黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第百十二話 四強

「……やりやがった!」

「まさか、神奈川に続いてまたしてもキセキの世代が、姿を消した!」

絶対防御(イージスの盾)の神話を打ち崩して、栃木が準決勝進出だ!」

 

 試合終了の時を知らせるブザーが木霊した。

 インターハイ準々決勝の再現のような形となった栃木と秋田の一戦。

 短くも長くも感じられたこの戦いに決着がつき、見守っていた観客は驚愕や衝撃、歓喜、様々な感情に溢れた声を吐き出した。

 

「見ているか、皆? ……勝ったぞ」

 

 その歓声を聞いて、小林が声を震わせる。

 彼の心のうちにはつい先日まで共にコートで戦っていたチームメイトたちの姿があった。

 共に勝利の喜びを分かち合うことはできなかった。だが、それでもこの歓喜の感情が、声が少しでも皆に伝わっていれば言いなと、小林は胸を撫で下ろす。

 

 

――――

 

 

 その頃、大仁多高校の図書室。

 

「勝った、か」

「すげえ。大金星だな」

「……どうやら小林たちはきちんと成し遂げたようだな」

「おっ、佐々木。来たか」

「もう面接の練習は良いのか? お前はもう試験が近いんだろ?」

 

 スマホの中継を見ていた山本や松平をはじめとする引退した三年生たちが、栃木の勝利に静かに湧いていた。

 少し遅れて面接試験に備えて教員と練習をこなしていた佐々木も彼らと共に歓喜の渦に加わる。

 

「ああ。先生方も配慮してくれたんだ。……本当によかった。これで俺たちも少し気が楽になった」

「そうね。圭介くんたちも背負っていたものが軽くなったはず。帰ってきたら、改めて皆でお祝いしましょう」

「だな。ま、まだ先のことになりそうだが」

 

「それは良いな」と東雲の提案に皆が揃って頷いた。

 同じ場所で戦うことはできなかったけれど、抱いた気持ちは皆同じである。

 栃木が果たしたリベンジはその場にいる者にも、いない者にも、等しく救われたような感情を抱かせたのだった。

 

 

――――

 

 

「本当に、あのメンバーで乗り越えたか」

 

 勝利に酔いしれる大仁多に所属する選手たちの姿を目にして、岡田は淡々と彼らを称賛した。

 作戦を聞いた際には白瀧の状態を案じて不安が消えなかったが、最後まで彼らは攻めの姿勢を崩さなかった。

 選手を信じた藤代、その期待に応えた生徒達。彼らの強い信頼関係があってこそなしえた快挙だ。本当に末恐ろしいとその頼もしさに息を飲む。

 

「敵とすれば厄介だが、やはり味方となると心強い」

「ええ。俺もあいつの背中をこうしてベンチで見ていて同じ気持ちでした」

 

 勇作や楠は声援に応えて手を振る白瀧の背中を見てそう呟いた。

 体力自慢の彼でもまともに動けないほど消耗して、それでも敵を圧倒し続ける。

 一回りも二回りも大きい敵を前に一歩も引かない姿勢は、いっそ感動さえ覚えた。

 

「これでまた一つ壁を乗り越えました。よくやってくれましたよ」

「はい。本当に。これで後は……」

 

 簡単なことではないが、必ず果たさなければ真の意味では前に進めない障害。それがこの試合の位置付けだった。

 それを期待どおりの、それ以上の力を発揮し、見事に越えていった教え子達。

 そんな彼らを藤代は温かい目で見守り。

 橙乃は同時にこの結果によって産まれたもう一つの試練を考え、小さく息を吐いた。

 

「よく守り続けた、光月」

「はい! やりましたね。今度は最後まで戦えた……!」

「ああ。最高の結果だ」

 

 黒木と光月が力強く手を交わす。

 両者共に夏は悔しい思いでコートを去ることになったゴール下の要だ。

 しかし今日は違う。

 今度は最後までゴール下で体を張り、チームを守り続けた。勝利によって産まれた自信、喜びは人一倍大きなものである。

 

