黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第三話 大仁多高校バスケ部 始動

 俺達が大仁多高校バスケ部に仮入部届けを提出した翌日。

 昨日小林さんが言っていたとおり、新入部員である一年生を含めたバスケ部全員が放課後の体育館に集結していた。全員用意したジャージに着替え、バッシュに履き替えてある。準備は万全だ。

 ……やはり俺も一人のバスケット選手ということなのだろうか。授業中は集中力が普段より散漫だったというのに、今はしっかりとしている。やっぱり部活が始まるとなるとどうしてもこっちに意識が向いちゃうんだよな。勉強はわかるけれど、やはりバスケの方が楽しいと思ってしまう。

 

 体育館のコート半分を埋め尽くすように人が並んでいる。

 ……帝光ほどではないが、新入部員も結構な人数がいる。ざっと見たところ三十人ほどはいるのだろうか?

 俺はその新入生の中では最前列に立っている。そして俺達新入生と向かい合うような形で先輩方が並んでいる。先輩達の顔ぶれを見ている間に人数も全員集まったようで、昨日会った主将である小林さんとマネージャーである東雲さんが中央へ出てきた。

 

「皆、今日は良く集まってくれた! 昨日も自己紹介したが、俺がバスケ部キャプテンの小林圭介だ。そしてこちらに立っているのはマネージャーの東雲葵。そして他の三年生も中心にバスケ部は活動していく。今出張のためにこの場にはいない監督も、こちらに戻ってからは指示を頂くことになる。

 ――大仁多高校バスケ部の目標はもちろん、昨年逃したインターハイ優勝だ! そのためにも一年生であろうと実力さえあればどんどん試合にも出場してもらうからな! だから皆精一杯励んでくれ!」

 

 部活最初の主将としての挨拶。体育館中に響き渡るようなすごい張りのある声だ。やはり熱血漢だな、小林さんは。風格もあるしさすがは主将に選ばれるだけのことはある。赤司とはまた違うタイプだが、リーダーシップが感じられる。

 一つ間をおいた後の発言は、本当に熱意がこもっているということが伝わってきた。おそらく昨年負けたことの意地、そして主将である責任が小林さんをここまで駆り立てているのだろう。ならば、俺達も彼の思いに全力で答えなければならない。自分のためにも、主将のためにも、チームのためにも。……そしてあいつらとの誓いを果たすためにも。

 

 その後、小林さんと東雲さんが現在のバスケ部の状況や今後の方針を話してくれた。

 今バスケ部は三年生が十五人、二年生が二十二人、俺達新入生が三十三人という人数。まあ一年生はこれから数が減っていくかもしれないが。それでもここには七十人もの部員が集まっているという。

 

 ひとまず今日は俺達も普段の練習に加わり、その様子から少しずつ判断していくらしい。そして次の週明けに一年生同士でチームを組んでミニゲームを行うそうだ。そこで先輩達が俺達のプレイを見て、戦力になる人材を探すということだろう。

 ……ミニゲームが楽しみになってきた。チーム編成は先輩達が決めるということだからひょっとしたら勇や明とは別チームになってしまうかもしれないが、それならそれで面白い。とにかく、俺の力を示すチャンスがすぐそこに迫っているというんだ。胸の高まりを抑えられない……!

 

「……俺の話はここまでかな。何か質問はあるか?」

 

 小林さんが俺達に質問がないか問いかけるが、自分からは何も聞くことなどない。

 それよりもさっさと体を動かしたいくらいなんだ。一体練習はどんなメニューなのかな?

