藤原道長の口添えで彼の任務に同行者がついた。
名前を亨子と言う。
見た目は十代後半ほど。
桃色の長髪に、白目を全て覆いつくすほどの大きな黒目が特徴的な女性であった。
目的地は丹後。
京からも近く呪術師であれば日帰りも可能な旅路であったが、藤原道長の計らいで宿代を頂くことが出来た。
天元はこの事を「早離に対するご機嫌取り」と評した。
ようは彼に気に入られる為だと。
彼はその意味をよく理解しないまま適当に相槌をうった。
天元様ならともかく、自分のような若造一人の好感を気にしたところで意味はないだろうに。そう思っていた。
「山陰道を通り向かいましょう。目的の村から2里ほど離れた所の街道沿いに宿があります。恐らく夕方までには到着出来るかと」
今回の任務に同行する亨子がそう言った。
道長曰く、丹後の方に土地勘があるので良い案内になると。
術師としてもそれなりの力量があるとの事だった。
ただし術式の都合上に呪詛師を相手にすることが多い。
それ故に、呪霊相手の経験を積むためにも同行させてくれないかと頼み込まれたのだ。
彼からしてもわざわざ断る程の理由は見当たらなかった
「苗字がない…という事は庶民の出なのでしょうか?」
道のりは長い。半日は潰れてしまう移動時間は彼にとって退屈で仕方なかった。
1人で祓除出来るようになってからは単独行動をしていた彼だったが、未だにいい暇の潰し方を見つけ切れていなかった。
普段であれば、心を無にして何も考えず歩くだけだ。
でも今は同行者がいる。そうならば彼が、亨子に興味が行くのも当然の話だった。
大人の呪術師であれば控える話題を、彼がぶっこんだ。
明らかに名家の出じゃない呪術師に、生まれを聞くことは禁句に近い。
何故ならば養子に迎えるために金で無理やり買い取った場合や、無理やり引き抜くために家族の元に呪霊を差し向けるなど脅迫まがいの行為で才能を家に入れる呪術師も少なくないからだ。
まだ若く、天元というひとかどの人物に拾われ、正しい教育を受けてきた早離はそこまで想像が及ばない。
「……ええ。非術師の家系でしたが、私には呪力がありましたので」
「なるほど。それで藤原殿に拾われたと」
「おかげで飢える事がなくなりました。感謝してもしきれません」
感情が乗っていない、まるで台本が存在するような話し方を亨子がする。
しかし彼は気が付かない。少し違和感はあったが気のせいだと流す。
「空を操る術式だと聞いております。しかし、言葉ではいまいち理解が出来ませんでした。どのような術式かご教授して頂いてもよろしいでしょうか」
彼がそう言うと、前を進む亨子がクルリと振り返った。
彼女が手を伸ばすと、空が歪んだ。
布を掴むように
空間がねじ曲がり、その先に見えた木が曲がって見えた。
「こうして空間を面で捉えます」
「それは……どうやって攻撃を?」
早離が懐疑的な視線を彼女に向けた。彼は力が強いとか素早く動けるなど直接的な強さが好きだ。だからこそ、思ったことが顔に出てしまう。
「相手ごと捉えた面を叩く事で出来るので大丈夫です。足手纏いになるような事はありませんので、ご心配なく」
「足手纏いなんてそんな、むしろ同行して頂いて頼りになっています」
彼からは見えない角度で、亨子の顔に青筋が立った。
隠せていない懐疑の目、誰にでも分かるおべっか。
彼は戦力の勘定に彼女を入れていない。
子供の安易な気遣いは彼女をイラつかせた。
藤原の呪術師として生きている時点で、そういった態度を取られる事には慣れていた。
しかし相手がこのような童であったことは一度もない。
頭では分かっていてもガキに言われるなんかムカつく。亨子はそう思った。
ただし、与えられた任務は絶対である。
