黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第二十二話 敵は己の心にあり

 神崎達が自主練習に励んでいる一方、大仁多のエースとなりつつある白瀧の姿はコートにはなかった。

 コートにいないならばすでに帰宅してしまったのだろうか、という疑問が浮かぶが、決してそういうわけではない。

 場所はバスケコートから移り、トレーニングルームへ。

 

「7……8、……っ、9……10!」

「はい、そこまで。休憩としましょうか」

「うぅっ……」

 

 苦しそうにカウントをすると同時に、白瀧は腕を動かす。

 うつぶせの状態で横になり、そこからひじを立てて上体を起こす。そして数字を数えると同時にひじを曲げて、一時停止。そこから再び元の体勢まで戻す。つまり腕立て伏せである。

 10回ならば、鍛えている者なら練習後でもそれほど負担に感じるものではない。

 それなのに、なぜスタミナに自慢のある白瀧が、藤代の休憩の合図と殆ど同時に力尽きたのかと言うと……

 

「だ、大丈夫白瀧君? ……はい、ドリンクとタオル」

「あり、がとう。橙乃」

 

 ……その背中にマネージャーである橙乃を乗せて腕立て伏せをしていたからである。

 白瀧はなんとか腕を伸ばし、橙乃よりドリンクとタオルを受け取り、体力の回復に努めた。

 

「はい、圭介君も」

「ああ。葵もありがとうな」

 

 その隣では小林も同じ状況ではあったとはいえ、白瀧と比べると上半身は鍛えてあるのかまだ余裕があるように見える。表情に余裕を残し、東雲よりドリンクを受け取った。

 女性とは言え、人が背中に乗るとなると想像以上の負担となる。

 ちなみに橙乃の体重が『放送規制』キロ、東雲の体重が『放送規制』キロである。……女性の体重を気にするなんて最低だ。知りたがるなんて最悪だ。

 

「重くなかった? 平気?」

「大丈夫、全然軽いよ。橙乃は細いし、丁度良い感じだよ」

「あ、ありがとう……」

 

 倒れこむ白瀧を心配し、覗き込むように語り掛ける橙乃。

 そんな彼女の不安を一蹴するように、すぐさま起き上がり、腕を振り回して大丈夫とジェスチャーを送る。

 あくまで女性に気を配ることを忘れないあたり、さすが白瀧と言ったところだろうか。

 

(……言えない。実際、2セット目を越えたあたりからすでに腕が限界を迎えていただなんて絶対に言えない……!)

 

 ポーカーフェイスを崩さず、相手に心情を悟らせないところも含めて、白瀧らしいと言えるだろう。

 

「ご苦労様です。あと一分休憩してもう一セット……と思ったのですが、今日はここまでにしておきましょう」

「……了解です」

「ありがとうございます、藤代監督」

 

 4セット目を終了して5セット目に突入、と移ろうとしたところで藤代は止めた。二人の限界を読み取ったのだろう。

 白瀧と小林の筋力トレーニングは県予選の1週間前より行われていたことだ。二人ともポジション上パワー勝負は少ないものの、オールラウンダーとして活躍が期待される選手である。それゆえ藤代が自ら指導を行っていた。

 

「……ところで話は変わりますが。二人とも、私が筋トレをさせている理由はわかっていますか?」

「え? 理由ですか?」

「俺達がある程度バスケスタイルが身についているから、というわけではないのですか?」

「小林さんの言うことも間違ってはいない。ですが、もっと詳しく言えば、あなた達二人が、オールラウンドプレイヤーだからです」

 

 突然の問いに小林がとう答える。

 それが正解ではなかったのだろうか、藤代は問いを終えると立ち上がり、二人を見つめながら語り始めた。

 

「ここ数日、私が鍛えてきたのは主に上半身。特に腕と胸の筋肉です。

 シュート・パス・ドリブルといった基礎動作は勿論、ハンズアップやボールの取り合い、さらにはポストプレイのために鍛えさせました。

 ……私は今年、あなた達二人を中心とした戦術の構成を考えています。時にはお二人にもインサイドを主体に動いてもらうかもしれません。そのためです」

「なっ……!?」

「藤代監督、圭介君を中心にということはわかりますが、しかし白瀧君までインサイドに組み込むのですか?」

「ええ。白瀧さんについてはシュートに限った話かもしれませんが……これは白瀧さん自身のためでもある」

 

