月姫R ノエル先生ルート分岐妄想   作:激辛党

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5……地下墓所にて

 ぴちょん、と水の滴る音。どこか近くから。

 ごおっ、と風が洞を抜ける音。どこか遠くから。

 

 自意識は二つをまず認識した。

 

次に、考える。ここは遠野家の屋敷ではない。あそこで雨漏りのする個所なんて、一つもあるわけがないし、隙間風だってもっての外だ。

 

じゃあ、ここは? という探求は、記憶をさかのぼる工程となる。

 

 俺は――たしか。

 学校帰り、工場跡に向かった。ノエル先生に呼び出されて、街外れにある、廃墟の一角へ踏み入れた。

 

 そこで俺は先生に告白した。そこに行き着く経緯は色々と複雑なものがあって、自分のことなのに、誰にもうまく説明できる気がしない。だが事実として、俺はノエル先生に好感情を伝え、今後行動を必ず共にしたいと申し出た。

 

 返事はあんまり、ちゃんとしたものは返って来なかった。

しばらく黙った後に、大笑いされて、バカにされたと思いきや――実際は満更でもないらしく、無理やりその足でカラオケに連れ込まれた。

 

 先生は終始、楽しそうだった。いつだったか、年下の恋人募集中だなんて、聞いたことがある気がする。冗談だと思っていたのに、本人は割と大真面目だった。

 

 でも、楽しめたかという点で話すなら、俺だって否定はできない。

狭い個室内にて、曲がりなりにも親密な間柄の女性と、至近距離で飲んだり歌ったりするのは……まぁ新鮮だった。

 なにぶん初めての経験だったから、健全な一男子として、ドキドキもした。

 

 もう一度、行きたいか。もう一度、したいかと問われれば、迷わず頷く。

店内では、気恥ずかしくて、とても『そうだ』と肯定できなかったけれども。やっぱり誰に何と言われようとも、俺はノエル先生のことが、気になって仕方ないらしい。

 

「そろそろよ?」

 

 リピートされる、水と風の音。間に挟まる、彼女の声。熱に浮かされたような、陶酔しきった女のささやき。

 

「そろそろあいつがここへ来るわ。待ち遠しい、すっごく楽しみ。きっととってもイイものが見られる。志貴クンもぼおっとしてないで、首だけでもあげてちょうだい? こんなの人生で一度見られるかどうかの光景よ?」

 

「せん……せい」

 

 言われるがままに、首だけを起こした。

 逆に言えば、それ以外は動かせなかった。指の一本だって持ち上がらない。

どうして、と頑張ってまぶたをこじ開ける。鉛を直に塗られたように重たいそれを押し開けば、やっと自分がどういった事態に見舞われているか、理解できた。

 

「あ……」

 

 診察台のような、無機質な寝台のうえで、俺は横たわっている。

 周囲には……石の壁と、天井。というより、岩肌と言った方が近いか。とても現代の施設のものとは思えない。あちこちが黴やあらぬ汚れで覆われていて、亀裂からは水がしみ出している。

 いったいどこの洞穴の奥かと思ったが、ふと、これらの光景に思い当たる節があった。

そうだ、ヴローヴが住処にしていた、あのデパートの地下だ。

 

 仮にここがそうだとすると、都心部の一角だから、先ほどまでいたカラオケからの距離も、そう遠くは無い。……ノエル先生が、俺を担いで運んでくるのも容易だったことだろう。

 これで一つ目の疑問、ここがどこであるか――が氷解した。

 

だが、二つ目の疑問はなかなかに難題だった。それは俺の上に被さっているのが、毛布でも布団でもなくって、重々しい金属製の鎖であることだ。

 

 もはや、結ばずとも重量だけで人を抑えつけられる量の鎖の山が、輪をかけて厳重に俺の身体を縛り上げている。胸のあたりから、足先に至るまでびっしりと。

 まるで包帯の代わりに鎖を使ってみたミイラのようだ。

 

 拘束もここまでくると、苦しみ以前に驚嘆の念が湧いてくる。ぐるぐる回して縛りつけるのは、さぞや苦労のいったことだろう。

 

「ふっ……ふふ。あー……うふ。やば、気持ちいいの止まんない。もうこれだけで、いきつくとこまでいっちゃいそうなくらい。

 君はどう? 志貴クン。楽しめてる? 先生の独りよがりじゃないといいんだけど」

 