 

「よし、何もないようだな。それでは俺からもう一つ。今年の一年生の中に、バスケ部のマネージャーに加わってくれた子がいた。今この場で紹介しておこう。……入ってきてくれ」

 

 そう俺が今日のメニューのことを考えていたら、小林さんが付け足すように話を始め、体育館の入り口付近に視線を向ける。

 マネージャー? まあ、すでに東雲さんがいるとはいえもう三年生だし、それにこれだけの学校なんだから新入生の中からも一人や二人入ってもおかしくはないか。俺達はそのマネージャーの女の子の姿を見るべく横に視線を流す。

 

 すると、黒い長袖のセーラー服を着た一人の女の子が入ってきた。

 ……風で橙色の腰辺りまで伸びた長髪が揺れている。

 髪の毛と同じ橙色の、ぱっちりとした大きなつぶらな瞳。

 そして制服の上からでもわかる、男の煩悩を刺激する絶妙なプロポーション。

 

「おおっ!? なかなか可愛い子が来たな!」

 

 間違いなく美女と謳われておかしくない女性だった。事実周囲からは歓喜の声があふれている。勇にいたっては完全に頬が緩んでいる。若干反応が大げさではあるがな。

 だがそういう俺も一瞬心を奪われた。……いや、そうは言っても俺が彼女に見とれたのは何も彼女の美しさではない。

 

「……桃井、さん?」

 

 俺は彼女の姿に、かつて帝光時代のマネージャーを務めていた桃井さんの面影を重ね合わせていた。

 髪や瞳の色、まとっている雰囲気など違っている点は多数ある。だが、なぜか一目見たときに俺はそのように錯覚していた。……なんでだ? 似ていないはずなのに似ているとは……自分でもおかしな、矛盾した話だと思う。

 

「彼女の名前は橙乃茜(とうの あかね)だ。中学校時代にもバスケ部のマネージャーをやっていたそうだ。

 これから先、君達と行動を共にすることになる。たとえ選手でなくても共に戦う仲間だ。皆も仲良くするように」

「橙乃茜と言います。今日からよろしくお願いします」

 

 それだけ言うと橙乃は深くお辞儀をした。……違う、やはり違う。

 きっと気のせいだろうと俺は先ほどの考えを打ち消した。俺は何も桃井さんの外見に惹かれて好きになったわけじゃないんだ。それなのに、少し彼女の面影を感じたくらいで動揺するなんて、桃井さんにも失礼だろう。

 

「……なあ、今胸が揺れたよな? 俺本当バスケ部に入ってよかった!」

 

 隣で何事かをぼやいている勇を無視して視線を主将のほうへ切り替えると、小林さんはさっそく練習開始の合図を出す。

 いいですよ。とことん付き合ってやろうじゃないですか。あなた達先輩方の夢をかなえるためにもね。

 

 

 

 

 

「……あーっ! 疲れた!」

「大丈夫か、勇。はい、飲み物」

 

 現在練習の合間の休憩時間中。タオルで汗を拭き、マネージャーより支給された飲み物を飲んで水分補給をする。

 練習で体力を根こそぎ持っていかれてしまったのか、床に座り込んでしまった勇に飲み物を手渡す。勇のほかにも十数人ほど同じような状態のメンバーが確認できる。体力がないという理由以外にも、やはりまだ体が本調子ではないということだろう。さすがに先輩達は厳しい練習にも慣れているからか平気そうだが。

 勇はスポーツドリンクを受け取り飲み込むと、その表情に笑みを浮かべる。よほど消費していたようだ。これは少しばかり気を配る必要がありそうだな。脱水症状とかになったら困るし。

 

「サンキュー要。……はーッ。美味い。

 しかし本当に要は凄いな。息も普通に整っているし余裕そうじゃん。やっぱり体力も違うのかねー」

「まあな。体力は俺のウリでもあるからな。こんなところで弱音を吐いちゃいられねーんだよ」

「うっわー、なんとも頼もしいお言葉。言うことがいちいち違うね。惚れ惚れするよ」

「そんなにたいしたことじゃない。大丈夫なやつは大丈夫だし。……それに、どうやら明も平気そうだしな」

「……マジかよ。半端じゃねえな、あいつもさ」

「……ああ。俺も正直、あいつのことを過小評価していたのかもしれない」

 

 視線を遠くで水分補給しているチームメイトへと向ける。勇も俺につられるようにそちらを見た。

 流した汗でTシャツが染みているものの、明本人は平然とした顔をしている。やはり身体能力は高いようだ。これでも結構な練習メニューなんだけどな。これに耐えるということは相当な練習量をしていたのだろう。

 