 東雲の問いかけにも動じず、藤代は淡々と説明を続ける。

 白瀧は外からでも中でも勝負を仕掛けるスコアラーだが、パワーはそれほどではない。特に長身プレイヤーがブロックに跳んだ際は、今までもかわすかパスの二択であり、無理やり押し込むというパターンは少なかった。

 そんな彼にまでパワフルなプレーを求めるのは、かえって逆効果ではないのかという疑問が浮かんだが……藤代はそうは考えていなかった。

 

「白瀧さん。以前より一つ気になっていたのですが……あなた、チャンスならいくらでもあったはずなのに、なぜダンクシュートをしないのですか?」

「え……?」

「ダンクはできるものにとってはレイアップ並に確率が高く、一度決めるだけでも相手には多大な影響を与える。それなのに、なぜあなたはやろうとしない?」

「ど、どういうことですか監督? その言い方はまるで……」

「どうですか、白瀧さん?」

 

 思わぬ問いに場が硬直する。

 橙乃がどうにか藤代にその言葉の意味を確かめるが、藤代はただ白瀧を見つめ、返答を促すばかりで中々答えない。

 

「……返答はなし、ですか。ならば皆さんにもわかるよう試しにやってみたほうがよさそうですね。皆さん、一度コートに戻りましょう」

 

 このままでは話が進展しないと踏んだのか、藤代は四人を連れてコートへと戻る。

 練習終了から時間が経過しているとはいえ、まだ一軍メンバーは残っていた。その中の一角、山本と神崎がシューティングを行っているエリアへと藤代が先導し、向かっていく。

 

「お疲れ様です。山本さん、神崎さん。お二人とも、少々付き合ってもらってもよろしいでしょうか?」

「あ、藤代監督! わかりました」

「仕方がないか。神崎、この勝負はお預けな」

「あれ本気だったんですか!?」

 

 何か勝負をしていたのだろうか、二人は愚痴をこぼしながらも素直にシューティングを止め、ボールを片付けると藤代の元へと集まる。それを確認し、藤代はこれからしたいことを説明し始めた。

 

「山本さんと神崎さんはディフェンス役をお願いします。小林さんと白瀧さん、二人がオフェンス役。

 山本さん達はとにかく小林さん達にシュートを決めさせないように、そして白瀧さんは……レイアップシュート、ジャンプシュート以外で決めてください。小林さんはシュート禁止です」

『……は?』

 

 その説明に全員が呆然とした。誰が聞いても同じ反応をしたことだろう。それほど今の藤代の話は衝撃があった。

 白瀧が得点を決める、それは別に構わない。しかしその方法としてレイアップシュート、ジャンプシュートを封じるとなると、もはや手は限られている。

 

「えっと……フックはありですか?」

「ああ、フックシュートもなしです」

「ですよねー。なんだかわかってました」

 

 自分で聞いておきながら、なぜか否定の返事を納得してしまう白瀧。

 この条件に加えてフックシュートもなしとなると……もはや打つ手はダンクシュートくらいしかない。それは白瀧もわかっていた。

 

「ではわかったところではじめましょうか。小林さん、お願いします」

「え!? 本当にやるんですか!?」

 

 開始の合図をする藤代。戸惑いながらも神崎と山本もディフェンスについた。

 小林はドリブルのペースを変えながら、白瀧の動きを見ている。

 

(先ほどの質問とそして今回の条件。藤代監督は明らかに白瀧のダンクを引き出そうとしている。

 しかし、今まであいつがダンクを決める姿など見たことがなかった。本当にできるのか? ……いや、駄目もとでもやるしかない)

 

 不安も浮かんだが、それは今考えていても仕方がない。

 小林は覚悟を決めると突破力を生かし、ドライブを仕掛ける。

 反応され、山本を抜き去ることは構わなかったが、小林はそのままボールを空中へと放った。

 

「なっ!? (速い……というか、早い!)」

「白瀧、やれ!」

 

 リリースするタイミングの早さに山本は驚いたが、少し短い。

 リングに嫌われるのではないかと思われたが、小林の声に答えるように、白瀧が跳んだ。

 

「高い……このっ!」

「――うああああああ!!」

「ッ!? (なんだ、この力は……?)」

 