 どうやら俺に質問をしているらしいが、どういった答えを返せばよいか、てんで分からない。

 対話とは相互理解が基本である。だが、俺の顔を見下ろしているこの女の、いったい何を理解しろというのか。

 

瞳からはとうに正気の光は失われ、口元をだらしなく涎で汚し、指先をあらぬ液体で濡らしている、この女の。

 

「もう、何の反応も無いとつまんない。ねぇねぇ~何か答えなさいよ。ねぇどんな気持ち? こうやって縛られて寝転がされて、生殺与奪の全権限、私に握られちゃってる気持ちって。

 それも好きな人に、よね。君の言葉を全面的に信じるなら、私、君の恋人だったよね?

あーすっごい聞いてみたい。愛している人に、その手で穢されて殺されるのって、どんな感情なの? 

 きっと有り得ないくらいに、車に時速百キロで激突されるくらいに衝撃的で、数千度の火で直に炙られるように刺激的なんでしょうね。私はもちろん、どっちも絶対に体験したくないけれど」

 

「先生……。ノエル先生……?」

 

「あーはいはい。あなたの先生、でちゅよ~。もう、さっきからそればっかり。もしかして、愛しのノエル先生に化けた、別の何かだとでも思ってる?

 はい残念でした! 私は間違いなくれっきとした疑う余地一片も無く君の先生ことノエルでーす。どう? やっぱり、びっくりさせちゃったかな。いきなりこんなことしてさ」

 

「正直、意外性は……無いです」

 

 思うところは様々あるものの、身体に残った虚勢を全て寄せ集めて、まずそれを口にする。

 

 しかし言われた当の本人たるノエル先生は、にんまりとさらに唇を釣り上げた。

 

「へ、うへへ……。やっぱり? まぁぶっちゃけ、君の態度からしてちょっと感づいてるかもって風ではあったものね? で、いつから?」

 

「最初からですよ」

 

「それってカラオケに入った時からってこと? それは不用心が過ぎるんじゃあない?」

 

「いいえ。最初から、と言ったでしょう。今日、廃工場であなたの姿を見た時点です。

あなたはもうとっくに壊れているんだと、分かっていました」

 

「は?」

 

 そこでようやく、ノエル先生の顔から笑顔が消えてくれた。代わりに現れたのは、無表情。舞台で用いられるような、微塵も感情の読み取れない、凍り付いた顔。それが俺を、間近で見つめる。

 

「バカみたいに強がらないでよ。身動き一つとれない標本のザマで。不快なんだけど。

 じゃあなんで、あの時、あんなことを言ったわけ? 性欲以外で、君に理由があったのかしら?」

 

 答えに窮する。それを言語化するのは、今の俺には非常に難しい。よしんば、ある程度うまくいったとしても、ノエル先生が聞き入れてくれるかは甚だ疑問だ。

 

 前回でも、斧槍を折って、頸動脈を抑えて、それでやっと対話が成立したくらいなのに。

 

 口ごもる俺を、最大限に都合よく解釈したらしい。ノエル先生は、またしても大口を開けて笑った。ただし今回に限って、目だけは死んだ魚のままだった。

 

「ほら見なさい。やっぱりそう。どうせあれでしょ? 普段からこんな痛々しい言動してるババアだから、適当なこと言えば一発やれるとでも思ってたんでしょ。

でも寸前で怖くなったから――あるいは本性見て萎えちゃったから、気絶した振りして誤魔化そうとした。

 けど、おあいにく様。君には性欲猿以外の存在理由があるの。それを今から、私が有効活用してあげる」

 

言うなり、彼女は自分の携帯端末を取り出すと、それを俺の顔へと押し当ててくる。

 いったい何のつもりかと思ったら、聞きなれた発信音が耳元で鳴った。どうやら、いずこの人物との通話をさせたいようだ。

 

「……誰ですか?」

 

 こちらの問いかけには答えず、相変わらず気色の悪い笑みを湛えているだけのノエル先生。

 しかし実のところ、その相手が誰か、俺は直感していた。

 

 数回のコール音があって、通話口の向こうと電話が繋がる。

 

 俺が何かを口にするより先に、「遠野君!」という、鋭い声が飛び込んできた。

 

「今、誰といるんですか!」

 

 どこに、ではなく――誰と。

 その聞き方に『さすがだな』という安堵が込み上げる。

教会の秘術を使ったか、はたまた現代の技術の賜物か。先輩は既に、(第三者からすれば)失踪した俺の居場所を掴んでいるらしい。

 

