黒子のバスケ 銀色の疾風   作:星月

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第五十三話 学生の本分

 外部の人間を招き入れる際に利用される応接室。

 大仁多高校の応接室も客人を丁寧におもてなしができるようにと応対の家具が適切に配置されていた。

 落ち着きのある雰囲気の中、応接室には三人の人間が対面していた。

 

「お久しぶりです。こうして顔を会わせるのは去年の冬以来でしょうか?」

 

 真っ先に口を開いたのは大仁多の監督である藤代。

 客に頭を下げて柔らかな笑みを浮かべた。

 

「そうだなあ。今年も何度か大仁多の試合を見に行ったが、お前とゆっくり話すのはそれ以来、となるか」

「これはこれは。あなたほどのお方に試合を見ていただけていたとは。身に余る光栄ですね」

「はっはっは。そのような緊張など微塵も感じていないくせになにを言う」

「そんなことありませんよ。私は小心者ですから、今も大学バスケ界を背負っているあなたを前にして気がすくんでいるほどです」

「また心にもないことを言いおって。お前は相変わらずのようだな。……まあ安心したぞ」

 

 心にもないことを、と藤代と対面している男は豪快に笑った。

 冗談だとわかりつつ不快に思っていない素振りに、藤代は改めて頭を下げた。

 意気投合している二人。会話を聞いている小林もどこかおかしそうに微笑した。

 

「ええおかげさまで。――しかしこの時期に椎名さんが訪問されるということは、小林さんのことについてでしょうか?」

「富ヶ谷大学の監督がわざわざいらっしゃったということで俺も少し戸惑っているところです」

 

 二人の当然の意見に、男――富ヶ谷大学男子バスケ部監督、椎名悠平は小さく息を零した。

 

「安心しろ。何も小林君のスカウトを取りやめたわけではない。彼のことは去年から目にかけていたのだ。

 いやむしろ今年の予選の戦いを見て、MVPを獲得したその健闘ぶりを聞いて、私は君をさらに再評価しているほどだ」

「……ありがとうございます」

「お前もな、藤代。監督としての技量を見せてもらった」

「椎名さんに褒められる日が来るとは。……いやー、感無量です」

「ふっ。その調子ならお前は全国でも大丈夫そうだな」

 

 富ヶ谷大学バスケ部は強豪中の強豪だ。関東一部リーグや全日本でも優勝経験があり、高校で名を轟かせた選手が活躍している。

 その大学を指揮する椎名から去年、小林はスカウトを受けた。富ヶ谷大学に所属していた藤代を経由して話を聞き、評価を受けたときには身が震えるほどだった。

 そして今、再び実力を認めてもらった。小林はゆっくりと頭を下げ、表情を見られないようにと務めた。

 

「だからそんなに心配しなくてもいい。今日は一つ忠告に来ただけだ」

「忠告? 何でしょうか?」

「これは君たちが全国に挑む前に私が言うべきことではないのかもしれんが……」

「どうぞ何なりと仰ってください」

 

 椎名が言いよどむと藤代が「大丈夫です」と先を促した。

 相変わらず笑みを絶やさない彼を見て、椎名は観念して話を続けた。

 

「昨年の冬、私が話したことは覚えているか?」

「はい。『君が経験した壁を――全国ベスト4を越えてみせろ。私の目の前でもう一度壁を乗り越えてみせろ』と」

「そうだ。私はこの前までずっとそう思っていた」

「今は違う、ということですか?」

 

 鋭い藤代の指摘に椎名は頷いた。

 昨年の夏、大仁多はベスト4を経験した。それでも椎名は小林ならまだいけると。その先へ達せると。期待を願いをよせて小林に目標を定めさせた。

 

「……東京都の予選を見て思い知らされたよ。『キセキの世代』の力を」

 

 だが状況が変わった。

 椎名は高校に入った『キセキの世代』のプレイを見て震え上がっていた。

 

「あれほどの選手は大学でも現れるかどうかわからん。とてもではないが間違いなく高校レベルを超えている。

 おそらくIHでも彼らが所属する高校が上位を占めるだろう。番狂わせは起こるまい」

 

