「いやなんで俺なんですか?」
真っ先に出てきた疑問はそれだった。というか、全ての疑問はそれに尽きた。
「なんで俺が、先生と一緒にデパート行かなきゃならないんです?」
「いーじゃない別に。どうせ志貴クン、今日の放課後は暇なんでしょ?
可哀想な先生を助けると思って、ここは一つ!」
「いきなり呼びかけてきて、決めつけないでくださいよ……。だいたい、なんで買い物に付き合うことが人助けになるんですか。そのくらい一人で十分でしょう」
「それじゃ済まないから、こうして声をかけたんじゃない。
君、もしかして女の子と付き合ったことない? デパートに行くなんてなったら、荷物持ちが絶対に必要なのよ?」
「この場のどこに女の子がいるってんですか。冗談もたいがいに――」 「それはこっちのセリフ」
ひやり、と冷気がうなじに走り、俺はとっさの判断で口を閉じた。
これは最善の選択だったらしく、先生は腰元に伸ばしかけた手を、そっと元の定位置に戻してくれる。
「命拾いしたわね」
「あの……もしかして今、抜きかけました?」
「なわけ! いくら暗示ができるからって、校内で抜刀するわけないじゃなーい。志貴クンったら、面白いの」
「いやでも命拾いって……」 この呟きは無視された。
ノエル先生はニマニマと笑いながら、「それで――」と一歩距離をつめてくる。
「話、受けてくれるわよね? ことは吸血鬼退治に関わることだもの。
これなら君は決して断らない……って思ってたんだけど、違う?」
――だから、先生と一緒にデパートに行くことのどこに、吸血鬼が絡んでくるのか。
これも疑念の最たるものの一つだったが、哀しくも言葉にできなかった。
図ったようにベストなタイミングで、昼休憩の終わりを知らせるチャイムが鳴ったためだ。
「あ、もうこんな時間! 私、次の授業の準備があるから、もう行くね! 集合はデパートの前で十七時だから! 遅刻厳禁よ」
言いたい事だけ言って、先生はぱたぱたと廊下を走り去っていった。
その背中に百の反論をぶつけてやりたいのはやまやまだったが、周囲にはクラスメイトたちがいることを思い出し、断念する。
あまり大きな声を出しては、妙な噂を立てられかねない。
……あの人もしかして、チャイムにしても、食堂帰りのクラスメイトの存在にしても、全部計算に入れたうえで、こうやって話しかけてきたのか? だとするととんでもない策士だ。
「なんで俺が……」
思わず、再び漏れる愚痴。本当に、肝心なことには何一つ答えないまま行ってしまった。
------------
さりとて、後が怖いのでノエル先生を無視するわけにもいかない。
きたる放課後、俺は早々に下校し、手早く着替えを済ませて、指定されたデパートへと向かった。
日没の近づきつつある繁華街は、買い物客や学校帰りの生徒たちでごった返している。
近頃、世間を騒がせている失踪事件もどこへやら。結局、人は直接自分に関わらない恐怖にはどこまでも鈍感な生き物だ。
「あ、志貴クーン! こっちこっち!」
目的地付近につくと、意外にも先生は俺より先に待ち構えていた。にっこり笑顔で、ぶんぶんと手を振ってくる。
時刻はまだ十六時半。先に来ておいて、小言の一つでもぶつけてやる腹積もりだったのに、甚だ見込み違いである。
それとも、あの軽薄な誘い文句はポーズだけで、本人的には大真面目な内容の約束だったのか?
