三年生も半分近くが過ぎた。
既にB小町のライブは各地で順次開催され始めている。
アクアとしては全部のライブに参加したい気持ちがあるのだが、アクアとルビーは二人ともアイによってライブを観ることを禁止されていた。
当然アクアたちは知らされた時にこの世の終わりのような顔をすることになる。
『二人とも!アクアとルビーは最終日のドーム以外は来ちゃダメだからね』
『え!?母さんのライブのためなら仕事だって空けるのに』
『そ、そんなママのライブが見られないなんて……お願いママ』
『うぅ……二人ともそんな可愛い顔してもダメ!最終日楽しみにしててね』
こんなやりとりがあったのに子供大好きアイがその宣言を強行するあたり彼女の本気が窺える。
理由は教えてもらえなかったもののアクアもルビーも彼女の強い意志を尊重して諦めて待つことに決めていた。
今回のライブ映像すら見ることが禁止されており、二人は昔のライブ映像を見ることでなんとか見たい欲を抑えている。
そんなある日、いつものように仕事が入ったアクアは、たまたま現場が同じになったゆらと共に撮影現場に来ていた。
事前に今回の役者を確認していたアクアはその中にヒカルの名前がある事を知っていたため、挨拶に行く。
「ヒカルさんお久しぶりです」
「アクア、久しぶりだね」
アクアに返事をするヒカル。
その表情は笑顔を浮かべている。
「半年ぶりくらいかな?元気そうでよかったよ。先日の生放送のバラエティ見たけど、アイに振り回されていたね」
「まぁ全国ライブが始まったアイの助けに少しでもなれたらと思うから……」
「アイのこと相変わらず大好きだね。流石、前世からアイオタクなんて言われるだけはあるよ」
図星を突かれ、一瞬ビクッとしたアクアのことを不思議そうに思うヒカル。
その間にゆらが挨拶をする。
「ミキさん久しぶりです」
「ああ、ゆらさんも久しぶりだね。身長少し伸びたかな」
「まだ高校生なので少しくらいは。でも女の子だからそろそろ厳しいかもしれません」
前回の共演時はバーターとしてアクアを使うことで仕事をもらっていたが、今回は新人役者としてオーディションを受けて勝ち取った役だ。
主演ではないものの主役級の仕事であり、大切な一歩である。
元々役者志望なだけあってゆらは演技について努力を怠らない。
元々センスがあるのに加えて、アイドルをやって何かを掴んだ結果、アクアたちのバーターとして以外にも出演をちらほらと貰えるようになっていた。
「前回教わったところ、凄く助かりました。あの時ずっと役の演技の方向性に迷っていたので」
「ははは、僕としても役に立ったなら何よりだよ。あとは自分流に解釈を広げるといいんじゃないかな」
「これからも思い出して参考にさせてくださいね。もう共演する機会もないと思うと悲しいですけど……会社もありますから仕方がないですよね。頑張ってください」
そんなごく普通の会話だったはずなのにゆらの言葉が気になってアクアは疑問を口にした。
「共演する機会くらい今後もあるんじゃないか?」
その言葉を聞いたゆらは不思議そうな顔をし、ヒカルはなんでもないかのように言った。
「あっアクアには言ってなかったね。僕今年で役者引退予定なんだ」
「え?」
「確かに情報は個人にしか伝えてなかったし、知らないのも無理はないよね」
アクアは突然何を言われたのか分からず困惑する。
これだけ実力があってまだまだ若いので、引退という言葉がイメージできなかったのはあるだろう。
アクアの疑問に答えるようにヒカルは言葉を続けた。
「実は芸能事務所を作ったんだけど、知ってるかな」
「あぁそれは知っています。『株式会社メディアEYES』ですよね?」
今年からヒカルは劇団ララライから抜けて自身が作った事務所に所属していた。
育成に力を入れたいと言っており、若い子の演技力を伸ばしたいらしい。
社名については瞳の演技を活用しているヒカルらしいとアクアは思っていた。
「ちょっと本腰入れて教育をしたい子がいてね。今後アクアには直接教えてあげられなくなっちゃうのが心残りではあるけど」
「そういうことなら仕方がないと思います。ヒカルさんの演技をもう見られないのは残念ですけど、むしろ今まで無償で演技を見てもらえてた方がおかしかったので……。もし有償で受けてもらえるならうちの演技組で揃って依頼しますけど」
「残念ながら今のところはその予定もないかな。時間に余裕もなさそうだからね」
流石に育成に力を入れたいのに、自分の事務所の芸能人に教える時間を減らしてまでアクアに教えることはできないよなと納得する。
相手の意思が固いことがわかったアクアはなんとか現実を受け止める。
(今年はアイもアイドルを引退するし俺にとっては厄年か?)
