丹後の山中に切り開かれた村は、中規模ながらもそれなりに栄えた村だった。
街道からもそれほど離れておらず、上質な木材も良く取れた。
しかしある時から、村からの連絡が絶えた。
不思議に思った商人は念のために術師を伴い村に訪れた所、辺り一帯に禍々しい呪力が散見される。
すぐさま踵を返した術師の判断はきっと正しい。
その村の光景を遠巻きに眺めた早離はそう思った。
幾つかの人影が見えた。
村を徘徊し、何やら言葉を発している。
それだけ見れば、この村に異常はない様に見える。
陽に照らされた影の正体が露わになるまでは。
それらは服を着ていなかった。
くすんだ灰色の肌に、黒色の斑点がまばらに浮かんでいる。
体の真ん中には線のような切れ目が入っており、体の左右の様相が真ん中に合わせて異なっていた。
顔の右側は体毛が薄く、左側は濃く髭も生えている
体の右側には乳房があり、左側にはごつごつと角ばっている。
顔の右側には穴があるのに、左側には竿と玉がついている。
男女の体を真っ二つにして、体の真ん中で縫い合わせたような奇妙な生き物がとても人間の言葉とは思えない呪詛を吐きながら村を徘徊していた。
「……醜悪ね」
隣に立った亨子がそう言った。
二人は草むらに隠れ、村の様子を偵察していた。
それが呪霊による被害であることは一目でわかった。
「おそらく死体を呪霊の力で隷属させています。生者の呪力の流れではありませんので。あの感じだと生きている人も居ないでしょう」
「よく分かるわね」
「目が良いんですよ」
彼は呪力で強化した眼球の横を指で突いた。
二人が村に入ると存在に気が付いた村人…いや既に呪霊と化してしまった者どもが一斉に二人の方に向く。
生気を感じさせない瞳が二人を視界に捉えた。
中には首を180度回転させて二人を見つめる個体も居る。
人体の構造を理解していない生き物が無理やり体を動かしているようだった。
脳のリミッターが外れた肉の塊は、肉体にかかる負荷を無視した歪な軌道で二人に襲い掛かる。灰色の肉塊に二人の影が埋もれようとした瞬間、それらがはじけ飛んだ。
亨子の
その技は、術式で捉えた相手の空間ごと面で割り砕く。
「今のが宇守羅彈ですか。便利ですね」
「アンタも見てないで動きなさいよ」
「…あー、信じていたので」
「うざ、アンタもぶっ飛ばそうか」
彼の適当な返事に悪態で返した亨子は、それでも警戒は解かない。
よく見れば吹き飛んだ村人が再び立ち上がり、こちらに向かってきている。
「全然効いてないですね」
「うるさいわね!恐らくだけど…アイツらは死体を繋ぎ合わせたものだから多分呪霊としても生きている訳じゃない。肉体を呪力で無理やり動かしているから、動かなくなるまで壊さないといけない」
「つまり…?」
「私の術式と相性が悪い」
飛び込んできた村人だった呪霊が細切れになる。早離だ。亨子ですら目に追えない速度で振り抜いた刀身が呪霊の黒く血で汚れている。
早離がため息を吐くと、予備で持っている小刀を亨子に投げた。
「じゃあそれ持っててください。素手だと壊しにくいですし」
目に見えて落胆している彼の態度に、亨子が髪を逆立てた。
「こんのぉクソガキが!普通の呪霊だったら一発で殺せてんだよ!!」
「分かりました。分かりましたって」
「うっせぇなエロガキ!昨日は胸見て顔真っ赤にしてたくせによ」
「それは今関係ないでしょ!!」
襲い掛かる呪霊をバラバラに切り刻む。先ほどより形を残す状態だったが、それでも呪霊は動かなくなった。一体一体念入りに切る必要はなさそうだ。
二人は村の奥地に進みながら、呪霊を祓除していった。
彼の背後に立つ亨子も呪力を通した小刀で、背後から襲い掛かる呪霊を切り刻んだ。
若くして日月星進隊の隊長に上り詰めた亨子の力は伊達じゃない。
術式の相性が対人に傾いている彼女ではあるが、即席の武具でも普通の呪霊であれば簡単に対処できる。
目に見える呪霊を全て無力化し、村の奥にあるお寺に立ち寄った時に
これまでの呪霊とは全く違う、悍ましく禍々しい呪力の濃度。
二人に緊張が走る。
大門を抜けた先、本堂に向かう中庭の中央にソレは鎮座している。
