黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第二章 IH予選編
第十九話 夏の開幕


 緑間を擁する秀徳高校との練習試合から時は流れた。

 大仁多高校は藤代監督による猛特訓や自主練を乗り越え、各高校との練習試合も経て更なる強化を果たした。

 部内でのレギュラー争いもより激しさを増す中、一軍の選手達はそれ以上の実力を見せ付けて自らの席を守り抜く。各々が夢見る高みに上り詰めるために。

 そして彼らは今、ついに始まりの時を迎えていた。

 

「――これより、全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技栃木県予選大会を開会します」

 

 会場内に響くアナウンスは、長く激しい戦いの始まりを告げた。各々の意志を胸に秘めて選手達は静かに闘志を燃やす。

 

 

――――

 

 

 栃木県における高校バスケは、まず各高校が北部・中部・南部の三ブロックにふりわけられ、さらに細かいブロックに分かれる。そしてそれぞれのブロックで勝ち残った上位24校がブロック代表として県大会に選出される仕組みだ。その県大会で最後まで勝ち残ることでようやくインターハイへ出場することができる。

 俺達大仁多高校は地区予選では中部地区のAブロックに入っている。……もっともシード権もあるために、一勝すれば県大会への進出は決定となるのだが。

 だからと言ってその一勝を甘く見て良い訳がない。どの高校も少しでも長くバスケをするために、一試合に全てを懸けているのだから。

 

「足止めるな! 走れ!」

「時間がない、どんどん回せ!」

「最後まで気を抜くな! 声出せよ!」

 

 コートの選手達、そしてベンチメンバーの声が体育館に響いている。それは真剣そのものだ。

 すぐ目の前のコートでボールが早いペースで行き来する。観覧席から見ると、やはりより広い視野で試合を見ることができるので試合展開なども観察しやすい。

 海誠高校と矢坂黎明高校の試合。

 偵察部隊、そして大会が初めてということで一軍に所属している一年生は明日の試合相手となるこの二校の試合を見に来ている。この試合で勝利した方が俺達大仁多高校と県大会出場をかけて戦うことになる。

 試合は大詰めを迎えて、第4Q残り3分。得点は――(海誠)41対69(矢坂黎明)。

 

「これは、決まったな。明日の対戦相手は」

「……ああ。矢坂黎明が、俺たちと県大会進出を懸けて戦うことになるだろう」

 

 本田の言う通り、おそらく予想は覆らない。だからこそ俺もそう断定した。この残り時間で28点差はとてもではないが逆転不可能な点差だと。

 

「白瀧さんでもそう思いますか?」

「お前のことだから、『まだわからない』とか言うと思ったんだけどな」

「今は敵の分析をしている以上、私情は交えないよ」

 

 たしかに自分があの場にいたならばこのようなことは決して言わないだろう。だからこそ西村や勇の言いたいことはわかる。

 今俺がこのようなことを言えるのは、ただ冷静に第三者として、大仁多高校の一員としているからだ。だからこそ客観的に感情に流されずに分析できて、その上で結論を導き出せる。

 バスケに一発逆転は存在しない。どれだけあがこうとも、最後まで諦めなくても逆転不可能という状況がある。今この試合はまさにその状況だ。

 

「ってか、やっぱ矢坂黎明のスターターって高えな。リバウンドも殆ど確保していやがる」

「うん。ブロックショットも多いし」

「さすがに秀徳高校を見た後なのでやや見劣りはしますけど、それでも相当ですよ」

 

 本田、明、西村と順々に意見を述べている。

 明日戦う相手、大会前日という緊張はないようで、しっかり試合を見ているようで何より。

 

「たしかデータを見た限りでは、PG以外のスターターは全員身長が180中盤ほどだったか? フィジカル重視とは言っても、ここまで揃えるとは驚きだな」

「……マジそういうの勘弁。外だって打ちづらいっての」

 