ヒカルの演技はアクアの良い見本であり続けた。
アイとヒカルのハイブリットのような演技は独自として確立しているものの、細かい仕草などは勉強になることが多く、アドバイスもアクアのことを知り尽くしているかのように的確だった。
「本当に今まで演技指導ありがとうございました」
「いやいやいいよ、僕としても君が成長するのを見ていて楽しかったしね。君のおかげで育成の喜びに目覚めた節もあるからおあいこかな」
改めてヒカルはアクアを見る。
アイの要素を含みつつもヒカルに似てきた顔立ち。
今は全てを知っている人だけが気付く程度だが、このままヒカルに似るのならば以前彼が予想した通り、色々と問題が出るだろう。
アクア本人にもバレる日が来るかもしれない。
その前になんとかアクアへと教えられる技術は教えられたかなと満足していた。
今後は仕事を振るような形で手助けができればいいかなとヒカルとしては考えていたりする。
「これがアクアとの引退前最後の共演だし、全力で演じようかな。僕の思う最高の嘘を見せてあげよう」
この日のヒカルはその宣言通り別格だった。
数年ヒカルの演技を追って参考にしていたアクアでも、全て演技のはずなのに自然過ぎて本当に演技なのか、それとも本音なのかと思わせるような演技。
瞳を見た瞬間に魅入られ、彼の言うことこそが本当だなと思わされる感覚。
最近のアクアも似たことを言われるが、それを更に深い闇に寄せたようなそれはアクアの頭にこびりついた。
それから数週間後、アクアはとある問題を抱えていた。
その解消のために五反田の元で演技指導を受けることになる。
「マジでどうした早熟。なんか変なものでも食べたか?」
アクアはあの日、ヒカルと最後の共演をしてから、今までできていた当たり前の演技ができなくなった。
スランプなんて呼ぶのも生ぬるいくらいの歯車の狂い方。
80点の演技を今までの経験でなんとかできるような状態であり、これでは星野アクアを起用するメリットなど皆無だ。
既にいくつか撮影現場でリテイクも出しており、自覚症状もあったアクアはこのままではいけないと考えた結果、ここにいる。
五反田を頼ったのはアクアという役者を初期から見ており、演技指導もした経験のある人物だからというのが大きい。
「というか相談するなら有馬かなや黒川あかねでもいいだろ。普段一緒にいる分アイツらの方がわかると思うが」
「……あいつらにこんな姿見せられない」
ただそれだけが理由ではなかった。
アクアとしては珍しく彼女たちと共演がない時期で助かったと思っている。
これまで子供の頃より演技をしてきたプライドがアクアにもあり、こんな出来の演技を仲の良い彼女達に見せたくない、見られたくないという気持ちが強かった。
ルビーやアイのようにアクアを信じて期待してくれている人たちにも見せたくない。
だからこそアクアがどのような状態でもフラットな目で見てくれるだろう五反田の元へと訪れていた。
「はぁ……たくまだガキのくせに一丁前にプライド持ちやがって。まぁいい、ここ最近のお前は100点付近は当たり前で120点もそこそこ出せるみたいな状態だったから、一度くらい挫折を味わった方が更に伸びるきっかけになるだろ」
五反田はこれも一つの栄養だと思っている。以前のかなと同じだ。
有馬かなは売れて自分の周りがイエスマンばかりとなり、増長してしまっていた。
だが一度鼻っ柱を折られて星野アクアという友を得た彼女は、その性質を歪めることなく、少し寄り道はあったものの成長し続けた。
対してアクアはこれまで挫折らしい挫折を経験していない。
ライバルはかなやあかねがいたものの、同年代への明確な負けなど初演技に感じた時くらいだろう。
そういった意味で五反田としてはアクアのスランプ自体はいい機会だと感じていた。
「そもそもいつからなったかわかってんのか?」
まず五反田は何か明確なきっかけがあったのかを確認する意味でアクアへ問いかける。
これがあるとないで、修正のしやすさは段違いだろう。
アクアは少し考えてから時期的に一つの可能性を口にした。
「……ヒカルさんの最後の演技を見た時だと思う……けど理由がわからないんだよ」
これまでアクアはヒカルの演技を見て上手くなることはあっても、下手になることはなかった。
だからアクアとしては余計に理由がわからない。
ただそれを聞いた五反田はスランプの理由にピンときた。
「そういうことかよ……アイツもエゲつないことやるなぁ」
「分かるなら教えてくれないか」
「いいのか?ショック受けるかもしれねーぞ?」
「今の状態を解消できるならなんでもいい。……頼むよ監督」
深々と頭を下げるアクアを見て五反田はため息をついて五反田の考える答えを告げた。
