黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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令和最初の投稿!


第百六話 新時代

 第3Qを終えて栃木リードで最終Qを迎える神奈川との一戦。しかし黄瀬が見せた大躍進の前に、そのリードはあってないようなものとなっている。

 

「現状、白瀧さんのスタイルそのものを模倣した黄瀬さんを封じ込めるような策は、ありません」

 

 休憩となり、選手達が引き上げてきた栃木ベンチ。

 真っ先に口を開いた藤代の言葉は、この厳しい状況を改めて選手達に自覚させるものだった。長年栃木の代表を率いてきた者の言葉とあってその重みは非常に大きい。

 

「パスまでこなすようになり、第1Qのような動きを読む事も現状では不可能。黄瀬さんを止める事は容易ではない」

「そんな……」

「白瀧、お前何かないのか? 陽泉戦の時に見せたロングスリーみたいに、まだ隠している大技とか」

「ありません」

 

 何人か悲観に暮れる者が現れる中、勇作が白瀧に何か打開策を持っていないか問うも、彼は即座に首を横に振った。

 

「下手に希望を持たせないよう先に言っておきますが、あの時のような切り札はもう残っていません。正直、IHから国体までの期間が短すぎた。細かいプレーなら残っていますが、キセキの世代対策になるようなものは残っていません」

 

 彼の言う通り、勝ち目を完全になくさないようにと白瀧はいくつもの手を残してはいる。

 だがこの時すでに白瀧はそのすべてが黄瀬涼太には通用しないであろうことを悟っていた。何もかも模倣してしまう黄瀬を前には、どんな手も瞬時に倍返しを食らい、返り討ちにあうと。

 

「ええ。それはわかっています。ゆえに——3分。この後第4Q最初の3分間を改めて黄瀬さんのプレーの分析、対策に徹底します。私と橙乃さんをはじめ、ベンチから攻略法を探ります」

 

 だからこそ藤代はこの苦境を打破する策を講じようと、最終Qの序盤を分析の時間に当てると告げる。まともに渡り合う術がないならそれを見つけ出す。それしかないという決断だった。

 

「今神奈川の流れを作っているのは間違いなく黄瀬さんだ。彼を止めない限り、敵の勢いは止まらない」

「確かに神奈川は中外と隙が無い。黄瀬をどこかで止めなければ相手の攻撃を止める事は難しい」

「3分あれば私たちが必ず攻略の糸口を見つけ出します。すみませんが、白瀧さん。それまではあなたが黄瀬さんに挑み続けてください」

 

 黄瀬一人に戦力を割くことは出来ない。相手は他の4人もバランスの良い選手が集う神奈川だ。

だからこの流れを変える為、敵の最大戦力となり、この神奈川ムードを作りだしている黄瀬を止める策を見つけ出して見せると藤代は語気を強めた。

 

「でも、あんな完璧万能選手を攻略する手口なんてあるんですか? ついに相手はパスまで完璧にこなすようになって、要の切り札であったフローにまで入れるようになっているのに」

「完璧な選手なんて存在しません」

 

 なおも光月が不安を呈する中、そんな感情を一蹴するように藤代が強い口調で訴える。

 キセキの世代という最高戦力を相手にしている戦いで、藤代らしくない精神論のような語り方。

確信がない説明だが自然と聞いた者達の目に闘志が宿った。

 

「——はい」

「うちがリードしている事には変わりないんだ。リードを保ったまま黄瀬の攻略法を見いだせれば、十分勝ち目はある」

「ああ。このまま逃げ切るぞ!」

 

 まだ勝っているという事実に変わりはない。最強の底力による猛追を何としても振り切ろうと意識を1つにした。具体的な打開策はないものの、勝利を掴もうと意志を固くする。

 

「ええ。ただ、白瀧さん。ここからはあなたにとって厳しい展開になります。何とか堪えてください」

「わかっています。それにただやられるつもりはありません」

 

 選手達が戦意を貫く姿を見て嬉しく思う一方、藤代は一番辛い時間帯を味わう事になるであろう白瀧に謝罪した。

 敵が予想以上の進化を遂げている仕方がない現状とはいえ、それは言い訳に過ぎない。

 何とか諦めないでくれと願う中、白瀧は問題ないと一足早く立ち上がりコートに向かった。

 

「俺はあいつに勝つために、ここまで来たんですから」

 

 強い。敵はあまりにも強大に過ぎる。

 淡々と自分のバスケスタイルを模倣し、自分以上の力を発揮する黄瀬は、まさしくキセキと謳われるに値する最高のSFだろう。

 ——ならばこそ俺が超えるしかない。

 頂がまさに目の前にそびえ立っているのだ。エースである自分が挑まずにしてどうする。

 最高を超えた先にこそ、求めていた理想の景色が広がっているはずなのだから。

 

 

 己の才覚の限界を悟りながら、それでも彼は進んだ。

 願いが成就する未来を信じて。過去の再現を夢見て。

 

 

 

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 激闘となった栃木対神奈川戦もついに最終Qへ突入した。

 第3Qで黄瀬の更なる進化が明らかになったものの、対する栃木の出方に変わりはなかった。選手もマッチアップも変更なし。これといった動きの変化も見られない。

 何かしら黄瀬への対策を打ってくるであろうと予測した観客はこの栃木の動きに疑問符を浮かべた。

 

「栃木は神風特攻って感じですかね?」

「いや、違うな。おそらく探っているんだ。黄瀬を攻略する手段を」

 

 自力での勝負を挑むのか。そう考える者も現れる中、赤司など一部の者はまだ栃木が黄瀬の攻略を諦めていない事を悟る。

 まだ時間は10分。キセキの世代の力をもってすれば逆転は十分可能な時間帯だ。

 だからこそ栃木は黄瀬を止めるべく、何か手段を模索しているのだと。

 

「お前らしいな藤代。——ならば見せてやれ黄瀬。どのような策を講じても無意味。すべてを凌駕する力を」

 

 武内もそれを理解した上で、あえて黄瀬重視で組み立てるという方針を貫いた。彼も黄瀬の力を信じている。たとえ敵がどのような策を講じようと、それら全てを打ちのめす才能を持っていると。

 

「うおおおっ!」

 

 小林から光月、敵の弱点である高さをついたパス。だがボールは光月に渡ることなく、途中で黄瀬によって弾かれた。

 

「ッ!」

「速い!」

(白瀧の瞬発力か! しかも黄瀬の方が腕の長さも優れているから、あいつ以上の守備範囲になっていやがる!)

