黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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スポーツ物語を書く上で避けれない展開。


第九十七話 孤独の涙

 何度も聞きなれたはずのブザー音が、この時は初めて聞くような、受け入れられないような喪失感を伴って脳裏に響く。

 

「試合終了——!」

 

 歓喜に湧く陽泉の選手達。そんな彼らを小林達は呆然とした表情で見つめた。

 

「……行くぞ。整列だ、みんな」

 

 自分も思うところがあるだろう。それでも主将という立場が小林を凛とさせる。

 真っ先にコートの中央に向かう小林に遅れて他のメンバーも整列する。

 5人が並ぶと、ただ一人の二年生である三浦は先輩たちの様子が気になり、視線だけを横に向けた。

 

「————」

(終わった、のか)

(……終わった。終わったんだ)

(何もかも、全部!)

「ッ! ぅっ!」

 

 そして彼らが無言で涙を流す姿を目にして言葉を失った。

わかっていたことだ。小林以外の三年生、推薦枠をもらっていない選手はIHが終われば引退する。すなわち負ければその時点で彼らの高校バスケは終わる。

その時が来てしまった。

わかっていてもその現実に直面した時、引退する者達も、そんな先輩を目にした者達も、涙を我慢することは出来なかった。

 

「88対93で陽泉高校の勝ち! 礼!」

『ありがとうございました!』

 

 優勝候補に数えられた高校同士の対決は陽泉に軍配が上がった。

 最後までインサイドで大仁多を圧倒し続けた陽泉高校。改めてそのディフェンス力を全国に示す形となった。

 その陽泉に敗れた大仁多高校。戦う前に整列したレギュラー三人、それもフロントライン全員がベンチに下がる事を余儀なくされた。そして代わって戦った三年生全員が最後の時をコートで迎えたという、皮肉な展開となってしまった。

 

 

 

 

 

 

挨拶を終え、両軍の選手達が握手を交わして互いの健闘をたたえ合った。

そして勝者である陽泉の選手達は笑顔を浮かべてベンチへと下がっていく。

対して大仁多の選手達はすぐに切り替えることは出来ず、顔を俯け、涙をこぼすばかりであった。

 

「皆さん。下を向いてはなりません」

 

 そんな選手達を藤代が静かな口調で、されど厳しく諭す。

 

「あなた達は栃木の代表校としてこの場に来たのです。ならば格好悪い姿を見せてはなりません。しっかりと背筋を伸ばして、この舞台を去りましょう」

 

 退場する最後の瞬間まで弱い姿を見せてはならない。教え子にそう言って表情を毅然とさせた。

 

「——よし。全員顔を上げろ。まだ俺達の出番は終わっていない。応援席の前に並べ!」

 

 それを耳にして真っ先に立ち直った小林は部員達を率いて応援席の方へと向かう。

 戦ったのは自分たちだけではない。コートに立つ皆を応援し、背中を押してくれた人達のもとへ最後の報告をしに行った。

 

「礼!」

『応援ありがとうございました!』

 

 精一杯の感謝の思いを込めて選手達は頭を下げた。

 そんな彼らの奮闘を讃えて観客席から拍手がわく。

 一礼して頭を上げると、今度は誰も俯くことなく前を向いてその場を後にした。

 

「……」

 

 大仁多の選手達が、自分たちを打ち負かした強敵が勝ち進むことなく姿を消した光景を目にし、誠凛の選手達は息を飲んだ。

 

(白瀧君……)

(改めて思い知ったぜ。これがキセキの世代の実力か)

(俺たちが負けた大仁多でも、陽泉に最後は押し負けた)

(第4Qだけで31得点を取った大仁多の猛攻。それを受けても最後は陽泉が粘り勝った。あの爆発力をもってしても完全に崩すことは出来なかった驚異的なディフェンス。今の俺達では崩せないかもしれんな)

「……試合は終わった。皆、行きましょう。帰って情報の整理もしなきゃ」

「おう」

 

 キセキの世代の力を目の当たりにし、もしも自分たちが戦う事になったらどうなってしまうのだろうか。

 明るい未来は浮かばず、皆が口を閉ざしていた。

 だがいつまでも立ち止まってはいられない。リコは素早く撤収の準備を済ませると、選手と共に会場を去っていく。

 何もせずには呆けてはいられない。次の戦いまでの時間は限られているのだから。

 

