篠澤さんから実質的な契約解除の申し出を受けてから、しばらくの時間が経過していた。
その間何をしていたかと尋ねられれば、何もしていなかったと答えるしかない。
比喩でも何でもなく、僕は何もしていなかった。
学校に行くこともやめ、ただ家に籠って、布団とトイレ、それと買いためてあったカップ麺を食べるべくキッチンを行き来しているだけだ。
言ってしまえば、ただ生きているだけ。
それが今の現状だった。
カーテンの下の部分から日の光が薄く漏れ出しているところから考えるに、今は昼なんだろう。
あの日からどれだけ時間が経過しているのか、スマホの画面を確認しようとして、電源の入らないスマホの画面を見て、一つため息を吐く。
手に持ったガラクタを適当に放り投げ、何をするわけでもなく只々呆然とベッドの上で寝っ転がる。
これほどゆっくりした日々は久しぶりだ。
今までは時間さえあれば、汐入さんのプロデュースの事を考えていたし、最近だってその対象が篠澤さんに変わっただけでずっと同じことを繰り返していた。
だがもう、そんなことは終わりだ。
こんなことはもう何の意味もないことを知ってしまった。
だからといってこんなふうに不貞腐れていても、何ら意味のないことぐらい理解している。
だけど、こうすることぐらいしかやれることがないのだ。
隕石でも落ちてきて地球が滅亡してくれればいいのに、それがだめなら今からこの部屋に殺人犯が乗り込んできて僕の胸にナイフを刺してくれるのでもいい。
こうなってもやっぱり他人任せなんだなと、どこか冷静に自分の事を嘲笑う。
……駄目だな、起きてたら嫌な事ばかり考えてしまう。
目を瞑り、少しでも早く眠ることが出来るよう祈る。
現実から少しでも逃避出来るように。
そんな時だった。
ピンポーンと、甲高く耳障りな音が部屋に木霊する。
部屋のチャイムが鳴らされた音だ。
こっちは寝ようとしていたのに、こんな迷惑な時間にくるなんて非常識な奴だなと愚痴を心の中で言いつつ、おそらく配達か何かだろうと当たりを付ける。
それなら放っておけば、不在票を置いてどこかに行ってくれるだろう。
そう思っていたのに、何故かもう一度耳障りな音が部屋に木霊する。
二回もチャイムを鳴らすとは、不在票を忘れてしまったのか、それとも緊急で受け取らないといけないものだったのだろうか。なんて考えている間にもう一度、チャイムが鳴る。
このチャイムの量は、何かの配達という線はないだろう。
ここまで鳴らしていては、直接会社にクレームが入ることもあるだろうし、わざわざ多数の場所を配達する彼等が一つの場所にここまで固執するとは思い難い。
そうなると……相手は両親だろうか。
何かの用事があり電話をしたが、それに出ようとしないので、とりあえず様子を見にきたというのは十分に考えられる。
あるいは大家かもしれない。
振込などの手続きに何かしらのミスがあり、電話をしたが出ないので直接本人を尋ねに来たという可能性もある。
もしそうならここで出ないと、大事になる可能性もある。
それよりも早めに出ておいた方がいいだろう。
重い腰を起こすと、急かすようにチャイムが鳴る。
まだ見ぬチャイムの主に苛立ちを覚えつつも、扉を開く。
そこにいたのは想定外の人物だった。
「……なんで、あんたがここに」
「友人が無断で学校を休み続けていたら心配するのは当然だと思いますが」
そう、そこにいたのは花海咲季のプロデューサーだったのだ。
「自分は大丈夫ですので、放っておいてください」
「そういうわけにはいきませんよ。そうですね……一度身だしなみを整えてもらってから、外で話をしましょう」
言われてから気づく。
当然ながら寝癖なんて直していないし、そもそも数日間風呂にも入っていない。
到底、他の人と会えるような状態ではない。
本人ですらこのざまなのだから、部屋の中はもっとひどい有様だ。
元より、来客を受け入れることが出来ない様子だったのに、それに輪をかけてひどくなっている。
「……数分待ってください、今から準備しますので」
彼を追い返すのは至難の業だろう。
それなら適当に話を聞くだけ聞いた方が楽だ。
「はい、いくらでも待ちますので、せめて真っ当な服装に着替えてから来てくださいね」
外で相手を待たせているとはいえ、流石にシャワーぐらい浴びてから外に出ないといけないだろう。
シャワーを浴び、こうなる以前にちゃんと自分が畳んで置いてくれていた衣類に身を包み、最低限身だしなみを整えてから外に出る。
「すいません、待たせましたね」
