月姫R ノエル先生ルート分岐妄想   作:激辛党

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2……廃工場跡にて

 また、一夜が明けた。

 あれだけ先輩に止められたにも関わらず、俺は夜中、屋敷を抜け出して、アルクェイドと行動を共にした。

 

 吸血鬼は残らず、この街から排除しなければならない。そのためにシエル先輩も、ノエル先生も全力を尽くしている。

 そんな二人を前にして、どうして俺だけが手をこまねいていられようか。

 

 ましてや、俺にはこの目がある。

単純な戦闘力では、吸血鬼や代行者の足元にも及ばない自覚はあるが、こと索敵という観点でのみ論ずるなら、俺にも秀でるところがある……はずだ。

少なくとも、アルクェイドはそう評してくれた。

 

 事態に対処する力を持っていながら、それを振るわず、安全地帯でじっとしているだけなんて、俺にはどうしても耐え難かった。

 たとえ僅かでも貢献できるのならば、この手を、この足を動かしたい。

 

 そう考えることは、果たして責められるべき事なのだろうか。

 

 ――といった弁明を、茶道室にて、俺はシエル先輩に滔々と言って聞かせた。

 

 結果は言うまでも無く、惨敗。

先輩ときたら、けんもほろろの有様で、最後には喧嘩別れになってしまった。

 

「絶交、かぁ」

 去り際、先輩の残した、字面だけ見れば可愛らしい。それでいて明白な拒絶の文言が、脳裏にこだます。

 

 そんなに悪い事をしたかな、言ったかな。

茶道室での会話が、ぐるぐるとリピートを繰り返す。

頭から終わりまで順に、どこを切り取ったとしても。まさしく徹頭徹尾、俺は間違ったことを口にした気は無かった。

 

 街を守りたい。身近な人たちを、少しでも危険から遠ざけたい。先輩も、俺も……もしかしたらアルクェイドだって、その思いは変わらないはずだ。

 

 そういう前提があったからこそ、ヴローヴの時は、協力して戦えたんじゃないか? それをどうして、一度で終わりにしなければならない。

 

「ダメだ、納得いかない」

 

 あれだけ茶道室で、先輩と言い合ったにもかかわらず、またしてもモヤモヤが胸に溜まってくる。とてもじゃないが、このまま屋敷に直帰するなんて、できそうもない。

 

 適当に、街でもぶらついて時間を潰そうとでも考えていたところ。

携帯が、メッセージの着信を知らせた。

 差出人は――。「ノエル先生?」

 

 珍しい。というより、あの人、俺の連絡先なんて知ってたんだ。

いや、いつ教えた? 確かに気安く話す程度の間柄ではあるが、端末情報の交換なんて、した覚えがない。

 

まさかとは思うが、シエル先輩経由だろうか。それなら可能性としては有り得なくもないけれども……。

 

 さておき、肝心の内容はどうかと開いてみる。そこには、

『はろー、志貴クン。もしかして今、ヒマしてない? ちょっと面白い見世物があってさ、君さえ良ければ、ご一緒しない? 添付してる画像のとこで待ってるから。よろしくね!』

 

 という、軽薄極まりない文章があった。

 

「本気か? あの人」

 

 代行者としてはもちろんのこと、一教員としてもダメなメッセージだった。こんな軽薄な文章で、教え子を遊びに誘い出してどうする。

 もう少し、指導者としての義務感とか、年上の女性としての威厳とかないのか? 言っちゃ悪いが、この文章だけでは街でたむろっている少年少女と大差無い。

 

 シエル先輩が、事あるごとに彼女へ愚痴をこぼすことに、深い共感を覚える。確かにアレが同僚では、気苦労も絶えない。

 

 メッセージには、地図アプリを利用したマップピンが添付されていた。どうやら、ここへ来て欲しいようだ。

 

 念のため、指定された座標の周辺情報を検索してみる。

誰より頼りになる某大手企業製作のエンジンによれば、ここは廃業となった工場跡地らしい。

 古き良きバブル時代の名残といったところで、無駄に広い敷地を占有している。

ぽつんと一本だけ立ったマップピンは、その一角を指定していた。

 

 今、俺のいる学校からでは、電車を乗り継いで三十分ほどといったところか。日の暮れるまでには、ぎりぎり行って帰れそうな、絶妙な距離だ。

そのため、行った先に何が待っているかにせよ、あまり悠々とはしていられない。

 

ひとまず、駅に向かうことにする。電車に乗ってからでも、行くかどうか決めるのは遅くないだろう。まずは校舎から出るべく、昇降口を目指す。

 