 

 前半戦よりさらに一段と強まったディフェンス力。ワンオンワンだけではない。他のサポートも完全だった。

 ボールを森山に拾われ、神奈川が反撃に転じる。

 

「行くっスよ、白瀧っち!」

「……黄瀬。止める!」

 

 神奈川の最初のオフェンス。ボールが渡ったのは黄瀬だ。白瀧と黄瀬、フローに入った者同士の戦いが再び始まった。

 

「やっぱり海常は黄瀬を中心に攻めるのか。となると……」

「誰だってわかる問題だろ。戦術が同じ選手同士の戦いならば、基本性能(スペック)がより高い方が勝つ」

 

 どちらも本来の状態よりもさらに運動能力が高まっている。バスケスタイルも同じ。

 条件も同じならば勝つのはどちらか。

 ——考えるまでもないと、葉山や根布谷が結末を察し、冷たく断じた。

 白瀧が懸命に腕を伸ばす中、黄瀬はダブルクラッチで彼のブロックをかわし、得点を決める。

 

「ッ!」

「もらったっス!」

(駄目だ。白瀧の読みも通じない!)

(元々要自身が相手の裏をつくプレイを得意としていたんだ。それを模倣された事で、黄瀬を止める事が難しくなっている!)

 

 運動能力で劣るならば相手の動きに反応して、というのも難しい。元来白瀧が得意とした相手の不意を突く戦術が黄瀬の物になった事で白瀧の強みは半減していた。

 やはり黄瀬の活躍著しい戦況で、大仁多の劣勢は変わらない。

 何とか小林がうまく攻撃を組み立てて得点を決めていくも、攻撃のリズムは中々作れない。

 

(行かせねえ!)

 

 光月のシュートがリングに嫌われ、白瀧は何とかリバウンドを確保しようと黄瀬をスクリーンアウトで抑え込む。

 

「もらうっスよ!」

 

 すると黄瀬は水泳のクロールのような動きで白瀧の腕を払いのけるとあっという間に彼のポジションを奪い返す。

 

「ぐっ!」

(スイムか!)

 

 またしても自分が得意とする技で反撃を食らうと、そのまま黄瀬にディフェンスリバウンドを許してしまった。

 栃木の攻撃は失敗に終わり、再び神奈川にボールが渡る。試合時間が短くなる事に比例して、徐々に神奈川がボールを支配する時間が増えていった。

 神奈川の攻撃。小堀から黄瀬にボールが渡るとマークにつく白瀧を笠松がスクリーンで行く手を阻んだ。必死に小林がフォローに入ると、笠松がピック&ロールでフリーになり、ボールを受け取る。

 

「ッ!」

「今までの一対一の能力に加えて、インサイドプレーやパス、コンビプレーも多彩になっている」

「無敵、圧倒的。これが進化する完璧万能選手、黄瀬涼太」

 

 黄瀬を止める事に精一杯になれば、味方を活かす事も得意となった今、他の4人が黙っていない。それを栃木に見せつけるような神奈川のプレーであった。

 

「このっ。舐めるなっ!」

「うおっ!」

(こいつ! 一瞬で立て直しやがった!)

 

 だからと言って黙ってみているわけにはいかない。

 白瀧は瞬時に敵の動きを見極めると、笠松のシュートをブロック。その軌道をずらす事に成功した。

 

「んがぁっ!」

「うわっ!」

(やはりオフェンスリバウンドへの反応が早い! 一瞬でも遅れると、あっという間に飛び込まれる!)

 

 しかしその後、リバウンドを制したのは早川だ。逸早くボールが外れた事を察すると、光月とのポジション争いに制してボールを手にする。

 

「早川先輩!」

「おっ!」

 

 すると早川が着地すると同時に、外から走る黄瀬が早川を呼んだ。小林を振り切った黄瀬は早川からパスを受けると、そのままジャンプシュートを撃つ。

 

「このっ! 撃たせるか!」

「させねえ!」

「くっ!」

 

 黄瀬の素早い動き出しに光月と白瀧が反応した。

 二人で黄瀬のシュートコースを塞ごうと手を伸ばす。

 しかし勢いが余ったのか光月の体が黄瀬に衝突。審判の笛が鳴った。そんな厳しい状況で、黄瀬は力に負けることなくシュートを放つ。

 彼が放ったボールは綺麗な放物線を描き、リングを潜った。

 

「なっ!?」

『ディフェンス! プッシング、栃木()13番! バスケットカウント、ワンスロー!』

「そんな。ぶつかったのに……」

 

 ファウルを受けてなお得点を決めた黄瀬に光月は言葉を失う。

 光月は栃木一の力を誇っていると言える選手だ。彼のブロックは計り知れない衝撃だろう。おそらく白瀧でさえバランスを失い、シュートを決める事は難しいはずだ。だからこそ、彼のファウルを受けてなお得点する黄瀬の力はより印象に残った。

 

「黄瀬にダブルチームを当てる事だって難しい。神奈川には黄瀬以外にも二人外から高確率で沈めるシューターがいる上に、リバウンドも強い」

「まさに隙なしの万能チーム」

 

 見れば見るほど完璧。チームとしても完成している。

 それは、かつて白瀧が抱いていた感情と全く同じもの。

 勝とうと思えば思うほどに、勝ち目がないという非情な現実を叩きつけられる。

 黄瀬がフリースローを確実に決める中、栃木の選手達に不安が脳裏をよぎった。

 残り時間6分47秒。(栃木)72対66(神奈川)。ついに神奈川が6点差、スリー二本分まで点差を縮める。

 

『栃木県、タイムアウトです!』

 

 そして黄瀬のフリースロー成功の直後、藤代が依頼したタイムアウトが宣告された。

 選手達がそれぞれベンチに下がっていくも栃木の選手の表情は暗い。

 

「ハァッ、ハァッ……」

 

 特に白瀧。黄瀬とマッチアップしていた彼は疲労の色が特に強いものになっていた。

 

「要はよくやった。涼太に自分のスタイルを全て模倣され、圧倒される中。それでも一秒も集中力を切らさず、フローを維持して相手の全力を引き出し、情報の収集に努めていた」

「普通なら、つうか前のあいつならとっくに切れていたはずだ。よく持ちこたえたもんだ。あとはベンチワーク次第か」

 

 身体的にも、精神的にも白瀧にとっては辛い時間帯となった三分。

 赤司や青峰は彼の目立たぬ活躍を認め、その上でここからはこの時間でつかんだ情報によってあるいは流れが変わるかもしれないと両県のベンチを静かに見つめる。

 

「わかったことは、手は一つだけあります」

「な、何ですか!?」

 

 時間は1分のみ。選手全員がベンチに戻るや、藤代は分析した結果を選手達に話し始めた。

 何か見つかったのかと、神崎は身を乗り出してその言葉に耳を傾ける。

 

「白瀧さん。あなたの模倣を手にした黄瀬さんを、あなたが真正面から打ち破るしかない」

「ッ!」

「やはり……」

「それしか、ないのか」

 

 だが続けられた説明は彼が求めていた者とは全く異なるもの。

 神崎はもちろん、小林でさえ藤代の説明の前にそれ以上言葉を紡ぐ事は出来なかった。

 ただ何もわかったわけではないと、藤代の指示を引き継いで、橙乃が口火を切る。

 

