消えてしまいたい、そんな想いは僕を屋上へと自然に誘った。
初星学園の屋上は、最近の学校にしては珍しく通常解放されている。
いつもは生徒で溢れている、その場所も中間試験の後という時間帯もあってか生徒の姿は見られない。
それはつまり僕の目的を邪魔するものは、この自身の身長より少し低い程度の高さをした柵しかない事を意味している。
後は、ここから飛び降りてしまえば、全ては解決する。
フェンスをよじ登るべく、手をかけてふと思う。
ここで僕が死ぬことによって、篠澤さんに迷惑は掛からないだろうか?
プロデューサー科とアイドル科という関係とはいえ、担当プロデューサーの自殺というのは彼女の経歴に傷を付ける事になるのではないだろうか。
それに死んだときにどうなるか分からない。
再び入学式の時に戻ってしまう可能性だってある、それならばこの『初』の試験が終わるまで待った方がいいのではないだろうか?
「ハハハハハ!」
そんな事を考えている事に気づいて、笑わずにはいられなかった。
だって、そうだろう?
こんな滑稽な事はない。
自分自身なんか消えた方がいいと思っていながら、いざその手段を取ろうとした瞬間、言い訳のようにやらない事の理由ばかり浮かんでくる。
結局のところ、自分なんてものはその程度の半端者なのだ。
自分なんて存在しない方がいいだなんて考えていながら、土壇場で怖じ気づき、こうして立ち止まってしまう。
もしも自分がもっと強ければ、逆境に立ち向かうことが出来ただろう。
もしも自分がもっと弱ければ、そもそもプロデューサーになろうとは思わなかっただろう。
もしも自分が今よりほんの少し強ければ、あるいはほんの少し弱ければこのフェンスを乗り越える事も出来ただろうに。
中途半端な僕には結局、何もできないままだ。
ただこうして屋上で立ち尽くす事しかできない、それが自分だ。
「戻ろう」
このまま、屋上にいた所で自分の惨めさを痛感するだけだ。
これからどうすればいいかは分からないが、とりあえず篠澤さんに中間試験の結果を告げるぐらいのことはしないといけない。
それはプロデューサーとして最低限の義務だろう。
半端者の自分でもその義務は果たさなければならない。
そんなことを考えていた時だった。
屋上へと繋がる扉が凄い勢いで開けられた。
随分と乱暴な開け方だな、なんて思いながら進行方向でもあるその扉の方を見ると、そこにいたのは想定外の人物だった。
「プ、プロデューサー……よかった、いた」
息も絶え絶えと言った様子の篠澤さんがそこにいたのだ。
屋上に行くことは伝えていなかったはずだし、どうして彼女がここにいるのか理解出来ない。
ただ言動からして自分を探しに来たのだろうという推測は出来る。
でも、どうして?
彼女が何か話そうとしていることを察し、向こうの出方を待つ。
「……もうだめ……きゅう」
ただ何か話すよりも前に、体力が限界だったのか篠澤さんは前へと倒れ込む。
「危ない!」
反射的に駆け寄り伸ばした手が、何とか地面にぶつかるよりも早く彼女を支えることに成功する。
様子を見る限り、保健室からここまで走ってきたのだろう。
何故そんな彼女にとっては自殺行為のようなことをしでかしたのかは分からないけども。
再び篠澤さんを抱えて保健室へと向かう。
まだ保健室の先生は戻ってはいないようで、とりあえず先ほどと同じベッドに寝かせる。
「……あれ……?」
保健室の先生は既に帰ってしまったのか、それか何かのっぴきならない用事でもあるのか、結局先生の姿は見えないまま、篠澤さんの方が先に目を覚ます。
「お疲れ様です、篠澤さん」
「……そっか。プロデューサーを、見つけて倒れちゃったんだ」
「ええ、その通りです。あんなに急いで屋上に来るなんて、何かあったんですか?」
「プロデューサーに伝えないといけない事、あったから」
「伝えないといけない事ですか?」
わざわざそんなに急いで伝えなければならない事とは一体何なんだろうと頭を回すが、僕なんかが考えた所で真意を見抜く事は出来ない事に気づき、彼女の言葉を待つ。
「その前に、どうだった? 中間試験の結果」