彼女は藤原道長から直接受け賜った言葉を思い出し反芻する。
『何者にもなる必要はない、誰かの為に生きろ』
それが、
我々に自意識なんて必要ない。
ただ藤原の、この国の未来の為に生きればいい。
ここで憤りを覚える必要はない。
ただ与えられた任務を実行する影であればいい。
彼女はそう心を落ち着けた。
今名乗っている亨子も今回の任務の為に与えられた名である。
彼女に名と呼べるものは持たず生きてきた。
二人の間を沈黙が支配した。
道は長い。早離自身もそこまで多弁な方ではない為、自然と無言になっていった。
呪力で強化している二人は多少の移動で疲れる事はないが、精神的な疲労は来る。
すっかり移動に飽きた彼は、特に何も考えず口を開く。
「空を掴むって事は、空とか飛べたりするんですか?」
ちまちま歩くのに飽きた彼の、空を飛べたら移動が楽なのになぁ、と言う子供らしい願望を元に聞いた質問だった。
「…浮く事なら可能です」
ダメ元で聞いた質問の答えに彼の眼が輝いた。
「ならば、目的地まで飛ぶことは可能ですか?」
彼の分かりやすく上ずった声に、彼女は言いづらそうに答える。
「私だけなら条件しだいで可能ですが、他の者と共に…は難しいですね」
再び振り返った亨子が、早離の顔を見た。
彼は眉をしかめ、ため息を吐く様に掠れた声で「…はぁ」と言った。
返事とも落胆とも取れる息に、亨子の神経が逆なでされた。
普段はもう少し本心を包み隠す彼も、長時間の移動による精神の摩耗ですっかり体裁と言う概念を忘れている。
陽が赤味を帯びて、遠くの山が金色に燃えている。
夜の帳が降りる前に宿に辿り付いた二人は、腰を下ろして休んでいた。
「宿に風呂があるのはいいですね。遠方に出向くわけでもないのに、こうも待遇が良いと申し訳ない気分になります」
「こちらの願いを聞いてくださっていますので。これくらいは当然でございます」
風呂上がりの二人は肌を高揚させ、濡れた髪には艶が出ている。
この時代のお風呂は近代のようにお湯に浸かるものではない。
湯殿という現代に近いお風呂も存在したが、平安時代の風呂の多くは蒸し風呂。
サウナのような密室に
そんな風呂上がりの早離はある事に気が付く。
二人が借りる部屋は一室のみ。
同室で寝ることに対して彼はそこまで気にしていなかった。
しかし目の前にある布団は一式のみ。
これに関して、彼は疑問に思った。
最初に浮かんだのは女中の間違い。きっとうっかりしていたのだろう。
「間違いなどではございませんよ」
部屋の隅に置かれた燈台の明かりが亨子を艶めかしく彩った。
亨子の手がたおやかに揺れ自身の体に向かうと、湯帷子の胸元をはだけさせた。
紅潮した丸みのある肌が露わになる。
「…な、何故服を脱いだのですか」
意識的に目を背けた彼は動揺したように声を震わせた。
「…男女で一夜を共にするのなら、する事は一つだけでございます」
ゆっくりとした動きで亨子の腕が彼に伸びる。
白魚のような細い指が早離の小さな顔に絡みついた。
蒸し風呂であったまった体温が彼の頬に移る。
「戦に向かう殿方の高ぶりを受け止めるのも女方の務めでございます。私は受けたまわって頂いた立場。そのお礼とだと思っていただいて構いません」
押し倒された彼が床に敷かれた布団に倒れこむ。
その上に四つん這いになるように亨子が被さった。
「寝屋を共にさせていただきます。疲れているのなら私の方から動きますので」
「な、なにを言っているのですか!?やめてください!」
「遠慮しないで下さい。一晩の夢のようなもので」
「いや、本当に。さっきから何を言っているのですか…?」
目を細め、眉を曲げた彼の訝し気な視線が彼女に刺さる。
まだ過渡期の少年の恥じらいかと思いきや、なんだかそれとは少し違う反応に亨子は困惑した。