「すみません、待ちましたか」
「ううん全然。……んふっ。なに君、そういう定型句はちゃんと履修済みなんだ」
「うっ……」 指摘されて気づいた。これ、デートの待ち合わせの時に、後から来た側が言っちゃうヤツでは……。
「違います。そんなつもりは一切無いです。ほら先生は目上の方でしょう? 教え子として、ちゃんと敬意を払わないといけませんし」 「めっちゃ早口じゃない」
もう喋るだけボロが出る気がしたので、俺は「ほら行きますよ」と無理やり話を換えた。
「なんの用事か知りませんけど、こっちには門限があるんです。とっとと済ませて帰りましょう」
「オーケー、志貴クンにおかれましてはノリノリでたいへん結構。
こっちよ、ついてきて」
先生に促されるまま、デパート内へと入店する。
ちょうど店は書き入れ時で、一階の物販コーナーは大勢の客で盛況だった。
どうも、生鮮品のタイムセールスなぞをやっているようだ。
「もしかして、おひとり様につき個数限定な商品を、複数買うためですか?」
つまり、俺を数合わせに呼び出したわけだ。これなら納得がいく。
しかし、この推理は惜しくも外れだったらしい。
「あ、それもいいわね」と、先生はぽんと手を打った。
「ちょうど卵、切らしてたの。一緒に買いに行きましょっか」
「ダメです、俺はとにかく早く帰りたいんです。本命の用事じゃないんなら、付き合いませんよ」
「ケチ」 むーっと、唇を尖らせる。
……なんというか、この人いちいち仕草が可愛い……じゃなかった、子供っぽいのは何なんだ? 体つきは妙齢の女性らしく、実に肉感的なのに、アンバランス極まりない。
それとも、俺の前でだけこうなのか。
思えば、自分以外に複数人いる場所で、彼女と会話をしたことが無い。実際のところは不明である。
「で、タイムセールじゃないなら結局どこに行くんです? そろそろ教えてくださいよ」
「いいから、黙ってついてきて。説明するより、見た方が早い」
言われるがまま、先生の後をついていく。エレベーターに乗って五階へ。
着いた先には、服飾品売り場が広がっていた。特に、レディース中心の階らしく、季節の衣類を始めに、手持ちバッグなどの雑貨類も揃っている。
ある一角では、化粧品類も取り扱っていた。……いったいどうするかと思いきや、ノエル先生はそちらへと向かって、ずんずん歩いていく。
小走りになりながらも、その後ろを追いかける。
お目当てと思しき店に辿り着いた途端、いきなり先生は俺の頭を手で抑え込んできた。
「しゃがんで! 身を隠して」 ぐいぐいと、とても女性のそれではない凄まじい膂力で、傍にあった陳列棚の影へと押し込まれる。
「ちょ、ちょっと……! なんですか!」 「しっ、静かに。バレちゃうじゃない」
そう警告されても、こっちは何が何やら分からない。かといって、先生のとんでもない力から逃れる術も無く、俺は大人しく口をつぐんだ。
「そう、じっとしててね。……あそこにある扉、見える?」
先生自身も屈んで身を隠した状態のまま、彼女は人差し指で、ある方を示した。化粧品店の内部――店員の立つレジの裏側辺りに、確かに扉が一つある。
だが、それは何の変哲も無い、バックヤードに繋がっているだけの代物に見えた。
白一色の地に、簡素なノブがついた扉の、どこに騒ぎ立てる要素があるというのやら。
「もー、鈍感ね。私の調べでは、あれは地下へと至る、秘密の出入り口になってるの」
「地下? 秘密?」
さっぱり要領を得ない。
俺の無理解を察したのだろう。すると、先生は小声ながらも淀みない口調で、説明を始めた。それを要約すると以下の通りだ。
この街に巣くう吸血鬼は、繁華街のどこかに棺――つまり、拠点となる城を構えている。
日光を避けるため、おそらくそれは地下にある。とりわけ、地下鉄の駅にほど近い座標にある、このデパートが怪しい。
なかでも、五階にあるこの化粧品店で、不審な人の出入りが激しい。ついては、どうにかして内部の調査を試みたいのだが……。
「当たり前だけど、店員の監視が厳しくてね。なかなか隙が見つからないの」
「それこそ、暗示を使えば一発なんじゃないですか?」
「無茶言わないでよ。こんな人がたくさんいるところで、魔術なんておいそれと使えるわけないでしょ。……アイツならまだしも」
「なら、そのアイツとやらに頼めば良いのでは?」
「……う」 この指摘は図星だったらしい。先生はまさしく苦虫を嚙み潰したような顔をする。
とは言う俺も、彼女の思惑というか、心境には察せるところが無いでもない。
立場は同じ代行者といえども、シエル先輩の実力が飛びぬけていることは、部外者である俺からしても一目瞭然だ。
その彼女に事態を知らせれば、一発で問題は解決されるだろう。
しかし、それでは意味が無い。ノエル先生が欲しいのは、個人としての実績だ。
最終的には上司にお願いすることになるとしても、やれるところまでは自力でやっておきたい……そういう魂胆か。
「でも結局、第三者である俺に頼ってるようじゃ変わらなくないですか?」
「なぁにが、第三者、よ。君はとっくの昔に当事者になってるの。偶然とはいえ、私たちの正体、知っちゃってるんだからね?
