黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第二十三話 県大会、開幕

「こ、この人が……橙乃の、兄……?」

 

 半信半疑の状態で言葉をどうにか繋ぎとめる。一瞬『兄』という単語を国語辞書で再検索しなければならないと思ってしまった。

 目の前の、橙乃に呼ばれただけで幸せな顔をしているこの男が橙乃が話していた、兄。……とてもではないが、信じられなかった。

 確かに顔立ちや髪の色など、兄妹と言われても不思議ではないのだが。如何せん性格のせいではっきりと断言することができない。あれか? 片方が駄目だともう片方がちゃんとした性格になるというシステムか?

 

「なあ橙乃。あいつに何か脅されているのか? そうならはっきりと……」

「いや、兄妹というのは本当なんだけど」

「あれと?」

「うん、あれと」

「嘘、だろ……」

 

 万が一のことを、可能性を考えてもう一度橙乃へと問いかけた。

 対象を指差し今一度確認するが、しかし答えは変わらず。その事実を受け止めきれず、呆然としてしまった。

 

「おいおい、お前達何か俺に対して失礼なことを話してないか?」

「ううん。違うよお兄ちゃん」

「そうか。茜がそう言うのならまあ良い。さっきの件も許してやろう」

「ありがとうね」

「……どうも」

 

 こちらのこそこそ話が気になったのか、空気と化していた男――橙乃の兄が語りかけてくる。いっそそのまま空気になってくれれば良かったのに。

 だが、橙乃の受け答えに満足したのか表情を緩め、先ほどの橙乃と俺の接触も許してくれたようだ。……元々はお前がいきなり現れたからだろうが、と思ったがそれは口に出さない。

 

「えっと……それでお兄ちゃんは一体どうしてここに?」

「うむ。いい加減そろそろ茜の顔を見たいと思ってな。来てくれないからこっちから出向くことにしたんだ」

 

 堂々と妹の質問に答える兄。……あと数週間待てなかったのかという問いは置いておこう。

 県大会に出ると言うのだから、いくらでも機会はあると思うのだがな。

 

「何せ今年は、最愛の妹のいる高校と雌雄を決さなければならないからな。どうしても、大会の前に会っておきたかった」

「……随分と大胆な発言ですね。大仁多に勝つつもりでいるんですか?」

「その通りだ。今年こそうちは大仁多を倒し、IHへと出場する」

「へえ……」

 

 この言葉、無謀から来ているものではなさそうだ。

 本気で大仁多を倒すつもりか。たしかに三年生ならば意気込みも違うのだろうが、大仁多を相手にここまで言い切るとは余程の自信があるのだろう。

 

「そこまで仰るとは。余程自信があるようですね。……ちなみにあなたはどこの高校なんですか?」

「茜から聞いていなかったのか? まあ、先ほどの表情から考えれば聞いていないのだろうな」

「……」

「どうせすぐにわかることだし、構わないか。……盟和高校、だ」

「っ、盟和高校!?」

 

 ――盟和高校。その高校には聞き覚えがあった。

 一昨年、そして去年と連続で栃木県予選で準優勝を果たし、今の栃木県では実質ナンバーツーの実力校だ。

 それはすなわち大仁多高校には敵わなかったということをも現すのだが、ここまで安定して連続で勝ち残るのだから、それほどの実力があるということが窺える。

 だからこそここまで発言できたのだろう。最後の年、3度目の正直でIHというその熱は計り知れない。

 

「ああ。……本当は茜も盟和に来て欲しかったのに! どうして大仁多にっ――!!」

「えっと、ごめんね。まさか推薦が受かるとは思ってなくて」

 

 突如橙乃のことを思い出して勇作さんは涙を流し始めた。

 ……橙乃って推薦だったのか。まあ寮生活だし不思議ではない。

 

「……ってかああ、だから橙乃は大仁多(ここ)に来たのか」

 

 今さらだが橙乃が大仁多高校に入学した理由がわかった。

 俺や勇のように部活の強豪だから、という理由でもないのにわざわざ東京の中学に通っていた彼女がなぜ栃木の大仁多高校に進学したのか。

 それは兄の影響だったのだろう。

 すぐに会えるところに頼りになる(本当の意味で頼りになるのかどうかはこの際置いておいて)家族が近くにいるならば、寮生活でもある程度安心できる。だから彼女は栃木の高校へと進学することを決意できたのだろう。

