――――
「いいから大人しく安静にしてろって言ってんだろ!」
「お前らしくない気遣いだな、本田。いつもなら『この程度でヘバってんじゃねえ』とか言う所じゃないか?」
「ふざけんな! 今の状態でそんなこと言えるか!」
医務室では本田と白瀧の激しい口論が続いていた。もっとも、白瀧は本田の荒々しい口調を受け流している状態だが。
落ち着きを取り戻している白瀧の様子は、彼が立ち直っているという証だ。だが精神は回復したとしても、足の怪我はすぐに治るはずがない。本田はこれ以上の負担はかけないように制止を呼びかけるが白瀧は頷こうとしなかった。
「何事です?」
「あっ、監督!」
「先ほどは……すみません。試合の最中であるというのに、ご迷惑をおかけしました」
「そちらは仕方のない事です。むしろ今の方を私は気にしているのですが」
藤代が橙乃を伴って医務室に入る。入室に気づいた白瀧が先ほどの離脱について頭を下げるが、不慮の負傷について責めるつもりはない。怪我をしてしまったならば選手はその時点で下げなければならないのだから。それよりも何故今白瀧が抗議しているのかが問題だった。
「橙乃さん、白瀧さんの症状は?」
「……右足の捻挫。全く歩けないわけでは無いようなので軽症みたいです。しかしRICE処置を済ませたとはいえ、これ以上の運動続行は不可能です」
「よくわかりました。――本田さん、あなたは先に控え室に戻ってください」
「え。あっ、了解です」
怪我の程度を聞くと、藤代はまず本田を控え室に戻るように促した。本田が退出すると藤代は白瀧の真向いの椅子に腰掛けて話を聞く。
「橙乃さんから怪我については聞きましたか?」
「はい」
「賢明なあなたならば理解しているはずだ。冷却によって痛みはマシになっているかもしれませんが、これ以上試合に出続ければ怪我の悪化は避けられない。捻挫とはいえ甘く見れば一、二ヶ月は運動できなくなるかもしれない。それなのに何故『試合に出させてくれ』なんて無茶を言うのですか?」
白瀧は理解が悪いわけではない。自分の怪我を知れば、無理が禁物であるという事はわかるはずだ。
それにも関わらず白瀧が頑なに出場するという無理を押し通すのか納得できなかった。
「本田から聞きました。俺がいなくなってからの第二Qの動向を」
「聞いたのですか? ……ですがそれならわかったはずだ。光月さんが紫原さんと互角に渡り合えるようになり、大仁多の士気は高い。大きな不安は」
「ありますよ」
第二Qの内容を知った白瀧は余計に試合に出なければならないという思いを強めたという。
「まだ十五点差。紫原も完全に打ち倒せたわけではない。加えて――このままでは明は第三Q終盤近く、あるいはもっと早くに
第二Qの躍進の源となった光月が、後半戦で危機に陥ると察した為に。
「崩れる、ですか? どういう意味です?」
「俺も確信はないので詳しくは。ですがもしそうなれば紫原に対抗できる選手はいなくなる。そもそもの話、キセキの世代を相手に戦力を欠いたまま挑むのは下策でしょう?」
「何を言うのですか。どんな状況下であろうとも、怪我が悪化する恐れのある選手を試合に出すなど――」
「監督。説得は無駄ですよ。俺は退きません」
認められるわけがない。藤代は白瀧を止めようとするも、監督の言葉を遮って白瀧は自分の意志を告げる。
「俺は県大会の後、藤代監督の問いかけに対する答えを出しました。もう怪我を理由に逃げたりはしないと答えたはずです」
「それとこれでは話が全く異なるでしょう。すでに足を負傷した今、これ以上の負担を強いるわけにはいかない。……何もエースの役割は点を取るだけではありません。あなたのその気持ちだけでも十分です。そこまで試合が気になるならベンチで応援してください。あなたがいるだけでも他の皆はきっと勇気づく」
白瀧が語るのはかつて藤代とかわした問答のことだ。しかしその内容は、あくまでも通常から怪我を恐れてはならないという意味のものであり、怪我の悪化について語ったわけではない。