「おしっ! 勝った! これで準決! やったな!」

「ああ。お前も、よく決めてくれたよ。これで先輩たちに報告できる」

「……おうっ!」

 

 その場で飛び上がる勢いで歓喜を現す神崎。

 彼とハイタッチを決めて、白瀧もニヤリと口角をあげた。

 夏のリベンジを果たしての準決勝進出。きっとこの場にいない者達も自分のことのように喜んでくれるだろう。記憶に新しい先輩たちのことを思い浮かべ、二人は揃って表情を緩めた。

 

「……フーッ」

 

 栃木の選手達が喜びの声をあげる中。

 彼らの姿を見て、岡村が大きく息を吐いた。

 悔しさはある。主将としてチームを勝利に導けなかった、その無念は人一倍大きかった。

 だが、だからこそ自分が感情を爆発させるわけにはいかない。

 

「整列じゃ、行くぞ」

 

 最後まで選手の姿勢を貫こうと、岡村は苛立ちを握りこぶしに込めて、真っ先にコートの中央へと歩みだした。

 

「……ちくしょう」

「わかってるアル。まだ、終わった訳じゃないアル」

 

 普段は彼をおちょくる事が多い福井、劉も彼の心中を察して静かに彼の後ろを追った。

 耐えきれず溢れた涙を振り払って背筋を伸ばす。

 まだ秋の国体が終わっただけ。今度は彼らが借りを返す機会、冬のウィンターカップも残されているのだから。

 

「まさか、あいつと戦う前にここまで打ちのめされるとはな」

 

 一方、氷室は胸中にある人物――彼が弟と語る火神の顔を思い浮かべて苦笑した。

 しかも相手は火神も夏に真っ向から戦い、敗れたという相手だ。一体何の因果なのだろうかと、考えても意味のない事を考えざるをえなかった。そういう思考をしなければ自制心を耐えられないほど、この敗北は大きなものだったから。

 

「負け、た。そっか。……これが、負けなんだ」

 

 そして秋田の誇るエース、紫原はその場に立ち尽くし、呆然としたままそう呟く。

 彼は試合に負けた記憶はほとんどない。中学時代は無双状態であったし、高校でも不出場だった洛山戦を除けば圧勝の連続だった。

 ゆえに紫原にとってはこれが公式戦で味わう初めての敗北の味。

 それを知って、だが、紫原は何故か中学時代に同僚から味合わされたような苛立ちを覚えることはなく。

 ただ視線を落とし、淡々とチームメイトの元に歩み寄っていった。

 

「84対71で栃木県の勝ち。礼!」

「ありがとうございました!!」

 

 最後にコートに立っていた10人の選手が集ったことを見届け、審判が試合を締めくくる。

 両県の選手達は決まり文句を告げるとどちらからともなく相手の選手へと歩み寄った。

 

「……借りを返されてしまったのう。もう一つ貸しを作っておきたかったんじゃが、負けたわい」

「あまり引き摺ってもいられないからな。……強かったよ。また、やろう」

「そうじゃな。お前さんとは近いうちに大学でもやるかもしれんが、その前にまた機会があれば、冬に今度はこちらからリベンジさせてもらうぞ。――まずは次、頑張れよ」

「……ああ。お前たちの分まで。次もおそらくは大きな試練が待っているからな」

 

 岡村と小林が力強く握手を交わす。

 チームを代表する二人の会話とあって落ち着きがあり、互いの心境を配慮した受け答えだった。

 冬の再戦を願い、そして栃木の次戦へのエールを贈り、活躍を誓って二人は別れた。

 神崎や黒木に光月、福井や劉などのメンバーも互いの健闘を称え合い、仲を深めていく。

 

「やあ。今日はとてもためになる試合だったよ。冬の大会を前に、君たちと戦えてよかった」

 