「いえ、気にしないでください。立ち話もなんですし、座って話をしましょう。ここに来る前に喫茶店を見つけたのでそこにしましょうか」
彼の案内で、近くにある喫茶店に二人で入る。
家の近くにある喫茶店だが恥ずかしながら今まで一度も入ったことは無かった。
オシャレな音楽に、少し暗めの落ち着く店内。古き良き喫茶店という言葉が、良く似合う店内だ。
平日の昼過ぎと言う事もあってか、客は殆ど見えない。
唯一、季節外れの麦わら帽子を被っているお客が一人店内にいるぐらいだった。
こういってはないんだが、商売っ気もあまり考えてい無さそうな店だし、こんなものだろうと思いつつ、プロデューサーが座った席に向かい合う様にして座る。
席料代わりのホットコーヒーを注文すると、彼も同じくホットコーヒーを注文した。
少し待つと、店員さんがコーヒーを二つ持って来てくれる。
コーヒーが置かれ、店員さんが厨房に戻っていたのを皮切りとばかりに、彼は机の上に携帯を伏せて置くと話を始めた。
「まず、訊きたいんですが、あなたはこの四日間、何をしていたんですか」
「何もしてませんよ。ただ部屋の中で寝てただけです」
出来るだけ平静を保ちながら返事をするが、内心ではすでにあの日から四日間もの時間が経過していた事に驚く。
もうそんなにも時間が経っていたのかという気持ちと、まだそれしか経っていないのかという気持ちが半々だ。
「それはなぜ?」
「……何故と言われても、何を訊きたいんです?」
「あれほど、担当のアイドルの事を考えていたあなたが、すべてを投げ出したように引きこもるとは思えません。それ相応の理由がなければありえない」
「ああ、それですか。別に大したことではありません、ただただ自分の才能の無さに気づいただけです。僕では彼女達をアイドルにすることなんかできやしない、そのことにようやく気付けたんです」
「……どうしてそんな風に?」
信じられないという目で、彼はこちらを見る。
「中間試験の篠澤さんのパフォーマンス、どう思いました?」
「……良いパフォーマンスだったと思います。事実として、中間試験を一位で突破している。これを良いパフォーマンスと言わずにしてどう評しろと?」
「それは客観的な話でしょう? 自分が訊きたいのは、あなたがどう思ったかです」
そう尋ねると、彼は考え込むような表情を浮かべる。
その時点で察した、彼にとって篠澤さんの中間試験は手放しでほめることが出来る物ではなかったのだと。
「……まず、面白い演出だと思いました。あの時点での篠澤さんの実力を最大限生かした、演出でした」
言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ですけど、そうですね。惜しいなと思いました。あの演出は最終試験やライブでは使えない、だからこそ惜しいと、それが自分の感想です」
「自分は、惜しいと思うことすら出来なかったんです」
「というと?」
「あの演出であれば、篠澤さんを輝かせることができる。その事だけに考えて、その先のことなんてちっとも考えてなかったんです。プロデューサーとして失格でしょう? 中間試験の後の事なんか全く考えられないのですから」
「そうですかね? あなたの担当しているアイドルは相当な難敵です。他のアイドルならともかく、彼女を担当するのであれば目先の壁である中間試験の突破以外に目がいかないのも自然だと思いますが」
「なら、前と同じ質問をしますが、あなたなら篠澤さんをどうプロデュースしますか? どんな手を使ってでも今回の『初』の舞台に立つためにプロデュースしますか?」
彼はその質問に言い淀んだ。
時に沈黙と言うのは、下手な言葉を交わすよりも雄弁に真実を語る。
「……そうですね。ただ篠澤さんがもしも、『初』に立ちたいというなら」
「言ってませんよ、彼女は一言も言ってないんです。『初』の舞台に立ちたいだなんて、ただ僕が僕自身のエゴで彼女を『初』の舞台に持っていったんです」
「そうでしたか」
彼は少し考え込むような仕草を見せる。
「それであなたが、部屋に引きこもっていた理由はそれだけですか?」
ただ彼はそのことはどうでもいいことのように切り捨てて話を進めようとする。
「それだけ? それ以上に理由が必要ですか?」
その態度に腹が立つ。
自分がプロデューサーとして向いていないことを述べるのにそれ以上の情報はいらないだろうに。
それとも、自分がプロデューサーとして失格なところは別の部分にあるとでも言いたいのだろうか?