 今日は柔軟、ランニングから練習が始まり、フットワークをここまで一時間半ほど行った。今は次からシュート練習に入るので、それまでちょっとした休憩だ。

 脚の疲労は相当なものだろうな。鍛えていなかったら少しばかりきつかったかもしれない。

 さすがに強豪校だけあって練習内容が濃い。これは弱音を吐くやつがいてもおかしくないな。

 

 ……それにしてもひっかかる。それだけの実力を明が持っているというのならば、俺が少しくらいはあいつのことを知っていてもいいはずなんだけどな。残念ながら俺の記憶には明の情報が一切なかった。

 これでも俺は帝光バスケ部時代、数多くの公式戦に参加し、練習試合にも赴いて強豪校と戦ってきた。その中で何人もの強敵と戦ってきたし、桃井さんを通じて情報は入っている。

 それなのに明のことは一切覚えていないのだ。これだけのやつが中学時代に埋もれていたとは思えないし。……なんでだろう? まあ、それは後々調べていくとするか。

 

(それよりも問題はあっちだ。やはり気になってしまうな……)

 

 俺は顔を上げて、壇上で東雲さんと何事かを話している橙乃へと向ける。

 彼女もマネージャーとしての仕事はキッチリしている。部員としての責任感を持っているようだし、それ自体は何も問題ない。しかし気になるのは練習中のあの目だ。比べるのもなんだが――まさに桃井さんの目のようだった。選手のものとなんら遜色ない、バスケに懸けている目だった。そしてその目で俺を見ていた。まるで俺を探るように、俺を値踏みするように。

 どうも気になってしまう。一度考えてしまうと、どうしても頭の片隅にのこってしまうんだよな。……俺の悪い癖だ。

 

「……よし、休憩は終了だ。練習を再開するぞ!」

 

 思考に意識を向けていたら、突然小林さんの鋭い声が体育館に響いた。

 ヤベ……ダメだ。今はとにかく練習に専念しないと。俺はこんなところで立ち止まるわけにはいかないんだ。

 

「何ボサットしてんだよ要。ほら行くぞ!」

「あ、ああ。悪いな、サンキュ」

 

 俺は勇からボールを受け取り、邪念を振り払うかのようにいつもよりも強くボールを地面へとたたきつけた。

 

 

 

 

 

「よしっ! 今日の練習はここまで!」

「「「ありがとうございました!!」」」

 

 今日の練習がようやく終了。体は汗でまみれ、あたりもすでに真っ暗だ。

 小林さんの挨拶でそれぞれ解散となる。現レギュラーである先輩達は居残り練習をこれから行うようだが……俺は今日はまだやめておこう。まだ部活初日だし、見渡してみると上級生達でコートはほとんどいっぱいだ。ならばそんなに焦る必要は無い。俺は勇と明と合流し、更衣室へと向かった。

 

「だぁーっ! もう今日は疲れた! マジ体がいてぇし!」

「家に帰ってからもストレッチは入念に行えよ。疲労は残しておくものじゃないからな」

 

 ジャージを脱ぎ、上半身裸になった状態で体を伸ばしている勇に一言述べておく。

 これから毎日このメニューが続くのだから疲労はその日のうちに可能な限り回復させておかなければならない。選手なんだから自身のコンディションを保つことは当然のことだ。

 

「わーってるて。心配性だなお前は、まるで母親だ」

「でも本当のことだよ。怪我しないためにも必要だし。

 だけどこの練習量がこれから続くのか。大変だな。これは、……脱落者もでてしまうのかな?」

「……そうかもな」

 

 明が最後の部分をトーンを下げて話した。そう思うのも無理は無い。荷物を整理しながら視線を他の一年生に向ける。それぞれ親しくなっている者と話しているが、中には練習での疲労によって動けずにいる者もいる。

 入部者の中には経験者でないものも中にはいるかもしれないし、そうでなくても他者との力の差に挫折したり、ついていけなくなったりして部活を辞める人間も出てくるだろう。

 ……だがそれでも、それでも俺達には関係の無いことだ。非情な話だが、そういうやつらに俺ができることはない。あるとしたらそいつらの分まで戦うということだけだ。

 

