(栃木)64対55(秋田)
第三Qを終えた時点で栃木が9点のリードを保っている。
試合が佳境を迎えようとしている中、キセキの世代を擁する相手との一戦でここまでの善戦を一体誰が予想していただろうか。
なにせ秋田県は準々決勝以前の試合の全てで完封勝利という前代未聞の大勝で勝ち上がって来ている優勝候補の一角。
加えて対する栃木はチームの中核を担う大仁多の選手が夏に同じ相手に敗れており、リベンジを迎え撃つ秋田県には氷室という新たなエースも加わっている。こういった事情から前評判では秋田県が圧倒的に優位と見られていた事もあり、この予想を裏切る試合展開に、誰もが最終Qはどのような結末を迎えるのか注目していた。
「問題は、白瀧の状態か」
それは観戦席で見守るキセキの世代も同じこと。
緑間は両校のベンチへ視線を向けたまま静かな声色でそっと呟いた。
「白瀧の状態って、なんか不安要素でもあるのかよ? 後半戦は氷室さんの攻略も含め獅子奮迅の活躍だったじゃん」
「そこが問題なのだよ」
彼の呟きを拾って聞き返す高尾。確かに白瀧はこの試合を通じて対紫原だけではなく、原理が不明であった氷室の必殺技を攻略するなど攻守にわたって活躍していた。
栃木が逆転に至ったのは彼の存在があってこそと言っても過言ではない。
しかし、それこそが問題なのだと緑間は続けた。
「あいつは後半戦、一度も休むことなくフローの状態を維持していた。これほどの長時間、限界を突破し続けるなど、やつでもまだ未知の領域のはずだ」
白瀧の奮戦を可能としたフローの突入。
かつての陽泉戦でもみせた際には、第三Qの終了直前から使いはじめ、そして試合終了を待たずして力尽きた。神奈川戦でも10分間全ての時間で使用していたのは最終Qのみ。
一方で今日の試合ではすでに第三Qの10分全てで発揮している。普通に考えればいくら体力自慢の彼でも厳しい話だ。そうでなくても今日は二試合目、過密日程も重なって疲労が蓄積していてもおかしくなかった。
「試合展開は勿論のこと、あいつの状態を考慮してもここが正念場であることは間違いないのだよ」
だからこそこの試合の最後まで心身がもつのか、下手すればベンチに下げざるをえないほどの消耗ではないのか。緑間の不安は尽きなかった。
一方その頃、まさに話題の中心である栃木ベンチでは――
「――――――――死にそう」
椅子に深く腰掛け、顔に冷たいタオルを覆い被せ、手足を力なくぶらつかせた状態の白瀧が一人口ずさんだ。
「大丈夫か、白瀧?」
「大丈夫、と言いたいところなんですけどね。やはり、体は重いです」
「無理に強がらなくて良い。休め」
「そうします」
楠や勇作の声かけに軽く返すに止まる。
息も絶え絶え、疲労がピークに達している姿から発する彼の声はチームメイトにこの試合の激戦ぶりを伝えるには十分すぎるものであった。
それこそIHで陽泉と戦っていた時に匹敵する消耗ぶり。
皆が「当然の事だ」と、むしろ出来すぎなくらいだと白瀧の疲れきった様子を案ずる中で。
(でも、全然前の試合とは違う。同じ疲労具合でも、白瀧君……なんだか楽しそう)
まるでキセキの世代という強敵との戦いを心待ちにしているかのように。
彼の両足のアイシングを担っていた橙乃は、白瀧の声色の違いを明白に感じ取っていた。
「もちろん、キセキの世代が敵である以上はあなたの存在は不可欠だ。しかし同時に途中で離脱するような事になっても困る。また夏の二の舞となるわけにはなりません」
彼の力を、そして敵の力を考慮して藤代は冷静に述べた。
リードが栃木にあるとは言え、氷室と紫原のダブルエースを擁する秋田を相手にセーフティリードなど存在しない。
かといってIHのように捨て身の特攻をするといえのも点差を考慮すれば下策であろう。
「白瀧さんのフローに頼りきるだけではならない。ここは冷静に行きますよ」
ゆえに試合展開から藤代は策を講じた。
エースの限界を考慮しつつ、確実に敵を制するために。
一方、追う展開を強いられた秋田ベンチは――
「さすがにこの展開は予想していなかった。過小評価したつもりはないが、お前たちも改めて肝に銘じろ。お前達が戦う相手は攻撃力ならば全国でも最強だ」
椅子に腰かける選手達と目を合わせるようにしゃがみこみ、真剣な顔立ちでそう告げた。
第三Qのみで栃木はこの試合の総得点の半数に当たる31得点と爆発的な攻撃力を知らしめた。しかもディフェンス最強と名高い紫原と対峙して、だ。
この結果はさすがに荒木にとっても予想外の事であり、しかも白瀧が一度もベンチに下がらないどころかフローを解除しなかったこと。それが彼女に甚大な衝撃を与えていた。