 その跳躍力に戸惑いながらも、神崎もブロックに飛ぶ。

 しかし白瀧は止まらず、神崎のブロックの上からゴールを狙う。

 そして空中でボールを掴むと――勢いそのままに、ボールをゴールに叩き込んだ。

 

「……嘘」

「あ、アリウープ……?」

「やはり、ですか」

 

 外で観戦していた橙乃と東雲は驚くことしかできなかったが、その横で藤代は納得したように、満足げに頷いた。

 そのまま藤代はゆっくりとした足取りで着地した白瀧へと近づいていく。

 

「やはり白瀧さん、ダンクシュートを決めるだけの跳躍力はあったのですね」

「……やったことはないです。でも、たしかにリングを越えることはできました」

「ふむ。……となるとアリウープはできても、ダンク自体はまだわからない、ですか」

 

 ダンクとアリウープでは、また求められるものが違う。

 ダンクならばボールを持っている分より筋力が必要となり、アリウープならばパスとの連携、空中での巧みな動作が必要となる。

 ならば今日はアリウープが可能ということがわかっただけよしとしよう、と藤代はそれ以上のテストはやめた。

 

「しかし白瀧さん、あなたは今までアリウープを決めたことは一度もありませんでしたね。

 それはやれなかった(・・・・・・)のではなく、やらなかった(・・・・・・)のではないですか?」

「……」

「ダンクはバスケの花形です。しかしこのプレイは身体への負担が大きく、故障へ繋がることも多い。それは身体が小さければ小さいほど可能性が高くなる。

 ……あなたは、まだ無意識に過去の大怪我を気にして、また怪我をすることを恐れて、自身のプレイに制限をつけている。違いますか?」

「たしかに、そうかもしれませんね」

「要……」

 

 いつもの覇気や明るさはどこかへと消えてしまったかのように、白瀧は小さな声でそう呟いた。それは藤代の問いを肯定しているようなものだった。

 それを見て神崎も誠凛高校の見学の際に聞いた過去の怪我の話を思い出し、複雑な心境になる。

 彼にも思い当たる点がなかったわけではない。先の矢坂黎明戦でも白瀧はローポストに陣取りをしていながら、積極的にポストプレイをしようとはしなかった。

 むしろ味方のサポート、ならびに敵をかわしたリバウンドばかりに重心を置き、相手選手と接触する場面を比較的避けていたようにも思える。

 

「あなたのバスケスタイルは様々な技と知恵で敵を翻弄し、手札の多さで相手を悩ませる。そして一瞬の隙をついてドライブで崩すというもの。

 だが、今のままでは宝の持ち腐れだ。全てを使おうとせず、生かしきれていない。……あなたの体はすでに完治している。ここまで何も起こらなかったのだから、怪我が癖になっているわけでもない。再発もないでしょう。全体を見ても、怪我をしないように十分鍛えこんである。

 それでも相手選手との接触は、怪我は怖いですか? その力は飾り物ですか、白瀧さん?」

「ッ……!!」

 

 『飾り物』、そのようなわけがない。何のためにここまで鍛えてきたのか。

 わかっていても白瀧は否定できなかった。心のどこかでまだ迷いがあったのかもしれない。

 それが悔しくて……ただ拳を力強く握り締めた。

 藤代は白瀧を一瞥すると彼に背を向けて歩き出した。

 

「無理にとは言いません。ですが、あなたのプレイは試合に大きく影響することがあるということ、忘れないで下さい。

 ……白瀧さんと小林さん。お二人はもう上がってください。十分なストレッチをすることをお願いします。……それと、橙乃さん」

「あ、はい!」

 

 白瀧に念を押し、今日の筋トレを終えた2人に指示を飛ばすと橙乃を呼び寄せる。

 橙乃は白瀧のことが気になったが、すぐに藤代の元へと歩み寄った。

 

「この後、白瀧さんのサポートをお願いします。彼が帰宅する時、一緒に帰って相談に乗ってあげてください」

「……へ?」

「彼のような性格は、大抵一人で背負い込む。だから、誰かが側にいてあげなければならない。彼が壊れる前に、できるだけ発散させておくほうが良いんですよ」

 

 藤代はそう言ってもう一度視線を白瀧へと向ける。

 白瀧は神崎に話しかけられていたが、その表情は優れない。彼のような選手にはできるだけ早く立ち直ってもらいたいのだろう、期待が言葉にこめられていた。

 

