【完結】平安だよ!全員集合   作:鯨油

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最新話(269話)であったシン・陰流との描写と、一部異なった設定が出てきます。
ご容赦ください。


8話

「頼むよ…どうか命だけは…お願いだ。な、何でも言う事を聞く!藤原の上げる議題にも全て賛同する!。だから、こ、殺さな」

 

鮮血が飛んだ。さっきまで命だったものがただの肉になる。

人肉は食えないので、豚の餌にでもしよう。

死んでなお誰かの為に慣れるのだから彼も幸せだろう。

 

不正を働き税をちょろまかしていた者の死体から目を離した藤原道長は、顔に飛んだ返り血を袖で拭う。

 

道長は不思議でならなかった。

 

どうしてはした金を得る為だけにそこまで必死になれるのか。

どうして定めた規定に従うという簡単な事もちゃんと守れないのか。

どうして皆が世界ではなく自分の為だけに、こうも頑張るのか。

 

 

この世に生を成したその瞬間から、彼は利他的に生きていたつもりだ。

一度たりとも必要のない欲を満たそうなどと思った事がない。

 

故に、道長はこの国の頂点を目指した。

それがこの国を正常な形に戻す最適解だからだ。

その為には何でもやった。

 

のし上がるには都合の良い手駒が居る。

 

呪術の才能がある女を集め、子供を量産した。

名を持たず、自我を薄めた、滅私奉公を象った彼の手足。

 

何者かになる必要はない。

ただ名前も知らぬ誰かの為に死ぬことが至極の喜びと心得よ。

 

道長の教えの元に生み出された手足達は、彼をここまで押し上げる原動力となった。

 

それでも離反者は一定数現れる。

道長には理解できなかった。

 

どうしてそこまで自分の為だけに行動できるのか。

誰かを助けるために死ねるのならそれだけで幸せだろうに。

 

彼が死地に赴かず政治を担っているのは、他に自分の代役が居ないからだ。

彼が腐った貴族に援助を施すのは、自分1人では組織が成りたたないと知っているからだ。。

彼が豪勢な家に住み贅沢な暮らしをするのは、それが何より他者を引きつけるのに一役買うからだ。

 

彼はあと一歩のところまで来ていた。

 

帝はまだ若い。この国を正しく導くためには摂政が必要になるだろう。

藤我北家は今この国で最も帝に近しい家だと言っても過言じゃない。

摂政には恐らく道長か…あるいは彼の甥である藤原伊周(ふじわらのこれちか)が選ばれるだろう。

 

彼の悲願はもうすぐそこまで来ている。

多くの屍を踏み抜いて、彼は己の信じる正義の為に天を掌握する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時期は、御三家や天元など多くの有力な術師が都の外に出ていた。

 

藤原も同じく、万に返り討ちにあった『五虚将』も遠方に飛び、藤原邸に残ったのは暗殺部隊である『日月星進隊』だけであった。

 

数年前の暗殺未遂の一件から、道長の警戒は一日も緩んだことは無い。

伊周との関わりもなく、道長の信頼における者として早離が護衛を頼まれた事は、決しておかしな話ではなかった。

 

 

 

「心配性が過ぎるのではないでしょうか」

 

「私語をするのはいいが、集中だけは切らすなよ」

 

「多分、亨子さんよりは早く動けますよ」

 

「うっせぇ死ね」

 

二人は樋殿(トイレ)の前に立っていた。

排尿を終えた護衛対象が姿を現す。

 

相変わらず大きな男だと、彼は思った。

齢を重ね成人として扱われるようになった彼であるが、その身長はあまり高くない。

藤原道長の隣を歩く彼の姿は、少年の時と変わっていないような錯覚を覚える。

 

「麻呂が心配症なのではなく、皆が心配していないだけだと思うのじゃ。まぁ、だからこそ麻呂はここまで出世できたのじゃが」

 

二人の目が大きく開き、冷や汗が走る。

 

「…此度の無礼な態度。どうかお許しを」

 

「良い良い。麻呂とそなたの仲じゃ。…亨子の無礼も許そう。しかし、代わりに護衛はしっかりと頼むぞ」

 