「でも、それは俺達が気にしても仕方が無いことだ。それは各々の自由なんだからさ。

 それにどうせお前達は辞めないんだろう? だったら、他人の心配よりも自分の心配をした方がいいぜ?」

 

 口の端を上げて二人を見る。俺の言葉を聞いて二人の顔が若干強張った。

 まだまだ部活は始まったばかり。……というかまず仮入部だし。それなのに他者の心配をするなんて甘い。甘すぎる。

 

「……当たり前だろ。誰が辞めたりするかよ」

「ああ。バスケをするためにここまで来たんだから」

「そいつは重畳。そんなにやる気があるというなら問題ない。……それじゃあ、また今からバスケするか!」

「「……結局それかよ!!」」

「……むっ?」

 

 二人の覚悟を確認し、やる気があるということを確認したからさらに士気を上げるべく提案したのだが……結局ってどういうことだ? 二人と練習したいこともあったから言ったんだけど……

 まあいいや。さっさと着替えていつもの公園に行くとしよう。あんまり遅くなると寮の門限を過ぎちまうからな。着替えを済ませて、近くのコンビニで小休止を取ると俺達は再び公園へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 以前の1on1をやったときと全く同じコート。

 メンバーも気候もほとんど同じ条件だ。ただ、この前と違うことがあるとすれば……それはいくつものカラーコーンがまばらに並んでいるということだろう。

 

「……ふっ!」

 

 まず俺はフルドライブで3Pラインに立っていたコーンを右に抜き去る。

 さらにその先にもう一つコーンがある。ヘルプに来た役のコーンだな。だが、これも抜いていく!

 コーンの右側に一歩大きく踏み込み、すかさず左へと全速力で切り返す。――クロスオーバーだ。これでDF二人を抜き去った。守備の内側まで切り込んだ。

 

「ここから先は……通さない!」

「明……ッ!」

 

 しかし、ここで圧倒的威圧感を放つ本物の選手が、明が待ち構えている。

 インサイドでのパワー勝負では俺の勝機は薄いだろうが……だが、そんなの関係無い。ドライブでついた勢いそのままに俺は体を空中へと躍らせた。

 

「そうは、させない!」

「……ッ!」

 

 明が俺のシュートコースを塞ぐように飛びあがり、手を伸ばす。やはり……高い! コースが完全に塞がっている。

 だけど、それでいい。これでDFは俺に集中した形になった。俺はシュートを撃たずに、そのままボールを持った右腕を後ろへと振った。

 

「うっ……!」

「決めろ、勇!」

「あいあい……さー!!」

 

 ボールは3Pラインギリギリのところに回り込んだ勇の下へとわたり、受け取ったフリーになった勇は綺麗にシュートを放った。ボールは一定の弧を描き、そしてリングに吸い込まれて地面へと落ちた。

 ……決まったな。俺がインサイドの意識を集められたし、パスもちゃんと通った。勇が一発でしっかり決めてくれたのも大きい。もしこれで勇のスリーが外れてリバウンド対決とかになったら……まあ、まず俺が負けていただろうな。あまり想像したくない。

 

「……やっぱり、要は違うな。途中までは完全に一人でシュートまで持っていくようにしか見えなかったのに」

「ま、明のディフェンス次第では俺一人で決めるつもりだったからね。お前のディフェンスが俺の想像以上だったってことだよ」

「……そうか。素直に喜んでおこうか」

 

 苦笑いしながら俺に近づいてくる明にそう言って励ます。

 ……昨日は1on1しなかったからこうしてコートで向き合うのは初めてではあったが、やはり直接戦わないとこいつの強さははっきりとわからない。ただコート下にいるだけで相当な圧力を感じた。これが他にも選手がいたらどれほどのものになるのだろうか。

 今回は練習だったからよかったものの、本当に戦うとなると……色々と対策を練る必要が出てくるな。それだけこいつは強敵だ。

 

「おい要、ちょっとまて。これはコンビネーションの練習じゃなかったのか!? それなのに一人で決めるつもりだったとはどういうことだ!?」

「…………な、なに。ちょっとした冗談だよ」

「今の間は何!? 滅茶苦茶怪しいんだけど!?」

「うるさいな勇。結果的に試せたのだから良いだろう?」

「それって結果論じゃねーか! そんなの俺が納得できねーよ!」

「すまん、許せ」

 