「この3分、私たちが黄瀬君のプレーを観察してわかった事があります。今黄瀬君は白瀧君のバスケスタイルを模倣していますが、それ以外の技は使用していません」

「ということは?」

「桐皇戦、青峰さんのバスケスタイルを模倣した時と同じです。つまり第1Qのように様々な選手の技を模倣するという自由度はなくなったという事です」

「もちろん白瀧君の戦術を物にしているから、その行動を予測する事は厳しいですけど……」

「だから、白瀧が自分を模倣した敵を倒すしかない、と言ったんですね」

 

 橙乃と藤代、二人の分析を聞き、五人はようやく納得した。

 現在の黄瀬は確かに戦力は上昇したように思えるが、第1Qのようにあらゆる選手の技を繰り出しているわけではない。だからこそ藤代は先ほどのような説明をしたのだと。

 ただ、橙乃が言うようにそこまでわかっても基本能力で勝る黄瀬を止める事は非常に困難だ。白瀧の持つ多種多様な技量を手にしたのならば、結局黄瀬の動きを読む事は難しい。真正面から打ち破るしかないのだから。

 

「先に言っておきますよ、白瀧さん」

「はい?」

 

 皆が表情を硬くする中、一人沈黙を貫いていた白瀧に藤代が語り掛ける。

 

「あなたのスタイルを模倣した黄瀬さんの事を、自分より強い自分などと考えていませんか?」

「ッ」

 

 まさに的を得た指摘だった。“自分より強い自分”、“叶えられなかった理想の体現”。それが白瀧が考える今の黄瀬なのだから。

 心を読まれ、白瀧は何も返す事が出来なかった。すると藤代はそんな彼と目線を合わせる様にしゃがみこみ、両肩を思いっ切り握って強く訴える。

 

「見誤ってはなりません。たとえ敵がどれだけ模倣しようとも、極限にあなたに近い敵にすぎない。あなたはあなただ。それを見失わないでください。——私がなぜ、白瀧さんを獲得したと思っているのです?」

「え?」

「ただスコアラーが欲しかっただけならば青峰さん達を獲得したでしょう。それこそ同じポジションの黄瀬さんの将来性を見越してスカウトするという手だってあった。だが私はあなたを選んだんです。忘れないでください。自分の強さを、自分の武器を」

 

 藤代が白瀧を選んだ理由。彼が持つ強さ、武器。それは間違いなくあるのだと。指揮官として、エースの役割を果たせる。今でもそう信じていると語気を強めた。

 

「——現状の黄瀬さんはパスもさばく事でフリーになる選手が増えてしまっている。これに対処すべくスピードに特化した選手で固めます。神崎さん、ジャンさんに代えて楠さん、勇作さんを投入します。センターのポジションには光月さんが入ってもらい、それにならってマッチアップも変更します」

 

 白瀧を鼓舞すると、藤代は立ち上がり全体への指示へと戻る。

 先ほどの攻防では黄瀬がパスもこなす事で神奈川にフリーとなる選手が増えていた。ゆえにそれをカバーする為に速さにも長けた2選手を投入。早川の存在が厄介だが、リバウンド能力は高いも個人技の力は他の選手ほどではないという判断しての事だった。

 

「わかりました」

「よしっ!」

 

 交代を指示された楠と勇作は即座に立ち上がるとユニフォームに着替え、試合に臨む。

 

「おい、白瀧」

 

 そして二人は背中越しに白瀧を呼ぶと、彼らなりの声援を送った。

 

「これ以上、黄瀬を調子に乗らせるなよ」

「このままじゃ俺達の立場がないだろ。即興のモノマネなんか知るか。本物の意地を見せてみろ」

「ああ。まあ、つまり俺達が言いたい事は一つ」

『俺達に勝っといて負けんな』

 

 最後に、二人のスコアラーは言葉を揃えて自分たちを打ち負かした相手に活を入れる。

 選手としての意地が籠められた二人の声援に、少しだけ白瀧は心が軽くなったような感覚を覚えた。

 

「ま、いつも通りやってくれればいいさ。フォローならいくらでもしてやる」

「うん。僕達もできる限りの事はやってみせる!」

 

 そしてさらに二人。元々のチームメイトである小林と光月が左右から白瀧の肩を叩き、彼を勇気づける。

 

「——ったく。これじゃあエースの立場がないな」

 

 本来ならばそれは自分の役割だったはずだ。

 絶望的な状況手もチームを活気づけ、仲間を奮い立たせる。そうしてみせると誓ったのに。

 ただ、それを成せなかった悔しさよりも嬉しさがこみ上がってきた。

 

「藤代監督」

「はい?」

 

「もう一度聞いておきたいのですが、今の黄瀬はあくまでも『俺のバスケスタイルを模倣した黄瀬』である。そうですね?」

「ええ」

「そうですか。ありがとうございます。行ってきます」

 

 笑みを浮かべた白瀧は最後に確認しようと藤代と問答し、四人に続く形で立ち上がる。

 ——ならばまだ勝ち目は消えていない。

 白瀧の目はまだ死んでいなかった。勝ち目は非常に薄い。読み通りだとしてもそれを実行に移すのは非常に困難だ。

 だが無謀な戦いに挑むつもりは微塵もなかった。

 

「白瀧君」

「ああ、橙乃。これを頼む」

「待って」

 

 近寄る橙乃にタオルとボトルを預け、コートに向かおうと足を運ぶ。

 すると荷物を受け取った橙乃に呼び止められ、白瀧の足は制止を余儀なくされた。

 

「白瀧君」

「……どうした?」

 

 今一度橙乃は相手の名前を呼ぶ。どこか不安な表情を浮かべている彼女の様子を察し、白瀧もゆっくりと聞き返した。

 

「ごめんね」

「えっ?」

 

 そんな彼女の突然の謝罪に白瀧は目を丸くする。

 

「昨日、私があんな理想論を言っていたのに、結局はあなた頼みになっちゃって」

 

 続けられた言葉は昨夜の二人の会話を悔やむものだった。

 きっと上手くいくなんて都合の良い事を言っておきながら、最後は白瀧に全てを託すしかない。そんな流れを悔しく思ったのだろう。 

 

「ちょっとだけ、陽泉との試合の事を思い出しちゃった」

 

 そしてもう一つ。

 キセキの世代との戦い。劣勢を強いられる試合展開。

 この試合の様相から先の敗戦が橙乃の脳裏によみがえっていた故に。

 

「あの時もみんなの事を送り出したけど、今みたいにキセキの世代の攻略は最後まで出来なくて。——そして、負けてしまった。やっぱり私には見ていることしかできないけど、でも!」

「何を言っているんだよ」

 

 体を震わせ、無力を訴える橙乃。白瀧は彼女の肩に手を添えて、優しく語り掛ける。

 

「見ていることしかできない? そもそも橙乃がいなければ前半戦だって太刀打ちできるかわからなかった。ここまでたどり着けるかどうかさえわからなかったんだ」

 