 最低身長のPGとて俺と同等の身長であったはずだ。こちらにも黒木さんや明がいるが、二人のどちらかが抑えられた場合は基本的に俺がリバウンドに参加することになる。……ある程度覚悟はしておいた方がよさそうだな。シューターである勇が弱音を吐くのも無理もない。

 

「それにしても矢坂黎明の10番、よく決めるな」

「……あいつか。黎明のスコアラーだろうな。橙乃、矢坂黎明の10番について、情報はあるか?」

「あ、うん。ちょっと待って」

 

 同行していた橙乃に尋ねると、すぐに調べてくれた。

 矢坂黎明はファストブレイクを外した後、外してもセカンドチャンスを拾い、その殆どをあの10番が決めている。リバウンドを味方が取ってくれるという自信もあるのだろうが、それにしても成功率は中々高い。

 

「……あったよ。矢坂黎明の10番、だよね?」

「ああ。何年生だ?」

「えっと――荻野進(おぎのすすむ)、一年生だって」

「え、一年? タメかよ!?」

「ふーん。……なら、何よりだ」

 

 橙乃の想定外の返答に本田が驚いているが、俺にとってはそれほどでもない。むしろ対処もしやすくなった、と考えているくらいだ。

 

「……待って、今なんて名前って言った?」

「うん? どうしたんだ明?」

「ちょっと聞き覚えのある名前が聞こえた気がして……」

「荻野進だってさ。知り合い?」

「……ああ、うん。中学時代に少し、ね」

 

 珍しく身を乗り出してまで聞いてきた明。勇から発せられた名前を聞き、表情を曇らせる。

 ……これは何かあったな。深くは聞かない方が良いのかもしれないが、戻ったら少し話をしよう。

 

『試合終了――!!』

「お、終わったな」

「明日はインサイド重視の矢坂黎明。それに勝てば県大会だ」

 

 鳴り響くブザーが一つの終わりを、矢崎黎明の勝利を知らせた。

 最終スコアは(海誠)43対75(矢坂黎明)。黎明の選手達は明日の試合のこともあってか、早々に引き上げの準備をしている。疲労はあるだろうが、それを感じさせないように淡々としている。

 

「……よし、俺らも戻るか」

「うん、わかった。小林さん達には私の方から結果を伝えておくね」

「ありがとう橙乃」

 

 試合相手を見届けたのでもうここに居座る理由はない。

 少しばかり体も動かしたいし、報告は橙乃に頼んでさっさと撤収するとしよう。

 

「あ、じゃあその前にちょっとトイレに行ってきても良いですか?」

「僕もそれなら」

「俺もついでに」

「……締まらないな、お前ら」

「まったくだ。わかった、外で待ってるからすぐに来いよ」

 

 西村に続いて、明と本田もトイレへと直行する。せっかく今明日に向けて良い流れで持っていこうと思ったというのに。

 

「まあいいか。じゃあ勇、先に出ていよう。橙乃も一緒に戻るか?」

「……そうだね。うん、報告が終われば今日は特に仕事はないし」

「じゃ、ひとまず外に出ようか。ここにいると窮屈だしな」

 

 まだここには他校の生徒も見られる。外ならば余計な気遣いも減るだろうし、一緒に外にいた方が良いだろう。

 偵察部隊の人たちに一声かけて、俺たちは観客席を後にした。

 

 

――――

 

 

「……あー、すっきり」

 

 男子トイレで西村ののほほんとした声が発せられる。

 緊張した会場を離れて、ようやくリラックスできたのだろう。表情も緩んでいる。

 

「明日は俺らが試合か。まあ俺や西村は出れるかわからないが、光月はスターターで出るだろうからな。頑張ってくれよ、秀徳の大坪とも互角以上に渡り合ったお前はきっと注目されるだろうから」

「……うん。ありがとう」

「なんか光月さん、どこか暗いですね。大丈夫っすか?」

「大丈夫だよ、気にしないでくれ。本当に、大丈夫だから」

 

 先ほどから光月は表情が硬かった。今も本田や西村との会話もどこか上の空で聞いているように感じられる。しかし「本人がこう言う以上は仕方がないか」と西村は深くは問わず、先にトイレから出ようとする。