「最終Q、栃木はどう来ますかね? 神奈川との戦いでは終盤も選手交代を頻繁に行っていましたが、今日は後半戦はまだ一度もしていませんが……」
「おそらく、このメンバーのまま最後まで来るつもりだろう」
とにかく今は善後策を講じるべきだろう。
まず敵の陣容を明らかにすべく岡村が問えと、荒木は冷静に考えを述べた。
「あの男は作戦については冷静に物事を判断するが、それでいて選手の気持ちを汲む傾向がある。出ている顔ぶれを見るに大仁多の選手でリベンジを成し遂げたいはずだ。ならばここで選手交代はしないはずだ」
荒木の予想通り、藤代はこの試合をインターハイの雪辱に燃える教え子達で乗り切ろうと考えている。そうなると、栃木のベンチで残る大仁多の選手は中澤のみだ。よって変えるなるば白瀧あるいは小林の二択となり、チームの総合力が大きく落ちることとなる。
よってこのような交代はしないと結論付けた。
「じゃあ、
「そちらについては、正直未知数としか言えん」
ならばもうひとつの大きなキーポイント。
敵の切り札について氷室が意見を求めると荒木は途端に苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
「本来ならば第三Qで力尽きていても不思議ではない。むしろ最後までもっていた方が異常なんだ。もう限界のはずだが、あれがこの先は発揮されないと断言することは危険すぎる」
夏の終盤、ギリギリの展開まで追い詰められた嫌な経験が荒木の判断を鈍らせる。
遅れを取っている苦しい状況。動きたいところではあるが、敵の読みにくい消耗度合いが積極性を奪っていた。
「とはいえ、さすがに攻守の両面で奮闘し続けるのは困難なはずだ。そこでオフェンスは有利な所をつく。――氷室」
「はい」
ゆえにより確実な局面で勝利を取りに行こうと荒木はエースの方翼を呼んだ。
「お前が突破口を切り開け。あまり敵の中央、白瀧のヘルプが予想される敵陣深くまでは切り込むな。マークさえ外れてしまえば、お前のシュートは止められない」
「わかりました。必ずや期待に応えます」
白瀧のリベンジに燃える気持ちが無いわけではないが、負けている今は我儘を言う場面ではない。氷室は即座に指揮官の命令に力強く頷いた。
「あとは紫原のマークが厳しい今、岡村と劉のどちらかはマークが緩いはずだ。各自局面を見てボールを供給しろ。ゾーンプレスはさすがにそう連発しないはずだが、来た場合は即座に氷室に回せ。フェイクで惑わし、それでも突破できなければ迷わずロングパス一択だ。それが一番可能性が高い」
「了解」
「ディフェンスは敵の動きがないなるばこのまま2-3ゾーンを維持だ。スリーには要注意しろ」
他の攻防に関する指示は続投とし、荒木は大まかな説明に区切りをつける。
あとはある意味最も大きな問題、もう一人のエースである紫原へと厳しい視線を向けた。
「――紫原。お前は引き続きゾーンの中央で守ってもらうぞ。先ほどから黙り込んでいるが、疲れたなどとは言わないだろうな?」
調子の波が激しい彼の事だ。先の白瀧の奮戦もあってフラストレーションは貯まっているだろう。大丈夫だろうか、にわかに不安を抱いたまま、荒木は紫原へ問いかけた。
「……別に。そんなことはないけど。でも……」
「でも?」
彼らしくない歯切れの悪い口調である。
やはり本来の調子ではないのだろうかと皆の注目が集まるなか、紫原はひとつ間をおいて続けた。
「ようやく、これが試合なんだなってハッキリしたよ」
「……は、あぁ?」
「紫原! お前、ふざけとるのか!? 今まで一体なんだと思っておったんじゃ!」
「寝ぼけているなら引っ込めアル! こっちまでやる気が下がるアル!」
とても試合の最中であるとは考えられないような発言に福井や岡村、劉から非難の声が飛び出す。当然他の者達からも冷たい視線がルーキーへと突き刺さる一方。
「……敦?」
「紫原?」
氷室と荒木だけは、紫原がむしろ常よりも真剣な表情を浮かべている事を見抜いていた。
「さあ、試合再開だ! 準決勝に進むのはどっちだ!」
「泣いても笑っても、これで全てが決まる最終Q! 栃木がリベンジを果たすのか、秋田が意地を見せるか!」
様々な思惑が行き交う中、ついに第4Qがはじまった。
両校共に選手の交代はない。10人の選手たちに両県の期待が託された。
まずは秋田ボールから攻撃が始まる。
福井が敵味方の動きをしっかり見極めながらボールを運び――
「ちっ!」
「ぐぅっ!」
紫原にダブルチームについている白瀧、光月の二人が必死に食らいつく姿を見て、違和感に気づいた。
(白瀧のフローが解けてる……?)