「合格です。最高の結果でしたよ」
「…………あ……ああ…………」
その結果を聞いて、篠澤さんは両手を頬にあて驚いたような表情を見せたかと思うと、その顔が真っ青に染まる。
その最高の結果がショックだったかのように。
そうだ、彼女にとってみればアイドルは一番向いていないもの。
一番向いていないから目指す、その言葉の真意までは理解出来ていないが、この一か月半という短い期間の間で結果を出してしまったことは彼女にとっては不本意な事であるに違いない。
そんなことにも気づかずに、篠澤さんが中間試験に合格するためだけの曲を作り、パフォーマンスをさせてしまったのだ。
少し冷静になって考えれば分かる事だろうに。
「……まだ、アイドルになりたいですか?」
最悪の想定を考えながら尋ねる。
僕が勝手にやってしまったことによって、彼女のアイドルになりたいという気持ちが無くなってしまった可能性はある。
アイドルという仕事が一番向いていない仕事で無くなってしまい、他の夢に向かってしまうというのは考えられる話だ。
そうなれば篠澤広という素晴らしいアイドルの原石を、僕の勝手で宝石になる前に砕いてしまったことになる。
彼女の才能は僕なんかのせいで失われていいものではないというのに。
「うん。わたしは、アイドルを目指したい」
即答してくれる篠澤さんに、少しだけ安堵する。
少なくとも今回の件は篠澤さんのアイドル人生を終わらせるきっかけにはならなかったらしい。
なんとか、最悪の未来だけは回避することが出来たようだ。
「それならよかったです」
何とか笑顔を作り自分がそう返事をすると、篠澤さんは顔を伏せ、表情が見えなくなる。
「プロデューサー」
声のトーンが重くなり、改まってこちらを呼ぶ。
嫌な予感がした、ここから先を聞いてしまったら取り返しのつかない何かが起きてしまいそうなそんな予感。
そんな予感がしていながらも逃げる事も出来ず、ただ執行を待つ死刑囚のような気持ちで彼女の言葉を待った。
篠澤さんも切り出しにくい話題なのか、しばらくの間呼吸音と秒針の音だけが、保健室に響き渡る。
やがて意を決したように篠澤さんは話始める。
「……あのね……もう、わたしのプロデュース、しなくていいよ」
ああ、やっぱりそうか。
薄々、そういった話ではないかと思っていた。
こんな自分本位でアイドルを振り回すプロデューサーなんて見限られて当然だ。
人間、許容量を超えるショックを受けると一周回って冷静になれるらしい。
出来れば学びたくなかった真実だなと、この期に及んで何処か冷静に評価している自分がいることが嫌になる。
「……分かりました。ただ今すぐにというのは難しいので、少し時間がかかりますが大丈夫ですか?」
「うん、だいじょうぶ。わたしは一人でやっていくから。わたしはわたしで。あなたはあなたで。やりたいこと、やろう。したいこと、しよう」
篠澤さんの顔は伏せられたままで、その表情を図り知ることはできない。
ただ今はそれが嬉しかった、そのおかげでこちらの表情を見られることもないのだから。
それは、一人で進んでいこうと決めた彼女の邪魔になるだろうから。
「……今までありがとうございました。篠澤さん」
「それを言うのは、わたしのほう。いままでありがとう、プロデューサー。これからは、お互い頑張ろ」
「ええ、そうしましょう。すみません、まだやらないといけないことがありますので、自分はこの辺で」
ありもしない用事をでっちあげて保健室を後にする。
どうして、わざわざ篠澤さんが屋上まで走って来たのかなど疑問は残るが、事実的な契約解除通告をされたプロデューサーが今更気にすることではないだろう。
それにその疑問を解消するよりも、あのままあの部屋に居たときに自分が何かしでかしてしまう事への恐怖心の方が強かった。
これ以上醜態を晒す前に、潔くこの場から去る。
きっとそれが今、自分がプロデューサーとして行える唯一の事だ。
「じゃあね。プロデューサー」
背後から聞こえてきた離別の言葉が、耳に残って仕方なかった。
僕は生涯、この時の言葉を忘れることは出来ないだろう、そんな確信を持ちながら保健室の扉を閉めた。