「なんか、悔しいな」

「ああ。同感だ」

 

 一方、県予選で大仁多に敗れた楠は、ある意味自分が負けた時以上の悔しさを覚えていた。それは彼だけではなく勇作達も同じであった。

 

「俺たちが勝ち上がったとしても、到底キセキの世代に立ち向かえたとは思えない。けど、だからこそ俺たちを下した大仁多に勝ってほしかった」

「……そうですね」

 

 細谷が苦々しい顔つきで呟く。

 自分たちなら勝てたと驕るつもりはない。それどころか二試合キセキの世代の試合を見て、膨大すぎるほどの力を差を実感した。

 ただそうだとしても好敵手に勝ってほしかったという思いは本物だった。だからこそ大仁多が敗れる瞬間は、以前味わった敗北に匹敵するほどだった。

 

「さて。行こうか、奈々」

「大丈夫なの?」

「ああ。さて、それでは次に会うのはいつ、どのような形になるかはわからないけど。どちらにせよ負けるつもりはないですよ」

「ふん。言っとけ」

 

 最後に、楠は勇作に宣戦布告にも似たつぶやきを残し、一足先に席を立った。彼らの姿が見えなくなってから勇作達も帰路につく。

 悔しさを覚えて力の差を味わった。

 ならばこれを糧にしなければならない。今度こそ最後まで勝ち上がり、栄光を手にするために。

 

(……届かなかったか、小林)

 

 そして去年のチームを知り、ライバルであった大坪は、彼らが去年の壁を越えられなかった事を残念に思っていた。

 今年のチームは良い仕上がりだった。最終学年の最高の舞台。勝ってほしい所だったが、現実は厳しいものだった。

 

「終わりましたね。帰りましょうか。キャプテン」

「速ぇよ!? 真ちゃん冷静すぎね? なんも感じねえのかよ?」

「……黙るのだよ高尾」

 

 対して後輩である緑間はさっさと去ろうと動いていた。

 そんな緑間をおちょくるように高尾が話しかけると、緑間は少しのいら立ちを含めて返答する。

 

「これ以上ここにいてはさすがに、天を恨みたくなってしまう」

 

 人事を尽くして天命を待つ。

 その言葉に偽りはないと信じているものの、疑問を感じてしまいかねないような親友の結果に、緑間は憤りを覚えていたのだ。

 

「……行くぞ、さつき」

「えっ。いいの? 何か声をかけなくても」

「馬鹿。つまんねえ事聞くんじゃねえよ」

 

 同じころ、試合を見届けた青峰はすぐさまこの場を後にしようと立ち上がった。

 行われていたのはかつての同僚同士の試合だ。特に白瀧には桃井も青峰も強い関わりを持っている。

 一言でも会話を交わしておくべきではないかと桃井は青峰に静止を呼び掛けるが、青峰は彼女の提案を一蹴した。

 

「俺は試合に勝ってんだぞ。敗者にかける言葉なんて、何もありゃしねえ」

 

 背中越しに冷たくそう言い放ち、青峰はそそくさと出口へと向かう。

 ただ言葉では無関心を装いながらも彼の行動や声色にはどこか寂しさに似た感情が籠っているようだった。

 

「終わったかー。俺達の次の相手は陽泉かー」

「あのディフェンス力はさすがに少々厄介ね。ま、うまくかき乱してあげましょう」

「ハッ。面白え。パワー勝負なら受けてたってやる!」

 

 試合終了後、観客席の中で盛り上がりを見せていたのは洛山高校だ。

 すでに彼らの関心は次に戦う事となった陽泉の事だけであり、そこに不安など一切ない。あくまでも次に下す獲物を見つけたことで、戦意を高めている。自分たちの勝利を信じて疑っていなかった。

 

「……お前たちは先に出ていてくれ。僕は少し用事があるから遅くなる」

 

 そんな彼らを一瞥して赤司は小さく笑みを浮かべた。

 直後、視線を陽泉——紫原へ向けると何かを思い至ったのか赤司は笑みを消してチームメイトに指示を飛ばす。そして彼らの返答を待たずに赤司は動き出した。

 