 椎名は彼らに最大限の評価を示し彼らの台頭を予言した。

 しかしそれは同時に、

 

「つまり大仁多では『キセキの世代』を擁する高校には勝てないと? そう仰るわけですね」

 

 大仁多が彼らには勝てないと言っているものだった。

 

「……結論を言えばそうなる。だからこそ君には結果を気にする事無く」

「お言葉ですが椎名監督。俺は今年、最強のチームを率いているつもりです。

 その主将である俺が負ける可能性を考えるなどありえない。ゆえにお言葉の撤回は必要ありません」

 

 言葉にわずかな怒りを込めて小林は椎名の意見を切り捨てた。

 彼とて主将としての意地がある。そして去年目前にまで迫りつつも果たせなかった優勝を手にしたいという思いがある。

 だからこそ、首を縦に振ることなどできなかった。

 一切の迷いを抱かず紡がれた決意。思わず椎名の頬が緩んだ。

 

「そう、か。藤代、お前は良い選手を育てたな」

「私は何も。彼らが立派に育っただけです」

「羨ましいものだよ。本当に良いチームには良いPGがいるものだ。今年の関東を見ても優秀なPGが溢れている。

 神奈川、海常の笠松。栃木、大仁多の小林。

 東京都では有力であった花宮、高尾の二人が敗退した今。新勢力として台頭している桐皇学園の今吉。

 おそらくはこの三人が、今年の関東最強PGを競っていると言っていいだろう」

 

 予選でも実力を見せ付けた有力PGの名前を挙げていく。

 何度か耳にしたことのある選手達ばかり。小林と藤代も相槌を打ち、彼の意見に同意した。 

 

「ならばこそ、君は全国の舞台で自分が一番だと示してくれ。関東、いや日本一のPGだと」

「……望むところです!」

 

 小林が大きく頷き、意志を露にする。元よりそのつもりだった。だから負けるわけにはいかない。

 

「それに椎名監督。大仁多は“キセキの世代”には勝てないと、先ほどは仰っていましたが。

 大仁多にはエースがいます。『キセキの世代』を倒すために今も戦っている、強いエースが」

「……白瀧、だったか」

「はい。彼ならばきっと成し遂げてくれる。俺も共に、最後まで戦い抜いてみせます」

 

 たとえ相手が『キセキの世代』であろうとも。

 大仁多には彼らに対して誰よりも勝ちたいと強く願うエースがいる。彼と共に最後まで勝ち抜くのだと小林は言った。

 信頼を感じ取れた椎名は「そうか」と一言口にして頷いた。

 その後三人は他愛もない会話をして親交を深めていく。

 だがこの時彼らは知らなかった。その大仁多のエースが、今まさに危機に陥っているということに。

 

 

 

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 沈黙がしばし広がり、ようやく状況を把握しようと麻痺した脳みそを再起動する。

 1秒にも満たない思考の結果俺は一つの結論にたどり着いた。

 二人しかいない密室の保健室。体調を崩した女の子。ブラウスの外されたボタン。隙間から見える健康的な――違う、今はその情報はいらない。

 そして最後に、仰向けで寝ている女の子の上にまたがる形で彼女の口元を押さえつける男。

 

(どこからどう見ようとも、誰がどう考えようとも○○○現場です。本当にありがとうございました!)

 

 東雲さんの冷めた笑顔が俺の考えを肯定していた。

 

「白瀧君……」

「は、はい! なんでしょうか!?」

 

 地を這うような低い声は、およそ彼女から発せられたとは思えないものだった。

 普段からはとても想像できない響きに、俺は身動きできないまま相槌を打つしかなかった。

 

「私、茜ちゃんの面倒を見ていてとは言ったけど、獣になれとは言っていないはずだけど?」

「誤解です! これには山よりも高く海よりも深い事情が!!」

「……とにかく茜ちゃんを解放してあげることが先じゃない?」

「へ? ……うおおおお!?」

 