本音を言うなら、このモヤモヤを誤魔化せるなら、先生でも秋葉でも有彦でも、正直、誰でも良かった。

 

 

 予想に反して、何度コールしてもノエル先生は電話に出なかった。

『せめて何を見せるつもりか教えて欲しい』とメッセージを送るも、これも返信はナシのツブテ。

 あんまり帰りが遅くなると、秋葉に何を言われるか分かったものではないので、実に弱った。

 かといって、それを第三者に説明しようとすると、

『家長の妹が門限に厳しく、少しでも破ると晩ご飯を抜きにされるのです』

――という、兄としてこの上なく情けない身上を暴露する羽目になるので、これも憚られる。

 

 結果、俺はあえなく電車に揺られ、ただ到着を待つばかりとなる。

 車窓から覗く、周囲の景色は、時間の経過とともに侘しさが募っていった。

 

 我が街は政令指定都市の一つであるものの、それも中心部に限った話だ。少しでも郊外部に出れば、すぐ山間部や、田園地帯にぶち当たる。

 

 中でも、かつて工業地区だった箇所の酷さと言ったらなく、赤茶色に錆びた鉄と煤けたコンクリートの織り成す、荒涼とした風景が広がるばかりである。

 

 降り立った最寄りも、人の気配は全くと言っていいほどなく、落ちかけた日は行く先の道に、長い影を垂らしていた。

 

 見上げた空はいたずらに朱く、なぜだか迸る血を連想する。

ここのところ、物騒な連中や物事に関わり過ぎたせいだろうか。ただの夕焼けに、どうしてこうも不吉な印象を受ける。

 

 考えすぎだ、と俺はかぶりを振って、ノエル先生の待つべき場所へ急いだ。

何の用か知らないが、とっとと済ませて帰ろう。――その時にはもう、校舎を発った時の、当初の目的は失われて久しかった。

 

 

 工場敷地内に踏み入る。あちこちにプレハブ小屋や、その屋根だったと思しき、剥がれ落ちたトタン板が転がっている。どれもみな、放棄されて相応の年月を経ているらしく、黒ずみの中に空いた穴には、蜘蛛の巣がびっしりと張っている。

 

 そこかしこに生い茂った、背の高い雑草がゆらゆらと風にたゆたう。

たくましい植物群の遷移は、工場内にまで及んでいるらしく、眼前に聳えるひときわ大きな建物も、一階部分は草木に覆われていた。

 

 遠野志貴は、そうデリケートな人間ではないと自負しているが、あそこへ分け入るには、ちょっと動機が足りていない。

 シエル先輩に呼ばれているとかなら、いざ知れず、今回の相手はノエル先生だ。彼女の悪ふざけに付き合ったがために、全身枝葉塗れになって、翡翠さんを困らせるのは誠に遺憾である。

 

 しぜん、俺は一階部分ではなく、その上階へと繋がる非常階段へ歩みを進めた。

 その階段は該当建物の周囲を取り囲む形で備わっている。つまり野晒しの状態だ。

当然、錆びで真っ赤に染まり切っていて、試しに一段、足をつけてみれば、ぎぃ……と、それはそれは愉快な音で鳴いた。

 

「これ、ホントに落ちないだろうな……」

 

 自分で行先を決めておきながら、今更になって帰巣本能がいたく刺激される。もうメッセージなんて見なかったことにして、帰って寝たいのが率直な感想だ。

 吸血鬼に関わる相談ごとならまだしも、あの文面じゃ、どうせろくな用事でもないのだろうし……。

 

「あ! ……もしかして志貴クン!? 良かったやっと来たぁ! ほら、上がって上がって!」

 

 出し抜けに、甲高い声が呼ばわった。

 

 いったいどこからと見上げてみれば、建物のずっと上――四階の窓から、見覚えのある女性が顔を突き出している。

 

 彼女は勇ましくも腕までも中空へと伸ばし、俺へ向かって大きく手を振った。

 

「早く早く! 今ちょうどクライマックスなの!」

 

「分かりましたから!」

 

 腹部が窓のサッシに擦れるくらい、身を乗り出した彼女の姿勢は、見ているこっちがヒヤリとするほど、危なっかしい。

 そんな気も知らず、今も満面の笑みを浮かべて、早く来い、早く来いと急かしてくる。

 

「ったく……! ほんと、何歳だよあの人。中学生じゃあるまいし」

 

 無邪気そのものの彼女の様子に、思わずそんな言葉が滑り出た。

 

