重い扉が開いた瞬間、突き刺すような光が飛び込んできた。
「ぬお……っ!」
咄嗟に両手で顔を覆う。
暗い場所に慣れてしまったハルトの目には、外の光はあまりに刺激が強過ぎた。
「それではお外へご案内ですー! ……あり? どうしました変態さん」
「ん、なんでもない。ちょっと目が潰れちゃっただけだから」
「潰れたのなら好都合なのです! その眼球、今すぐ抉り取ってパーシェの研究室に持ち帰っても構いませんですかね!」
「構うわ!」
発想も怖ければ、元気良くそんな提案をしてしまえる倫理観の無さも怖かった。
猟奇的な全裸白衣から己の目玉を守りつつ、ハルトは外の世界へ帰還する。
太陽の角度はちょうど真上。真昼間。つまり森での出来事から最低でも『丸一日』経っている事になるのだが……そんな事実など微塵も頭に入ってこなかった。
それよりも重大な、とてつもない光景が広がっていたからだ。
「おぉ……っ!」
光に慣れ、解放されたハルトの視界。
そこに広がっていたのは、学校というよりはむしろ『都市』そのものだった。
綺麗に舗装された石畳。所々に屹立する摩天楼。
景観だけならほとんど王都の中央通りだ。太く大きい一本道と、そこに面するようにいくつもの露店がズラリと並んでいる。
学校に露店? 見間違いか? と一瞬思ったが、店先に『武器・鎧』だの『魔導書店』だの『魔獣の餌はここ!』だの書かれた看板が掲げられているのが見える。
……信じられないが、本当に
挙句の果てには『飛行性魔獣離陸・着陸』と書かれた謎の塔や、『異世界召喚物野外保管所』という看板が立てられた意味不明な空き地まで存在している始末。
遠くに見えるのは、高さ数十メートルもある巨大な『壁』。おそらく学校の敷地内をグルリと囲っているのだろう。
壁の正面には、これまた不必要にデカい『門』。ドッシリと構えられたそれは、出入口のクセに近寄る全てを拒むかのような威圧感を放っている。
───本当に学校なのか? ここは。
そんな事を思いつつ、農民・ハルトは大通りのど真ん中でポツンと佇む。
彼が今しがた出てきたのは、数々の露店と共に大通りに並ぶ分厚い扉からだった。
扉にはご丁寧に、『旧・
「というわけで変態さん! パーシェの方からご紹介いたしますぅ!」
自慢の豪邸を見せびらかすように、パニシェイラは満面の笑み。
ハルトの前に躍り出て、両手を広げ、豊満な胸をタップンタップン弾ませて、
「ようこそー! 我らが学園、シルフィール異能学園へ!!」
ゴージャスな街並みを背に、彼女は声高らかに、その名を告げたのだった。
……両手を鉄の枷で拘束され、全裸のまま立ち尽くすハルトからすれば、少なくとも歓迎感はゼロに等しかったが。
豪華絢爛。
そんな言葉がぴったりの、国中の職人を集めて造らせた王宮のような建物だった。
「う、ぉ……」
実際、ハルトの目には全てが輝いて見えていた。
元の建物だけでも煌びやかなのに、それを彩る装飾品にも余念がない。
床に敷かれた赤い絨毯。壁に掛けられた無数の絵画。あちこちに並ぶ石造。天井に吊るされた豪奢な照明器具。視界に入る何もかもが異次元、異世界、異空間。
これが『ただの廊下』だと言うのだから、さすがは国内トップレベルの異能学園。恐るべし。
「……毎日こんな場所を歩いてるのか、ここの人達は……」
己の場違い感に、ハルトはキョロキョロ挙動不審。しきりに辺りを見回しながら、手枷から伸びる鎖に引っ張られるように荘厳な建物の中を歩いていた。
絵面だけなら、ほとんど処刑台に送られる死刑囚の如し。
しかし、彼の身に纏う『衣装』がその認識を歪ませる。
さすがに全裸のままではいられないだろう───という事で、パニシェイラから臨時の衣服を拝借したのだが……これが明らかに『近衛兵』用。赤い生地に紐やら刺繍やらが施された、最高に格好いい上下一式をお出しされてしまった。
その結果、せっかく丁寧に仕立て上げられた兵士服も、ハルトが着こなす事によって見事にダサさ極まる風貌に仕上がってしまっているのだった。
着せ替え甲斐のない変態農民である。
……というか、なんでこんな服まで用意されてるんだ。この学園は。
普通、学び舎に近衛兵なんていないのに。
「……ここ、本当に学校なんだよね?」
あまりの規格外っぷりに、ハルトは目の前の『少女』にそう尋ねていた。
問われた『彼女』は、ハルトの方など振り向きもせず、
「ええ、その通りですよ。
容赦なく答える。