 勇の言う通り、今回は二人との息を合わせる練習だ。

 主に俺がボールを運ぶ中継役となってどちらかにパスを回し、敵DFを錯乱する。(それでもし余裕があるなら俺はそのまま決めようかと思ったり……)そのためにいくつかコーンを用意して仮想敵を用意して練習したのだ。本当のDFなら動いたりもするが、それでも練習には充分だ。

 

「まあそう言うなって。戦況に合わせるのは当然だろう。実際……来週チームを組んだときに、最善の状態で息が合わなかったら困るだろ?」

「それは、そうだけどよ」

 

 なおも突っかかってくる勇を諫める。

 俺だって何も意味もなしにこのようなことをしていたわけじゃない。

 来週行われるという新入生同士のミニゲーム、そこでもし本当に同じチームとなったときのためのコンビネーションの練習、そして改めて自分達のポジションの確認のために行った。

 

「勇もそこまで要につっかかるのはやめとこうよ。チームにはそれぞれ役割があるんだし、場の状況にだって左右されるんだ。今回は特に僕だけが動くディフェンスだったんだし、ある程度の意識が他に向いちゃうのは仕方が無いよ」

「……わかったよ」

 

 明の言葉を聞いて、それ以上は文句を言わずに素直に勇が下がってくれた。いや助かるぜ明。お前のようなやつがいるとチームもまとまりやすくなる。実力もあるし、できればこいつらとチームを組んで戦いたいな。

 

「……さて、そろそろ良い時間だし今日はここらへんで切り上げるとするか」

 

 俺達が個人的な練習を始めてからすでに30分ほど経過している。これ以上は時間的にも厳しいし、体の問題もある。ここらへんが引き上げ時だろう。明日も授業と部活があるのだから、あまり長くやりすぎてしまうのは体に毒だ。

 

「そうだね。僕もそろそろ帰らないと」

「じゃあ今日はここで解散だな。また明日学校でな!」

「ああ!」

 

 使用したコーンなどを片付けて、それぞれ上着を羽織ると今度こそそれぞれの帰路につく。二人と別れた俺も今生活の場となっている寮へと足を向けた。早く体を休めないと。

 ……そういえば今まで誰にも聞いていなかったけど、誰かバスケ部の中にも俺以外に寮暮らしの人とかいるのだろうか? 他の部活のやつ(特に推薦入学者)と会った事はあるが、実はまだバスケ部の人間と会った事は無い。そろそろ誰か寮の中でも親しい人間を見つけたいな。そのほうが気持ち的に落ち着くだろうし。

 

(……まあ、そう上手い話しはないか)

 

「……ねえ、ちょっといい白瀧君?」

「うん?」

 

 物思いにふけていると、突如横から誰かに声をかけられた。しかも俺の苗字を呼んで。

 透き通るように綺麗な女性の声。果たしてこのような声の持ち主が知りあいにいただろうかと考えながら声をした方向に振り向くと……そこにいたのは、今日からバスケ部のマネージャーとなった橙乃茜だった。

 

「……えっと、橙乃さんだっけ?」

「うん。それで合ってる」

 

 確認のために問うと、コクリと首を縦に頷かせて肯定する彼女。その幼い仕草がどこか可愛らしく感じる。

 そう言う橙乃はセーラー服にカバンを肩にかけた状態であり、まだ帰宅途中であることは明白だ。マネージャーとして部活の後片付けをしていたにしても若干遅すぎるように感じる時間帯、なのにどうして彼女がここに?

