IH出場を手にし、さらに追試対象者も全員が追試という最大の難関を乗り越えた大仁多高校バスケ部。彼らは次の激戦へ向けて再び厳しい練習の毎日へと戻っていた。
大会への日時が限られている中、大仁多高校の練習は基礎練習を朝練に集中させて夕方はコンビネーション練習や実戦練習が主となっていた。
特に実戦練習は一軍メンバー内で様々な組み合わせを選択し、多種多様な試合展開に対応できるように。そして選手達がそのポジションのプレイを身に染み付かせるようにと密度が濃くなっていた。
「うおっ!」
「行った!!」
視線のフェイクと上体の移動に翻弄され、中澤は白瀧のドリブル突破を許してしまう。
中央からコートを左右に二分割するような鋭い切り込み。スピードは緩む事無く前方へ跳躍する。
たまらず黒木と山本が二人でブロックに跳ぶ。すると白瀧はボールを持っていた右腕を斜め後方へ振り下ろす。地面に叩きつけられたボールはワンバウンドして神崎の手へ。
「あっ!?」
「ナイスパス!」
「おう。お前も調子よさそうだな。ナイッシュ!」
「あっちゃー。やっちまったか」
フリーとなった神崎は自らスリーを沈める。
悔しがる山本を背に、一年生チームはお互いを鼓舞しながら並んで走っていく。
「皆調子はよさそうですね」
「ええ。やはり目標が定まったことで、皆さん燃えているようです」
その光景を頼もしいと思いながら藤代はコートの外で満足げに頷いた。隣では東雲が記録をつけている。
最近では白瀧をPGとして実戦形式の練習に参加させることが多くなった。理由としては白瀧にとって不足している司令塔の経験を積ませることにあった。
いくら並外れた技術と豊富な試合経験があるとはいえども不慣れなポジションでは長続きはしない。だからこそ視野を広げさせるため、より確実なゲームメイクを染み込ませるためにPGのポジションを慣れさせていく。
チームも彼がよく知っている一年生メンバーで固めた。二、三年生と比べると総合的な能力では劣っている一面もあるが、ポジションに適している一芸に秀でた強さを持っている。加えて白瀧との距離感も非常に近い。
そういった事情があって今の形に落ち着いた。結果司令塔として白瀧は着実にステップを踏んでいく。
「IHでも白瀧さんをPGとして起用することはあるでしょうから。今のうちに適正を強めておかなければならない」
全国で通用するのだろうかという不安はあった。しかし藤代の想像以上に白瀧の適応が早かった。
嬉しい誤算に頬を緩め、藤代は全体へ指示を出していく。選手達の立派な成長。チームを引っ張る身としてこれほど嬉しく思うことは多くないだろう。
全体の練習が終わると選手達はそれぞれ個人練習へ移る。
ドリブル、打ち込み、走りこみなど内容は様々だが、少しずつ練習の時間は以前よりも増えていく。全員が迫る全国を前に緊張感を覚えているということだろう。
トレーニングルームでもそれは同じであった。現在そこでは白瀧・光月・神崎・西村・本田のベンチ入りした一年生五人が練習に励んでいた。橙乃も場所を同じくしサポートに徹している。
「……お前、マジでおかしいんじゃねえの? どんなパワーしてんだよ」
「そうかな? まあ力は自慢だからね。これくらいはやっていかないと」
「くっそ、敵わないってわかるから余計に腹が立つ!」
すまし顔で自分よりも負荷が大きいトレーニングマシーンを軽々とこなしていく光月。そんな彼を苦々しく思いながら本田も黙々と力を腕に込めていく。
お互い同じ上腕のトレーニングを行っているが、元々の力の関係で同じ負荷で行うわけにはいかない。それを理解して本田も対抗心は仕舞いこみ、身に合った負荷で続けていた。
「そういやIHの組み合わせ発表っていつだっけ?」
「たしか来週か再来週だったと思いますよ。大体のところはもう決まっているし残っている激戦区は東京くらいじゃないですか?」
「そっかー。じゃあもうすぐ対戦相手決まるのか。ワクワクするな」
「ええ。できれば序盤のうちは“キセキの世代”とは当たりたくないですけどね」
「確かに。ただ四校もあるのにそんな綺麗に分かれてくれるものなのか。……しかし西村、お前体かなり柔らかいんだな」
「柔軟性は昔からあったんですよ。開脚して体を前の床にくっつけることもできますよ」