もっと正確にいえば、中断により自らやめたであろうフローの状態にもう一度入っていない。
突入すれば攻守で紫原に対抗できる貴重な切り札。それを使わない理由に、先ほどのミーティングを思い返し、答えに至った。
「なるほど。やはり先の第三Qは無理をしていたな。ならば、氷室!」
それは荒木も同じこと。
敵の中心人物が疲労のピークに達しているならば、一気に攻め寄せ復活する前に点差を縮めていくべき。彼女は予定通り二人目のエースに指示を出すと、狙いどおり福井から劉のスクリーンを介して氷室にボールがわたる。
「行かせるか!」
「……君相手に、止められるわけにはいかないな」
マッチアップの神崎が必死に抑えようと試みるなか、氷室の静かな声が場を支配した。
直後、シュートフェイクで硬直した神崎のわずかな隙を逃さずに氷室が中央へ切り込む。
負けじと神崎が遅れながらも横からブロックを試みるものの――
「白瀧君以外に、陽炎シュートは触れられないさ!」
「……っ!」
一回目のシュートに飛び付いてしまった神崎は、二回目のシュートを防ぎきれなかった。
奮闘むなしく、秋田に二点が記録される。
(栃木)64対57(秋田)
栃木の逃げきりを阻む、エースの得意技が炸裂した。
「いきなり来たな。七点差か……」
「すみません。これ、多分ここから氷室さん中心で来ますね。あの、キャプテン」
「ん?」
「相談があるんですけど……」
再開から14秒。陽泉にしては珍しい早い立ち上がりに、小林はこれから始まるであろう厳しい局面を想定して息を吐いた。
神崎も同様であり、それを打破するために、彼は小林へあることを耳打ちする。
「……なるほど。わかった。だがまずは攻撃だな。頼むぞ、白瀧」
「はい。わかってます。あまりやらない展開ですが、しっかりやりますよ」
その提案に頷きつつ、いずれにせよ攻撃をしなければ始まらないと小林は白瀧へと声をかけた。
主将に託されたエースはやり遂げてみせると決意を露にする。
小林のスローインからボールを受け取り、ボールを運ぶのだが、しかし――
「…………ん?」
「遅い?」
「なんだ、得意の速攻じゃないにしても、やけにボール運びが遅いな」
秋田の選手たち、さらに高尾をはじめとした観客が揃って首を傾げた。
今までよりも白瀧をはじめとした栃木の選手たちが攻め上がってくる時間がゆっくりなのである。
フロントコートに入ってからも、なかなか切り込もうとはせず、白瀧はドリブルを続けながら選手たちの動向を観察するに留まっていた。
(仕掛けてこない……?)
(なぜじゃ。速いパス回しと突破で相手を崩すのがお前たちの常套手段じゃろ!?)
これまでの栃木とは正反対の遅攻。
自慢の速攻を捨ててまで始めたこの戦術に福井や岡村が疑問符を浮かべる。
「……まさか!」
だが、荒木がいち早くこの動きのメリットに気づき、席から立ち上がった。
「福井! 前に出ろ! ボールを獲りに行け!」
「えっ?」
「早くしろ!」
突然耳に響いた叫びに、福井も駆られるように飛び出す。
「甘いな」
しかし。
たとえフローに入らずとも、相手はこれまでキセキの世代と渡り合ってきた猛者。一対一で不意を突かれようとボールを簡単に奪われるはずもなかった。
福井が伸ばす手を白瀧はバックチェンジでかわすと、まえがかりになっていた敵の横を呆気なく突破。ミドルへと侵入を果たし、
「外に二人、ゴール下に二人、こっちも同数。なら、白ちんが一番好きなのはここでしょ」
「なっ!!??」
次の手を打とうとした彼の前に、紫原が立ちはだかった。
(ばかな。反射神経にしても早すぎる! いや、今の発言……まさか!)
あまりにも早い相手の飛び出しに、白瀧も冷や汗を浮かべる。
「チィッ! 勇!」
たちまち白瀧は外の神崎へとボールを回した。
中は先ほどよりも厳しい、ゆえに外から仕掛ける。
ボールを預けた白瀧はトップポジションに戻る、と見せかけて方向変換のフェイク後、神崎と同じ左サイドの0度の位置へと駆け込んだ。
「いや、真ん中にはまだディフェンスがいる。こっちの方が、狙いやすい!」
その動きさえも、紫原に完璧に読みきられてしまう。
神崎から白瀧のリターンパスが紫原の右手に叩き落とされた。
「なっ!」
「嘘だろ!」
「アウトオブバウンズ!