 事実、橙乃の分析がなければ前半戦の流れも作れなかっただろう。黄瀬を相手にどこまで試合を作れていたかさえ不明だ。

 

「だから、そんな顔しないでくれ。大丈夫だ。——今度こそ、勝ってくる」

 

 だから謝る必要はない。

 白瀧は再び必勝を誓い、戦いの舞台へと戻っていった。

 

(三度目はない。陽泉の時と同じ結末をたどるわけにはいかない)

 

 戦えない悔しさを叫ぶ声を聞いたのはこれで三度目だ。

 中学の時、陽泉との試合、そして今。

 今度こそその声に応えて見せると白瀧は自分を奮い立たせる。

 

「——勝って!」

「おう!」

 

 最後に、橙乃に背中を押されて白瀧はコートに立った。

 

(何か勝機を見出した、って顔じゃねえな。どちらかと言うと、何か覚悟を決めたような目をしてやがる。ってことはやはり、黄瀬を倒す具体的な策を見つける事は出来なかったか)

 

 厳しい顔つきを浮かべる敵を見て、笠松は栃木が必勝法を見出す事は出来なかった事を悟る。

 笠松だけではない。

 赤司や青峰をはじめとしたこの試合を見つめる実力者達も、ここから先は選手の底力次第であると理解した。

 

「栃木は白瀧(エース)と一蓮托生か」

「作戦がないのならばここからは黄瀬の動きを封じるとかそういう次元の話じゃねえ。白瀧が勝つか、黄瀬が勝つかの真っ向勝負だ」

 

 この試合の行方は、白瀧と黄瀬。両県が誇るエースの勝敗によって決まると断言する。

 

「やっぱり最後はこうなるっスよね。作戦が通じないならば、エースと心中するしかない。でも俺は誰にも負けないっスよ」

「心中? 馬鹿を言え。死にに行くつもりなんてない。勝ちを取りに行く」

 

 その二人はコートで火花を散らし、互いに勝つのは自分であると強く主張した。

 

(信じたい。まだ俺の力が、武器が通用すると。信じてくれた人の言葉に応えたい。もう目の前で身近な人が悔やむ光景を止めたい)

 

 試合が再開。大仁多ボールで攻撃が再開される中、白瀧は一人心の内で集中力を高め、没頭状態に入っていく。

 それだけではない。フローに入るだけではなく同時に必ず勝てるようにともう一度考えを巡らせていた。

 

「勝つぞ! 絶対に決めるんだ!」

 

 冷静な白瀧の心境とは対照的に試合は苛烈さを増していく。

 吼える小林。トップの位置から果敢に切り込むと、外の楠へとパスアウト。彼自慢のスリーが放たれた。

 これは森山のプレッシャーの前にリングに弾かれてしまうが、勇作が早川にポジションを奪われながらもチップインを決める。何とか得点へと結びつけた。

 

「さすがにやるな。が、うちだって譲るつもりはねえぞ!」

 

 笠松も負けじと仕掛けていく。

 ドリブルで小林を引き付けると、彼の足元を通すようにバウンドパス。

 ゴール下の小堀へとボールを回し、小堀はバックステップからジャンプシュートを撃った。

 かろうじて光月が指先で触れて得点とはならなかったが。

 

「いただきっス!」

「ッ!」

 

 そこに飛び込んだのは黄瀬だった。

 白瀧のブロックも無駄と言わんばかりにダンクシュートを炸裂する。阻もうとした白瀧を吹き飛ばして得点を重ねた。

 

「くそぅっ!」

「大丈夫か、白瀧? 取り返すぞ!」

 

 膝をついて悔しがる白瀧に声をかけ、小林がリスタートする。

 

(勝つんだ! 今度こそ。そうでなければ、俺は一体何のために——何をこれまでやってきたんだよ!)

 

 白瀧は目をつぶり、唇をぐっと噛み締める。

 今まで重ねて来たものを信じたいと自分に必死に言い聞かせて。

 

「————————」

 

 再び目を開けた時。白瀧の瞳に白い光が宿った。

 

「えっ?」

 

 自分でも何が起こったのか理解できない。ただ、今の白瀧には自分がこれまでに得た情報を元に移すべき方策が、活路が明確に見えていた。

 

「……小林さん」

「ん?」

「次、俺にください」

 

 小林に近寄ると、静かにボールを要求する。

 わずかな会話であったが、小林も白瀧の様子が変化した事を察し、頷いてその希望を受け入れた。

 大仁多のオフェンス。小林と楠が中外とボールを入れてタイミングを計る中、白瀧は黄瀬に語り掛ける。

 

(思い出せ。陽泉との、紫原との戦いを。俺のオフェンスはあのディフェンス最強にも通用したんだ)

「認めるよ、黄瀬」

「えっ?」

「俺にはお前のような万能性なんてない。きっとこれから先も、俺が1つ習得しようとするたびに、お前は100を身に着けているのだろう」

 

 白瀧ははっきりと自分が求めていた万能選手として黄瀬の方が優れていると認めた。あれだけ負けたくないと意地になって、求めていた理想の姿にはなれないと。

 

「確かにあらゆる技を瞬時に自分の武器とするお前の才能は、キセキそのものだ。きっと、俺は一生お前にはなれない」

「急に何スか? やっぱり諦めたっスか?」

「ならばないものねだりはやめよう」

 

 まさか心変わりでもしたのかと、黄瀬が鼻で笑うも白瀧はそれは違うと話を続ける。

 

(俺ではすべての技を自分の物にする事なんて出来ない。万能な完璧な選手になんてなれない)

「だけどこれだけは譲れない。極めた一つの技で、俺は全てを突破してみせる」

(一つ一つの技で劣っているならば、技を掛け合わせて超えればいい)

「——だから決めた。俺はあの頃に帰る」

「えっ?」

 

 黄瀬の力を認め、敵わないと判断して、それでも勝つと決めた白瀧。

 直後、小林から一度光月に入り、また小林に戻ってついにその白瀧へとパスが通った。

 

(あいつまさか——)

「ハッ。あの野郎。昔に戻るつもりだな」

「青峰君? どういう意味?」

「さつき。お前は当時はまだあまり親交がなかったから知らねえかもしれねえが、少なくとも帝光入部当時、白瀧は今みたいなオールラウンダーじゃなかったんだよ」

「え?」

 

 ただ一人、観客席で青峰だけがこれから取る白瀧の行動を察し、笑みを浮かべる。

 桃井が理解できずに問いかけると、青峰は昔を思い返しながら話しはじめた。

 

「自分の武器が通用しない可能性を考えて、SFというチーム内の立ち位置を考えて、緑間達からシュートとか色々教わって今のバスケスタイルになったが。少なくとも当時のあいつの武器は一つだった」

 

 当時、まだキセキの世代と呼ばれる前。

 前例がない入部即一軍昇格という偉業を達成した白瀧の力は、彼の武器はただ一つだと。

 

「行くぞ黄瀬」

「ッ!」

(来る!)

