「セス坊よ、昨日は有給休暇を取っておったそうだな? ゆっくりと休むことはできたか? それとも何用かであったか」
お茶を
「青衣先輩……あー……その、はい、ゆっくり休めましたよ」
「それはよきかな。……どうしたセス坊、何やら浮かない顔をしておるぞ」
「えっ、そうですか?」
「ふむ……自分でも気づいておらなんだか……」
「? 何です?」
セスが首を傾げると、青衣は一息吐いて湯のみをデスクに置いた。
「まこと実直なセスが
「や、病? 病気ですか!?」
「うむ……その名も」
「その名も?」
「――『恋』という」
ぽかんとするセス。その後ろで顔を赤らめ口元をバインダーで隠す朱鳶。
「セスくんが恋ですか」
「うむ」
朱鳶と青衣は顔を見合わせ、感嘆にも似た声を上げた。それを見ていたセスは苦い顔をしている。
「あのー先輩方、人の気持ちを勝手に決めつけるのはやめてくれませんかね」
「あっ、そうよね、ごめんねセスくん」
「なんだセス坊よ、恋ではないというのか? ならば一体何だというのだ」
「恋かそうじゃないかなんて知りませんよ。オレは別に……そういうの、思い当たりませんし」
「セスくんごめんね、先輩が変なこと言うから……」
その時、朱鳶が視線をドアの方へと向けた。
「あら、ジェーンお疲れ様」
「ジェ、ジェーン先輩!?!?!?!?」
ドンッ!
ドサササササ!
ガチャン!
勢いよく椅子から立ち上がったセスの脚が机にぶつかり、
机の上に山積みになっていた書類は雪崩落ち、
そのせいで隣にあった花瓶が床に割れ落ちた。
「うわわわわっ、す、すみませんすぐ片づけますんで!!」
セスが慌てて雑巾とちりとりを持ってきて割れた花瓶を片づける。書類は朱鳶と青衣で元の場所に戻してやった。
「失礼します!」
戸口に立っていたジェーンの横をセスが通り過ぎていく。少しばかり顔が赤いのをジェーンは見逃していなかった。
「もしかしてアタイ……お邪魔しちゃった?」
ジェーンの問いに、朱鳶は「問題ないわ!」と慌てて手を振る。青衣は再び席に腰を下ろして茶を啜っていた。
「なるほど、これは一筋縄ではいかぬかもしれぬな」
「なぁに、どういうこと?」
「ジェーンよ、セス坊に何かしてくれたのではあるまいな?」
「何かー……んー、そうねぇ……」
「ジェーン、セスくんと何かあったんですか?」
青衣と朱鳶に見つめられ、ジェーンは唇に指を当て「んー」と考える素振りを見せる。
「わからないわ。アタイ、あの子に何かしちゃったのかしら」
ジェーンが肩をすくめると、青衣と朱鳶は顔を見合わせた。
「アタイが聞いてみるわ。二人は気にしないでお仕事しててくれてかまわないから」
部屋を出ていくジェーンに、朱鳶は「よろしくね」と声をかけた。
――割れた花瓶を捨てに行ったのだとしたらゴミ箱の置いてある給湯室だろうか、とジェーンは廊下を歩きながら考えた。給湯室は廊下の先だ。がしかし、着いてみればセスはそこにはいなかった。
「あら?」
いなかったが、給湯室には先ほど割れてしまった花瓶に生けられていた花がガラスコップに入って置かれている。代わりの花瓶がなかった為にそうしたのだろうか、ジェーンは口元に手を添えてセスの行先を考えた。
***
「さすがに飲み水を入れるコップに花を生けとくのはなぁ……」
そう呟きながら、セスは治安局を足早に出た。治安局内の別の部署に「いらない花瓶はないか」と聞き回ったものの、さすがにあるはずもなく、セスは近くの雑貨店へと向かっていた。
「花瓶は……ないか」
店内をぐるりと見て回ったものの花瓶は見つかることがなく、諦めてすぐに店を出た。少し離れてはいるが、すぐに帰って来れば大丈夫だろうとセスは横断歩道を渡った。向かうは花屋だ。あそこなら花瓶がいくつかある。
走ってやってきた治安官に店主のランはしばし驚いた顔をしていたが、セスが「花瓶はありますか!」と聞くといつもの表情に戻った。
「ええ、こちらなんかどう?」
「はいこれで大丈夫です!」
「袋はいるかしら?」
「いえ、すぐに持って帰るので」
お金を払うとランから花瓶を受け取りにこやかに挨拶をして去ろうとしたセス――の、背後から。
「花瓶を買いに来たの?」
ジェーンが息を吹きかけるように訊いた。
「へっ? うわっわわわ! ジェーン先輩!!」
「なぁに? 人のことおばけみたいに」
「おばけなんて思ってません!!」
「そう?」
くすくすといたずらに笑うジェーンに、セスは顔を赤くさせた。
「ねぇ、ちょっとそこで話していかない? すぐ終わるわ」
「えっ、でも……」
「朱鳶ちゃんたちには話してあるから」
そう言われるとセスも強く言えなくなり、ジェーンに手を引かれて花屋裏まで連れていかれた。ベンチに座るかと思いきや、ジェーンは手すりに寄り掛かる。セスはその横に並んだ。
「……アタイ、もしかして悪いことしちゃったかしら」
「え?」