 

————

 

 

「よしっ。全員荷物整理は終わったな。ならば出るぞ。……黒木にも、報告しなければならないしな」

『はいっ!』

 

 全員の片づけが終わったことを確認し、小林が号令を出す。

 悔しさは残っているが落ち込んでいても仕方がない。加えて試合中に倒れ、医務室に運ばれた黒木にも結果を伝えなければならない。監督から怪我の心配は無用と聞いたが、本人に確認を取る必要もある。

 大仁多の選手達は素早く荷物を手に取ると、医務室の方へと向かっていった。

 

「ん? おいどうした、白瀧?」

「……ああ悪い。ちょっと右足のテーピングが気になってな。すぐに追いかけるから、先に行っててくれ」

 

 そんな中、一人椅子から立ち上がれずに右足を見つめていた白瀧の存在に本田が気づいて声をかける。

 

「やっぱりまだ痛いのか? 歩くのが厳しいようなら」

「いや、そんなに痛みがひどいわけではないんだ。大丈夫だから」

「でも——」

「わかりました。なら先に俺たちは言ってますよ。……5分経っても追いつかないようなら、戻ってきます」

「ああ。悪いな、西村」

 

 白瀧は無事をアピールするが、怪我の影響があるのではないか。光月は不安を覚えて彼を気遣った。

 ただそれでも白瀧は聞き入れようとしない。もう少し説得をつつけようとするが、西村が横から割って入り、妥協案を提示して光月達と共に先輩の後ろを追いかけていった。

 

「……ふぅ」

 

 扉が閉ざされ、部屋に白瀧一人だけの空間となった。静寂が響く中、白瀧は大きく息を吐く。

 

「負けた、のか。終わったのか。——なんだよこれは。なんなんだよこの結果は」

 

 誰もいなくなったことでようやく白瀧は感情を少しずつ吐き出せる。

 

「監督に無理言って、女の子泣かしてまで試合にでておきながら、この始末。本当に何がしたかったんだよ?」

 

 気遣う必要もなくなると同時に心の余裕もなくなった。

 

「はっ、ハハッ。はっ——」

 

 次々と湧き出る感情の波を抑えきれず、乾いた笑みが噴出して——彼の両頬を涙が伝った。

 

「あ、ああっ、ああああああああ!!」

 

 決壊した負の感情を止める術はもはや存在しない。人目をはばからずに嘆く白瀧。密室の空間に彼の慟哭が響き渡る。

 ——何がしたかった? そんなの考えるまでもない。勝ちたかった。ただ勝ちたかった。それなのに。

 

「ふざ、けるな。ふざけるなぁっ! ちくしょう。白瀧要の大馬鹿やろう! なぜあと四分さえもたなかった! この試合は俺が今まで待ち望んでいた試合だったというのに! なぜ力尽きた! 何のために鍛えたと思っている!? 何のための力だ!」

 

 最後まで戦う事さえできなかった自分へのいら立ち。また同じ悲劇を繰り返した己自身に怒りは留まることを知らない。

 天を仰ぎ、声を荒げ、苛立ちを拳に篭めて腕を振り上げる。

 

「……ッ。くっ、そ」

 

 振り下ろした拳が足に当たる直前、理性による制止の呼びかけが間に合い、衝撃が足を襲う事はなかった。

 力を抜いた右腕がだらんと下がる。

 怒りを発散する事も出来ず、次は大切な人たちへの申し訳なさが心をよぎる。

 

「ごめん、なさい。ごめんなさい。……次は、必ず! 今度こそ!」

 

 退路を自ら捨て、勝利を求めて立ち上がった。だが負けられない試合に負けた。その傷はあまりにも大きかった。

 ただ、嘆いてばかりもいられない。

 この悔しさも悲しさも忘れない。叶えられなかった約束を次こそ果たして見せると、歯を食いしばった。

 

 

 

————

 

 

「あの、馬鹿が」

 

 そう愚痴をこぼしたのは本田だ。

 白瀧が涙を流す部屋を出てすぐの廊下に、白瀧と橙乃を除く大仁多の一年生四人の姿があった。橙乃に後から追いつくように伝えてほしいと依頼し、彼らはずっと部屋の前で待っていたのだ。