「うわ。お前もそういうのできるのか。俺は体固いから羨ましいよ」
神崎と西村は二人共にストレッチマシーンでストレッチを行っていた。
途中、神崎が西村の柔軟性に驚くこともあったが、こちらは衝突することなく会話も弾んでいる。性格が厳しいわけでもなく、ガードコンビでもあるので意外と相性は悪くはなかった。
「ほーら白瀧君。今のままじゃあ到底強くなれないよー」
「ぐっ、わかってる。だからこうして……ずっと体幹を鍛えようと……ハァッ!」
「はい。腹筋五十回終了。それじゃあ次背筋五十回。それも終わったらダイアゴナル行くよ」
「う、ん。橙乃わざわざありがとうな。でも少し休憩を」
「まだ8セット目だよ? 目標の10セットまで目前、終わったら休憩を挟むんだから頑張ろう?」
一方、白瀧は橙乃の協力を得て体幹のトレーニングに励んでいた。
予想以上の厳しさに藤代以上の厳しさを感じつつ白瀧は上体を起こしていく。
逃げようにも体の上に橙乃が乗っている為に逃げることもできない。最も白瀧の性格上、許可をもらえない限り逃げることはしないのだからこの考えは意味のないものだった。橙乃の笑顔を前に頷くことしかできない。
ある意味自主練習の中で一番厳しいメニューである。
「でもよかったの? 本当なら小林さんと上半身の強化をしていたのに……」
「え? あの、それを……今、聞くんですか?」
「うん。はい、15秒経過。手足を入れ替えて」
ダイアゴナルの最中、橙乃は今まで行っていたトレーニングを減らしてまで体幹を鍛えることに専念してよいのかと白瀧に尋ねる。
体を入れ替え、トレーニングに励みながら白瀧は彼女の疑問に答えた。
「藤代監督に体幹を鍛えたいって言ったら、グッ。それならIHまではこっち、を、優先してやりましょうと言われたんだ」
「藤代監督が? 意外」
「ああ。その方が可能性が高い、ってことらしい。やっぱり全国で通用する可能性が高いものを選んだってことじゃないかな?」
「ふーん。監督も何か考えがあるんだろうけど。あっ、15秒経った。次腹筋9セット目だよ」
終了の合図で白瀧の体が崩れ落ちる。多少の疑問はあったものの橙乃は深く聞くことはせず、次へ向けて彼の足を押さえつけた。
終盤になろうとも橙乃が甘やかすということはなかった。
ついに10セット目が終わり体幹トレーニングから解放されると、白瀧はようやく体を休めることができた。
「あー、しんどい。やることが多いから仕方がないことだが……」
「お疲れ。お前でも相当辛そうだな」
「ああ、ありがと。鍛える点が多いからな。それに上半身の強化は置いておくにしても、他にもやらなければならないことがあるから仕方がない」
「やらなければならないこと、ですか?」
床に座り込み水分補給をする白瀧に神崎がタオルを投げつける。
額にかいた汗を拭い、白瀧は自分で掲げた課題の重さを改めて思い知っていた。
傍から見ても彼の負担はよくわかる。にも関わらず体幹トレーニング以外にも別に何かあるのかと西村は首を傾げると白瀧は大きく頷いた。
「できればもう一つ、“キセキの世代”と戦う為に武器がほしいと練習している」
「え? ジャンピングシュートの他に、まだ他にもやろうってのか?」
驚きを含んだ神崎の問いに白瀧は頷く。
「でも間に合うんですか? 本番まで日が少ないのに」
「いや、元々これは中学の時から考えていたことだ。
ジノビリステップもそうだったけど、偶々先に実戦レベルまで身についたから試しただけ。練習は前からしていたんだよ」
本当にできるのかと言った風な表情の西村に白瀧は笑顔で返す。
元々新たな技については中学の頃からジノビリステップと同様に練習していたものだった。だがジノビリステップの方が白瀧は身につくことが早かった為に実戦で見せていたにすぎない。
「“キセキの世代”を相手にするんだ。手札は多いに越したことはない。なんとしてもIHまでには身につけないと……!」
握っているボトルに力が篭る。
“キセキの世代”の強さをよく理解している白瀧だからこそ抱く感情だった。
このままでは太刀打ちできるはずがない。勝利するには、誓いを果たすには更なる強さが欲しい。
だから今は立ち止まる時間なんてないのだと自らの心に鞭を打つ。
(……こいつ、本当に大丈夫かよ?)