「こちらは特技異能者に覚醒したお嬢様方が、日々学業と研鑽を積まれる『講義棟』でございます。本来であれば貴方のような下賤も下賤のクソ虫如きが門戸をくぐる事すら叶いませんが、今回ばかりは姫様のご命令ですので、仕方なく、嫌々ながら、渋々ご案内してやっている次第です。何か文句でも」
「あ、いや、ないです……ごめんなさい……」
「なぜ謝るのですか? 私は謝罪を要求した覚えはありませんが。私は貴方と、謝り、謝られる関係すら結ぶつもりはありません。私に関係性を押し付けてこないでください。私に関心を寄せないでください。まさか私にも欲情しているのですか? 屈辱です。貴方に意識を向けられるだけで頭痛、眩暈、吐き気に襲われます。これは誠実に生きる私への不当な暴力、生きる権利の侵害です。謝ってください」
「い、今しがた謝るなと」
「かしこまりました。現時刻をもって貴方様に『女性の権利侵害』の罪目も追加いたします。より死刑に近付きましたね。ご愁傷様です」
「誠に申し訳ございませんでした! このハルト、心より猛省しております!」
「クソにしては立派な謝罪です。いいでしょう。その謝罪を受け入れる事とします。迅速に感謝をしてください」
「……ありが」
「黙ってください。気色の悪い」
何をどうしたところで罵倒はされるらしかった。
現在、ハルトの手綱を引いているのはパニシェイラではない。
彼女とバトンタッチする形でハルトの連行を引き受けたのは、綺麗な桃色の髪を可愛らしく揺らす、見た目一〇歳程度の幼い少女だった。
つまり、『幼女』である。
しかもただの幼女ではない。
何より注目すべきは、彼女が纏う『衣装』だ。
白と黒のシンプルな色合い。全体的にふんわり柔らかそうな構造。単調にも見えるが決して誰でも似合うものではなく、きちんとその衣装に見合う気品と清潔さが要求されるデザイン。
まさに洗練された一つの美。豪奢の対極。清貧の美徳を弁えたその姿。
要するに、メイド服である。
つまり! 幼女メイドなのである!
こんなに小さくて可愛い女の子が、ご奉仕スタイルで練り歩いているなんて!
しかも、罵声と罵倒を叩き付けてくるだなんて!
今まで味わった事のないシチュエーションに、ハルトはなぜか、体の内側で得体の知れない熱が徐々に込み上がって来るのを感じ───
「おや? なにやら身の毛もよだつような気配を感じるのですが」
「ぎくっ。……み、身の毛もよだつ気配だって? はてさて何の事やら。僕には微塵も見当がつかないよ」
見当しかない奴のセリフである。
「その言い方じゃあまるで、僕が君に対して変な欲求を高ぶらせているみたいじゃないか。健全を絵に描いたような好青年である僕が、そんな事をするわけがない。その気配は錯覚だよ。超錯覚」
「嘘もここまでくればご立派ですね。素直に真実を吐いていただければ、この場で苦しむ事なく処して差し上げますが」
「気を遣ってくれてありがとう。僕も苦しまずに死ねたら本望だけど、しかし事実は偽れないからね。君の姿に欲情するだなんて、全くあり得ない。もしもそんな事をする奴がいたとしたら、僕が懲らしめてやりたいくらいさ」
幼女メイドに興奮していた奴のセリフである。
「そうですか。これは大変失礼いたしました。私の勘違いだったようです。……ところでご提案なのですがゴミ虫様。この枷を外して差し上げますので、今すぐ元の独房に戻り、そのまま餓死してみてはいかがでしょうか」
「そんな軽快に餓死を提案しないで」
優しく滑らかに、この罵倒である。
思えばこの幼女は出会った時からそうだった。
自分を呼び出した姫様のもとへ向かうため、パニシェイラに地上へ連れ出されてからだった。
シルフィール異能学園の王宮みたいな校舎まで案内されると、そこに待ち構えていたのがこの幼女だった。
初めて顔を合わせた時こそ、大人しそうな可愛い女の子だと思っていたのだが、蓋を開けてみると……ではなく口を開けてみると、予想外にこの有様である。
ちなみにパニシェイラは、ハルトをこの幼女に引き渡した直後、
『というわけで! これからパーシェは変態さんから搾り取った「データ」をさらに解析するため、研究室に戻るのですよ! さらばなのです変態さん! このデータはあなたの死後も永久的に学問として生き続け、人類の未来を明るく照らすはずなのです! さて、記憶が薄れる前に早く論文にまとめなくては! 神秘の追求に終わりはないのでーすよぉーう!! ひぃぃぃぃぃぃぃやっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおう!!』
と言って、どこかにすっ飛んでいった。
自分の体からそんなに良いデータが取れたのか?