 鍛えておいた瞬発力で文字通りその場から飛びのく。

 危なかった。言われなければ自分の体勢のことを度外視したまま弁明を続けてしまうところだった。

 俺がベッドから距離を取り、橙乃が起き上がったことを見届けてから東雲さんは改めて問いただした。

 

「それで? 一体どうしてあんな体勢になっていたのか説明してくれる?」

「違うんですよ東雲さん。これには深いわけが……」

「白瀧君には聞いていないよ」

 

 一言で切り捨てられ、東雲さんは橙乃へ視線を向けた。

 もう最悪だ。俺の信頼度が地に堕ちている。数値で言うなら100くらい堕ちている気がする。

 ねえ何で? 俺はただマネージャーが体調を崩したから保健室に運んで介護していただけだというのに。それなのにどうして今こんな目にあっているの?

 

「一応理由があったなら聞いておきたいけど……」

「理由ですか。……はい、あります」

 

 おい、橙乃。頼むから変なことは言うなよ。

 期待の意志を込めて視線を送ると気持ちが伝わったのか橙乃がコクリと頷く。

 さすがにこの状況をわかっているのだろう。ならば俺は口を挟まずに静観するべきだ。

 

「白瀧君も男の子だったということです(異性に叫ばれたら勘違いされるから)」

「フォローする気がないなら黙ってろ!」

 

 気がついたら脊髄反射で叫んでいた。

 うん、駄目だこの子。今この場面でその発言は場の空気を悪くする危険信号以外の何者でもなかった。

 

「……で、君も言い分があるなら一応聞くけど?」

 

 もはや東雲さんは名前を呼んでさえくれなかった。

 ごみ虫を見るような視線で俺を射抜く。やめてください、心が折れる。

 

(だがどうする? 一体何と言えばこの絶望的状況から脱することができる!?)

 

 前門の東雲、後門の橙乃。もはや逃げ道はなく援軍もなし。敵援軍ならありえるだろうけど。

 例えるなら俺一人で“キセキの世代”五人と黒子を相手にするようなものだ。……勝てるわけない。ハードモードも真っ青の鬼畜展開である。

 いや、諦めるのはまだ早い。とにかく今すぐに何か言い訳を考えないと!

 

『看病しようとしたら転んでこの体勢になったんです!』

 どこのトラブルの主人公だ。

『汗をかいているだろうと思って体を拭いてあげようと思ったんです!』

 何で前から拭こうとするのか。口を塞ぐ意味もない。

『むしろはだけていたので直そうと思ったんです!』

 橙乃起きてるから俺がやる必要がまったくない。そして口を塞ぐ意味もない。

『フハハハハ。そうだ、僕が獣だ』

 こいつは殺さないと駄目だ。

 

 ……あれ? ひょっとして俺、詰んでる?

 下手に嘘の理由を言っても通じるどころかさらなる疑惑が向けられる気がした。

 というか絶対にいつかボロが出る。そう言い切れる。

 今まで俺が女性に対して嘘を貫き通せたことが一度でもあったか? いやない! 前提としてそのような大嘘をついた記憶がないため考えそのものが間違っている!

 ならば、俺が今ここで言うべきは――!

 

「そう! 橙乃が悲鳴を上げようとしたから、口を塞ごうと思ったんです!」

 

 ありのままを口にするべきこと。そう判断し、胸を張って答えた。

 

「…………へえ」

 

 あれ? 東雲さんの視線が先ほどよりも一段と厳しい。まるで性犯罪を犯した社会の最底辺の人間を見下しているような目をしている。

 まさかフォロー失敗したのだろうか? 何故だ? 俺は間違ったことは言っていないはず。ありのままの出来事を証言したはずなのに。

 

「白瀧君、さすがにその発言はどうかと思うよ」

(まさかの橙乃に諭された!?)

「むしろどうして大丈夫だと思ったの?」

「……何を言ってもおんなじやおんなじや思うて」

「ネタはいいから」

 

 必死の叫びも橙乃によって残酷なまでに粉砕された。

 ねえ、誰のせいで今こんな状況になっていると思っているの?