「「承知いたしました」」

 

気の緩んだ態度を見せてしまった彼と亨子は滲んだ汗を流しながら、道長の前後を挟むように並走する。

だが彼らがそのような態度を取ってしまうのも仕方ないだろう。

 

藤原邸の襲撃があったのはもう3年以上も前の事。

あれ以降これといった出来事は起きていない。

 

どうせ今回も何も起きないだろう。そういった慢心が彼らにはあった。

 

内裏での業務を終えた道長一行は藤原邸への帰路に着く。

何も変わらない、いつもの道程。彼だって完全に緩んでいたわけではない。

屋敷の門をくぐる前に呪力を目に集め、以前のような結界の有無を確認をする。

 

異常はない。

亨子の先導の元、一行は屋敷の門をくぐる。

 

内部も何ら異常は見つからない。

平伏している門呼びの隣を通り過ぎ、屋敷の中に入った。

 

襖を開け、亨子を含む数人で部屋の中を確認する。

暫くして早離らの方に振り向いた亨子が頷いた。

 

部屋の中も問題は無い。

 

道長が部屋の仕切り跨ごうとした。

早離も亨子も、他に随伴している術師も皆が道長を視界に入れている。

 

 

 

 

 

 

そして道長の足が部屋の中に踏み入ったその瞬間______()()()姿()()()()()()

 

 

 

それは一瞬の出来事だった。

何の予兆もなく、唐突に道長の存在だけが消失したのだ。

 

 

 

最初に行動に移せたのは早離。

 

道長の数歩後ろに居合わせていた彼は、同じように部屋の敷居を跨ぐ。

 

瞬間的に膨大な呪力を纏わせた彼は五感の全てを使い違和感を探る。

過剰な呪力消費を引き換えに向上した感覚器官は、とある違和感を補足した。

 

「危ないですのでどいてください!」

 

そう叫んだ早離は、さっき跨った部屋の敷居に向かい刀を振るった。

 

空を切る様に振るわれた刀身が不可視のナニカを傷をつけた。

刀身に触れた部分の空間がひび割れ、大きな刀傷が宙に浮いている。

呪力を帯びた斬撃は循環定義に綻びを生じさせた。

ひび割れた空間の隙間から見える景色は、無傷の空間から見えるものと同等であった。

 

()()()()か!」そう叫んだのは亨子だ。

 

空性結界とは、内部の構造を自由に変更可能な結界の事である。

その性質は領域に近しい。 

 

道長が一瞬にして姿を消したのも空性結界のせいである。

結界の内側に道長が入った瞬間に、道長の輪郭に沿って構造を変容。

道長1人を結界内の別空間に移動させたのだ。

 

屋敷の構造を沿うように構成された空性結界は、その境界を壁や天井の中に隠し物理的に見えないように構築されている。

 

しかし空性結界と言えど、結界内での瞬間移動や、物体の内部に結界の外殻を通すには並外れた技量が必要である。

 

早離も亨子も、一連の消失が空性結界によるものなのかは確信がなかった。

もしかすると、他の手段を用いたのかもしれない。

だが、正解を考察する余地がない二人は直感のままに行動を起こす。

 

道長が消えてから5秒が経過した。

一連の行為を実行可能な術師ならば、既に事を終えていてもおかしくない。

 

彼の脳内に数多の思案が浮かぶ。しかしどれも有力ではない。

空性結界の内部をちまちまと探している時間はなかった。

 

「早離、領域展開!」

 

亨子が叫ぶ。

 

「空性結界を外殻にして領域を展開するの!」

 

亨子の指示を受けた彼が、迷うことなく従った。

 

損傷した結界の傷に手で触れる。

 

結界に呪力を巡らせて全体像を把握する。それに合う形で領域の構成条件を変更した。

 

結界の外殻を利用したのが功を奏した。

結界術で何より重要なのは『具体的なイメージ』

既にある規格を沿うだけのなので、要件変更は素早く終えた。

 

