その日は都内の病院に星野家三人と壱護が揃っていた。
一番忙しいアイもこの日は大事だからとここ数日は休みを取得しており、それが機能した形である。
もうミヤコが産気づいてから10時間ほど経過しており、全員が落ち着きがない。
「おい、アクア本当に」
「壱護さん、ここで俺たちが慌てても事態は好転しない。今日までできることは全部やったんだから、後は医者に託すしかないんだよ」
ミヤコの予定日が近づいてからはアクアも徹底的に様子を見て、兆候が出たと判断したらすぐ対応できるようにスタンバイしていた。
今のアクアは資格がないため、出来ることは限られるがズブの素人とはその知識量が違う。
そしてそれらしい兆候が見えたため、いよいよ入院となったわけだ。
タイミング的には完璧だろう。
「本当お前めちゃくちゃ詳しかったな」
アクアがスマホも見ずに、色々な指示を出していたところを知っていた壱護は思わずと言った具合に口にする。
アクアは前世の知識だけだと古い可能性があったので、インターネットも含め論文を探し、知識のアップデートも行っていた。
それくらいにはアクアにとってもミヤコのお産は大事なことというわけである。
通院の付き添いにも積極的に参加し、アクアのファンという医者に驚かれた事もあった。
「そういえば昔私が刺されちゃった時もアクアって止血とか凄かったよね。やっぱりお医者さんに興味があるの?」
アイは自分が刺された時のことを思い出した。
妊婦の件とは全くの畑違いとはいえ、テキパキと止血する姿は当時まだ4歳だというのに、将来はお医者さんもありと思わせるだけの説得力があった。
アイ自身も役者か医者かなと朦朧とした意識で尋ねた記憶がある。
「ないと言ったら嘘になる。けど今のところは役者やるつもり」
アクアなりにこれは今世で出ている結論であり、余程演技が嫌にでもならなければ覆らないだろうなと内心思っていた。
「そっか!もしまたお医者さんになりたいな〜って思ったら医大に進んじゃってもいいからね!お金ならいっぱいあるし!」
力瘤のポーズをするアイが可愛らしく振る舞う姿は今の焦りを忘れさせてくれるものだ。
アクアも自分たちを女手一つで育ててくれている母に感謝の気持ちを述べる。
「……本当感謝してるよ、ありがとう」
「とはいっても、アクアが働いて稼いだお金だけでホントは十分あるけど……でも!ママが出すからね!?」
「分かったって。ありがたくそうさせてもらうよ」
アイの必死さに苦笑しながらアクアは答えた。
親が親らしく振る舞えるのも大切な要素だとアクアは最近学んでいる。
そんな時、横から服をちんまりとつまむ気配がしてそちらを向けば、ルビーがあわあわと口を動かして動揺しているのが見える。
「だだだ大丈夫かな?だって赤ちゃんって結構大きいんだよね?ミヤコさん裂けたりしない?」
「しないっての。そもそもミヤコさんより大分小柄な母さんですら問題なく双子が産めるんだぞ?」
あの時は色々リスクもあったが、今回は双子ではなく一人だし、そういったリスクも少なめ。
無痛分娩でミヤコさんの痛みもそこまで心配はいらない。
多少痛覚を活かすため、全くのゼロというわけではないが。
「そう聞くと確かに……頑張れミヤコさん」
「まぁ平均したら初産だと14時間掛かると言われてるからな。このくらいの時間もよくある話だ」
ルビーは拳を握り締めグッと力を蓄えるようにポーズを取る。自分の念でも送っているのかとアクアはほっこりした。
今思うと田舎だからまだマシとはいえ、立ち会う時はしんどかったなとアクアは思い出す。
「え!?そんなに掛かるの」
「ああ、早い人はサクッと終わるんだけどな。……ちなみに母さんの時は?」
自分の最後の患者であり、面倒を見切れなかったアクアはふと母に話を振った。
これまでそういう話をする機会がなく、いくら死んでしまったからとはいえ、どこか申し訳なく思っていたのでちょうどよかった。
「そうだね……私の時は数時間くらいだったよ。担当してくれた先生の人もスムーズですって言ってくれたし。……センセが色々準備してくれたおかげだと思う」
「センセ……雨宮吾郎医師だっけ?」
惚けたようにというか事実惚けているアクアが問い返すとアイは頷いた。
吾郎があの後どうなったかという情報をアイは知っている。
そしてその後、遺体が発見された後の処置に必要な費用なども横から出していた。
「ホントは私みたいな部外者だと関わらせてもらえないことがほとんどらしいけどね〜。看護師の方が私ちょっと知り合いでさ、なんか色々根回ししてくれたみたい。あの時が最初で最後かなお葬式でたの」
「へぇ……」
アクアは当然連れて行かれなかったため、その辺りの事情は知らなかった。
まさかあの子がそこまでやってくれるなんてという驚きが強かった。横からルビーが少し強い視線を向けている。
(せんせがたらし込んだに違いない。どんな関係だったのかな?)
