月姫R ノエル先生ルート分岐妄想   作:激辛党

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15……俺の知らない誰かさん

 先生はいっこうに帰って来なかった。

 待てども暮らせども、鬱蒼とした暗がりからは誰も歩いてこなかった。

 

 俺は独り、バス停で待った。先生を待ち続けた。

 しかし彼女が戻ってきたところで、どこかへ、どうにかする予定はあるのか? いいや、そんなものはない。結局、ここで二人して延々と来るはずも無いバスを待つだけなのは自明である。

 

 それでも待った。自分自身に、俺は先生を待っているのだと言い聞かせた。

 

 時計の針は着実に進んだ。無駄に正常だった。

 八時、九時、十時……。俺は時間を正しく流れ、その全てを無為に費やした。ベンチに座って、端末も弄らず、ただ人っ子一人歩かない夜道を見つめる。

 

 帰って来ないんだろうな。――ぼんやりながらも、おおむね確信を持ったのはいつ頃からだったか。

 夜空の彼方、黒い木々の狭間に、白けた月が浮かぶのを見たあたりか。もうどうしようもないんだなぁと、寝惚けた頭に,その事実がすっと入った。

 

「ノエル先生……」

 

 謝りたかった。このように、彼女が行ってしまうと知っていたなら、あのまま行かせたりはしなかった。

 もっと言うなら、あの時に断ってもいなかった。そもそも俺にとって何のプラスがあったんだ、あの選択肢。そこまでお高く留まった性格でもあるまいし。

 

 しかし一度やった行動は取り消せない。その後悔が重たく圧し掛かって、よりいっそう俺の脚は動かなくなる。

 もとから故障しているというのに、その始末だから、もうどこへ行く気さえも無くなってしまった。

 

 これからどうしようか。死ぬまでずっと、ここに座っているつもりなのか。

 

 電車に乗り込んだ時くらいから、脚よりも頭痛の方が酷くなりつつあった。

 ロアによる転生の影響だろう。時に思考は痛みに揺らぎ、自意識は薄まりつつある。

 

余命として換算するなら、もう半日も持たない。自分のことだから、こっちの方は自信を持って断言できる。

 

「――それは、ダメだな」

 

 今となっては、一パーセントにも満たない確率だが、ノエル先生はもしかしたら帰ってくるかもしれない。その際に、俺でなくなった俺と出くわすのは、大きな不幸と言えるだろう。

 高い公算で、その人物――おそらくロアは、彼女を邪魔者として排除する。

 

 それは良くない。こんな俺にも、まだ彼女への義理を果たす余地があるなら、その事態だけは避けるべきだ。

 

 ようやく一つの行動規範を形成することができたので、おもむろに立った。

長時間、座っていたことと、頭を含む全身の不調で、歩行にはもはや支障しかない。しかし、なるたけ遠くへ行かねばならない。

 

 右脚を引きずるようにして、バス停から離れる。休憩所のか弱い光から、徐々に遠ざかっていく。虫の鳴く音、いずこを流れる川の水、葉のさざめき。静かに深まりゆく夜の世界。

 

 一人そうして歩いていると、俺だけが世界で唯一生き残った人間のようだった。あれだ、サバイバルホラーの一種で、自分以外全員が生ける屍になってしまうパターン。

 街へと出ても、交差点を闊歩するのは意思持たず徘徊するゾンビだけ。人間社会は完全に壊滅した。

 

 仮に、もしそんな世界に行ったとしたら、怖いというより、きっと寂しい。誰とも話せず、遊ぶことも叱られることもなく、ひたすら自分一人で現実と向き合い続ける。

 それはとても、物哀しい想像だった。

 

 気恥ずかしさをふいに覚えた。――なんだよ、あれだけ先生のことを言っておいて、俺だってたいがい、寂しがり屋の欲しがりじゃないか。

 

 それでもやっぱり、一人は厭だったから。このまま誰にも看取られぬまま、一人寂しく逝くのは耐え難く思えたので。

 

