「リソース頼りの戦闘をしている限り、私には勝てない。分かっていたでしょう、ウェットフラワー」
ウェットフラワーの優位性は完全に消滅し、ただ
キョウカ・ナカムラの放つ力学の応酬に逃げ回るだけでも脂汗が流れるばかりだが、殊更に酷いのは能力に対する理解度である。
明確にキョウカが上回っていた。いくらウェットフラワーが弱点を露出させても、上回る速度で隠蔽が行われる。ウェットフラワーがどこで弱点を露出させ、どう扱いたいかを常に理解できているのだ。そして反作用で打ち消すだけの余裕と認知能力も持ち合わせている。
腕がへしゃげる。常に降り注ぐ重力の塊に巻き込まれたようだ。呻きながら再構成して走り出す。
「時間もないでしょう? 貴女のフェーズ2はそれほど長く保たない」
『その通りだ、アレイ。変身を解け、下がるしか無い』
下がれない。
魔法少女と名乗るからには無辜の民を守らなくてはならない。バニティラビットの簡潔な教えを彼女は守り続けていた。
「それでも…………っ!」
即ち我々は、人類を守護する者である。
腕を構え直そうとする時に、じわりとウェットフラワーは顔を歪めて一瞬だけ動きが止まる。ついさっきから耳鳴りがじわじわと大きくなってきていて、とうとう行動に支障が出ているようだった。
蝉の鳴き声、音だけではなく頭の中にずっと響いて支配して、
「では」
【これで終わりにしましょうか】
脳に響く音が、ただ頭を這いずっていた暴力性を引きずり出してくる。まるで命令をされているようで、あるいは囁きかけられているようで、頭が甘く
蝉の鳴き声で世界のすべてが覆われて、ただ乱暴な生殖欲求で共通化された認知が年端もいかない少女に叩きつけられる。ベタつきそうなほどに舌にへばりつく快楽の味と、喉の鳴りそうな体の欲求の綯い交ぜになった激しい
キョウカはそれで全ては終わったと言わんばかりに姿を消し、ただ這いずってうめき声を上げ続ける少女だけが取り残された。
「遠い…………遠い! 遠い、遠い遠い遠い遠い!」
『持っていかれるんじゃない!』
寒さと暑さと痛みと快楽と緊張と弛緩と破滅と再生のミルフィーユ、あるいはそれら全ての中央値。集合された神経の持つ濁流がウェットフラワーの脳髄を這いずり回り、跳ね回る感情にすら快楽指数と耐え難い苦痛を帯びる。
暴れ始めたブラッディーブルームの姿は前後不覚としか思えないが、迫りくる”それ”達の騒音の中ではその破砕音は掻き消されてしまう。
猶予は数分とない。少女は呻き暴れている。どうにもならない濁流に耐えかねて。
接近に焦るのは、むしろ彼女に住み着いた
『殺されるぞ! 聞こえているかアレイ・レッドフィールド!』
言葉無き時代、あらゆる交渉は暴力と策謀の中にあった。
今日は言葉と歩み寄りの日だろうか?
いいや、”彼女達”が来ればそれだけは起こり得ない。
「
それは名前通り桜の化身である。宝石のように透き通り輝く四肢は桜の色の輝きを放ち、体中から溢れ出るリソースは桜吹雪の形を取って彼女の周りを覆っていく。
あまりに簡素なそれが変身体であり、ほとばしるようなリソース反応はウェットフラワーから見ればキョウカ・ナカムラとそう大差無いようにも感じる。
最も、今の彼女に見る暇はない。それどころか目が合うなり鎌を振り上げ叩き下ろす。
「落ち着いてください。まだ戻ってこれるはず」
その鎌は届かない。厳密には
複眼が
その威力と速度はウェットフラワーの比ではなく、見るものが見なければほとんどは淡い色の軌跡がウェットフラワーに突き刺さったようにすら見える。
「時間は稼ぎます。今対話してください、あの数をここに捉えて処理するのは無理です」
そのまま
すぐさまにへしゃげた体で起き上がった
血が流れた。肉が抉れ、彼女の口からも血が滴り、流れてせき切るように吐き出した。それでも、
『おい女、大丈夫なのか!? さっさと逃げろ!』
「逃げる訳がない」
鋭く、静かで、それでいて重い。ウェットフラワーの中でずっと喋り続けていた…………グレモリーが、
震えていた。血を吐きながら、痛みに悶えながら、しかしそんなことは彼女にとってどうでもよかった。
「子供にこんな事をさせて、黙って見ている人間になるつもりはありません…………アレイ・レッドフィールドはまだ戦っている。私も最後まで見届けます」
魔法少女という言葉づかいが、どれほどの人間の肩の荷を下ろしたのかを軽視する必要はない。
事実としてどうにもならないことはある。任せるしかない日もある。諦めが肝心なことだってある。誰だって、かっこいいヒーローにだけなって生きていけるわけではない。
だがそれは、結果論に過ぎない。
少女は戦っている。人々という重すぎる問題を背負わされて、おおよそ似つかわしくない戦場に立ち、傷つき、時には壊されて、殺されて。
それでも其処に居るのだ。
それは魔法少女だからではない。
彼女達自身が、そうするべきだと信じ。そうし続けているからである。
「時間は稼ぎます。だから戻ってきてください、アレイ・レッドフィールド」
大人として切り離された人間は無力だろうか?
