内海によって隔絶された水の都フォンテーヌ。
他国と比べ発達した科学技術と法制度。正義を愛し、発明を貴び、裁判と演劇の境界が曖昧な歪な風土。
恐ろしい事に、我が国では審判がエンタメとして消費されている。この悪趣味かつ不謹慎な国情は、司法が立法と行政を掌握しているからか。やはり三権分立は偉大である。
貧富の格差も筆舌に尽くしがたい。特に地下貧民街の治安は地元マフィアの手によって薄皮一枚で繋がれている。社会ではなく人々の善意によって保たれている訳だ。
はっきり言って、ディストピア一歩手前の有様である。それでも曲りなりに法治国家として成り立っているのは、司法のトップが公平公正を体現する傑物だからである。
「ご機嫌よう」
その傑物の名はヌヴィレット。公的な肩書は最高審判官。毎日山の様な仕事に追われ、本職の法廷では文字通り好き放題する水神様の対処で気苦労が絶えない御仁だ。
立場上規律に厳しく事務的な口調も相まって、彼の事をよく知らない人は感情のない機械的な人物のようだと揶揄する。しかしいざ会話を交えてみると、それが無知による偏見だとすぐに分かるだろう。実際のヌヴィレット氏は紳士的で真摯な善人であり、俺から言わせてもらえば真の人格者とは彼のことを指す。もっとも浮世離れしているのは否定できないのだが。
その正体はかつてこの世界を総べていた龍王の末裔なのだとか。どこまで信じて良い話なのかは分からないが、彼が冗談を口にするとも思えないので恐らくは本当の事なのだろう。そもそもこの人、数世紀にも渡ってフォンテーヌで働いてるし。
さて、そんな偉大な人物が喫茶店でコーヒーを啜る俺の前に立っていた。
長身で声もイケメン。なんなら容姿もこれ以上ないほど整っている。同じ男性として敗北感を覚える程度には、何もかもかっこいい。
「どうも。休憩中ですか?」
「ああ。散策の最中、君の姿が見えた。相席よろしいか」
「勿論」
席に着くヌヴィレット氏。彼は店員にお冷と持ち帰り用の焼き菓子を注文する。
程なくしてお冷が彼の前に出される。感謝の言葉と共にコップに口をつけると、まるでワインを吟味するソムリエの如く、彼は頬をほころばせた。
曰く、水は学問であるらしい。俺には分からない世界である。
「唸るほどの美味さなのですか?」
「ああ。とても清く澄んだ水だ」
「そうですか」
言葉数少なく。静かな時間が流れる。
心なしか周囲の物音も収まったような気がきた。多分、気のせいではない。事実上の国家主席が喫茶に興じているのだ。そういう事もある。
「そういえば、誰であれ個人的な付き合いは避ける様にしていたのでは?」
「その通りだ。故に長居するつもりも無い。気を楽にするように」
「別に俺は構わないんですけどね」
静謐な空間の中に好奇の視線が集まる。その中には界隈で有名なゴシップ記者の姿も見えた。やはり民度が糞である。
その事に最高審判官殿も気づいたらしい。彼はただ小さく眉を顰めた。
「そういうことか。すまない、君には迷惑をかけたようだ」
「貴方が謝ることではないでしょう。ああでも、痛くもない腹を探られるのは不快です」
「同感だ。知己の仲で談笑も真面にできないのではな」
知己という表現に驚くが、彼のことだからやはり深い意味はないのだろう。