 視界の前方。木々の少し開けた、空き地の真ん中に、その姿が見えた時。

暗闇の中にあって確かに白く輝く、彼女の姿が目に入った瞬間――俺はどうしようもなく、安堵を覚えた。

 

「ふふっ……。残念、少し早いわ、志貴。もう少し遅かったら、私は鐘を鳴らせたのに」

 

「どうやって。そこらの寺にでもお邪魔するのか? アルクェイド」

 

「いいえ、それじゃ風情に欠けるでしょ? ちゃんと鋳型で金属固めて、立派な鐘楼に吊るして叩くの。町中に響き渡るくらい高いところで、ごんごん……ってね。

 そうでもしないと、あなたには届かないでしょう?」

 

 白き真祖――アルクェイドはどこまでも楽しそうだった。ぴょんぴょん、とウサギさながらの軽快なステップで、突っ立っていた俺の前まで跳ねてくる。

 

「志貴のバカ。どうして昨日、約束の時間に公園に来なかったの? すっごく待ったんだから、私」

 

「まさか、十一時のあれか。吸血鬼退治の」

 

 とっさにそんな反応をすると、彼女はさも不服そうに口を尖らせた。

 

「なによ、『まさか』なんて。それ以外何があるって言うの。他でもないあなたが、私にお願いしたことでしょ?

 ふふっ……」

 

 絶賛、怒っている最中だろうに、出し抜けに彼女は吹き出した。とても愉快げだ。

 

「ふっ……おっかしいの。だめ、笑っちゃう。もっとちゃんと、待ち合わせに遅れた男を怒ってる彼女……やってみたかったのに。いざ実践すると、全然ダメね。

 志貴も言い訳なんてしなくていいよ。私、全部見てたし知ってるから」

 

「全部、か」

 

 電車に同乗していたのは、俺も知り及んでいる。アルクェイドが、俺たちに迫りつつあった教会の一団を蹴散らしてくれた。幸か不幸か、そのおかげでこの田舎道まで、無事にやってこられた。

 

 しかし、全部だと? いつからいつまでだ?

 俺の動揺を、彼女はいっそう面白そうに笑った。

 

「ぜんぶはぜんぶ、よ。あなたが、シエルに聖典でぶん殴られたところから、半死半生で地下の妙な施設に連れ込まれて、そっから逃げ出して女のアパートに上がり込み、かと思いきや電車に飛び乗る。

 最終的には、その女にも袖にされて夜道をふら付いてたあなたを、やっと捕まえたって寸法。

 たった一日にも満たない時間で、大活躍ね、志貴。人間も吸血鬼もたくさん見てきたけれど、あなたほど精力的なのはあんまりいない。自慢したら?」

 

「違うんだ、これは――」

 

 口をついて出た否定に、自分で自分がびっくりした。慌てて取り消す。「いや違わない。お前の言う通りだ。アルクェイド」

 

「でしょ? 頑張って尾行したんだから。いつ、あなたが気づくだろうってドキドキした。でもぜーんぜんダメね、シエルがだいぶイラついてたくらい。あの後、ストレス発散に付き合わされて大変だったんだから」

 

 もしかして、あの後にシエル先輩が追いかけて来なくなったのも、アルクェイドと交戦していたから……ということだろうか。

 全く寒くはないのに、脚が震える。彼女は楽しそうに、そんな俺を見つめている。

 

「勝手ながら品評させてもらうけど、志貴、もうちょっと頑張った方が良かったんじゃない? 普段のあなたなら、絶対もっと上手くやれてた。

 シエルに一太刀くらいは浴びせただろうし、こんな袋小路じゃなくて、ちゃんとした隠れ家を潜伏先に選んだろうし。

 なんて言えばいいかしら? 全然、本気じゃなかった気がする。どうして?」

 

「俺は全力だったさ」

 

「いいえ」

 

 ゆっくりと首を振った。

 

「言い訳はしないで、って言わなかった? 下手な嘘は聞きたくない。

 私をあっさり十七分割した男が、たかが代行者のいくらに後れを取る? 