自分の思い人の過去の相手の可能性を考えていた。
「今でも毎年宮崎に行ったらお墓参りしてるんだ〜家族のお墓に入れてもらえたみたいで良かったよね!」
「……そっか。うん、良かったんじゃないか」
まさか自分たちのお産の話から自分のその後まで知ることになるとは思わなかったアクア。
本当にあの墓へ自分が入って良かったのかという悩みがなくはないが、その辺に打ち捨てられているよりは良かったのかもしれない。
「斎藤さん!」
がらりと病室の扉が開かれて声が掛かり、急に周囲の空気が変わる。ただアクアは話し方の具合から結果をおおよそ察していた。
中からは元気な子供の声が聞こえてくる。
「産まれました。中に入られてはどうでしょう!」
「ほ、ホントですか」
「はい!元気な女の子です!」
珍しくサングラスをかけていない壱護の目が潤んでいるのが横からでもわかる。
そしてそのまま壱護は看護師に連れられてすぐ中に入って行った。
「佐藤さん泣いてたね。……でも気持ちわかるな〜私も二人が生まれてきてくれた時、多分嬉しかったし!」
「むぎゅ」
「ぐるじいよママ」
想いのままにアイからぎゅーっと抱きしめられる二人は、その強さに苦しそうに反応する。しっかりと今でも身体を鍛えているアイは、その華奢な見た目からは考えられないくらいに力が強い。
残念ながらアイは最近の感情については理解が付いているものの、あの事件より前の感情については予想しかできない。
しばらく子供の名前も覚えられていなかったという事実もあるため、あまり自分を信頼していなかった。
だからこそ、多分という曖昧な言い回しになってしまう。
「さっ私たちも入ろ〜」
しばらくアクア達を抱きしめて栄養を補充したのか艶々とした顔でアイは扉を開く。
中に入るとアワアワとした様子の壱護と疲れ果てながらも満足そうな表情を浮かべているミヤコ、そしてその腕に抱かれる子供の姿が目に入る。
「ふわぁ!ちっちゃい!かわゆい!」
「ミヤコさんおめでとう」
「お疲れミヤコさん。きっついでしょ」
各々が思った言葉を産まれたばかりの赤子やミヤコに声をかける。
それに対してミヤコも返事をした。
「ありがとう。この子もう泣き止んでるのよ、大人しいわよね」
ミヤコなりに仕事の休暇を早々に取らされた結果、子育てについてまた調べ直した。
その結果わかったのは前回のアクアとルビーの子育ては異常ということ。
『我は神の使い。神子に憑依し、貴様に話しかけている。これ以上貴様の狼藉を見過ごすことはできぬ』
あの言葉をミヤコは今でも忘れられない。
それ以降憑依した様子はないものの、予言通り二人は芸能の神に選ばれたというに相応しい才覚を見せつけていた。
だから色々覚悟はしていたのだが、泣き疲れたのかすぐに大人しくなっている。
「はわぁ〜ぷにぷに〜ちっちゃい」
「ばぶ」
「あんまり突いてやるなよ?小さい子はデリケートなんだ」
ルビーは自分の下が産まれたという事実がよほど嬉しいのか目を輝かせて子を見ている。
アクアは軽くルビーに注意をしてから一つ気になっていたことを尋ねた。
「ところでミヤコさん、壱護さん。この子の名前はもう決まってるの?」
いつまでもこの子、その子と言った呼び方は可哀想だと思ったアクアはもし名前が決まっているならとミヤコに尋ねる。
「そうね……いくつか候補は決まっているのだけど本決まりはしていないのよね」
「まだ未定か」
壱護とミヤコの二人は事前に名前についてそれなりに話し合っており、性別ごとにある程度名前を絞っている。
ただあくまで候補どまりとなっていた。
「一応参考までに聞いとくがアクア、お前、この候補の中だとどれがいいよ」
「なんで俺に聞くんだよ」
「いや、やたら妊婦とかについて詳しかったしそういう知識もあるかと思ってな」
ここでアクアは考え込む。