確かに牢屋の中で、『あれ』とか『これ』とか、そりゃあもう
「というか、僕が死刑になるのはもう確定事項なんだな……」
パニシェイラの言葉の中で、ハルトはナチュラルに死ぬ事になっていた。
なんならもう、死体をどう解剖しようかの算段まで立てているような気さえした。
ここまで楽しげに死を望まれたのは初めてだ。
「……あの、さっきから訊こうと思ってたんだけど───」
「はい、貴方の処遇ですね? 死刑以外にはございませんのでご安心を」
「こ、この国にだって死刑以外の刑罰はあるのでは……」
「それが貴方に適用されるとでも? 一国の姫を辱め、仇を成した罪は、もはや死を以って償う他にありません。まさか生きて帰れるとお思いで? 傲慢もここまで極まれば大したものですね。身の程を弁えてから口を開く事を強くいお勧めいたします。反省してください」
幼女メイドにここまで罵倒されたのも初めてだった。
なんて事だ。ハルトが今まで守り通してきた色んな『初めて』が、今日一日で一気に奪われてしまったではないか。
恐るべし、シルフィール異能学園……!
……ではなくて。
「いや、処遇も確かに気になるけど……それより僕は今どこに連れて行かれてるの? 姫様が僕と会いたがってる、ってのはパーシェちゃんから聞いたけど……」
その時だった。
ピタリ、と。
名も知らぬ幼女メイドが、無言で足を止めた。
「ん?」
目の前で停止されたら、ハルトも足を止めるしかなかった。
豪勢な廊下のど真ん中で、変態農民と幼女メイドが無言で静止する。
「……どしたの?」
思わず身構えるハルト。
しかし、一方の幼女はやはりなんでもなさそうな調子。無表情のまま、クルリとハルトの方を振り向いた。
そして、二人は真正面から見つめ合うと、
「えい」
幼女メイドの細い右腕が、ヴン!! とブレた。
直後だった。
ズッパァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!! と。
冗談みたいな大音響と共に、幼女の『平手打ち』が炸裂した。
筋力の限界なんて軽くぶち抜いていた。
明らかに常軌を逸した破壊力。肉眼では追えない速度を叩き出した幼女の右手は、そのまま空気を壁を突き破ってハルトの左頬を盛大に引っぱたいた。
一瞬、意識が飛ぶ。
何が起きたか分からないまま、ハルトの体はギュルルルルルッッッ!! と真横に高速回転。二秒の間にざっと二〇回くらいスピンして、
「ぼぶぁああああああああああああああああああああ!?」
顔面から床に叩き付けられた。
意識が戻ってもしばらく視界に星が舞っていた。
特大の衝撃に脳がシェイクされ、ハルトは倒れたまま目玉をグルングルンに回し、
「お、おおぉぉぉぉぉぉ……。なに……なんで、突然の暴力……」
回らない呂律で、唐突な暴虐の意義を問う。
まさか、メイド姿の幼女から平手打ちを貰う日がやって来ようとは───続けざまの初体験に、ハルトは全身をビクン! ビクン! と震わせる。決して「なんてご褒美なんだ! もっと叩いてくださいハァハァ!」とか考えているわけではない。
「何をしているのですか? 垢まみれの体を床に擦り付けないでください。そこを掃除するのは私です。私の手を煩わせるとは不届きもいいところです。死んでください」
「き、君なあ……っ!」
「なんですか? その妙に赤くなった顔は。まさか私の平手打ちに興奮しているのですか? 気色が悪い……。よく恥ずかし気もなく今日まで生きてこれましたね」