彼は人差し指から小指までの付け根にある丘と丘を合わせて指を絡める。

付け合わせて丘から下を開き、 (ひとがしら)のように開いた。

 

掌印を結んだ彼がぼそりと呟いた。

 

領域展開 『偸盗五蘊辱(とうとうごうんじょく)

 

藤原邸が闇に包まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偸盗五蘊辱(とうとうごうんじょく)』の付随する術式効果は呪力の奪取である。

殺害により呪力を奪う『簒奪呪法』とは異なり、領域下に存在する呪力を伴う物体、その全てから呪力を奪取することが出来る。呪力の吸収は時間経過と共に進行する。

 

空性結界を塗り替えるように展開された早離の領域は、急速にその規模を縮小させた。

屋敷に重なるように広く設定されて結界が、一塊に統合されていく。

 

広間程度に縮小された空間に早離や亨子などの護衛の呪術師達が、そして床に倒れ蹲っている道長と、その道長に今にも刀を振り下ろそうとする人影が一堂に集結させられる。

 

先に動けたのは亨子だった。

空間を圧縮するのに意識を割いている早離より早く動き出した亨子は、襲撃者と思われる影に『宇守羅彈』を放った。

 

影が刀を下ろし、防御に回る。

その隙に亨子は道長を抱え、距離を取ろうと後方に飛ぶ。

 

しかし影はその隙を見逃さない。宇守羅彈をもろともしない影は、後方に飛んだ亨子を空中で捕える。

脱着する暇がなかった亨子は、現在術式を完全には扱えない。

回避行動に移れない亨子に鈍く煌めく鉾先が向かう。

 

抱える道長を体の後ろに回し、身を挺した亨子は恐怖で目を閉じる。

だが凶刃は亨子を貫かなかった。

 

間に入った早離が、凶刃を受け止めたのだ。

 

早離と影と鍔ぜり合いの形で互いに膠着する。

 

両者の動きが止まり、ようやく影の輪郭がはっきりと映った。

 

『偸盗五蘊辱』には呪力を奪う術式が付与されているが、それは生物だけでなく術式も該当する。

 

例えば赤血操術の『百斂』

『百斂』で形成した血の塊を術者の周囲に浮かせて帯同させる場合があるが、この形成された血の塊は微小な呪力で形を保っている。

 

彼の領域はそういった術式に付随した呪力も吸収する。

領域下では直接触れている場合を除き『百斂』のような微弱な呪力で運用される自立した術式は、その形を保つことが難しい。

 

以前の襲撃において、襲撃者の姿を隠していた影も結界術の一種である。

術者周囲の風景を歪めるその結界術は領域の対象であった。

 

つまり、早離には襲撃者の正体がはっきりと分かった。

 

「久方ぶりでございますね。芦屋貞綱殿」

 

「少しは驚かれると思っていたのだが。早離殿」

 

御前試合で見た時と何一つ変わらない姿をした芦屋貞綱がそこに居た。

 

 

 

 

 

 

本来、空性結界内で展開された領域の情報は、空性結界の主に筒抜けになる。

だからこそ剣術だけでなく結界術にも理解が深い芦屋貞綱は、早離の領域のベクトルパラメータを中和する設定を流し込む事で領域を打ち消すことが出来た。

 

しかし今回は、空性結界の構造を上塗りするように早離の領域が展開された。

それ故に芦屋貞綱は早離の術式の情報を取得する事が出来ない。

 

早離の心象風景が投影されている『偸盗五蘊辱』は一面は黒曜石のような漆黒の岩肌で地表を埋め尽くしている。

岩肌の上には腹部だけ異様に膨れている瘦せこけた禿げ頭の遺骸が散らばっており、身じろぎ一つしない遺骸共がただじっと領域内に押し込まれた彼らを睨みつけている。

 

遺骸と目が合った護衛の術師が、思わずのけ反り尻餅をついた。

彼の領域が初見ではない亨子は相変わらず辛気臭い領域だと感じる。

 

彼が弾く様に刀を押し出した。僅かに態勢を崩した芦屋貞綱の隙をつき、彼が距離を取る。

 