 

「どうしたんだ? 橙乃さんがどうしてこんな時間にこんなところに? さすがに女性が一人でこんなところをふらついているのは危険なんじゃないか?」

「帰宅途中、白瀧君達が熱心に練習をしているのが目に入った。それで、しばらく見学させてもらっていたの」

「……見ていたのか? 俺達のバスケを。盗み見とは趣味が悪いんじゃないか?」

 

 自分でも声色が変わっていることがわかった。橙乃もビクッと体を震わせている。

 いくらチームメイトとはいえど、勝手に見られていたと思うとどうも気分が悪い。しかも、練習の時のあの目のことを思い出したらなおさらだ。どうしても自然に声が責めるような口調になってしまう。

 

「そのことはごめん。バスケに集中している人達に声をかけてその邪魔をするほうが、よっぽど性質が悪いと思った。……気分を害してしまったのなら、ごめんなさい」

「あ、いや。……別にそこまでは言っていないさ。俺が悪かった、気にしないでいいよ」

「……ありがとう」

 

 俺の言葉に言い訳することなく謝罪する橙乃。ここまで素直に謝られるとこっちがむしろ悪さをしているみたいで気が引ける。いや、実際責めてしまったのは俺か。

 ……しかし、帰り道に見かけただと? 家がこっち方向ってことなのか? 駅からは離れているが、けっこう近くに住んでいるのだろうか?

 

「なあ。帰宅途中にってことは、ひょっとしてこの近くに家があるのか?」

「……ん? 言って無かった? 私も寮生活をしているけど」

「……マジで!?」

「うん、本当」

 

 俺の問いに首を傾げながらそう答えた橙乃。

 橙乃が寮生活だと? 今まで見かけなかったものの、まさか女子とはいえこんな身近なところに寮生活をしている仲間がいたとは。……大仁多高校の男子寮と女子寮は道路を二つ挟んで建ち並んでいる。ゆえに方向的には登下校の方向はほとんど同じ。たしかに途中で別れることにはなるものの、一緒になってもおかしくはない。それであの公園を発見できたってわけか。

 

「東雲先輩から聞いてあなたが大仁多高校(ここ)に入学したことは知っていた。見かけたのは偶然だったけれど……やっぱり凄かった。さすが帝光中学時代に『神速』と言われるだけのことはある」

「……それはどうも。君みたいな人にも知られているなんて光栄だよ」

 

 この人にも俺のことは伝わっているわけね。そんな大っぴらに宣伝した覚えはないんだけどな。

 どうもその名前で、二つ名で呼ばれるのは気恥ずかしい。他の奴らに言われるのは大丈夫なはずなのに。……相手が女性だからだろうか? それとも、相手が橙乃(このひと)だからなのか。

 

「それで、あなたに一つだけ聞きたいことがある」

「うん? 聞きたいこと? なんだ、そんな改まって」

「……言いたく無いことなら、答えなくてもいい」

「あ、ああ」

 

 そこで一つ間をおくと、橙乃は一瞬不安そうな顔になり……しかし、一度瞳を閉じるとまたもとの表情へと戻って俺に問いかけた。

 ……なんとなくだけど、きっと俺が答えたく無いような内容だということは、なんとなくわかった。

 

「どうして、あなたが『キセキの世代』と呼ばれていないの?」

「……ッ!」

「あれだけ中学校入学当初から活躍していたあなたが、コートを駆け巡っていたあなたが、どうして?」

「……」

 

 静かな声だった。何の圧力もない、迫力も無い、むしろ不安げな声。

 それなのに、その声によって俺の体中に強力な刺激が走った。『もう何も言わないでくれ』と、『それ以上何も聞かないでくれ』と、心が弱音を吐いていた。俺の中で一瞬時が制止する。

 

 ――『キセキの世代』。俺がかつて呼ばれていた、俺の仲間だった者達が今も呼ばれ続けている名誉ある肩書き。天才と謳われた選手達の代名詞。選ばれた五人の天才だけが持っている輝かしい栄光、俺が奪われてしまったもの。

 

 空であった右手を力強く握り締める。……俺が過去に何の未練も感じないような男だったならばどれほど良かっただろうか。そうすればここまで苦しむようなこともなかっただろうに、いくらかの諦めもついていただろうに。

 

