黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第二十九話 一進一退

 第三Q開始直後、高尾は前列の二人を揺さぶると、ゾーン内へ侵入することなく緑間へ鋭いパスを出した。

 誠凛高校は後半戦開始早々ボックスワンを展開している。前列には伊月と日向が、後列には土田と水戸部が待ち構えており、そして外の緑間に対して火神が一人マークについている。

 前半戦では緑間の本領が殆ど発揮されなかった現状から、より大坪や木村といった秀徳のゴール下を意識したように見えるこの布陣である。

 ならば、とくと見せ付けるだけだ。

 

秀徳(うち)の真ちゃんを舐めんなよ? ああ見えて燃えてるんだぜ?」

 

 ――王者・秀徳のエースの力を。監督の指示もあった以上、このまま緑間が黙っているわけがなかった。高尾のエースを信じる気持ちに迷いはない。

 

「……火神。ここから先、今まで以上に本気で守ることを勧めるのだよ」

「ああっ!?」

 

 一つ、忠告するように呟くと同時に――緑間がドリブルで仕掛けた。

 

「なっ――くそっ!?」

 

 決して油断したわけではなかった。集中力が途切れたわけでもなかった。

 しかしそれでも、火神が気がついたときには彼の横を突破されていた。

 

「緑間か!?」

 

 己が担当するゾーンへの侵入を図ろうとする緑間に、逸早く日向が反応する。

 緑間はそれを目で確認しながらも、まるで障害になるものなどないかのように、急停止からノーフェイクでシュートを撃った。

 日向のブロックは高さが届かず、火神もまた追いつくことができなかった。

 

(だめだ、俺じゃコイツのシュートは止められない!)

(しかも今回はスリーポイントラインギリギリだから、タメも短い。追いつけねえ!)

 

 高い打点からタメが短いシュートは一度抜かれたらとめようがない。

 シュートは当然のようにネットをくぐった。

 (誠凛)30対37(秀徳)。

 

「向こうはいきなり緑間君できたわね」

「なんてキレのあるドリブルだ。あれは黄瀬にも劣らない動きだぞ」

 

 見事な動きを見せ付ける緑間に、誠凛のベンチは感心するばかりだ。

 かつて練習試合で対戦した“キセキの世代”の一角・黄瀬のドリブルを彷彿させるかのような、それほど鋭いドリブルだった。

 シューターでありながら、後半にきてこれほど鋭いドリブルを見せるところは、やはり伊達の相手ではないのだと再認識させる。

 

「ふん。止められるものなら止めてみろ」

 

 火神を一瞥して緑間はディフェンスへ戻る。

 

「……くそっ。すんません、簡単に抜かれちまって」

「気にすんな。最初から止めようなんてそれこそ無理な話だ」

 

 日向が頭を下げる火神の肩を叩く。「次は止めるぞ」と言って走り出した。

 

(……といっても、オフェンスも厳しいんだけどな)

「ボール回していくぞ!」

 

 前半以上にマークが厳しくなっている現状を見て伊月は慎重にパスを回す。

 火神に対する緑間のマークも厳しく、黒子も下がっている今、秀徳を相手に下手に動くことはできないのだ。

 

「……戦力差がある以上は仕方がないことだ。しかし、それではうちには勝てんよ」

 

 誠凛のパス回しを見て敵の心境を悟った中谷が呟いた。

 そして彼の呟きが真実であると証明するように、バシッとボールを叩く音が響く。

 

「ぐっ!?」

「きたー! 大坪のブロックショット炸裂!」

 

 ボールを回し、連携を活かして誠凛はインサイドから攻めた。

 だが土田のシュートは秀徳のセンター・大坪によってブロックされる。

 

「その程度の攻撃、俺達には通用せんぞ!」

 

 前半戦でかなり消耗したはずだが、その高さは未だに衰えない。気迫のこもったプレイを見せつける。

 

(全然疲れが見えない! さすがは歴戦の王者を率いる主将!)

「まずい、戻って!」

「ハッ……!」

 

 土田が相手の凄みに押されて一瞬呆然とする中、リコの声が耳に入った。

 大坪によって弾かれたボールは木村が押さえており、秀徳のカウンターへと繋がってしまったのである。

 

「速攻!」

 

 宮地を先頭として、高尾と緑間もコートを駆ける。

 

「よっし、攻めろ!」

「速攻ー―!!」

 

 宮地と高尾が見事な連携でパス交換をしながら走った。

 誠凛は途中でボールを奪うこともできず、三人はそのままゴールへと向かう。

 

「くそっ!」

「戻れ、戻れ!」

 

 誠凛も必死に声を張り上げて全力で走る。だがここで選手一人一人の能力差が出てしまった。かろうじて守備に戻れたのは伊月と火神のみ。

 

(誰が攻めて来る……?)