「はい。……でも、私で良いんですか?」

「丁度お二人とも寮生活なので、途中まで道は同じじゃないですか。それにあなたはマネージャー、選手の白瀧君からは見えないところも教えてあげられると、そう思ったのです。

 まあ、あなたが嫌なら無理はさせません。他の方にお願いしますが……」

「わ、わかりました。そうさせていただきます!」

「ではお願いしますね」

 

 了承をもらったことで安堵したのか、藤代は笑って手を振り、その場を後にした。

 橙乃は少し不安が残ったものの……白瀧の暗い表情を見て、気持ちは固まった。

 

 

――――

 

 

 ストレッチを済ませて硬くなった筋肉をほぐすと、その後は運動せずに帰宅の準備を済ませた。

 勇や小林さんが声をかけてくれたが、果たして何を言っていたのかはよく覚えていない。

 それほどまでに意識が散漫していた。……やはり、大丈夫だと思っていても、無意識にどこかで逃げていたのかもしれない。そしてそのつけが今、回ってきたということだろう。

 

「……ふぅっ」

 

 息をこぼし、空を見上げると星が綺麗に光っていた。

 ……思えば俺が悩んだ時はいつもこうして空が瞬いていた気がする。そして中学の時はなぜか赤司や桃井さんと言った人が毎回のように声をかけてきた。だが、今はもうそういう相手はいない……

 

「白瀧君!」

「えっ?」

「いた! 気がついたらいなくなっているから、探したよ」

 

 俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 驚いて振り返ると橙乃が小走りながら呼びかけていた。

 探し回っていたのだろうか、少し息が荒い。俺の目の前で立ち止まり、膝に手を置いて息を整えると、

 

「ね。……一緒に、帰ろう?」

 

 そう俺に提案してきた。

 その柔らかな笑みを見て、なぜか心が異常なまでに落ち着いて。……気がついたら了承の返事を出していた。

 

 橙乃と並んで帰る道のりはいつもと道筋そのものは変わらない。しかしいつもよりも長く感じた。

 今まで俺が橙乃と一緒に下校したことは一度もない。俺が選手として練習、橙乃がマネージャーとしての仕事もあったし、変な噂を立てられたら彼女に迷惑がかかるという可能性もあって、一緒に帰るということはなかった。

 初めて彼女と会った日に公園で遭遇したということはあったものの、少し話しただけな上にすぐ別れてしまったからそれは数には入らないだろう。 

 だから、これが橙乃と帰るのは初めてなのだが……なぜか、初めての感覚はしなかった。

 

「大丈夫、白瀧君?」

「大丈夫って、何が?」

「なんだかボーっとしているみたいだから。やっぱり藤代監督の言ってたこと、気にしてる?」

「……気にしていないと言えば嘘になるだろう」

 

 橙乃の問いかけに正直に答える。きっと心配して一緒にいてくれるのだとわかったからだ。

 逆に嘘を言ってもばれてしまうだろうし、余計な負担をかけてしまうだろう。だから正直に、思いのままを告げることにした。

 

「たしかに俺も怪我の可能性があるプレイは怖い。……またあの時のようにコートに立てないというのは、ある意味負けることと同様に辛い」

「……うん。バスケはチームプレイだしね。皆と一緒に戦えないというのは、厳しいもの」

 

 そう。それが第一の理由。藤代監督も言っていたことだ。

 だが、それだけではない。俺は橙乃に相槌を打ちながら、さらに言葉を付け加えた。

 

「ああ。だが、それともう一つ。もう一つだけ……俺がポストプレイをしない理由があるんじゃないかと、思っていることがある」

「他にも理由が?」

「ああ。……負けると、心の底で敗北を認めてしまっていると思うんだ」

「……え?」

 

 何を言っているのだと、橙乃は疑問に満ちた目で俺を見る。

 ああ、俺だってそう思っているわけではない。だが……たしかにあの時感じたことを今も思っているのだとしたら。体が自然に逃げてしまうのだとしたらと、そういう思考に行き着いてしまう。

 

「俺は黄瀬に負けたということは知っているだろ?