 本人の弁では二十五歳とのことだが、本業が代行者と判明した今となっては、それも怪しいものだ。シエル先輩だって、身分を大いに偽って学校に潜入しているのだし、ノエル先生もその例に漏れないだろう。

 

 問題なのは、その鯖読みが上か下かであって……。実態は十代の半ばの少女だったりするのか? その逆で、三十路を超えている可能性もあるが。

 

「ぶっ……。あっははははは! そりゃさすがにないわよ、志貴クン! いくら私でも、十年単位はやらないから!」

 

「えっ」

 

 この距離、この高低差で、俺の呟きに相槌なんて打てるわけがない。

幻聴かと思って、もう一度見上げれば、なるほど確かにノエル先生の姿はもう窓からは消えていた。

 

「聞き違いか」

 

 その割にはやけにリアルだったような……。

 

 一段目で止めていた脚を再度、持ち上げ、上層を目指す。

 錆び塗れの階段はゆっくり踏みしめていると、本当に抜け落ちそうだったから、カンカン努めて慎重に、それでいて大胆に、一段抜かしで四階へ駆け上がった。

 

 外階段は、四階廊下の非常口に接続しているようだった。同じく、赤茶けた外観の扉を前にした途端、またしても悪寒が背筋をなぞる。

 

 真っ黒な模様に覆われた、簡素なドアノブ。それを自分の指で握って回すのに、凄まじい抵抗感があった。

 

 厭だ、これに触れたくない……触れるべきでない。吐き気にも似た拒絶感が、腹の底から込み上げてくる。

 

「しっかりしろ」

 自分に言い聞かせる。何を今になって怖気づいている。たとえ、この先に何が待ち受けていようとも、もう俺には慣れっこのはずだ。

 どんな異常も、悲劇も、醜悪も。一通りのことは経験してきたじゃないか。

 

 意を決して、ノブを回し、踏み込んだ。

 

 その先に、彼女の作った地獄が、広がっていた。

 

 

「遅かったじゃなぁい! 志貴クン。もう先生、待ちくたびれちゃったわよ」

 まず、歓声が聞こえた。彼女はとにかく、喜んでいた。

 

「いたぶりながらも、ぎりぎりのとこで生かすのって、単純にぶち殺すよりずうっと難しいんだから。先生、何度ばしゅっとやっちゃいそうになったか分からないわ」

 

「ノエル……先生」

 

 非常口の先は、意外にも廊下ではなく、開けた大部屋に繋がっていた。

――いや、あちこちに散らばる残骸を見るに、以前はきちんと壁で仕切られていたものが、全て崩落した結果、大きな一部屋となっているらしい。

 

 その部屋の中央付近に、二脚の椅子が並んでいる。

 二人の虜囚が、座っている。

 大釘で、両足を縫い留められた、吸血鬼たちだ。どちらも頭から腹から、脚部から、今もだくだくと大量の血を流し続けている。

 それもそのはず、彼らに無事な部位など、もはや存在していなかった。全身のいたるところを、削ぎ落され、切られ、焼かれている。

 

 凄絶な拷問により、飛び散った血肉は、鉄錆よりもずっと陰惨な色で、部屋の床を塗り替えていた。

 

 そして、その執行人が誰であるかは、わざわざ言及するまでも無い。

赤と黒と、黄土色の染める世界。その中心部に立つ女は、けらけらと楽しそうに笑った。

 

「ほぉらお待ちかねの観客が来たわよ? ここらで一発、気合入れて泣きなさいよ。自慢じゃないけど、私の教え子、とぅっても優しいから。心に染み入る謝罪を述べられたら、彼、感動して助けてくれるかも?」

 

「ぎっぎっぎっ!」

 

「あっごめーん! ボールつけたまんまだから喋れないか! じゃあ謝れないね! ごめんなさいもできないわね! 残念無念、また来週?」

 

「ノエル先生、これはいったい――」

「みぎゅっ! ぎぎゃが!」

 

 喋りかけようとした俺の言葉を、椅子に縛りつけられた虜囚の悲鳴が遮る。

 一つ分でさえ、正常な人間の聴覚を焼き切るに十分な絶叫が、二つ重なりあって反響する。

 

 聞くに堪えない奇声の奔流を「うるさいって」と、一言でばっさり。一緒に振られた、巨大な斧槍が、一撃のもとに黙らせた。

 

「可愛い可愛い、教え子の声が聞こえなかったじゃない。志貴クンがストレス感じてハゲでもしたら、どう責任取ってくれんの? もう一匹、美少年連れてきてくんないと割に合わないんだけど。早くして。