 

 三対二と数で負けている上に、個々の能力でも劣っている以上、相手の動きを先読みするしかない。

 伊月は広い視野を活かして冷静に三人の動きを観察した。

 

「っし!」

 

 高尾から宮地へ。

 そしてフリースローラインで宮地が高尾にボールを戻す。

 

「フィニッシュは高尾だ!」

 

 動きを読みすかさず伊月と火神が詰め寄る。

 伊月は宮地へのリターンも警戒し、パスもケアできるように位置を取った。

 

「甘い甘い!」

 

 二人のチェックに対し、高尾は裏をかきビハインドパス。

 そこには誰もいないはずだというのに。――否、そこに走りこんでいる人物が一人だけいた。

 

「ナイスパスなのだよ」

「――違う、緑間だ! スリー!」

 

 パスを受け取ったのは緑間だった。

 落ち着いてボールを手にして腕を上げた。

 

「させるかよ!」

 

 これ以上の失点は許さない、と火神が跳ぶ。

 緑間を意識していたのか反応が早かった。タイミングもあっていた。

 

「……馬鹿め! 俺がスリーだけではないと、理解したはずだろう!」

「ッ――しまった!?」

 

 しかし、緑間はシュートを撃たない。

 ただのシュートフェイクに火神はつられてしまった。

 先ほど同様に緑間は火神の横を駆け抜ける。こうなっては誠凛に止める術はない。

 緑間は確実にミドルシュートを綺麗に沈めた。

 (誠凛)30対39(秀徳)

 

「まずいな。前半は大人しかった緑間が、ここにきて本領発揮かよ!」

 

 脅威であるスリーにドライブやフェイントを効果的に混ぜ込み、火神を翻弄する緑間。

 黒子の不在により秀徳の不意をつくこともできず、正攻法で挑むしかない誠凛は一気に追い詰められてしまった。

 

「伊月先輩、次の攻撃で俺に回してくれ! じゃなかった、ください!」

 

 焦る伊月に火神が声をかける。

 ここを凌がなければ試合は立て直すことができなくなってしまうだろう。

 エースとしての意地か、火神は「ここで自分が決めなければ」と気合を入れていた。

 

「ああ、頼むぞ!」

 

 誠凛の反撃、ボールが火神へと通った。

 火神対緑間。再びエース同士の対決である。

 

「……」

「……」

「……ッ!」

 

 火神がドリブルを始めて数秒後、突如動き出した。

 カットインに緑間も抜かれず火神の横にぴったりついていく。

 

「駄目だ、抜けない!」

 

 身体能力はほとんど互角。単なるスピードだけでは緑間を振り切ることはできない。

 だがそこで火神は焦らなかった。ボールを体の後ろで切り返し、緑間をいなす。

 

「なっー―!」

「突破した!」

「行け、火神!」

 

 事前の体の振り、そして小刻みなフェイントに緑間の体勢が一瞬崩れてしまった。

 その間に火神はゴール下へと侵入する。

 

「させっか!」

 

 秀徳のヘルプも早い。

 すかさずゴール下には木村が立ちはだかった。

 

「そんなの知るか、決めるんだよ!」

 

 相手を見ても火神は怯まない。そのまま突っ込む。

 先に火神が、遅れて木村も跳んだ。

 フェイクもなく一人で攻めるとは、秀徳レギュラーを舐めているのかとさえ宮地は思ってしまう。

 

「無謀なことを……木村!」

「叩き落としてやる!」

 

 木村が手を懸命に伸ばし、シュートコースを塞ぐ。

 ……しかし、

 

(……あれ?)

 

 火神が未だに最高点に達していない状況下で、木村の体は重力に従って落下していく。

 

(なんで、なんで俺の方が先に落ちてんだよ……!?)