違う。無力であることを嘆く限り、全てが無に帰すことなど無い。
「この街は、これからも。まだ、貴女が守らなくてはいけないのだから」
公安第壱対獣課”IGNITER”、Pathclock。あるいは”大祓”。
その言葉の重みは、彼女達だからこそ誰にも言い表せない重力を帯びている。無力感と、葛藤と、怒りと、虚しさと、悲しさと。
それすら燃やし尽くして進むしか無く、それですら未だ全てを焼き切るに足らず。
今この瞬間のみ、全ての後顧の憂いを絶つまででしかなかった。
「IGNITE-PROTOCOL、自動承認。神経拡張開始…………終了」
起動プロトコルを追う毎に
何度も何度も切り裂かれた。それでもその瞳は曇らない、敵を見誤らない、何も疑わない。
Pathclockが裁くのは法に基づく問題のみだ。”民間人”に決して刃を向けることはない。
「装填終了、点火。”IGNITE-PRESSURIZATION”」
同時に放たれるは桜の奔流。巻き込まれたものはまるで時が止まったかのように急速に減速していき、それは太陽光ですら遅延する。あるいは風、心拍数、世界そのものを。
IGNITE-PRESSURIZATION。
これは賭けだった。
だが、もしもアレイ・レッドフィールドが帰還したならば。あるいは、何らかの転機が訪れたならば。
大祓らしからぬ賭け事だ。
ずっと
彼女が再生するのは、ルーシーを見つめることしか出来なかったあの日の災害。痛くて、苦しくて、息がつまるようなあの記憶。
押しつぶしてくるような獣の身体が重くて重くて仕方なくて、今すぐ破裂して死んでしまえと呪っていた。
何もかもがじっとりと湿った粘着質な記憶の中、ずっと彼女の頭の中はそれとは別の感情が強くうずまき、それがハイブマインドの中でずっと
【私はなぜ、無力なのだろう】
彼女は呪いも祝福もなかった。意味もなく、必要もなく、これからも手にすることもなかった。
それはもう嫌だと思った。何かを失いたくない、誰かが失うのを見たくない、せめて自分ではなく他人だけは。世界にこんな事が横行して、当たり前になってはいけないのだ。
ただ、それをどうすることも出来ない。下半身を蠢く異物感と、連れ去られていくだけの親友を見て、彼女はもう何かが砕けてしまっていた。
世の中を漠然と信じて生きてこれた少女には、あまりに酷な急転直下だからだろう。不条理は境遇を選んだりはしてくれない。
【いっそ】
そう、いっそ。
この言葉が最後の絶望だった、彼女の真上を彗星が駆け抜けていく。それは比喩ではなく碧い尾を引いた一人の少女の姿であり、同時に本当に彗星と何ら違いのない速度と、輝きと、願いを持っていた。
あっという間に砕け散った
通りすがっただけの”魔法少女”は彼女の元まで駆け寄って、彼女の無事を見た時にまるで、自分まで助かったんじゃないかと言うぐらい、安堵した表情を見せる(少なくとも、アレイにはそう見えていた)。
『大丈夫…………?』
後の言葉は何も覚えていない。
アレイはただ、その時にはっきりと決意したことだけを覚えている。
希望を貰ったのだ。此処からは己が希望で在り続けなければならない。
「あぁ――――――ッ!」
怒号とともに鎌が止まり、同時にアレイの叫び声は止まったままの世界を駆け巡っていく。
それはあの日の慟哭の残り香で、あるいは忘れることのない後悔と決意の象徴。魔法少女とは単なる華やかな子供ではなく、苦痛を背負ってなお走る求道者の別名でもある。
ブラッディーブルームの体が赤い色に輝き、砕け、中から少女が降り立つ。砕けて散った体が再び戻り、急速に装甲として彼女の体を覆い尽くし、今までとも似ても似つかない…………姫騎士にも似たドレス状の装甲を搭載する。
迷いは失せた。声は聞こえていた。
待っていてくれた人がいる、自分が忘れかけていた希望を、自分よりも信じてくれていた人が。
「すみません。ウェットフラワー、戻りました」
「遅いですよ、ヒーローらしいかも」
フェーズ3、エッジブーケット。ここに
彼女はまだ弱いだろう。守れないだろう。挫折するだろう。苦しむだろう。
ただし、もう自分の願いを見失うことはない。
「今は詳しいことは聞きません、でもどうすればいいかは教えて下さい。なぜここに?」
「こちらはIGNITER、細かい事情は省きますがアレら
焼き切れたエクステンドコアに苦笑いする。
「手伝ってください。魔法少女は、希望を撒いて走るそうですから」
「もちろんです」
それと同時にウェットフラワーは6人に分裂する。
いや、違う。
あまりの速度に6人に見えたのだ。柔らかく構えた鎌が蝉の
動き始めれば状況は最悪となる。的確に急所を露出され、一撃で仕留める。今までは分離することが出来なかった
それに驕ることも、驚くこともない。それが初めから自分の機能であったかのようだ。
「遅い」
速度増加、12体捕捉。分離。
「まだ遅いっ」
速度増加、20体捕捉。分離。
「あの時の彗星は、もっと早かった――――っ!」
最大速度更新。鎌がリソースで肥大化し、纏めて一体のそれらの
彼女は己の持った特別性への依存をやめ、ただ純然たる
「やっぱり、信じて良かった」
アレイはわずかに笑った。その姿をはっきりと目視したものは誰も居ない。
この日発生した
直前に確認されたキョウカ・ナカムラと称される