 そして氷室も後ろに紫原を連れ添って白瀧へ声をかけていた。

 

「ありがとうございました、氷室さん。……夏のデータがない上にキセキの世代にも匹敵するあなたの技量。戦う身としては非常に厄介な相手でしたが、同時に一選手として正直に言ってその洗練さに感動しました」

 

 手を差し伸べられた白瀧はその手を取り、試合中に抱いていた感情をそっくりそのまま吐き出す。

 普通に受けとれば最高の賛辞であるこの発言。だが、彼の言葉に氷室の眉がピクリと動いたのを白瀧は見逃さなかった。

 

「俺としてもあなたを知れたこと、実際に戦えた事、嬉しく思います」

「お世辞がうまいんだな、君は」

「いいえ。本心です。――氷室さん、あなたが何を考えているのか、どのような目標があるのかは俺は知らない。ですが、他人と比べて自分を卑下する必要はない。俺はそう思います」

 

 一度戦っただけで白瀧は氷室のことをよく知らない。

 それでも試合中と今の発言、そして態度から氷室という男が生真面目で一途な人間であると考えた白瀧はそう語りかけた。

 

「……ずいぶんと知ったような口を利くね」

 

 勝者であり年下でもある相手からの気遣い。これが氷室のプライドに触れたのか、挑発のように続ける。

 

「はい。俺がそうでしたから」

「――――」

「だから同じ思いをあまりしてほしくない」

 

 だが白瀧は凛とした姿勢を崩さずにそう答えを返した。

 彼は氷室の姿に、考え方に自分の存在を重ねていたのだ。

 白瀧もつい先日まで黄瀬という強大な敵に嫉妬さえ抱き、届かぬ理想を前に自己嫌悪を覚えていた。

 だからこそ、これ程の技量を持つ選手が同じような思いをいつまでも抱え込んでほしくない。氷室の身を心から案じていた。

 

「参ったな。完敗だ。……ありがとう。改めてもう一度、君と会えてよかった」

「こちらこそ」

 

 その考えが伝わったのか、氷室は大きく息を吐くと、柔らかな笑みを浮かべて白瀧との会話を終える。

 

「……終わったー? 相変わらず試合のあとまで二人とも真面目だねー」

「敦」

「紫原か。――またお前と戦えてよかった。ディフェンス最強と戦うことで、俺も自信がつけた。礼を言うぞ」

「何それイヤミ? ……ま、別にいいけど。」

「……?」

 

 前髪を右手で掻き揚げ、紫原がわざとらしく大きなため息を吐いた。

 誰よりも負けず嫌いな彼とは思えないような落ち着いた振る舞いに白瀧が違和感を抱いていると、紫原は試合を振り返って話を続けた。

 

「二回も戦って、まあ理解はできたよ。俺も思うところがないわけではなかったし。でも――同情も共感もしてない、かな」

「はっ? どういう意味だ」

「敦? 何の話だ?」

 

 的を射ない発言に白瀧と氷室が揃って聞き返す。

 

「……いいよ。今のでわからないなら、余計なことだからわからない方がいいだろうし。そんなことよりも、せいぜい頑張りなよ。白ちんにとってはまだこれからが本番なんだろうからさ」

 

 しかし紫原はこれ以上は語る必要はないと言葉を濁し、次に待ち構える難敵たちを指してそう告げた。

 最後まで彼の意図は不明であったが、ここまで避けられてはどうしようもない。

 

「――ああ。そうだ、その通りだ」

 

 旧友と最後にもう一度挨拶を交わし、白瀧は紫原たちと別れた。

 かつて最も長い時間を共にした親友、そして今でも想い焦がれている少女の顔を思い浮かべて、次の舞台へと進んでいく。

 

「やったな。こうも早くリベンジを果たすとは」

「俺らもうかうかしてられないっすね」

「ああ」

 

