レトロワンピースの女性の先生(おそらく天宮山羊子)は、水里サロンの古参会員ではあるのだが、賛助金のみを寄付して、表に出て来る事は滅多にないとの事。
それは古い会員に共通していて、例えば『水』『里』の文字を持つ創始者たちはまだ現役なのだが、自分たちが出て行くと周囲が気遣って空気が変わってしまうからと、やはり表に出ない。
(その辺の感覚も俺らとは違うんだな。新妻師匠なんか周囲の関心を総ざらいにしてもお構い無しだもんな)
そういえば、人気作家や権力者に群がる光景をここでは見ない。烏丸先生なんか挨拶が列になっていてもおかしくないのに。
ハタと気付いた。
ここには出版サイドの人間が、ほぼ居ない(多分)。基本、作家だけなのだ。
作家のお勉強会だからと言われてしまえばそれまでだが、高木の感覚だと、イベントに参加っていうとお客様扱いで服部さんにエスコートして貰い、業界人が入り乱れて名刺交換するイメージだ。
妙に静かで胡散臭さを感じてしまったのは、創作者だけの集団だったからか。
古参の先生たちは、自分が表に出ない代わりに、自分の所のスタッフを、勉強しておいでと積極的に送り出す。こういう所で人脈を作るのも一人立ちした時に大切な事だと。
人脈ったって、業界の者がいないのではあまり機能しないのでは? と思ったが、逆に作家だけと横に繋がれる環境は貴重なのかもしれない。
高木と女性がそんな話をしている時、向こう側の太鼓橋の上を、数人の和装集団が通り過ぎた。
二人ばかりがこちらを見て大きく両手を振っている。高木の隣のレトロ洋装の女性もニッコリ手を振って、さざめく娘たちを見送った。
「一緒にアシスタントをしている子たちです。私が人見知りでドモりがちなのを知っているから、放置してくれているの」
「ドモるんですか? さっきからとても綺麗に話されていますが」
「え、そうですか? きっと貴方の受け答えがお上手だからだわ」
「それは光栄です」
「それに指輪をしていらっしゃる方は安心感があって」
「え、ああ、はい、それはもう」
高木は左手の結婚指輪を撫でた。「下手に外したって女の子は跡を見抜くわよ。堂々と見せている方が気を許してくれるわ」ってアドバイスくれたカヤちゃんありがとう。
今日は職場のアシ全員で来たらしい。他の子たちは顔見知りも多く、各自が好きなように楽しんでいると。
そして要領の良い子は、これからの自分の行き先も見繕っているのだろうな……
「私はこの通り人見知りだし、独立するつもりはなくて、先生に一生付いて行くつもりでいます。……でも今朝急に先生が、貴女もたまには行っておいでとワンピースを着せてくれて」
高木は言葉を呑んだ。
天宮山羊子の引退の決意は固いという事か。この女性の胸中は如何ばかりだろう。
ずっと先生に捧げるつもりでそっくりのタッチを習得し、人見知りなのに新人の指導も頑張って……
伏し目がちな横顔を見ると、何だか胸がザワ付いて来た。
今の話を聞くに、天宮山羊子は確かに優しいのだろうが、相当打たれ弱く、ダメ出しすらちゃんと言えない、自分の世界に籠りがちの女性な気がする。
可哀想にこの彼女は、そんな不安定な先生にいきなりレールを外され、途方に暮れているのだ。
(先生も先生だ。こんな性格の子をこんな所に放り出したらどんなに心細いか、察してやれよ)
***
「高木くん、こんな所にいた!」
よく通る声が響いて、秋名が橋を渡って歩いて来る。周囲にモダンな襟の和装の娘が数人。
「キャ、本当に高木秋人さん?」
という囁き。
「この方たち、『PCP』のファンですって」
「あの漫画、本当にトリックが面白くて、毎月楽しみにしているんです」
「お会いできるなんてラッキーだわ」
女性たちが名刺を差し出して来たので、高木も社交辞令を述べながら【亜城木企画】の名刺を渡した。彼女たちの名刺は女性作家らしい華やかな物だ。
脇へ押しやられたレトロ女性も「『PCP』の?」と呟いている。