「らあああああ!!」

 

 ここまでの鬱憤を晴らすかのように、火神は木村の上からダンクを叩き込んだ。

 (誠凛)32対39(秀徳)

 

「なっ……!?」

「何だ、今のあいつのジャンプは!?」

 

 たしかに火神は高さはあったものの、これほど高く跳んでいたことはなかったはず。

 異常なほどの滞空時間と最高到達点を見せた今のプレイは、秀徳の選手達を揺らがせるには十分であった。

 その一方で誠凛の選手達は幾分か気が楽になる。

 

「いいぞ火神!」

「よく決めた!」

 

 日向や伊月は火神の頭を叩き、彼のプレイを讃えた。

 

「先ほどのやつのドリブル、バックチェンジか。味な真似を……」

 

 ――バックチェンジ。体の後方からボールを通し、ボールを素早く左右に切り替えるドリブルである。

 火神もストリートバスケで鍛えただけあってボールハンドリングが上手い。

 その技術を認めつつも、自分を抜き去った火神をにらみつけ、緑間は口をとがらせた。

 

(あの跳躍力。俺が警戒していたのはやはりあれか)

 

 一連のプレイ全てが緑間にとって忌々しいものだった。

 前半戦で緑間が無意識にシュートを止められると警戒していたのは、おそらくあの跳躍力のせいだろう。ここに来てさらなる段階へ踏み込んだと見える。

 最も、それを知ったところで退くような人間ではないのだが。一つ息を零すともう一度闘志を滾らせた。

 

「気にするな! 一本、行くぞ!」

 

 大坪がボールを拾い、宮地が受け取る。

 

『……オウ!』

 

 キャプテンの一言により、メンバーも落ち着いた表情で呼応した。

 派手なプレイを見た後だが秀徳の選手達はいつも通りゲームを組み立てていく。

 

「火神大我、か。たしかにすばらしい素質を持っている。だがそれでも秀徳は負けないよ」

 

 秀徳のベンチの中谷は敵を評価しながらも、それでも自軍の優勢を信じている。

 再び秀徳の攻撃。

 ハイポストの宮地からローポストの木村にボールが通った。

 

「遠慮はいらんぞ! どんどん攻めていけ、木村!」

 

 中谷が声を張る。

 大きく頷くと、木村はドリブルをしながら背中側に立つ土田に背中をぶつけた。

 

「……うぐっ!?」

 

 その勢いは強く、土田が体勢を崩してしまう。

 誠凛のベンチメンバーと秀徳のレギュラー、その差は歴然であった。

 生まれた隙を見逃さず木村はターンシュート。ボールはバックボードで衝突し、リングを通過する。

 (誠凛)32対41(秀徳)

 

「よーっし! すかさず返した!」

「ナイッシュ、木村!」

 

 ゾーンディフェンスに対し敢えてインサイドから攻め立てる秀徳。容赦なく攻撃を決めてきた。

 

「さあ、ディフェンス!」

 

 速攻に備えてディフェンスに戻る秀徳。

 お互い声を掛け合い、隙はみせまいと気迫がこもっている。

 

(……くそっ。黒子もいないせいでパス回しも極端に難しくなったか……!)

 

 PGの伊月がボールを運ぶが、表情は暗い。

 前半と比べて誠凛のパスは極端にペースが落ちている。

 速攻を決めることも困難であり、後半から個々のマークも厳しくパスコースがほとんどないのだ。

 伊月自身も高尾のマークを振り切れない。なんとか隙を見出せないかと思考をめぐらせ、一瞬伊月のドリブルが止まる。

 

「遅えよ!」

 

 その一瞬をついて、高尾がボールをすばやく奪い取った。

 

「あっ……しまった!?」

「高尾のスティールだ!」

 

 失敗を嘆いてももはや手遅れ。

 高尾は間をおかずしてパスをさばいた。

 

「――まずい!」

 

 ボールは緑間へと渡る。火神を振り切り、フリーの状態だ。

 

「よし、もらった!」

「行け緑間――ッ!」

 

 緑間はそのままシュート体勢に入る。

 百発百中、その言葉を体現するように、緑間はボールを放ち――

 

「……させっかああああああ!!」

「なっ……!?」

 

 ――そのボールは空中で火神に叩き落とされた。

 

「……馬鹿な!?」

「緑間のシュートを、叩き落としただと!?」

 

 敵も味方もこれには肝を冷やした。

 一度シュートモーションに入ったならばとめられない、そう思っていた緑間のシュートを。火神はブロックしてみせたのだから。

 ボールは転々とし、サイドラインから外に出てしまう。

 

「……アウトオブバウンズ! 秀徳()ボール!」

 

 審判の声でようやく我に返る選手達。

 スローワーは木村だ。宮地がボールを受け取り、ドリブルで攻めていく。

 皆表情には出さないものの、その心境は穏やかでなかった。

 

(さっきのオフェンスといい、緑間のブロックといい。なんだ、コイツは!?)