「……いえ、話は分かりました。ようは自分がプロデューサーとして失格であるからと」
再度、確認するように彼は言った。
「すみません。この件の話をするためにもう一人、人を呼んでいいでしょうか?」
「出来れば勘弁して欲しいですね、自分の恥を晒す趣味はないので」
「おや、こちらからの提案を断れるとでも?」
「どういう意味です?」
「あなた私に借りがありましたよね? それを今から返してもらおうかと」
「……分かったよ」
借りと言うのは、以前篠澤さんの育成方針について訊いた時の話しだろう。
そう言われてしまえば、こちらとしても従うしかない。
「だそうです、篠澤さん。今の発言を聴いてどう思いましたか?」
先ほどよりも大きな声で、プロデューサは言う。
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「久しぶりだね……プロデューサー」
ただ、すぐにその言葉の意味を理解した。
先ほど入った時にちらりと見えた、あの麦わら帽子を被っている客。
それが彼女だったのだ。
「流石に隣同士と言うのも話にくいでしょうし、篠澤さんはこっちに座ってください、私はこちら側に座りますので」
そういってプロデューサーは僕の隣に座り、篠澤さんはこちらと向き合う席に座る。
「それでは二人で話し合ってください。想像通り、これはただのコミュニケーション不足です、私はその間軽食でも食べておきますので、いないものと思ってご自由に」
「自由にって何を話せって言うんだ」
「そうですね、では、篠澤さんの方からどうしてもうプロデュースしなくていいと言ったかというところから話せばいいんじゃないですか」
そう言うが早く、彼は店員さんに追加でサンドイッチを注文する。
自分はこれ以上口を挟まないという合図なんだろうか。
「……えっと、訊かせてもらえますか? その、どうしてもうプロデュースしなくていいと言ったか」
正直に言えば逃げ出したい。
だが僕が逃げようとする進路には、プロデューサーが座っており、ただでは逃げることは出来ないだろう。
なら、僕が出来ることは篠澤さんから自分に失望した理由について訊くという、どこかの拷問として採用されてもおかしくない事を行うだけだ。
「わかった。えっとね、まずプロデューサーが心配してたこと、わたしは、別に気にしてない、よ?」
「それはえっと、中間試験であの曲を歌わせたこともですか?」
「うん。あの曲、わたしは好き」
「いや、でもプロデューサーとして失格の行為で……」
「もしそうだったとしても、問題ない。もう、忘れたの?」
一体何を忘れているというのか。
「わたしたちはお互い向いていない同士、だから一緒に頑張ろうって」
……ああ、そういえばそうだった。
そもそも僕達は向いていない同士。それがスタートだったんだ。
それでもいいというところが始まりだったのに、どうしてそんなことを忘れてしまったのだろうか。
確かに中間試験のあれは失敗だった。だけど、それは言ってしまえば当然の失敗だった。
なんせ向いていない二人で組んでいるんだ、順風満帆で何も波風立たない平和な旅路であるはずがない。
「そもそも、それぐらいで失格なら、わたしはもうこの学園に居ない」
「……それは、そうですね……」
「酷い。そこは嘘でも、否定するところ」
そう言って文句を言うが、表情は何処か満足気だ。
そうだ、篠澤さんというのはこういう生物だった。そのことをわすれていた。
「でも、だったらなんで、もうプロデュースしなくていいなんて?」
「えっと……それはね」
篠澤さんは言いにくそうに口ごもる。
「ああ、そうだ。先に行っておきますが自分はあなたがループしているって事も聴いていますので」
先ほど届いた一口大のサンドイッチを口に放り込みながら、何でもない事のようにプロデューサーは言った。
「え? 聞いたんですか?」
「ええ、その前提を知らないと、今回の件は正しく理解できないでしょうし」
「……信じたんですか? こんな馬鹿げた話」
「ええ、もちろんです。そう考えれば納得できることも多いですし。あなたがたった一度の失敗を指摘されただけで折れてしまうような人間かどうかを比較した時に、時間をループしているという話の方が比較的信じれたので」
「そんなに自分諦め悪く見えます?」
「貴方の事を少しでも知っている人間なら誰でもそう思いますよ。作詞作曲などのスキルもありますが、本質的なあなたの強みはアイドルに対する異常ともいえる執着心と諦めの悪さだと思うので」
……これは高く評価されていると思っていいんだろうか?