 

 黄瀬も白瀧の変貌を肌で感じ、警戒を強めた。

 フローに入った状態の中でも一段と集中力を高める。一点たりとも与えてやるものかと動きを見張った。

 絶対に止めて流れを完全に手にする。

 そう活きこんでいた黄瀬。

 そんな彼の横を、白瀧は瞬く間に突破した。

 

「なっ!」

「はっやっ!?」

 

 黄瀬の反応さえ許さなかった白瀧のドリブル。

 陽泉戦で紫原を突破した時と同じ、キセキの世代でさえ止める事は難しい彼の切り込みで黄瀬を突破すると、小堀のヘルプが出る前にレイアップシュートを沈める。

 

「決まった!」

「今のは……」

「別に新技なんかじゃねえよ。緩急をつけて相手を揺さぶり、ダブルクロスオーバーで突破した。しかも二回目の切り返しで斜めに沈み込むように切り込んだ。視界から消える様に高速で切り込んでくるドリブル。そう簡単に反応できねえよ」

「じゃあ本当に得意のクロスオーバーだけで突破を?」

「いや。あれはもはや、ただのクロスオーバーじゃねえ」

「えっ?」

 

 皆白瀧が黄瀬を突破した事に驚く最中、青峰が彼の仕組みに気づき解説をしていた。

 しかも仕組みだけではない。青峰は彼の技が新たな領域に昇華されている事を理解し、嬉し気に口角を上げる。

 

(なんて切り返しだ! 俺らもヘルプにでるのが遅れちまった!)

「落ち着け! まだ逆転できる点差だ! こっちも一本返していくぞ!」

 

 相手のエースが決めた事で勢いがつきかねない場面。笠松は確実に攻めようと仲間に活を入れた。

 神奈川の攻撃。

 慎重にパスコースを選びながら笠松と森山がパスをさばく。

 すると、森山から小堀へとパスが通ろうとしたその時、コースに割って入った白瀧の腕がボールをはたいた。

 

「なっ!?」

「白瀧!」

(中央で黄瀬を警戒していたはずなのに、パスを読んでいたのか!?)

「ナイス!」

 

 攻撃が失敗に終わり、選手達に驚愕が広がる。

 ボールも楠が確保。攻守が入れ替わり栃木の攻撃が再び始まった。

 

「小林さん!」

 

 そしてボールは再び白瀧の手に渡る。

 黄瀬の厳しいマークがつく中、再び白瀧が切り込んでいく。

 

(……かつて、183cmというNBA内では小柄な体格でありながら、そのドリブル技術と得点力、アシスト力で活躍したティム・ハーダウェイという選手がいた。その選手が特に得意とした切り込みは、代名詞として世間に広く讃えられた)

 

 今再び発揮されようとする白瀧の技。それはかつてNBA回を席巻した名選手を彷彿させるものであると、青峰はその威力を感じ取った。

 

(キラークロスオーバー!)

 

 誰も止める事は適わない、殺人的なクロスオーバー『キラークロスオーバー』。

 黄瀬も最初のドリブルで重心を動かした為に連続の切り返しに体がついていかず、再び突破され、得点を許してしまった。

 

(体が、動かない!?)

「一度でも反応してしまえば重心がもう動いてしまっている以上、涼太でも立て直しは不可能だ。フッ。さしずめDF不可能の切り込み屋(アンストッパブルドリブラー)、と言ったところか」

 

 理解していても止める事は出来ない。赤司は白瀧の力を青峰の呼び名に例えて、彼が自分たちと同じ領域にたどり着こうとしていると確信に至った。

 

「あるいは、ドリブルに関して言えばあいつは最強に達したかもしれない」

「ハッ? いやいや、それはありえないけど? 赤司?」

「ああ、そうだった」

 

 同時にチームメイトの自尊心を煽って赤司は会話を終える。

 反論した葉山は殺意のような雰囲気を醸し出し、黄瀬を突破した白瀧をにらみつけていた。ドリブルを得意とするものとして、人一倍思うところがあるのだろう。

 

「——倍返しさせてもらうっスよ」

 

 ただ、白瀧の技に闘争心を滾らせたのは葉山だけではない。

 黄瀬も同じだ。しかも彼は今のプレイで白瀧の技を全て目にした。

 ならば待っていることはただ一つ。

 神奈川の反撃が始まる。黄瀬にボールが渡るや、リベンジと言わんばかりに先ほど白瀧が見せたキラークロスオーバーを繰り出した。

 

「無駄だよ」

「なっ!?」

 

 だが、二度目の切り返しでボールが手に収まるその前に、白瀧がそのボールを弾き飛ばす。

 

(読まれた!? なんで!?)

「アウトオブバウンズ! 神奈川()ボール!」

 

 幸いにもボールはラインを割り、神奈川の攻撃は続行だ。ただ、前触れもなかった模倣が見切られたことで、黄瀬は動揺を隠せなかった。

 

「……低さか」

「はい」

 

 一連の攻防を見ていた岡田は、藤代が語っていた白瀧の武器を理解し、答えに思い至る。

 

「クロスオーバーは相手の目の前で切り返すドリブル。その為より低い位置で切り返さなければ相手に取られてしまう危険性がある。その点、白瀧さんの方が向いているという事ですよ」

 

 それは技を繰り出す選手が白瀧から黄瀬になった事で、あらゆる能力が向上した中で失われた適正だった。

 高さが黄瀬の方がある分、ボールが手から地面を跳ねる距離が長くなる。その分スティールを受ける危険性も上がっていたのだ。

 

「だが、それだけでは止める事は難しいだろう! 黄瀬はドリブルを突く強さだって上だ! 決して速さで劣っているとは思えない!」

「ええ。ですから勿論それだけではありません」

 

 しかしそれだけで白瀧が止められるとは考えにくい。力が黄瀬の方が上の分、ボールを突く力も勝っているのだ。

 岡田がまだ何か他に理由があるはず、そう訴えると藤代も『当然』と言うようにうなずいた。

 

(……ッ! でも黙っていられない! 白瀧っちが連続得点に成功している今、俺が攻撃失敗のままだなんていられない!)

「先輩!」

 

 先輩達のマークも厳しい中、自分が再び流れを呼び込もうと、森山にパスを要求する黄瀬。

 執拗なカットでパスを受け取る事に成功すると、黄瀬はゴールに向けて切り込んだ。

 白瀧が厳しいマークを続ける中、シュートフェイクから一転、低く飛ぶギャロップステップからヘリコプターシュートへとつないでいく。

 

「問題ない。読んでいる」

「なっ!?」

 

 その高速の動きに白瀧のブロックは食らいついていた。彼自慢の瞬発力が発揮され、シュートコースを塞いでいる。

 

(どう、して!?)