その白瀧の姿を前にして神崎の表情が不安に染まる。
(確かにIHまでの日数は長くないけど。けどわかっていてもなんか、それとはまた別の焦りがあるような……)
まるで日程とは別の何かに急かされているようだった。少なくとも神崎にはそう見えて、「オーバーワークにならないよう、後で光月達にも相談しておくか」と判断する。
万が一白瀧に何かあれば大仁多にとっては大きな痛手だ。現状彼は“キセキの世代”に対抗できる数少ない戦力。エースの彼が離脱するようなことになれば士気にも影響が出る。
何よりもチームメイトとして無事でいて欲しい。たとえ“キセキの世代”と戦って、そして勝ったとしても、全員が揃っていなければ嬉しくはないのだから。
――――
「……いよいよ近づいてきたな」
「ああ、俺達の集大成となる大舞台だ」
体育館の一角で佐々木と松平がシューティングを行っていた。
さらに近くには山本と小林のベンチ入りしている三年生が集まっている。
彼らは最終学年。同じ時に入部し、今まで共に戦い抜いてきた歴戦の猛者だ。
「去年はベスト4まで行ったけど、今年はどこまで行けるかな、っと!」
「最後まで行くさ。今度こそな」
これは決して驕りではない。小林はそう本気で思っている。
そうでなければここまで勝ち抜いてはいない。昨年も勝利を信じ続けた結果全国ベスト4まで残った。ならば今年はそれ以上の結果を、優勝を掴み取るのだと。
ボールがリングを射抜いたのを見届けると山本は小さく息を漏らした。
「わかってるよ。正直、去年のWCは本当に悔しかったからさ」
「……昨年の三年生が引退した後の全国で、ベスト4から一転。秀徳に敗れてベスト16敗退」
「おかげで俺達の代は小林くらいしかいないって言われたときもあった」
昨年の夏こそ大仁多は勝ち残った。しかし上の代が引退した後の大敗により小林の代は所詮小林だけであると一部では話があった。
「そんなことは……」
「いや、別に良いんだよ」
そんなことはないと小林の否定の声を遮って、三人は続けた。
「だからこそ、このIHで勝ちたいんだ。俺達の代でそう思いこんでいるやつらの鼻を明かすんだよ」
「そうだ。まあ俺や佐々木はベンチだけどお前達と最後まで戦って引退ってのが一番いいからな」
「いつでも引退する覚悟はできている。でも、やっぱり最後くらいはきっちり決めようって」
最後の全国大会。出場できる・できないは関係なく、このチームで頂上まで上り詰めるという最上の結果を残して引退する。まさに理想的な目標だ。だからこそ理想を理想のままで終わらせたくはない。
侮られた世間の声を見返したい。その上で納得して引退したい。彼らが抱いている共通の思いであった。
「できますよ。今の皆さんなら」
そんな彼らの声を後押ししたのは藤代だった。東雲を伴って彼らの元に歩み寄る。
「監督……」
「私としても皆さんは特別な方だ。昨年のベスト4まで勝ち残り、翌年のIH。ようやく昨年のリベンジを果たせるわけですから」
「負けたらすぐ引退。そうわかっているけど、最後はいつもより長い夏にしましょう。負けてではなく勝って引退と言えるように」
全員が揃って頷いた。
IHの厳しさは知っている。しかしそれよりもこのメンバーでずっとバスケをしたいという思いの方が強い。
「……勝とう。最後の夏を、勝利で締め括ろう」
たとえどのような強敵が立ちはだかろうとも倒してみせよう。そう思いを込めて小林は笑みを深くした。
「司令塔としても主将としても小林さんのことは頼りにしています。
松平さん、佐々木さん。お二人もレギュラーに選ばれずともベンチで腐る事無くチームを支えてくれた。本当に感謝しています。
東雲さんはマネージャーとして陰からサポートし、試合ではアシスタントコーチとして引っ張ってくれた」
藤代が最後の戦いへ挑もうとする3年生に声をかけていく。
「そして山本さん」
「はい」
「副主将として常に小林さんをサポートし、チームを活気付けてくれた。
そして背番号6を背負って立派に戦ってくれた」
「……それほどでもありませんよ」
「あなたに背番号6を託した理由、覚えていますよね?」
「忘れられるわけないじゃないですか」
「ならば大丈夫です。全国でも活躍を期待しています」
最後に山本に、期待と信頼を込めて激励する。