(真ちゃんのシュートは大坪さんだって止められるものではねえってのに……)

(全国でもあれほどの高さは類を見ない。常軌を逸した跳躍力だ!)

 

 シュートを止められたのが緑間だからこそその衝撃は大きい。

 不平不満こそあるものの、秀徳の選手達は緑間の実力は認めていた。

 その緑間を単独で、かつ力ずくで止めて見せたという点に驚かないわけがない。

 

「……高尾。ボールをよこせ」

「え!? いや、でも火神のブロックは……」

「よこせと言ったのだよ!」

「ッ……!? あ、ああ。わかったからそう急かすな」

 

 緑間は声を荒げ、高尾に命じる。

 シュートを決められた怒りからか、不甲斐なさを感じているのか。何にせよ今まで見たことのないような表情であった。

 その気迫に押されて高尾は渋々と頷いた。

 秀徳の攻撃。宮地と高尾がパス回しでゾーンの前衛を揺さぶると、タイミングを計って高尾が左45度の位置に立つ緑間へとパスをさばく。

 

「俺は、勝つ!」

 

 絶妙のシュートフェイクが一つ入り、腕を下げる。

 火神はフェイクを見抜いて跳ばなかったものの体の反応がわずかに遅れてしまう。

 次の瞬間、緑間は一気にバックステップ。緑間と火神の間にマークが生まれた。

 

(しまった……!)

 

 一番してはならない、シューターとの距離を開けてしまうという失態。

 これならば止められないだろう。緑間は得意げな顔でシュートを放った。

 

(いや、まだだ! まだ間に合う。跳べ、止めろ!! 倒せ!!)

 

 それでも火神は諦めなかった。

 シュートそのものは止められなくても軌道を逸らすことさえできれば構わないと力を振り絞った。

 すると緑間がシュートを確信したと同時に、火神の指先がわずかにボールに触れる。

 その影響により、ボールはリングに当たって大きく跳ねた。

 

「ぐっ……!」

「まただ。緑間を連続ブロック!」

 

 驚くことに緑間のスリーを二連続で防いでしまった。

 さらにシュートが外れただけではない。

 ボールが大きく跳ねたことにより、リング側に陣取っていた大坪・木村達はリバウンドを取ることができなかったのだ。

 水戸部と土田は二人を逆にリング側へと押し込むと、水戸部がボールを確保する。

 

「ナイスだ火神、水戸部!」

「よこせ、速攻!!」

 

 諦めかけていたリバウンドを確保した。この機を逃すことはない。

 日向が声を張り上げると、水戸部は頷き、伊月へとパスをさばく。

 

「もどれ、もどれ!」

 

 誠凛のカウンター。

 伊月と火神に対し、秀徳は高尾・宮路・緑間が戻った。

 

「悪いけど、ここは決めさせてもらうよ!」

 

 伊月のぺネトレイトで高尾をおびき出す。

 これによって中央が開き、火神が突入する。

 アイコンタクトを受け取った伊月はすかさず火神へとパス。

 緑間と宮路が待ち構える中、火神はいきなりジャンプし腕をふりかざした。

 

「正気か、火神!」

「舐めんじゃねえぞ一年坊!」

 

 正面突破を図る火神に対し、緑間・宮路の二枚ブロック。

 

「火神!」

「ッ……!」

 

 そんな中、彼らの真横から声がかかった。

 火神は迷うことなくリングとは違う、声が届いた方向にパスアウト。

 

「こっちは一人で戦ってるわけじゃねえからな」

 

 火神が向ける視線の先にいた、先ほどの声の主は――日向。

 誠凛のもう一人の得点源、日向だった。

 

「しまった!」

 

 フリーにしてはいけないとわかっていたのに、意識が火神に集中していた。

 日向がスリーポイントシュートを撃つ。高尾が跳ぶが間に合わない。ボールはリングをくぐった。

 (誠凛)35対41(秀徳)。その差は六点。

 

「ナイス、です!」

「ああ。お前にしてはナイスパスだぜ。さあ、まだまだ二本差だ! いけるぞ!!」

「おう! ディフェンス一本とめるぞ!」

 

 火神と拳を交わす日向。

 落とすわけにはいかない勝負どころで日向もスイッチが入ったのか、普段以上に逞しく見える。

 キャプテンの叫びに答えるよう誠凛の選手達も呼応して身を引き締める。流れは、そう簡単には渡さない。

 

