真城が美保からアニメ化企画頓挫の話を聞いた数日後。
【亜城木企画】のマンション。
本日は原稿追い込み日。机に向かう真城、アシスタント二名も入って執筆作業中。
高木はソファでパソコンモニターを覗いている。週刊連載と並行して月刊誌で連載している『PCP』の原作作業中。子供のイタズラトリックを完全犯罪と称するボーダーな作品『PCP』をやって行けるのは、ひとえに彼の演算力のお陰。
日付が変わると同時にネットに感想コメントが溢れる昨今、ヘイトを買ったら蟻地獄だし、刺激をなくすとすぐ飽きられる。日々うつろう世間の興味やコンプライアンスを欠かさずチェックし、読者の共感欲をくすぐるストーリーを毎号毎号ひねり出す。並大抵でないのは、真城はじめスタッフ皆が認めている。
その高木が声を上げた。
「おいおい、『天宮 山羊子(あまみや やぎこ)引退』って。これ、中井さんがアシやってる天宮先生の事だよな」
机に向かっていた真城は顔を上げた。アニメ化云々の話は、勿論ここでは漏らしていない。
アシスタント二人が驚きの声を発して振り返る。
「うっそでしょ! あの、めぇセンセが? うっそでしょ!」
「ガセじゃないんスか? 雑誌の表紙絵でたまに見るけど、衰えてる風に見えないっスよ」
キッチンからカヤも顔を出す。
「最新号読んだけど、巻頭カラーで新しい国へ行って、さあこれからって所だったよ。終わろうとしているとは思えない」
「……打ちきり?」
「……出版社とのトラブル?」
「漫画家が引退宣言ってあまりしないよね」
「どこ経由でニュースになったんだろ?」
「ほらほら、手が止まってるよ」
喝を入れる真城だって胸のザワ付きを抑えられない。看板作家ならペースが落ちても休載の融通は利くだろうし、引退宣言なんてそうそう見ない。しかも先日美保から不穏な話を聞いた所だ。
「高木、その記事朗読してみて」
――記事タイトル:人気少女漫画家が突然の引退宣言――
――『遥かなる薔薇のレジェロ』などで幅広い年齢層の女性の支持を得ている漫画家 天宮山羊子氏が、引退を表明した。○月○日発売の月刊少女ラリアットにて告知される予定。同誌で連載中の上記作品については触れられていないが、未完に終わるのではとささやかれている。引退の理由に関しては未発表。
ネット上の声
『えっ、なんで?』
『突然だな』
『はるバラどうなんの?』
『新章突入した所じゃん』
『ここから畳むの無理ですよね』
『お身体こわされた? 心配』――
・・・・
・・・・・・
「やっぱり体調っスかねぇ。漫画家ってどうしたって健康を削る職業だし、先月まで掲載されてた作家の訃報がいきなり出たりするじゃないスか」
「縁起でもない事を言わないで下さいっ!」
アシスタントの女性の方は結構なファンみたいだ。
「でも俺が物心着く頃から一線を張っていた人だよ。それなりの年齢っしょ」
「そりゃ……でも私たち読者は、作品を見ていると永遠に続くような錯覚を抱いちゃうんですよね……」
「生み出す漫画家は生身の人間だからそんな事ないんだけどね。そうっスよね、真城先生」
バトンを渡されて真城は、苦虫を噛み潰した顔で昔の手術跡を撫でた。
「あ――、またまた手が止まってるよ。あと一息で休憩入れるから、ぶっ倒れない範囲で頑張ってくれよ、生身の人間諸君」
「「はぁい」」
真城の号令で、アシスタント二人は口を閉じて作業に戻った。
「シュージンも作業に戻って。次回から謎解きに入るから早い目に原作欲しい」
「ラジャ」
「カヤちゃん、キッチン終わったら悪いんだけど、そのニュースの関連項目を集めてプリントアウトしておいて」
「オッケー」
有能なサポート妻カヤ。一時期文筆業を目指しただけあって、まとめ能力に長け、高木の時短に大いに役立ってくれている。
そうして亜城木企画はその日の予定作業を終えた。
アシスタントが帰った仕事場で、真城は早速カヤの作った資料に目を通す。彼とて仕事中ずっと気になっていた。
スタッフの暴力事件、美保から聞いたアニメ化中止、そして突然の引退発表……
胸がザワザワして落ち着かない。会った事もない天宮山羊子なのに、同じ商業作家で他人事じゃないからだろうか、それとも先日中井にこってり聖女の人物像を聞かされたからだろうか。
そしてその中井は、高木が何回連絡しても、ずっと電源が切られている状態。
「どの記事も出版社の発表以上の物は無いな。連載作品は終わる様子が無かったし、本当に突然の事なんだろうな」
「一社だけ、アニメ化が立ち消えになったような話をしているわね。ソースは無いし、ガセかしら?」
真城は口をギュっと結んだ。PVまで完成していたと言うから何処かから漏れてしまうのだろう。あんな風な何気ない愚痴溢しから、簡単にこんな所の記事になってしまう物なのだ、恐ろしい。
「ま、俺らが心配したってしようがない。明日は服部さんが来るから聞いてみよう」
服部さんの名前が出た事で話題は次回の打ち合わせに移り、その話はそこまでになった。
それにしても……
帰路、真城はまだ考える。
漫画家はそれぞれが看板を背負う自営業。
出版社との契約云々はあるけれど、基本的には独立している筈。合わない出版社なら鞍替えする事も出来るし、最近は自費出版やネットで自由に公開の場を広げる作家もいる。体力が落ちたって自分のペースで描ける道もあるのだ。
あれだけ描いていた漫画家が、きっぱりと引退を宣言したくなるって、どういう心境の時だろう……