チームの心配をする気持ちは理解できる。彼の責任感についても納得できる。だからどうか応援に徹して、戦う以外にも役割はあるのだと――藤代は再び絶対に口にしてはならない言葉を言ってしまった。
「違う! それは違う!」
「白瀧さん……?」
突如体全体を震わせて、白瀧は強い口調で藤代を否定した。
ただ事ではない反応だった。腰掛けているベッドを両手で握り締めて、視線を落として、白瀧は己の感情を静かに爆発させる。
「俺は、監督が考えるような優れた人間じゃない。いるだけで何か役に立てるような大層な人間じゃない。同じように後を託されておきながら何も成せず、何も果たすことは出来なかった」
「……は? 何を、言って」
「あの時ほど自分の無能を憎んだ事はない。自分の不能を呪ったことは無い」
知る者だけが知る、帝光中時代の話だった。指導者に期待されたものの仲間が苦しんでいる中支えの役割を果たせない。しかも怪我の再発を防ぐ為という理由でもう少しのところで仲間を完全に見放してしまうところであった。
あの頃に懐いた暗い思いが、白瀧の心に渦巻いていた。
「わかったんです。俺は、戦力としてでしかチームの役には立てない。俺が仲間の為にできるのはその一点だった」
「そんなことは!」
「お願いです。俺は選手です。コートに戻してください。仲間の元に」
ようやく顔を上げた白瀧の目には涙が溜まっていた。
白瀧は仲間が傷つく中、黙ってみている事しか出来ない状況を耐えられなかった。もう誰かが傷ついていると、傷ついてしまうと気づいたならば、放ってはいられない。自分の状態なんて関係ない。
「それとも……また俺を、飾り物にするつもりですか?」
そうでなければ自分に価値は無い。ただ存在するだけで役に立たないものに成り下がるだけ。
「――ッ!? まさか」
ここまで言われてようやく藤代は気づいた。
「ずっと、気にかけていたというのですか?」
『飾り物』――この言葉はかつて藤代が白瀧にかけたものだった。かつての発言が、白瀧をさらに追い詰めてしまったのではないかと理解したのだ。
「確信を持ったにすぎません。戦わなければ意味なんて無いんだと」
「ちょっと、白瀧君!」
「戦わなければ誰も救えないし何もできない。――あの時の俺のように」
言いすぎだと橙乃が指摘するが、白瀧は止まらなかった。
帝光中時代の事を思い出しながらさらに話を続けていく。
「監督、あなたにわかりますか。大切な人が無力を嘆き、縋ってきた時、この身に突き刺さった重みと辛さ。戦えないから懐く悲しみを。――俺はあの選択を後悔していません。誰に何といわれようとも、誰かを救うという選択を間違いだなんて思わない。その為に戦うという行いを間違いだなんて言わせない!」
どんな言葉を並べられても、自分を頼って目の前で涙を流した女の子の姿を忘れることは出来なかった。
「だから、俺からバスケを奪わないで下さい」
ゆえに戦う道を奪わないでと、否定しないでくれと切実に頭を下げた。
涙が頬を伝ってベッドの上に落ちる。
ただひたすらに仲間の事を思っての発言に、藤代は直視し続けることが出来なかった。視線を背後の入口へと向け、最終的な決断を下す。
「………ッ。しばらくの間はここで休んでいてもらいます。まだ大仁多に流れがあるのは確かだ。万が一、貴方の予想通りに光月さんに何かあったならば、その時は伝令を出します」
「監督!?」
「あくまでも私が必要と判断したら、です。私は貴方の予想が外れることを願います」
精一杯の妥協案だった。確かに光月の働きがなくなってしまえば紫原を止められなくなるのは事実である。
ならばせめて出来る限り白瀧の負担を減らそうと考えられる中では最も配慮した意見を述べた。
「はい。ありがとうございます」
「……橙乃さん。それまでは頼みます。足の処置をしっかり行っておいてください」
最後に礼を言われたものの藤代は返す言葉が思いつかず、橙乃に処置を任せて医務室を後にした。
扉が閉まると、近くの壁に背中を預けて天を見上げる。
「十五歳で、あれ程の覚悟を持っていたというのか」
とてもついこの間まで中学生だった者の発言とは思えない。悲しくも強い確固たる意志。そんな彼を追い詰めてしまったというのが、たまらなく悔しい。あんな事を言わせてしまった自分が恨めしい。