 すると突如入り口の扉が開き、入ってきた誰かと衝突してしまった。

 

「おっと! すみません」

「あ、こちらこそすみません。不注意だったようで」

(っ! この人、たしかさっき試合に出てた矢坂黎明の……)

 

 顔を見て、身に纏っているジャージが目に入って西村は固まった。それは先ほど彼らが見ていた試合に出ていた、矢坂黎明の選手だった。

 

「お……荻野!」

 

 洗面台の方から光月の緊張しているかのような声が届く。

 そう。彼らの前に現れたのは矢坂黎明の10番、荻野進であった。

 

「お? ……ああ、なんだ。久しぶりじゃねえか、光月」

「え?」

 

 親しげに光月に声をかける荻野。それに対し光月は苦々しく顔を歪める。知り合いではなかったのかと疑問が浮かんだが、西村の疑問は次の言葉で消えてしまった。

 

「何でお前がこんなところにいるんだ? まさか、まだバスケを続けているとか言わねえだろうな?」

 

 冷たく言い放たれた言葉が明を抉る。

 おかしなものでも見ているかのように、荻野は口角を上げた。

 ――矢坂黎明高校一年、荻野進(おぎのすすむ) ポジション:SF 183cm

 

 

――――

 

 

「――はい。はい、わかりました。失礼します」

 

 藤代監督と小林さんへの報告を終え、携帯電話を仕舞う橙乃。

 

「……報告は終わりか。小林さんは何だって?」

「うん。今日は午後は自由に過ごすようにって。体育館は空けておくから、自主練なら好きなように使って良いとも言ってたよ」

 

 午後は自由か。前日に鋭気を養えということだろうが、感覚を確かめておきたいし体育館に戻った方が良いだろう。

 

「了解。それじゃああいつらと合流したら、戻って少し体を動かすか」

「そうだな。……でも時間も時間だから、その前に昼食を取ろうぜ」

「そういえばもうそんな時間だったか。うん、西村達が戻ってきたら昼食としよう」

 

 時間は13:30。確かに少しばかり遅いが昼食を取っておきたい。勇の言うとおり練習の前に腹ごしらえだ。

 

「橙乃はどうする?」

「私も一緒に行っても良いかな? 後で東雲さんとも打ち合わせがあるし」

 

 橙乃もマネージャーとして仕事がある。その打ち合わせだろうな。

 断る理由もないし、橙乃とも試合のことで話したいことがある。喜んで頷いた。

 

「ああ、良いよ。最近は練習でも時間がなかったから、こういう時に話しておきたいし」

「……そうね。県大会の時期になったら、また忙しくなるだろうから」

「俺も聞きたいなー。ねえねえ、女子の間での男子の評判とか色々聞いても良い?」

「え? いや、あの……」

「そこはもうちょっとまともなことを聞けよ。……お? 何だ?」

 

 困る橙乃を庇い、勇を諌めているとポケットに入れていた携帯がブーッ、と振動する。

 電話だな。マナーモードにしておいてよかった。相手は……西村からだと?

 三人もいるのだから道に迷うことはないだろうし、見当たらないから電話してきたということだろうか、と考えていると携帯は三回目の振動を終えて、四回目の振動が始まろうとしたところで切れてしまう。

 

「――――ッ!!」

 

 西村が、俺が電話に出る前に切った……!