そもそも縁あって俺は彼と言葉を交える機会を得た。はっきりと言葉を交えたのは法廷で、その次は行政府パレ・メルモニアで。それは必ずしも前向きな出会いではなかったが、今ではこうして世間話をする程度の仲になった。
友人と形容するほど親しい訳ではなく、知り合いと呼ぶにはやや他人行儀。俺と彼の関係性は、つまるところそういうものだった。
「光栄なことです」
「ふむ。とはいえ、三流記者にこれ以上話題を提供するのも憚られる」
店員からお菓子の詰まった箱を受け取ったヌヴィレット氏がそっと席を立つ。その顔はやはり機械の様に無機質で、非人間的だった。ただ少し、雨が降りそうな気がした。
「また会えますよ。その時はフリーナ様も呼びましょう」
「……ああ、いつか。約束しよう」
仕事場に戻るのだろう。土産を片手に、彼は喫茶店を出る。その入れ替えとなる様に、一人の男が俺と対面する席に着く。先のゴシップ記者だ。
「随分な挨拶ですね」
「これは失礼。私は――」
「見たところスチームバード社の者ではないようですが」
「……ええ、しがないフリーの記者です」
「おやおや、それはまた。本日はどういったご用向きで?」
俺が要件を話すよう促す。すると気色悪い笑みを浮かべながらゴシップ記者は質問の言葉を並べる。曰く、俺とヌヴィレット氏の関係性と会話の内容について。オブラートに言葉を選んでいるつもりのようだが、下卑た野心は隠しきれていない。
正直、話の流れが見え透ているのでうんざりだった。だってこれ、質問に答えなかったら憶測である事ない事書かれるに違いない。
俺の事はどうでもいい。しかしこの国における最大の良心たるヌヴィレット氏に累が及ぶのはいかにも忍びない。
彼の書く記事の影響力なんてたかが知れるが、それはそれ。不愉快なことは不愉快なのだ。
「ヌヴィレット氏とは知己の間柄ですが、それだけです」
「ご冗談を。彼の最高審判官殿と面識のある方なんてそういないでしょう」
「やましい事が無ければ誰でも分け隔てなく接してくれますよ、彼は」
「それはどうでしょう。例えば共犯者であれば、特別な関係も築けるのではないですか?」
「……共犯。何が言いたいんですか?」
「数年前、貴方はある事件で無罪を勝ち取りましたね」
ああ成程。そういう話に持っていきたかったのか。
「ええそうですね」
「連続少女失踪事件、貴方はその容疑者でした」
「事実です。ならそれが全くの冤罪だったこともご存じなのでは?」
「そこですよ。もし貴方たちが結託していたのなら――」
そこまで告げて記者の男は口をあんぐりと開けたまま静かになってしまった。何だと思って振り返ると、そこには三角帽を被る麗人がいた。
「どうもこんにちは、クロリンデ。今日も決まってるね、カッコいいよ」
「……ああ。ありがとう」
「でも悪いね。今この人と歓談中でさ」
「め、滅相もない! 私はこの辺りで失礼させてもらうっ」
「いやでも連続少――」
「ああ!! その件は忘れてもらって構わない! では!」
記者の男は慌てた様子で去っていった。これでは不完全燃焼だ。
このような決着は俺としては不本意だったが、彼女に助けられたのも事実。席に着くよう促すと、緊張した面持ちでクロリンデは対面席に座る。いやなんで? そんな神妙になることある?
