステップやジノビリステップで……)
一番可能性が高いオフェンスを考える。
紫原のマークを突破できるであろうドリブル、自分の手札を全て考えて。
(——止められる)
それらすべてが、成功する確率が0%であると理解した。今の紫原はあらゆる攻撃を完全に無効化する。切り札でさえ意味をなさないだろう。
(ならパスか? だが前には勇しかいない。宮崎の注意もそれていない中では攻撃は失敗する)
味方の助けも今は期待できない。いくら神崎のドリブル能力が上がったとはいえ、限界まで力が高まっている紫原から攻撃を決める事は不可能だろう。スクリーンプレイとて今の紫原には通用しないはずだ。
(二次速攻に移行するか? 俺の方が限界が近いというのに? しかもその間に紫原の調子は最高潮に達するだろう)
小林達が上がってくるのを待つという手も、現在の戦力を考えれば成功する確率は非常に低い。ただでさえ長期戦は不利であったというのに紫原の力が上がるのを待っていてはすべてが手遅れになる。
(0%。止められる。どんな手も。紫原が早すぎるんだ。どう攻めようともすぐに――)
あらゆる戦術を練っても答えは同じだ。飛びぬけた反射神経によって一瞬で対応する紫原を前に、成功する確率は無であると白瀧の本能が訴えていた。
どうする。どうする。同じ悩みだけが何度も反芻する。
(……早すぎる?)
そんな中、白瀧は一つの言葉に違和感を覚えた。
(それならば、あるいは)
思考の末、白瀧は一つの結論に至った。おそらくは唯一の紫原を突破する可能性を見出した。
(——やるしかない!)
これ以上悩んでいる時間もない。
決意を決めると、白瀧は紫原に向かって一直線に突進する。
「加速した! 二次速攻ではなく、ここで勝負をつけるか!」
「勝敗が大きく影響するエース同士の
同点か、逆転か。あるいは守り切るか。
この勝負の行く末によっては試合の結果も変わるだろう。観客席にどよめきが広がる。
二度とは戻れない二人の戦い。
先に仕掛けたのはやはり攻める白瀧だ。
紫原が近づくと、彼をかわそうと緩急をつけて右から左へと切り返す。
「獲った」
すると彼が切り返し、左手にボールが渡った瞬間、紫原の長い腕がボールに迫った。
(速い!)
(先に仕掛けたはずの白瀧の動きを完全に捉えている!)
「ぐっ! あっ、ああああっ!」
スティールが決まる寸前で白瀧はビハインドザバックでかわす。
体の後ろにボールを通し、体勢を立て直すとすぐに前進。ゴールに近づこうとするが、やはり紫原が立ちはだかる。
ならばと白瀧はクロスオーバー。もう一度左右に切り返す。まだ紫原もくらいつく。ここで白瀧の視線が右へ移った。直後、彼の体が左へ傾く。
(また切り返しか! だが読んでるんだよ!)
彼自慢の方向変換だが、これも紫原が読んでいた。視線のフェイクにつられず、すぐに紫原も進路方向へと足を運んだ。
だが紫原の読みを裏切って、白瀧は右手首を返すと逆の右方向へと切り込んだ。
(逆!)
(インサイドアウトか!)
(重心移動の達人! 本当に左に切り返すようにしか見えなかった!)