 

「二人ともここにいてくれ。すぐに戻るから!」

「は? え……おい要!?」

「どうしたの白瀧君!?」

 

 説明している時間も惜しい。二人の疑問を他所に、俺は駆け出した。

 これは帝光中学時代に西村と二人の間で決めていたことだ。律儀なあいつは、通話先を間違ったりして俺に電話をかけたとしても絶対に俺が電話に出るまで切らない。だからもしも俺が出る前に西村が切るとしたら、急に電波が届かない場所に移動したか、何かに巻き込まれたが通話が出来ないという状況だ。そしてこの場所を考えると……間違いなく後者になる。

 

「ったく、頼むから間違いを犯すなよ!」

 

 西村だけならばまだ良かったのかもしれない。しかし今あいつの元には少し気性が激しい本田、力はあるが臆病な一面がある明がいる。大丈夫だとは信じたいが、安心はできない。

 愚痴をこぼして、すれ違う人を押し退けて全力で疾走した。

 

 

――――

 

 

「驚いた。大仁多高校に進学したとは聞いていたが、まさか本当にバスケをやっているなんてな」

「……そうだよ。僕はバスケ部だ。次に、荻野達と戦う相手だ」

「ふんっ。自分が強いところに所属したからって、調子に乗るなよ? どうせまた、お前は何もできずに味方の足を引っ張るのだろうからな」

「うっ……っ……」

 

 黙りこんでしまう光月。それを言い返す言葉もないのだと感じた荻野は笑みを深くする。

 その姿を見て、西村は「何か言い返さなければ駄目だ」とも思ったが、自分が口出しして良いものではないとして口を閉ざす。しかし本田はそれを見ていられなかったのか、光月を庇うように二人の間に割って入った。

 

「おい、お前あまり俺らの仲間を馬鹿にすんなよ」

「同じジャージ、大仁多高校のバスケ部か。そんなやつを庇うとは、何か弱みでも握られたのか?」

「そんなわけあるか。ただチームメイトが、それもうちのレギュラーが馬鹿にされているところを見ていたくないだけだ」

「……レギュラーだと?」

「そうだ。光月は大仁多高校のレギュラーの一員だ。きっと明日、お前達を打ち負かすことになる」

 

 光月を指差し、強く言い放つ。あまり試合前に情報は漏らさない方が良い、それは本田もわかっているが黙っていられなかった。仮にも本田は光月達とのミニゲームで負けた身。自分を負かした相手が、必ずや借りを返すと誓った相手が馬鹿にされているところを、見過ごせるわけがなかった。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 そんな本田の気持ちを知らず、荻野は突如顔を逸らして口を手で押さえた。こらえようとしているのであろうが、あふれんばかりの笑みがこみ上げてくる。そしてついに噴き出した。

 

「ふはっ、ははははっ! 大仁多高校も落ちたものだな。光月、お前みたいなでかいだけで何もできないようなやつを、レギュラーとして使っているなんてな!!」

「まだ言うのか、お前は!」

「ちょ、待って……」

「やめてくれ、本田!!」

「なっ……光月」

 

 なおも退かない荻野を見て、怒りは増すばかりだった。もう無理やりにでも口を閉ざしてやろうという気持ちさえ芽生えた本田であったが、それを止めたのは他でもない光月であった。今まで沈黙していた彼の発言に、動きは止まる。咄嗟に止めようとした西村も驚き、光月の方へと振り返った。

 

「荻野。たしかに中学時代僕は何もできなかったよ。皆の足を引っ張っただけだった。

 でも今は違う。僕は変わった。明日、証明してみせるよ。僕は大仁多高校で、強くなったということを!」

 

 今までの不安や怯えといった負の表情を全て吐き出したかのように、はっきりと宣言する。

 過去の自分の弱さを認めたうえでの言葉。その意図を理解して、西村と本田は笑みを浮かべる。もう大丈夫だと。

 

「……まだそんな甘いこと言うのかよ」

 

 その雰囲気を一蹴するように、再び荻野は鋭い視線で光月を射抜いた。笑みは消え、無表情ではあるが言葉は重々しい。

 

「そこまで言うのならやってみな。どうせ何もできやしない。中学の時もお前は俺らの期待を裏切ったんだ。

 ……仲間が失望しないうちに言っといてやるよ。そう簡単に人は変われない。無駄な努力ってもんだ」

「ッ……!」

 

 無駄な努力。たしかに中学時代はどうあっても駄目だった。今度は大丈夫だと思っても、かつての同僚にそう言われると、やはり心の中で負の感情が生まれてしまう。

 それでも、と勇気を振り絞るが言葉が発せられる前に口が閉じてしまう。

 