 最も、彼女の発言から予測すると、大仁多に合格したということは計算違いだったようだが。……大仁多は中々偏差値高いからな。西村だって一般受験は苦戦してたし。あれは本当に苦労した。

 

「それは本当に残念でしたね。最愛の妹と一緒の学校に通えず――しかも、栃木最強の大仁多に持っていかれるなんて」

「……中々言うな、お前も。先ほどから気になっていたが、誰だ? 去年まではいなかったはずだが……」

 

 勇作さんの発言に負けじとこちらも挑発する。

 戦いの前に舐められるようなことがあってはならない。強者ならばなおのこと。

 だからこそ、相手の問いに強気で攻めることにした。

 

「大仁多高校一年、白瀧要です。今大会で最も警戒しなければならなくなるかと」

「白瀧、要? ……ああ、そうか。お前があの男か」

「俺のことを知っていたんですか?」

 

 俺の名前を聞いて考え込むとは、これは意外な反応だと思う。

 三年生ならば中学時代も俺とは殆ど接する機会もなかったはずなのに、どうして知っているんだろう?

 

「当たり前だ。――お前か! 俺から茜を奪ったのは!」

「……は?」

 

 だが、俺の疑問は相手の怒号で瞬間的に真っ白になった。

 すぐに意識が戻るが……何を言っているんだこいつ。俺が橙乃を奪っただと?

 

「とぼけるな! 忘れもしない。俺はお前の魔の手から茜を解放する為にバスケをはじめたのだから」

「忘れもしないって……あの。俺あなたと昔、会ったことありましたっけ?」

 

 魔の手とか色々ツッコミどころが満載だが、全てには対処しきれないのでまず根本的なことを問いかける。

 

「俺とお前は初対面だ。だが、俺は確かに茜の口から『もう一度お前と会いたい』と聞いたんだ!」

「はっ?」

「……えッ!?」

 

 ……しかし、俺が期待するような言葉は返ってこなかった。

 何か、色々と話がおかしい。

 橙乃が会いたいと言っていた? たしかに俺の行方を気になっていた、とは聞いたがそこまで……?

 しかもそのためにバスケをはじめたと言っているが、この人始めたの最近なのか? 

 とにかくわかったことは……言っていることがまったく、何一つとして理解ができない。とりあえず何か知っているであろう橙乃に聞いてみることにした。

 

「なあ、どういうことだ橙乃? 俺、まったく話が読めないのだけど」

「お兄ちゃんが勘違いしているのかもしれない。私のことになると、あんな感じに周りが見えなくなっちゃうから。

 ……今の状況も入れて、白瀧君のことと、他の人のことが入り混じっちゃったのかも。バスケをはじめたのだって、小学生のころだよ」

「冤罪じゃないか。……なんでこんなことになった」

 

 まったく思い当たる節がないのだが……いや、待てよ。

 そういえば以前誠凛高校を訪れた際、橙乃から昔の話を聞いたことがあったな。たしか橙乃にバスケを教えた相手のことを。

 ……ひょっとしてこの人、それを俺だと思っているのか? その話題が出た時に俺に話したこととかとこんがらがって、誤って俺に怒りが……?

 

「ちなみに一つ聞きたい。お兄さんとの電話で俺のことを何か話したか?」

「うん、何度か話したよ。今年はすごい選手が入ったって」

「まあそういうことは話すか」

 

 それくらいならまだ問題はないはずだ。敵校ということを考えると微妙なラインだが、そこまで厳しくはない。

 橙乃とて性格が曲がっているわけではないのだから、変なことは言わないだろう。ならば一体どこで食い違いが出たんだ?

 

「後は……中学のこと、気になっていたことも聞けたとか」

「なるほど、なるほど」

「練習や試合が終わった後、よく体育館で体をまさぐりあっているって……」

「なるほど、なるほ……それだよ! 120%それのせいだよ!」

 

 思わず流してしまいそうだったが、今自然な流れで変な発言してたよこの子!?