間一髪でボールはラインを割り、再び栃木が攻撃権を持つ。
しかし終盤に来てさらに動きが良くなったような紫原の存在に、二人は衝撃を覚えていた。
「……だが、勇!」
「えっ?」
「リスタートだ。急げ!」
だからと言って黙っているような男でもなく、白瀧はすぐに神崎を呼ぶと、すぐさまボールを投入させる。
「まさか!」
そして手にすると同時に白瀧はジャンピングシュートを放った。
一度ゴール下に戻ろうとした紫原も急いで飛び付いたものの、この奇襲には僅かに届かない。それでもプレッシャーのためか、軌道がリングにそれているように見えるものの。
「問題ない。お前さえゴール下から引きずり出せたならば。明なら、秋田相手にリバウンドを奪える!」
白瀧は微塵も心配していなかった。
何故ならばこの試合は栃木のパワー自慢の選手が健在だからこそ。光月が岡村を相手に優位にポジション争いを繰り広げていた。
「うおおおおっ!」
「こいつっ!」
そしてリングに弾かれたボールを光月が手にする。
「よくやった光月!」
「ナイスガッツ! 頼りになる!」
「はい!」
すぐさま外の小林へとパスをさばき、再び栃木はゆっくりボールを回し始めたのだった。
「こいつらまさか……!」
「なるほどアル」
「そう来たか。たしかにこの点差ならばあり得る話だ」
ボールがリングに衝突したことにより、カウントがリセットされたタイマーを目にし、敵の思惑を理解した。
「藤代め。白瀧は交代せずに、こうして少しずつ時間を潰させて、タイムアップまで持ち込む気か……!」
栃木の監督の顔を思い浮かべた荒木がギリッと歯を食い縛る。
当然ながら負けている秋田にとっては失点することは勿論、試合が膠着したまま時間が潰れてしまうことが痛手であった。相手が攻めてきてくれれば守る機会も増え、ボールを奪取する機会も訪れる。
しかしこうして相手が中々攻めてこない間は簡単にはボールを奪えない。
「しかも主にボールをキープしているのは白瀧だ。あいつが持っている状態で、単独で真っ向からスティールできたのは黒子と、あいつのバスケスタイル自体をコピーした黄瀬くらいだろう」
「パスの途中で獲ったり、シュートをブロックすることは結構あるけど、たしかにあいつ自身がボールロストする機会ってほとんど見ねえしな」
さらに緑間がこの戦術の意図に気づき、そう語った。ドリブル能力がよく印象に残る彼だが、その分ボール保持能力も長けているのだ。
そんな白瀧からボールを奪うのは困難。高尾もこれまでのデータを思い返し、苦笑するしかなかった。
「……ただ」
「ん? どうした、真ちゃん?」
「紫原も、このまま終わるつもりはないらしい」
同時に、緑間は紫原の変化に気づき、試合はまだわからないと談じる。
(紫原のやつ、これまでの反射だけじゃなくて、予測で動いている……!)
白瀧も紫原の変化の原理に気づき、正解に辿り着いた。
「まだ攻めてこない。……多分動くなら白ちんに戻して、20秒前後」
今も紫原は光月をマークしながら辺りを見回し、敵の動きを見極めている。
面倒くさがりの彼ならば信じられない行動であった。
(反射神経に加え、俺達の動きを読んだことでさらに動き出しが一歩早くなっている。俺がドリブルしてシュートに移行するための体勢を立て直す間に、余裕で距離を詰めてくる)
元々紫原は頭もよかった。
消極的な姿勢のために勘違いされがちだが、青峰や黄瀬と違って勉学も優秀。ただ、これまでは考えずとも相手の動きに反応するだけで勝ってこれたからこそ必要もなかった。
「めんどくさ。こんなのいっつもやってたの、赤ちんとか、白ちんって」
それでも、今、対峙している敵は違う。
初めて心の底から尊敬する相手を見つけたことで、彼の意欲も変わった。
「でも、負ける方が、もっと嫌なんだよね」
「っ……!」
光月の体を完璧に抑えた上で周囲の出だしを分析し、備える。
今まで以上の守備範囲と集中力を放つ紫原が、ゴール下に君臨していた。
「……ハハッ! そうこなくっちゃな!」
ならばこそ、と。
白瀧の闘志もたぎる。こんなところで終わるようでは拍子抜けというものだ。
むしろディフェンス最強に自分のオフェンスが通用するかどうかを試すには。
「そっちが一歩早めてくるっていうなら」
本気を出してくる相手を倒してこそ、戦う意味があるのだから。
「こっちも一歩、速く行くか!」
「っ!」
残り四秒。
24秒ルールの制限が迫る中、白瀧が仕掛けた。
斜めに沈みこむようなクロスオーバーで一閃。あっという間に福井のマークを振り切る。
「やっぱり、でもそうはさせないって」
白瀧の姿が僅かに揺れた瞬間、紫原も駆け出した。
完璧なタイミングでの飛び出しだ。
パスもシュートも簡単ではない、ベストな瞬間。
「っ!?」
「あっ!?」
しかし。
わずかに早いタイミングで左サイドから中央へと駆け込んだ神崎、そして彼を追った氷室の二人が紫原の行く手を阻む。
「このっ! でも!」
それでもまだ間に合うと、紫原はターンで二人をかわし、白瀧に突撃を仕掛けた。
「いや、一手遅いよ。天才」
その直後。
ドリブルからわずか一歩のステップで踏み切った白瀧の体がすでに宙に浮いているのを、紫原はまだ距離がある状態で目撃した。
「そんな……!」
急いで飛び上がるも、間に合わない。