「それならばこちらも、お前が後悔しない間に言っておこう。明は強い。俺が保障する」

「なっ……!?」

「か、要!」

『白瀧(さん)!!』

「何でこんなことになっているんだ、お前ら。小林さんがいたら大目玉を食らっていたところだぞ」

 

 そんな光月を助けるように新たな人物が現れた。

 いつの間にか入り口には白瀧が腕を組んで立っていた。ゆっくりとチームメイト三人に近づき、愚痴をこぼすと荻野と向かい合う。

 

「矢坂黎明の選手とお見受けする。うちのチームメイトと何か話していたところ申し訳ないが、こちらも用事があるのでここで失礼させてもらう」

「……あんたも大仁多の選手だな?」

「大仁多高校一年、白瀧要だ。次の試合はよろしく頼む」

「白瀧――なるほど。大仁多に入った帝光の“元”レギュラーか。へっ、バスケを始めたばっかの新入りにスターターの座を譲り渡した選手と、体格だけで何もできない選手か。お似合いじゃねえか」

「おまえ――!!」

「やめろ西村。言いたいことなら後で俺が聞く」

 

 穏便に、かつ速やかにこの場を収めようとする白瀧だが、荻野はなおも止まらない。

 その矛先が白瀧にまで向けられたことで西村は激昂。今にも掴みかかろうとするが、白瀧に手で制せられた。当の白瀧は表情を変える事無く、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「……荻野だったか? たしかにお前の言うとおり俺は最後まで“キセキの世代”に勝てなかった。光月も中学時代、実力を出せなかったのだろう。それは認める、過去は変えられようのないものだ。

 しかし今は違う。個人にやり方によっていくらでも変えられるものだ。それはお前が決めることではない」

「……」

「もうこれ以上話す必要はないだろう。いくぞ、皆」

 

 沈黙した荻野の横を通り過ぎていく白瀧。それに西村と本田も続き、光月も俯く荻野を一瞥し、追いかけた。

 

「……絶対にお前には負けねえ」 

 

 最後に、扉が締まる前に荻野が呟く。

 

「僕も、負けないよ。僕も要も、大仁多高校もね」

 

 それに習い、光月もあくまで負ける気はないのだと言い放った。個人の勝負は勿論のこと、チームの勝負も。

 

 廊下を歩きながら、三人から事の経緯を聞いていく白瀧。できれば神崎や橙乃にまで話を持ち込みたくはないということもあった。話を聞いていると徐々に白瀧の表情も曇る。

 

「……やっぱり明、荻野という選手と何かあったんだな」

「中学時代、光月に足を引っ張られたとか言ってたぜ」

「ああ。そういえば中学時代は殆ど活躍できなかったとか、この前聞いたな」

「ごめん。僕のせいで皆に迷惑をかけちゃって。……要もわざわざありがとう」

「西村に感謝しとけよ。俺に知らせてくれたの西村なんだから」

 

 親指で西村を指差す。一緒にいた光月や本田は気づかなかったが、白瀧が嘘を言うわけもない。

 

「そうだったんだ。ありがとう、西村」

「いやいや。……白瀧さん、俺もあの時は我を忘れそうで、すみませんでした」

「いいよいいよ。むしろあれは俺がいたせいでもある。気にするな」

 

 光月に西村へ感謝するよう伝えると、自身は西村のことはもう大丈夫だと、気さくに手を振る。重い空気を振り払おうとした気遣いに、三人は再び感謝した。

 

「それにしても“無駄な努力”、か。……そこだけは気に入らないな」

「え? 白瀧さん?」

 

 先ほど荻野が口にした言葉を復唱し、頬をかく白瀧。何か考え事をしているのだろう。

 

「自分の目的のために頑張ったのだから、何かしらそこから得られるものがある。ただそれを有効活用できるかどうかだ。できなかったとしてもそれは無駄とは言わない。試行錯誤した上での結果なのだから」

「……はい」

「やっぱ気に入らないな荻野(あの男)。本人の性格は知らないけど……言ってはいけないことを言いやがった」

「……ッ!」

(……怒ってる。白瀧さんが、怒っている!)