 本田は壁に背を預けて腕を組み、神崎は両手で目を覆い、西村はその場に座り込み、光月は目を伏せている。部屋の中から声は届いていた。仲間の前ではこぼせない弱音を聞いて、皆思うところがあった。

 

「俺らの前じゃ泣けないって格好つけやがって」

「……耐えられなかったんでしょう。これ以上情けない所を見られるのは」

「そこまで背負う必要はないだろうに」

「あれだけ働いて駄目って言うなら、なんて声をかければいいんだよ」

 

 弱さを見せたくない。その気持ちはわかる。

 ただ、やはり頼れないという考えには少し悔しく感じる所もあった。

 

「あいつばかり気負わせていられねえ。俺達ももっと強くなんねえとな」

「ああ。こんな思いは一度で十分だ」

「……うん。うん!」

「はい。次は、喜びを一緒に噛みしめられるように」

 

 ゆえに今度はそんな強がりの仲間に負担を強いらないように。もっと強くなろうと四人は立ち上がり、共に誓いあった。

 今度はチーム全員がそろって笑いあう為に。

 

 

————

 

 

 一方、そのころ医務室では小林から黒木に試合の結果が伝えられていた。

 

「……そうでしたか」

 

 ベッドから体を起こして話を聞いていた黒木。

 すべての報告が終わると、短く返答して寂し気な笑みを浮かべて頬をかいた。

 

「体調は、もう大丈夫なのか?」

 

 軽い脳震盪と聞いたけど、と三浦が付け加えて黒木に問う。

 何せあの紫原に吹き飛ばされたのだ。どこか体が痛む事はないのだろうかと心配があった。

 

「ああ。大丈夫、と言いたいところだけど」

 

 そんな友の声に、黒木は肯定をしようとして突如言葉を区切った。

 

「……ちょっと駄目かもな」

 

 すると黒木は両手で顔を覆い、表情を隠すようにして話を続ける。

 

「頭が痛くて、涙が出てきてしまう」

 

 流れてきた涙は、頭が痛むせいだと口にした。

 黒木もアクシデントのせいとはいえ、陽泉のようなチームを相手にセンターが途中離脱してしまうという事への責任を感じていたのだろう。そんな彼の心情を理解し、小林がそっと肩を叩いた。

 

 

————

 

 

 敗北した大仁多の面々が、多少の反応は異なれど悲しみに暮れている中。

 勝利した陽泉の選手達は喜びを分かち合っていた。

 これでベスト4入りを果たし、優勝まであと二勝とした。次は王者・洛山という最大の難敵だが、今はただこの勝利を祝福しようと歓喜の声は続く。

 

「……ああ。たしかにおるが」

 

 そんな中、突然の来客を目にした岡村は彼に呼ばれてその要件を確かめていた。

 どうすれば良いか判断に迷ったが、無碍に扱うわけにもいかないと彼の提案を了承することにした。

 

「紫原!」

「うん?」

「お前に用事があるとのことじゃ」

「は? ……赤ちん?」

 

 岡村に呼び出されたのは紫原。依頼主は赤司であった。

 二人で話がしたいという赤司に、紫原もうなずいて彼に続いて部屋を後にする。

 そしてこの話し合いの結果、翌日のIH準決勝は誰もが予想しなかった展開を迎えることとなる。

 

 

————

 

 

 IHも日が進み、出場校もわずか4校に絞られた。

 その四校によるさらに激しい試合が繰り広げられた準決勝、決勝戦。だが、これまで多くの衝撃を残してきたキセキの世代全員が試合に出ないという異例の事態となった。

 それでもキセキの世代が所属する高校は彼らばかりではないという意地を見せる。

 結果、優勝は洛山高校。準優勝は桐皇学院。三位は陽泉高校と前評判通りキセキの世代が在籍する高校が上位を占めて大会は終わりを告げた。

 しかし夏が終わったとしても、全てが終わったわけではない。ここからまた、新たな激闘が始まる。

 様々な感情が生まれ、残された選手達はここから新たな挑戦へ走り出していく。


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