 

――――

 

 

 いつしか、声援はこれ以上ないほど大きくなっていた。

 始まったばかりのころは秀徳の応援の方が多かったというのに、今では誠凛を応援する声も秀徳と匹敵するほどになっている。

 王者・秀徳を相手に一歩も退かないその姿に、観客が誠凛に勝って欲しいと望むようになった。誠凛が観客を味方につけたということだ。

 

「……こんなに攻守の入れ替えが激しい試合も、珍しい」

 

 誰かに話しかけようとしたわけではない。気がついたら小林はそう呟いていた。それほどまでに試合に夢中になっていた。

 元々バスケは攻守の入れ替わりが激しいスポーツである。しかしそうだとしても、誠凛対秀徳の攻防は激しかった。

 

「文字通り一進一退。火神さんが緑間さんのブロックを決めてからは、本当に両者互角の戦い……」

「秀徳は緑間のスリーと大坪さん達が個人技でゴール下を攻め、誠凛は火神を主体にミドルから仕掛ける。だが火神ばかりに気を取られてはいられない。外の日向もここ一番で決めてくる」

「かといって攻撃ばかりではないよ。ディフェンスも厳しい。高尾のスティール、火神のブロック。一体何回攻撃のチャンスがつぶれたことやら」

 

 黒子がベンチに下がったことにより一時はどうなるかと思われたが、その不安は火神の活躍によって消えた。

 全国レベルである大坪や小林が驚くほどの跳躍力を活かした火神のプレイは秀徳のブロックをものともしない。

 また秀徳も誠凛の黒子という異例な存在が消えたことにより、チーム全体が動きやすくなり、スティールが増えた。

 

「火神、誠凛のエースとして台頭したか。……すごいな、すごいけど」

 

 白瀧は緑間と相対する火神の姿を目に焼き付けた。

 自分ではできないプレイで緑間と互角以上に戦う火神を見て、何を思ったのだろうか。

 少なくとも驚愕はある。いずれ火神が立ちはだかる相手だと想像していてもここまで早く成長するとは思ってもいなかった。

 しかしそれ以上に思うところがありすぎて、白瀧の表情に笑みはない。新たな好敵手の誕生を祝う、目の前の接戦を楽しむ余裕はなかった。

 

「やっぱり、嫌だな」

 

 なぜかはわからない。しかし胸が締め付けられているように苦しかった。

 普通の人間ならば目の前の緊迫した試合を見て、盛り上がることはあってもこのように苦しむことなど何もないはずなのに。

 ――いや、一つだけ白瀧にはあった。白瀧は抱えている一つの約束が、目の前の現実を受け入れない。

 

「やっぱり俺は“キセキの世代(あいつら)”に、負けて欲しくない。俺以外の選手に、緑間が負けて欲しくないんだよ……」

 

 これ以上緑間が苦戦している姿を見たくないのだと。

 “キセキの世代”の打倒を謳う白瀧にとって、目の前で繰り広げられている試合を直視することは辛いことだった。

 中立の立場でこの試合を見届けようと決めていたのに。……ここに至って、白瀧はこの場から逃げ出したくなった。

 

(黒子のことは応援している。火神も凄いとは思う。でも、緑間にはここで消えて欲しくない……)

 

 どちらを応援してよいのかもわからず、白瀧はただ火神と緑間、二人の姿を視線で追う。

 第三Q終了の知らせが響く中、「どうせなら両校とも勝ちあがってくれればいいのにな」と白瀧は思った。

 

 

――――

 

 

 第三Qが終了。

 (誠凛)51対62(秀徳)。秀徳が十一点のリードを保っている。

 だがリードが広がったこの状況下でも、追い詰められているのは秀徳であろう。

 第三Q、誠凛は黒子を下げた状況であったというのに最後まで流れを完全なものにすることはできなかった。

 誠凛の必死な粘りは点数として現れるだけではなく精神的にダメージを与える。

 特に緑間の表情が苦々しいものだ。火神のブロックがこの第三Q内だけでも何度も炸裂した。

 当然のことながら対策をしなかったわけではない。

 ドリブル突破や高尾のスクリーンを使い、火神をかわした。しかしそれでも火神は食らいつく。

 

「……第四Q。ここから先も作戦は変わらない。緑間を中心に組み立てる」

「待ってください!」

「なんだ、大坪」

 

