再会
世界というのは一つの巨大な川のようなものだ。
たった一つボタンをかけ違えただけで大きく変化し、喜劇が悲劇になることもあれば、最悪のバッドエンドが最高のハッピーエンドになることもある。
人の小さな選択がその未来を変えていく。
これは彼と彼女が正しく愛を知る可能性を秘めた物語。
そして彼と彼女たちが多くの愛によって一番星を超える物語。
雨宮吾郎は自分の遭遇している摩訶不思議としか言いようのない事態について理解し難く思っていた。
彼は産婦人科医だったが、同時にドルオタでもあった。
そんな彼の元に来たのは一人の患者。普段と同じように診察をしようとしたところでその患者が自分の推しであるアイだと気づく。
脳が破壊される感覚を味わいながらも彼女と実際に話してみると母としての幸せもアイドルとしての幸せも取る欲張りな女の子を応援したいと思うように。
そんな彼女のファンとしてその秘密を隠しながら無事子供を産ませようと色々な対策や処置を施していたのだが、何処からか情報が漏れたのだろうか。
大学生くらいの男がアイの担当医かと尋ねてきた。その男を追ったものの見失ったその瞬間に後ろから衝撃が走って崖から転落。
三十程度で人生を早々と終了したと思われたのだが。
『今死ねばワンチャンアイドルの子として生まれ変われる』
生きている間に病院の待合室でそんなふざけた会話を聞いていた。
それをまさか……吾郎自身が体験することになるなんて。それが彼の心の大部分を占めていた。
新しい生命として生まれ直した瞬間は意識の混濁が見られたが、今ははっきりと前世を思い出すことができる。
推しのアイドルが突如として妊娠して入院してきただけじゃなく、そのストーカーらしい人物に突き落とされ、殺されたところまでくっきりと。
(まさか推しの子になるなんて。……疲れた社会人精神を癒す天国だな)
吾郎も元は医者だしいつかはこの転生という現象について調べたいなんて思いつつも今は推しの胸に抱かれる感覚を堪能するべきだと割り切っている。
彼のような社会に疲れた成人男性にこの環境は楽園のようであり、今では殺してくれたあの男に感謝すら抱いていた。
それに転生なんて都合のいいものがあるのであればもしかしたら……。
「いいこでちゅね愛久愛海」
(この名前だけはどうにかして欲しいが)
母に呼ばれ、思考を中断し少し呆れながらネーミングセンスのなさを悲しんだもののこの生活自体は気に入っているからこそ今世はこの名前だとしっかり諦めもついていた。
この一点においては転生者で良かったと言えるかもしれない。
もし前世のない子供がこの名前をつけられたら将来グレていただろう。
ただそんなアクア(愛久愛海の略称)は残念ながら一人で母の愛を受け取ることはできない。
元々診察していたから知ってはいたが、彼には双子の兄妹がいるのだから。
今日もアクアの楽園を破壊する声が響き渡る。
「おぎゃあおぎゃあ」
「はい、なんでちゅかー」
そんなこの家もう一人の住人である今世の彼の妹、名前は星野瑠美衣。
アクアとしてはルビーの方がまだダメージがない名前だから自分の名前と取り替えて欲しいと思っていたりする。
アイは泣くルビーを回収してアクアと二人合わせて抱き抱えた。
アイドルとして鍛えているだけあって赤子二人を持ち上げてもふらつきもない。
「んぎゃあんぎゃあ」
「どうしたのアクア」
「そっちはルビーだろ。それでも母親か?」
その場にいたアイが所属する芸能事務所の社長、壱護が呆れたようにツッコミを入れる。確かに世間一般から見ると子供の名前を覚えていない親はあまり良い親とは言えないかもしれない。
それに対してアイは揶揄うように反発した。
「価値観の押し付けだー!いやでちゅね〜日本の男は母親を幻想視し過ぎて」
「パスポートも持ってない奴がグローバルな事を言うなよ」
名前を覚えられていない張本人のアクアは別にアイが母親をできていないなんて思ってなどいない。
アクアとルビーの区別すら怪しいアイだが、彼女なりの思いを持って双子に接しているとアクアは認識していた。
主治医として軽く話した限り、彼女にも色々とあるのだろう。長く接してきたはずの壱護すら名前を覚えられていないくらいだ。
ゆっくり区別がつくようになってくれたらいいと思っていたりする。
元主治医として呼んだらすぐ行くという約束をしたにも関わらず最後まで付き添えなかった罪悪感補正もあるかもしれない。
壱護はこほんと咳払いをしてから気を取り直したようにアイに話しかけた。
「とにかく今日から仕事復帰だ。表向きは病気による休養なんだから余計なこと話すなよ?」
「はーい」