教会や代行者の存在は秘匿事項なんだから、本来なら記憶処理ぶち込まれても文句言えないの。てか、今からそうしてあげましょうか」
「それは勘弁してください。シエル先輩のこと、忘れたくないです」
反射的にそう答えると、彼女は極めて、非常に、ものすごく不満げな顔をした。ともすれば、本当に今すぐ忘却魔術を放ちかねないほどに。
慌てて付け足す。「もちろん、先生のことも」
「そ。なら、仕方ないわね」
ほっと一息。どうやら、俺の処遇は首の皮一枚で繋がったらしい。
「まぁ色々と突っ込みたい事は多いですが、先生の事情は承知しました。
それで? 俺は何を手伝えばいいんです?」
「よくぞ聞いてくれました」 と、しゃがんだままで胸を張る。決して小さくはない双丘が存分に主張されて、思わず視線を横に背けた。
「志貴クンにやってもらいたいのは、とっても簡単なこと。あの店員の注意を惹き付けて欲しいの。
んーと、五分くらいかな? それだけあったら、内部がどうなってるかくらいは調査しきれるから」
「五分、ですか。まぁそのくらいな……適当に話しかければ、いけなくもない……ですかね」
「よくぞ言ってくれました。彼女に誕プレ買ってあげたいんですけどぉ、男だから勝手が分からなくってぇ……とか、それっぽい駄々こねてたら、五分なんてスグよ」
言うが早いが、先生はすくっと立ち上がり、問題のレジ裏へと歩いていくではないか。
「ちょっと待ってくださいよ……。まだ心の準備が」
呼び止める俺の声に、先生は軽く首だけ振り返って、微笑んだ。
「へーきへーき、君のそのいかにも人畜無害な顔だったら、あのバカっぽい女店員なんていくらでも騙し通せるって。
用が済んだらこっちから合図するから。んじゃ、あとよろしく!」
とのこと。後はもう何も言わず、先生は素早くレジ近くの棚に身を隠した。俺が店員の気を逸らした瞬間を見計らい、扉へと滑り込む算段なのだろう。
こうも厚い信頼を受けては、協力者として裏切るわけにいかない。
謎の使命感に急かされ、俺はさっそくレジに立っていた店員に話しかけた。
「すみません、ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
「はい、なんでもお申し付けください」
「えっと、その……。今、付き合っている彼女がいるんですけど、近々誕生日でして。お祝いにサプライズプレゼントを買ってあげたいんですけど、何がいいかなって悩んでまして。この辺り、何か良いのがあったりします?」
遠野志貴、十七年間生きてきて、まさかこんなクソきざったらしくて、こっぱずかしいセリフを吐く羽目になるとは、夢にも思わなかった。
とんでもない辱めだ、俺がいったい何の罪を犯したというのか、裁判長、再審理を要求します。
しかし店員さんはさすがのプロフェッショナル。俺のアホほど下らない質問を、それでも丁寧に汲み取り、花丸満点の接客スマイルを浮かべてくれる。
「でしたら、スキンケア用品などが手頃でお勧めですよ。例えばこちらの使い捨てのコットンなどは、乳液と合わせて120枚セットで990円とたいへんお求めやすい価格になっております」
――といった謳い文句と一緒に、淡い金色をした、とても綺麗な装丁のティッシュ箱を見せられる。要は、汗拭きシートの女性版みたいなものか? こういう例えをしたら、物凄く怒られそうだ。
しかし、値段が千円以下というのは学生の身としては、割と助かる。これなら、昼食を少し我慢すれば余裕で買える。
外見も、まるで宝石箱のようで見事だから、プレゼントとしても相応しい。
秋葉に送ったら、少しは厳しすぎる門限を緩和してくれたり? ……って、そんな場合じゃなかった。
ちらり、と扉の方に視線を移せば、先生が首尾よく向こう側へと身を滑らせるところだった。運よく、鍵は掛かっていなかったらしい。
後は脱出だけだ。この調子で、店員と話し続けよう。なんでもいいから、話を引き延ばすのだ、俺よ。
「あー、その、とっても良い……んですけど。予算にまだ余裕があるので、もうワンランク上とかってあったりします? 」
「はい、もちろん。こちらのマニキュアなどはいかがでしょうか。気楽に普段使いしていただける、オールマイティな色合いで、応用もしやすく――」
相も変わらず、立て板に水のように説明を始める。男だてらに、つい購入意欲をそそられそうになるほど、分かりやすく、聞き取りやすい商品解説だった。
ノエル先生は「バカっぽい」なんて評価を下していたが、とんでもない。非常に優秀で、親切な女性店員さんだった。
しかしそれだけに、彼女を騙している自分が嫌になってくる。
ノエル先生が扉から出てくれば、「やっぱり気が進まないので、止めておきます」と答えればそれで済む話なのだが……どうにもそれが心苦しい。