 

「白瀧君、いつも溜まっているせいで激しくしないと満足してくれないから……」

「溜まっているのは疲労のことだよね!? 頼むからマッサージをそんなややこしい表現で言葉にしないでくれるか!?」

 

 決定した。今ここに決定した。

 すべて橙乃の発言が悪かったと。なぜ『マッサージ』というカタカナ5文字をそんな複雑な表現をするのか、俺には理解できない。

 しかし原因は全てそれにあったということが判明。やはり兄妹か、どこかで変な部分が出ちゃうものだね。

 

「私が上に乗って、溜まったものを全て搾り取るように……」

「もういいから! 乳酸を取る、と言いたいことはわかったから、それ以上喋るな!」

 

 もう問題は理解できたために、これ以上問題発言が出ないうちに橙乃の口を閉ざさせる。

 ……まさか橙乃にこんな一面があったとは。

 早くどうにかしないと、と考えていると、突如後ろから――勇作さんの方から異常な威圧感を感じた。

 

「……貴様、俺を差し置いて茜といちゃつくとは……」

「今のがそう見えたんですか? えっと、お兄さんは何か勘違いしているようですが」

「お前などにお義兄さんと呼ばれる筋合いはない!!」

 

 ……どうして兄妹揃ってこう会話が面倒なのだろう。

 弁論する余地さえ与えられず、一刀両断されてしまった。

 この人、熱くなると周りが見えなくなるタイプか? 一応覚えておこう。

 

「じゃあ、何て呼べば良いですか?」

「そうだな。……じゃあ、勇ちゃん先輩で」

「そこはフレンドリー!?」

「だって後輩が誰も呼んでくれないんだぞ?」

「……勇作先輩か、勇作さんでお願いします」

 

 思わぬ親しげな呼び名の提案に、声を荒げるしかなかった。

 そろそろこの人の性格がわからなくなってきたぞ。何だよこの人、面白いんだけど。そして誰か一人くらい呼んでやれよ。

 

「で、勇作さん。貴方が考えていることは全て誤解でして……」

「罪人は皆そうやって言い逃れをしようとする。俺は騙されん! 何も聞かんぞ!」

「……いや、本当の話なんですけど……駄目だこりゃ」

「お兄ちゃん……もう」

 

 現実から逃げ出すように、勇作さんは耳を塞ぎ、目を閉じ、感覚を遮断する。

 ……橙乃でさえさすがに呆れている。さすがの俺も『諦める』という感情が芽生えてきた。こんなこと初めてだ。

 

「とにかく! 俺は大仁多を倒し、お前を倒し、茜の目を覚まさせる! だから絶対に勝ち上がって来い!」

「あー、はいはい。わかりました、そちらも頑張ってください」

「茜もまたな。食事とかは大丈夫か? 好き嫌いは駄目だぞ。何かあったら絶対に俺を呼べ。すぐに駆けつけるから」

「うん。バイバイ」

 

 ……なんだこの温度差は。

 勇作さんは俺に散々言い捨て、橙乃に優しく語りかけ、去っていった。

 というか、本当に橙乃に会いに来ただけだったのか。シスコンって恐ろしい。

 

「ごめんね、お兄ちゃんのせいで変な心配かけちゃって」

「いや構わないよ。少し疲れたけどね」

 

 謝罪する橙乃には気にしないように答え、背伸びをして疲れを取る。

 さすがに今回のような精神的な疲労はどうしようもない。

 また勇作さんに会うということを考えると、さらに不安が募る。しばらくはあの人のことは思い出さないようにしよう。

 

「そういえば、さっき何か俺に言おうとしていなかったか?」

「え?」

「ほら、勇作さんが現れた時。俺にお願いがあるとか……」

「あ、ああ。……えっと……」

 

 先ほどのことを思い出し、途切れてしまった話を元に戻す。

 勇作さんのせいでおかしくなってしまったが、橙乃もなにやら真剣な表情だったし、このまま終わりにするわけにもいかないだろう。

 しかし橙乃は何かに戸惑っているようで、中々口に出そうとしない。

 

「……ごめんね。やっぱり、大丈夫だよ」

「え? 大丈夫って、良いのか?」

「うん。よく考えたら、お願いするようなことじゃない、って思えたから」

「……そっか。ならいいや」

 

