大手出版社が軒を連ねる書籍街。
活気溢れる大通りから狭い路地を二回曲がった奥に、ポツンと古い喫茶店がある。
カランコロンと扉を潜ると中は意外に広く、席の間がゆったりと仕切られているので、周辺サラリーマンたちの打ち合わせの穴場となっている。
「だから何で僕だったら口を滑らすと思っているんですかっ?」
憤慨気味のジャック編集部員小杉の前には男性漫画家三人。打ち合わせって雰囲気ではない。
「そう冷たい事言うなや。俺たちと小杉さんの仲じゃないか」
ギュウ詰め四人掛けテーブルで圧を掛ける、上背のある福田真太。
「僕と福田先生の間にどんな仲があるって言うんですか」
「キャバクラで俺ら漫画家の名前出してモテてんだろが」
「してませんよっ。雄二郎さんと一緒にしないで下さいっっ」
「あの、小杉さん……」
亜城木夢叶の片割れ、真城が遠慮がちに切り出す。
「俺たち本当に中井さんが心配なんです。もう一週間も連絡つかないし、アパートにも帰っていないらしいし、あの人実家も遠くだから……」
そう、あの後自分たちの担当服部に聞いてみても業を煮やさない返事だったし、福田の担当の雄二郎も同じ。しかし長年の付き合いから、奥歯に何かが挟まった様子は伺い知れる。
「子供じゃないんだからそこまで心配しなくてもいいでしょうに」
「大人力が限りなく低い人だから気が気じゃないんですよ」
真城の隣、高木が口を尖らせる。
「ネットで騒がれるような事態になったら、漫画家仲間で一括りにされちまうこっちが迷惑なんだ。ジャックだってそういう恐れはあるでしょ。せめて超学館で何があったのかくらい把握しておかないと、いざという時、初手で遅れる」
さすが『PCP』の原作担当は理屈も達者。
「うちはたった一年連載させていただけなのに……」
「小杉さんよぉ、その連載に辿り着くまでがどんだけ遠い道程か知ってっだろ。いつか連載をのエサを鼻先にぶら下げて若い一番油の乗った時期を専属契約で飼い殺し、便利な派遣アシとしてしゃぶり尽くして年取ったらポイってか」
福田の言葉に亜城木二人はギョッとした。作家として日の目を見られないのは中井さんの問題だし、自分たちは出版社に対してそこまで思っていない。
(あ、先日みたいに挑発してウッカリを誘うつもりか)とは気付いたが、それでもヒヤヒヤする。
小杉は表情を強張らせてブルッと震えた。
「ジャック編集部をそんな風に思っていたんですか、福田さん……」
「俺たちゃ各々が親方看板を掲げる自営業だ。出版社とはビシバシ火花を散らして駆け引きせにゃならん間柄。仲良しこよしだとでも思ったかぁ!?」
怖い、怖いよ、福田さん・・
――パチパチパチ
あらぬ方向から拍手が聞こえた。
一同びっくりして小杉の背後の卓を見る。
観葉植物の緑の向こう、あちらのテーブル席から、見知らぬ人物が満面の笑みで手を叩いている。
***
漫画家三人は唾を呑み込んだ。
間仕切りに置かれた緑の観葉植物の葉の間にチョコンと見える人物は、とにかく紫なのだ。肌以外の何もかもが紫。一瞬『見えてはイケナイ人』なのかと思った。
華奢で線が細いのに紫の巻髪が綿の国星のように広がって、頭だけが巨大なエイリアン型。
ギョロンとした目玉の上のマスカラも紫、シャドウもチークも口紅も、着ているジャケットスーツも紫。かろうじて赤紫か青紫かのグラデーションがあるぐらい。
その未知との遭遇が口を開く。
「勇ましいわねぇ。大好きよ、そういう子」
男三人は背筋をゾクッとさせた。見た目で美魔女だと思っていたら、声はドスの聞いたバリトンだ。
「み、魅衣羅先生……」
震え声の小杉。
「はぁい、コスギちゃん、久し振りぃ」
「み い ら 先生っ!?」