象頭人身のそれは左手に大根、右手に斧を抱え、如来と同じような白い肩掛の天衣と裳を腰巻のように巻いている。
「マズイ…あれは
亨子がそう呟いた。
早離は歓喜天と呼ばれた象の頭を持つ人型の呪霊から目を離さないまま、亨子に聞く。
「何ですか、歓喜天って」
「仏教の神様の一人…おそらく仮想怨霊だろうけど。昔の妖怪とかならともかく、仮想でも神様は大体碌な事がないわ」
仮想怨霊、それは共通認識のある畏怖のイメージが呪いとなって顕現したものである。
そして今回顕現したのは神様の内の一体だ。
呪霊は人々から向けられる負の感情で強さが増していく。
こういった神様の人々が向けられる畏敬…恐れは尋常なものではないだろう。
歓喜天はゆっくりと立ち上がる_____と同時に彼の飛ぶ斬撃『与刀』が直撃する。
衝撃で砂塵が舞い視界が遮られた。
「お前!…合図くらいしろよ」
「先手必勝ですよ。強いならなおさら」
今の一撃で打ち取ったとは思っていない二人は、砂塵に浮かんだ影を見つめた。
影が一瞬揺らいだ。
その刹那、二人の眼前に歓喜天が現れる。
横薙ぎに振るわれた斧を刀で受け止めた早離が吹き飛んだ。体がくの字に曲がり、寺を区分けする塀と衝突した。
強い衝撃により砕けた塀の残骸から早離の姿が見えた。頭部から血を流した彼が、口から血を吐いて再度刀を構える。
本能的に呪力でガードしたおかげで大きなケガはないが、これまでにないような重たい攻撃だった。
いや、同じような経験はある。藤原邸の襲撃犯だ。歓喜天の一撃はあの黒い影と同じぐらい重い。
早離と歓喜天がにらみ合っていると、空中から布のような者がひらりひらりと落ちてくる。
彼の視線が宙に向けられる。
そこには全裸の亨子が空を舞っている。
彼の思考が一瞬停止しようとしたが、それを見越していたのか先に亨子が叫んだ。
「私の術式は空を操る。だからこうやって飛ぶ場合は、空をより鮮明に捉える必要がある。全身で!!」
体の大切な部分は空間を歪曲させ隠している亨子は、彼への説明と呪霊への術式開示を同時に行い術式の精度を高めた。
亨子は着衣時でも術式が使えるが、その力を全て引き出すには全裸に…体全体で空を捉える必要があった。
「…?分かりました!」
よく理解できなかった彼が適当な返事を返すと、同時に駆け出した。
相手の出方を伺う様な真似はしない。先手必勝。彼はそうやって勝ってきた。
上段の構えを取った早離は、多量の呪力を込めた渾身の唐竹割りを放つ。
甲高い金属音が鳴った。しかし彼の一撃は歓喜天の斧に受け止められた。
「もらった!!」
その隙に側面に回った亨子は歓喜天に宇守羅彈を放つ。
空間がひび割れ、一直線に吹き飛んだ歓喜天が本堂を破壊しながら消えていく。
衝撃で建物の一部が崩れ落ちるが、半壊した建物の隙間から無傷の歓喜天が姿を現した。
亨子の舌打ちが響く。
早離は与刀を放つと同時に距離を詰めた。
先行する斬撃が歓喜天に着弾するが、キィンと音がなるだけで体には傷一つ付いていない。
低い姿勢で踏み抜いた彼は、自身の顔に迫る斧に対し体を曲げ寸での所で回避しながら、その場で回転するように下から上に逆袈裟斬りを振るった。
歓喜天の下腹に沈むように入った刃は、肩口辺りまで深い傷をつけた。
緑色の鮮血が地面を汚す。間髪入れず彼が追撃を狙うが、それより先に斧の先端…斧腹が彼の胴体を突いた。
刃が無い部分に突かれたはずなのだが、その凄まじい勢いの刺突は彼の小さな体を貫いた。地面を向く斧の刃が勢いはそのままに前に進み、彼の臓物を切り裂いた。
斧に体を貫かれた彼は串刺しのまま宙を浮かされる。
歓喜天がそのまま斧を振りかぶると、彼の体はすっぽ抜けて地面を転がった。
転がった亨子は、倒れている彼に駆け寄った。
「生きてる?」
「ゴボ、ッガ、グゥ…オエェェェェ!…大丈夫です」
口の中までせり上がってきた血を吐き出しながら、彼は反転術式で傷を塞ぐ。
服部に空いた穴があっという間に塞がり、穴の空いた着物だけが残っている。
「それに結構大きいの食らわせたので、これで奴も」
相手にそれなりに痛手を与えることが出来た、そう確信を持った彼の思惑は外れる。