多くのチームでは5番を背負うことが多い副主将。その中で副主将の山本が6番をつけているのには意味がある。それを理解して戦うのは気負う面が大きいだろう。
だが山本はその重責に沈む事無く、副主将としても結果を残している。
ならばこのまま世間を見返してくれと藤代は言い、山本が応えるように頷いた。
「皆さん、後悔のないようにできる限りのことをしましょう。
ここまでついて来てくれてありがとうございます。そしてもう一度、IHという全国の舞台で結果を残しましょう」
『はい!』
最後に藤代がそう締めて、その場を後にする。
ここから先は生徒達だけの方が良い、そう判断してのことだった。事実、彼らは最後だという緊張感はなく笑顔を浮かべている。
今の笑顔を引退の時にもさせてあげたい。監督として願い、藤代は歩みを進めていく。
「優勝、しないとな」
「……ああ」
「全国の最終戦で監督や小林さん達を胴上げさせてやろうぜ」
それを見ていた二年生達、次世代の選手達も強く願う。
先輩達を最高の形で見送ろうと。夢の実現の為、再び練習に戻っていった。
「士気は上々。冬のマイナスのイメージはない。となると後は」
「……藤代監督!」
「うん? おや、どうかしましたか白瀧さん」
監督室に戻る最中、藤代が今後の方針を考えていると白瀧に呼び止められた。
何か相談か、いやそのような顔つきではない。
用件について像もつかない藤代が白瀧の続きを待つと返答はすぐに来た。
「あの時の質問に答えていませんでしたね」
「質問? 何のことでしょうか?」
「県予選前、監督に『怪我は怖いですか?』とそう聞かれた時のことです」
そういえば確かにあの時の返答は受けていなかったと藤代は納得し、相槌を打った。
思い出してもらえたと理解すると白瀧は彼の意志を伝えるべく続ける。
「……俺はもう何も恐れない。もう二度と怪我が怖いからと逃げたりはしません。だからIHまでの間、どうか俺をもっと鍛えてください!」
もう弱さは見せないという大仁多のエースの意志の表れだった。
まだ恐怖があるだろう。だが勝利の為に一歩を踏み出した。
「そうですか。ならば更なる活躍を期待していますよ」
「はい。勿論です」
その言葉を聞き、藤代は満足だった。一つの質問を解決させると二人は別れていく。
選手達はそれぞれ結論を出して成長している。
自分も彼らに応えようと、藤代は願いを叶える勝利を手繰り寄せるべく思考を巡らせた。
――――
そして練習の日々は続き、金曜日。
全ての授業が終わり放課後を迎えるが、この日の大仁多は少し騒然としていた。
「……なんだろ。今日はいつもより廊下が騒がしいな」
「そういえばさっきうちのクラスのバスケ部員が急いで教室を出ていきましたよ」
「へ? 今日練習以外に何かあったっけ?」
予定ならばいつも通り練習に励むだけのはず。それなのに何故身内に理由があるのかと神崎は西村の呟きに首をかしげた。
「正確に言えば、偵察班の部員達だ」
「偵察班? ということはどこかで試合か?」
「ああ。今日は東京都の予選決勝リーグの初日だ」
「え! 東京、ってことは!」
白瀧の説明で事情を悟り、神崎の表情が驚愕で染まる。白瀧もゆっくり頷き、彼の考えを肯定した。
「“キセキの世代”のエース、青峰を擁する桐皇学園。三大王者の一角・泉真館。東京都の古豪・鳴成。そして秀徳を破った誠凛高校。今日まで勝ち残った四つの強豪が一堂に会する」
東京都代表の3枠を巡った戦いの幕開けなのだと。
おそらくどこが勝ち残ろうとも全国でも強敵として立ち塞がることが予測される。だからこそ大仁多も偵察部隊を東京へ向かわせ、敵戦力の分析を狙っていた。
「だから今日は偵察部隊に所属する部員達は練習には参加しない。
試合を観たい選手もやすんで良いと監督は言っていたが、先輩達は練習に参加するようだ」
「なら俺達も練習だな。試合を録ってもらえるなら練習したほうがよさそうだ」
「そうですね」
「でも要は、観に行きたいんじゃないのかい?」
“キセキの世代”との対戦を、そして旧友との再会をおそらく誰よりも望んでいる。一刻も早く彼らの姿を見たいことだろう。それなのに行かなくてもよいのかと光月の当然の呟き。だが白瀧は彼の言葉に反発した。
「俺だって当然行きたいさ。だけど、行くわけにはいかない」