よく見れば、眼前のガキは少しも恥ずかしがっては居ない。
その目は何処かで見た事がある。そうだ、都に時々現れる乱心した者に向ける目だ。
侮蔑、憐憫、困惑、多くの感情が渦を巻いている目だ。
「取りあえずにどいてください。せっかく風呂で汗を拭いたのに、また汗をかきます」
亨子はゆっくりと体を起こし距離を取ると、その長い髪をがしがしと掻き乱した。
「突然どうしてしまったのですか。同衾など、稚児のやる行いではないですか」
おいおいまさかふざけんじゃねぇぞクソガキが。亨子は恐る恐る口を開く。
「早離殿、子供がどうやってできるかご存じですか?」
「こ、子供ですか?……正直な話、私は存じないのですが…男女がつがいになったら勝手に出来るのではないでしょうか?」
亨子の顔が老婆のようにしわくちゃになった。なった気分だ。
「魔羅の方から小水以外が出た事はありますか?」
「ま、魔羅など女性の口から言わないでください!それに…お小水以外が出るわけないじゃないですか!」
あ、血なら出た事がありますが。
そう彼が付け加えるが、そんな事彼女にとってはどうでもいい。
今回、亨子に与えられた任務。
それは早離と親密な仲を築くことである。
若い男児である。男女の仲を築いてしまえば、それだけ篭絡できるであろうと藤原道長は考えていた。
それを拒否する権限など亨子にはない。
亨子は何者でもないのだから。
自我を持たずただ誰かの為に。
藤原が作る平和の世の為に生きてくれと言われて来たのだから。
しかし彼女が大人になるにつれ、余計な知恵も増える。
藤原への不信、過度の労働に対する不満、ずけずけと踏み込んでくる、見知らぬガキとの同衾。
様々な不満要素は元々決壊に近づいていた亨子の堰を破壊した。
じゃあなんだ。私はこれからこのガキの筆おろしをしてやらないといけないのか。
これが白露と呼びまして男性は気持ちが良くなると…みたいな事を教えなくてはいけないのか。え、嫌だ。
そもそもまだ精通すら迎えていないガキを引き入れて、果たしてこの国の為になるのか。
天元の元にいる時点で、このまま放置しても勝手に世の為に動くのではないだろうか?
嵐のように吹き荒れる疑念と、彼女が身をもって知っている藤原の因縁が彼女を追い詰めた。
「…ばかみたいだ」
彼女は壁の端に身を引きずるように後退すると、壁に背をつけた。
そして曲げた膝を体の前に置いて腕を回した。
現代で言う体育座りをした彼女は、そのまま首を垂れて顔を伏せた。
状況に置いて行かれている早離は、その様子を黙って見ている。
急に押し倒されたと思ったら、赤子の作り方を聞かれて、知らないと言えば彼女は意気消沈としている。もう訳が分からない。
「…何がしたかったんですか、貴方は?」
早離は出来るだけ優しい口調で、彼女に問うた。
返事は無い。ただ沈黙だけが流れた。
燈台の火が弱弱しく揺れている。
「明日には祓除があります。そんな状態のままで放っては置けません。私にできることは善処しますので「じゃあ子種だせよガキ」
顔を伏せたまま亨子はそう言った。先ほどまでの丁寧な口調とは打って変わっての荒い声。
「子種ってなんですか」「子種も知らないくせに」「だから聞いているんじゃないですか!!」「なんで精通を迎えてないんだよ」「せ、精通?さっきから何の話をしているんです」「天元の母君から教えてもらえ」「天元様は私の母ではありません!」
反抗期真っ最中の彼が憤慨する。声の様子から彼の憤りを察した亨子が顔を上げる。
彼女は自暴自棄になっている。
「宮中では噂になってるから。隠し子なのでは、とか」
「違う!それに私はもう一人立ち出来ています!」
「何が一人勃ちだよ。子種も出せないくせに」