 そう言って橙乃は笑顔を見せた。

 このように言われては俺の方からは何も言えなくなる。依頼者が大丈夫だと言ったのだから、これ以上話を持ち出すのはかえって嫌がられる。

 だからそれ以上は何も聞かず、俺も頷いて返した。

 

「それじゃあ、今日はここで。相談に乗るはずだったのに、私の方こそ心配かけてごめんね」

「そんなことないよ。今日は本当に助かった。……寮の前まで送っていこうか?」

「いいよ。そんなことして、白瀧君が不審者扱いされたら嫌だもん」

「……それだけで不審者扱いになるのか?」

 

 男子寮と女子寮の分岐路に差しかかったところで、橙乃が別れの言葉をかけた。

 バスケのこと、相談に乗ってくれて助かったことは本当だ。夜も遅いし、その礼もかねて送っていこうと思ったのだが……こう言われては。

 よくはわからないが、橙乃に言われては無理には言えない。俺もおとなしく引き下がることにした。

 

「ふふっ。……ありがとう。また明日ね」

「ああ、また明日!」

 

 最後に橙乃の笑顔を一瞥し、橙乃と別れた。

 勇作さんとの話はともかく、橙乃のおかげでバスケスタイルについてはもう不安や悩みはない。あとはとにかく鍛えるだけだ。

 また一つ、意志を再確認しながら俺は帰路についた。

 

 

――――

 

 一方、白瀧と別れた橙乃は少し暗い表情で歩いていた。

 

「はあっ。……お兄ちゃんのせいで、今日は最悪だよ」

 

 息をこぼし、今はこの場にいない兄へと愚痴を言う。

 おかげで余計な疲労が残り、白瀧にこ心配をかけてしまった。……最も、久しぶりに会えて嬉しいという感情がなかったわけではない。

 

「せめて白瀧君にお願いした後だったなら……ううん、違う。やっぱり言わなくて正解だった」

 

 白瀧との会話を思い出して後悔する橙乃だったが、再考すると首を横に振り、自身の選んだ行動が正しかったのだと認識した。

 

「……やっぱり、駄目だよね。

 白瀧君を代わりとして見るだなんて、失礼だもん」

 

 そう言って橙乃は無理に笑顔を作る。

 彼女の脳裏に浮かんだのは幼い日の記憶。

 もはや顔も名前も思い出せない、それでも楽しかったと確信できる、大切な人との記憶だ。

 それを橙乃は誰かに重ね合わせようとしていた。その人物と似ている、白瀧に……

 

「でも、お兄ちゃんとの試合が終わったらその時は……その時、は……」

 

 そこから先は、言葉にすることができなかった。

 

 

――――

 

 

 それから数日後。

 練習の前に再び部員が集められた。招集をかけた本人である藤代監督は全員が集まったことを確認すると、東雲さんと橙乃を呼び、一枚の資料を手に話し始める。

 

「皆さん、今日集まっていただいた理由は他でもないです。――県大会の組み合わせが発表されました」

「今からプリントを配布しますので、一枚取ったら隣の方へと回してください」

 

 藤代監督の指示を受けた東雲さんと橙乃が手にしていたプリントの山を部員へと渡す。

 俺も一枚だけ受け取り、それを横へと流していった。

 ……トーナメント表の一番左上、Aブロックに『大仁多高校』という文字を見つける。つまり第1シードということだ。

 

「大会初日、我々はシード権を持っているため二回戦から開始となり、一回戦の勝者と戦います。

 三回戦は大会二日目、それを終えたら一週間挟んで準決勝、そしてその翌日、最終日の決勝戦です」

 

 つまり、合計4つの試合に勝利すればIHに出場できる。

 当然ながら狙うのは優勝のみ。常勝校と呼ばれるうちがそう簡単に負けるわけにはいかない。

 それを改めて警告するかのように藤代監督は今一度視線を厳しくし、部員へと呼びかけた。

 

「IH予選は順当に勝ち上がることが予想されますが、決して油断のないように。

 ……特に準決勝、そして決勝に勝ちあがってくることが予想される三校には」

 