幸い、店員が勧めてくるのは学生の身を慮ってか、安価なものばかりだ。これを機に、一つ女性へのプレゼントでも挑戦してみるのも悪くないかもしれないと思い直した。
そう考えると、店の品々を見る目にもがぜんと力が入る。
これまでは漠然と、店員の言葉に従って眺めるだけだったが、最後に決めるのは自分――という気で一周したところ、あるアイテムが目に留まった。
「これ……」
「コンシーラー、ですか。人によって、塗り方や色の重ね方に違いのあるタイプですので、男性からのプレゼントとしては少々難易度が高いのですが……。
彼女さんの、ご愛用のシリーズなのですか?」
「あ、いえ、全然そういうわけじゃないんですけど。なんかサンプルの色合いに見覚えがあるっていうか。実際に塗ってる人を見たような……それに」
メーカーの名前が特徴的だった。
『La Princesse』、綴りが英語とは少し違うが、たぶん意味するところは同じだろう。
その昔、いつか誰かに聞いたことがある。『女の子は、いつだって
「こ……これにします」
衝動的な決断だった。
店員は少し困ったような顔になる。
「よろしいのですか? こちら輸入品となっていまして、少々値段がお高くなっておりますが……」
掲げて見せてくれた値札には、なるほど学生には少々……いや、だいぶキツイ数字が記載されていた。
しかし、ここで引いたのでは男が廃る。何の体面を保つためかは定かじゃないが、俺にだってプライドはあるのだ。
「大丈夫です。それでお願いします」
「……承りました。それでは贈呈用に、お包みいたしますね」
そうと決まれば店員の行動は早く、彼女はそそくさとレジへ戻っていった。
――ん? レジに戻った?
「あっ」 まずい。
そのすぐ後ろには扉があり、かつその中では絶賛捜査中のノエル先生がまだいるではないか。
俺としたことが、完全に当初の目的を忘れていた。これでは役目を果たすどころか、その真逆を実行しているようなものだ。
「あのっ……えっと、ちょ、ちょっと待ってください!」
慌ててレジのすぐ前へと突進し、作業中の店員に悪いと分かって話しかける。
彼女は訝し気な顔で俺を見上げた。「なにか?」
「いやその――」 言葉が続かない。お金がやっぱり足りませんでした……と繋げるか。めちゃくちゃ恰好悪いが、一番自然なのはそれだ。
「持ち合わせが、ですね――」 と、まで喋ったところで、扉が開いた。最悪なことに。
「持ち合わせが?」 不思議そうな顔をする店員。そのすぐ後ろで、夜叉のような形相をしているノエル先生。ばっちり目が合った。
いかん、殺される。どうにか誤魔化さないと。
「そっその……です、ね。やっぱり、お金がちょっとばかし足りない……かもしれなくて。戻してもらっても……いいですか?」
「あらら……そうでしたか。ご心配なく、もう一段階下の価格帯で、よく似た色合いのコンシーラーはございますよ。確か倉庫の方に在庫が――」 振り向こうとする。
一方、ノエル先生の手は鋭く引き絞られる。今にも何かを抜き放とうとするかのように。
「いやっ! いやそれには及びません。そのメーカーのじゃないと、彼女、ダメなんですよ。この際、多少タイプは違っててもいいので、別の物を探そうかなぁと! いいい一緒に来てもらっても!?」
「は、はあ……?」
店員は頭上に大きなハテナを浮かべていたが、とにかくレジカウンターから出て欲しい……という俺の意図は伝わったようだ。
大人しく、こちら側へと来てくれる。
「何にしようかなぁ、ははは。あ、こっちの口紅もいい感じですねぇ!」
「そちら、先ほどの二倍近くのお値段となっておりますが……」
口を忙しなく動かしつつも、いまだ扉前に潜んでいるノエル先生にアイコンタクトを送る。
彼女は店員が退いた隙を素早く察知し、豹のように身軽な動きで、一瞬にして外――つまり店内側へと踊り出た。
その一部始終を見届け、ようやく人心地がついた。
店員に続けていた、胡乱でいい加減な注文を切り上げる。
「はは、すみません、自分でも考えがまとまらなくなっちゃって。ご迷惑おかけしました」
謝罪の意を込めて、きちんと頭を下げると、彼女はよほどできた店員なのか、「いえいえ」と大袈裟に手を振った。
「とんでもございません。私の方こそ、お力添えできず、申し訳ありません」
「そんなことないです。俺、女の人の使うグッズとか全然、知識とか無かったから。すっごく勉強になりました。では――」
と、その場から立ち去ろうとした、俺の肩を。
「ごめーん、待った?」 裏から回り込んできたノエル先生による、渾身の握撃が掴んで止めた。
「いっっっっづ!?」
凄まじい激痛に、床をのたうち回りそうになるも、強過ぎる握力が反対に引き上げてくる。なんだこの人、代行者とは世を忍ぶ仮の姿で、実際はゴリラだったか?