 恨めしい視線を送っていると、東雲さんがスマホを取り出し、三回番号をプッシュして電話をかけ始めた。

 

「あの、東雲さん。一体どこに電話を?」

「あ、もしもし。警察ですか? 学校に変質者が現れました。至急、現場に来て助けてください」

「ちょっと、ちょっと待ってください。聞いてください東雲さん! その電話は一体なんですか!? 変質者って誰のことですか!?」

「…………」

 

 俺の問いには答えることなく、無言で俺をじっと見つめた。

 後ろを振り返る。……誰もいない。東雲さんは俺を見ている。つまり、

 

「見ている対象は俺! 射抜いているのは疑惑の眼差し!!」

 

 さようなら、俺の人生。

 

「白瀧君。私はね、君のことを信じていたんだよ」

「ならばその信頼を最後まで貫いて欲しかった!」

 

 寂しげに呟いたその言葉は最後通告、いや、別れの一言のようだった。

 

「ちょっ、タイム! タイムアウトを要求します! マジで、マジで待ってください! 全て俺が悪かったです! なんでもしますから許してください! お願いします!」

 

 意地やプライドを全てかなぐり捨て、地面に頭を擦り付け土下座をして懇願する。

 何も悪いことをしたつもりはないけど誠意を込めて謝罪し続けた。

 

「うん、いいよ」

 

 すると先ほどまでの空気が嘘のように、緩い許しの声が聞こえた。

 

「…………え?」

 

 頭を上げ、言葉の主である橙乃を見ると満面の笑みを浮かべている。

 さらに隣の東雲さんを見ると電話を切り、冷ややかな視線が嘘だったかのように、笑っていた。

 

「……え?」

「なんでもするって言ったよね?」

「え? いや、あの、橙乃さん?」

「なんでもするって言ったよね?」

「それは言葉のあやであって。というかさっきまでのはまさか」

「ナンデモスルッテイッタヨネ?」

「はい! 言いました! 男に二言はありません!」

 

 こんなにも女性の笑みを怖いと思ったことはなかった。笑みが深くなる毎に恐怖が増していく。

 俺はただ彼女の問いかけを肯定するしかなかった。

 

「じゃあいいよ。許してあげる」

 

 よくはわからないが、許しを得られてホッと胸を撫で下ろした。

 ……あれ? というか俺は橙乃に何を許されたんだっけ?

 まあ解決したならいいか。しかしそれより気になるのは……

 

「あの、東雲さん。先ほどの電話は大丈夫なんですか?」

 

 恐る恐る問いかける。警察にスマホから電話をかける。とてもではないが普通はすることではないし、下手すれば特定されるのでは。

 

「大丈夫って何が?」

「いや、だってさっき警察に通報を」

「時報にかけていただけよ?」

 

 そっかー。時報も117の3桁だったなー。

 

 

――――

 

 

 日が明けて昼休み。昼食を取りながら俺は昨日の出来事を皆にそのまま話した。

 

「……え? 何、昨日の夜そんなことあったの?」

(だからあれほど言ったのに……!!)

 

 勇の半信半疑の問いかけに、俺はゆっくりと頷く。

 横では昼ごはんのカレーライスの皿にスプーンを刺し付け、悔しがるような素振りを見せる西村がいる。

 うん。俺でも未だに本当の出来事だったとは信じられません。

 

「要は、あれだね。尻に敷かれるタイプだね」

「言わないで! 俺今も結構ショック受けているから!」

 

 明の一言は弱っている心をへし折るには十分だった。

 ご飯を口に運ぶがいつもよりもしょっぱい気がする。熱いのだろうか、瞳から汗が流れ始めた。

 

「で? なんでもするって言わされて、お前何することになったんだ?」

 

 珍しく同じテーブルで食事を取っている本田が皆が抱いているであろう疑問を聞いてくる。

 ……やっぱり気になるよな。俺だって逆の立場だったならばそうしただろう。

 

「まだ内容はわからないが、今日の夜手伝って欲しいと言われた」

「手伝うって何を?」

「それはまだ聞いていない。ただ、準備ができたら呼びに来るとか」

 