「ノエル……先生と、です。この人は……もう限界みたいだ」

 

「そう、ですか。分かりました。怪我はしていませんか? 動ける状態ですか?」

 

「傷は負ってません。ただ、拘束はされてます。鎖でぐるぐる巻きで。えっと……おそらく、デパートの地下墓所の――」

 

「はい、そこまで」

 

 ひょい、とノエル先生は端末を取り上げた。

代わりに自分の口元へ持っていき、シエル先輩にそのまま話しかける。

 

「あ、シエルさん? なるべく早く来てね? いつ、こいつが暴れ出すか知れないし。本格的に覚醒したら、こんな拘束、すぐ破られちゃう」

 

 端末に語り掛ける彼女の声は、意外にも冷静なものだった。

例えるなら、仕事の同僚に、業務の進捗を報告するような。……いや、元を辿れば実際にその通りではあるのだが。

 

 それに対し、シエル先輩側からも、いくつかの応答が返ってくる。内容は残念ながら俺には聞き取れなかったものの、どういった類のものだったかは、ノエル先生の表情から、つぶさに見て取れた。

 

 彼女はやはり、どこまでも悦んでいた。

 

「そう、そうそう、そうよね。あなたはきっと、そう言ってくれると思ったわ? 期待通りの反応をしてくれてありがとう。嬉しくて胸が張り裂けそうなくらい。

 あなたがお望みなら、もっと声を聴かせてあげる。例えば……こんな感じの!」

 

 通話の途中で突然、ノエル先生は端末を持っていない側の腕を、俺の腹部へと振り下ろした。

ちょうど鎖の間隙を縫うような鋭い一撃。当然、避けられるはずもなく、激しい痛みが腹を中心に襲い掛かってくる。

 

同時に違和感。今、何をされた?

出血の感触は無いことから、斬り付けられたわけではないようだが……それにしては痛い。まるで皮膚を貫き、肉をごっそり削がれたような、外傷性の激痛だ。

 

 にもかかわらず、ノエル先生の手には肉片はおろか、血痕の一滴さえ付着していなかった。

 

「不思議?」

 

 訊く前に、彼女の方から俺に微笑みかけてくる。

 

「正解はね、これ」

 

 ちら、と悪戯っぽく彼女は寝台に脇に置いてあった薬瓶を手に取り、見せてくる。

 それにはラベルが張ってあり、筆記体で短く何やら書き込んである。文節の少なさからして、おそらく単語――内容物の品名だろう。

 

お世辞にも、英語の成績が良いとは言えない俺では皆目、見当もつかない……と言いたいところだが、皮肉にも俺は分かってしまった。

 

「せい、すい……!」

 

「大当たり~! 今の私にはちょっと……いや、かなり扱いが難しいんだけど、君みたいなクソムシをいたぶるには、やっぱりこれが無いとね。硫酸並みだから、大匙一杯でもたくさん苦しむことができるでしょう?」

 

「どうして……!? 俺は、俺は吸血鬼なんかじゃ、ない……!」

 

 加速度的に、テンポを心臓が速めていく。状況よりも、この狂人よりも、自分が知らぬ間に、聖水に焼かれる身となっていた事実に、恐怖する。

 

 有り得ない、そんな訳が無い。確かに俺は、何人もの吸血鬼と関わってきた。だが一度だって、噛まれたり、血を吸われたりなんて無いはずなのに!

 

「さて、痛みの大きさを理解してもらったところで、もう一回いってみよっか。パブロフの犬って知ってる? あの偉大な実験から学ぶべきは、何事も反復が大事っていう教訓よ」

 

 止める間などあるはずも無く、ノエル先生は続く一滴を俺の身体に垂らしてくる。そして訪れる、筆舌に尽くしがたい感覚。

 生きながらにして、肌をやすりで砥がれている。あるいは、ガスバーナーで直に炙られている。何と形容しても、この苦しみは他者に伝えることなど出来はしない。

 

 俺に唯一できたのは「ああああ!」、あらぬ悲鳴を上げることだけだった。

 

「……遠野君!」

 

 スピーカーモードにもなっていないのに、端末からシエル先輩の声が聞こえた。さぞや大声で叫んだのだろう。

 

 それを聞き届けて――聞き惚れて、ノエル先生は頬をあからさまに紅潮させる。

 