別に子供の名付けに立ち会ったりしていなかったわけではない。
ただ、アクアの感性は一番懐いているルビーにすらおっさんくさいことがあると評されるものだ。
15年近く前の名前のトレンドなどあまり意味はないと思っている。
「選びはしないけど、一応どんな候補があるの?」
「見るか?ほれ」
そう言って壱護は胸元のポケットからいくつか名前の書かれた紙を取り出した。随分と用意がいいなとアクアは訝しむ。
「愛久愛海みたいな名前あるかな?」
そんなアクアの隙を突くように、ルビーは名付けというイベントが楽しいのか壱護が取り出した紙を真っ先に受け取り、思っていたことを口にする。
「あるわけねーだろ、子供が可哀想だ」
「えぇ〜名前の由来教えた時は感心してくれたのに」
壱護がルビーに対して呆れたような声で否定した直後、アイは自分の名付けに対して言いたいことがあるような彼へ反発した。
当時は本気でいい名前だと思って、名前を付けたのだから納得できないと言いたげだが、壱護はそんな彼女に言いたいことがあった。
「あのな、今日に至るまで、誰一人アクアのことフルネームで呼ばない時点で失敗だろ」
「酷いよ、フリルちゃんはマリンって呼んでくれてるし」
「それはアイツが特殊なだけだと思う」
二人の会話に割って入るようにアクアは答える。
アクア本人はもうこの名前に慣れきっているが、もし転生してなかったら間違いなく嫌だったと断言できる。
最初は普通の子供を産ませてあげたかったなんて思っていたアクアだが、今は子育ての環境といい自分たちのような特殊な赤子でよかったと考えていた。
「えっと愛美、美海、久瑠、瑠海、海衣、愛瑠」
ルビーが紙に書かれた名前を読んでいくのをアクアは覗き込む。
「割と珍しい名前だな。いや、漢字的にこれって俺たちの名前?」
名前のリストを見ていてその共通項に気が付いたアクアは声を上げた。名前の漢字は全てアクアとルビーの本名である愛久愛海と瑠美衣の漢字から取られている。
それに対してミヤコは肯定の意を示す。
「そうね、私たちの娘に、貴方達の名前から一文字ずつ貰おうかなって思っているのだけど……どうかしら」
ミヤコは血縁上は確かに二人と血は繋がっていない。
だがアクア達のことをアイもまとめて本当の子供のように思っている大切な存在だ。
そんな子供達はとてもいい子に育っていて、自身が産んだ初めての子供なのだから、神子らしいこの子達へあやかりたいなんて気持ちが彼女にはあった。
「そりゃ全然いいよ。むしろありがたいくらいだ」
「はいはい!私もオッケーだよ!」
「あれ?私の名前は?」
アクアとルビーが返事をしている中、自分だけハブにされたら子供達の名前から取りたいと聞かされたアイはショックを受けた表情を浮かべる。
「……お前いっぺん自分の態度思い出してみろ。あやかりたいと思うか?」
今なお苗字すらまともに呼ばれない壱護は、そんなアイへ呆れたような声で言った。
本当のところアイは壱護の名前をもう覚えている可能性が高い、ただコミュニケーションの一環として今でも佐藤と呼んでいる可能性があるというのがアクアの見解だ。
ルビーの持っている名前のリストを少し見てアクアは一つ自分の選んだ名前を口にする。
「この候補なら愛瑠とかいいんじゃないか」
「ありがとうアクア。それじゃあこの子の名前は愛瑠にするわね」
「ハメたな?」
そんなアクアの言葉を聞いてほとんどノータイムにサクッと命名の決断するミヤコ。
実のところ、最初からアクアに最終決定権を渡すつもりで、意見を聞くというよりアクアに選ばせるためのリストであったことにようやくアクアは気が付いた。
ミヤコと壱護はアクアの直感というものを高く評価していた。
特にミヤコは神のご加護とかないかな、なんていう俗物的な期待をしている。
