異世界に転移して剣闘士落ちして二年。クラスメイトに買われた。 作:文月二三
馬車から降り、俺は目の前にある大きな屋敷と、貴族の使用人と言われて想像するような人たちがずらりと並んでいるという、欠片も想像していなかった光景を見て、動けないでいた。
そして十数名いる中から、いわゆる執事服を着ている、どこか優しそうな雰囲気の老人が前に出てきて一礼をした。
「おかえりなさいませ。リンネ様。そして、ようこそお越しくださいましたミナト様。この爺、屋敷にリンネ様の同郷の方が加わるとお聞きし、大変喜ばしく思っております。わたくしは当館の
「よ、よろしくお願いします。堀江湊です」
俺が驚いていると、凛音さんは悪戯を成功させたような顔で微笑みながら目の前の人たちや屋敷について話し始めた。
「ふふ、びっくりしたかな。私って一応勇者だったから、湊君とずっと一緒に住む屋敷を買えるくらいにはお金があるんだ。トリスタン達は、私についてきてくれてる仲間だよ。使用人みたいにふるまっているけどね。湊君には、今日から私と一緒に、トリスタン達と住むことになるの。もちろん湊君のために部屋が用意してあるから、そこを自由に使ってね。ずっと馬車に乗って疲れてるだろうし、リリー、湊君を部屋に連れて行ってあげて」
凛音さんがそういうと立ち並んでいた人たちの中から、一番小さな少女が「はい!」と元気な声で返事をした。金髪で、凛音さんと同じくらい整った顔をしていて、地球の基準だと、小学生ぐらいに見える。特徴的なのがカチューシャで分かりにくいものの、頭に小さな角があることだ。獣人を見ることはまれにあったので、人間以外にも種族があるのは知っていたが頭に角のある種族もいたのか。
「ミナト様!ここからはリリーが案内します!」
リリーはそういうと俺の手を取って、屋敷のほうへと向かっていく。俺はされるがままについていき、屋敷の正面。大きな扉をくぐり、中へと入る。階段を上ると、たくさんの扉がある廊下に出た。そしてそこからさらに歩き、大きなベッドがある部屋へと案内された。
部屋にたどり着くまでの間、リリーはいろいろなことを話してくれた。そのほとんどが凛音さんに関する事で、魔王を倒しただとか、おいしいクッキーを作れるとか、地球にいたころと同じく、とても愛されているのだと知った。俺は、楽しそうに話すリリーに時おりうなずき、言葉を返しながら、一緒に歩いた。
そうして部屋にたどり着き、扉を開いて部屋の中に入る。ドアを閉めたリリーはまだ楽しそうに話す。
「リンネ様は素晴らしい方です!どんな強敵も剣で切り裂いて、どんな種族にも優しいんです。いっそ優しすぎるくらいに、いじめられていたリリーを救い出して、ふかふかのお布団で寝られるようにしてくれて、ほかの勇者なんかとは違う本当の勇者…」
急にリリーの言葉が途切れた。心配にになって顔を見ると突然リリーがとびかかって首元をつかんだ状態で俺を壁に打ち付けた。仮にも剣闘士をしていてそれなりの重さがある俺を、いとも簡単に、一瞬で。
俺を壁に打ち付けたリリーの顔は虚無。まっすぐ俺を見つめている瞳からは光が感じられない。まるでどこまでも続く穴の底を見ているような、飲み込まれそうな…
「だから、仮にもし貴方が私のリンネ様を傷つけるようなら、あいつらと同じならば、今ここであなたを殺します」
さっきまでの抑揚のある元気な声ではなく、どす黒い感情のみを込めた平坦な声だった。いつの間にか俺の首元をつかむ手とは逆の手が後ろから回され、ナイフの刃が俺の動脈に添えられていた。あまりの事態に俺は声を出せなかった。抵抗するには距離が近すぎるし、話し合いで済ませるにはリリーとの心の距離が初対面だとしても遠すぎる。
異世界でせっかく顔見知りに出会えたのに、こんなところで死ぬのか…
俺は最期の時を覚悟し目をつむった。
「何よりも尊い主の、客人に対しはしたないですよ。リリー」
悪寒がした。恐怖で体が反射的に瞼を開かせて悪寒の原因を探る。目の前のリリーはさっきの顔が嘘のように消え怯えという感情が前面に押し出されている。全身が震え、首元を掴んでいた手は離れ、左手のナイフは手放されて俺の首から肩に滑るように移動し、下に落ちていったかと思えばドスリという音が聞こえる。
ドアのあるほうを向けば、そこには笑みを浮かべた執事、トリスタンが立っていた。
彼は右手にクロスをかけた状態で、左手を後ろにやっている。とても戦うような姿勢には見えない。だけれども、それでも二年間で培った剣闘士としての勘が、絶対に攻撃をしてはいけないと告げていた。
「…ごめんなさい。バトラー」
DVにおびえる子供が、親の機嫌をうかがう時のように、彼女は謝った。
「謝るべきは私に対してではありません」
「ごめんなさい。ミナト様」
リリーはトリスタンへの怯えから、瞬時に体を折り曲げ俺に謝ると、部屋を飛び出してしまった。トリスタンはそれを見てやれやれとため息をつきながら、俺に近づいてきた。
「当家の使用人が申し訳ございませんでした。リリーに限らず、当家の使用人たちはリンネ様に救われた経験がございまして、少々リンネ様に近づく人間に対して過敏なところがあるのです」
「いえ、リリーやトリスタンさんからすれば、俺は得体のしれない剣闘士ですから…警戒するのも仕方がないと思います」
「そういっていただけると幸いです。リンネ様からの伝言です。今日はもう遅いので、湯浴みが終わり次第就寝し、明日の朝食のタイミングでまたお話ししたいとのことです。お部屋のほうはミナト様の入浴中に直しますので、ご安心を」
「それではまた湯浴みの際に来ますので…」
その後、俺は再度やってきたトリスタンさんに浴場へ案内され、二年ぶりに湯船につかった後、ベッドの中へと入った。
しかし、リリーに殺されかけたこと、トリスタンさんから感じた悪寒で、なかなか寝付けなかった。