白瀧のティアドロップシュートがリングを撃ち抜いた。
(栃木)66対57(秋田)
攻撃が遅くなっても、手が緩むことはない。
「最悪だ……!」
40秒以上の時間を稼がれた上で得点を許した。
敵の作戦通りの展開に荒木は思わず両手で膝を叩く。
「……どこまで単純なんだ、あいつは」
一方で呆れたような口調でそう発したのは緑間だ。
「フロー時のスピードを維持できない以上、さらに早さを増した紫原から得点を挙げるのは難しいと判断するや否や、あいつは跳ぶタイミングを早めた。突破が難しいならば紫原が接近する前に決めてしまうとは」
ワンステップティアドロップ、といった所だろう。
従来の遠い距離から放つレイアップ・ティアドロップシュートをさらに遠い距離から、ドリブルから踏み切りの歩数を従来の二歩から一歩に減らし、最小限のボール保持に留めた。
さらに紫原を突破できた原因はそれだけではないと緑間は続ける。
「神崎が中央に走る姿を利用した。紫原が一歩で詰められないように。神崎と氷室の二人をスクリーンとして、紫原の最短距離での接近を不可能にしたんだ」
紫原は一歩で詰めるだけの長い足を持ち合わせるが、その分身軽さという点では白瀧達より劣る。体が大きい分壁にはまってしまったのだろう。
「自分も動きながら味方の行動を読み、そして実行に移す。優れた動体視力と思考の瞬発力がなければできないプレイだ」
動く相手の動きを読みきる視力。そして敵の動きに対する幾重もの対策の中からベストな答えを瞬時に判断し、実行に移す思考を反射的に行う。この能力があってこそ。
たったワンプレイであったが、その中から白瀧の隠された力が見出だせたような感覚を覚え、緑間の頬を冷や汗が伝った。
「やはり厄介な存在だな、君は。ならば!」
両者のエースが更なる真価を発揮する。
ならば俺も黙ってはいないと、再び氷室が気を吐いた。
福井、岡村とゴール下にボールが渡り、そこから氷室へとパスがさばかれる。
「ふざけんな!」
「もう一度、決める!」
完全に自身のマークを狙った攻撃。神崎が咆哮を挙げた。対する氷室も気迫をむき出しにし、そしてまた彼の上体がゴールを狙って浮き上がる。
(まだ。跳ばない……!)
今度は紛れもないシュートの動作だが、神崎は跳ばなかった。
白瀧から予め氷室の必殺技のカラクリを聞いていたこらこそできた対策だった。
(ここから一度リリースして空中でキャッチ、そこからもう一度シュートを撃つ。なら、俺にはあいつみたいに両方に共通するコースを見つけることも飛び込むこともできないけど、二回目のシュートに反応するだけならできる!)
一度目のシュートを完全に無視し、そして二回目に焦点を合わせてブロックを狙う。仕組みをよく理解した彼の行動に。
「無駄だよ。それでは止められない」
氷室は即座に対応した。
陽炎シュートはたしかに二回のリリースポイントを設定することで真価を発揮する。しかしこうして対策を打ってタイミングをずらした相手の不意を突き、一回目のリリースでそのままシュートを撃つこともできるのだ。
「よしっ! 撃て、氷室!」
味方もそれを理解し、得点を確信する。
「って、やっぱりそう来ますよね」
「っ!」
だが、神崎は小さく笑った。
「たしかに俺には二回目に飛び付くしか思い付かなかった。でも……陽炎シュートは二回リリースするために、どうしても一度目のリリースポイントは低くなってしまう。だから、うちのもう一人の頼れる人に託したんですよ」
自分一人では勝てない。
それを理解した上で、チームとして勝つために手を打っていた。
「忘れましたか? 今このコートに立っているなかで、ガード陣で最長の身長と、高い運動能力を持った選手がいることを!」
その言葉が呼び出したかのように、氷室の死角である真横から大きな影が飛び上がった。
その影が、まさに氷室がシュートを放った瞬間、ボールへと手を伸ばす。
「うおおおっ!」
小林のブロックショットが炸裂。
氷室の陽炎シュートを防ぎきった。
「なっ……」
「こ、小林!」
「そうだ、栃木にはまだこいつがいる……!」
188センチ、長身の氷室よりもさらに背丈がある彼のディフェンス。
主将がみせた気迫のプレイが秋田の選手たちに多大なプレッシャーを与えた。
「さすがキャプテン!」
「ナイスコンビネーション!」
しかもボールは黒木が奪い取る。
攻守が入れ替わったことで更に栃木の熱は高まった。
「……っ! 止めろ! 時間を使わせるな! 奪うんだ!」
エースで得点に失敗した直後だ。これ以上時間を使わせることも失点することも致命傷になりかねない。荒木が必死に声を振り絞った。
「させるかよ」
しかし白瀧が完全にボールをキープする。
福井のスティールを距離を保ちながらかわし、最大限時間を使って、そしてダブルクロスオーバーで突破した。
またしても紫原がヘルプにでるが。
「俺達は、絶対に勝つ!」
今度はジノビリステップで紫原のシュートブロックをかわした。
さらに劉を引き付けた上で黒木にラストパス。そうして黒木がベビーフックシュートを放つ。
「そんなの、こっちだって同じだし!」
完全にフリーになったシュートだったが、またしても紫原のブロックが炸裂した。
リバウンドを劉が確保し、また攻守が逆転する中、パスを出す寸前で黒木がポールを叩く。
「アウトオブバウンズ!