間違っても産休でしたなんて口走った日にはB小町は芸能界という伏魔殿からあっという間に追放されてしまうだろう。
ただでさえ苺プロ所属のアイドル部門はB小町だけ、そしてその絶対的センターアイがいなかったここ一年のうちに記憶から薄れてしまっている。
ただアクアは全く不安になど思ってなどいない。アイは今世の保護者以前に前世の推しであり、そしてその才能、輝きに魅せられた奴隷なのだから。
アイの仕事っぷりはテレビで確認することができる。
事前に何時からアイが出る番組があるかを確認していたアクアは保護者として世話をしてくれている社長夫人斎藤ミヤコが育児疲れでダウンしている間にテレビをつけた。
流石に赤ん坊が喋って歩いてテレビをつけて推し活するシーンなど見たら普通の感性を持つ大人ならば衝撃を受け、大絶叫が響き渡ったかもしれない。
テレビの向こうではちょうどアイが出演し始めたところだった。
タイミングがいいなと自らの幸運に感謝しながらアクアはテレビへと釘付けになる。
整った容姿、天性の瞳、そして視線を惹きつけるカリスマ。それらが合わさり、アイを知らない人たちにすら愛を振り撒く姿。
それを見てアクアは恍惚とした表情を浮かべ、この人生に起きた奇跡に感謝していた。
そんなアクアの背後からゴソゴソと音が聞こえたかと思えば甲高い声が響く。
ミヤコのものではない。ここに残されたもう一人の声だ。
「待って……!Nステもう始まってる!?どうして起こしてくれなかったの」
「……」
「きゃー!ママかわいすぎ!視聴者全員億支払うべき!ターンの表現力マジやばない!?鬼気迫りすぎてむしろ鬼!」
キャーキャーと声を上げながら限界オタク状態で語り続ける自分の妹を見ながらアクアはつくづく思う。アイには普通の子を産ませてあげたかったと。
こんな何処の馬の骨とも分からない転生者たちが子供なんて間違っても知られないようにしようと心に決めるのだった。
ここまでは本来の世界線と変わらぬ世界。この後数年で母と双子、斎藤夫妻そしてとある男は想像してない悲劇が起きて人生が大きく変化する。
そのはずだったのだがルビーの熱量がアクアの脳裏に前世のとある少女を思い出させた時、図ったかのように窓際へカラスが舞い降りた。
一つの思い出が吾郎としての意識を強く引き出し、普段しない前世に関わる話をルビーへと振った。
「本当にすごい熱量だな。ルビーはいつ頃からファンをやってるんだ?」
「珍しいね前世の話なんて。お兄ちゃんはいつ頃?」
「質問に質問で返すなよ。……ファンと名乗っていいくらい推し始めたのは3年前かな」
「へー3年前ってことは宮崎でライブした辺りかな?にわかだねぇ。私はアイがデビューしたばかりの頃から追っているガチファンだし私の勝ち!ごめんね自分よりずっと下の子を推してるロリコンさん」
ルビーがあえて聞き返したのは自分がマウントを取れるか確認するためだ。
本当のところはルビーは古参ではあるものの最古参とは言えない。
もしデビュー最初のライブに参加していたなんてマウントを取られようものなら怒りが湧いてしまうだろう。その保険として先にアクアの回答を聞いたあたり策士と言える。
いつもよりルビーの主張が激しいのはNステ生放送できっと起こしてもらえなかった(起きなかっただけ)の恨みだった。
ただなんとなく感傷に浸っていたアクアとしては自分で話しておきながら思い出にケチをつけられたようで面白くない。そんな不思議な気分になってしまう。
「あのな、僕がアイのファンなのには理由があるんだよ理由が。にわかどころか世界で一番アイを推してるまであるわ」
「へー大きく出たねお兄ちゃん。この私を差し置いて世界で一番推してるなんて。さぞ大層な理由なんでしょうね。言ってみてよ話半分に聞いてあげる」
アクアも肉体に引っ張られて相当沸点が低くなっていたが、この時は全く認識できていなかった。
普段の吾郎ならば生意気だな今世の妹はと飲み込むくらいはできただろう。
ただ今回はカチンと来たからか感動エピソードを聴かせてやることにした。売り言葉に買い言葉。生前は看護師に同じようなエピソードを話していたこともあり、他者に話すこと自体は抵抗もない。
ただ……決してそれだけじゃなくルビーを見てると少し生意気ではあるものの彼女を思い出すのも大きいだろう。
どこか癪に触りながらも彼女と話すのを楽しんでいる自分がいることをアクアは自覚できていなかった。
「言ったな、感動で泣くなよ?これまで特に言う必要はなかったから言ってなかったが、僕は前世医者だったんだ」
「へ?お兄ちゃんって前世医者だったの」
(妙に医者に反応したな。もしかして同業か?)
