水里サロンというのから帰ってから高木の様子がおかしい。
玄関を開いていきなり自分の妻の両肩を掴み、「カヤちゃん、いつもありがとう! 人生のバートナーが君で俺は本当に幸せだ!」なんて叫んで困惑させたり、担当の服部に誕生日でもないのにネクタイピンなんか贈って本気で不安にさせたり、相棒としては心配するなって方が無理なのだ。
・・
・・・・
「本当に何もなかったのか?」
亜城木企画のマンション。
奥の机で作業しながら声を掛ける真城。
「何もなかったよ、真城は心配性だな」
ソファの高木はパソコンから顔を上げて力なく笑う。
目の下に隈が出来て明らかにオーバーワーク。
無理もない、いつもなら一ヶ月掛ける話作りを六日で上げた。
「来月分も今、骨子を組んでるから」
「無理しなくていいんだぞ」
「すまない、俺の自分都合だから」
「それは、いいんだけれど……」
高木はまとまった休みが欲しいと言って、仕事を前倒しでやり貯めはじめたのだ。
「絶対にクオリティは落とさないし、仮ネームまでやるから」
普段はあまり我を通さない彼なので、真城は快諾したのだが、理由を話してくれないのは寂しい。
「み、水里サロンって……厳しかった?」
「そんな事ないよ、面白かったよ」
そうは言っても顔色が幽鬼のようだ。
その前のフェイク持ち込み作戦の顛末は詳しく聞かせて貰ったが、ガチでメンタルを抉られる体験だったみたいだし、更に水里サロンでこんなに疲弊して戻られたんじゃ、情報集めを頼んだ身としては責任を感じざるを得ない。
中井さんに続いて高木まで、訳の分からない物に取り憑かれて遠くに連れて行かれそうで、真城は背筋を冷やしていた。
高木が気分転換に散歩に行くと外へ出てから、入れ違いにカヤが買い物袋を抱えて戻って来た。
「秋人さん? うん、最近あんまり寝ていないみたい。心配だけれど、言って聞く人じゃないからねえ」
「水里サロンで何かあったか聞いた?」
「うぅん、庭が綺麗だったから私も連れて行ってあげたかったって。あ、これ」
ドサリと渡されたのは本日発売の『月刊少女ラリアット』。
分厚い、重い。少年ジャックの三倍はある。少女漫画誌ってどうしてどれもこれも凶器サイズなんだ。超学館はこの国の女児の腕力を測り間違えているんじゃないか?
テーブルに置いてガバと開くと、中頃後半に独特なタッチの『遥かなる薔薇のレジェロ』。
カラーも無いし、やはり最終回という感じではない。相変わらず産毛のような繊細な線で淡々と物語が進み……唐突に途切れる。
ラストページの隣、何のデザイン枠も無い無地に無機質な明朝体で
――今回を持ちまして『遥かなる薔薇のレジェロ』は終了させて頂きます。
長らくの御愛読ありがとうございました。
天宮山 羊子先生、これまでありがとうございました。
編集部一同、今後より一層、皆様に愛される誌面作りに励んで行きたい所存です――
――超学館 少女ラリアット編集部――
しばらく誌面を睨んで目を離さない真城に、カヤが覗き込んだ。
「変な日本語。出版社って頭イイ大学出た人ばっかりじゃないの?」
「ああ、……頭のいい人が複数であれこれ弄くり倒したら、こんな誰に何を言っているのか分からないチグハグな文章になってしまうんじゃないか?」
「ふうん、結局引退の事には触れないし、これで済ませちゃうつもりなのかしら」
カヤは買って来た食材を冷蔵庫に詰める背中で言う。
「そういえば、それ本屋で最後の一冊だったよ」
「へえ? やっぱり天宮先生人気?」
「っていうか、転売蟲が蠢いているんじゃない? 本当に引退しちゃうんなら天宮山羊子最後の掲載誌になるんだし、コレクトして置きたい人だっているでしょ」
「そうか……」
真城はまた誌面を睨んで黙ってしまった。