(3分観察して俺もわかった事があった。お前は、同じ技を連続では出さない。その上で一番成功率が高い技を選んでいく。——よかったよ、お前が黄瀬のままで。)

 

 黄瀬は理解できず、ただ目を見開いた。

 藤代たち同様、白瀧も3分間ただ打ち倒されるだけではなかった。黄瀬の動きを分析し、対策を練っていた。そのおかげで先ほども、『相手の技を見たら即やり返す』という性格を思い返し、防ぐことに成功したのだ。

 

「つぅっ、早川先輩!」

 

 このまま撃てば間違いなく防がれる。それを察して黄瀬は近くの早川を呼ぶ。

 

「無駄だ」

「ッ!」

 

 だが、早川に渡るはずだったパスはその直前で勇作に防がれた。

 

「そん、な」

(そのタイミングで咄嗟にパスを出そうとすれば、同じサイドにいる近くの選手に出すしかない。だがあいにく勇作さんの方が敏捷性が上だ)

 

 相手が行動に移す前から練られていた白瀧の行動予測。本気になった黄瀬の猛攻を封殺するという荒業に成功する。

 

「時に迷い、苦しみ、揺れ惑った。不安定だった心が、ようやく定まりましたか」

(もう一つ。白瀧さんにあって、黄瀬さんにないもの。——経験値だ。長い間バスケに身を削り、魂を打ち込んできた年月の差)

 

 それを成せたのは才能によるものではなかった。

 先に藤代が言っていた、白瀧が黄瀬に勝っている武器。愚直なまでに彼がバスケに取り組んできた戦果が、今彼だけの力となって白瀧の原動力と化す。

 

 ——心眼。

 

 誰もが持って生まれるという、五感を研ぎ澄ます野生とはまた違う。

 たゆまぬ鍛錬の先に磨かれた洞察力、多くの戦術をこなしてきた事で身についたバスケIQ。これらの結果生まれた、自身が置かれた状況と相手の力を冷静に分析し、活路を切り開く道筋を見出す経験則だ。

 たとえ黄瀬は技術という結果を模倣することはできても、その過程である経験までは模倣できない。

 

「白瀧さん。あなたはバスケの才能ではキセキの世代よりも劣るのかもしれない。だが、それこそがあなたの強さだ。弱さを知り、無力を嘆き、絶望を味わい。それでもなお勝つための手段を模索して一歩でも前へと進む事ができる。策を弄し、技術を磨き、勇敢に挑み続ける。ならばこそ――あなたの努力はもう報われていい」

 

 諦めずにここまで戦い続けた。今こそ勝利と言う最高の成果を得る時だと、藤代は白瀧を優しい視線で見守った。

 

「やはりお前は俺とは別物だ」

「白瀧っち!」

「そこをどけよ、黄瀬! 俺が神速を名乗る事を許したのはただ一人だけだ。断じてお前ではない!」

 

 これ以上俺の模倣で好き勝手はさせない。黄瀬にそう宣言し、白瀧は呆然とする黄瀬を尻目に走り出した。

 すると、ボールを手にする勇作が小林へとパスをさばき、その小林が長い放物線を描くロングパスを放る。

 

「決めてこい、白瀧!」

 

 二人の専用パス、タッチダウンパスが再び放たれた。

 

(負け、た? 俺が、負ける?)

「——ッ! ああああああ!」

(違う! もう、負けなんていらない!)

 

 鋭い送球が空を切る。誰も障害とはなりえないと皆が思う中、黄瀬が喉がはち切れんばかりに叫び、駆け出した。

 絶対に止めてやると必死の形相で白瀧の後を追う。

 

「無理だ。火神だってこのパスは取れなかったんだ。スタートが遅れたこの状態では、黄瀬でも間に合わない!」

(間に合わない? ふざけるな! ここで止めて、俺が勝つ! 神奈川を、海常の皆を勝たせる!)

 

 だがこのパスは火神でさえ止められなかった。紫原でも反応が遅い中では止められない。いくら黄瀬でも無理だろうとそんな声が飛ぶが、黄瀬は知ったものかと跳躍した。

 

「うおおおおお!!」

 

 そして黄瀬の執念が、ボールをかすめる。

 

「なっ!?」

「嘘っ! 指先が届いた!?」

「馬鹿な! ありえない! 無理やりパスの弾道をずらしただと!」

(白瀧の瞬発力を模倣した、黄瀬のスペック。無理やりボールに触れやがった!)

 

 今度は栃木の選手達が驚かされる番であった。

 止められないはずであったロングパス。白瀧のバスケスタイルを模倣した今の黄瀬は、不可能を可能とする。

 ただでさえ精密さを要求されるパスは、黄瀬によってタイミングがずれ、軌道も上に変化して——

 

「ッ!?」

 

 その先に白瀧の姿があった。

 

「なんで、っスか? 俺が触れて弾道も、タイミングだってズレたのに。何で白瀧っちがそこにいるんスか?」

 

 ありえない。黄瀬は空中で落下しながら、どうしてそこにいるんだとベストポジションに構える白瀧に尋ねる。

 

「当たり前だろ。お前の強さを誰よりも知っているのは、他でもない俺だ。ずっとお前を倒すと決めて戦ってきた。だからこそ、お前ならきっと無理なパスにだって触れてくるだろうと信じていたさ!」

「……適応(アジャスト)

「敵の強さに応じてそのプレイを変えていく、まさに変幻自在。何が万能の選手じゃないだよ。ふざけやがって」

 

 ずっと黄瀬を倒すと、彼の強さを知る白瀧だからこそできた事だった。

 きっと誰もが無理であると考える事でも、黄瀬ならばやり遂げるだろうと。

 黄瀬の強さに呼応して自分の行動を適応させた。最後の最後で黄瀬を出し抜いたのか、赤司や青峰はこの速攻は白瀧に軍配が上がったと息を吐く。

 

「ま、て。白瀧っちぃっ!」

「待たねえよ」

 

 もはや誰も間に合わなかった。それでも必死な黄瀬の叫びが木霊する中、白瀧のアリウープが炸裂する。

 

「2年も待ったんだ。もう一秒たりとも待ってなどやるものか」

 

 今、白瀧の中で止まっていた時の針がようやく動き出そうとしていた。

 

「くっ!」

「神奈川県、タイムアウトです!」

 

 白瀧の連続得点。ここは流れを切らなければならないと武内がタイムアウトを取る。

 選手達がそれぞれのベンチに下がろうと足を向けると、突如観客席からはこの日一番の歓声が湧き上がった。

 

「えっ?」

 

 突然の声に白瀧は振り返り、観客席へと目を向ける。

 

「いいぞー白瀧!」

「あのキセキの世代相手に押してるぞ!」

「頑張れ! 勝ってくれ!」

 

 発生源は栃木県の応援席だ。

 響いた声は別に特別なものではない。何度も耳にした聞きなれた応援であったはずなのに。

 思わず白瀧の目から涙があふれ出す。

 ——これが、彼がずっと待ち焦がれていた瞬間だったのだ。

 