右手から再び右手に収まったボール。白瀧はインサイドアウトによって紫原の裏をかくことに成功した。
「だからどうした、そんなの――!?」
されど紫原の反射神経は並ではない。逆をつかれたものの、紫原の体は白瀧が方向を変えたと同時にすでに反応している。
「だろうな。だから」
「なっ!?」
「俺の勝ちだ、紫原」
「そんな、馬鹿な——」
止められるはずだった。だが動きだそうとしていた紫原の体が、膝から崩れ落ちていった。
「紫原!?」
「マズい!」
突然の紫原の転倒により、白瀧がフリーとなった。
撃たせてはならないと福井と宮崎がレイアップを打とうとした白瀧にブロックを行う。
「もらった。――ぁ」
右足で跳躍しようとした白瀧。
すると跳ぶはずだった彼の体が前方に傾く。右足が地面から離れないまま、彼は右方向へとバウンドパスをさばいた。
「何っ!?」
「まさか!」
その先は、スリーポイントラインの外へと駆け込む神崎。
福井と宮崎は、宙に浮いた状態で、彼がボールを手にした瞬間を目にした。
「ナイスパスだ、要!」
岡村も、劉も間に合わない。
神崎は完全にフリーの状態でスリーを放った。障害が何もない状態で彼が外す事はなく、彼のシュートがリングの中心を撃ちぬいた。
「決まった!」
「神崎のスリー。ってことは!」
「逆、転だ。大仁多がついにこの試合初めて、試合をひっくり返した!」
(大仁多)83対82(陽泉)。ついに大仁多が陽泉から初となるリードを奪う事となった。
「……アンクルブレイク。お前と同じじゃん、赤司」
「常人が相手ならばむしろこれは起きなかっただろう。反応できずに棒立ちしていたはずだ。ただ、紫原は早すぎた。結果的に要のあの速い方向転換に反応できたがために、軸足に重心が乗っている状態で反応してしまった」
高いドリブル技術を持った選手が相手を転倒させるというアンクルブレイク。
白瀧は紫原が自分の方向変換に対応する事を読んでいた。異常な反射神経の高さ。だからこそ、無理な切り返しにも反応してしまうと。
「突如紫原の動きが良くなり、余裕がなかったあの勝負所で。敦のディフェンス能力の高さに対応してプレイした。要の方向転換、ドリブルスピード、
技術、スピード、アジャスト。白瀧が自身の強みすべてを活かして紫原を突破した。
紫原相手に自分と同じ技を『目』を持たずに成し遂げたかつての旧友に、赤司は称賛の言葉を贈った。
「く、そっ」
「大丈夫か紫原!」
「レフェリータイム!」
一方、コートでは不穏な空気が流れていた。転倒した紫原がそのまま立ち上がれないでいるのだ。
体が大きい選手ほど体にかかる負担は大きい。特に足の消耗が激しかった状態で、突然膝から崩れ落ちた。これにより下半身にかかる負荷は大きなものとなっていた。
「紫原離脱か? ならば逆転以上に大きな戦果だぞ!」
「ああ。ただ——代償も大きかったけどな」
「えっ?」
紫原の動けないそぶりを見て、若松が声を荒げた。本当ならば陽泉は一気に不利となる。
ただ、隣でチームメイトが騒ぎ立てる中で。青峰は大仁多に、強いては好敵手に降りかかった大きすぎる代償を一人悟っていた。
「おい、要!」
動けないのは紫原だけではなかった。
白瀧も神崎にパスを出した直後、コートに倒れこんでいた。神崎は何度も声をかけるが答えは返ってこない。
(嘘、だろ……)
彼は痛みを我慢して口を閉ざしていた。すなわち、フローが解けている。
先ほどレイアップシュートを放とうとしたタイミングで解けた。ボールだけは渡すまいと神崎にパスを回したものの、すでに彼は限界をとうに超えている。
(どうして? やっと、逆転したんだぞ。時間だってあと数分だけなんだ。なのに、どうして、どうして今なんだよ……)
流れは大仁多にある。残り時間もわずかだ。勝利に大きく近づいているというのに。思いに反して体は言う事を聞いてはくれなかった。
「よくやった、白瀧。もういい。よくやってくれた」
そんな白瀧の肩を、小林が優しくたたいた。主将もエースの離脱を受け入れた瞬間だった。
———
結局、消耗が激しい紫原はベンチに下がった。一プレイで全てを破壊してしまいかねない彼の離脱は、大仁多には大きな希望を生み出す。一つの死地を乗り越えたことと同義であった。