「もー何やってるの、こんなとこで。あ、それもしかして私へのプレゼント? うれしー、誕生日覚えててくれたんだぁ」
とか何とか捲し立ててつつ、流れるように俺と店員の間に割り込んでくる。
いかにも人の良い性格である店員は、ノエル先生の身の上を最大限勘違いしたらしく、「あ、もしかして」とにっこりと笑った。
「彼女さん、ですか? ご一緒に来店されていたのですね」
「はぁい、そうです。すみません、うちの彼氏が色々お邪魔しちゃったみたいで。
もーこの人ったら、勝手にどっか行ったと思ったら……。ダメじゃない、ろくな知識も無い癖にコスメショップなんか突っ込んじゃって。店員さんもお忙しいのよ?」
「とんでもない、恐縮です」
外見から判断するに、女性店員とノエル先生の年齢は割と近しい。お互い、通じ合うところがあったようで、あっという間に意気投合した。
「で、志貴クン。私へのプレゼント、何を選んでくれたの?」
「いや俺は何も……」
「えー嘘、さっき何か買おうとしていたじゃない」
ぎりり……いまだに掴まれたままの肩が悲痛な軋みを上げた。囁くほどの小声で、付け足される。
「中でお仕事してる私のことも忘れて」
ヤバい、勢いで何とか誤魔化せるかと思ったけど、物凄く根に持たれている。
「あの……? どうされましたか?」
そんな俺たち二人を、訝し気な目で店員が見やる。いよいよのっぴきならない状況だ。むしろ、こうなるのが分かっていて、仕掛けてきやがったのか、この先生。
「えっと……ですね」 俺は愛想笑いを必死に維持しつつ、指で棚の一角を指した。
「それ、やっぱり買います」
------------
「これ、私に?」
自分から、そうなるよう仕向けたくせに、いざ俺が包みを手渡すと、先生は素っ頓狂な声を出した。「なんで?」
「いや、なんでって……。そりゃあ……」
なぜだろうか。改めて本人から問い質されると、返す言葉が浮かんでこない。
俺はその答えを求めて、上側へ目線を彷徨わせた。
木板の天井では、羽の大きなシーリングファンがゆっくりと回る。シックな雰囲気の店内では、俺たちの他には二人ほどの客しかいない。
購入を済ませた後、俺達は逃げるように化粧品店から撤退した。そのまま今日は解散かと思いきや、ノエル先生に引き留められ、二階にあったカフェにて、報告会を兼ねた休憩とあいなった。
「そうだ、報告会ですよ。俺なんかのプレゼントより、中がどうなっていたかの方がよほど重要でしょう。結局、あそこは吸血鬼の巣窟だったんですか?」
「え、なんにも無かったよ。ただの倉庫だった。完全にハズレね」
座っているやたら脚の長い椅子から、危うく滑り落ちそうになった。
「そんなあっさり言わないでください……。何なんですかいったい、確証があったんじゃ?」
「いつそんなのあるって言ったの? あちらさんだって、命が掛かっているんだから、入口は巧妙に隠すわ。そんな簡単に見つかるはずがない、当然よ」
「えぇ……じゃあ」
前にしているテーブルの上、華々しい装飾に包まれた、コンシーラーの包みに目線を落とす。決して安くはない買い物……むしろ遠野志貴の財務状況的には、もはや致命傷に近い一撃だった。
「俺、なんでこんなの買ったんですか?」
「だからそれを、私が聞いてるんじゃない。君が訊かないでよ」
「そうっすね……はは」
力なく自嘲する。
あの場面を振り返ってみれば、確かにノエル先生は俺を脅したものの、この商品を買えとは一言も口にしなかった。
適当な安物……最初に紹介されたコットンとかでも、先生は十分納得してくれたと思う。
そこをいったいどうして、俺はここまで大枚はたく羽目になったのか、これが分からない。
「ま、いいわ。貰えるものは、貰っておく主義だし? これは君からの誠意の証ってことで受け取っておくね」
「ええ……そうしてください。どうせ俺には使い道なんてありませんし。
時間も押してますし、そろそろ出ましょうか」
もう時刻は十八時に迫ろうとしていた。門限はすぐそこだ。
「そうねぇ……。私も何だかんだ疲れちゃったし」
先生もようやく重い腰を上げたその時、カランと店の出入口にある鈴が鳴った。
反射的に視線が向く。来店したのは――。
「マジ!?」 少し明るめの長髪を、ツーサイドアップに纏めた小柄な少女。
お馴染みの黄色のセーターを着た彼女こそは、クラスメイトの一人である弓塚さつきに相違なかった。
他にも数人、うちの学校の制服を着た女子が一緒だ。察するに、友達グループで買い物に来て、その小休憩といったところか。
「せっ先生!」 「え? 何よ急に」
まだ彼女の方は事態が把握できていないらしい。反応が鈍いにも程がある。
新任の女教師と、その彼女がもつクラスの男子生徒。二人が夕方の喫茶店で、同じテーブルに座っていて、なおかつそこには明らかにプレゼントと思しき包み紙が!