そんなわけない。あなたがその気なら、シエルもあの女も、二秒問と掛からず殺せたはず。どうしてあえて、そうしなかったの?」

 

「俺は人殺しじゃない。殺すのは吸血鬼だけだ」

 

「それが正当防衛でも? 遠目にも見ていたから分かるけど、あの局面であなたが彼女らを返り討ちにしたところで、誰も文句つけたりなんてしないわ。むしろ褒めてくれるんじゃない?

 人間社会にとっての異物を、よくぞ排除してくれましたって」

 

「代行者はみんなのために、吸血鬼と戦っているんだ。異物だなんて、そんな言い方はよせ」

 

 この反論は、アルクェイドを大いに喜ばせた。彼女はお腹を抱えてひとしきり笑う。そのままの体勢で、俺を見上げながら言う。

 

「あ……あれの……どこが!? 私を笑い死にさせる気? そんな殺し方までできるの!?」

 

「違う! 先輩も、先生だって。二人とも必死に頑張って――」 「ねぇ志貴」

 

 俺が最後まで言わないうちに、アルクェイドが急接近してきた。もうほとんど、互いに抱き合うような距離だ。彼女の吐息の熱さすら感じられる。

 

「私、ね。あなたのそういうとこ、好きよ。

 人を信じる……というより、人の良い部分を探すのが得意……なのかな?

 悪いとこだってちゃんと見えてるはずなのに、それを脇に除けられる。

聖人と崇められた人間も、私たくさん知ってるけど、あなたみたいな出自でそれに近しくなるのは、すっごく希少で奇跡的。……大好き」

 

「アルクェイド……」

 

 俺はもうどう答えたものか、何も思い浮かばなくなってしまった。

 

 彼女と面と向かい合えば、どういった展開が待ち受けているか、電車の中で色々想定はしていた。

 数あるパターンの中で、出会い頭にぶち殺されるというのが、かなり優勢だった。

寄せては帰す代行者の軍勢を千切って投げるアルクェイドは、そりゃあもう鬼神のごとき怒りを放っているように見えたからだ。

 

 だが、実際はどうだ? 彼女は少なくとも、理性はまだ保っているように見える。俺が約束を破ったことも、今となってはさほど気にしていない……のかもしれない。

 

 では、このまま互いに何事もなく別れることができる……かと言えば。

 それはやっぱり、どうあっても無理な相談だ。

彼女が何を求めここまで来たかは、おおよそ読み取れる。そのうえで、俺は一つしかない答えを彼女に突き付けなければならない。

 

 問題はその言い方だ。どうすれば、この年齢と能力とに完全に反して、純粋無垢なお姫様を納得させられるのだろうか。これがさっぱり分からない。

 

「答えは決まってるわよね? 志貴」

 

 俺が何も言えないでいるうちに、最後通告がなされた。

 

「私のものになって。

 これまでの経緯はもう、終わっちゃったことだから、あれこれ言わないことにしたの。私の能力をもってしても、過去改変だけは難しいから。

 ならその分、未来は私に捧げるべきじゃない? こんなに我慢したんだもの。あなたの誠意ってやつが欲しいわ」

 

 眼前に迫る、白く美しい真祖の相貌。真っ赤な瞳がらんらんと輝いている。俺を捕えて、離さない。

 

「ねえ、早く」

 急かすな。今、考えているじゃないか。

 

 どうすればいい。どう答えれば?