だが、その戦術的な成功よりも大きなものを失ってしまう。
——神速堕つ。圧倒的な絶望を回避する代償は、絶対的エース・白瀧。ここまで多くの得点をたたき出し、大仁多を盛り上げてきたルーキーがついに真の限界を迎えた。
得点:36 アシスト:4 リバウンド:3 スティール:8 ブロック:3
紫原のマークやトリプルチームなど厳しい対応を受けながらも、実にチーム総得点の四割を超える得点をたたき出し、白瀧の陽泉戦は試合終了より一足先に終わりを迎えた。
「……つ、ぅっ」
ベンチの隣で、天井を見上げるような形で横たわる白瀧。
橙乃が足の手当をしていると、彼の口から痛みを堪えるような声がこぼれた。
「大丈夫? 足が痛む?」
「足なんか、痛くない。痛むのは、体なんかじゃない……!」
橙乃が心配して聞くと、白瀧は彼女の問いを否定し、前髪を掻き上げた。
確かに足が全く痛まないわけではない。ただ、それが感じないほどに、精神に刻まれた痛みが大きすぎた。
「どうして、だ」
橙乃に対してではない、己自身にでもない。ただ、不条理を納得できずに問いを宙に投げかける。
「どうして俺は、最後まで戦えない?」
結果的にまた過去と同じような光景を繰り広げる事となってしまった。仲間が戦っている中、最後までその輪に入ることが出来ずにコートの外にいるしかない。
こんなはずではなかった。こうならない為にずっと努力を続けてきたのだから。
「せめて、信頼に、応えたかった……!」
「ッ」
涙は出てこない。心が悲鳴を上げているというのに。試合が終わっていない中、一人泣くわけにはいかないという選手としての意地か。白瀧は感情を殺して、己の無力をただ嘆いていた。
「あなたは——」
あなたはまだ足りないと言うのか。
文字通り体がボロボロになるまで戦って、それでもなお足りないと。周囲の信頼に応えられなかったと言うのか。
《俺達は勇敢に戦いチームを勝利へ導かなければならない。この戦いを見守り、背を押してくれる全ての者の為に!》
いや、彼ならば言うのだろう。『勝利こそが全て』という環境で心をすり減らし、全てを否定された彼ならば。たとえ監督の作戦を達成しようとも、大仁多の勝利までもたらす事が出来ないのならば、結局彼にとっては同じ結論に至るということだ。
橙乃はそれ以上は何も言わず、何も聞かなかった。ただ黙々と足の処置を続けていく。
下手に優しい言葉を賭けられるよりも、白瀧にとっては有りがたいものだった。
————
(……なんなんだよ、このいら立ちは)
一方、白瀧と同じくベンチに戻った紫原は、謎のいら立ちを覚えていた。
別にバスケを好んでいるわけではない。つぶしたいと思っていた白瀧も倒れた。確かに負けたくないと思ってはいるが、終わった事はすぐに忘れようとするはずなのに。
(意味わかんねえよ。なんなんだよ一体)
心のどこかでベンチに下がってしまった事を悔やんでいる自分がいる。
これではまるで、自分がもう少しバスケをしたかったようではないか。
「……終わりか。最後、白瀧のフローが切れたようだけど、体力切れってことだったのかな」
「その可能性もあるだろう。あるいは――あれ以上戦えば、足の怪我がさらに悪化するという、体のサインだったのかもしれない」
「はあ? なんだそりゃ。そんなのあんのかよ?」
「元々体というものは体を守るような作りになっている。あり得ない話ではないさ」
葉山と根武谷の質問に、赤司自身も半信半疑の様子で答えた。
結局原因なんて完全にわかるものではない。ただ白瀧がベンチに下がったという結果だけが確かなものなのだから。
「いいのかよ真ちゃん。もう一回何か声をかけなくてさ」
「馬鹿を言うな。……あのように言って、また立ち上がれなくなったというのならば、そういうことなのだよ」
高尾の提案を緑間は即座に否定した。白瀧は緑間が発破をかけて奮起しない選手ではない。無茶な提案にも最後までついてきて自分の力としてきたのが彼なのだから。
だから緑間には白瀧の状態もよくわかった。ならばこれ以上声をかけることはしない。もう十分すぎるほど、自分の分まで活躍する光景を目にしたのだから。
「……あやつも、ついに限界か。よし、これで大仁多の得点源は限られた。こちらも紫原が抜けたが、ゴール下の優位は変わらん。一気に攻め立てるぞ」