歓喜天は左手に持った大根に噛り付いた。
すると斜めに切り裂かれた腹の傷が癒えていく。
あっと言う前に戦闘をする前の万全な状態に戻ってしまった。
「呪力による治癒…厄介な」
上位の呪霊ほど反転術式に相当する回復手段を持ち合わせている。
今回の仮想怨霊もそうであった。
「何か打開策とかありませんか」
「…領域展開なら出来るけど」
「じゃあやってください」
「私の領域展開は必殺ではないから、あまり効果的には思えない。下手に領域展開しても仕留めきれず術式が焼けたら余計に不利になる」
「…はぁ」
「おま!いま使えないって思ってんだろ!!」
二人が左右に散らばる。遅れた二人が居た場所に投擲された斧が突き刺さる。衝撃で地面が隆起して地震のように地が揺れる。
「(斧を手放した)…好機!」
早離は地上から。亨子は空中から攻撃を仕掛ける。
亨子の放った宇守羅彈で歓喜天は吹き飛んだ。しかし目に見える損傷は見られない、だが飛ばされた先に彼が居る。
彼は居合の構えのまま、そこに不動で立っている。
彼には技と呼べるものを殆ど持っていない。
ワザと呼べるまで昇華されているのは、斬撃を飛ばす『与刀』、『反転術式』そして『領域展開』だろう。
しかし彼の領域展開は、この状況を打開するほど有力なものではない。
必中に重きを置いている彼の領域に必殺の要素はない。
彼が有利になる空間、その程度だ。
さらに彼の術式の性質上、領域展開後も術式は継続利用できるが、その分のしわ寄せが彼の呪力強度に降りかかる。
端的に言えば、領域展開後は呪力が極端に減りかなり弱体化する。
確実に倒せる保証がない今、領域展開は得策ではない。
では何が有効か。
思い出すのは以前の呪詛師討伐。
呪詛師が最後に放った技がシン・陰流の技である事に、彼は気が付いていない。
彼のシン・陰流の認識は「なんか有名な型のやつ」だ。
しかしその天性のセンスが一度見ただけの技術を模倣してしまう。
彼の膨大な呪力が鞘の中の高速循環し、閃光の如き速さで引き抜かれる。
彼の刀が歓喜天の胴体を切り裂いた。
肉が裂け、刀身は一刀両断しようと内部に浸食する。
しかし体の中心辺りで刃の勢いが弱まり、止まった。
先ほどの一撃に全体重を乗せていた彼は、それ故に回避行動が遅れてしまった。
彼の左手に歓喜天の手が掛かる。
現代で言えば特急呪霊に分類されてる歓喜天の膂力は尋常ではない。
掴まれた左腕は粘土を握るかのように潰れ、呪霊の指が肉に埋まる。
灰色の指先が肉を潰して内部に沈み込み、中に分散した圧力は骨を割る。
潰れた肉の隙間から飛び出した骨が外気に当たる。
「……ッッッ!!!!!」
声にならない悲鳴がした。
顔を歪ませ、歯を食いしばった彼がすぐに距離を取ろうとするが、左手を掴まれたままであり距離を取ることが出来ない。
歓喜天の反対の腕が、彼の腹部に沈んだ。
咄嗟に呪力を集中させたことで貫通は間逃れたが、衝撃で内臓が悲鳴を上げる。
内容物が込み上がり、強烈な痛みが体を襲う。
そのまま殴打を続けようとする歓喜天を見て、彼は咄嗟に自身の左腕を切り落とした。
距離を取ろうとする早離であったが、耐え難い痛みで動きが鈍る。
「宇守羅彈!」
彼の退避を援護するために亨子は宇守羅彈を放つ。
呪霊の攻撃を防ぎ、彼の撤退を援護する事は出来たが、呪霊が吹き飛ぶことは無くその場に留まっている。
亨子の攻撃を予測していた歓喜天が、攻撃箇所に呪力を集中させていたからだ。
呪霊の矛先が彼女に向いた。先ほど投擲されたはずの斧がいつの間にか手元に戻っていた。
斧も呪霊の呪力によって生成されている事に彼女が気づく…が遅い。
振るわれた斧の軌道を反射的に術式で歪ませた。
歓喜天の腕がゴムのように伸びて空振るが、歪んだ空間の隙間を縫って反対の拳が彼女の体に突き刺さった。
彼女の体がぽっきりと折れて、きりもみ回転を起こしながら地面を転がる。
折りたたんだ本のように折れ曲がった彼女はそのまま動かなくなった。
「させるかよ」
亨子に追撃の手が向かう前に、彼は片手で剣を振るう。
同時並行で失った左手を反転術式で治しているとはいえ、使い物になるまでは時間が掛かるだろう。