道長を別の術師に預け、既に衣服を脱着させた亨子の側に彼が付いた。

 

「まさか、あの芦屋貞綱とはね。そりゃ結界も分からないわ…」

 

「誰であろうと関係はありません。私たちは道長殿を守るだけです」

 

「そんな事分かってるわよ…アンタの領域のせいで私たちまで呪力減ってんだけど」

 

「除外する対象を設定する時間が無かったので。私が囮になります。他の皆さんは隙をついて下さい」

 

戦闘の方針が決まった彼らの前に、簡易領域を形成した芦屋貞綱が立っていた。

 

「作戦会議は終わったか?」

 

「貞綱殿も混ざりますか」

 

「結構だ。一人の方が好きな性分でな」

 

「奇遇ですね。私もそうです」

 

芦屋貞綱が駆ける。道長を抱える者を囲うように他の術者が守備を固め、早離と亨子の他に浮いた数名で迎撃をする。

 

最初に芦屋貞綱と相対するのはやはり彼だった。

上段の構えの振り下ろされた一刀を正面から受け止める。

 

領域下にある彼は、自身の身体能力が今まで以上に向上している。

以前ならば簡単にあしらわれてた彼も、年月の経過と領域による潜在能力の向上で対等に近い形で対応する事が出来た。

 

隙をつく様に別の術師が攻撃を加える。

右方から炎が、左方から槍が。早離は芦屋貞綱が後方に引くと予想し、追撃の取る構えだった。

 

しかし、貞綱の顔に焦りは見られなかった。

むしろ子供と戯れているような余裕すら感じられる。

 

「即席にしては悪くない連携だ。自信を持っていい」

 

芦屋貞綱を語る際、最初に注目されるのはその卓越した剣術だろう。

シン・陰流の創始者である彼の技は、その辺の門下生が行うシン・陰流とはわけが違う。

巷で見かけるそれらの技術は全て芦屋貞綱の劣化でしかない。

 

後世の歴史書に記載されることは無かったが、芦屋貞綱は結界術の使い手でもあった。

考えてみれば当たり前である、簡易領域を生み出した男が結界術の理解が浅い訳が無い。

 

卓越した剣術と、結界術への造詣の深さ。

多くの者が注目するであろう要素以外にも、芦屋貞綱には特出すべき才能があった。

 

それは思考の速さだった。

 

人間は脳で考えるよりも、脊髄の反射で動いた方が早く行動に移すことが出来る。

大脳皮質を経由せずに済む分、反応に用いる時間が少なく済むからだ。

 

しかし脊髄内のニューロンで行われる反射は原始的な反応しか出来ない。

 

芦屋貞綱は違う。

 

際立っていたのは神経伝達速度。

芦屋貞綱は脊髄反射と限りなく近い速度で、意識的反応を行う事が出来た。

 

刀を持たない左手で迫りくる槍の穂を掴んだ。手の皮が穂先で引き裂かれるが、芦屋貞綱は気にも留めない。

そのまま槍を自身の方に引っ張りだし、槍を掴んだまま術師が彼の傍まで引き寄せられる。

 

術師を右方から迫る炎に投げ込んだ。

炎をせき止めるように投げ込まれた術師の皮膚が焼けただれ、肉が焦げる。

左手で穂を掴んだままの槍で早離の空いた体を突いた。

 

持ち手の先を向けた事で、貫通する事は無い。

しかし内臓が圧迫されたことにより少しだけ早離の意識は薄まった。

 

芦屋貞綱は身を引いた。

痛みに悶える早離は、それでも意識を刀に向けておりどんな攻撃にも備えているつもりであった。

 

刀の先が真っ黒な空を向いていた。

 

芦屋貞綱は結界術の使い手である。貞綱が、彼が知覚できぬ速度で空に結界を形成する。

その結界は鞘の形をしていた。上を向く刀身が結界で作られた鞘に納められる。

 

シン・陰流『居合』には縛りが込められている。縛りの内容は鞘に刀身が納められている事つまり必ずしも居合の構えを取らなくてはいけないわけでない。

 