悩んでいるからと提案の一つとしてオススメを言っただけのつもりだったアクアは完全に嵌められてしまっていた。
「いいじゃんアクア。メルちゃんって可愛い名前だよ?」
「アイ、お前は結果的に自分の名前も入ったからヨシとか思ってるだけだろ」
壱護は先ほどまでしょんぼりしていたアイが元気になっているのを見て問いかける。
「そんなことないよ〜、アクアはもしかしたら配慮してくれたかもしれないけど」
ケラケラと笑うアイだが、壱護の言う通り、なんだかんだ慕っている二人の子供に自分の名前の要素も入って嬉しいと思っていた。
こうしてこの日、斎藤家に新たな家族『斎藤愛瑠』が加わることになる。
そこからもしばらく楽しい面会していたが、お互いに時間も時間ということで、アクア達は病院から帰宅する。
壱護はアクア達を送った後、家で一人ノンアル盛りをするらしくわかりやすい笑顔で去っていった。
一応病院から緊急で呼ばれた時用にその辺り意識できるようになった辺り、ミヤコに育児を丸投げしていた頃よりは夫ができるようになったんだなとアクアは内心感心する。
「いや〜メルちゃんきゃわ過ぎたね!思わずベタベタしそうになってお兄ちゃんに怒られちゃった」
笑顔のルビーは興奮して話している通り赤ちゃんに夢中だ。
名目上は自分の妹となる存在であり、だからこそ姉としての威厳を持たねばと無意識に思っている。
ただそれ以上に可愛がりたい欲を抑えられなかったらしい。
「本当可愛かったね〜。あんなにちっちゃい子供だったアクアとルビーもこんなに大きくなって……時間が経つって早いね」
「まぁ俺たちも来年で中学生最後だし」
「……そっか。もう二人が半年もしたら15歳かぁ」
何か15歳に意味がありそうな、やたら意味深なアイの態度がアクアは気になり尋ねることにした。
「どうしたの?なんか言いたそうなことがあるように見えたけど」
「う〜ん……な〜いしょ」
いつか病院でやっていたようなあざといポーズ。
そんな格好がいつまでも似合うのはアイだからこそだろう。
「ママ可愛い!さっきのメルちゃんに匹敵する!」
「そう?ルビーも可愛いよ〜私と同じくらい!」
「はいはい、そうやって話逸らさないでくれよ。15歳になったら何かあるのか?」
アクアはそのままルビーの会話に乗って話を終わらせようとしていたアイに気が付き、問いただす。
こういう時のアイの隠し事は碌なことにならないということをこの14年の人生でしっかり学んでいた。
「……アクア、そうやって女の子の秘密を暴こうとするのは良くないと思うな」
どうしても言いたくないらしい。アクアからの質問に対して珍しく頑なだ。
その意志の強さにアクアはため息を吐きながら折れる。
「分かった。じゃあ一個だけ。それ危ないことじゃないよな?」
もしこれでアクア達が知らないだけで実はアイの余命みたいな事態があればとんでもないショックを受けるだろう。
ただニコニコとしながらアイはそれは違うよと否定する。
「もうお兄ちゃん!ママがサプライズで私たちに何か用意しようとしてるのにそんな突っ込んじゃダメ!」
「いや、後始末するの多分俺たちだぞ?聞きたくもなるだろ」
アクア達の年齢がキーになっているということはまず間違いなく、自分たちはアイの考えている厄介ごとに巻き込まれると思っている。
いくらファンで最愛の母とはいえ、想像以上の無茶振りは回避したかった。
「あっそこは大丈夫!もう解決してる事だから!」
「え?」
「だから安心して15歳まで待っててね」
「はぁ……実害ないならいいけど」
じゃあ何でこんなに頑なだったんだよとアクアは内心呆れながら、解決したなら放っておこうと母の言葉を素直に信じて決める。
そのあとは元のメルの話へと戻り、アクアはいつのまにかそんな話があったことを忘れ去るのだった。