 その言葉を受けて、俺は視線を大仁多以外にシードを得たトーナメント表の三つの角に陣取る高校を見る。

 準決勝で当たるであろう常盤高校、そして逆ブロックの山吹高校、……そして盟和高校。

 大仁多を含めたこの4校が今年の栃木県のIH代表校の有力候補である。昨年もこの4校が一つの代表校を巡って激戦が繰り広げられたと聞いた。結果は当然、大仁多高校の順当な勝利だったわけだが。

 

「昨年、栃木県ベスト5に選ばれたSG・柊さんを擁する常盤高校。

 栃木の古豪であり、かつてはIH出場も経験したことがある山吹高校。

 そして昨年の準優勝校。小林さんに次いで栃木No.2PGと名高い細川さんと、昨年の栃木ベスト5に選ばれた主将・橙乃勇作さんを擁する盟和高校」

 

 ……大仁多と常盤、さらに盟和と昨年の栃木ベスト5に選出された五人のうち、三人は今年も高校に残り、それぞれの高校の主将(キャプテン)となっている。

 それゆえに戦力は昨年よりも上がっているという可能性がある。特に盟和高校。近年徐々に実力をつけ、今年は過去のメンバーの中でも最強と噂されていると耳にした。

 橙乃のお兄さんがどういうプレイスタイルかはまだ知らないが……どちらにせよ、警戒しておくに越したことはない。マッチアップする可能性もあるからな。……主将ということには正直に驚いた。

 

「……うん? “橙乃”? まさか、いや違うよな。きっと“東野”とかだろ」

「勇。お前が今一瞬考えたことはあってるぞ」

「え?」

「盟和高校の主将は橙乃のお兄さんだとさ」

「マジで!?」

 

 監督が一人だけフルネームで呼んだことで疑問を感じたのだろう。

 勇の問いに答えてやると、『信じられない』と言わんばかりに驚愕した。……まあ、普通の反応だな。

 

「……ああ、一応言っておきますと盟和の主将は橙乃さんの御兄妹です」

『なにっ!?』

 

 俺達の会話が聞こえたのだろうか、藤代監督が橙乃勇作について捕捉した。

 当然のことだが部員全員が驚いている。……俺もこの前会っていなかったら、きっと同じ反応していたのだろうな。

 

「あれ、でも何で要は知ってたんだ? 中学の時に会ってた?」

「それがな、この前たまたま本人と会って少し話をした」

「へえ。どんな人だった?」

「……変人?」

「何で疑問系!?」

 

 何で、と問われても俺自身あの人のことを把握しきれていないためになんとも言えない。

 それにあまり勇作さんのことを思い出したくないので、さらに問いかける勇を無視し、藤代監督へと視線を戻した。

 一軍も二軍もない、とにかく実力のある者を使うと語る監督の姿にも油断や慢心は見られない。これは俺達もより一掃努力に励まなくては。

 

「――とにかく、我々に負けは許されません。何としても全てを勝ち抜く。

 ……今日より再び練習を一段と厳しさを増していきます。普段の三倍は走るようになると覚悟してください」

『げえっ!?』

 

 ……お、俺達も、より一掃努力に……励まないと。うん。

 藤代監督の激に皆が驚いている中、俺はきちんと意識を高く持つことを心に決めた。

 

 

――――

 

 

 ――それから月日が流れた。

 県予選から数週間がたち、俺達は市が運営している体育館へと来ている。

 更衣室で最後の調整中。皆がそれぞれ体をほぐしたり、栄養を取ったり、集中力を高めたりと体を整えている。

 俺も体を温めた後、ユニフォームと同じ臙脂色のレッグスリーブをつけ、バスケットボールを左右の手で行き来させる。

 

「――ふうっ」

 

 やはり、バスケットボールを持っていると幾分か楽になる。

 この感触が、この感覚がこれからの戦いを連想させて。……試合への意識をより高める。

 

「……さて、そろそろ時間ですか」

「はい。藤代監督」

「わかりました。では小林さん、お願いします」

「はい」

 

 東雲さんに確認すると、藤代監督は主将・小林さんに語りかける。

 小林さんもその意図を理解し、大きく頷くと即座に立ち上がり、部員全員へと向き合った。

 