 敗北の要因。それは技術ではない。……基本性能(スペック)の差だった」

「……つまり、身体能力?」

「ああそうだ。ゴール下というのは撃てば成功率は高いが、それはブロックされなければの話だ。

 だが俺には背丈もない、パワーもない。そんな俺がシュートを狙うというのは、自殺行為のようなものだ」

 

 ダンクに限ればさらに厳しい。

 先ほどはまだ練習であったから決められたものの、試合本番で決めるとなると敵のブロックや他の選手の動きもあり、難易度は格段に上がる。

 そのための他の技との組み合わせ、駆け引きがあり、可能になればより戦略の幅は広がるのだが……どうしても、それを実行に移そうとは思えない。

 

「だから、俺は勝負から逃げているのかもしれない。……自分が勝てるところで、勝っているところでしか勝負をしていないのではないかと。

 秀徳戦とてそうだった。緑間との戦い、あいつのスリーを封じるためにとにかく地上戦に持ち込み、あいつの体力を削り取った。……俺は、負けるのが怖かった」

 

 臆病者と例えるのが正しいのだろう。

 自分の長所を生かし、相手の長所を殺し、より可能性の高い勝負を挑む。そして自身が劣っている点は完全に捨てる。

 ……そうでなければ勝てないと、そう思っていたのだろうな。

 

「……別に、怖がる必要はないと思うけど」

「なに?」

 

 だが、その俺の気持ちを一蹴するように橙乃が答えた。“怖がる必要はない”と。

 

「だって藤代監督も言ってたでしょ。『あなたのバスケスタイルは様々な技と知恵で敵を翻弄し、手札の多さで相手を悩ませる。そして一瞬の隙をドライブで崩すというもの』って。

 それに白瀧君も前に光月君にこう言ったよ。『手札は多い方が良い。相手に“どの攻め方で来るかわからない”と考え込ませたならば、それだけで優位に立てるから』ってね。

 勝てなくても、その手札があるだけでも相手は悩む。絶対に勝てる手札だけじゃなくても、それ以外を生かせれば、それで良いんじゃない?」

「……それ以外を生かす……」

「うん。だから勝てるところで勝負するのは間違ってないよ。元々チームはそういうものじゃない?

 それぞれ長所があるからポジションがあるわけだし、その長所を生かしてプレイするから試合が成り立つ。それと一緒だよ」

「しかしそれでは相手を……いや待て」

 

 否定しようとして、その先の言葉は出てこなかった。それを言えば自分を否定することになるから。

 たしかに、橙乃の言う通りである。

 ……ひょっとしたら、俺はいつの間にか完璧を求めていたのかもしれない。

 黄瀬という何でも完璧以上にこなしてみせる天才を目にして、そうでなければ勝てないと思って。

 だが元々俺は未完のものでも自分のものにしていたというのに、今はそんな簡単なさえも忘れていたのか。

 

「……悪い、橙乃」

「どうしたの?」

「俺、目が覚めたかもしれない。……ありがとう」

「え、えっと。……どういたしまして」

「ああ、ありがとう」

 

 笑って礼を言うと、橙乃は気恥ずかしそうに視線を逸らした。

 そんな彼女が少し可愛らしく感じ、もう一度礼を言う。……本当に目が覚めた気分だ。

 

「県大会は大丈夫だろうが、IHとなるとたしかに手札は多くないと困る。それまでにはなんとかしないと」

「……うん。きっと大丈夫だよ」

「そうだといいんだがな。ま、できる限りのことはするさ」

 

 ここまでよくしてくれる橙乃とて、チームの勝利を祈っている。

 ならばできうる手段は全て費やして挑むだけだ。それが俺に出来る唯一の方法。

 

「県大会か。でも、私少し気になることがあるんだよ」

「なんだい? 栃木県に誰か知り合いの人でも入ったのか?」

「ううん。そうじゃなくて……すでに知り合いが上の学年にいるの」

「上の学年に?」

 

 橙乃がどこか複雑な表情で語り始める。

 新入生ではなく、上の学年に知り合い、か。となると中学時代の先輩か? 橙乃は中学時代にもマネージャーをしていたという話だし、そういうことがあってもおかしくはない。

 

「うん。今は三年生。だからその人にとっても最後の年。……戦うことになると考えると、少し複雑かな」

「そっか。それは橙乃が悩むのも無理はない。だが、俺はそう言われても戦うとなると手加減はできないぞ? 向かってくる相手には戦うことでしか語れないから」

「わかってるよ。だから、悔いの残らないよう全力で戦って欲しい。選手皆に」

「……了解した。その願いには全力で応えるよ」

 