え、足が杭打ちされてるから無理? もうしょうがないなぁー、じゃあ足指三本で許してあげる」

 

 続けざまに振られた更なる斬撃が、今度は虜囚の足元を穿つ。

 大振りに見えたその一閃は、その実、繊細な軌道を描き、彼女の言葉通りに、該当部位を欠損させた。

 

「ぎががががっ!」

 

 再び巻き起こる絶叫。脳髄を直接揺り動かされるような、不快なノイズ。

 反射的に両耳を塞ぐ。

 

 そんな俺を見て、ノエル先生は「ふふっ」と、微笑んだ。

 虜囚どもの悲痛な呻きなど、全く意に介さない。蚊の羽音の方がまだ不愉快だと――そう本気で思っている者の、顔だった。

 

「なに君、まさかビビってんの? このくらいで? だめよぉ、処刑人がそんな弱気見せちゃ。こいつらすぐ付け上がって、調子乗るんだから。

そんで『俺は強いんだ、選ばれしものなんだー』みたいな痛々しい勘違いして、罪も無い女子供を襲っちゃうの。志貴クンだって、覚えあるでしょ? こいつらの顔」

 

「え……」

 

 そう促されて、初めて気づいた。

 椅子の上の二人の虜囚の顔は、皮膚の剥離と切創により、ほとんど原型を留めていなかったが、どうにか思い出すことに成功する。

 

 なにせ、ほんの数日前の出来事だ。この虜囚たち――男たち二人とは、地下墓所へ繋がるデパートのエレベータ前で、出会っている。

 ヴローヴの配下の……そのまた末端として、血液集めに従事していた連中だ。

 

 しかし、あの時の傲慢で、身勝手な態度は、体の血肉と共に完全に千切れ飛んだらしい。

 こうしている今も、二人は首を腕を脚をどったんばったん大騒ぎさせて、ありもしない慈悲に追いすがっている。

 

「どう? 思い出した? ねームカついたよね、こいつらの舐め切った言動。私、地下墓所に潜入する過程で、どうしてもこいつらの前を通らなきゃいけなかったんだけど、その時、何言われたと思う? 

『のーたりんのメス』よ? 酷くない? そりゃ、こっちだって騙すために多少アホっぽい演技してたけどさぁ、それにしたってもっとオブラートに包めっての。しかも本人の目の前で、笑いながら言うし!

そういう表現しても、女はニコニコ笑って許してくれる……もしくは、ビビり散らかして逆らわずにいてくれる、だなんて、こいつら本気で思ってるわけ。

もう信じらんないでしょ?」

 

「だから、ですか」

 

 ともすれば、強まりそうになる語気を必死に押し留めて、俺は言った。

 

「だから、やったんですか」

 

「違う」

 

 ノエル先生は即答した。

 照明のスイッチを切るように、あるいはブラインドを一気に落としたかのように。

 

 喜悦に沸き立っていた彼女の表情は、一瞬にして、無のそれになった。

 

「吸血鬼だから、よ。こいつらは人間じゃない。

敵、人間の敵なの。だから何してもいい。何しても許される。こいつらを虐げて、苦しめて、少しでも天にまします我らが至上の存在に、お目こぼしを貰えるように助けてあげるのが、私たちの仕事なの」

 

「でもこれはあまりにも――」

 

「あまりにも? バカ言わないでよ。じゃあこいつらは獲物を狩る時、容赦した? 未成年は可哀そうだから見逃した? お爺さんお婆さんは、階段の上り下りで困らないよう配慮した? 身体障碍者の方には適切な言動を心がけた? 血を取る時、事前に診察して適切な摂取量を計算した?」

 

 ノエル先生は持っていた斧槍を軽々と掲げ、その穂先で虜囚の首をまっすぐ指した。

 

「してないよね、してるわけないよね。こいつらにとって、人間なんて食料に過ぎない。情けも恩赦もあるわけない。ただ鳥を豚を屠殺するように、牛から乳を搾るように、機械的に搾取して、残ったゴミはポイ。そういう連中なの、生き物なのよ」

 

「でも……!」

 

 なおも逆接を紡ごうとした俺の口へ、滑らかに穂先がスライドした。ぴたりと、過たず、正面から。

 

ノエル先生は少しだけ破顔して、言った。

 

「分かってくれた? じゃ、次は君がやってみよっか」

 

 にわかに理解しがたい提案だったが、言わんとしている内容そのものは、しごく簡単に読み取れた。

 否定、肯定、いずれかを返す前に、釘を指すようにノエル先生が待ったをかける。

 