「そんなつもりで言ったのではないのですよ。――申し訳ない。」
藤代もわかっていた。白瀧がかつての出来事を引きずっているということくらい。だからこそ練習メニューを上半身の強化からインナーマッスルの強化に変え、少しでも全国で戦ってもらえるようにと配慮もした。しかしあの言葉だけは、言ってはならないものだった。白瀧に悲しい決断をさせる最悪の引き金の一因となってしまった。
「大きな悩み事を抱えているようだな、藤代」
藤代がかつての己の選択を後悔していると、廊下を歩いている人物から声をかけられた。
「……白金さん。お久しぶりですね」
高校からの見知った人物、藤代と同じく監督を務めている白金だった。
洛山高校監督、白金永治。
「医務室から出てきたことを考えるに、そちらのエースの事か」
「ええ。――試合に出すようにと頼まれましたよ」
「怪我をしたと思っていたのだが、了承したのか?」
「彼の意志に折れたという形ですね。情けない話です」
監督としては決して正しい判断とは思えない。いくら苦しい試合であろうとも負傷者を出場させるということは認めてはならないことだ。
「白金さんならば、試合に出しましたか?」
答えはわかりきっているがあえて藤代は白金に問う。
「私がお前の立場だったならば、きっと強引にでも止めていただろう」
「そうでしょうね」
「だがもしも私がお前だったならば、おそらく出していた」
予想通りの返答に納得し、だが続けられた答えに驚愕した。
似たような意味合いだ。言葉遊びと取れなくも無い。藤代の過去さえ知らなければ。
「……高校時代、プロチームでも活躍し日本代表に選ばれながら、その日本代表の試合で膝を負傷。それでも無理して試合に出続けた結果、最後まで日本代表としては戦えなかった『悲劇の天才』、藤代雄一ならば」
白金は胸元にある手帳から一枚の写真を取り出し、その写真を眺めた。
写真に写っているのは当時の日本代表で共に戦った面々だ。世界大会後、日本代表として共に戦った面々が映っている。
4番、白金。5番、中谷。7番、相田。8番、原澤。9番、武内。そして女子の日本代表として出場していた荒木。
今でも強豪校の監督を任されている者達の若かりし頃だが、6番のユニフォームを着ていた藤代はいない。途中で怪我をしてしまい、最後は選手として出場できなかったためだった。
「……代表の際に背負った背番号である6番。この番号を毎年主将以外の頼れる存在に託しているのは、お前が自分の意志を託しているからだろう。お前とて、過去の自分の選択を否定していないからだ」
今年ならば山本がその対象となる。副主将であり、昨年の悔しさの雪辱に燃えている彼に、自分の意志も託していた。
「だからこそだ。お前は自分の判断は間違いであったと、自分で決め付けるというのか?」
あの時の藤代も今の白瀧と同じ考えだった。
チームの為に、仲間の為にと体を張った。その選択を今でも間違いであったとは思っていない。
ならば同じ立場の選手を否定するなと。白金は遠まわしに言ってその場を後にした。
――――
「橙乃。改めてテーピングを頼む。動けるようにキッチリ固めてくれ」
強引ではあったとはいえ藤代の許可は貰った白瀧。藤代が部屋を去った後、橙乃にテーピングの巻き直しを頼んでいた。監督の采配次第ではあるものの、出番はあるだろう。そう考えてのことだったのだが。
「……嫌だよ」
「ん?」
「だって、そうしたら試合に出るでしょう?」
だが、橙乃はその白瀧の頼みを拒絶する。白瀧がふと橙乃の顔を見ると、彼女は今にも泣いてしまいそうな表情を浮かべていた。
(ああ。まあ、そうだよな)
先ほどは監督を説得する事に精一杯で彼女を気遣う余裕さえなかった。少しでも考えれば、先の問答がどれだけ仲間に心配をかけるようなものであるかはわかるはずだというのに。
「さっき監督も言っていた様に、今無理に出れば怪我が悪化しちゃう。それなのに送り出せるわけないでしょ?」
「そうだな」