 秀徳ベンチでは中谷が選手達を見下ろしながら方針を語る。

 しかしその言葉に大坪は賛同できず、乱れた息を整えながら口をはさんだ。

 前半から厳しいマークを受け、大坪も疲労が溜まってきている。

 特に第三Qは火神という圧倒的にゴール下に強い選手が現れ、リバウンドも苦戦を強いられるようになった。

 何度も何度も跳躍し、体力も精神力も削り取られる。これ以上はチームの勝利のため、不利な展開にしたくはなかった。

 

10番(火神)のブロックに加え、第四Qからは11番(黒子)も出てくるでしょう。そうなれば、緑間のスリーは機能しなくなります」

 

 ゆえに中谷から発言の許可をもらった大坪は進言した。

 このまま緑間主体の攻撃は効果がないと。

 緑間から視線を感じたが、大坪も鋭い視線を返して黙らせた。

 

「……その心配はない」

 

 しかし中谷はそれを否定する。

 

「何故ですか!?」

「あのジャンプはそうそうできやしないさ。10番(火神)は第一Qから緑間に徹底的にマークしていた。

 そこにあの跳躍、しかもそれだけではなく大坪や木村とゴール下での攻防も繰り広げている。おそらく最後まで跳べないだろう」

「しかし……」

「それなら、11番(黒子)はどうするんですか?」

 

 納得しつつもなおも引き下がらない大坪に代わり、木村が質問する。

 

11番(黒子)には高尾をつける。……もうしっかり見えているんじゃないかい?」

「はいっス。むしろ見えすぎなぐらい?」

 

 視線を投げかけられた高尾は笑みで答える。

 前半こそ黒子にしてやられた高尾だが、途中からは黒子の動きのペースを掴んでいた。

 第三Qで回復していたようだが、今の高尾には黒子の姿はよく映っている。問題はなかった。

 

「それでいい。緑間を使い、10番(火神)を早々に脱落させる。そうして10番(火神)の爆発力がなくなれば、11番(黒子)を封じられた誠凛はもう逆転は不可能になる」

 

 その言葉を最後に、中谷は話を打ち切った。

 

 

――――

 

 

「第四Qからはもう一度黒子君にでてもらうわ。土田君と交代。ゴール下の仕事お疲れ様」

 

 場所は少し変わって誠凛ベンチ。リコが選手達を集めていた。

 やはり大方の予定通り交代の指示を。第三Qはずっと休憩に務めていた黒子と土田の交代を指示する。

 

「いやー、本当にすまないな。ほとんど俺の失点だ」

「いいえ。むしろあのゴール下で耐えてくれたわ。次の出番まで休んでて」

 

 頭を下げる土田に気にしないように告げて、リコは視線を戻す。

 やはり選手達の疲労は激しい。ゾーンディフェンスでここまで防いでいるものの、秀徳の激しい揺さぶりで誠凛の選手達は走り続けることを余儀なくされたのだから当然だ。

 

「秀徳をかき回す為にも黒子君の活躍は不可欠なんだけど、大丈夫そう?」

「はい。十分休めましたので」

 

 頼もしい返事にリコも気分を良くする。

 まだ誠凛は一度も秀徳から逆転していない。そして唯一逆転する機会がこの第四Qなのだ。黒子には嫌でも活躍してもらわなければ困る。

 

「それじゃあお願いね。……火神君、足はどう? どれくらいいける?」

 

 黒子との確認を済ませ、リコは次に火神に問いかけた。

 

「そんなの最後までいけるぜ! ……いけるですよ!」

「ごめん、頼もしいけど今はそういう強がりいらないから」

 

 苦笑しつつ、リコは火神の足を見る。

 日向達以上に疲労が蓄積されていた。ロードワークの量を増やしていなければ、すでに限界を迎えていたかもしれないほどに。

 

「……多分、このままだと最後までもたない」

 

 それを理解してリコは厳しい現実を火神に伝えた。

 火神は攻守にわたって活躍してきた。その代償が今こうして響いている。

 

「火神君はここから先、ディフェンスに集中して。攻撃に参加するのはできるだけ控えて。

 速攻とか、秀徳の不意をつけるというのなら話は別だけど」

「でもそれじゃあ!」

「『でも』ではありません」

「うぐっ……!?」

 

 納得できない火神であったが、突如黒子に頬を押されて口を閉ざしてしまう。

 

「何しやがんだテメエ!?」

「火神君が最後まで持たなければそれこそ逆転できないんですよ? 少しはカントクの言うこと聞いてください」

「いっつも聞いてんだろ! てか、俺は最後までいけるって言ってるんだよ!」

 

 黒子の頭を握り締め、火神は怒りを黒子へぶつける。

 言っていることは黒子のほうが正しく、しかも日ごろの態度から『どの口がそれを言うんだ』と火神には周囲から白い目が向けられた。

 

「大丈夫です。オフェンスにしても、僕がパスを繋いでいけば火神君の負担も減ってよいでしょう?