 

 白瀧の表情の変化から、言葉にこめられた力から、白瀧の怒りが感じ取られた。

 長い付き合いである西村だけではない、光月と本田もそれは理解できた。彼らはここまで一度も白瀧が怒っているような所を見たことがないからこそ、その衝撃が大きい。

 

「……西村」

「は、はいっ!?」

 

 突如名前を呼ばれ、驚愕で声が裏返ってしまう。しかしそんな西村の態度を気にとめず、白瀧は言葉を紡いだ。

 

「次の試合、いきなりだけど見せ付けるぞ」

「……はい? えっと、見せ付けるって何をですか?」

「当然、実力を」

「……え?」

「お、おい白瀧?」

「白瀧、さん……?」

「止められるものなら止めてみろというものだ。無知なあいつに教えてやるとしよう。……バスケは単純なものじゃないってな」

 

 本来なら大会予選という早すぎるとも言える時期には、あまり手の内を晒すべきではない。温存していざと言うときの切り札にしておくべきだ。

 だがそれを今の白瀧に進言できるほど、三人の肝は据わっていなかった。

 あまりにもいい笑顔を浮かべる白瀧。それを黙って見ているしかなかった。

 

(というか、普段怒らないような人が怒ると……)

(いつもの性格を考えてしまうということと、)

(見慣れていないという衝撃が重なってしまって……)

《余計に怖い!!》

 

 偶然にもこのとき三人は同じことを考えていた。

 

 

――――

 

 

 そうして次の日。大仁多高校対矢坂黎明高校の試合。

 矢坂黎明高校のスターターは昨日と変わらず。その中には10番・荻野の姿もあった。

 一方、大仁多高校のスターターは秀徳との練習試合の時とは殆ど変わったメンバーとなっていた。

 

「……なあ、どうなっているんだこれ?」

「小林がベンチスタート? 余裕ってことかよ?」

 

 矢坂黎明の選手達、そして試合を見にきたギャラリーは大仁多高校のスターターを見て疑問を口にする。前者にいたっては怒りもこもっている口調だ。

 なぜなら伝統ある臙脂色のユニフォームに袖を通しているのは、去年までは大仁多高校に存在していなかった、新入生(ルーキー)達だからだ。背負っている番号も大きいということが、相手を苛立たせたのだろう。何せキャプテンの小林さんの姿さえなく、見える番号は7・9・13・14・15の五つなのだから。そう、ユニフォームを着て立っているのは白瀧・光月・神崎・西村・本田の五人である。

 

「……あの、これ何の冗談ですか?」

「言うな西村。俺だって未だに半信半疑だ」

「たしかに俺も、出られるものなら試合に出たいとは思ってますよ」

「まあ、俺たちは練習試合でもベンチスタートだったしな」

「けど……さすがにこれは、どうなっているんですか?」

 

 自分が今ここにいることさえ信じられない西村であったが、それは話しかけられた本田も神崎も同様だった。たしかに三人とも試合出場への欲はあっても、まだ気持ちの整理はできていなかったのだ。

 この登用方に疑問を覚えるメンバー。しかしそれは今ベンチにいる小林達も同じであった。さすがに無視はできず、小林はこの意図を藤代に問いかける。

 

「藤代先生、今日はなぜスターターを一年生で固めたんですか? 一年生達に経験を積ませるにしても、途中交代からでもよかったのでは?」

「ええ、たしかに小林さんの言うとおりです。というか私も本当はそのつもりだったのですが。

 ただこれについては私の意向とうよりも、どちらかと言うと白瀧さんの要望と言いますかねえ?」

「白瀧の? あいつが監督に直訴でもしたんですか?」

 