――こんなの、誰がどう見たって密やかなる逢引の現場そのものである。
加えて、その目撃者がクラスの女子グループと来たもんだ。
ただでさえ、言動の限りなく軽薄なノエル先生は、新任早々からずっと彼女たちからの評判が悪い。
そこへきて、俺という男子高校生との禁断の逢瀬なんて噂が流れた日には、即日、校内から彼女の居場所は消え失せるだろう。
昨今、学校という教育現場においては、イジメの対象は何も同じ生徒に限った話ではない。例えば気の弱かったりする若い教師が、そのターゲットになることもあるのだ。
「っく……!」
一刻も早く、この窮地を脱さねばならないが、しかし位置関係が悪い。俺と先生の座っているテーブルは、出入口から遠く離れた対角線上。よりにもよって、一番奥まったところにある。
一方、女子生徒グループが陣取ったのは出入口からほど近い四人席。店から出ようとすると、どうあがいても彼女らの傍を通らねばならない。
なるべくこっそり、顔を隠しながらなら行けるか? いいやダメだ。
言動はともかく、ノエル先生は背も高ければ、スタイルもいい美人の部類に入る女性だ。
つまり、どうやっても目立つ容姿。それが、こそこそ身を潜めていれば、よりいっそう気を引いてしまうだろう。
……いや待て。
そも、一緒に店を出る必要は無い。俺と彼女、別々に店から出れば問題無いのでは? そうだ、その手があった。
この間、僅か五秒程度。
記録的な速さで答えに辿り着いた俺は、さっそくノエル先生にそれを伝えんとする。
「先生、いいですか。まず俺が店から出ますので――」
と、焦って意気込んだ説明をしたのがまずかったか。
「あれ、遠野君の声?」 弓塚さつき女史が、こっちを――俺の方を、見た。
そこからの動きは、意識ではなく本能に基づいたそれだった。
ノエル先生はテーブルを挟んで反対側、壁に接着される形のソファに座っている。
さらに、座席はちょうど四隅の位置だった。
つまり俺がソファ側に行って、先生の隣に座れば――もっと言うと、先生に覆いかぶさるような体勢になれば、出入口側の女子グループからは、先生の容姿を視認できない。
なるほどそういう理屈だったか。と、自分で納得がいったのは、既に先生を両手で抱きしめた後だった。
決して、女子グループから顔が見えないよう、先生の上体――胸から頭部までをすっぽり、自分の身体で覆い隠す。
気分はさながら、ラグビーボールを必死に抱える選手だ。身長のわりに小柄な彼女の可愛らしい頭に、両腕を巻き付ける。
「え……!? え!?」
どういうわけか、当の先生はまだ事情に理解が及んでいないらしく、混乱しきった声を上げる。それどころか、俺の腹をぽてぽて叩いて抗議してきた。
「な、なにするの急に!? 止めて、ここ店の中よ!?」
その声を押し留めるべく、俺はいっそう強く、自分の身体を押し付けた。俺はまだバレても誤魔化せるが、先生との同席だけは見抜かれてはダメだ。
遠野志貴が、放課後に見知らぬ大人の女性と、カフェオレにいた――流れる噂を、どうにかこの域で止めねばならない。
「いいですか……」 できる限り低く、小さな声で語りかけた。
「しばらく、俺の言う通りにしてください。じっとしてたら、いつか彼女らも飽きて視線を外すか、どこかへ行くはずです。それまで、こうしとくしかありません」
「ふざけ――」 「ふざけてませんって。俺は本気です。俺は本気で――」
とた、と小さな足音が背中越しに聞こえた。「遠野君……なの?」
事態を怪しくみた弓塚女史が、こちらのテーブルへと歩いてきているらしい。止めてくれ、どうしてこんな時に限って、要らぬ好奇心を発揮する。
「やっぱり遠野君だ。その人は……?」
ヤバいヤバいヤバい……。盛大に門限を破ったうえで屋敷に帰った時だって、こんなに心臓がバクバク言わなかった。
こうなればもうヤケだ。毒を食らわば皿まで。攻撃は最大の防御。喉元過ぎれば熱さを忘れる。ありとあらゆる言い訳を総動員し、俺は最後の心理的ブレーキを引きちぎった。
全ては、彼女を守るために。
「顔を上げて」
腕の力を少し緩め、先生にこちらを見上げさせる。
いまだ困惑の極みにあるようだったが、その目は確かに俺を見つめている。
そっと、上から抑え込むように。花を捧げるように。彼女の唇に、自分のそれを押し付けた。
「あぇ……うわ」
弓塚女史が、かつて聞いた事もない悲鳴を小さく上げた。