彼の攻撃はやけっぱちに近い。
防御を捨てた捨て身の剣戟。歓喜天に攻撃の隙を与えない連撃は、彼の体力が尽きた瞬間に終わりを迎えるだろう。
遠くで呪力が揺れた。亨子の反転術式だ。
生半可な攻撃では時間稼ぎにもならない。体力の続く限り刀を振るった。
徐々に適応する歓喜天は、剣戟の隙間を捉え始めていた。
突き出された手刀が彼の肩を掠める。膝蹴りが脇腹に沈む。いつの間にか攻撃するより防御の回数の方が増えていた。
耐えきれず距離を取った。すると歓喜天はいつの間にか持っていた大根を再び齧り、彼がつけた傷跡がなくなっていく。
また振り出しに戻った。いや、状況は芳しくない。
亨子の呪力が底を尽きようとしていた。
本来ならば、反転術式で使用する呪力は相当な量である。
亨子の凡庸の域を出ない呪力量からすれば、自身の致命傷を一度治しただけでかなり消耗してしまう。
二人でなんとか食らいつけていたのだ。一人ではどうなるか結果は目に見えている。
「…ここで決めるしかないか」
先ほどの居合は決して悪い結果ではなかった。
厚い肉の壁を両断するのに足りていなかったのは速度、重さ、力。
彼は力士が相撲の前に行う蹲踞のような構えを見せた。
両手を地面に突き、腰を上げる。
速度を求める為に彼が本能的に構えた姿勢は、後にクラウチングスタートと呼ばれる構えであった。
呪力で強化された太ももが丸太のように膨らんだ。
加圧された呪力がはじけると、雷鳴のような轟音と共に彼が駆けた。
残像が彼の軌跡をたどる。振り絞られた弓からは放たれる矢のように飛び出した彼は一直線に歓喜天に向かい…
虚を突かれた歓喜天の反応が一拍遅れた。
呪霊の背後、彼が駆けた先には反転術式によりどうにか体勢を起こせるまで回復している亨子の姿があった。
「抱きしめてやるよクソガキ!!!!」
亨子が術式で彼を抱擁するように捉えると、トップスピードを損なわせないまま回転して射出する。遠心の力により更に加速した彼は、未だ背後を振り向ききれていない歓喜天の側面を突いた。
シン・陰流 『 居合 』
鞘から引き抜いた摩擦で熱を持ち、橙に光る刀身が真一文字を描く。
刃が肉を引き裂くとほぼ同時に衝突した呪力は空間を歪ませた。
誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した際に生じる
呪力の神髄は彼に微笑んだ。
先の戦闘の衝撃で、半壊した寺の一室にそれはあった。
黒い箱に包まれた仏像。
象頭人身の人間が彫られた仏像は、よく見れば台座が半分に割れている。
「半分に壊れてる……クソ!だからか」
早離が来ている血まみれの衣服とは違い、戦闘前に脱いだことで清潔な袴に身を包めている亨子が忌々しそうに呟くと、手に持った仏像を床に投げて破壊する。
「何かわかったんですか」
「あくまで予測だけどな。全部コイツのせいだよ。どっかの馬鹿が壊しやがったんだ」
亨子の説明はこうだ。
そもそも歓喜天とはオスとメス、二対の象頭人身が抱き合っている姿で描かれる。
今回も台座が半分に割れている事からおそらく二対で彫られていたのだろう。
それが何らかの影響で砕け、抱き合っていた仏像は1人になった。
問題は1人残った方だ。
男の方の歓喜天は
彼の悪行を憂いた観自在菩薩が女の姿を取ると、彼に抱き着き「仏教を守護する神になるのであれば、貴方と交わろう」と言った。
女の観自在菩薩に惚れた歓喜天はその誘いに乗り、仏教の護法神になったと言う。
「じゃあ…仏像が壊れて女性の方と離れ離れになった結果、今回のようなことが起きたんですか」
「…村人は壊れた事に気づかずにずっと祈っていたんでしょ。これ、秘仏だし。それで畏敬の念が募りに募って呪霊化したってとこじゃない?」
あーあ、やってらんね。彼女はそう言って、障子を蹴飛ばして外に出る。
「秘仏とは何でしょう?」
「…アンタって本当に子どもね」
「秘仏など知らなくても生きていけます」