「意外アルな」
「何がじゃ、劉?」
「さっきお前が白瀧のことを気にかけるような素振りをしていたから、てっきり幾分か気落ちするかと思っていたアル。モミアゴリラとは思えないほどの切り替えの早さアル」
「茶化すな! モミアゴと切り替えの早さは関係ないじゃろ!」
紫原と白瀧が抜けた事で戦況は大きく変わった。
岡村は手を叩くと、チームをまとめるべく指示を出す。
第4Qの序盤、白瀧を気遣っていた彼にしては冷めた反応だなと思いつつ、劉は岡村に遊び心を忘れずに問いかけた。
「……別にやつに限ったことではあるまい。誰もが皆、勝利に必死じゃ」
理由は単純だ。何も特別な事ではない。だからこそこれ以上の余計な感情は抱かなかった。
岡村もまた全国区の選手。今まで数多くの選手達を打ち負かしてきた。ゆえに慣れている。
全力を尽くしても敵わなくて、だけど諦めることができずに自分の限界を超えて挑み続ける。それでも、そこまでしても届かない領域に、ただ仕方なく膝を屈する。それを岡村は何度も目にしてきた。
勝負とはこういうものだ。どれだけ努力しようとも、どれだけ力を尽くそうとも、どれだけ犠牲を払おうとも勝てるとは限らない。時には越えられない壁に阻まれる。試合である以上、勝てるのはただ一方のみ。誰もが勝利を追い求めるからこそ敗北が生まれ、その果てに生まれる勝利はより貴重なものとなり、さらに追い求めたいと願うようになるのだから。
「これがやつの選んだ結末なら、わしが何を言おうとも無駄じゃろ。さあ、あと残り4分じゃ。点差はたったの一点。すぐに逆転するぞ!」
————
大仁多は白瀧に代わって三浦を投入し、さらに神崎を下げて佐々木を投入した。少しでも攻守のバランスを整えようという判断だった。
対する陽泉は紫原に代わり三年生の195㎝PF、松坂を投入する。
大仁多は機動力が落ちて作戦の変更を余儀なくされる一方、陽泉は未だ高さ・力で大仁多を大きく上回っている為に基本的な戦略は変わらなかった。岡村がセンターのポジションに入り、引き続きゴール下を攻め立てる。対する大仁多は機動力が落ちたことに加え、小林達の消耗も大きい事を考慮してゾーンプレスを解除。ゾーンディフェンスで攻撃を防ごうと試みた。
点差はわずか一点。どちらに転んでもおかしくない状況だ。
「ディフェンス! 白9番! フリースロー、ツーショット!」
「ッ!」
そんな中、ついに光月の5つ目のファウルが宣告された。
やはりゴール下で陽泉が優位なのは変わらない。リバウンド争いに勝った岡村のシュートを止めようと体を張ったが、これをディフェンスファウルと判定されてしまう。
紫原と白瀧がベンチに下がってからわずか40秒後の出来事であった。
「ドンマイ、光月! あとは任せろ!」
「すみません。……あとは、頼みます」
白瀧に続き光月も5ファウルで退場。三浦が肩を叩いて励ます中、光月は顔をうつむけたまま先輩に後を託し、コートを去る。
変わって松平が出場するが、この時点で勝負は決したと多くの者が考えた。
「決まりやな。行くで、明日もあるしの」
桐皇も同じであった。キセキの世代とそれに近しい実力が去った今、これ以上の収穫は見られないだろう。明日の準決勝に備える必要もある。
今吉は先に立ち上がり、皆にホテルに戻るように指示を出した。
「うるせえ」
「ん?」
「戻りてぇなら勝手に戻ってろ。俺は試合を見ていく」
ただ、青峰だけはその場から動かなかった。最後まで見届けると言って試合から目を離そうとしない。
「テメェ、いつもは勝手に帰ったりするくせになんなんだよ!?」
「ちょいうるさいで若松。……まあないやろが、番狂わせがあっても困るしの。なら、青峰には残ってもらおか。子守り頼むで、桃井」
「えっ? はい」
「誰の子守りだ、コラ」
青峰の目は真剣なものであった。それを感じ取った今吉は若松を宥めると、桃井に青峰の事を託して会場を後にした。
他にも去らずとも悲嘆の声がこぼれる中、岡村が二本のフリースローを無事に決めた。
(大仁多)83対84(陽泉)。再び陽泉がリードを奪う。大仁多にとっては厳しい状況となった。
「みんな。まさかこの中に、負けてしまうと思ったものはいないな?」
危機に陥った大仁多。嫌な雰囲気を感じ取ったのか小林が4人へと問いかけた。