「泣くな、白瀧。まだ終わっていない」

 

 肩を震わせる白瀧の姿を見かねて、楠が声をかける。

 試合時間は残っている。ここから再び展開が変わる可能性だって残されているのだから、今はまだ泣くなと。

 

「わかっています。……でもすみません。今は、泣かせてください」

 

 ただ、それでも白瀧の涙は止まらなかった。

 

「この試合が終わった時にはもう泣かないように。笑っていられるように。今出しておきたいんです」

 

 神奈川との、黄瀬との戦いが終わった時に、もう涙せず笑顔でいられるために。貯まった感情を白瀧は吐き出し続ける。

 そんな彼の頭を楠は二度三度と軽く叩いて、一緒にベンチへと戻っていった。

 

 

————

 

 

「残り時間5分。黄瀬、もう一回戦などと考えている余裕はない。ここが勝負所だ!」

「おそらくここから最後の正念場となるでしょう。白瀧さん、頼みますよ」

 

 第4Qは残り5分。(栃木)80対72(神奈川)。点差は8点、先ほど栃木が取ったタイムアウトの時よりも点差は広がっているも、決して安全圏ではない。

 しかもここからは黄瀬が最後の手を講じる事を武内は決め、藤代もそれを覚悟していた。

 ゆえに最後の勝負時のこの時間帯、両県はエースにその命運を託し、タイムアウトを終える。

 そしてタイムアウト明け、神奈川の攻撃。

 

「まだ勝負は決まっていない! 勝つのは、俺っス!」

「ッ!?」

 

 やはり最後のパスを受けたのは黄瀬だった。

 白瀧のマークがつくも緩急で彼を揺さぶるとフェイダウェイシュート。

 しかも上体をほとんど真後ろに寝かせながら強引にシュートを放つ。

 一見無茶苦茶と思えたこのシュートは、しかし綺麗にリングの中心を貫いた。

 

「くっ!」

「今のシュートはやはり、型の無い(フォームレス)シュート!」

「キセキの世代、青峰の模倣か!」

 

 緩急のついたドリブルから、予測不可能なシュート。桐皇戦と同じ、黄瀬は青峰のバスケスタイルを模倣し、最後の追い上げを試みる。

 

「上等だ! 俺だってオフェンスで負けるつもりはねえ!」

 

 だが攻撃を得意とするのは白瀧も同じだ。

 こちらも白瀧がパスを受けると一対一を仕掛けていった。

 クロスオーバーを一つ入れて切り返すと、黄瀬が侵入を阻止しようと大きく下がったのを見てジャンピングシュートに切り替える。

 出だしの早いこのシュートに黄瀬のブロックは間に合わなかった。

 

「ちいっ!」

「ドリブルの強みが増したことで、他の技も相対的に威力を増しやがった!」

「負けんな、黄瀬! とめ(ろ)よ!」

 

 黄瀬に負けじと挑んでくる白瀧。

 おそらくはここから先、相手もエースを中心に攻めてくるだろう。

 早川が黄瀬に絶対に勝てと叫ぶ。

 

「当たり前っス! 俺は、俺が神奈川のエースなんスから!」

 

 その期待に、黄瀬は見事に応えた。

 緩急で白瀧を振り切れないと悟ると、横っ飛びに跳んで片腕のみでボールを放る。

 もはやシュートとさえ思えない黄瀬の動き。

 だが確かに神奈川へ二点をもたらした。

 

(駄目だ。さすがに青峰の動きまでは予測できない!)

「——だったらこっちだって決めてやる! 俺が、栃木のエースだ!」 

 

 経験則による心眼をもってしても読む事は不可能な青峰のシュート。

 止める事は出来ない。ならばこちらもすべて攻撃を決めてやると白瀧も声高に叫んだ。

 一つクロスオーバーを入れた後、ボールを掴むと同時に上体を上げて視線をリングに移す。

 またシュートで来るのか。黄瀬が警戒して重心が浮かぶと、白瀧は再びドリブルを突き、黄瀬の足元を突破していく。

 

「ッ!」

(しまった!)

(ヘジテーションクロスオーバーか!)

 

 ヘジテーションクロスオーバー。クロスオーバードリブルの途中、バウンドしたボールを掴む際にシュートをするような動きを入れ、ディフェンスを引き付けて再びドリブルで抜く技術である。

 

(別に腕を上げる事だけがシュートフェイクではない。その姿勢を見せるだけでディフェンスは重心を上げ、そして突破できる可能性は大きくあがる)

(相手の重心を上げさせ、自分は重心を下げて瞬時に真横を抜き去る。縦のチェンジオブペースみたいなもんだ)

 

 先のジャンピングシュートもあって黄瀬は余計に警戒してしまった。

 結果、黄瀬は重心を上げてしまい、重心移動の達人である白瀧にかわされてしまったのだと赤司は見抜いていた。

 青峰も今の白瀧の動きが平面で見せる縦の緩急による駆け引きを察知し、おそらくはわかっていても止める事は難しいであろうと考える。

 事実、黄瀬は反応が遅れ、ヘルプに出た小堀の横を通したパスから光月の得点を許してしまう。

 

「おおおお!!」

「すごい! 両県のエース、一歩も譲らず!」

「ノーガードの殴り合いか!?」

 

 栃木対神奈川。ここまで何度も流れが変わる場面が見られたこの試合。最終Q残り時間わずかの時間に点の取り合いとなって、観客席もさらにヒートアップした。

 

「白瀧っち!」

(くそっ。一点でも縮めたいのに、わかっていても体が反応してしまう!)

「黄瀬ぇっ!」

(ちくしょう! 少しでも点差を広げたいのに、全く次の動きが読めない!)

 

 実力が拮抗する両名も激しく火花を散らす。

 まるでかつての海常と桐皇の試合の時と同じ。キセキの世代同士がぶつかり合いが繰り広げられている様であった。

 さらに二人の一対一は苛烈さを増していく。

 しかし、時間の経過に反比例して会場は徐々に落ち着きを取り戻し、そして静まり返った。

 

「……おい」

「一体この二人の戦いは、いつまで続くんだ?」

 

 決して場が白けたわけではない。

 誰もが二人の戦いに息を飲んだのだ。

 武内が取ったタイムアウトから約4分。二人は一対一を繰り広げ、そして交互に得点を重ねていった。

 

(マジで、二人とも止まらねえ!)

(二人ともフローに入った状態で、全力のぶつかり合い。下手にパス回しをする事も出来ねえ!)

 

 観客だけではなく、コートに立つ他の八人も二人の戦いには驚かされるばかりだった。

 フローに入り、守備範囲も向上しているとなれば、無暗に他の4人で攻める事も難しい。

 まだ白瀧は黄瀬を突破後にフォローに入った敵を見て空いた味方にパスをさばいたりしているものの、そうでなければ攻撃に参加する事さえはばかられる状態であった。

 

(勝つ! 自分の為、仲間(神奈川)の為、再戦(リベンジ)の為!)