最速の剣技である『居合』を早離はもちろん警戒していた。

 

以前彼が受けた芦屋貞綱の居合が本気でなかったことは分かっている。

だからこそ、『居合の構えで放たれる』という前提で動いていた早離は虚をつかれた。

 

「申し訳ないと思っている」

 

貞綱がそう言うと、鞘の中で呪力が順転で刀身は加速する。

 

音速を超える袈裟切りに、早離は反射が追い付かなかった

肩口から入り込んだ刃は、肉も骨も全てをないまぜにしながら体内を蹂躙する。

芦屋貞綱はそのまま刀を振り抜いた。そう、振り抜いたのだ。

 

斜断された彼の胴が滑るようにずり落ち、その場に不動で佇む彼の下半身は芦屋貞綱によって蹴り倒される。

彼の下半身を踏み越えた芦屋貞綱は、地を伏して動かない彼の体を貫く。

 

脳みそを狙った一突き。慣れた感触が手に伝わった

 

「無駄に死ぬ必要はないと思うが…それでもまだやるか?」

 

残りの術師に向けて貞綱が降伏を促すが、誰一人従う者はいなかった。

守るべき対象を殺されてしまったけどその護衛は生きています、なんて失態を藤原は絶対に許さない。

この任務に就いた時点で失敗は死を表している。

 

返答代わりに向けられた『宇守羅彈』に対し、呪力を集中させ防御をする。

 

「それはさっき見た。面で攻撃するならその面全体に呪力を集中させればいい」

 

「ごちゃごちゃうっせぇんだよ…ぶっ殺してやるから口閉じろ」

 

その声色は落ち着いているものの、青筋を立て呼吸を荒くした亨子は燃えるように呪力を滾らせている。貞綱の視線が一瞬だけ早離に向き、再び亨子に向かった。

 

「おいて行かれるのは辛いだろう。安心していい。直ぐに追いつけるようにしよう」

 

 

 

 

 

 

 

芦屋貞綱が思うに、この世はあまりにも不完全であった。

 

播磨の正岸寺で産声を上げた芦屋貞綱は、この世のあり様に疑念を抱えた。

無辜の民は虐げられ、呪いと業人が世にのさばっている。

積み重なった祈りは塵芥と化し、ただ屍の山だけが残った。

 

衆生の多くが善であることを彼は知っている。

だが善と悪の均衡が崩れている光景を彼はあまりにも目にしすぎた。

 

釈迦は輪廻の輪から外れる事を目指した。

それはつまりこの世界から逃げだしたかったのではないか。

この世界は逃げ出す必要があるほど淀んで醜い姿をしているのではないか。

 

いつしか彼は本気でそう思うようになった。

 

シン・陰流は弱者救済の装置である。

術式を持たない者に向け、誰にでも扱えてそれでいて堅牢で強力な武器になる様に。

 

シン・陰流は彼の変容した祈りだった。

シン・陰流は彼の変容した憎悪だった。

 

一門相伝にしたのは縛りだ。

縛りを科すことで習得の難易度を下げる。

それでいて、見て覚えれるほどに簡素な設計にした。

 

彼の作った装置はいつしか一人でに作動し始めて、もはや誰の制御下にも屈しない程多くの者に広まった。

選民は反吐だ。祈りは全ての人間に許された権利なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芦屋貞綱には疑念が残っていた。

それは早離の領域が顕現し続けている事だ。

 

現在領域内には、芦屋貞綱だけが立っていた。

亨子も、他の術師も、皆一様に切り刻まれ床に伏している。

何人かは生きているが、それも虫の息だ。しばらくすれば勝手に死ぬだろう。

 

後は意識を失っている道長を殺すだけであったが、彼の意識は目の前の標的より現状の謎に向いた。

 

領域は術者が死亡、或いは領域の維持が出来なくなる程の重傷を負った瞬間に解除される。逆説的に捉えると彼がまだ生きている可能性があるという事。

 

「まさかお前は…。いや、天元様じゃあるまいし」

 