「……久しぶり。ここに来たのは、ヌヴィレット氏の指示かな?」
「はい。困っていたら助ける様にと」
これはまた、借りが出来たかな。今度モンドの清泉町産のお水でも送ろうか。でもその前に――
「そっか。せっかくなら何か頼んでいったら? ご馳走するよ」
「それは……」
「どうか気を遣わないで欲しい。それとも何か予定が?」
「い、いえ! ならお言葉に甘えて――」
メニューを見ながら、クロリンデはコーヒーを注文した。俺が「甘味はいいの?」と聞くと、彼女はどこか気恥ずかしそうにフルーツケーキも付け加える。
「じゃあ改めて。さっきは助けてくれてどうもありがとう」
「……いえ。寧ろ邪魔になりませんでしたか?」
「いいや。助かったのは本当だよ。でも仮にも記者を名乗るならガッツを見せてほしかったね。もう少し失言を重ねてくれたら、こちらとしてもやりやすかったんだけど」
そう言って懐に隠していた録音機を机の上に出す。
「悪い人だ」
「いやいやこれも法の範疇さ。自己の権利を守るためなら、録音も許される。だろう?」
寧ろそれを警戒しないあの記者は無警戒にも程がある。何より――
「ヌヴィレット氏を犯罪者扱いされて黙っていられる程、大人じゃないんだよね」
しつこいようだが、ヌヴィレット氏はフォンテーヌ最後にして最大の良心だ。司法権が最も力を有する我が祖国が、どうして腐敗もなく、また裁判を裁判のままエンタメにまで落とし込めたのか。
答えはやはりヌヴィレット氏だ。彼が本当の意味で公平かつ公正、そして正義を体現しているからこそ、この国は国として成り立っている。そのことを許されている。
ここで一つ彼の代表的な施策を挙げると、獣人種メリュジーヌと人間の共存というものがある。
今でこそフォンテーヌ屈指の愛らしさと温厚さを誇るメリュジーヌだが、400年程前において彼女たちは人類の隣人として認められていなかった。今日の関係にいたるまで、メリュジーヌとヌヴィレット氏がどれだけの苦労を重ねてきたか想像もできない。しかし
彼らの途方もない尽力によって、メリュジーヌは昨今の地位を築き上げた。時にフォンテーヌのマスコットとして、時に特異な感覚野を用いた捜査官として。彼女たちがいなければ今のフォンテーヌはないと断言できる。
故にヌヴィレット氏のいないフォンテーヌなど想像もしたくない。割とマジで。
「言うに事欠いて共犯者だってさ。腹が立つよね」
数百年もの間、一国を支えてきた人物に対する言葉とは思えない。腹に据えかねるとは正にこのことだ。
俺の憤りに困った様に微笑むクロリンデ。そこで自分が冷静さを欠いていたことに気づく。
「ああ、すまない。どうも感情の制御が下手糞で」
「いえ。私も同じ立場だったら平静を保てるかどうか分かりませんから」
「……気遣いが上手になったね」
「
彼女の苦言に笑いながら謝罪する。
フォンテーヌには変わった制度がある。告発内容に対し不服がある場合、被告はその取り下げを命を懸けた決闘という形で行使できるというものだ。この時に被告の相手をするのが法廷お抱えの役人、決闘代理人である。
そして彼女こそ最強の決闘代理人クロリンデ。未だに代理決闘において敗北を喫したことのない女傑である。傑物多いな、フォンテーヌ人。
先の記者が慌てていたのも彼女の経歴故だろう。合法的に武力的解決が許された役人、怖くない方がどうかしてる。
「先輩はやめてくれ。もう俺は決闘代理人じゃないんだからさ」
「私にとって先輩はいつまでも先輩です。その事実が変わる事はないでしょう」
それは光栄なことだ。最強の決闘代理人に先輩と呼ばせる便利屋。いかにもメディアが好きそうな話題である。
とはいえ事実として、俺は確かにクロリンデの先達だった。
彼女が決闘代理人となるべく、法廷の門を叩いたのが数年前。そして当時決闘代理人だった俺は、実力を測る三人の試験官の一人として彼女の相手をした。
自分よりも二回りも年下の女性に、しかも負けないよう立ち回ったのは初めての経験だった。恥ずかしながら、戦闘能力は当時から彼女の方が上であり、唯一俺が勝っていたのは対人戦の経験値のみ。勝ち筋が有り余る体力に任せた持久戦しかなかった。そのあたりが俺の限界だったともいう。