奪うことこそできなかったものの、確実に敵の速攻を防ぐことに成功した。
「秋田県、タイムアウトです」
そして、ここで荒木が作戦変更のために試合を中断する。
栃木の予想外の戦略、そして氷室が早々に白瀧以外の選手に攻撃を止められた事が大きくのしかかっていた。
――――
「ゾーンを少し変更する。紫原、お前は通常より前に出ろ。2-1-2ゾーンディフェンスだ。前にでて、白瀧や小林などボールの供給源を抑えろ。今のお前ならばできるはずだ。少しでもやつらのオフェンスの時間を減らせ」
荒木が指示したのは得意な2-3ゾーンの亜種、皮肉にも敵の藤代達が得意とする陣形であった。
多少ゴール下の警戒は薄くなるが、今の紫原ならば問題ない。それよりも敵が時間を潰すほうが厄介であるという判断であった。
「やはり白瀧の体力は余裕がないのだろう。ならばこそ、前からプレッシャーをかけていけ。これ以上相手を付け上がらせるな」
敵のエースに余力はない。それは相手の戦略が雄弁に語っている。
故に紫原を本来のポジションよりも前に配置し、少しでもボール奪取の機会を増やそうと試みた。
「攻撃は……岡村、劉、紫原の三人を主体に行く。氷室、異存はないな?」
「……はい」
一方オフェンスは秋田自慢のフロントラインに一任することに。
話を降られた氷室も渋々ながら頷いた。
仕掛けを完全に理解され、エース以外の相手にまでブロックを許した。このダメージは大きなものだった。
「よし。だが、だからといって気を抜くなよ? シュートだけではなく、お前はドリブルで敵を突破する役割もある。敵のマークがインサイドに集まったら、頃合いを見てパスをさばけ」
「はい」
とはいえさすがにエースが完全に沈黙してもらっても困る。
見極めを行うよう福井に指示を出し、選手たちに補給を済ませるように声をかけて時間は過ぎていった。
対する栃木ベンチは。
「順調、と言えるでしょう。見事な立ち上がりでした」
最後のオフェンスこそ止められたものの、氷室のシュートを止めた。これは大きな戦果だと藤代は選手たちを褒め称えた。
「おそらくですがここからは前線にマークが集中するはずだ。黒木さん、光月さんはスクリーンに撤し、神崎さんも加えた三人で試合を組み立てましょう」
「はい!」
「了解!」
「紫原が前に出てきたのまじで怖かったんだけどまた来るかな……?」
「頑張ろうぜ」
「知ってた」
さらに敵の動きを予測し、多少はゴール下が薄くなっても外、ミドルの層を強めようと指示を改めた。
活気よい返事が飛び出す中、神崎は先の紫原の積極的ディフェンスを思い返しておそるおそる呟くと、白瀧が短い声援を送る。予想できていた事とあって神崎は諦めるように息を吐くのだった。
「ディフェンスもできるだけ前線からプレッシャーを与えるように。時間がなくなればそれだけ敵は焦るはず。そして焦りは思考を狭めていくはずだ。そこが狙いどころです」
「……はい」
さらにディフェンスも小林、神崎を中心に相手を自由にさせないようにと命令する。
得点、残り時間、こういった要素は試合の経過と比例して栃木に有利になるだろう。そう考えて。
「白瀧さん」
「はい」
「最後の一手はこちらから合図します。見逃さないように」
「わかりました」
この試合を決定づけるであろう切り札について白瀧と確認を済ませ、タイムアウトを終えるのだった。
――――
程なくしてタイムアウトが終わりを告げる。
まずは秋田の攻撃が始まった。
「このまま押しきるぞ!」
「応! 言われずとも!」
福井、氷室がまずは外からボールを回して様子を見る中、小林、神崎がそれぞれ厳しいチェックに入る。
少しでも油断すればボールを奪う、そんな厳しいプレッシャーが襲いかかった。
「そうは行くか!」
「こちらにも意地がある!」
対する福井、氷室も相手のハンズアップをかわし、氷室のシュートフェイクで引き付けると、マークを突破した。
さらにヘルプが出る前に氷室から紫原へとパスが通る。
「ひねり潰す!!」
「ぐうぉっ!?」
「があぁっ!」
そして彼の回転によって産み出される力を利用した一撃、トールハンマーが炸裂した。
試合終盤になっても衰えを知らないその威力は白瀧、光月の二人を呆気なく吹き飛ばす。
「白瀧! 光月!」
「だ、大丈夫です」
「……さすがの、一撃だな」
文字通り巨人と相対していると錯覚するような衝撃だった。
やはり尋常ではないパワーに戦慄を覚えながらも、二人はチームメイトの肩を借りて立ち上がった。
「次はこっちだ」
そして今度は栃木の攻撃が始まる。
白瀧、小林、神崎が三人でボールを回し、反撃に転じる。
「おっとぉ!」
「神崎!」
途中、神崎が氷室、紫原のマークに捕まり危機に陥るも、黒木のスクリーンで氷室を引き剥がし、なおも追いすがる紫原の目の前て白瀧にボールを手渡した。
するとそのままワンドリブルで切り返し、スリーポイントシュートを放つ。
「甘いっての!」
「っ!」
だが、紫原の指先がわずかにボールに触れた。