「は? 何でだよ?」
「今日の試合は桐皇と誠凛だ。たしかに青峰をはじめ見ておきたい選手は多い。
だが、今誠凛の試合を観に行ったら俺は……冷静でいられる自信がないんだよ!」
怒りに満ち満ちた声だった。今にもあふれ出しそうなほど強く激しく、本田はそれ以上口を挟むことができなかった。
(こいつ……秀徳が、緑間が負けた相手を見ると感情を抑えきれなくなるってことかよ)
再戦を誓っていた友を破った誠凛に対する白瀧の怒りは相当なものだった。
白瀧も己の感情を自覚している。だからこそ観には行かない。行くことはできない。ここで自分を見失うということは一番愚かな行為だと理解しているから。本能を理性で抑えこみ、最善の選択を選ぶことにしたのだ。
「……ただ、桐皇学園は大丈夫ですかね? 予選で青峰さんは決勝を除いて全部遅刻しているという話ですけど」
これ以上この内容を話さないほうが良い。本田達は結論付けるが西村は青峰に抱いている不安を口にした。
誠凛のことを思い出させてしまいかねないものだったが、白瀧はかえって冷静な思考に戻ることができた。
「……青峰、か」
「ええ。ひょっとしたら今日の試合も出ない可能性が」
「それは、ちょっと嫌だな」
誠凛との試合を通じて緑間は変わることができた。ならばこの試合は青峰にとっても何かの切欠になるかもしれない。
少しでも可能性があるのならばその切欠をみすみす失わせてはならない。
白瀧は制服のポケットへ手を伸ばし、携帯電話を取り出すと旧友の番号へかけ始めた。
――――
「あー、ダリー」
桐皇学園高校の屋上。放課後で人影が少なくなった空間に青峰の姿はあった。
これから決勝トーナメントが始まろうというのに気にする素振りは見られない。むしろ何も知らないと感じさせるほどにだらけきっていた。
もしも緑間との対戦であったのならば彼も今頃胸を躍らせて集中力を高めていただろう。
だがその相手は敗れた。彼らを倒した誠凛という己の消えてしまった闘争心を取り戻せる相手とは思えない高校との対戦は、彼のやる気を下げることになってしまった。
どうせ結果は同じだ。己の勝利は決まっていて、燃え滾るものが何もない。
ならばもう少しやすんでいようと青峰の体から完全に力が抜け、意識が消えかけていく。
するとその彼の意識を取り戻すように青峰の携帯電話の着信音が鳴り響いた。
「ちっ! 一体誰だよ、こんな時に!」
眠りを妨げられた怒りを隠す事無く、着信相手の名前すら確認せず、乱暴に応答のボタンを押す。
「誰だよ!? 俺は今から寝る……」
『成程。やっぱり試合に向かっているわけではなさそうだな』
「……あ?」
懐かしい声。だが今かかってくるとは思えない相手の声が響く。
一度携帯電話を耳から離して相手の名前を確認する。やはり携帯電話は『白瀧要』という主の想像を肯定していた。
「何だよ? お前から電話とは珍しいじゃねえか」
『かけるかかけないか迷ったんだけどな。……今日の試合、行かないのか?』
手短に本題を白瀧は尋ねてきた。
試合というのは誠凛との試合で間違いないだろう。ならば青峰の答えは決まっていた。彼の質問を笑い飛ばし、吐き捨てる。
「つまらねえからな。緑間ならまだしも、火神とかいうヤツじゃあ足りねえよ。テツがいるとしても、俺抜きの桐皇に勝てるかどうかさえわからない相手とやる気には」
『青峰』
現状の不満を口にする青峰を、名前を呼ぶことで彼の先を遮った。
何か文句でもあるのかと言い返してやろうかと思ったが、白瀧はそのような会話をするためにこうして電話をかけてきたわけではない。
『試合に出てくれないか?』
「はあ? 何でお前がそんなこと頼むんだ? さつきにでも頼まれたか?」
『いいや。俺の個人的な願いだ』
「わからねえな。どうして誠凛と俺を戦わたい? 俺のデータが欲しいってか? 生憎だがそんなんじゃ俺には勝てねーよ」
『お前が変われるかもしれないからだ』
青峰の愚痴が止まる。
『変わるかもしれない』。それはすなわち青峰の願いが叶うかもしれないということだ。
『俺に勝てるのは俺だけだ』と考える一方で、自分と対抗できるライバルを青峰は求めていた。そのライバルが現れるのかもしれないと。
そんなことはありえない。しかしもしも本当だとしたら無視できる話ではない。