なんというか、余り褒められているような感じがしないのだが。
「もちろん褒めてますよ」
そんなことを考えていることを悟ったのか、彼はそう告げる。
「すいません、話の腰を折ってしまいましたね、ですが先に言っておかないと絶対に脱線すると思いましたので。では話の続きをどうぞ」
そういって、篠澤さんの方に話を振り、彼自身はサンドイッチについていたピックのようなものを外す作業に移った。
「えっとね、プロデューサーはふうかのプロデュースをするべきだと思う」
「汐入さんの?」
また何でそんなことを、唐突に言うのだろうか。
「プロデューサーは何が理由で、ループしていると思う?」
「え? 何が理由かって……」
何が理由か、そう考えると難しい。
神様がチャンスをくれているとしか考えたことは無かった。
ただ何度もそのチャンスを貰っても、物に出来ない自分を恨んだ記憶はあるが。
「わたしはね、担当のアイドルが中間試験を突破できないと、タイムリープするんだと思う」
「……そうなんですか?」
「うん、だってそうじゃないと今の状況が説明できない」
「……はあ、そうなんですか」
自分の事のはずだが、何処か他人事のように聞こえる。
今の状況が説明出来ないと言われても、僕は今の状況と言うのがよくわかっていない。
「ふうかは中間試験、不合格だった。だから、ふうかの成績は関係ない」
彼女にプロデューサーがついていない事は知っていた。
そのうえで、中間試験に不合格だったというのは、正直に言えばショックだ。
ただそのことを何処か喜んでいる自分がいることに尚更嫌悪する。
「だから、もうループが起きない以上、ふうかと今回の中間試験を受けることは出来ない」
そこまでようやく自分は事の重大さを理解した。
汐入さんをメインステージに立たせる。確かにそれは遠い昔、今は無き過去で約束したことであり僕の悲願だ。
……それがもう果たされない?
「はあ……、何ショックを受けたような顔をしているんですか。あなたは」
隣から、プロデューサーは呆れたように言う。
「だからと言って、これで終わりではないでしょうに。確かに今回の『初』を汐入さんと合格することは出来なくなりました。ですけど、それの何が問題なんです?」
「その言い方は」
「いえ、その通りですね。ありがとうございます」
篠澤さんがフォローしてくれようとするが、それを遮って言う。
ああ、そうだ。
確かに彼の言う通りだ。
僕は、また同じ失敗を繰り返そうとしていた。
プロデューサーとして大切なのはアイドルに寄り添う事だ。
アイドルとして彼女達が輝くために動く、それがプロデューサーにとって大切な事だ。
それに『初』の舞台に立てなかったらといっても、アイドルとしての道が閉ざされるわけではない。
つい先日、そのことを聴いたばかりだというのに既に忘れてしまっていたらしい。
「……すいません、篠澤さん。自分は、また同じ失敗を繰り返していたようです」
「なんで、謝るの? 悪いのは、わたしなのに」
「いえ、篠澤さんは悪くありません。貴方のおかげで、ようやく気付くことが出来ましたから。きっと、ずっと汐入さんをプロデュースしていれば気づきませんでした。永遠に中間試験を合格出来ず、あのループの中に囚われていたままだったでしょう」
今回の周回で学ぶことは多かった。
「その上でお願いします、また自分にプロデュースさせてくれませんか?」
「いいの? プロデューサー、ふうかのプロデュース出来なくなるよ?」
「構わない……とは言いません。汐入さんのプロデュースもします」
「どうやって?」
「汐入さんに篠澤さんのユニットとしてデビューしてもらいます」
そうだ、二人共プロデュースしてしまえばいい。
そう考えるとやらなければいけない事は多い。篠澤さんと汐入さん、アイドルとしての才能はあるが、この二人でのユニットでは少しコンセプトが弱い。
リーダータイプのアイドルを一人追加でスカウトするべきだろう。そうした方がユニットとしてのしまりが出るはずだ。
それこそ花海咲季などが良い選択肢になるだろうが、残念ながら彼女にはもうプロデューサーがついている。
それなら今、プロデューサーのついていない子で、それに該当するのは……
「はい、そこ。自分の世界に入り込まないでください」