 内容はまだわからない。だが嫌な予感がする。そして俺の場合、嫌な予感ばかりがよく当たる。

 何が待ち受けても対応できるように覚悟しておいた方がよいだろう。

 覚悟を決め、味噌汁を口に流し込む。……ああ、平和だ。食事だけが俺の平和だ。出来ることならば食事だけは裏切らないでくれ。

 

「白瀧さん、なんなら俺もついて行きましょうか?」

「馬鹿。お前は、いやお前達は今日追試の勉強があるだろう。忘れたのか?」

「……すみません。忘れていました」

 

 大事な出来事を忘れている西村にはため息を一つ。

 こいつの心遣いはありがたいが、今は追試の方が重要だ。

 下手すればこれによって全国にいけるかどうか決まってしまう。なんとかしてやらんとな。

 

「あれ? でもそうするとひょっとして、お前が今日俺達に勉強を教えることは無理なのか?」

「え!? そういうことなんですか!? ちょっと、俺はどうすればいいんですか!?」

「僕も心配なんだけど。本田一人じゃあ辛いだろうし……」

「うるせえ! 事実なだけに否定できないだろうが!」

 

 信じたくない結論に至り動揺する男三名。イラつくもの一名。

 まあテストが無理だったのに自力で追試というのは厳しいだろうな。

 

「安心しろ。さっきも言ったが呼ばれるまでは俺は自由だ。その間に教えるよ。

 後は他の先輩達もサポートしてくれるだろうし、佐々木さんとかには言っておいたから頼んでくれ」

「ナイス!」

「これで勝てる!」

「……せめて勉強してから言え」

 

 すでに追試を乗り切った気でいる勇と西村に淡々と告げて昼食を終えた。

 

 

――――

 

 

 授業を終えて、学生は放課後を迎える。

 いつもコートで戦っていたバスケ部員は戦いの場を自習室に移し、ボールを鉛筆に代えて戦いへと挑んでいた。

 

「いやー、悪いな。副主将なのにこんなことになっちまって」

「文句を言っている暇があったら手を動かせ! そして計算間違っているぞ!」

「うわっ。マジかよ」

 

 苦々しい山本さんの愚痴を小林さんが切り捨て、間違いを指摘する。

 悪態をつきつつもペースは良いようだ。小林さんいわく、「部活が忙しかっただけで追試は問題ないだろう」とのことらしい。

 教えているのも小林さんだし、きっと大丈夫だと信じて視線を別のグループへ向ける。

 

「……大体覚えているはずだがな。テストは何が駄目だったんだ?」

「似たような名前のやつが多すぎて本番でわけわからなくなった」

「名前だけ覚えては駄目だぞ。人物のしたことや年代もセットで、関連付けて覚えないと」

 

 松平さんは佐々木さんがマンツーマンで教えている。

 日本史一科目だけに加えて佐々木さんも成績優秀なのでこの組も大丈夫だろう。

 

「……手が止まっている。問題を見て意味を理解し、それに応じて公式を使いわけなければ意味がないぞ」

「うるせえ! わかっているんだよ! くそ。勉強でも負けるってのがマジムカつく」

「落ち着け。まずは冷静に何を聞かれているのかを見ろ。この問題だと……」

 

 二年生組では三浦さんに対して中澤さん・黒木さんのダブルチームで教育中。

 こちらも二人が優秀なことだし十分仕上げることは可能だろう。

 となると問題なのは……

 

「さて、ある程度見直しは出来たか?」

 

 ノートをじっと見つめている三人への呼びかけ。

 教える前にテスト範囲内の追試にも出ると予測される範囲を重点的に確認させていた。いきなり問題を解かせても頭に入らないだろうと考えてのことだった。

 

「まあ、一応」

「多分、なんとか」

「内容は頭に入ったと思う」

「……そうか。ならはじめていこう」

 