「クラブハウスの前で待ち合わせって言ったじゃない」
マナー教室も兼ねた懐石ランチの時間だそうで、高木はすっかり失念していた。そもそも食べたかどうか分からないチマチマした懐石料理なんてちっとも楽しみじゃなかったし。
「もお、最初に教えたでしょ」
「すまんすまん、あ、貴女は?」
レトロ女性を振り返る。
「わ、私は、へ、偏食、偏食なので、申し込んでいないんです。そ、そろそろ、他の子たちと、合流します」
場の人数が増えたせいか、乞音が戻ってしまっている。
「そうですか、ではここで」
残念だが、この後でも会える時間はあるだろう。高木は別れ際に、また見付けられるよう彼女のワンピースをしっかりと記憶した。クリーム色の地に大ぶりの花が重なり、レトロな色合いが本当にこの女性にぴったりだと思った。
「さっきの方、どなた?」
複数の女性たちと歩きながら、秋名が高木に聞いて来た。
「さあ、スケッチが綺麗だったから少し立ち話をしただけだよ。洋服だったしあんまり気合の入った参加者じゃないんじゃない?」
「なに言ってんの、あれ手描き友禅の作家物よ。価格でいうと私の江戸小紋なんか足元にも及ばない……っていうかそもそも誰にでも販売している代物じゃないし」
「せ、先生が着せてくれたって言っていたよ」
「へえ、よっぽど先生に大事にされているのね、あの方」
「…………」
***
窮屈なランチが終わって午後の部となったが、高木はレトロ女性と再会できなかった。
メインの行事は午後に集中していて、人数は微妙に増え続けている。
暇だなみんな、締切り無いんかっ。
秋名と離れて一人で探索する高木はやっと、さっき太鼓橋から手を振った二人の女性を見付ける事が出来た。
「あ、あのっ」
これから目当ての講演を聞きに行こうとしていた女性たちは、呼び止められて困惑顔。一人は「あっ」と意味ありげに声を上げている。
「ぼ、僕は高木という者です。さっきのユーゼンの洋服の女性は……」
皆まで言う前に、一人が遮った。
「知ってます、『PCP』の原作の高木さん。中井さんがしょっちゅう、あの二人は俺の弟分みたいな物だって自慢していたもの」
中井さん~~・・
「偶然を装って近付いて、兎ちゃんから何を聞き出したかったの?」
「人見知りの兎ちゃんが珍しく他人と話が弾んでいるから私たちも喜んでいたのに」
「兎ちゃん、ショックで帰っちゃったんですよ!」
(え゛、えええ……)
「私たち、お世話になっている先生の内情をベラベラ喋るような口軽じゃありませんから」
言って二人は人混みに消えた。
しかし声が大き目だったので、高木一人が周囲にさらされて取り残される羽目になる。
突き刺さる視線。
(ひいい)
「こっち」
引っ張る手があった。
烏丸だ。
引かれるままに混雑を抜けて、人気の無いバックヤードに入る。
「何があったの? 貴方は愛子ちゃんの同伴者だから、問題を起こしたら彼女が信用を失くするのよ」
「すみません……」
「何か事情があるのなら私が相談に乗りましょうか?」
高木は項垂れていた顔を上げた。この女性(ひと)にアドバイスを貰いたい。自分の百倍もの情報と人脈を持っているこの人を頼れば、もしかしたら一瞬で解決してしまうかもしれない。
「……ダメです」
「そう?」
「俺が自分の事しか考えていなかったから彼女を傷付けてしまった。それで貴女を頼って解決したら、いつかまた同じ間違いをやらかしてしまう」
「あら」
拒絶されたのに、烏丸の声はまろやかになった。
「自分だけの力で彼女まで辿り着きたいです」
「ふふ、ちょっと待ってね」
烏丸はバッグから分厚い名刺入れを出し、一番下のスリットから一枚抜き出した。
飾り気の無い白い名刺。最初に貰った金箔入りの名刺とは別物だ。
「私のプライベートの連絡先。『一切れのパン』のつもりで持っているといいわ」
「ありがとうございます」
高木は両手を伸ばして白い名刺を受け取った。