「答え方には気を付けてね? だって私、自分でもびっくりするくらい君のことを買ってるの。

 すごいわ、志貴クン。なりたてとはいえ、二十七祖を相手に一歩も引かなかった。炎の波も恐れず、氷の礫にも退かず。触れただけで心臓まで凍り付くような相手に、ナイフ一本で飛び掛かる。

 私には絶対無理。どんな心境ならそんな事ができるのか、全然分からない。相手は自分より、数十倍、数百倍も強かったのに。

 そんな君が、まさかこんな雑魚相手に、躊躇なんてするはずないわよね? 息をするより簡単に、ばらばらに解体できるものね?」

 

「……俺は」

 

 選択の時が、訪れたと直感した。

 次に選ぶ行動は、間違いなく俺の今後を決める一択になる。そんな、不思議な予感。

 

 取り得る選択肢は二つ……いいや、三つある。

 

 一つ、ノエル先生の勧めに従って、連中をバラす。これは実に簡単なことだ。目を使えば、十秒だって掛からない。

 彼女の無意味、無駄極まりない作業工程を千分の一まで短縮し、必要な結末に収められる。

 

 だが……それこそ本当に必要か?

 単に殺すだけなら、バラす意味すら、そもそもない。死の点をつけば、絶命には足る。吸血鬼を二度と起き上がらないようにすれば、それで十分だ。

俺の目的は――町から吸血鬼を排除すること。その役割は、たった一工程で達成される。

 

 これがつまり、二つ目の選択。最小限度の殺害行為で終わらせる。そして可及的速やかに、このネジの外れた女とは別れる。

 こんな異常者と、もう一分一秒だって同じ空気を吸うべきじゃない。

 

「早くして、志貴クン。私、他にも仕事たくさん残ってるんだけど。ここ片づけたら、まだ三軒ほど回らなきゃいけないし」

 

「っ――!」

 

 三つ目。

 これは一番有り得ない。

 最も無駄が多い選択。労多くして、益少なし。そればかりか、未来にまで負債は及ぶだろう。

 

 ――よせ、引き返せ。自分のことを思うなら、そんなバカげた行動は取るな。

 

 理性と感情、どちらからの諫言にも耳を貸さず。

 降って湧いた衝動的に従うまま、口にする。

 

「ダメです」

 

 すう……と、ノエル先生の瞳が細まるのが、夕闇に包まれんとする部屋の中で、なお鮮明に見て取れた。

 

「……ごめん、クソムシどもの鳴き声のせいかな。またよく聞き取れなかった」

 

 ノエル先生は言うが早いが、手にした長物を大きく振りかぶった。

 風を切り裂く音のまにまにちょん、と冗談みたいな効果音。続けざまに飛び散った血しぶきが、湿った響きで余韻を彩る。

 

 たったそれだけの、一小節にも満たないやり取りで、一人の命が潰えた。

 

 鉄錆の包む拷問部屋は、水を打ったように、静まり返った。

 残るもう一人の虜囚も、隣人の哀れな最期を目の当たりにして、自分が今、真に求められている振舞を悟ったらしい。

 

 あれだけ喚き散らしていた声は消え、己を縫い留める釘に対する、儚い抵抗も一切止める。

 塗り固められた彫像そのままに、彼は物言わぬ存在と果てた。

 

「あーあ。急いでるって言っても、もう少し時間を掛けて楽しむつもりだったのに。ここまで誘い込むのすっごく大変だったしさぁ。

それが志貴クンのせいで、台無しじゃない。どう責任取ってくれるの?」

 

「謝りませんよ」

 

 一歩も引かない姿勢で臨む。

 この人に――こいつ相手に、怯える姿を見せてはいけない。

 

 何気ない風を装って、左手を眼鏡のツルに伸ばし、そっと外した。

 こちらの態度に、何か感じるものがあったか、ノエル先生は「へぇ」と唇を歪ませた。

 

「なに、その目。

言いたいことあるのなら、別に言ってもいいわよ。私、君の先生なわけだし。若手教師の務めとして、生徒からの相談には、親身に乗ってあげたいじゃない?」

 

「なら、遠慮なく」

 

懐から、ナイフを引き抜いた。

部屋に入っていた時からずっと、柄にもう一方の手を掛けた状態だったので、動作自体は半秒も掛からず済んだ。

 

「君っ!」

 

 傾いた日が、ちょうど白刃に射し、鋭い反射光が煌めく。

突然の光に――あるいは凶行に、彼女は驚き、声を荒げた。

 

悲しいかな。それだけだ。

 ――ああ。なんて、生温い。

 