目を見開いているルビーを見て少し疑問を感じる。
アクアは医者にそんな反応するようなポイントがあるんだろうかと思いつつも自分の話を進めることにした。
「僕は研修医時代によくサボって他の病室に通っていたんだがな。その中の病室にB小町の、特にアイのガチファンな女の子がいたんだよ」
ルビーの心臓がどくりと大きな音を立てる。
まるでこれ以上聞いてしまったらとんでもない事を知ってしまうような予感が彼女の肌に鳥肌を立てた。
「へ、へぇ。お、お兄ちゃんお仕事サボるなんて良くないね。……そっそれで?その話がどうやって感動エピソードに繋がるの。アイは超絶最高の美少女なんだからよくある話じゃない」
「いや、推してる身でいうのもアレだが、比較的マイナーだろ。それどころか当時は4年くらい前だったからマジでコアなファンしか知らない時期だぞ。地下アイドルに毛が生えたくらいでライブもほとんど東京中心だったし」
「4年前……」
意味深な呟きをするルビー。先ほどから何やら気になる動きが多いなと思いながらも自分のロリコンという冤罪を晴らすべくアクアは言葉を続ける。
「こほん、とにかく話を戻すが、その子はまぁ結構重い病気でな、時折生まれ変わったらこの顔になってアイドルやりたいなんて冗談にもならないようなことを言っていた。当時は僕も研修医だからか医療ってものに幻想を抱いていた面もある。奇跡を夢見ていたから確率が低いと分かっていながらも退院してアイドルになればいい、なったら推してやるなんて言っていたんだが。……結局彼女は若くして亡くなってしまった」
「…………」
語るアクアの声色には後悔が多分に含まれておりいつもより声色は暗い。
アクアは自分の中でさりなの思い出を振り返る。短い期間だった。自分の無力を痛感し、医者は決して万能じゃないことを突きつけられる。
彼女と過ごした日々はとても大切で失ってから痛感して。全てが終わってからあの頃はいつの間にか女遊びもやめて充実していたと気がついて。
あの時の女が妙な話をしてこなかったらもっと早くにこの世からいなくなっていたかもしれないと今では思っている。
間違いなくさりなといた時間が吾郎としての人生でもっとも価値がある時間だった。
だからこそ雨宮吾郎は携帯の待受を彼女にし、彼女から絶対離さないでと渡された形見のキーホルダーを死ぬまで持ち続けた。
そしてアイのファンとして全力を尽くすようになった。彼女の分まで推すために。彼女を絶対忘れないように。
看護師から冷たい目でロリコンと言われる程度に。
いつからかアクアは気持ちが乗りすぎてルビーの様子すら見ずに話を続けてしまっていた。
「もし彼女が生きていたらアイと同い年。まだ16歳だ。それもあって彼女とアイをどこか重ねてしまっているんだろうな。彼女が夢見た道を歩くアイを見届けたい。そう思って生きていたんだ。まぁ色々あって死んじゃったんだけどな。今では生粋のアイ推しだけどきっと……僕の本当の最推しは」
「……まさかそんな。え?でも本当に?たまたまエピソードが被っただけで」
「お、おい!大丈夫かルビー!?悪かった少し気が立ってたとはいえこんな話をして。大人気なかった」
話を閉めようとした瞬間、ルビーが狼狽する声で意識を過去から現実へと引き戻される。
顔を真っ青にして動揺した様子のルビーを見てようやく冷静になったアクアはいくら転生者とはいえこんなエピソードを感受性の高い子供に話すべきじゃなかったと思い直した。
アクアはこの転生という現象はかなり身体に引っ張られる傾向にあると考えている。だから赤ん坊の頃などは感情が乱れがちだ。元医者のくせに失念していたと後悔していた。