「だから何ですかそれは!?」
「うるせぇよ白痴。馬鹿。玉なし。はぁ、疲れた…」
彼女の声が上ずって少しずつ小さくなっていく。
早離はそんな彼女を見て、居た堪れなくなった。
「私に出来る事なら何でもしますので、機嫌を戻してください。もし、貴方が…恐らく何かしらの命令を家元から受けているのであれば、出来る限り善処しますので」
彼女の顔がゆっくりと上がる。
「…分かる?」
「それくらいは分かりますよ。藤原殿はその…様々な噂を聞きますので」
「下劣だ、あそこは」
「…そうですか」
「……私はお前と仲よくならなきゃいけない」
「…え?それだけですか」
「大人の世界には色々あるんだよガキ」
「私はもう大人です」
「子供の作り方を知らない大人がいるかよ…」
「知れば対処できますよ!」
「知れば…知ればって…アハハ。お前何言ってるか分かってないだろ、フヘヘ」
また顔を埋めた亨子は体を震わせ笑いだした。
その様子に彼は少しだけ安堵した。
早離自身、ここまでの会話を通しても亨子に対して不快感は無かった。
それは彼が昔から、陰陽寮の先達から素敵な可愛がりを受けているからに他ならない。
それに比べれば、亨子の暴言など可愛いものだった。
「この任務が終わって…そしたらお前は道長と話をするから。その時に私に良くしてもらったって言えば、多分何とかなる。…だから、もしやってくれたら、私もちゃんとする」
「それだけですか?」
「それだけだよ。それだけで良いから…」
「ならば、私からもお願いがあります」
早離は一拍置いて続けた。
「周りの目が無い時だけで良いので、その口調のままでいてください。貴方の素を知った以上、気を使われているのが分かりますので」
早離は他人に気を使われるのが嫌いだ。これはずっと子ども扱いされていた事に起因する。
他の者と同じように接して欲しい。早く一人前だと認められたい。
そういった願望は形を変えて生まれた気性であった。
「…分かった」
「それと!」
早離は顔を亨子から背ける。
よく見れば、彼の顔は燃えるように赤く見えた。
「胸元を…正してください。ずっと…その、見えていますので」
彼女は目線を自身の体に下げる。
たしかに湯帷子がはだけ、胸元が露わになっている。
いや、ん?この反応は…。
「…あぁー。クソ、そういう事か。うわ、馬鹿は私か。そうか。おい、ガキ。そうか、そういう事か」
意地の悪い笑みを浮かべた亨子は、恥ずかしがる早離を見て笑う。
結局は亨子の早とちりであった。
精通を迎えていない男児であっても、女性の体に興奮は覚える。
それは当たり前の事で。しかし、大人の性知識しか持たない彼女は子供への知識は足りていなかった。
暗殺の技術に長け若くして日月星進隊の隊長に上り詰めた彼女は、早離と同じように少し背伸びをしているだけの大人になり切れていない少女。故に常識の欠落は少なくない。
押し倒した際に早離に興奮が見られなかったのは、単に自身の理解できない展開が続き混乱していただけの事であった。
全てを理解した彼女は、開き直る。
失敗は許されないが、隠蔽できるのならそれは失敗ではない。
「じゃあもう寝るか。早離、添い寝してあげるから。こっちにきな」
床に手を突き、四足で布団の元まで辿りついた亨子は布団に入り自身の横、空いた空間を手で叩き彼を誘った。
余裕の笑みだった、彼女の手段自体は何も間違っていなかったのだから。
「け、結構です。女中に頼み、もう一式いただきます」
「わざわざ頼む事ないでしょ。ほら、一緒に寝るだけだよ」
「私は構いません。貴方一人で寝てください」
「ほらほら」
「だから良いと言っているでしょう」
結局、顔を真っ赤にした早離が部屋を退出し、新しい布団を持ってくるまでこの会話は続いた。