漫画家三人は弾かれたように腰を浮かせた。
大御所も大御所、遥か雲の上の大御所作家だ。
どの位大御所かというと、真城の叔父の本棚にもこの人の本はあるのだが価格の記載が無く、裏表紙に『○○菓子舗』等の判子が押されている。駄菓子屋の隅で貸し借りされていた『貸本専用』書籍なのだ。一般売りされていないので叔父は古書市場で入手したのだろう。
死屍累々と聞き及ぶ赤本時代を生き残り、戦後漫画文化黎明期から現在までを現役で駆け抜け、しかもその時代時代の人気作をきちんと輩出し続けている、まさに人外。怖いもの知らずの福田ですら膝がブルッている。
「は、初めまして、亜城木夢叶の高木と申しますっ」
「同じく真城です、お会い出来て光栄です」
「ジャンプで『GIRI(ギリ)』描いてる福田慎太です。パ、パープル、お似合いっスね」
「あらぁ、丁寧にありがとう。気を使わなくていいわよぉ、ただの行きずりのお爺ちゃんだからぁ」
と言いつつも、立ち昇るオーラは否めない。
「ごめんね、余計なチャチャ入れて。だって面白いじゃない、編集部員が漫画家三人に詰められているなんて」
「つ、詰められているんじゃないですよ」
「そうそ。雑談っスよ、雑談、ただの世間話っス」
ナチュラルヤンキーの福田が言うとむしろカツアゲをごまかしているみたいに見えて逆効果。
「小杉さん、魅衣羅先生と知り合いだったんですか」
話題を変えるように高木が聞いた。
魅衣羅先生の執筆誌は一貫して超学館。執筆ペースは落ちているものの往年ファンがフジツボのようにガッツリ付いているので、まだまだ数字を取れる戦力。超学館としては他所の出版社にちょっかいを出されたくない作家な筈。
「先輩編集部員に飲みに連れて行って貰った店に、たまたまいらっしゃったんですよ。そんな知り合いって程じゃないです、畏れ多い」
「そうだろうな、小杉さんにこんなレジェンド引き抜く度胸なんてあるわけないか」
「福田先生っっ」
「あらぁ、そうでもないわよ、この子、初っぱなからグイグイ来て、ワタクシときめいちゃったもの」
「誤解させる言い回ししないで下さいっ、サインをお願いしただけじゃないですかっっ」
「そぉお? その場に居た超学館の担当者も知らないようなワタクシの少女漫画時代の連載を熱く語られたら、そりゃ覚えるわよ、嬉しいもの」
(またやらかしたのか、この人……)
亜城木の二人は冷や汗をたらした。
小杉はジャック編集に配属された時飛び上がって喜んだ程の漫画好きだが、好きになり方がちょっと特殊。ひとたび作家を好きになると、過去作を徹底的に掘り下げてデータベース化しないと気が済まない。
ある意味編集者に向いているのかもしれないが、その作家と初対面した時、距離感をバグらせてドン引きされたりもする。
亜城木たちは自分の担当服部に、そういう愚痴をしょっちゅう聞かされていた。
「だってゴシックホラーの金字塔『聖杯』ぐらい知っていて当たり前じゃないですか。なのに魅衣羅先生の事をギャグ漫画家だとか言うんですよ、あの担当・・おっと」
小杉は滑り過ぎた口を閉じた。漫画愛よりも社会人としての理性。
「ふふふ、ギャグ漫画も描いているんだからギャグ漫画家でいいじゃない。でも嬉しいわぁ、こんなお爺ちゃんの為に憤慨してくれて。ねえ、貴方の言っていた通り、コスギちゃんって真っ直ぐで可愛い子ねぇ」
魅衣羅先生が自分の向かいの席に視線を投げた。小杉の背中合わせ、蔦の絡まるパーテーションで陰になっている席。そこにも人が居たのか? いや何故 隠れるように気配を潜めていた?
「やだなあ、先生、察して下さいよ」
聞き覚えのある若い男性の声に、真城は電気が走ったように身構えた。