頭部を貫かれ、上下に体が二分している早離を見やるが、しかしどう見ても生きているようには思えなかった。

 

仮説を立てるとすれば、残留思念だろう。

 

肉体と魂の死にはタイムラグがある。例え肉体が滅びようと、残留した呪力が魂を生かしてしまうのだ。

だが肉体が死んでいる時点で、呪力の供給は行われない。

 

こうやって顕現する領域は残り火の様なものだろう。そう推測した。

 

「まぁいい」

 

早離を観察していた貞綱が踵を返すように背を向けた。向かう先は道長。

貞綱を妨げる者は誰も居ない。何処かに慢心があった。

誰だって同じ状況になれば生まれてしまう慢心、だからこそ気が付かなかった。

 

最初に感じたのは熱。燃えるような熱は腹部に溜まり目をやる。

刀が体から生えていた。腹部を貫通するように刀が生えている。

 

不意打ちに狼狽するほど貞綱も若くない。

背後を確認する前に刀を背後に突き出した。しかし感触が無い。腹部の刀が抜き取られた。

そのまま突き出した刀を横薙ぎに振りながら回転し、後ろを向く。

 

刀の間合いから一歩分だけ離れた所に早離が立っている。

胴体は接着され、頭部の穴はまだ癒えきれていないが、薄い皮が形成されている。

 

「…どうして生きている」

 

貞綱が珍しく動揺する。決して確認を怠ったわけではない。

先ほど見た彼は間違いなく死んでいた。

 

 

 

早離が息を吹き返したのは『偸盗五蘊辱』によって簒奪した呪力のおかげだ。

肉体が死を迎え、消失を待つだけだった魂は本能的に残されたわずかな呪力の多くを領域の維持に回した。

普通なら呪力が枯渇した瞬間に魂も消失する。しかし彼の領域効果によって魂は呪力の充填が可能になっていた。

 

領域設定を変える暇がなく、味方の呪力も吸収していた事も功を労した。

もし貞綱一人だけが対象であれば、呪力の供給ペースが消費に追いつかなかっただろう。

領域内での生命の死滅は、殺害した者が誰であれ彼が呪力を受け取れる副次効果を伴っている。貞綱が殺害した術師の呪力の一部の彼に蓄えられた。

供給高になった呪力が反転術式に回された。

失った肉は、血液は、内臓は呪力で代用される。

 

早離はどうして自分が生きているのか理解していない。

そもそも肉体が死んでいたこと自体も認識出来ていない。

ただやるべき事は分かっている。

刀についた血を振って拭う。

 

貞綱の脳裏に死体を操る術式が浮かび、第三者の存在を考え周囲に警戒が向いた。

その刹那に、早離が眼前にまで距離を詰めた。

 

歪な動きだった。

地面を滑るような、転がるような人間離れした動き。

 

初期動作から次の行動を予測する貞綱は反応が出来なかった。

早離の動きが早いだけでない。その初期動作が見当たらなかったからだ。

 

人体の構造上、初期動作から一定の予測は必ず取れる。

だが先ほどの早離の初期動作は貞綱の知識に一つも当てはまらない。

 

奇行の正体は肉体の死にある。彼の肉体はまだ完全に修復されていない。

運動機能だけを優先して治しただけで、そのじつ免疫機能や認識能力の一部はいちじるしく低下している。そこには脳のリミッターも含まれた。

 

リミッターが外れた脳は肉体の枷を解いた。

 

速く移動するためには、必ずしも人間らしく走る必要はない。

 

マサチューセッツ工科大学の研究でAIを搭載した四足歩行ロボットの実験が存在する。

速度だけを重視したAIが編み出した歩行方法は、とても奇妙で歪であった。

チーターやライオンのように走ると思われたロボットは、両足をばたつかせ犬掻きのような姿勢で素早い動きを実現させた。

理性や耐久性を鑑みない最適解だけを求めたモーション。

 

現在の彼はAIのそれに近い。肉体の損傷は反転術式で対処ができる。

 