「ただでさえ相手はキセキの世代。もしも出たなら、白瀧君はきっと無理をする。だから、送り出した時点で、あなたの怪我は悪化すると決まっている。違う?」
「……可能性は高い」
橙乃の的を射た指摘は否定できない。可能性は高いどころではない。もしも白瀧の予想通りの展開となれば、それは無理をしなければならない状況だ。
だから橙乃の言うとおり、白瀧が出る時点で怪我の悪化は避けられない。これ以上傷ついて欲しくない橙乃にとってはここで白瀧を止める行為は最善の選択だ。
「お願い。皆を信じて。大丈夫。皆ならきっと白瀧君の思いも背負って戦ってくれる」
「確かに。明も今の状態が続いてくれるならば可能性はあるだろう」
「それなら!」
「だけど絶対が続くなんて幻想はありえない」
聞く限りでは第二Q終盤の流れは悪いものではない。特に光月の活躍が続けば大仁多は陽泉に、紫原に食らいつくことが出来るだろう。白瀧の不安も必ず的中するわけではない。だからあるいは彼の不安は無用のものになるかもしれない。――それも絶対ではないが。
「悪いが俺は絶対なんてものはもう信じられない。そして絶対が存在しない以上は備える必要がある」
白瀧は昔のように、甘い理想は信じられない。だから彼は準備をすると聞かなかった。
「頼む。行かせてくれ。俺はこういう時の為に戦えるように、練習してきた」
「こういう時の為にって、自分が怪我をしたとしても?」
「……なあ、橙乃。ジェリー・ウェストという選手を知っているか?」
「え?」
両者共に必死の説得を続ける。お互い一歩も譲らない中、白瀧はかつてNBAにその名を轟かせた選手の名を挙げる。
「俺がもっとも尊敬する選手の一人だ。といっても、現役の選手ではないけれどね」
ジェリー・ウェスト。レイカーズで活躍し、殿堂入りも果たしているNBA屈指のクラッチシューターである。選手引退後もバスケ界の役職に就き業績を挙げている。
「彼はファイナル最終戦、それまでの試合で痛めた足を引き摺って強行出場。チームが劣勢の中、トリプルダブルを達成する活躍で味方を盛り上げ、MVPに選出された」
※ファイナル:NBAでシーズンのイースタンカンファレンスの王者とウェスタンカンファレンスの王者が対決し、チャンピオンを決定するシーズン最後のイベントの事。
ウェストがかつて偉業を成し遂げた話をはじめた。最高の舞台で見せた、最大の働きを。
「その話を聞いた時、俺は『エース』というものはどんな存在なのかと思った」
白瀧は彼の活躍に感銘を受けた。そしてその試合で今懐いている役割を自覚できたと言う。
「怪我に屈したりはしない。どんな強敵が相手であろうとどんな絶望的な状況下であろうとも奮闘し、味方を奮い立たせる」
「だから出るって言うの?」
「そうだ」
即答だった。迷う事も無く、当然のような反応だ。
橙乃は察した。これ以上白瀧を言葉で説得する事は不可能だと。お互いが望んでいること、正しいことを思っていることをしているのだ。その思いは強く、折れることはない。
理解した橙乃は大きく息を吐き、呼吸を整えてから、話を切り出した。
「……こんな時、女の子は素直に応じて『頑張って』って言うのが正しいのかな?」
「は?」
「でも、今は正しいとかどうでもいい」
白瀧の目の前でしゃがむと、ゆっくり白瀧の両手を包み込むように握って、彼の顔を見上げる。
「お願い、行かないで」
そう言った橙乃の頬を涙が流れた。正論で彼の意志を止められないならば、せめて彼の心を揺るがすことができれば。
「――己の不幸を嘆いて立ち止まる時間は中学で終わらせたんだ。俺はこれ以上立ち止まるわけにはいかない」
だがそんな女性の涙さえ無視して白瀧は戦うという事を選択する。
感情に訴えても効果は無い。もはや彼は機会が来れば必ず出るのだろう。
普段ならばこのような女性の願いには率先して力になるというのに、こういう時に限って聞き入れてはくれない。変なところで意固地な彼の生真面目さが、今は嫌になってしまう。
「……白瀧君のそういうところ。私、嫌いだよ」
「ッ――」
橙乃は懐いている感情とは真逆の言葉を告げる。彼女の涙ながらの訴えに、白瀧は寂しげに表情を歪めた。