「そうよ。もっと、もっと叫ばせて。あの女に苦痛をもたらして。

 ああ本当に、こんな日が来るなんて思わなかった。神様、あなたは真にいらしたのですね。哀れな子羊の、願いを叶えてくださったのですね。祈り続けてきて、良かったぁ……」

 

 瓶をいったん置いてから、両手を合わせて、彼女にだけ見える何かに感謝を捧げる。

 狂信をさらに通り越し、ある種の敬虔さすら感じる光景だった。絵画に閉じ込めることができたなら、一角の宗教画として讃えられるほどの。

 

惜しむらくは、その眼前には依然として、喘ぎ苦しむ哀れな男が仰臥することくらいか。

 

「ぎっ……! がぁ……! あ! なん……なんです! どうして先輩……に!」

 

 勝手に漏れだす悲鳴を呑み込み、どうにかそれだけ絞り出す。

 代行者あらため、裁きを下す神官となった彼女は、恍惚としたままの顔で答えた。

 

「決まっているでしょう? やられたことを、やり返している。古よりの純粋な法律に従ったまで。それだけよ」

 

「なに……を!」

 

「ああもう、うるさいわ? いちいち事情なんて説明するわけが無いでしょう。時間がいくらあっても足りはしない。

 君は贄として無様な声をまき散らして、あの女の精神を痛めつけてくれたらそれでいい。それが天よりの公平な裁きであり、すなわち私にとっての救いなんだから」

 

 だめだ、話が通じない。遅ればせながら、悟る。

 この女に積極的に関わったこと自体が、やはり間違いだった。こいつは結局、一から十まで自分のことしか考えていない。

自分がいかに楽しめるか、どうすればより気持ちよくなれるか。初めから終わりに至るまで、そんなことしか、こいつは考えていなかった。

 

 分かり切っていた事実だ。それこそ教室の女子たちでさえ、顔を見た瞬間、見抜いていたくらいなのだから。

 

 しかし女はそれで良かったとしても、俺はこのままでは終われない。分かったうえで、あえて踏んだ地雷だ。

 どうせ爆発するなら、周囲一帯を焼野原にする覚悟で。

 今更、この程度がなんだ。そもそも危険な女性という観点で論ずるなら、アルクェイドだって、シエル先輩だって――割と似たようなものである。

 

「それで……それでいいんですか! あなたは最初から――生まれた時から、本当にそれだけを求めていたんですか!? そんなはずない! だからこんなことをしたって――」

 

「黙れ!」

 

 今度は物理的な攻撃が飛んできた。平手で頬を力いっぱい叩かれる。鎖による拘束で、ろくに受け流すことさえできず、聖水とは別種の痛みが、また意識を遠のかせる。

 

「何様のつもり? まさか代行者に説法でもしようっての? は、青二才が調子に乗るな。修道院で十年過ごしてから出直せっつの。ゴスペルを徹夜で歌えるようになったら序文くらい聞いてあげなくも無いわ」

 

「ぁ……が」

 

 だくだく、とついでとばかりに聖水が注がれる。俺の意思とは別に、筋肉が勝手に引き攣り、機械的な痛みへの反射を示す。

 喉があまりの絶叫に耐えかねて、今や息を掠らせるだけのものと化した。

 こひゅー、こひゅーと、できそこないの玩具のような音声がエンドレスで繰り返される

 

「あーあ、もう。この根性ナシ。これじゃ体育と音楽の成績はゼロね。

君、受験勉強ばっかにかまけて、副教科投げちゃうタイプ? 感心しないわよーそういう効率厨的な行動。どんな些細なことでも、必要の無さそうなことでも、真摯に取り組める子が一番カッコいいんだから」

 

女は気紛れに、先生と獄吏の間を行ったり来たりする。付き合いきれず、いっそ意識を手放したくもなるのだが、そうは聖水が許してくれない。

 

 やがて俺は、注がれる液体に対して、びくびくと痙攣するだけの物体と果てた。

 空になった瓶を放り捨て、至極つまらなさそうに女がため息を吐いた――その時。

 

「ノエル!」

 

 岩の砕け散る重低音がして、洞内へと飛び込んでくる人影が一人。

天井に吊るされた燭台が風圧に揺られ、凛々しい声の主を照らす。

 

「来たわね、エレイシア」

 

 真正面から先輩を見据え、ノエル先生は聞き覚えの無い名前を発した。

 

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