未だ半覚醒に近い彼は、リミッターの壊れた脳みそで最適解だけを目指し筋肉を収縮させる。倫理や常識はそこに介在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「他の術師には悪い事をしたと思っている。藤原邸に住まう下人達もそうだ。結果だけを鑑みれば必要のない殺しだったかもしれない。拙僧がこの罪を忘れる事は無い。許されようとも思わない。これは死ぬまで…いや、死んでからも背負い続けるだろうな」

 

ひどく寂れた寺の縁側に二人が座って外を呆然と眺めていた。

陽の光に照らされて遠くがぼうぼうとぼやけて見えた。

 

早離は隣に座る芦屋貞綱に顔を合わせずに、縁側から見える景色をずっと眺めていた。

境内には小さな池があり、彼が見やるとちょうど鯉が水面を跳ねた。

 

「そこまでする必要があったのでしょうか。藤原に悪い噂は絶えませんが、それは藤原に対してです。道長殿1人を殺したところで有り様が変わるとは思えません。それとも家そのものを根切にでもするつもりだったのですか」

 

彼は足元にある小さな石を拾い、池に投げ込んだ。

水平に飛んだ石が水面で跳ねて水しぶきが上がる。3回ほど跳ねてから沈んで行った。

 

「いいなぁ。拙僧もやろうか。これでも幼少の頃はかなり出来てたんだ。向こう岸に到達させた事もあった」

 

アンダースローのような姿勢で放たれた石は一度も跳ねることなく、大きな水しぶきを上げ水中を潜る。

 

「…鈍ったな」

 

「もう一回やってもいいですよ」

 

「…そうだな。昔は出来たんだ。またすぐに出来るようになる」

 

生ぬるい風が頬を撫でた。もうすぐ夏になる、そう予感させる湿った風だった。

 

「藤原を引いて見ても道長だけは突出している。もしかすると天元様に近い類の者かもしれぬが…結局は運否天賦だ。奴が上に上り詰めた際にどうなるか…誰にも分からぬ。だから拙僧はその芽を摘もうと思ったのだ」

 

彼が被せるように否定する。

 

「天元様と道長殿は全く違います」

 

「ははは、お前はそう思うか。ならばそれも良いだろう」

 

「別に道長殿に賛同しているわけじゃないです。ただ、私に大局を見る目が…考えた事が無いだけで」

 

「…そうか。では俺の早とちりだったかもなぁ。はっはっは」

 

「笑って誤魔化してませんか?」

 

「それもまた人生だ」

 

滅茶苦茶かよこの人は。早離は皺を寄せ、目を細めた。

 

「一つだけ教えてください。どうして…どうして私に稽古をつけたのでしょうか。私は一度暗殺の邪魔をしていますし…また同じ事な事になるかもと当時でも予測できたと思います。適当な理由で断る事も出来たのでは」

 

風に揺れた風鈴がちりんと鳴った。揺れた前髪が目の上で邪魔をする。

さっきまで池の前に居た貞綱は、いつの間にか彼の隣に座り胡坐をかいている。

伸びた不精髭を指の腹で触る貞綱が口を開いた。

 

「…別に深い理由があるわけでもない。ただ一人でも精強な術師が増えれば救われる命の数が増えると思っただけだ。それにちょっと強くなった程度で拙僧がどうにかされるわけがないと思ったのだ」

 

ガハハと口を大きく開けて貞綱が笑う。

 

「だが、拙僧のせいで門下には迷惑をかけるだろうな。それだけが心残りだ」

 

芦屋貞綱は笑みが形を変えた。影を伴う含みのある笑みだ。枯れた皮膚はボロボロに傷んでおり、今にも崩れてしまいそうに見えた。

 

「早離殿、実に見事であった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼が刀を抜くと、ぼたぼたと多量の血が噴き出し貞綱が膝をつく。

そのまま首を斬り落とそうと刀を構えたと同時に、貞綱が地面に倒れた。

 

罠を疑った彼が身構えるが、貞綱に動きは無い。

 

彼の動きが止まった。この程度の傷は反転術式で簡単に治すことが出来る。

油断を誘うにしても、うつ伏せで倒れるのは意味がない様に思えた。

 