 コートから引き上げていく両校の選手に拍手を送りながら、大坪は静かに闘志を滾らせていた。

 彼らもインターハイ予選で大仁多の選手たちと同様に苦渋を飲まされた身だ。いつまでも負けたままではいられない。

 ライバルの勝利から意欲をもらい、「冬は俺たちも」と高尾も釣られるように不適な笑みを浮かべた。

 

「……その前に、もう一つの大戦の行く末が気になりますが」

 

 そんな中、緑間だけは冷静にこの次の試合を見据え、冷静に呟く。

 まだ正式には決まっていないが、十中八九間違いがないだろう準決勝の組み合わせ。

 最強の矛と最強の矛。

 この準決勝とは対極の戦い。間違いなく点の取り合いになるであろう未来を想像して、緑間は目を細めた。

 

 

――――

 

 

 栃木対秋田の試合終了を皮切りに、他会場で行われていた試合も決着を迎えていた。

 大多数の観客が想定していたように、京都府と東京都のキセキの世代を擁する県は彼らが試合に出ることすらなく無事に決勝進出を果たす。

 準決勝の組み合わせが決まり、一方は最多優勝を誇る京都府が圧倒的に優勢と見られるなかで。

 もう一つの試合、東京都対栃木県、関東勢の試合は前評判でも意見が別れていた。

 インターハイ準優勝を果たし、キセキの世代のエースが控える東京都か。

 キセキの世代を連続撃破し、一躍今大会の台風の目と化した栃木県か。

 決戦までの時間がなくなっていく事に反比例して、期待ばかりが高まっていく。

 そんな中、東京都の関係者たちは――

 

「……驚きましたね。陽泉、いや秋田まで倒してしまうとは」

 

 宿舎に戻り、試合のビデオを見返した監督・原澤が感想を述べた。

 それは他の選手達も同様のようで勝利した栃木の姿を半信半疑で観察している。

 

「せやなぁ。紫原君がもうおらんのはうちとしては助かったけども、これまた大きな獲物が食らいついたもんやで」

「キセキの世代が二人も敗れたんだ。もはや同格と呼んでも誰も疑わない」

 

 フローの状態に入った白瀧のプレーから、今吉や諏佐は彼があの強敵と同じ場所に立ったことを悟った。

 並大抵の相手ではない。

 それこそ紫原以上の強敵と判断しなければ痛い目にあうのはこちらだろうと。

 

「しかもどうなってんだよこいつの底力は? 桃井のデータではまた夏みたいに途中で力尽きるはずだったんじゃねえのか?」

「だからこそ、試合は七対三で秋田が優位って話でしたよね」

 

 一方でマネージャーの分析を思い返して疑問を唱えたのは若松だ。

 消耗が激しいためにこの試合も最後まで保つ可能性は殆どゼロであり、そうなれば栃木は厳しい。ゆえに秋田が勝ち上がってくるだろうと試合前に桃井の展望を聞いていた。

 桜井も同意であり彼の意見に追従すると。

 

「はい。正直、私も驚いています」

 

 発言の主である桃井は率直に自身の分析の誤りを認めた。彼女にとっても栃木の勝利は意外な事であったのだ。

 

「今でもその時の分析通りの結果だと考えます。あまりこういう言い方は好きではないんですが。……今日の試合の白瀧君は、データを超越している」

 

 もはや数値や常識では語れない。別次元の話であると、彼の気迫を感じ取って桃井はそう告げた。

 彼女の正確無比な予想をこうも力づくで覆された事が悔しくて、そして少しだけ嬉しく思う。

 

「……ハッ」

 

 彼女の発言に誰もが肝を冷やす中。

 ここまで一言も口にすることなくじっと試合のビデオを眺めていた東京都の絶対的エース、青峰が鼻をならす。

 

「良いじゃねえか。大体、そんなの今さらだろ? あんたらがあいつを取らなかった時点でこうなる可能性は十分にあったんだからよ」

「……まあ、そうですね」

「逃した魚があまりにもデカくなりすぎてもうたなぁ」

 