結果はほぼ俺の負けに近い引き分け。それもあまりに戦いが長引いたが故に、ヌヴィレット氏の鶴の一声で決着したという有様。当然ながら彼女は決闘代理人として認められた。
唯一クロリンデに(辛うじて)肉薄した俺は、決闘代理人として必要な法律の知識や規則を彼女に教育する立場を仰せつかった。戦闘に関して言う事はない。間違いなく彼女は最強だった。でも何故か執拗に訓練をせがまれた。とっても嫌だった。
もっとも俺が決闘代理人だったのは過去の話。連続少女失踪事件の容疑者となり、世論の後押しもあって俺は既に決闘代理人を辞退している。被告の立場になった法の番人を信用することなどあり得ない。理解できない話ではなかったし、俺もその通りだと納得した。
それでも彼女は俺を先輩と呼んでくれる。その事実が何よりも嬉しい。
「先輩、どうかしましたか?」
「……いや。なんでもないさ。それよりもほら、フルーツケーキきたぞ」
店員が彼女の前に置いたのは、注文通りのブラックコーヒーと季節のフルーツで彩られたケーキ。いつも感情に乏しい表情のクロリンデも、これには流石に目を輝かせた。
彼女が初めて決闘代理の責を果たした時も、こんな風に甘味をご馳走したっけか。その時のクロリンデもフルーツケーキを注文していた気がする。
立場は変われど、変わらない日常がある。それが何だか嬉しかった。
・主人公
元決闘代理人、現ジャンク屋という名の便利屋。稼業が決闘代理人だったため、それを引き継いだ形となる。ただ血生臭い稼業から距離を置くため、隣国スメールの教令院妙論派に籍を置いていた時期もある。「公爵」と同じく、地味にヌヴィレットと個人的な付き合いが続いている。
決闘代理人時代ではクロリンデの指導官として色々面倒を見ていた。でもクロリンデは要領が良く何でも吸収するので、「俺本当に必要?」と当時は考えていた。一応実力はある方で、クロリンデが代理人となる前は彼が最強有力候補だった。
また過去に連続少女失踪事件の犯人として告発されたが、無事無罪を勝ち取っている。その後は決闘代理人を辞職し、昔取った杵柄でジャンク屋を営む。なおその実態は便利屋、マシナリーの修理から争いごとまで何でもこなす。その過程で地元マフィアと接点を持つようになった。
尊敬する人物はヌヴィレット。この歪な社会構造が破綻せずにいるのは、全面的に彼のおかげだと確信している。次点で水神様。マスコット、アイドル、国のシンボルの力って本当に偉大。
実は転生者。あと神の目の所持者でもある。雷元素を操る。
・ヌヴィレット
主人公とは良好な関係を築いている。
一度、「司法権に力が偏り過ぎているのでは?」という指摘を主人公から受けて、真面目に大規模な行政改革を実行に移そうとしたことがある。しかしそれこそが特権になり得ると思い直し、彼の信頼に応えるためにもより公正無私であることを自らに律する様になった。とはいえ、緩やかな改革は画策している。
主人公が決闘代理人だった頃は、単なる上司と部下の関係だった。積極的に主人公と交流するようになったのは、主人公の冤罪が確定してから。その時に上記の指摘を受けた。
主人公の持つ知識、概念はヌヴィレットの価値観に大きな影響を与えた。それ故に主人公に対し、畏敬の念を持っていたりする。ただ当の本人からすれば「恐れ多すぎだし、この国はヌヴィレット氏が耄碌しない限りは何とかなる」って感じ。
因みに後日、主人公と水神様、ヌヴィレットで内緒のティーパーティーを開いた。
・クロリンデ
主人公とは先輩後輩の関係。なおその先輩よりも圧倒的に強い。ただ戦闘における引き出しの多さは、ファントムハンターとして教育されたクロリンデとしても舌を巻くものだった。
実のところ、彼の冤罪事件に一番憤っているのは彼女。職を辞した主人公の身を案じており、また同時に何も言わずに決闘代理人を辞めたことを根に持っている。
決闘代理人を辞めた後も主人公に対して何故か敬語を使う。「多分甘味や食事をたくさんご馳走したからだろう」と本人は分析している。実際は――