ボールはリングに衝突し、得点には至らない。
「もらったわい!」
「ぐっ……!」
するとここで劉のスクリーンでマークが入れ替わっていた岡村が黒木とのリバウンド争いを制し、ボールを手にした。
「キャプテン!」
「よし、速攻!」
時間を無駄にするわけにはいかない。
すぐに岡村が駆け出した氷室へとロングパスをさばいた。
「言ったはずだ。俺の前で、速攻は許さないと!」
だが、このロングパスは白瀧によって阻まれる。
敵のパスを叩き落とし、ボールはラインの外へ。
奪い返すまでは至らなかったが、これで味方がディフェンスに戻る時間を稼ぐことができた。
「ちいっ! やはりあいつがいると、どうしても攻守共に時間をかけさせられてしまうか……!」
速攻のスペシャリストとあって、こちらの速攻に対しても敏感に反応してくる。
的確に反撃の芽を詰んでくるエースの存在は、たとえ全力ではない状態でも荒木の目には驚異に映った。
その後も両者一歩も譲らぬ攻防が続いていく。
確実に秋田がインサイドから攻め立て、得点をあげていき、栃木も時間を使いながら仕掛けていった。
ただ、こうなると守備範囲が広い紫原が前に出た事でパス回しもより困難となった栃木の点数が伸び悩む事となる。
(栃木)70対65(秋田)
残り六分を切った時点で秋田が五点差まで追い上げていた。
「……行ける! このペースなら逆転できる!」
まだ逆転には至っていないが、荒木は勝機を見出だし、口角を上げる。
エースの体力を案じ、彼らに無理をさせずかつ確実に勝つための手段だったのだろう。
だが、ここにきて堅実性で有利な秋田にも勝ち筋が現れた。
ここでさらに一本止め、カウンターを決められれば、間違いなく秋田に流れが来るだろう。
「……どうするつもりだ。本当にこのまま逃げ切るつもりか? あいつらしくない」
対して試合を見ていた緑間も得点推移からこのまま続行すれば栃木が不利なことを察して疑問を呈した。
何より白瀧の性分を考えればこのまま引き気味に逃げ切るとは到底思えない。それこそ第三Qのように攻め勝つ、その方が彼らしく思える。
だが現にこうして彼は率先して時間潰しを行った。時間がなくなる事で何か栃木に優位になることなどないはず。
「……いや、まさか」
否、ひとつある。
まさか自分は、自分達はとんでもない誤解をしていたのではないか。
そんな風に緑間が考えている最中。
「――――」
白瀧の視線は栃木のベンチに、強いて言えばマネージャーの橙乃に向けられていた。
何やらハンドサインのような動きを数回繰り返し、それが終わるとそっと両手を膝の上に戻す。
(……作戦、決行、六、全て)
橙乃と二人で決めた合図。これから白瀧は藤代の意図を理解し、彼はニヤリと得意気に笑うのだった。
「待ちわびましたよ、監督」
残り時間六分。ここからは監督も問題ないと信じてくれている。
ならばやるだけだと白瀧は信頼に応えるべく集中力を高めた。
「お前ら、死守するぞ! このまま逆転まで行く!」
「おおっ!」
迎え撃つ秋田の士気は最高潮だ。
福井の指示に全員が力強い声を返した。
時間は少ないが、このままならば逆転できる。
今一度福井と紫原がボールを持つ白瀧へと圧をかけていった。
だが。
「――遅い」
静かな、それでいてヒリつくような鋭い声が耳朶を打つ。
油断は、これっぽっちもなかった。
まだシュート制限の24秒まで時間は残っていたものの、少しでもチャンスがあれば奪ってしまおうと敵の動きをしっかり観察していた。
それでも、気がついた時には福井の横を白瀧が通りすぎていた。
「……えっ?」
「っ……!」
誰も反応できなかった。
かろうじて紫原がいち早く立ち直ったものの、白瀧のジャンピングシュートを止めることはできなかった。
(栃木)72対65(秋田)
秋田の反撃ムードをかきけすような、白瀧の得点が記録される。
「速すぎる、アル……!」
「まさか……いや、でも! 彼の体力は限界のはず!」
「だから栃木は時間を潰して逃げきりを図っていたんじゃないのかよ!」
「だが今のは間違いなく……」
突然の出来事に劉も、氷室も、福井も、岡村も驚愕を隠せなかった。
ありえない、しかしそれ以外に考えられないと目の前の衝撃に思考を奪われる。
「まさか、また……いや、まだ入れるなんて思ってなかったよ。限界なのは、嘘じゃないはずなのに」
紫原も胸の高鳴りを抑えながら、極限状態へと突入したかつての旧友へと声をかけた。
「当たり前だ。俺は、自分の意志でここに戻ってきたんだ。俺がいる場所は、コートにしかない。必ずや
その領域――フローに入った白瀧はゆっくり振り返り、そして敵には最大の脅威を、味方には最高の安堵を与えるように、声を張り上げた。
「キセキを越えると誓った男が、今さら自分の限界を越えることを恐れるものか!」
彼の声が、コートに立つ全てのものに響き渡り、その場を支配する。
ようやく秋田にも好機が訪れたと思われたタイミングでのこの奮闘は、計り知れない影響力を及ぼした。
――――
「……して、やられた」