 白瀧は他人に無茶を要望するようなことは基本的にない。自分が一年という立場をわきまえているということもある。それなのに今回のこの提案、とてもではないが信じられず、山本はさらに聞き返した。

 

「ええ。昨日、矢坂黎明高校の試合を見た後。私の元に来て、このメンバーで出させて欲しいと頼まれたんですよ。『第1Qだけでいい、もしもその結果第1Qで負けているようなことがあれば、二軍へ降格する』とね」

「はあっ!?」

「……何を考えているんだあいつは」

「わからん……」

「部にとってもマイナスにしかならないというのに」

「というか取引になっていないでしょう」

 

 返ってきたのは白瀧の衝撃的な宣言であった。思わずそれを聞いていた三浦、佐々木、黒木、佐々木、中澤も頭を抱え込む。それと同時になぜそこまでこの試合に懸けているのかと疑問もわいたが、それについては小林もしらない模様であった。

 

「まあ理由はわかりませんが、これだけ白瀧さんがやる気になったんです。重要なことなのでしょう。……橙乃さんも、そう思いますよね?」

「はい。私も詳しくはわかりませんが、昨日『インターハイまでは誰にも負けない』と白瀧君が改めて言っていましたから」

「ほう。やはり昨日刺激になることがあったようですね。良い方向に転がってくれればよいのですが。まずはこの試合の行く末を見届けさせてもらいましょう」

 

 橙乃も詳しい話は聞けなかった。しかし昨日昼食や練習後に話すことができ、白瀧の強い意志を確認できたと言う。その点から見ても彼が慢心や過剰な自信からこのようなことを進言したわけではないとわかる。

 安堵し、藤代は白瀧たちを一瞥した。

 

「それでは、監督」

「ええ。予定の作戦については、指揮は東雲さんに一任します。お願いしますよ」

「はい。わかりました」

 

 東雲が藤代に声をかける。手短な会話、しかしそれでお互いの言いたいことは伝わったようだ。

 

「あの、作戦って何の話ですか?」

「細かいゲームプランのことですよ。白瀧さん、それに西村さんの頭にはすでに入っているでしょうが。相手チームのことを考えると彼らだけに一任させるのは少し可哀相なのでね。白瀧さんの条件を受ける代わりに、こちらも指揮については引き受けさせたんです」

「……そうなんですか」

「まあ橙乃さんも見ていてください。きっと面白いものが見れますよ」

「はい? 面白いものですか?」

 

 何なのか気になったものの、「後のお楽しみにです」と藤代は流してしまう。これ以上は今は言う気はないのだろう。

 仕方がないので橙乃は聞き出すことを諦めてスコアブックを開き、いつ試合が始まっても大丈夫なよう準備をして、円陣を組んでいる五人を見つめた。

 このメンバーの中ではチームリーダーである白瀧を中心に、今日の試合内容について話をしていた。

 

「そうだ、言い忘れてたけど明。お前今日はゴール下でのオフェンスは禁止な」

「……は?」

 

 白瀧の発言に光月が目を丸くする。他の三人も「何を言っているのだろう」と理解できずに白瀧を凝視している。

 

「あ、悪い。言い方が悪かったな。禁止と言っても絶対するなってことじゃなくて、カットインからシュートを決めろって意味だ。基本的に可能な限りはハイポストに入ってくれ」

「いや、え? でもそれって、どちらかというと要のポジションじゃないの?」

「そうだ。今日は俺と本田がポストプレイを務める。だからお前はSFに回ってくれ」

「……はあ!?」

 

 本当に白瀧は何を言っているのだろうか。

 本田がポストプレイをする、これは良い。むしろ妥当な考えだろう。PFというポジションから考えても、体格やプレイスタイルから考えても問題ない。

 しかし白瀧はどうだ? たしかに跳躍力はある。しかしパワーに関しては光月はもちろんのこと、本田にも劣る。体格も良いわけではなく、体のあたりあいで勝てるとは思えない。そんな彼がわざわざ得意分野を光月に任せ、ゴール下で勝負をするなど、利点があるとは思えない。