わかっていたはずだ。自分の考えや行動は万人受けするものではない。王道とは外れた、色んなものを犠牲にする棘の道であるということくらい。たとえそうだとしても前に進もうという決心をしたはずだった。
それでも、親しいものに拒絶されたとなれば白瀧の心は痛んだ。
(何を一丁前に傷ついているんだよ、俺は)
目の前で女の子を泣かせておいて傷つく資格もないというのに。
(これでは黒子を責められないな)
橙乃が無言でテーピングの巻き直しをしてくれる中、白瀧の脳裏にかつて同じチームメイトであった、一人の選手の顔が浮かぶ。彼は大切な女性に涙を流させた。その理由から無二の友達に嫌悪の念を懐いていたというのに、今自分も同じように親しい女性に涙を流させている。もう大切な人の涙を見たくないと願っていたはずの自分が。
今すぐにでも涙を止めてあげたい。そう願いながら、だが白瀧は感情を口にはしなかった。
(俺は知っている。力が及ばなくなった時に懐く苦痛を。危機に陥った時に襲い掛かる絶望を。そんな時に救ってくれた仲間の温かさを。俺は知っている)
「待っていろ皆。すぐに俺も戻る」
――もうお前達を一人で戦わせはしない。
やって来るであろう危機に備える白瀧。決心は誰にも変えられない。
――――
『
「ようし、行くぞっ!」
『おう!』
第三Qが開始した。
大仁多の面々の士気は高い。選手の変更もなく、このまま勢いを持続させたいところである。
「光月さん」
「はい?」
選手がコートに入ろうと立ち上がった中、藤代は後半戦の鍵を握るキーマンの光月を呼び止めた。
「……先ほど言ったようにもしも戦況が厳しくなるようならば白瀧さんを出します。いや、彼は自分から出てくるでしょう」
「わかっています」
「ゆえに頼みます。今、紫原さんを倒せるのはあなたしかいない」
インターバル中に藤代は後半戦で白瀧を出す可能性を選手達に示唆した。彼との会話の詳細を省いたとはいえ、選手達も白瀧が自分の意志で監督に進言した事は感じ取った。
「はい。大丈夫です」
だからこそ無理はさせない。
今までの光月ならば緊張し、体を強張らせていただろう言葉に、光月は力強く頷き、コートへ入って行った。
「さあ始まったぞ! 後半戦、第三Q!」
山本が小林へとスローインし、後半戦が始まった。
大仁多ボールからの試合再開。陽泉のディフェンスが変わらず2-3ゾーンを展開している事を確認し、小林はオフェンスを組み立てた。
二度、ボールをインサイドの黒木、ハイポストの佐々木へと入れた後――本格的に仕掛けた。ドリブルで福井を引き付けてゴール下へボールを供給する。
開始早々、光月と紫原の一騎打ち。
「……ッ!」
「――ィッ!」
光月は片手でドリブルをつきながら紫原を押し込む。先ほどまでならば押し勝てなかっただろうが、今は少しずつではあるがゴールに近づいていく。
(力を一切逃さない、100%のパワーを発揮するフォームだ。無駄が無くなった状態ならば、両手でドリブルをつかなくても押し込める!)
フォームを意識した事によって光月の真価が発揮された。藤代の目から見ても光月の姿勢は洗練されたものだった。制限区域内へ入ると、ゴール側へとロールターン。両腕を上げて紫原のブロックを誘った。
「このっ!」
(いける!)
シュートフェイクを見破ったのか跳躍は浅い。きっとすぐに立て直すだろう。だが二度目のブロックならば押し勝てる。光月は一度下げたボールを右手に持ち替えてダンクシュートを狙った。
「させんぞ!」
「なっ!?」
すると、真正面の紫原ではなく横から跳んできた巨体が光月のシュートを阻んだ。
ブロックしたのは岡村だった。光月の腕ごと叩いて強引にシュートを防ぐ。
当然ボールは零れ落ちるが、誰かが確保する前に審判の笛がなった。
『ファウル。黒4番! フリースロー、ツーショット!』
岡村のディフェンスファウルが通達される。これによって光月にフリースロー二本の権利が与えられたものの、光月以外の大仁多四人の選手達に嫌な予感がよぎった。
(コイツ、今のわざとか?)