血だまりが広がった。流れ出す血液は二つの円を描いた。

1つではない。2つだ。

 

「まさか…反転術式が使えない…のか?」

 

使わない道理はない。ならば使えない方が正しいのだろう。

だが今となってはどうでもいい。どうせ死にいく運命なのだから。

 

彼がトドメを刺そうとするが、その背後を誰かが抱き着いた。

彼に動揺が走り、直ぐに鎮静化する。

抱き着いた者が見知った男であったからだ。

 

「なぜ邪魔するのでしょか。道長殿」

 

それは道長だった。意識を取り戻した道長は彼の動きを阻害するように背後から抱き着いている。

 

「殺してはならぬ」

 

普段とは異なる冷えた声だった。冬の夜風のように鋭く、衣服の縫い目を通るように体の内に潜り込んでくるような恐ろしさがあった。

 

「…ですが、命を狙って」

 

「構わぬ。考えが浮かんだ。その為にもこやつには生きてもらう」

 

道長の言葉にはうぬをも言わせぬ圧力があった。聞いているだけで自然と従ってしまうような強制力があった。

 

彼は領域を解除すると、貞綱に反転術式をかけようと手を近づける。

全快させるつもりはない。あくまで勝手に死んでしまわない程度に治すつもりであった。

 

反転術式の出力が弱い。それもそうだろう。

早離も満身創痍だった。出来れば自らの回復を先に済ませたいほどには。

 

そこでようやく、他の者の安否にまで気が回る。

 

他の者は一体どうなっているのか。貞綱に意識が向くばかりで他の者の事は頭になかった彼が周囲を見渡した。多くの術師は既に息絶えている。

驚きはなかった。だが視線の先、見慣れた桃色の頭髪を見つけてからは違った。

 

両腕が切り落とされ、身じろぎしない亨子にはまだ息がある。

しかし瀬戸際にいた。そよ風にあおられるだけで命の灯が消えてしまうほどに。

 

声を出さずに、歩き方を覚えた幼児のように、覚束ない足取りで彼は亨子に向かった。

激情に露わにすることなく、慟哭に震えるでもなく、ただ静かに歩みを進める。

 

「待て。麻呂は芦屋貞綱の治療を頼んだはず。何をしようとしておるのじゃ」

 

彼は首をぐるりと回して、腕を掴む道長を視界に入れるが。

色の無い瞳をしていた。視界に入れているだけで見られていない、そう道長は感じ取った。

 

「離してください。早くしないと死んでしまいます」

 

道長は彼の行く先に倒れた亨子の姿を見て、全てを悟る。

 

「では芦屋貞綱を最低限でも治療を施してか「反転術式の出力が落ちてます。時間がありません」

 

「ならば尚更優先せよ。アレには代わりがいるが、芦屋貞綱には代わりが居ない。早離殿も呪術師ならば割り切るべきじゃ」

 

アレが亨子を指す言葉だというのは流石に彼でも気が付いている。

 

代わり。あれ。代わりとは。代わりっなんだよ。

さっきから邪魔してんじゃねよ。徒人の癖に。

 

荒れ狂う思考とは裏腹に、彼は酷く冷静だった。見限っているとも言っていい。

彼は諦める。説得を…理解を諦める。体の奥は痛いほど熱を持っているのに肌の外側は凍てつくほど冷たい。

 

「私は貴方の部下じゃない」

 

手を振り払い亨子の元による彼を、道長が追いかけることは無かった。

 

視界に入れるのも痛ましい姿をした亨子の頬に両手で触れ、反転させた正のエネルギーを送る。

通常時の半分以下程度しか出力できない。

焦りを覚え焦燥に駆られてしまう。

 

少しでも目を離せば死んでしまう様な気がした。

冷え切っている亨子の肌は、両親の時と似ているように思えた。

 

「死なないでくれ」

 

意味が無いと分かってるのに、勝手に言葉にしていた。

 

「お願いだから、死なないでくれ」

 

意味が無いと分かっているのに、勝手に涙が流れた。

 

「お願いだから、死なないで」

 

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