「……単純な話だよ。俺があいつらよりも劣っていた。ただそれだけの話しだ」

「そんなことは……」

「それが事実だ。現にあいつらは自分達の力で全中三連覇を果たした。きっと俺がいなくてもあいつらならばやり遂げただろう。

 ……知っているか? 今年からの三年間、高校バスケ界の頂点に立つのは『キセキの世代』が進学した高校のどこかだと言われている。たった一人の加入でチームそのものが変わるとな。それほどの天才なんだよ、『キセキの世代』というのは」

 

 できるだけ客観的に、自分の感情を出さないように話す。何も間違った事は言っていない。

 今『キセキの世代』と呼ばれている者達は中学当時からすでに次元を越えていた。そのレベルは高校でも飛びぬけていることだろう。それは俺のような男が太刀打ちできるようなものではない。……いや、違うな。太刀打ちできなくなってしまったと言ったほうが正しいのか。

 

「だから、俺はもう違うんだよ」

 

 自分にも言い聞かせるようにそう呟く。

 それを聞くと橙乃はすこし悲しそうな顔をした。きっと俺の答えは彼女が求めていた答えではなかったのだろう。それくらいはわかる。

 

「……私は、そんなこと認めない。あれだけ輝いていたあなたがそんな風に諦めただなんて……絶対に認めない!!」

 

 そう強く叫ぶと橙乃は小走りで去っていく。今度こそ女子寮へと帰るのだろう。

 瞳にわずかに浮かべていた雫のことや、まるで俺の昔を知っているような口ぶりだったのが気になるが、それ以上に……

 

「……あーあ。これは、さすがに嫌われちゃったかな」

 

 誰もいない道で一人寂しく呟く。この小言を聞いている人間は誰もいない。

 これから先一緒に行動するチームメイトなのだからできれば仲良くしたかったのだが、そう上手くはいかないか。

 

「だれも諦めたとは言ってないんだけどな~。……奪われたなら、取り返すだけだってのに」

 

 まあその誤解は今後解消していけばいいだろう。

 俺だって今の現状を理解はしても認めたわけではない、ただ甘んじて受け入れているわけではない。ただ現実を割り切っているだけだ。

 俺は今はただの挑戦者だ。だからこそ……必ずや、もう一度あいつらと同じ舞台に這い上がってみせる。そう決意してこの二年間、バスケに全てを懸けていたのだから。

 

「……ま、ここで何を言っても意味がない。今日はもう帰るとするか」

 

 メアドでも交換しておけばそういうやり取りもできたのだが、ないものを今考えても仕方がないことだしこういうことは直接会って話したほうがいい。が、男子が女子寮に行っては色々と問題事となる。だから今日はもうこのことを考えるのはやめにする。

 俺は先ほどよりも重い足取りで男子寮へと向かって行った。疲労以外の何か別なものが、俺の足を重くさせる。……駄目だな。今日はもう何もせずに寝るとしよう。

 きっとこういう日はろくな夢も見れないのだろうなと、俺はどこか他人事のように考えていた。

 

 

――――

 

 

「はあ、はあ、はあ。……はぁっ」

 

 白瀧の姿が見えなくなったことを確認してから橙乃は足を止めて息を整え……そしてため息を一つついた。とっさに声が出てしまって思わず走り出したものの、今我にかえるとらしくないことをしてしまった、と悔いていた。

 

「……久しぶりに直で見たから、緊張しちゃった……かな?」

 

 そう言うものの、橙乃はどこか嬉しそうに微笑を浮かべた。

 何度か白瀧のことは話しで聞いてはいたものの、こうやって彼の姿を近くで見るのは久しぶりなので思わず言わなくて良い事まで言ってしまった。しかし、会って話す事ができたのは彼女にとっては嬉しいことである。

 

「……今度会った時はもう少し詳しく話しを聞ける、かな? 昔の事も……」

 

 橙乃の声は不安ながらも少しずつ明るさを取り戻していた。

 彼女が夜空を見上げると綺麗に星が瞬いていた。あの星のように今もずっと輝いていられればよかったのに、と橙乃は思った。

 

「……今日は、もう帰ろう」

 

 ひょっとしたらまた白瀧と鉢合わせしてしまうかもしれない。会いたいとは思うが今は会いづらい心境なので、すぐに帰らなければならない。橙乃も女子寮へと一人歩いて行った。


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