 若干気になる三人の返事だが、時間が限られている以上のんびりとしていられない。

 三人がノートを確認している間に目を通していたテストの内容を今一度確認する。

 当然のことながら科目だけでなく問題点も皆違う。そうなると対応策も自ずと個人によって差ができる、か。

 

「まず西村、お前はとにかく基礎を固めるぞ。出来てないわけではないが、密度がうすい。

 テストでも勿体無い点の落とし方をしている。基礎問題を落とさなければ追試は大丈夫なはずだ。

 お前の場合はやればできるのだから、しっかり頭に叩き込んでいこう」

「……はい。お願いします」

「次、明は……お前は知識はあるんだよな。ただ本番になると弱いというか凡ミスが多いように見える。自分ではどう考えている?」

「まあ、やっぱり時間の問題とかもあって見直しはできていなかったよ」

「自覚があるなら大丈夫だ。お前はひたすら問題演習を繰り返して復習しよう。小林さんたちに資料をもらったから、この問題集を時間も測ってやっていけ。本田、お前は明について様子を見てくれ」

「おう、それくらいなら任せておけ」

「よろしく頼むよ」

「最後、勇。社会はあと一問解ければ合格だったし、間違った範囲をしっかり復習すれば大丈夫だろう。英語は西村と一緒に見るとして、問題は理科か? 幸いにも範囲は広くないからここに専念しよう」

「助かる。徹底的に頭に詰め込んでくれ」

 

 大まかな方針を伝えると、明は本田と共に離れた机で問題演習を開始。

 西村と勇も俺が主導となって解説をはじめていく。

 ……どうかこのような形で挑戦が終わらないでくれと、そう願いながら。

 

 

――――

 

 

 各テーブルでの指導が始まってはや数時間が経過。時計の短針は7時を指している。

 

「西村、本文をよく読め! 似たような意味の言葉が出てきるだろ。そういうのは見逃さずに丸をつけておけと言ったはずだ」

「あ、すみません!」

「それと直接的な表現だけでなく抽象的な表現も重要だ。こういうところで人物の気持ちが読み取れることもある」

「白瀧さんは現代の女性の気持ちはわからないのにどうして古文に出てくる女性の気持ちはわかるんですか?」

「教えるの辞めてもいいんだぞ?」

「要、これでどうだ?」

「出来たのか? えーっと。……また幾つか一般動詞に3単現のsをつけるの忘れているぞ。それと所有格の表をもう一度確認しておけ」

「マジか!? またか!」

「反復して覚えていくことが重要だ。忘れるなよ」

 

 まだ完全には仕上がってはいない。間違いもあるし考え方を忘れてしまうものもある。

 だが形にはなっている。おそらくこの調子なら4割は越せるだろう。明も徐々に正答率が上がってきたと本田から報告を受けた。明日までには大丈夫なはずだ。

 

「どうだ、そっちの調子は?」

「お疲れ様です小林さん。……ボチボチ、と言ったところでしょうか。そちらはどうですか?」

 

 一区切りついたのだろうか、小林さんが様子を見にきた。

 まだ確実ではないため言葉を濁し、山本さんの出来を窺った。

 

「山本は大丈夫そうだ。たしかにあいつも勉強は得意というわけではないが、時間さえかければ理解できるやつだからな」

「順調というわけですね。良かったです。山本さんは追試メンバーの中でも重要な選手ですから」

「まったくだ。追試があると知ったときには俺でさえ焦った」

 

 レギュラーであり副主将でもある山本さんの存在は非常に大きなもの。いなければ戦力の低下に留まらずチームの士気にも影響が出ることだろう。

 良い知らせを聞くことができ安堵の吐息をもらした。

 

「やっぱり勉強ができる人に教えてもらうと違う、ってことですか」

「そういえば小林さん達の順位はどうだったんですか?」

「俺か? 俺は320人中39位。後はたしか佐々木が36位、東雲が58位だったか。2年は中澤が84位、黒木が101位。この辺りが成績上位者だろうな」

「……皆さんちゃんと半分より上にいるんですね」

 