続いて、とてとてと連続する足音。自分の席に戻ってくれたらしい。
「ん? さつき、どったの? 何か気になるものでもあった?」
「ううん全然! 何でもない、何でも無いから。誰もいないし、何も無かった! 本当に!」
「お、おう……。まぁちょっと落ち着けよ、水でも飲んでさ」
「うんありがとう、もう私ごくごく飲んじゃう。いくらでも飲めるよ!」
「えぇ……?」
「ぷはー水、美味しい! ごちそうさま! ……あーそうだ、みんな。ちょっと店、出ない? 私、買い忘れちゃったものあって、一緒に来て欲しいんだけど」
「いやまだ入ってから十秒も経ってな」
「お願い! 一秒でも早く買いに行かないといけないの。ほら早く!」
「わか、分かったから押さないでったら……。あ、店員さんすみません。ちょっとこの子がどうしてもって。はい、すみません……」
二、三人の謝罪の声と、足音がそれに続いた。
とても悪い事をした気になった。
それも現在進行形だった。
息ができない。もう三十秒は経った。苦しいのに、凍り付いたように身体が動かない。
当面の危機は去ったはずなのに、心臓の鼓動は増していくばかり。ドクドクと二つが重なって、一つの楽器になったよう。
けれど、やがてアンサンブルにも終わりがくる。いったいどちらからだったか、あるいは両方同時か。俺と彼女は、やっと互いに互いを解いた。
「っはぁっはぁ……」
息継ぎが、まず先だった。とにかく呼吸がきつくて、何度も何度も吸って吐く。目の前も彼女も全く同じで、真っ赤な顔で必死に酸素を取り込んでいる。
まともに喋れるようになるまで、どれほどかかったか。
「あのさ」
根っこの鍛え方が、やはり違ったらしい。先に平常心を取り戻したのは、ノエル先生が先だった。
「初めて……だったんだけど」
怒っているのか、はたまた逆か。どっちとも取れるような、曰く言い難い表情。
こういう場面の正答とは……と考えかけて、止めた。なんだか時間をかければかけるほど、ドツボに嵌まる気がしたからだ。
「俺もです」
真っ先に頭に浮かんだことを述べると、「そう」と先生は短く頷いた。
その声色だけを判断材料にするなら、おそらく――数値にして八割くらいの確率で、怒り心頭……ではないようだった。
「君に言われた通り――」
やにわに、先生は俺を押しのけてソファから立ちあがった。
「先に帰るわ。あとこれ、ちゃんと貰っとくから。ちょうど、替えが無くって困ってたの。ありがとね」
「え、あ、はい」
いや、もっと色々と話すべきことがあるでしょう――とは思ったが、やらかした主犯の俺が言うのもためらわれる。
こちらが言いよどんでいるうちに、先生は伝票と包みを引っ掴み、やや不機嫌そうな顔の店員の待つレジへと向かって行く。
「じゃ」
あんなことがあったというのに、たった二音にも満たない別れの挨拶が聞こえた瞬間、やっと俺の脚は息を吹き返した。それと、喉も。
「先生!」
店外へと歩いていく彼女は振り返ってすらくれない。やっぱり怒ってる? 当然だろ、何をしたと思っているんだ、俺は。
「先生、そのプレゼントは……あなたにあげたのは……」
今、言っておかないと、この先二度と言う機会は無いという直感があった。だから、叫んだ。店の人に迷惑だろうとか、いくら何でも恥ずかしすぎるだろうとか、そういった罪悪感も羞恥心も全て忘れたことにして、彼女に届くように、声を張り上げる。
「似合うと思ったんです! 先生なら、絶対!」
答えは返ってこなかった。ノエル先生はそのまま歩いて、去っていった。でも、それが何より一番の返事であるように思えた。
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注)視点変更→ノエル先生
「あいつあいつあいつあいつ……!」
深夜。
一人暮らしの、アパートの部屋にて。
枕に顔を埋めて、暴れに暴れる二十七歳独身女子の姿がある。
「ぜぇええったいに許さない! 私を何だと思ってるわけ!? あんな無理やり、強引に……! 何の説明もなく……奪ってくれちゃって!? ふざけるなぁああ」
どんどん、と隣の壁が鳴った。「フルコンボ!」とりあえず煽り返す。たぶん聞こえていると思う。
「大事に、これだけはどれだけ汚れようと大事に持ってたのに! 血と臓物に塗れようが、汚水と汚物を被ろうが、これだけは大切にしてたのにぃいい……!