「——まだだ! まだ一点差だ! 何十点も離れているわけではない! 勝つぞ。準決勝に進むのは俺たちだ!」
『おおっ!!』
自分も不利を感じ取っているが、不安を完全に消し去るように小林は語気を強め、チームの士気を高める。
そんな主将の意気込みにチームメイトも声をそろえて肯定する。まだ逆転されただけ。得意のオフェンスで取り返すだけだ。たとえ本当に不利だとしても奇跡を起こして見せると。
——誰もが諦めずに戦った。
陽泉がインサイドを完全に制圧し、それにより外の守りも厳しくなる中、必死に守備の隙間を縫い、攻めていく大仁多。
しかし、小林と山本の体力も既に限界。
フィジカルで勝る陽泉はリバウンドを全て確保し、大仁多の反撃の芽を摘んでいく。陽泉のとてつもなく堅いインサイドに大仁多は手も足も出なかった。
残り時間1分30秒を切った頃、大仁多はゾーンプレスを再開。しかし白瀧を失った今、先ほどまでの破壊力は残されていなかった。こうなればジリジリと押し込まれていき失点するのも時間の問題。
残り時間も少なくなり、ボールを奪う事すら叶わない大仁多は時間をつぶされる前にファウルで強引に時間を止める。しかしそれもジリ貧で、ハーフコートディフェンスに移ろうとも福井や宮崎の慎重なゲームメイクを前にボールを奪取する事が出来ずじまいだった。
ゆっくりと時間をかけて確実に攻め、確実に守る陽泉。まるでそれは迫り来る無敵の盾。
その盾を貫く最大の武器を失った大仁多は太刀打ちできず、点差がじりじりと引き離されていった。
タイムアウトを取る機会もなくなった今、流れを変えることは出来ない。
残り時間15秒。オフェンスリバウンドを確保した岡村がトドメとなるダンクシュートを決める。点差は8点。残り時間を考えればどうあっても逆転は不可能な状態となった。
「まだだ!」
「諦めるな! まだまだ行けるぞ!」
しかし、諦めない。
大仁多の選手達はベンチに座る者も含めて誰も諦めていなかった。
気迫が消える事はなく最後までゴールを狙っていく。
小林と山本が素早くボールを運び、一度中の三浦へボールを入れると、佐々木の中継を介して山本へパスが通った。
マークが完全には外れていないが時間がない。山本はすぐにスリーを放つ。しかし、このシュートは宮崎のプレッシャーによる影響もあったのだろう。虚しくリングに弾かれ、得点には至らなかった。
「ッ!」
「よっしゃあ!」
またしてもリバウンドを陽泉の松坂が確保。最後の最後まで陽泉の屈強なゴール下が大仁多に牙を向いた。
「ナイスっ!」
「これで終わりだ!」
残り5秒。リバウンドの確保を見た福井がスタートを切って速攻を仕掛けた。ロングパスによって時間もつぶれるだろう。陽泉がこの試合を締める攻撃を繰り出す。
「終わってねえ! 終わらせるものか!」
「なっ!?」
「松平!」
だが、最後まであきらめない大仁多の意地がここで勝る。ロングパスが放たれる寸前、松平がこの動きを読みボールを弾いたのだ。
ボールが宙に浮かぶ。するとこれを小林が取るや佐々木へと回し、タップパスが再び山本の手に渡った。
慌てて宮崎はマークに向かおうとするが、三浦のスクリーンにかかり、追いつけない。
残り時間3秒。会場内には陽泉ベンチや応援席からのカウントダウンが木霊している。
「入れっ!」
その空気を切り裂くようなスリーが、今度こそリングの中に吸い込まれていった。試合終了間際、大仁多が全員の攻撃で三点をもぎ取った。
「まだだ! 奪え!」
すぐに小林が声を荒げ、相手にプレッシャーをかけにいく。最後の最後まで、諦めずに、全力で、全員で、勝利を追いかけた。
しかし。
『試合、終了————!』
勝利の女神は大仁多に微笑むことはなかった。
大仁多のゾーンプレスの展開が完了する前に、試合の終わりを告げる無情のブザーが、鳴り響いた。
(大仁多)88対93(陽泉)。
大仁多が初めて三桁得点を逃した試合。
陽泉が初めて二桁失点を喫した試合。
最強の攻撃チームと最強の守備チーム。譲れぬ誇りのぶつかり合いは、最強の守備チームに軍配が上がり、ここに決着を迎えた。
白瀧はチームが負ける瞬間を倒れた状態で目にする。
そんな彼の目から。
————涙は出てこなかった。