「……火神がそうだってのか?」
『緑間を倒したんだ。可能性はある』
「ハッ。テツがいなければ無理だったんだろ」
『そうだな。だが黒子の影を活かしているというだけでも素質は十分だ』
ありえない、そう青峰は断じても白瀧は引きさがらない。
「おい白瀧」
『なんだ?』
「テメエは火神に俺を倒させようって考えてんのか? お前は俺に勝つことを諦めたってのか?」
それがまるで他力本願のように感じられた。
『青峰より強い存在』という目標を自分では叶えらないから他人に頼もうと。まさかお前がそのような軟弱な選手になってしまったのかと、青峰は問う。
『そんなわけないだろう。だが、青峰。お前は言っていただろう。ライバルが欲しいと』
「ああ」
『だから、少しでもお前の可能性を広げたい。
俺はお前のライバルと呼べる存在ではなくなってしまったけど。だからこそ、少しでも早くお前と対等な存在を見つけたい』
「……それで火神か?」
『ああ。たしかにあいつも他の選手のように諦めるのかもしれない。それでも決めつけないでくれ』
もう信じることさえ辛い。青峰の思いがわかっている上で白瀧はもう一度頼む。どうか可能性を捨てないでくれと。
「チッ! ったくさつきといい、どいつもこいつもうるせえな。
テメエが全国決めたからって俺がお前の評価を変えたとでも思ったのかよ?」
『……少なくとも、ようやくお前達と同じ舞台に立てたとは思っている』
「ハッ! 白瀧、馬鹿かテメエは。変化なんてない、なにも変わってねえよ」
『そう、か』
決して驕っていたわけではない。それでも全国を決めたことで白瀧はかつての仲間に近づくことができたとは思っていた。
だが何も変わっていないという青峰の返答を受けて白瀧の表情が曇る。
少しでもライバルとして認めてもらえれば、話を聞いてもらえるかもしれない。そう考えてのことだったが、駄目だったというのか。
「いいぜ。出てやるよ」
『…………え?』
「出てやるって言ったんだよ! これで火神が雑魚だったら許さねえからな!」
『青峰。……ああ! その時は、全国で俺が楽しませてやるよ!』
「……言ってろ」
青峰が白瀧の頼みを承諾し、白瀧は笑みを零した。
駄目ではなかった。やはり少しは見直してくれたのかと嬉しさを覚え、全国での再会を約束し、二人は通話を切った。
「本当のバカか。俺以上のバカだろあいつは」
一人、青峰が空に向かって呟く。それは白瀧に告げることができなかった彼の本音だった。
「『ライバルと呼べる存在ではなくなった』だと? 何もわかってねえよ」
そんなことはない。変わっていないというのは『ライバルという存在に戻れていない』ということではなく、『最初からライバルという存在にお前はあてはまっていた』ということを意味していた。
それを理解せず、まるで自分を格下のように思い込んでいる白瀧に、青峰は精一杯の侮蔑を吐き捨てた。
「あの時からずっとそうだったじゃねえか。お前は……俺達は」
屋上から立ち去る際に青峰は昔を懐かしむように、かつて白瀧達と過ごした帝光時代の記憶を思い出していた。
――黒子のバスケ NG集――
「でも間に合うんですか? 本番まで日が少ないのに」
「いや、元々これは中学の時から考えていたことだ。
ジノビリステップもそうだったけど、偶々先に実戦レベルまで身についたから試しただけ。練習は前からしていたんだよ」
本当にできるのかと言った風な表情の西村に白瀧は笑顔で返す。
元々新たな技については中学の頃からジノビリステップと同様に練習していたものだった。だがジノビリステップの方が白瀧は身につくことが早かった為に実戦で見せていたにすぎない。
「“キセキの世代”を相手にするんだ。手札は多いに越したことはない。なんとしてもIHまでには身につけないと……あっ!」
握っているボトルに力が篭る。しかし激情のあまり力を込めすぎてしまったのだろうか。ボトルが変形し、スポーツドリンクが飛散した。
「……白瀧君」
「あ、いや、その、橙乃さん。わざとではない、です」
「片付けは良いから、ひとまず外周走ってきて。30周くらい」
「30!? いや、もうこんな時間に」
「返事はどうしたの?」
「行ってきます!」
「ダッシュね」
「はい!」
その夜、泣きながら走っているエースの姿が目撃されたとか。