 白瀧と東京都、否、桐皇学園との因縁を知る原澤と今吉がこの発言に苦い表情を浮かべた。

 次の試合、準決勝は白瀧にとってあまりにも大きく、多くの因縁が絡んでいるのである。

 

 

――――

 

 

 同時刻、栃木県の関係者が宿泊しているホテルの一室。

 白瀧、光月、神崎の三人が割り振られている部屋に橙乃が訪れ、白瀧のマッサージを行っていた。

 

「ぐっ、ぎっ、がっああああぁぁぁぁ!!??」

「――はい、おしまい」

「つぅぅっ!」

 

 絶えず全身から襲いかかる激痛に思わず悲鳴が口からこぼれ出す。

 十分ほど全身の筋肉を揉みほぐした後、ようやく解放された白瀧は息を整えベッドから体を起こすのだった。

 

「生きてるか要?」

「あぁ、大丈夫。大分楽になった。橙乃、ありがとうな」

「うん。これで明日に向けての助けになれば良いんだけど」

「十分だ。助かった」

 

 グルグルと肩を回し、調子をたしかめる。

 秋田戦の疲労は尋常ではなかった。とはいえ試合が明日も行われる以上は蓄積するわけにはいかない。

 ――これならば明日も戦える。

 次戦を見据える白瀧の表情は今から闘志が滾っているようだった。

 

「じゃあこの後はゆっくり休んでね。皆も疲れているだろうから騒いだりはしないだろうけど」

「まあ俺達も結構ヤバかったしな」

「同じく」

 

 橙乃に話を振られた神崎、光月は揃って苦笑いを浮かべる。

 秋田二人目のエースである氷室とのマッチアップ、全国屈指のゴール下でのポジション争いを繰り広げた二人の疲労も白瀧ほどではないものの、やはり普段よりも疲れの色が強く伺え、試合の厳しさを物語っていた。

 

「じゃ、今日は少し早いけど温泉に行っておくか? 寝る前にもう一度入りに行ってもいいし」

「そうだね。初日は要も満足に入れてなかったらゆっくりしよう」

「あの時はまあ、うん。お前らにも迷惑かけたよ……」

 

 二人の提案に白瀧が口ごもる。当時は黄瀬のことで頭がいっぱいだったために弁解の余地もなかった。

 

「気にすんなって。じゃ、俺達はお風呂に行ってくるよ」

「わかった。私も西條先輩を誘ってみようかな」

 

 そう言って三人は橙乃と別れ、荷物を纏めるとフロアを移動して温泉へと向かう。

 ちょうど他のメンバーと鉢合い、「それならば」と気づけば栃木の選手たちが続々と集結して。

 

「はぁー。体が楽ー」

「湯に髪の毛着けるなよ」

「あーい」

「すっかり気が抜けてるな……」

「あの凄まじい殺気が嘘のようだ」

 

 気づけば全員が銭湯に集結していた。

 プカプカと湯に浮かぶ白瀧を小林が注意して、そんな光景を勇作や楠が面白げに見守っている。

 

「ゆっくり浸かれば良いだろうに、回復も速いのか? いっそ呆れるわ」

「いや、疲れてるのは間違いないんですけどね」

 

 中澤の問いに、白瀧は一泊置いて続けた。

 

「……疲れはしたけど、でもそれ以上にまだ熱が収まらないんですよ。正直、今すぐにでも試合をしたいくらいです」

 

 まるで子供のように目を耀かせる白瀧。好戦的な姿勢は非常に頼もしく見え、これからインターハイ準優勝の相手と戦うとは到底考えられない程だった。

 

「よしっ、ちょっと俺向こうの温泉も入ってきます。今の時間で全部制覇してきますよ」

「……本当に元気だ」

 

 ウキウキという表現が聞こえてきそうな程のハイテンションで次の湯へと向かっていく。

 普段の気負った真面目な姿からは想像できない無邪気な様子。

 こうみるとようやく彼が先日入学したばかりの一年生であると言うことが実感できた。

 