とりあえずルビーへ近づいて幼い子をあやすようにゆっくりと背中を撫でる。
ルビーは拒絶するような仕草を見せずそれを受け入れ、少しずつではあるがその呼吸がおとなしくなっていった。
どうにか落ち着いたルビーは今度は真剣な目をアクアに向けて今後を決定付ける言葉を紡ぐ。
「ごめんねお兄ちゃん。変なことだったらバッサリ言ってもいい」
「どうしたんだそんな改まって。煽りに乗って変な話して悪かったよ、大人げなかった。それより休んでろ」
アクアも突如変わった彼女の様子に目を奪われる。その表情にどこか見覚えと懐かしさを感じて、知りたいような知りたくないような気持ちが混在した。
ルビーは何か確認していいのかしてはいけないのか不安を滲ませた声でアクアへと言葉を紡ぐ。
「アクアは……せんせ、せんせなの?」
「……は」
アクアの思考が呼吸が一瞬止まる。アクアをその呼び方で呼ぶ相手は少ない。
その中で転生なんて摩訶不思議なことが起きたあとまでこんな縋るような目で見ながら言う相手に心当たりは一人しかない。
転生したと分かった時、アクアが真っ先に思ったのはあの真っ直ぐな芯と輝きを持つ少女がどこかで元気にしているんじゃないかという都合のいい妄想だった。
まさかそんな奇跡が本当にあるというのだろうか。
もう四年も前に亡くなっている助けられなかった大切な少女が都合よく自分の身近に転生を果たす。ご都合主義としか言いようがないことだ。
頭にはそんな否定が飛び交うがもし本物だとしたら確認しないわけにはいかない。
間違っていても自分が恥ずかしいだけだ、彼女はもっと勇気を出して問うたのだとアクアも勇気を出してその名前を口にした。
「さ……さりなちゃんなのか」
あの日から片時も忘れたことのない少女。自分の人生でもっとも大きな出会い。そして雨宮吾郎では助けることができなかった少女の名前を口にした。
名前を認識した瞬間、噛み付くような勢いでルビーは返事をする。
「せんせ!本当に雨宮吾郎先生なの!?」
「あ、ああ。前世は雨宮吾郎だ。僕は研修医時代は宮崎にいて天童寺さりなちゃんと過ごしていた」
互いに確認の意味も込めてフルネームで呼び合ってようやく完全に納得をする。
頭がその奇跡を理解するとともに、ルビーの目から自然と涙がこぼれ落ちる。
いつか大人になって探してやると思っていた最愛の人。その人が今ここにいる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
アクアは泣きながら抱きついてきたルビーを抱き返し、今度は先程と違い頭を撫でる。失ったモノをもう二度と失わないように。大事に大事に割れ物を扱うかのように。
きっと兄妹として過ごした時間がもっと長ければ長いほど再会は感動的になっただろう。
だけど彼らにとっては互いが最大の理解者だと分かった上で共に人生を歩めるというのは大きな変化をもたらすことになる。
彼が彼女が見ているからこそ、頑張ろうと妥協することなく挫けることなく成長し続ける。
だが今はただこの奇跡に二人は感謝するのだった。
「あ、あら?寝ちゃってた。大丈夫かしら子供達」
いつのまにかストレスと疲れで眠ってしまっていたミヤコは目を覚まして慌てて周りを見る。
そして二人を見つけて思わず笑みがこぼれることになるのだった。
「大丈夫そうね。二人べったり引っ付いちゃってこうして見ると子供って可愛いわね。……私もいつか自分の子供とかできた時の予行演習になるかしら。あーイケメンと再婚したい」
ミヤコのそんな呟き、その最後の部分が果たされることがないことを今の彼女は知る由もない。