「――っよし、行くぞ!!」

『おうっ!!』

 

 小林さんの掛け声に答えるように、俺達も声を張り上げる。

 そして主将の小林さん、副主将の山本さんに続くように一軍メンバーが廊下を進んでいく。

 

 扉を開けると俺達の前の試合である女子の試合、そして応援席にいるチームメイトの姿が見えた。

 そこには大仁多高校バスケ部のスローガンである、『百折不撓』と大きく縁取られた横断幕が会場に掲げられている。

 ――負けられない。チームメイトの姿と声援が、後押しとなって力が湧く。

 

「おお、ついに出てきたぞ!」

「燃えるような臙脂を身に纏う、栃木の常勝校――大仁多高校!!」

 

 俺達の姿が目に映ったのか、観客の歓声も上がった。

 未だ遅しと登場を待ち望んでいたのだろうか、その数は少ないながらも声は大きい。

 ……まったく、まだ試合も始まっていないというのに。

 しばらくの間、目の前の試合が終わるまで俺達は集中力を切らす事無く時間を待つ。

 そして試合終了後――俺達の初戦を迎えた。

 シュートタッチも問題ない。調整は完全と言えるだろう。

 

「――さて、今日は最初から全力で行ってもらいますよ」

 

 藤代監督から選手へと声がかかる。

 矢坂黎明戦とは違い、今日の試合は最初からベストメンバーだ。

 ここまで誰もがそのスターターの座を譲ることのなかった――この大仁多最強のメンバーで。

 

「頑張れよ、要!」

「俺達は精一杯声を出してきます」

「……おう、行ってくる」

 

 勇と西村からの応援も受けて、俺はコートへと躍り出た。

 ……小林さん、山本さん、黒木さん。三人に続くように俺と明もセンターラインへと走り、整列する。

 

「それではこれより、大仁多高校対沼南高校の試合を始めます!」

『よろしくお願いします!』

 

 コート中央に集まる十人の選手が始まりを宣言する。

 ここで、ようやく俺達の県大会が始まるんだ。

 

「おい、明。今日はちゃんと調子大丈夫なんだろうな?」

「――問題ないよ。いつでもボールを回してくれ」

「よし。それなら頼りにさせてもらうか」

 

 念のためにと、硬くなっていないかと明に声をかけたが……問題はなさそうだ。

 下手に気負っている様子はない。矢坂黎明戦で不安を一蹴できたようだ。これならいける。

 

「お前達、最初からガンガン攻めていくぞ」

「いつでもボールが回ってきても大丈夫なよう、準備をしておけな」

「――ジャンプボールは、必ず制す」

『はい!』

 

 先輩達三人の頼もしい言葉に俺達も力強く答える。

 ジャンパーは黒木さん。相手のジャンパーにも負けていないほどの長身だし、まず心配することはない。

 

「――試合開始(ティップオフ)!!」

「おう!!」

「ぬあっ!」

 

 ――そしてボールが宙へ浮かび、試合が始まった。

 黒木さんがボールをタップした。ボールはそのまま狙い通り小林さんの手に収まる。

 

「よしっ!」

「行くぞ、一気に攻めかかる!」

 

 それを見て全員が走り出した。

 沼南高校のメンバーがボールを奪うために詰め寄るが、その動きは散漫すぎる。

 小林さんは一人をかわし、すぐさま山本さんへとパス。さらに山本さんはボールを受け取るや否や俺へとパスをさばいた。

 俺もマークマンを左右に振り、爆発的な瞬発力を生かして相手を抜き去る。相手は速さに対応できず、立ち尽くすしかない。

 

「――ぐっ!!」

「先制点、もらった!」

 

 そのまま俺は誰もいないゴールにレイアップを決める。

 開始早々、十秒も経過しない間に大仁多高校の得点ボードに得点が刻まれた。

 

「……まずは二点。県大会初戦とはいえ、俺も暴れさせてもらいますよ!」

 

 まだ県大会なんだ。こんなところで立ち止まっていてはキセキの世代に笑われる。

 ……だからこそ俺も力で示すとしよう。この戦い、一気に終わらせてやる! 


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