 この街で初めて出会ってからというもの、色々この女を評したが、やっぱりこいつは、なっちゃいない。

人を殺す覚悟が、てんで足らない。全く無いとは言わないが、その濃度が薄すぎる。

 

かりそめにも、生死のやり取りをする者として、急場にその程度の反応しかできないようでは、赤点すらも与えてやれない。

 

 相手が殺しに来たのなら、生き伸びるか、もしくは殺し返そうとするのが常識だ。

 訳も分からず、立ち尽くすだけなんて――よっぽど平和な環境に身を置いてきたらしい。

 

 代行者というのは、話に聞くほど過酷な仕事ではなかったのか? それとも優秀過ぎる女の同僚が、手取り足取り、どんな状況でもカバーしてくれたからか。

 

 いいやきっと、それらすべての理由を含めた上で、一番大きな要因は。

 この女は自分より弱い相手としか、まともにやり合ってこなかったからだ。

 

「なに――」

 

 まだ声を通しての対話が可能だなんて思いこんでいるらしい。早口に何かくっちゃべっているようだったが、無視する。

 音声情報として処理しない。そうするだけの余力があるなら、全て筋線維へと回す。

収縮し、解放する。ぎりぎりまで引き絞られた弓の弦が、思う存分に空を裂く。

 

 両脚の叩いた床が、ほんの一瞬前まで無音だった部屋に、衝撃音をまき散らす。その反響が己の耳に届かぬうちに、構えたナイフの切っ先は、既に女の手元を捉えていた。

 

 斧槍を前に掲げただけの、舐め腐った防御体勢。間隙はもはや、わざわざ狙うまでも無く。

腰だめに引いて、突き出す。最低限のダブルアクションの元に、斧槍の持ち手を両断した。

 

「ちょっ……!」

 

 ぱっくりと上下に分かたれる、ノエル先生ご自慢の斧槍。当然、被害はそれだけに留まらず、いかにも頑丈な造りの穂先が、何の脈絡も無く外れ、床に転がる。

死線を絶たれれば最後、いかなる物体でも、生来の機能を果たすことは二度と叶わない。

 

 こればかりは偶然の産物だが、死の線が斬撃の届く範囲内にあって助かった。

 

「なになになに!? 怖い!」

 

 女はいまだ動揺から立ち直れない。本当に、どこまでもノロマだ。こんな奴が、少なくとも五年以上はシエル先輩と共に戦っていたという事実は、真に驚愕に値することだと今更思い知る。

 

 思えば先輩の愚痴の大部分は、この、どうしようもなさから来ていたのかもしれない。

 

 無用の長物と化した斧槍を両手に、唖然と立っている。完璧に無防備な、その背後へと、身を躱してするりと抜ける。

 

 後はもう、作業と言って差し支えない。女の細い首に両腕を回し、ナイフの刃先を頸動脈に添わせる。たったこれだけの、簡単なこと。

 

 死線なんて、見るまでも無い。右腕を少し後ろに引けば、それで十分お釣りがくる。女は二度と立ち上がれず……そこで転がっている、吸血鬼の生首と全く同じ、物言わぬ死体となり果てるだろう。

 

「え……あ」

 

 ようやく自身を取り巻く状況に、思いをはせる余裕が生まれたらしい。

 ノエル先生は二、三回と胡乱な言葉を漏らした後、横目を限界まで引き絞って、背後の俺に視線をくれた。

 当然、首は一ミリたりとも動かさなかった。……賢明な判断だ。力任せに暴れられると、こちらも手元が滑りかねない。その可能性が捨てきれないほどには、刃は柔肌に密着している。

 

「あ……あの? 志貴クン? これ、何? じょ、冗談……かな?」

 

「そう見えるなら、試します? ジョークナイフとか、ありますもんね。抵抗しても、いいいですよ」

 

 コレクション用に、刃を潰してあるナイフはそれなりに世に出回っている。もし、手にしているそれが期待通りのものならば、彼女は怪我一つに負わずに済む。

 

ついでに――むしろこちらが本命かもしれないが――弱者と決めつけていた教え子に、命を奪われんとしている窮地にも、向かい合わずとも良くなる。

 

 十秒ほど、待ってやった。

 しかし、彼女はやはり抗う素振りすら見せなかった。

 

 まぁ、それもそうか。今しがた、このナイフで斧槍をすっぱりやったばかりだ。これでまだ殺傷能力を疑っているようでは、バカを通り越して、頭お花畑である。

 

「理由を……聞いても?」

 