あーんなあっさり、何のムードも脈絡もなくぅううう! 有り得ない有り得ない!
わだじの、わだじのばじめでがあああ」
みっともなく泣いてた。
でもたぶん、悲しいからとか、怒ってるからとかじゃ、無いかもしれない。真実のところは、自分の心なのに分からない。
強いて言うなら、喪失感。大切にしてきた何かが、あの瞬間に綺麗さっぱり消え去った。それだけは確実だった。
ベッドの上でばたばた泳いでいるうちに、ふっと右手が何かを掴んだ。そこには、あの汚れた便箋が。
昨夜出しっぱなしにして、そのままにしていたらしい。
「あーもう、仕舞うの、忘れてた……」
元通り、ベッド下の収納に戻そうとして……ふと手を止める。
同じくベッドの上、枕を挟んでちょうど反対側には、持ち帰ってそのまま放っている小包が一つ。
片手で乱暴に、綺麗なその包装を破って開ける。中から出てきたのは、見慣れたメーカー名の刻まれた化粧品。
『La Princesse』 実を言うと、性能とか使い心地を重視して、これらの品種を愛用しているわけじゃない。
いわば単なるゲン担ぎ。小さい頃も、大人になった今となっても。
私はやっぱり、そういう扱いを、心の奥底では望んでいる……。
「だぁああ! ちくしょぉおお! 認めるか!」
知らぬ間に、また叫んでた。
「絶対に認めるか! 今更、今更よ!? なんで今になって来るわけ!? どうせならもう十年早く来てよね!?
だいいち、あんな、あんな野暮ったい眼鏡かけた……って、いる!? 童話とか絵本であんな男が出てこようものなら、保護者からクレームと訴訟待ったなしよ!?」
しかし私が泣いても喚いても、現実は何ら事情を斟酌などしてくれない。
彼は彼だし、私は私。ならいい加減、認めた方が建設的じゃない?
「そんな、そんなぁ……。だって、ホントは十歳差よ? しかも私、彼の前じゃ鯖読んでるのよ? まぁそれは身から出た錆だけどぉ……」
あれこれ言い訳を並べているうちに、右手に妙な感触があるのに気づいた。
顔を上げれば、そこにはグシャグシャになった紙屑が。
あれだけ大切にしていたはずの、大事な大事な招待状の、なれ果てだった。
力いっぱい握り締めたせいだろう。指で慎重に広げてみるも、長年の湿気も祟って、みるみるうちに崩壊し、布団のうえに切れ端の雨を降らして終わった。
「あーあ」
けれど、不思議と後悔は無かった。やっと、そうなったかという安心感の方が大きかった。
代わりに生まれてきたのは、もう一つの衝動。
今、開けたばかりのコンシーラーを手にとり、こっちは間違っても握りつぶさないよう加減しながら、胸元で両手に支え持つ。
「覚悟してよ?」
これは宣戦布告であり、予言でもある。すなわち運命。全てはそうなるように、あらかじめ定められていたことなのだ。
だって、こんなに偶然が重なることってある? あんな朴念仁の青二才が、私の使っている化粧品をドンピシャで的中させるなど。
そんなことされたら、何だって誰だって、天におわします主よりの導きを、感じてしまうに決まってる。
「招待状は、とっくの昔に受け取ってた。それなのに、こんなに遅れた君が悪いの。
掴んでくれたのなら、もう二度と離してあげない。十年経とうと……百年経とうと!」
言い終えてから、百年はやり過ぎかと思ったが、すぐにそんなことは無いと打ち消した。
二百、三百年は平気で生きている連中が跋扈している世界の話だ。そのくらいのホラ吹きが今更なんだ。
そのくらい好きなんだもの。仮に千年生きる身となったら、千年経っても君の傍にいよう。
「大好き。……私の王子様」
おまけエピソードEND