白瀧のフローを目にし、荒木は自身の失策を悟った。
彼の、否、指揮している藤代の計略に気づけなかった自身の浅慮を悔やんでいた。
「逃げきりとこちらに思わせ、時間を潰したのは、あいつのフローの時間制限を考慮して。そのためにあえて遅攻を仕掛けたというのか」
もう白瀧にフローに入る体力はないと誤認させ、秋田の油断を誘った。
案の定、秋田は突然の強襲に不意をつかれる事となり、精神的にも大きなダメージを追う事となってしまう。
その影響なのか、反撃の秋田の攻撃も氷室から紫原のパスを白瀧に奪われてしまい、決定機を逃してしまう。
「っ。……氷室! お前も白瀧につけ! 紫原は中央で周囲をケアしろ! なんとしても守りきれ! やつとて不死身ではあるまい!」
それでもまだ諦めないと、荒木は白瀧へのダブルチームを指示し、機会を待った。
フローの状態は予想外だが、最後までもつわけがない。紫原の語る通り、ここまでの戦いで白瀧の状態が万全でないのは間違いないのだから。
ゆえに白瀧の徹底的なマークで彼を消耗させつつ、逆転の好機を待つ。そう方針を決め、荒木はその時を待った。
事実、たとえこの場に分析のスペシャリストである桃井がいたとしても、荒木と同じ結論を下した事だろう。
すでに白瀧は神奈川戦から始まった連戦に次ぐ連戦、キセキの世代のプレッシャー、一回り以上大きな相手とのせめぎあいなどで心身ともに大きな負担を強いられていた。
たとえフローがもったとしても三分、うまくごまかして四分もつかどうかという圧倒的に厳しい状況の中。
「……バカな。ありえん。動けるはずがない。なのに!」
彼は試合終了のブザーがなるまでの実に5分以上の時間、限界を越え続け、戦いぬいた。
「何だ、こいつは!!」
数値ではとっくに倒れているはず。
しかし。
才能や技術、経験、あらゆるステータスをはねのける体力を己が想いで補強して、白瀧はコートに君臨する。
もはや理屈ではない目の前の現実に、今まで数多くの試合を経験してきた荒木でさえ目を疑った。
「どうして、まだ戦える?」
「どうしてだと? 決まっているだろ、まだ何ひとつ、終わってないからだ!」
紫原もすでに息絶え絶え、今にも倒れそうな白瀧を信じられないというような目で見て、再度問いかける。
もうフラフラの状態だが、白瀧の意志は強く、揺らがない。
「俺は、エースなんだ。エースが消えること、それが一体チームにどんな影響を及ぼすのか……俺は、誰よりも知っている」
帝光時代、そして夏の陽泉戦の光景が白瀧の記憶に強く刻まれていた。
自分の不在から起こってしまったあの惨状。
今でも誰よりも後悔している彼だからこそ。
「だったら、最後の最後まで、俺が倒れるわけにはいかねえだろ。なめるんじゃねえよ!」
同じ相手を前にして、ここで立ち止まるわけにはいかなかったのだ。
「俺は、俺が、神速だぁ!」
この試合の勝敗を決定づける白瀧のキラークロスオーバーが炸裂する。
疾風が吹き荒れたような速度は紫原も反応が追い付かなかった。
それでも必死に反応して岡村と共にブロックを試みるも、白瀧のヘリコプターシュートが綺麗にリングを潜り抜けた。
「……負け、た」
ボールが地に落ちる音を聞きながら、紫原はポツリと呟く。
久しく抱いていなかった感情を覚えながらも、彼の胸中はなぜか中学時代と違い心穏やかだった。
彼は最後の瞬間まで戦い抜いた。
ライバルに追い付けず、新鋭に誇りを奪われ、友と袂をわかち、苦難の道を選ぼうとも。
悲鳴を上げる体に鞭打ち、戦うことをやめなかった。
心に宿る暗い想いを封じ、仲間に焦燥を隠して、ひたすらに駆け抜けた。
そして今。
彼は再び二つ目の因縁を、キセキを乗り越えた。
何度も夢見た決戦の場で、なりやまぬ歓声の中。
これまでの鬱憤をはらすように、声援に応えるように、彼は高々と右手を突き上げる。
もはや彼の、彼らの行く道を阻む者はいない。
「これで、借りは、返したぜ、陽泉。紫原」
(栃木)84対71(秋田)
栃木が、大仁多の選手たちが夏の雪辱を果たし、勝利を手にしたのだった。
これで栃木はインターハイでは果たせなかったベスト4、準決勝進出を決める。
つまり。
『また昔みたいに、お前が皆と共に笑えるバスケをできるように、強くなってやるよ』
「覚えているか? あの日から二年もかかったが……やっと、ここまで、追い付いたぞ。なぁ――――青峰」
この先に待つであろう、始まりにして最大の因縁、約束を誓ったかつての好敵手と戦う権利を手にしたのだ。
彼に向けて捧げるように、白瀧は屈託のない笑顔を浮かべたのだった。
——黒子のバスケ NG集——
「――――」
白瀧の視線は栃木のベンチに、強いて言えばマネージャーの橙乃に向けられていた。
何やらハンドサインのような動きを数回繰り返し、それが終わるとそっと両手を膝の上に戻す。
「……ヤバイ。あのサイン、なんだっけ?」
「嘘だろお前!?」
「よりにもよってこの大事な場面で!?」
バッドコミュニケーション。
多分この後橙乃にお仕置きされる。