 生殺与奪の権利がこちら側にあることは、いたく理解しているようだ。

 余計な言葉は口にしない努力をしている。

 

「簡単な話ですよ、ノエル先生」

 

 幼子に向き合うように、ゆっくり言って聞かせる。

 

「吸血鬼だからって、こんな風にいたぶり殺すのは、およそ真っ当な人間のすることじゃない。滅ぼすべきものは、粛々と滅ぼせばいいんです。それがあなた方の仕事ってもんでしょ。

 見せしめって言ったって、他に見てる奴もいないじゃないですか。なら何の意味があるんです? この拷問に」

 

 かたかたと、身体の触れている部分から、彼女の震えが伝わってくる。

 見ようによっては、俺はちょうど彼女に後ろから抱き着いているような体勢だ。

 少し前の自分なら、妙齢の女性とこういった格好となることに、一種の感動すら覚えていたかもしれない。

 

 だが、それも今は昔の事。ここまで進展した状況で、男女がどうだのと考えている余裕など、全くありはしなかった。あいにく、器用な脳髄の持ち合わせが無いもので。

 

「意味……意味なら、ちゃんとあるわよ」

 

「それは?」

 

 即座に訊き返しつつ、握っているナイフの角度を僅かにずらす。反射光が、より鮮明になるように。

 

「吸血鬼は苦しまなければならない」

 

 相手も、即答だった。今、考えて答えたものじゃない。初めから、もう決まり切っていたソレだった。

 

「こいつらは全て、一匹の例外も無く、苦しんで苦しんで、泣いて叫んで無様に命乞いをして――それでもまだ足らないな。炙られ砕かれ溶かされて、骨の髄まで痛みと恐怖でいっぱいになって、『もう殺してくれ』って感想さえ出なくなった辺りで、やっと死による解放が許される。

 虫けら、微生物以下のゴミカスなの。そういう扱いをされて、当然の奴ら。君にはもう、何度も説明してると思うんだけど、まだ分かってくれない?」

 

「ええ、全然分かりませんね。俺、国語の成績悪かったみたいです。自分でも気づいてませんでした」

 

「なにそれ、少しも面白くない」

 すげなく返された。

 得意の話題になったせいか、ノエル先生の声のトーンが戻りつつある。彼女にとって、吸血鬼は真に憎むべき存在なのだろう。それがよくよく窺える。

 

 だが、ここまでした以上、俺だって引くに引けない。今更『冗談でした』では済まないことは百も承知だ。

 

「すみません、悪い癖が出ました。

 確かに、先生の言うように吸血鬼は悪です。それは俺も知ってます。この街で、連中は何人もの罪の無い人を、ほとんど遊び半分で大勢殺してました。

 ただ喰うため、生きるためってんじゃない――自分の力を誇示するためとか、暴力を楽しむためだとか。そんな、どうしようもない考えの奴だっていた」

 

「そうよ。それが吸血鬼。ついでに教えてあげるけど、そんなクズが、世界中にはびこっている。北でも、南でも、島でも山でも。奴らは人間のいるところなら、どこでも入り込んでくるの。

 ほんっと気色悪い。ウジやゴキブリ並みのキモさ……いいえ、あれはあれで生態系の一端を担っているから、同列に語るのは失礼かしら。

ともかく、少しでも長く苦しんで死ぬべき害悪であるのは間違いないわ」

 

「でも――」

 

「でも、何?」

 

 狂気に淀んだ声が、強引に被さってきた。

 

「でも? でもって言った? まさか君、肩を持つ気? 吸血鬼どもの。

 こーんな怖―い刃物を私に向けて、残ったクソムシはせめて助けてあげてとか言いたいの? いっぱい手足を切りつけられて、可哀そうじゃんーって」

 

 くっくっく、と腹の底から響くような笑い声が、前にする女から漏れる。

 

「よろしい、あなたがそういう考えなら先生、受け入れてあげる。だって包容力ある大人だし? 君がしたいようにしても、いいわよ?