 

「なんで、いきなりそんなことを!?」

「そっすよ。それじゃあこっちが色々ハンデを背負うことになるっすよ」

「じゃないと明が荻野と勝負できないだろ」

「……え?」

「昨日の試合を見たが、相手のディフェンスは1-2-2ゾーンとマンツーマン。だがゴール下にはセンターとパワーフォワードの選手がいるために荻野は45度のポジションにゾーンでは陣取り、マンツーマンでは相手スコアラーについていた。自分の実力への自信だろうな、オフェンスも基本一対一が多かったし」

 

 声を荒げる光月達だが、白瀧は静かに二人をなだめた。

 昨日の試合を分析した上での作戦。

 この試合をこのメンバーで挑むのは、ただ相手に力を見せ付けるためではない。これには光月をさらに成長させようという意図が含まれていた。

 

荻野(あいつ)はお前が倒さなければ意味がないんだ。そのためならばいくらでも協力するさ」

「でも、僕にそんなことできるとは……」

「お前はミドルシュートを散々練習しただろう? あれはこういうときのためでもあるんだ。1on1だって何度もやっていたからな。今のお前なら一対一であいつには負けやしない」

「……わかったよ。白瀧にここまでお膳立てしてもらって、やらないわけにはいかない」

「よし、その意気だ! 変わったお前の姿を見せてやれ!」

 

 白瀧の後押しを受けて、自信がついた光月は提案を受け入れた。表情から緊張も取れ、笑みを見せる。

 これで準備の方は大丈夫であろう。あとは彼自身が試合で力をどれだけ出せるかにかかっている。

 

「……なあ、明のことはそれでいいとしてさ。問題は要、お前が大丈夫なの?」

「うん? 俺?」

「あ、それは俺も同感。光月と二人でならリバウンドだってなんとかなるとは思っていたんだが……」

 

 しかし光月の問題については納得したが、まだ白瀧本人の問題については納得がいかなかった。神崎と本田は白瀧に詰め寄る。

 相手は恵まれた体格を駆使する。昨日もリバウンド奪取率が高く、セカンドチャンスをものにしていたチームである。できうるならばリバウンドをものにしたいが、果たして白瀧が光月の代わりを務められるのか。その疑問が未だに強く残る。

 

「それについては問題ない。昨日も言っただろう」

「え? ……何か言ったっけ?」

「『バスケは単純なものではない』って。たしかに俺は相手にタッパでもパワーでも劣る。……だがリバウンドなら互角以上に戦えるだろう。だから勇、西村も安心してシュートを撃ってこい」

「……まあ、お前がそう言うなら何かあると信じるわ」

「了解です。もとより白瀧さんのことは信じてますから」

「ありがとな」

 

 全てを理解したわけではない。しかし、それでも白瀧を見ていると、本当に何かをやってくれるという希望を感じた。だからこそ二人ともその希望を信じる。白瀧もその信頼に応えると決意する。

 

「じゃ、俺と同じく相手のゴール下を制する仕事頼むぜ、本田」

「……足は引っ張るなよ」

「もうちょっとないのかよ。ま、了解」

 

 この仕事に関しては本田の方が慣れている。その自尊心からだろうが、頼もしい言葉を吐いてくれると白瀧は思った。

 

「……それじゃあ行こうか。県大会出場を懸けた大切な試合だ。機会(チャンス)を下さった皆に不甲斐ない姿は見せられない。――勝つぞ!」

『おう!!』

 

 掛け声と共に気迫もこめられる。顔を上げてコートに向かうときの五人の顔は、先ほどとは打って変わって真剣な表情へ変わる。意識の切り替えは上手くいったようだ。

 

「それではこれより、大仁多高校対矢坂黎明高校の試合を始めます。礼!」

『よろしくお願いします!!』

 

 こうして大仁多高校の夏は始まった。

 白瀧、光月、神崎、西村、本田。大仁多高校の若き五人の尖兵達がそれぞれの思いを胸に秘め、先陣を切る。


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