 簡単なのはイエスだ。そうすれば糊口は凌げる。生存本能に素直に従うなら、それが一番良い答えだろう。分かり切っている。

 

 だが俺は「答えはノーよ」。

 

「あ?」 俺と、それとアルクェイドも。揃って仲良く、そちらを向いた。

 

「決まってるじゃない。もしかして頭、ワいてんの? 人のモノを取ったら泥棒! 数百年生きてて、そんな常識も知らないわけ? 月の真祖が聞いて呆れる。力だとか美しさの前に、知性と教養を身に付けたらどう?」

 

 広がる草むらの、向こうに。暗がりの中から現れ出でる、影が一人。

 やおら進み出て、「こんばんは。初めまして」 うやうやしくも一礼した。

 

「蛮族と違う私は、きちんと礼儀を弁えていますので。年長者にはそれ相応の態度を見せなきゃね。

 そして当然、強盗にだって同じく相応の報いを受けてもらう」

 

「おま……えは?」

 

 喉から出た声は、掠れきって自分でも聞き取れないほどだった。しかし、その影は律儀に拾ってくれる。

 

「あらごきげんよう。あなたにも初めましての方がいいかしら? 生前の私が、割とお世話になったみたいだし?

 ま、今度は私がお世話する側だけどね。事が片付いたら、きちんと大切に檻に閉じ込めてあげる。飼い主としての義務は守らなくっちゃ」

 

 影は……少女の姿をしていた。一歩一歩近づいてくるにつれ、少女の全容が明らかになる。夜のとばりのうちにあっても、その異質さは、まさしく光り輝かんばかりだった。

 

 身長と体格はあからさまに幼く、矮小だ。例えるなら、ようやく中学生になるかといった頃合いか。しかし薄い肉付きに反して、いやに露出の多く、煽情的な服装を身に纏っている。

 

 薄赤の長髪を愛らしいリボンで結び、左右に垂らす。その少女然とした髪型に、全く不釣り合いな不敵な笑みを、口いっぱいに湛えていた。

 

「へぇ。何を使ったのそれ。本来の血統じゃないわよね」

 

 アルクェイドが、かつて聞いたことの無い口調で問うた。興味、冷静、そして殺意の入り混じった、冷ややかな声。

 

 鋭い刃先のようなそれを、少女はあくまで余裕の態度で受け止めた。

 

「教えなーい。どうして強盗犯と同じ目線に立って会話なんてしなきゃいけないの? お巡りさんに連れてかれる方が先じゃない普通。

 それよりぃ。こっち的にはむしろそこの犬と先に話がしたいかなーって? わたしというものがありながら、何を発情してんのよ。駄犬」

 

「だっ……。待った! まず教えろ! 誰だお前は!」

 

 頭がおかしくなりそうだ。分かっちゃいる。この子がいったい誰で、どういう人物かは既に完璧に、一から十まで完全に理解している。

しかし認められない。こんな結末を迎えていいなんて、俺は一度も許した覚えは無い。

 

「ご主人様に対して、口の利き方がなっちゃないわねぇ……。教育失敗かしら? 甘くし過ぎて付け上がっちゃったのね。落ち着いたら、たぁっぷり鞭をくれてあげる。それともロウソクの方がいい? どっちも得意よ、わたし」

 

「正気か!? 本当に……先生なのか!?」

 

「確かめたい?」

 

 ぺろり、と少女は蠱惑的に口元から赤い舌を伸ばした。更に、いったい何のつもりなのやら、ただでさえ薄っぺらい服の襟元に指を掛ける。

 

「でも、どこを見せたら証明できるのかしら、この場合。

だいたい君、前の方でだって、ろくに見ようともしなかったじゃない。

 あーあ、なんかそう考えたらすっごくムカついてきたわ。やっぱり鞭とロウソクどっちもでいい?」

 

「私を無視するなんて――」 そこでついに。

 

「いい度胸ね!」 アルクェイドの堪忍袋の緒が切れた。

 

 地面が弾ける。大地に大穴が穿たれる。爆風と砂礫をまき散らし、代わりに真祖が前に飛ぶ。

 

「――ッ!」 ほんの一瞬だけ見えた、死徒と思しき少女の表情は。

 

 死に立ち向かう戦士のそれだった。

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