「そういう態度の時点でガキなんだよ…秘仏ってのは公には見せないようしている仏像のこと。力が強い仏具だと見るだけで非術者に悪影響を与えたりすんの。だから箱にしまって、直接見せないようにして祀る。だから壊れているのにも気が付かないで、毎日馬鹿みたいに祈ってんだんじゃない?それで全滅してるんだからとんだ笑い話だけど」
ケタケタと笑う亨子が早離を見た。
早離は亨子の言葉に納得するだけで、特段何かしらの感情が表に出てはいない。
「…天元の弟子なのに落ち着いてるのね」
「え、どういう意味でしょうか」
彼女が言葉を濁す。
「いや、ほら、天元の弟子ってことは…良い子ちゃんでしょどうせ。優等生みたいな。死者を冒涜するなとか言わないの?」
「呪力も碌に使えない徒人がちょっと減った所で私には関係ありません。どうせまた勝手に増えていきますよ」
彼の言葉は背伸びをしている。
絶賛反抗期の彼は親の言葉に歯向かいたくて仕方がない。
そういった青い感性から来る発言であったが、あながち嘘を言っているわけでもない。
別に憎かったり下に見ている訳じゃない。ただよく知らない人が死んでも悲しくないだけだ。
彼の啖呵を聞いた亨子は一瞬無表情になると、ニヤニヤと頬を緩ませた。
彼女は早離の柔らかいほっぺを手で挟んで揉む。
「へぇ~、不良じゃん。天元が聞いたらひっくり返るでしょ」
「ひゃらはなひでくだひゃい」
彼が手を払いのける。それは彼が子ども扱いされた羞恥によるものだ。
ただそれとは別に、年上の人から悪い人だと思われる事への愉悦…その照れ隠でもあった。
村の出口まで来ようとしていた。
村人の死体は残っているが、建物には半壊した寺を除いて損傷はほとんどない。
呪霊の正体も土着でない事から、きっとこの村も新しい入植者が来て再興するのだろう。
彼女は道を塞いでいる、まだ人間の形を保っている村人の死体を蹴飛ばした。
「それにしてもバカみたい。祈っても何も助かる事なんかないのに」
強い口調で呟かれたそれは、なんだか含みがあるように彼には思えた。
本当に心の底から思っているように聞こえる。だが、それとは別の感情がある気がした。
「どうして村人は居ない者に祈るのでしょうか。天元様に祈った方がまだ助かる可能性が上がるのではないでしょうか」
「…そりゃ、
何を変な事言っているんだ。そう言いたげな表情を亨子が浮かべた。
「どれだけ長く生きてようと所詮は人間であることには変わりない。そんなの誰だって分かってるから、存在していない架空の生き物に祈ったりするんでしょ」
早離にとって、その返答は目から鱗であった。
彼は無意識の内に、天元を万能の存在だと捉えていた。
彼女に不可能な事はない。うっすらとはあるが、それが確固たる真実だという認識を持ち合わせていた。
しかし、そんなあり得る事のない考えは亨子の指摘で簡単に崩れた。
それが別に亨子でいなくて良い。他の誰かが少し触れただけで壊れてしまう泡のような理想であった。
「…そうですね。うん。そうだ」
茫然とした表情を浮かべ、何処か虚ろな目で前を見る早離は分かりやすかった。
亨子にはそれが落ち込んでいるように見えた。
その原因に間では気が回らなかった亨子であったが、何となく慰めてやった方がいいかなと考えた。よく考えれば、自身に与えられた任務は彼と仲良くなることだ。
彼が単純で御しやすい童であったから何とかなったが、これが普通の男性であれば上手くいったか分からない。自身の不出来を補いように彼女は取り繕った。
「じゃあ、私が困ったら早離に祈ろうかな。今回も助けてくれたしね。呼んだらちゃんと来てくれるでしょ」
「…私も人間なのですが。それに都合のいい人間として扱っていませんか」
「なにそれ…ダメなの?」
亨子は早離に顔を近づけた。彼の瞳に亨子の大きな黒目が映る。
じっと見つめていると、彼が顔を赤らめていく様子が分かりやすくて彼女は笑ってしまう。
早離は揶揄われたのだと気が付いた。
「人を玩具にしないでください!」
「ごめ、ヒヒヒ。だって、顔が、フフ、金魚みたいに」
「祈られても絶対に助けません。勝手に死んでいてください」
「ご、ごめん。だって、ウヒヒ、下から色を塗るみたいに顔が赤くなって、アハハ!」
それから都に帰るまでの間、亨子はずっと彼を揶揄って遊んだ。