隣にいたプロデューサーから軽く頭を小突かれる。
「全く、担当のアイドルの事を考えると周りが見えなくなる、悪い癖ですよ」
「……すいません、少しでも時間を無駄にしたくなくて」
「はあ……篠澤さんの答えも聴いていないのに、よくそこまで出来る物です」
そうだ、僕はまだ彼女の返事を聴いていない。
「わたしはいいけど、プロデューサーはいいの?」
「もちろん、というか、こちら側からプロデュースさせてくれとお願いしている側です」
「じゃあ……わたしを、これからもプロデュースしてくれる?」
「はい、もちろんです」
「そっか。それなら、ずっと、楽しいね」
そう、満面の笑みを浮かべて、篠澤さんは答えるのだった。
「……はあ、一件落着したようですが、とりあえず自分から二人に言っておかなければいけない事があるので言っておきます。まずは篠澤さん」
大きくため息をついてから、プロデューサーは口を開く。
「わたし?」
篠澤さんもこの流れは想定外だったようで、首を傾げている。
「ええ、あなたです。そもそもですけど、もしあなたの思惑通り言ったとしてですよ? どうやって彼は汐入さんをスカウトするんですか?」
「それは……えっと、普通に?」
「そんなこと出来るわけないでしょうに。逆の立場で考えてみてください。汐入さんにプロデューサーがいて、篠澤さんにプロデューサーがいない。その状態で、中間試験が終わった後、突然元の担当である汐入さんのプロデュースを辞め、プロデュースさせてくださいと言って来る相手がいて了承しますか?」
「……あ」
どうやら篠澤さんは想定外だったらしく、目を丸くしている。
「ええ、そういうことです。そもそも最初の段階から無理なんですよ。結局、汐入さんをこいつがプロデュースするなら、篠澤さんを手放すという手はありえません。まあかろうじて気持ちは理解できますが、あなたは少し思い切りが良すぎます。いや、そもそもあの経歴を捨ててアイドルを目指している時点で、今更な話ではありますが……」
「えっと……ごめんね?」
「……何に謝っているかは分かりませんが良しとしましょう。そして、あなた」
そういって、プロデューサーは自分を指さす。
「……はまあ、正直色々言いたいことはありますが、大体篠澤さんが良い形でまとめてくれたので今回はよしておきます。ループの話も俺に話せって言うのは酷な話ですし」
「プロデューサーだけ、おとがめなし。ずるい」
何故か篠澤さんが不服そうに声をあげる。
「それでこれは二人に共通することなんですが、もうちょっとコミュニケーションを取りましょう。なんなんですか、あなた達。まだ言葉を話し始めた猿人類たちの方がまともなコミュニケーション取りますよ」
その声を聞こえなかったかのように、彼は話を進める。
これは非常に耳が痛い話だ。
確かにもうちょっとだけでも彼女とコミュニケーションを取っていれば、こんなすれ違いは起きなかっただろう。
少しでも、自分の悩みを相手に話すことが出来ていれば、防げたことだろうし、逆に篠澤さんが僕に彼女の悩みをもうちょっと詳しく話してくれていれば防げたことでもあった。
確かにコミュニケーション不足というのに相応しい。
「まったく、こんな二人に負けたなんて、今でも信じれませんよ」
彼は呆れたように肩を竦めた。
「その、ありがとう。君がいなかったらずっと仲たがいしていたままだったと思う」
花海さんのプロデューサーである彼の力が無ければ、きっと僕はあの部屋から出る事すら出来なかっただろう。
「何のことやら、私はただ担当アイドルの為に協力しただけです。あなた達に感謝される筋合いはありませんね」
「担当って花海咲季さんですか?」
どうしてここで彼女の名前が出てくるのかが分からない。
「ええ、あなたは知らないかもしれませんが咲季さんは非常に負けず嫌いなんです。だからこそ、中間試験で惜しくも敗北してしまった篠澤広打倒をモチベーションの一つとして、レッスンに取り組んでいます。それなのに、その目標としていたアイドルとプロデューサーが、空中分解してしまったとなれば、彼女のレッスンに支障が出かねないというわけです」
どうやら出来るプロデューサーというのは、こういうときもキザであるらしい。
彼には返せないぐらい大きな借りが出来てしまったな。
これからちゃんと返していけるだろうか……。