「やっぱり、準決の相手が原因か?」

「おそらくは。――青峰大輝ですよね」

 

 その理由は本人に聞かずとも皆が想像できていた。

 細谷の呟きに反応し、古谷が最強と呼ばれるスコアラーを思い返して名を挙げる。

  

「俺も聞いたことがあるな。当時は白瀧と青峰の二人でよく得点を競いあったライバル関係だったと」 

「そのライバルとの久しぶりに戦うと慣ればなー」

「いや、それだけじゃないんですよ」

「えっ?」

 

 一年の頃から競いあっていたかつての好敵手との対戦だ。そう考えればここまで陽気になるのも無理もない、と多くの者が納得する中。

 神崎が他にも理由はあるのだと指摘する。

 

「それだけじゃないって、他になにかあるのか?」

「要は、というかあいつと西村は二人とも元々、桐皇学園に進学する予定だったんですよ」

『……………………ええええっ!!??』

 

 考えもつかない話に皆が揃って驚愕を露にした。

 本人たちから直接聞かなければ知るよしもない事だ。無理もない反応であるのだが。

 

「……知らなかった。大仁多には推薦で入ったとは聞いていたけど、その他にもそんな事情があったのか」

「えっ? 待てよ。てことは一歩間違えれば、白瀧と青峰が高校でも組んでた可能性もあったってことか? ヤバすぎだろ」

「それは確かに……!」

 

 存在しなかったifの話にまで発展して、そうならなかった現実がいかに恵まれたものであるかを理解する。

 いずれにせよ、これで彼らも理解した。

 次の戦いは白瀧にとってはかつてのライバルとの戦いであり、そして彼を取らなかった桐皇を見返す場でもあるのだと。

 

(まあ、実際はもう一つ深い理由があるけど)

(さすがに僕達が他の人に言うのは、ね)

 

 それを口にするのは野暮というもの。

 神崎も光月も、あえて最後の理由について語ることはしなかった。

 ある意味では白瀧が中学時代に最も強く闘志を燃やした想い人の存在。

 

「待ってろよ。東京都、いや桐皇、青峰。そして――桃井さん」

 

 そんな事など知るよしもなく。

 白瀧はひとり温泉の浮力に身を任せ、満喫しながら、懐かしい仲間たちの顔を思い返して、小さく笑うのだった。

 

 

――――

 

 

「はぁー。この時間が一番癒されるね」

「そうですねー」

 

 その頃、フロアは変わり女性専用となっている女湯では西條と橙乃がゆったりくつろいでいた。

 こちらは二人だけということもあって静かに時間が流れている。

 

「長くてもあと二日か。まぁ、ここまで残れるとは思っていなかったけど。こうなったら最後まで皆には勝ってほしいね」

「ですね。今日のみんなの調子なら大丈夫ですよ」

 

 なら良いけど、と西條がクスリと笑う。

 国体が終わるまであと二日。

 確かに一回戦を乗り越えるかどうかさえわからなかった最初の頃を思い返せばここまで残れたことがすでに奇跡と呼べるだろう。

 だが、ここまで来たならばいっそ最後まで歓喜を味わってほしいものだ。優勝という最高の結果を手にして。

 

「よし。私はちょっと髪を洗ってくるね。茜ちゃんはゆっくりしてて」

「はーい」

 

 そう言うと西條は立ち上がり、タオルを手にしてゆっくりと洗い場へ向かう。

 

「んーっ。……あと二日、か」

 

 一人になった橙乃は両の手足を伸ばし、物思いに耽った。

 忘れてしまいそうだがこのチームはあと二日で解散となる。そうなればまた元のチームに戻ることになり、今手を組んでる人達とも敵になるのだ。

 そんな当たり前の事を言われるまで忘れていて、少しだけ寂しく感じた。

 

「――すみません、隣良いですか?」

「あっ、はいどうぞ」

 