「小林。まさか陽泉は」
「おそらく、な」
「……ハック戦術ですか」
黒木の問いかけに、小林は小さく頷いた。
(最悪だ。陽泉にとってこれほど
ハック戦術あるいはハック・ア・シャック。かつて県大会予選でも光月への対策として敵チームが行ってきた戦術だ。フリースローが苦手な敵がシュートを行う際に意図的にファウルを行うことで敵にフリースローを外させて失点を抑えるという戦術である。
(光月のフリースロー成功率、さらにリバウンドに参加する人員を考えれば、確かに陽泉の失点する可能性は限りなく低い)
光月は誠凛戦などIHでもフリースローを決めることが出来ていなかった。そして光月がフリースローを撃つとなれば当然彼はリバウンドに参加できず、しかもオフェンス側は二人しかセットできない。対する陽泉側は紫原、岡村、劉の二メートル以上の選手達が全員備えることができる。圧倒的に陽泉に有利な状況だった。
「……光月、リバウンドには俺と黒木が入る。お前は気負わずにな」
「思いっきり撃て。それ以外は考えなくていい」
佐々木と黒木が光月へ声をかけた。彼自身も苦手な場面、不利な状況だと理解しているだろう。少しでも気を紛らわせようと肩を叩く。
「はい。万が一の時はお二人にお願いします」
「――ん?」
ふと、これまでのフリースローを撃つ時の彼とは様子が違う事に二人は気づいた。
全員が準備を整えると審判が光月へボールを手渡す。
ゆっくりと二回、三回とドリブルをついてリズムを作り、丁寧にボールを放った。光月が放った一投は綺麗にリングを射抜いた。
「なっ――!」
「入った!」
「……まぐれじゃ、まぐれ!」
「ナイス光月!」
(大仁多)26対40(陽泉)。予想を裏切る成功で敵味方に衝撃が走る。
そんな中、光月はもう一度審判からボールを受け取ってゆっくりと先ほど同様のルーティンを行った。
(何でだろう。要と同じようにやると、入る感じがする)
このルーティンは白瀧がフリースローの前にやっていたものと同様のものだった。光月にとって彼は『最もバスケが上手く頼れる同僚』という存在。『彼のように撃てばきっと入る』と考えて実践することにより、フリースローに最も必要である落ち着きと成功するイメージを手にすることが出来た。
フリースローのキーワードを見つけた光月の二投目も、先ほどと同様に決まった。
「……ッ!」
「おい。二連続はさすがにまぐれじゃねえんじゃねえか?」
「弱点が、一つ消えた?」
「ナイス光月!」
「二本とも決めるなんて初めてじゃないか!?」
(大仁多)27対40(陽泉)。点差は十三点。
試合再開の早々に対策変更を考えさせられる陽泉は冷や汗を浮かべ、思わぬ味方の成長を感じ取った大仁多は歓喜の声を上げて光月を讃えた。
「そうですね。今なら、何でも出来そうです」
――光月、止まらず。
――黒子のバスケ NG集――
「……こんな時、女の子は素直に応じて『頑張って』って言うのが正しいのかな?」
「は?」
「でも、今は正しいとかどうでもいい」
白瀧の目の前でしゃがむと、ゆっくり白瀧の両手を包み込むように握って自分の胸元に押し当て、彼の顔を見上げる。
「お願い、イカないで」
そう言って橙乃は妖艶な表情を浮かべる。正論で彼の意志を止められないならば、せめて彼の心を揺るがすことができれば。
(己の不幸を嘆いて立ち止まる時間は中学で終わらせたんだ。俺はこれ以上立ち止まるわけにはいかない)
「はわわわわわわ」
橙乃が手段を選ばない場合。白瀧の決意が震度五で揺らいだ。これでも気絶しないよう堪えている。
ジェリー・ウェスト:NBAのロゴモデルになる程の名選手。