 予想以上の答えに質問をした西村と勇の頬が引き攣っている。

 部活をやっているとはいえきちんと勉強もすれば上位も夢ではない、ということを知ってくれれば嬉しいのだけどな。

 

「ちなみに本田と要は?」

「たしかあいつは、247位と言っていたかな?」

「あれ? 追試はないけど意外と低い」

「というか俺と同じくらいだぞ」

「殆どが合格ギリギリの点数だったからな」

 

 追試がないといっても順位が追試ある生徒よりも上位とは限らない。平均点が低ければ当然順位も下がる。

 むしろ一年の中では明が俺の次に順位がよい。……これは後期も大変だ。

 

「それで要は?」

「俺? 俺は27位だったよ」

「……お前マジで言ってんの?」

「白瀧さん相変わらずですね」

 

 呆れる勇と感心する西村。対照的な反応だった。

 ……俺としてはトップ10入りを目標としているからむしろ悔しい思いだ。

 帝光時代も30~50位の位置で成績が固定されていたから10位以内の壁を乗り越えたかったけど、次の機会に持ち越すとしよう。

 

「お前もやるな。安心したよ。お前と橙乃がいれば、お前達の代は安心できそうだな」

「橙乃? そう言えば俺は彼女の成績は知りませんでしたけど、小林さんは知っているんですか?」

 

 この場にはいない実力が未知数のマネージャー。頭はよさそうだと思っていたが、果たしてどれくらいなのだろうか。

 

「ああ。3位と言っていたよ」

「そうですか、3位ですか。さすが…………は?」

「さ、3位!?」

「なにそれ怖い」

 

 全員の表情が凍り付く。10位の壁はおろか、五指に入るほどの学力という衝撃の真実を知って。

 

「ということはバスケ部でぶっちぎりじゃないですか! 要の順位が霞んでしまうほどっすよ!」

「ああ。俺も『まさか』と思ったよ。だが本当だ。間違った部分もケアレスミスのようだし、きっとこの成績を維持するだろうな」

「…………」

「二人とも、もうそこら辺に! 白瀧さんが気落ちしています!」

 

 二人の言葉が胸に深々と突き刺さった。西村だけは察してくれたのか止めに入ってくれた。……俺、馬鹿じゃないのに。

 

「失礼します。白瀧君いるかしら?」

「うん? 葵、どうした?」

「あ、圭介君。ちょっと白瀧君に用事があるんだけど、借りていっても大丈夫?」

 

 今まで顔を見せていなかった東雲さんが教室に入ってきた。

 小林さんは今一わかっていない様子だが目的はどうやら俺のようだ。おそらくは昨夜話していたことだろう。

 

「俺は大丈夫ですよ。小林さん、もし時間があるようでしたら二人の勉強を見てやってください」

「そうか? わかった、後は任せておけ」

 

 小林さんに勉強のことを引き継ぎ、俺は東雲さんと共に教室を後にした。

 

「それで東雲さん。一体俺は何をすればよいのでしょうか?」

「ついてくればすぐにわかるよ」

「一体どこに?」

 

 まだ何もわかっていない俺の質問に東雲さんは振り返ることなく歩きながら、ただ一言簡潔に答えを言った。

 

「――調理室よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――黒子のバスケ NG集――

 

 

 

「さて、ある程度見直しは出来たか?」

 

 ノートをじっと見つめている三人への呼びかけ。

 教える前にテスト範囲内の追試にも出ると予測される範囲を重点的に確認させていた。いきなり問題を解かせても頭に入らないだろうと考えてのことだった。

 

「まあ、一応」

「多分、なんとか」

「内容は頭に入ったと思う」

「……そうか。ならはじめていこう」

 

 若干気になる三人の返事だが、時間が限られている以上のんびりとしていられない。

 三人がノートを確認している間に目を通していたテストの内容を今一度確認する。

 

 神崎:英語0点、社会0点、理科0点

 

「もうどうすれば良いのか、俺にはわからない……」

「ちょっ、どうしたんだ要!?」

「いきなり泣き始めた!?」

 

 もしもこんな悲惨な結果だったら誰でもこうなる。


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