 そう言う橙乃は今まで見たことのないような表情だった。

 ここまで言われてしまっては、こちらも応えるしかない。期待には報いるだけだ。

 だから俺もはっきりとそう告げた。返事を聞いた橙乃は嬉しそうに笑う。

 

「ありがとう。……それと、白瀧君に個人的なお願いがあるんだけど……いい?」

「俺にできることならば何でも」

 

 橙乃には元気付けてもらったし、断る理由もない。だから静かに彼女のお願いを待つことにした。

 

「ちょっと、一方的なお願いだから、言いにくいんだけど……」

「……うん」

「私を……私『あ・か・ねええええぇぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇ!!!!』を……?」

 

 一つ間を置いて、橙乃が勇気を振り絞って言葉を発しようとしたその瞬間。

 ……突如男の絶叫のようなものが木霊した。あまりにも急すぎたもので、橙乃はその場で固まっている。

 声をした方向を見ると、一人の男が立っていた。

 

「……なんだあいつ?」

 

 街灯によって見えた男は、高校にでも通っているのだろうか、制服を着ていた。

 叫び声を上げたのはあの男で間違いないだろう。……しかし、何者だ? たしか『あかね』って呼んでたけど……あかね? 茜? ひょっとして、橙乃を呼んだのか?

 

「茜、なんだその男は!? 俺の知らない間にそのような男と! 俺はそんなやつ認めた覚えはないぞ!」

「……まさかストーカーか!? 橙乃下がってろ!」

 

 これほどまでに橙乃に厳しく言い寄ってくるなど、普通ならばありえない。いくらなんでも踏み入りすぎだ。

 最悪の可能性を考え、硬直している橙乃の腕を引っ張り、後ろへと隠す。いざと言うときは橙乃を抱きかかえてでも走り去るしか……

 

「ああああ! 貴様、茜の手に触れたのか! 誰が茜の手に触れることを許した!? 誰が、いつ、どこで、なぜ、どのようにぃっ!?」

「間違いない。完全にストーカーだこいつ」

 

 ここまで橙乃に依存しているとなるとかえって恐ろしい。元彼とかそういうやつか?

 見た目はそれほど悪くはないのだがな。オレンジ色の髪も、容姿も整っている。残念なタイプ、ということだろう。

 

「仕方がない。橙乃。こんなところで問題を起こすわけにはいかない。一気に逃げるぞ」

 

 ここで問題が起きればバスケ部全体に被害が及ぶ可能性がある。

 相手に聞こえないよう、小声で橙乃へと呼びかけた。

 

「で、でも待って白瀧君。あの人は……」

「どうした。早くした方が良い。そうでないとどんな手を使ってくるかわからないぞ!」

 

 やはり知り合いなのだろうか、どこか迷っているように言葉を濁す橙乃。

 だがいつまでもこの状況が続くわけではないし、できるだけ急ぐよう先を促す。

 

「あの人は……私の、お兄ちゃんなんだけど」

 

 すると、橙乃の口から信じられない言葉が飛び出した。

 

「……はい?」

 

 思わず、その場に似合わぬ呆けた言葉が出てきた。

 

「おお! 茜、やっと呼んでくれたか! 何年ぶりだ、お前にそう呼んでもらうのは!!」

「……電話で一昨日呼んだばかりだよ。お兄ちゃん」

「電話と生の声で聞くのは全然違う! 茜エネルギーが蓄えられる!」

「……意味がわからないよ」

 

 俺を間に挟み、二人の声が飛び交う。橙乃と謎の男の間で会話が成り立つのが不思議なくらいだ。……いや、これは成り立っていると言えるのか?

 まあ、今はそんなことどうでもいい。それよりも大事なことがある。俺は恐る恐る橙乃に質問した。

 この時、俺は後悔することになる。どうしてこの時こうも簡単に質問をしてしまったのかと。

 

「……ってか、ちょっと待ってくれ。橙乃に一つ質問だ。さっきおにいちゃんって呼んだけど……この人、『おにい』という苗字なのか?」

「そんな苗字あるの? そうじゃなくて、この人は私の兄、橙乃勇作(とうのゆうさく)。さっき私が話した、県大会に出る選手よ」

「……え」

 

 その結果、できれば一番聞きたくなかった答えを聞いてしまった。

 

 ――盟和高校三年、橙乃勇作(とうのゆうさく) ポジション:PF 189cm

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