「昨日連れ回しちゃったおかげで、仕事に支障が出てるのかしら……って」
「ああ……いえ、そんなことありませんよ。仕事は大丈夫です。はい」
「仕事は?」
「……少し、時々、いや、割と時間が空くとジェーン先輩のことを考えてしまっていますが」
「あら……」
意外そうにジェーンが目を丸くすると、セスは眉間にしわを寄せて話し始めた。
「青衣先輩は、恋とかなんとか言ってましたけど。……オレは違うと思ってます」
「違うの?」
「………」
ジェーンに問われて、セスは少し間を置いてから彼女を見た。真っ直ぐな瞳が突き刺さるようで、ジェーンは一瞬息を呑んだ。
「オレ、ジェーン先輩が心配なんです」
「心配?」
「昨日オレとしたようなことを、他の人ともしてるのかって思うと……」
オレとしたようなこと、それがなんであったかをジェーンは思い返して少しだけどきりとする。
「セス……」
「あの、オレ――」
セスは花瓶を大事に抱えたまま、ジェーンに一歩近づいた。
後ずさりせず、ジェーンはその距離を許した。
言葉の続きが予想できず、鼓動が高鳴る。
セスは意を決したように口を開いた。
「――オレなら、何があっても耐えられます! 耐えられるだけの、精神を! 鍛えます!!」
「…………………うん?」
「潜入捜査には、やっぱりハニートラップとかが必要な場面ももちろんありますよね。わかります。それとは別にもし男が必要な展開があるのだとしたら、毎度違う男とベタベタするというのはやっぱりジェーン先輩の負担が心配です。となれば! 特定のバディがいれば毎回違う相手の場合より説明は簡略化されますし! 何より経験が蓄積されることによって練度も上がります! よってそういった任務が入る際にはオレを指名していただければジェーン先輩の役に立てるはずです!!!」
口元に笑みを浮かべたまま、ジェーンはゆっくりと首を傾げる。
「うーん……わかるような、わからないような……」
「わかりませんか!?」
「じゃあ、ええとー、そうねぇ……アンタはアタイ専用の相手になってくれる、ってことであってる?」
「はい! オレがジェーン先輩の恋人役を毎度買って出ます!」
「恋人役、ねぇ」
「もうキスに屈したりもしません!!」
「!! ……いや、そのね、屈する屈しないって、ことじゃ……」
「なんならそれ以上のことでも俺は耐えます!!!」
「耐えるって、その、……え? それ以上?」
「もちろん練習だってできますから! 任せてください!」
「練習って――」
「ジェーン先輩!」
この目の前のネコのシリオンが、一体どうしたらこんなにも“犬”のようになるのかとジェーンは頭を抱えた。
「――まあ、その、わかったわ。次この前みたいな捜査がありそうな時は……優先してアンタを使ってあげる」
「ありがとうございます!」
「でもそうね……んー、じゃあこっちからもお願いがあるわ」
「はい! なんですか!?」
「……アンタも、アタイ以外の女とバディを組んじゃダメ。OK?」
「えっと、それは」
「そういう内容の任務で、ってことよ」
「あ……はい! わかりました!!」
「さ、そろそろ行った方がいいんじゃない? 青衣も朱鳶ちゃんもきっと心配してるわ」
「はい、それじゃ失礼します!」
「はいはいまたね~」
「……ジェーン先輩!」
「ん?」
「いつでも連絡ください」
そう言ってはにかむと、妙にすっきりしたようにセスは立ち去って行った。反面、ジェーンはどこかもやもやしたように目を細め、眉をひそめている。
「いつでも連絡……ね。あの子の期待してる連絡ってのは、任務のことでしょうけど」
ジャケットからぶら下がるバックルをカチャカチャと弄る。そこに両の指をかけたまま手すりに肘を置き、頬杖をついた。
「なーんでああいう真っ直ぐな馬鹿が可愛くてたまんないのかしら」
そう言って彼女は困った顔をし、
すぐさま堪え切れず息を吹き出し、
声にならない笑い声をあげて、
手すりから体を離した。
「……じゃあ遠慮なく、次も使っちゃおっと。今度は捜査対象がラブホテルに入ったところを隣の部屋で盗聴する、なんて機会がこないかしら。そうしたら居たたまれない空気に顔を真っ赤にさせるあの子が見れたりしちゃう? なんならいっそのことホテルでも押さえようかしら? 日帰りじゃ帰ってこれないような場所での案件はいくらでもあるわ。どうしたらセスの困った顔をいっぱい見れるか……ふふっ、考えるだけで楽しいったらありゃしない」
ふぅー……と、細く長く息を吐く。
それからもう一度手すりに体を預けると、しばしの間腕に自分の顔をうずめる。
誰もいないこの空間で目を閉じ、瞼の裏に映る彼の顔を見つめる。
「……殺伐とした秘密捜査の中で、唯一の癒しでいてね。愛しの
――次の瞬間、彼女はそこにいない。
足跡すら残さず
次の役割へと姿を変える。
いつか自分の本心を
<了>
セスとジェーンは公式で最高の絡み見せてくれてるからたまんねぇ