「これは君の理不尽に驚きを隠せない顔だよ!」
倒れるハルトを上から見下ろす幼女メイド。ただでさえ無表情な顔面に、さらなる冷酷さが加わっていく。
いやしかし、この平手打ちには一体何の意味が……。
「パニシェイラ様です」
「……はい?」
「パ・ニ・シェ・イ・ラ・さ・ま、です」
……何を言っているんだ、この幼女は。
いまいち真意を掴みかねるハルトに、彼女は「はあっ」と気合いの入った溜息をついて、
「パーシェ、ではなく、パニシェイラ様、です。貴方のような塵芥が、この学び舎に籍を置かれるお嬢様方を親し気に呼ばないでください。不潔です。不快です。超絶不愉快です」
「は、はい……ごめんなさい。……え、さっきの平手打ちはそういう意味?」
「ご理解いただけたのであれば結構。今回は一度目の失態という事で、寛大な心の持ち主である私は無罪放免にいたしますが」
「待ってくれ。たった今放たれた一撃に関しては」
「なんの事でしょう。あなたが勝手に倒れて勝手に悶え苦しんでいるだけでは?」
「狂人だー! 狂人がいるぞー!!」
思考回路が完全に異常者のそれであった。
しかし幼女メイドは変態の戯言に付き合う気はないらしく、倒れたハルトをそのまま凄まじい力で引きずっていく。
「いだだだだだだだだ! たっ、立てない! 鎖! 絡まって! 止まって! 僕これ体勢が結構やばいでででででででででで!」
「犯罪者が偉そうに騒がないでください。騒ぐしか能がないから犯罪者になるのです。やはり今日中に死んだ方が幸せなのでは?」
「そうじゃなくて! 君が引っ張ででででででで痛い痛い痛い痛い!」
「何をしているのですか。ご起立ください。私の貴重な体力を奪わないでください。そして廊下を汚さないでください」
変態の言葉など、まともに聞く気もないようだった。
こうなってはいくら抗っても仕方がない。ハルトは遠い目をして完全に脱力。死んだ魚の如く、大人しくズルズル床を引きずり回される。
そして、心の中で一人ごちる。
―――本当に処刑されちゃうのかな……嫌だな、死にたくないな……。
―――このまま街中を引き回されて、皆から石とか投げつけられて、首を斬られて、死体はパーシェちゃんのおもちゃにされちゃうのかな。
―――……生まれ変わったらドラゴンになりたいな……。
志望の転生先まで図々しい変態である。
ハルトは静かに目を閉じ、目尻に涙を浮かべ、「色々あったけど良い人生だったな。……全然そんな事ないな」と勝手に己の人生を振り返り始める。が、その時。
「着きました」
「……へ?」
唐突に引きずられる感覚がやみ、ハルトは幼女の声で顔を上げる。
着きました? どこに? 地獄に? それよりも先に断頭台か。
しかし、到着したのはそのどれでもなく。
「
「…………」
ハルトの前に立ちはだかっていたのは、扉だった。
この大きさなら、『門』と言う事もできるかもしれない。
とにかく豪華な、どういう素材を使用しているのか全く見当もつかないほど巨大な扉が目の前に聳え立っている。
扉の表面には……ドラゴン? だろうか。得体の知れない大型魔獣と思しき何かが緻密に彫られていた。
扉の向こうから伝わって来る謎の圧迫感に、思わずハルトは息を呑む。
この奥に、いるのか?
あの少女が。
『テメエ……今自分が何してんのか、分かってねえわけじゃねーだろうな……』
明確に、近付いているようだった。
逃れようのない、裁きの時が。