「俺が考えている理由は単純だ、早熟がアイツより演技力がねぇからアイツの演技に寄せようとして失敗してチグハグな演技になっちまってんだよ」
「……それは今までもだと思うけど」
アクアの認識はずっとヒカルの方が演技が上手であり、アクアはそれを参考に自分流の演技にしてきただけだ。
これまでとの違いが把握できなかった。
「これまでは神木輝の演技がどういう理屈なのか早熟は理解できていた。だから自分流にアレンジして身につけてこれた」
「ああ、アイの演技を混ぜたり、自分なりの解釈をして何とかなってきたと思う」
あの深い闇のような瞳を再現しようと色々と試した結果が今のアクアだ。
アイの演技30%ヒカルの演技50%を混ぜてから自分用にアレンジしているような状態。
その調整が上手くいっていたからこそ、同年代一と言っていい演技力を今まで有していた。
「お前はこれまでの経験でヒカルの演技を取り込めば、自分の演技は成長するって認識が身についてる。だから今回も同じことを意識的か無意識かは知らねーがしようとした」
「……最後に見るヒカルさんの演技だし少しでも学びたいとは思っていたけど」
意識してやっていたため、アクアもこの言葉に納得する。
だが、それでスランプというのがどうにもしっくりきていなかった。
「だが今回はヒカルがどうやって演技しているのか理解できなかった。これまで無意識に咀嚼していた情報をうまく噛み砕けなかった結果、今までの演技にすら悪影響が出ちまってる」
「つまり俺の力不足でヒカルさんの最後の演技がノイズになってしまっているって事か」
ようやく監督が言っている事を理解したアクア。
しかも無意識下で取り込んでしまっている情報もあるから容易に修正できない。
アクアの思っていた以上に状況は深刻だった。
「これまでのあいつはアクア向けに噛み砕きやすい調整した演技を見せていた。だが最後はそんなものをしていない本気の演技ってわけだ。神木輝からの最後の宿題ってとこだろうな」
ヒカルはおそらくこうなる可能性を分かって演じたのだろうと五反田は考えている。
なんとなくアクアとヒカルの関係性に勘づいていた五反田は不器用な奴だなと呆れることになった。
「はぁ……はぁ……クソっ」
五反田の元で見てもらいながら調整をした日からも毎日みんなが寝静まってからも練習をする。
撮影の予定は直近でいくつも入っている。
アクアがスランプだからと予定を飛ばすわけにはいかない。
「あれ〜アクアなにやってるの?」
「……母さん」
アイが寝ているのは確認したはずなのにと呆然とするアクアに近づいて抱きしめた。
「ごめんね、アクアの様子が気になって寝たふりしちゃった!」
一瞬アクアから身体を離してペロッと舌を出して頭にコツンと手を当てる。
そんなあざといポーズすら彼女の魅力の前では圧倒的可愛さへと変換された。
この短い間で完全に意識を持っていかれてしまう。
アイに見惚れていたアクアを再び抱きしめて彼女は言葉を続ける。
「アクア、昔の私みたいなこと考えてるでしょ〜」
「何の話だよ。別に何となく体を動かしたかっただけで」
アクアは捕まっている中で可能な限り目を逸らす。
そんなアクアに微笑みながらアイは言った。
「みんなが思う完璧な理想のアクアなんて目指さなくていいんだよ?」
「別にそんなこと思って」
「強いところしか見せたくないなんてする必要ないよ。知ってた?弱いところって見せた方が仲良くなれるんだよ。まぁ私も20年知らなかったんだけどね〜」
アクアはケラケラと笑うアイを見てそういえば彼女はいつの間にか今残っているB小町のメンバーと撮影の時に仲良さそうだったと思い出す。
「もしかしてB小町の?」
「そうそう、今は喧嘩もするけど超仲良しだから!こないだも時間できたから一緒にランド行って遊んできたんだよ〜」
「……よく騒ぎにならなかったな」
そういって彼女はスマホの写真を見せてくる。ずらりとアクアとルビーの写真が並ぶ中に紛れるようにアイ、ニノ、きゅんぱんの三人で撮った写真が散見された。
「意外と変装してたらバレないもんだよ」
心底楽しそうな笑顔を浮かべる辺り本当に仲が良くなったのだろうことがアクアにも伝わってくる。
「あーでもアクアは男の子だからちょっと強がっちゃうのかな?大丈夫!少なくともママはアクアが弱音を吐いても嫌いになったりしないよ。だって私はアクアのお母さんだから!」
魅せられずにはいられないと昔評した彼女の瞳に射抜かれる。
「ママなんだからもっと頼ってほしい……だめかな?」
悲しそうに瞳を伏せたアイを見て、自分のプライドと推しの悲しみを天秤にかけた結果、アクアは観念したようにため息を吐いてからアイの方をしっかりと見る。
「敵わないな……母さん」