(勝つ! 自分の為、仲間()の為、誓いの為!)

 

 ゆえに、この試合の決着は二人の勝敗にそのまま左右される。

 だが二人の戦いは完全に互角。誰もがこのまま時は流れていくのではないかと考えた。

 

 ——そんな時。

 

 決着は突然訪れる。

 ボールを受けた黄瀬が切り込み、中央へと侵入しようと切り込んだ瞬間。

 白瀧はボールが黄瀬の手に収まるより早く、叩き落とした。

 

「なっ!」

「止めた!?」

「アウトオブバウンズ! 神奈川()ボール!」

「ああ、惜しい!」

 

 幸いにもボールはラインの外に出て、神奈川の攻撃は続く。

 しかし青峰の模倣を手にしてからはまだ一度も黄瀬を止められなかっただけに、このスティールの影響は大きかった。

 

「……大丈夫だ! まだうちのボールが続いている! 攻めるぞ!」

 

 まだいけると笠松は皆を盛り立てる。

 お互いに得点を決めている以上、追いかける神奈川は攻撃を決め続ける必要がある。

 次は決めると呼びかけてオフェンスを再開した。

 そしてまた黄瀬のボールを集めるも、白瀧のマークを前に黄瀬は中へ切り込む事さえできない。

 

(黄瀬が攻めあぐねている!?)

(……まさか!)

「こっ、のぉっ!」

(フローの時間制限(タイムリミット)か!?)

 

 息も絶え絶えな黄瀬を見て、笠松達は黄瀬の限界を悟った。

 フローは普段よりも力を発揮できる代償として反動も大きくなる。体に無茶を強いる青峰の模倣と合わさって、黄瀬の限界が早く訪れたのだろう。本来なら五分は持つはずの青峰の模倣が、試合終了よりも一足先に限界に達した。

 

(でも、白瀧だって長くフローを維持していたんだぞ! それでも黄瀬の方が早く限界に達するというのか!?)

「……なるほどな」

「ええ。もう一つありましたね。白瀧さんがもつ武器、すなわち無尽蔵のタフネス」

 

 だが同じフローに入る白瀧とて体力は厳しいはず。その疑問も湧いてくる。

 ——栃木の指導者達以外は。

 白瀧の体力消費の効率性。これを最後まで維持できた白瀧と、逆に体力の消費量が大きくなった黄瀬。どちらが先に力尽きるかは火を見るより明らかだった。

 

(……まだだ! このまま、これで終わるわけにはいかないんスよ!)

 

 ただ、限界に達しても黄瀬は意地で体を動かす。

 振り切れないならばと後方に跳んで白瀧との距離を空けると、ゴールへ向けてボールを投げつけた。

 

『おおおお!!!!』

 

 その黄瀬に負けじと白瀧も全力で挑む。

 

(俺だって同じだよ、黄瀬。俺だってとっくに制限なんて越えていた。でも止まれない。勝つ為ならば限界なんて超えてやると、誓ったんだ! だから!)

「俺は、勝つ!」

 

 白瀧の渾身のブロックが、黄瀬のシュートを叩き落とした。

 

「ッ!」

「攻めろ! ここで決めるんだ!」

「止めろ! 絶対に止めるんだ!」

 

 栃木が今度こそ完璧に黄瀬のオフェンスを防ぎきる。

 しかもボールを拾ったのは勇作だ。即座に楠にパスをわたすと、たちまちコートを駆け上がった。

 これが決まれば間違いなく試合は決まる。両校のベンチから悲鳴のような声が木霊した。

 だが黄瀬も態勢を崩してしまい、間に合うのは笠松のみ。

 すると楠はワンドリブルで笠松を引き付けると横を走る小林へとパスをさばく。フリーとなった小林は悠々とレイアップシュートを沈めた。

 

「ああっ!」

「よっし!」

「やった!」

 

 第4Q——試合時間、残り41秒。(栃木)100対90(神奈川)

 栃木が得点を3桁に乗せ、神奈川を10点差と引き離す。

 

『神奈川県、タイムアウトです!』

 

 たまらず武内はタイムアウトを取った。

 流れを失い、黄瀬も限界を迎え、殆ど勝敗は決している。

 だが最後まで最善を尽くそうと選手達を迎え入れた。

 

 

————

 

 

 神奈川は黄瀬が満足にプレイできないものの、それでも『白瀧を止められるのは自分だけだ』という彼の意見を聞き、そのまま選手交代はなく最後の決戦に挑む。

 もはや青峰の模倣を続ける事はもちろん、フローに入る事も難しい状態だった。

 だが黄瀬も体に鞭打ち、フロー状態での青峰の模倣を続行する。

 先ほどまでのキレはないもののやはりキセキの世代。その威力は甚大だった。

 最後まで諦めない敵の姿勢を見て、栃木も手を抜かずに全力で応えた。

 

「思えばIHは帝光中時代の再演だった。予選で緑間が敗れる波乱があったものの、結局本戦ではお前達を倒せる高校は現れず。表彰台はキセキの世代が独占し、世間はやはり高校でも勢力図は変わらないと考えた。——だが、それも今日で終わりだ」

 

 残り時間はわずか。

 最後の栃木の攻撃。小林から光月に渡った後、ラストパスは白瀧へ。

 マークにつく黄瀬をキラークロスオーバーで突破する。すぐに小堀と早川が飛び出すが、二人のブロックをギャロップステップで潜り抜ける。

 着地後、またしても黄瀬が迫るものの、白瀧の放つヘリコプターシュートは黄瀬の指先をかわし、ボードに当たって軌道を変えてリングを潜り抜けた。

 試合終了のブザーが鳴り響く中、白瀧はここに新時代の幕が上げた事を宣言する。

 

「最強の一角を、倒したぞ! もう誰にもキセキの世代一強なんて言わせねえ! 今度こそ必ず勝ち上がってやる!」

 

 (栃木)102対90(神奈川)

 ついに長年の宿敵・黄瀬涼太を撃破した白瀧。

 自らの因縁に終止符を打ち、仲間達と共に新たなステージへと駒を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――黒子のバスケ NG集――

 

「2年も待ったんだ。もう一秒たりとも待ってなどやるものか」 

 

 今、白瀧の中で止まっていた時の針がようやく動き出そうとしていた。

 

「くっ!」

「神奈川県、タイムアウトです!」

 

 ついに主人公が前に進もうと決意した直後に時を止める武内監督。マジ外道。

 

「いや、戦術として正しい行動をとっただけだろう!?」




心眼:心の目により目に見えない真実を見抜く力のこと。武術において相手の挙動を予測して行動することで相手を制すること。
ティム・ハーダウェイ:1990年代のNBAを代表する選手。元祖キラークロスオーバーと讃えられた名選手。他、クロスオーバーを得意とする選手にアレン・アイバーソンもいる。

……長かった。まずはここまで書ききれてよかった。
令和もよろしくお願いします!

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