「でも毎号普通に読んでいた純粋な読者さんは困るでしょうね。特に小さい子供とか。雑誌って決まった数しか刷らないんでしょ?」
「そうだね、よっぽどの事がない限り増刷ってしない。でも超学館はそんな事が起こった時の対策で、ネットで無料公開したりするよ。今回もそうなるんじゃないかな」
「情報を知らなくて買い損ねた人とか小さい子供とか、ネットから一番縁遠い人たちじゃないの」
「う、うん……」
「あーあ、同じ号に掲載された作家さんたちがトバッチリで気の毒。自分の読者に読んで貰う為に一所懸命描いたのに」
「……うん……」
漫画家の目標は作品を読者に読んで貰う事だが、直接は届けられない。間に沢山の人の手を経る。その手が色んな都合で作者の希望と違えても、仕方のない事なのだ。
「小さい子なんてこの重い本を胸に抱えてワクワク走って帰る所からなのに。ネット公開は確かに有り難いけれど、それで良しで終わらせないで欲しいわ」
真城は口を閉じてじっとカヤを見た。
「なあに?」
「今日はやけに弁舌振るうなと思って」
「てへ、受け売り受け売り。蒼樹さんに会ってカフェしてましたぁ」
カヤはエコバッグからいつものお茶を出して棚に詰め込み始めた。青樹や秋名とシェアしている健康食品だ。
「こっち美保の分、持って帰ってね」
「あ、うん、ありがとう」
効能があるかどうかは知らないが、女性たちが商品の受け渡しを口実に会ってお喋りして世界を広げるのを、真城は悪い事ではないと思っている。
何を話しているか怖いから詳しくは聞かないが。
「蒼樹さんも、超学館や天宮先生に対して、思う所があるんだ?」
「うん。最近、岩瀬さんに会ってそんな話になったんだって」
「岩瀬?」
岩瀬というのは秋名愛子の本名。カヤにとっては元同級生なのでペンネームより本名で呼ぶ。
「岩瀬さんの参加している水里サロンって超学館の少女漫画の人が多いんでしょ? 前回の会合で何人かの知り合いに、遊栄社の編集者への繋ぎを頼まれたって」
「ええ……?」
作家と出版社の関係は千差万別、同じ編集部内ですら違ったりする。
真城の感覚では、デビュー前から支えてくれた少年ジャックや服部さんに義理を欠く事はぜったいに出来ない。
でも皆が皆そうではない。現に目の前の『少女ラリアット』では、数十年看板を張った作品があんまりな末路を辿らされている。
「しかし、岩瀬だって困るだろう?」
彼女は一介の漫画原作者だ。きっちりした性格からして、無責任な仲介はやりたくないだろう。
「切実な感じで頼まれて、無下に出来なかったんですって。岩瀬さんも『超学館で何か異常な事があった?』くらいは察しているから、それで蒼樹さんに相談したって」
「ふむ」
「でも蒼樹さんも良い答えを出せなくて、私にお鉢が回って来たって訳」
「ふ、ふむ?」
「私がバッチリGOODなアイデアを出して来てあげました!」
「!!」
カヤと岩瀬は同窓生だが、そんなに仲が良い訳ではない。むしろ独身時代は高木を巡ってバチバチ火花を散らし合った間柄。今はすっかり落ち着いて健康食品のシェアなんてしているが、直接つるむ事はしない。
真城は以前、蒼樹に、
「秋名さんは、カヤさんのシェア仲間という油断を誘う立場から高木さんと繋がっていたいし、カヤさんは要注意な秋名さんを付かず離れずの位置に置いて牽制していたいの。挟まれた私は何だかなぁって感じだけれど、まあ表面上は仲良しで平和だからいいわ。お茶も美味しいし」
と言われた事がある。
女子沼深くてコワイ……
カヤが直接言ったアイデアなら秋名は一笑に伏すだろう。が、蒼樹の口というフィルターを通ったら、多少「ん?」と思っても採用してしまうかもしれない。
――不安だ。
女子沼怖い・・