「うんうん、なんでも言って?私もできる範囲で頑張るから」
一瞬でニコニコ笑顔に変わったアイへアクアは初めて自分のことを助けてもらうお願いをする。
「少しだけ演技について相談させて欲しい」
それから今のアクアは自分の悩んでいる事を全て吐き出した。
ヒカルの演技を見てから調子がおかしいこと。
監督に見てもらったが治らなかったこと。
他のみんなに見せるのが恥ずかしかったことなど洗いざらい全部を吐き出す。
「なるほど、ヒカルの演技か〜まぁヒカルって呼吸するように演技するから感覚ずれちゃう人もいるよね」
「呼吸をするように……確かにそんな感じだ」
ヒカルの場合、見ていて自然過ぎて演技と演技の境界がわからなくなる。
それがヒカルの演技の本質、自分すら欺く深淵の演技。
「うーんおかしくなったアクアの演技を私は見たことないからなぁ〜、ねぇアクア。試しに今演技してみてよ」
まだこの期間に撮ったアクアの演技はどれも放送されていない。
だからアイはまだどんな状態なのか実物を見ていなかった。
「……笑わないでくれよ?」
そういってからアクアは以前120点と多くの人に言われた乱歩の演技をする。
アクアの中で一つの壁を破った演技、だがあの頃のアクアよりずっと歪なのが演じていて分かった。
それを見終わった後、アイはニコニコして頷く。
あまりネガティブな意味を含んでいないように見えてアクアは怪訝そうに首を傾げた。
「アクア大丈夫だよ、これならすぐ治ると思う」
「本当か?どうやったら」
すごい勢いで食いついたアクアを見てアイは思う。
(アクアが私を頼ってくれるの珍しいよね……嬉しい!)
その内心は我が子の深刻な感情より自分の嬉しさが全面に出ていた。
「まずね、アクアに私の演技を見せてあげるよ。見ててね」
そう言ってアイは数年ぶりに演技をする。
だがアイも昔は嘘を纏い続けていた経験がある。アクアより嘘の経験値はずっと高かった。
そしてあの頃と違うものが一つある。
演じたのはドーム前に主演をしていた最後の演技。
アクアも共演していたため、カメラ越しではない生の比較ができる。
「凄い、凄いよアイ!前からあれだけブランクがあるのにあの頃よりずっと上手に見える。何かコツでもあるの?」
(あっ呼び方がアイに戻ってる!もしかしてファン目線の時に戻っちゃうのかな)
アクアの呼び方には不満があるものの、我が子がこんなに喜んでくれるのだから嫌なわけがない。
アイは自分の演技について解説した。
「アクアは普段演技に本物の感情を乗せてるでしょ?自分の経験とかを加工してさ」
「うん、その方が気持ちも乗るし演技もしやすいから」
アクアの真骨頂はその感情をのせる感情演技にあるとアイは考えている。
そして、実のところヒカルの演技は全く違う。
人の本質が違うのだから当たり前だった。
「ヒカルの演技は自分の感情を一から作っちゃうからね。似てるようで違う演技、今回のアクアは本来真似しなくていい感情の使い方を真似ちゃっておかしくなってるんだと思う」
昔はアイも感情の加工なんてできなかったからヒカルのように創造した感情で演技を行なっていた。
今回のアイはあえて自分の感情を使って演技を見せたわけだ。
そちらの方がアクア本来の演技にずっと近いから。
「一回自分の気持ちを見つめ直したらすぐ治るんじゃないかな」
「……俺の気持ち」
思い返せばいい演技をしようとばかりに囚われて、感情を引き出せていなかったような気がする。想像で全てを補おうとしていた。
乱歩の演技ならさりなやアイへの罪悪感を加工していた。
一度冷静になってその時の思いを引き出す。
自分より大切なものが失われた喪失感と合わせて気分が悪くなってもそれを制御し、慎也にとっての葵の感情へと変換する。
「……できた」
自分の感情がかちりとハマる感覚に自分の演技が成功した事を理解する。
それだけじゃなく、この演技をまだまだ発展させられるその道筋も理解できる気がした。
今のアクアの演技力では到底到達できない場所だが、ヒカルのいた高みにいつか辿り着けそうなそんな予感があった。
「いい!今のいいよ!前のも暗い感じが普段のアクアと違っていいね〜と思ってたのに今回はもっと暗い、けど覚悟を感じて!私の語彙じゃ難しいけどとにかく凄い!」
アイは大絶賛しながら息子に飛び掛かるように抱きついて撫で回す。
アクアは自分の演技を思い出し、今後の進化、その方向性を見つけることができた。
「……ありがとう母さん」
アイがいなければ下手すればずっと治らなかったかもしれないスランプ。
その解消のお礼をアイへと告げる。
「んふふ〜次からもっと頼ってくれていいんだから。抱え込まないって約束してね」
恥ずかしそうな息子にアイは一番星と称される笑みで返すのだった。