 ……大丈夫だと言いましたが、それに加えてもう一つ火神君用に取っておいたパスがあるんです」

 

 猛犬のようにうなり声を上げている火神を抑えるべく、黒子は火神にあることを告げた。

 

 

――――

 

 

「皆、ここが正念場よ。ラストチャンス、しっかり!」

「ああ、わかってる。……ようし、お前ら! 泣いても笑って最後の十分だ! なんとしても逆転するぞ!」

『おう!』

 

 全員疲労はピークに達している。

 そんな中でも誠凛は全員が声を張り上げ、試合に臨むのだった。

 

『第四Q、はじめます!』

 

 初のIH出場を狙う誠凛。立ちはだかるは十年連続でIHに出場している王者・秀徳。

 試合を決する第四Q、最後の十分が開始する。

 攻撃は誠凛から始まった。スローワーの日向が伊月へとパス。

 慎重にボールを運ぶ中、視線は黒子へと向いた。その黒子には再び高尾がマークについている。

 

「よう。また出てきたのか、黒子。だけどもうお前の好きにはさせないぜ……」

「……」

「何々、もう話すことはないってか? つれねえなあ、本当」

「……」

 

 高尾の言葉に黒子はまったく反応を示さない。

 余裕がないのかはわからないが、高尾は気分を害することなく黒子を凝視した。

 

(見えてるぜ? お前の動きはきっちりと……!」

 

 前半中に黒子の観察を済ませておいたことで鷹の目(ホーク・アイ)は完全に黒子の姿を視野に入れていた。

 位置だけではなく速さ、そして黒子の動きまで把握している今なら、少しタイミングをずらすだけで高尾は反応できる。元より黒子の身体能力は高くない。だから後はこのまま黒子の動きを見切り続けるだけ。

 

(……あれ?)

 

 しかし、突如鷹の目(ホーク・アイ)に違和感を覚える。

 

(なんだ、距離感がおかしい?)

 

 確実に捉えているはずなのに、いつのまにか黒子との間隔を計れなくなってくる。

 おかしい。たしかに自分は今、見えているはずなのに。前半しっかり見ていたはずなのに。

 

「ありえねえ! ……どこだ!? どこに行きやがった!?」

 

 ――気がついた時には、高尾の視野から黒子の姿は消えていた。

 

 

――――

 

 

 第四Q最初の攻撃、誠凛高校は再びコートに立った黒子を利用した。

 ディフェンスの裏から通すパスは敵に奪われることなく、大坪の裏をかいた水戸部へ。

 水戸部は落ち着いて二点を沈め、第四Q最初の得点を決めた。(誠凛)53対62(秀徳)。点差を一桁に縮める。

 

「……そういうことか」

「何かわかったのか?」

 

 白瀧の呟きに反応した小林が何事かと問いかける。

 それに対し白瀧は「前半の黒子のプレイですよ」と説明した。

 

「前半、黒子は自分の印象を強めていた。なぜわざわざ自分に意識を向けさせるのかと思いましたが、あれは普段していることの真逆。わざと自分に視線を集めさせたんです」

「わざと自分に? でもそれじゃあ、要が危惧したように高尾の視線を逸らせないんじゃないの?」

「いや、普通の選手ならばそうだが高尾は別だ。高尾の空間認識能力は全体を見回す。だから、黒子はまずその視野を狭めるために自分だけに視線を集めさせた」

「……あっ! そういうことですか!」

 

 そこまで聞いて西村は回答に至ったようだ。

 小林も理解したようだが、光月と神崎は未だに頭を悩ませている。

 

「つまり、高尾の視野を限定させたんだよ。高尾が黒子を防げたのは極端に視野が広いから。黒子一人を見ているわけではないからだ。

 それならば黒子一人に集中させて視野を限定させたあと、今度はもう一度自分から視野を逸らすミスディレクションを入れれば……」

『……高尾のマークをかわせる!』

「ああ」

 

 ようやく二人も理解した。白瀧も大きく頷き、当の本人である黒子を見た。

 今までこのような複雑なプレイは考えてもいなかったというのに。白瀧は複雑な表情を浮かべた。

 