 何事も人間、好き勝手に思考するのは自由だわ。それに基づいて、行動起こすのも当然、自由。

ただし、相応の責任はちゃあんと取ってもらわなくちゃね?」

 

見ずとも分かる、吊り上がった唇の端。とびきり美味そうな獲物を前にして、誰はばからず、意地汚い女が舌なめずりをする。

 

しかしながら実際のところ、そんなウサギはどこにもいない。彼女と会話しているのは、この場で一人、俺だけだ。

 

「違いますよ、先走って勝手に話進めないでください。俺がいつ、こいつらを許すなんて言いましたか」

 

 相も変わらず、早とちりが多い。

 勘違いされるのも癪なので、いったんノエル先生からナイフ共々、離れる。その足で残るもう一人の吸血鬼の前に回り、死の点を一突き。

 彼は苦痛の悲鳴も、安堵のため息も漏らすことなく、ただ静かに逝った。

 

 これで晴れて、彼女の拷問部屋から虜囚は消えた。

 代わりに、柔い肉を抉った厭な感触が右腕に残る。

 

 もう慣れた……とは、悔しいがまだ言えない。ここ数日で、十を超す吸血鬼を処理してきたが、人体を斬る感覚はいまだ不快だ。とりわけ、それが致命のものであるなら、なおさら。

 

 というより、これに馴染むということはイコール、これまで十余年にわたって築き上げてきた遠野志貴の崩壊を意味する。

 その観点に立つなら『俺はまだ大丈夫』と表すべきだろう。

 

 後方で、ノエル先生が唖然と立ち尽くしている気配を感じる。

 幸いにも、この隙に逃げ出そうとか、はたまた俺の後頭部を斧槍の残骸で強打しようとか、不穏な発想は生まれなかったようだ。

 

 だが、いつその着想を得てもおかしくないので、早々に元の位置――つまり彼女の背後に戻る。

 同じく、ナイフを首へ持っていこうとして、寸前で止めにした。

吸血鬼の体液で穢れた刃先だ。むやみに肌へ近づけては危険だろう。

 

 そもそもこの局面において、武力による制圧が必要だったのは、最初のほんの触りの段階だけだ。……こうでもしなければ、ノエル先生は俺の言葉なんて、まともに聞いてくれなかっただろうから。

 

 しかし、もう十分だ。

 振り向いた先、再び出会った彼女の表情は完全に脱力したそれだった。怒気も狂気も、宿っていない。

 代わりに浮かんでいるのは、色濃い困惑だった。

 

「どういうつもり……?」

 

 つい今しがた、目の前で確かに吸血鬼の生命を奪ったナイフを見つめ、彼女は呟く。

 

「じゃあ、何なの? どうして私を止めたの?」

 

「吸血鬼とはいえ、人間の形をしたものを、苦しませるのは俺の信じる倫理にもとる。そんなのは止めて欲しかった。

 ……いいや。

 この答え方じゃ不十分ですね。また堂々巡りになってしまう。先生はどうあがいても、彼らに苦しんで死んで欲しいようですから。

 そうじゃなくって。俺は――」

 

 ごくり、と言葉の途中で、唾を呑み込んだ。

 いつの間に、口内がからからに干上がっている。いつからそんなに繊細な性格になった? と自嘲する。

弱気を笑い飛ばさないと、次のセリフはとても言えない。冷静で、理性的なままじゃ、ダメなんだ。

 

 ――本気か? 

 何度目か分からない、自分からの問いかけ。

 

 ――本気だよ。

 何度でも返す、自問自答。

 

「俺は、あなたにそんな事して欲しくないんです。

だってあなたは俺の先生です。それで、シスターで、代行者で……正義の味方なんでしょう? 街のみんなのために戦ってるんでしょう!? こんな……弱いものイジメみたいなカッコ悪いこと、しないでくださいよ!」

 

「はっ?」

 

 ノエル先生の目が、ものの見事に点になった。

 

「俺、先生にちょっと……じゃないな、だいぶ、かなり結構、憧れてたんです! 大人の雰囲気で、余裕があって、そのくせどこか抜けてるお茶目なところもあって、それがまた憎めなくって、やっぱり目が離せない。

 あざといって女子のみんなは好き勝手言うけど、それって逆に言えば男の理想そのものってことなんです。

ああもう何言ってるか自分でも良く分かんないですけど、とにかく俺は!

 ノエル先生のことが――」

 

「ちょ、ちょっと待って! 待って君」

 

 ノエル先生が、ばたばたと両手を振り上げて、抗議を挟んでくる。全くもって、間の悪い人だ。

 

「なんです急に。今、盛り上がってるとこなんですから邪魔しないでください」

 

「いや私、当事者よね!? これ以上ないくらい話題の渦中の人よね!?

 んなことより、もしかして今、万が一、ほんと絶対有り得ないと思うだけどまさか――君、私に告白しようとしてる?」

 

「はい」

 

 吊っていた糸が切れたように、ノエル先生はその場にぺたんと崩れ落ちた。

 

「俺は先生の事が好きです。

 ……だから、もう二度とこんなことはしないでください」

 

 返事はなかなか来なかった。十分待っても来なかった。

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