 ふと彼女の背後より声がかかる。

 透き通るような若い女性の声だ。橙乃は姿勢を正し、声の主を確認して、

 

「えっ?」

 

 その相手を理解して、目を疑った。

 長い桃色の髪を綺麗に結った、スタイル抜群の女性。

 桐皇の、今は東京都のマネージャーを任され、かつてはキセキの世代もサポートした実績も持つ実力者。

 

「あなたは桐皇学園のマネージャーの、桃井さん?」

「ご存知でしたか? はい、はじめまして。桃井と言います。大仁多高校マネージャーの橙乃さん、ですよね?」

 

 橙乃の質問にハッキリと肯定で返し、桃井は確信をもって尋ね返した。

 

「そうですけど……」

 

 頷きつつ、橙乃はじっと桃井を観察しはじめた。

 

(この人が帝光、そして桐皇の頭脳というマネージャー。しかも……)

 

 次戦の相手との予期せぬ邂逅。

 偶然なのか故意なのかは不明だ。しかしそんな事よりも気になることが一つあった。

  

(本当に大きいし……!)

 

 視線が肩より少し下に向くと、橙乃はそのスタイルに戦慄する。

 橙乃も同年代の女性と比較すると素晴らしい発達なのだが。そんな彼女をもってしても大きいと感じるほどに桃井のプロポーションはずば抜けていた。少し話を聞いていたが、確かに白瀧が魅了されるのも無理はないと理解できるほどに。

 

「不機嫌なようですけど、どうしました?」

「いえ別に」

 

 露骨に気分を害した相手を察して桃井が声をかけるも、橙乃はとりつく島もない態度を貫く。

 

「それより、どうしてここへ? 東京都がここのホテルに泊まってるとは聞いていませんでしたが」

 

 それでも相手の出方を伺うべく、問いかけた。

 これまでも東京都の関係者が出入りする姿をみたことはなかった。だからこそ桃井がこうしてここの温泉にいること事態が不思議な事である。

 

「そうです。私達は違うホテルに泊まってますね。でもせっかく遠出をしてるし、ここの温泉は有名だったので一晩だけ日帰りという形で来ちゃいました」

 

 その問いに桃井はあっさりと答えた。

 温泉が有名なホテルは確かに宿泊せずとも温泉に入れるような体制を取る施設もある。別に矛盾があるわけではないが、本当にそれでこのような形で偶然鉢合わせるものなのか。

 

「少し、あなたと話したいこともありましたし」

 

 否。

 じっと橙乃を見つめて桃井は続ける。

 やはりそんなことはなかった。桃井はわざわざ橙乃と話す機会を設けるためにこの場にやって来ていた。

 

「白ちゃ、いえ白瀧君と高校で親しいという話を聞いたので。戦う前に、話したいことがあるんです」

「……そうですか」

 

 栃木のエースを愛称で呼び掛け、そして呼び直した彼女の様子からは本当に親しい関係であったことが伺える。

 そんな事を思いながら。

 

「ですが、こちらが先です」

 

 橙乃は先手を取るべく、身を乗り出して桃井へ近づく。

 

「あなたと会ったら聞きたいことがありました。中学時代について、いくつか教えてください」

「……私が話せることでしたら」

 

 有無を言わさぬ態度の橙乃。

 おそらく彼女の疑問を解消しなければこちらの話は始まらないだろう。

 桃井は静かに、橙乃の言葉を待った。

 

 

 

 

 

 

 ――黒子のバスケ NG集――

 

 いつの間にか橙乃の中で白瀧が桃井に惚れた理由が巨乳に惹かれたからになっている件。

 

「納得いかないんだけど!? おい、どうなってるんだよ! これじゃまるで俺が胸に誘惑されたみたいじゃん! 俺の純粋な想いが!」

「じゃあ桃井さんの胸は嫌いなの?」

「なんでそうなるの? ちょっとその理屈は意味わからない。それとこれとは全く違う話だろ」

 

 ……はい。


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