 

――――

 

 

「絶対に止めるぞ! 全員、足を止めるな!」

 

 日向の渇が飛び交う。

 気迫で負けるわけにはいかないのだと、すでに限界を迎えている体に鞭打った。

 

「ちっ!」

 

 ボールを持つ宮地は攻めあぐねていた。

 第四Q、黒子が戻ってきてから誠凛のディフェンスが変わっていたのである。

 緑間のマークに火神という点は変わっていない。しかし大坪を水戸部・日向がダブルチームで封じ、視野の広い伊月と神出鬼没な黒子がミドルをケアしている。

 チェックが早く、また秀徳の二大スコアラーである緑間と大坪への徹底したマーク。中々シュートまで持ち込めない。

 時間が過ぎる中、一度立て直そうとフリーの高尾へとパスを出す。

 ――そのパスを黒子が叩き落とした。

 

「うげっ!?」

「いつのまに――!」

(というか、むしろ今までどこにいたんだよお前!?)

 

 高尾でさえ黒子の位置を把握し切れなかった。黒子のスティールにより、ボールは伊月の手に収まる。

 

「速攻!」

 

 伊月は逸早く反応した黒子へとパスをさばく。

 お世辞にも上手いとは言い難いが、それでも中々のスピードで黒子はボールを運ぶ。

 すると火神と緑間、二人の選手も追いついていることが確認できた。並ぶように走っているが、おそらく黒子よりも先にゴールにたどり着く。

 

「……では、頼みますよ火神君!」

 

 ならばと黒子は火神に命運を託した。

 ゴール目掛けてボールを山形に放つ。ボールの回転は出鱈目であり、とても入るとは思えない。

 ……しかし黒子の本分はシュートではなくパスである。彼が放ったボールは、空中で火神がキャッチした。

 ボールを持っていない分、若干とはいえ足の負担は小さい。火神は空中で体勢を立て直し、シュートの体勢を取った。

 

「決めさせてもらうぜ、緑間!」

「させるか!」

 

 緑間も黒子達の意図を理解して跳んだ。

 リングにも達するほどの跳躍。緑間もそれだけ本気と言うことだ。

 お互いが本気を出している。しかしそれでも――

 

「うらっ!!」

 

 ――どちらかの勝利で決着はつく。

 緑間のブロックは空を切る。火神のダブルクラッチ、緑間をかわして得点した。この攻防は、火神が打ち勝った。

 (誠凛)55対62(秀徳)。七点差に詰め寄った。

 

「――ッ!!」

 

 着地した緑間の表情が怒りのあまり歪む。

 止めなければならない、勝たなければならない勝負であったというのに。――決められてしまった。

 この結果が緑間に大きくのしかかった。

 

「どうですか、緑間君」

「……黒子!」

「僕だけでは何もできません。でも、こうして火神君を助けることはできる。誠凛(チーム)を勝利に導くことはできる!」

 

 自分の弱さを認めつつも、黒子は胸を張って緑間と向き合った。

 チームメイトを信頼しているからこそできることだった。だからこそ黒子は迷うことなく勝負に出れた。

 

「……わからんな、黒子。何故だ。何故お前は……いや、お前達はそのように仲間を思って戦えるのだよ?」

 

 それを、緑間は理解できなかった。

 とても低く重い声で緑間は黒子にはっきりと問いかけた。

 

「俺達には、もはやチームプレイほど躊躇することはないというのに」

 

 その言葉は緑間のプレイスタイルを、彼のあり方そのものを示している。

 

「……お前はすでにわかっているだろう! チームのために戦ったからこそ、あのとき白瀧は潰されたのだぞ!!」

 

 ――ああ、だからこそ緑間はチームプレイを選べない。個人技に走るしかない。

 

「え……」

「……白瀧が、潰された?」

「何を言ってんだあいつ。……あっ、まさか!?」

 

 伊月は以前部室内で発見した二年前の記事を思い出した。白瀧が全中で負傷退場したという、あの記事を。

 あの話題の最中、黒子の様子はただ事ではなかった。何か裏があったのだろうと思ってはいたが、もしも緑間が言っていることがまさにそれだと言うのならば、たしかに彼の怒りは納得できた。

 

「誰よりも帝光の仲間達のことを思い、チームプレイに徹した。その白瀧がどのような結末を辿ったのか、それをお前は忘れたとでも言うのか!?」

 

 緑間にしては珍しく、怒りを隠すことをせずただひたすら感情を打ち明けた。


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