推測の通り、洞穴はヴローヴの地下墓所を利用したものだった。
あの時の崩落は、見かけこそ大規模に見えたが、実際は一部のみで済んでいたらしい。
事件が起きて日が浅いということも手伝って、行政機関による撤去作業も進んでおらず(あるいは、何らかの介入があったのかもしれないが)、右に左に通路の繋がる洞穴内は、かなりの規模をまだ有していた。
「で、どっちです!?」 「どっちって何が!?」
「隠れられそうな場所ですよ! ここ、秘密のアジトか何かにしてたんでしょ!? 案内してください、俺さっぱりなんですから!」
「え、ええああ、うん。えっと……次、右!」 「了解です!」
隣を走るノエル先生はいかにも頼りない。
長時間、縛り上げられていた上に、肩にけっこうな傷を負った俺と比べたら、羨ましいほど五体満足だというのに、足取りはなぜだか覚束ない。
「ほら、シャンとしてください! 先輩に追いつかれたら、二度目は無いんですから。今だって、いつ後ろからあのおっかない剣が飛んでくるやら」
――というより、むしろ不思議でさえある。なぜ俺とノエル先生はまだ、あの先輩から逃げおおせているのか。
全力疾走しているとはいえども、しょせんは怪我人を連れての鈍い逃避行だ。先輩が本気を出せば、秒で補足されているような気がしてならない。
それともあるいは。あえて見逃してくれる理由が、先輩にはあるのだろうか?
だが、この場にいない人間の心境など、いくら案じたところで無意味だ。今は少しでも、追手の目から逃れる術を考えなくては。
「なんで……? なんで!」
もう何度目かの叫びをノエル先生が放つ。今回はそれだけにとどまらず、力いっぱい握っていた腕も、振りほどかれる。
しかし幸い、脚を止めることはしなかった。その程度の判断力はまだ残してくれている。
「理由なんて、今はどうだっていいでしょう。いいから黙ってついてきてください」
「いいわけないでしょ! バカ! どうして私なのよ! 普通、シエルさんのとこに行くじゃない、ああいう時は!」
「行った方が良かったんですか?」
真っ向から返すと、彼女は面白いくらいに目を真ん丸にした。
「あの場に先生を残して――先輩と一緒に、逃げ出すと。
そうしてくれた方が、あなたは良かったんですか?」
「……ええ」
迷い、口ごもり、逡巡して――たっぷり悩んだ後、結局、ノエル先生は頷いた。
そういうところだな、と俺は思う。
この人が、この質問に肯定を返してしまうような人だから、俺は一緒に逃げ出したんだ。
しかし、そういった一連の感情を言葉にするのは非常に困難であるので、代わりに口にするのは。
「ほんっと、先生も人のこと言えないくらい、バカですね」
「なによ! 言うに事欠いて、そんな悪口! 先生をバカにしてるの!?」 「だからしてるじゃないですか」
その辺りで、息が限界になった。走りながら、こんな醜い言い争いを続けるのは無理がある。
先生もその辺りの事情を察してくれたか、「こっち!」と、威勢良く通路を折れ曲がって、俺を導く。
その先はしかし、狭い袋小路だった。レンガ造りの壁が待ち構えているだけで、どこにも繋がっていない。
困惑する俺に、
「安心して。こういう時のために、色々と調査しておいたの」
と、先生が微笑みかけてくる。
彼女は壁の前で屈んだかと思うと、傍目には到底分からなかったが、出っ張っていたらしい部位を押し込んだ。
ずず、という石の擦れる音がして、行き止まりとなっていた壁が横へスライドする。その向こうには、こぢんまりした隠し部屋があった。
「なんとまぁ……。吸血鬼って、こんなコテコテの仕掛けまで作るものなんですか?」
「あちらさんだって、代行者に見つからないよう必死だから、ね。
さ、入って入って。シエルさん相手にどこまで通じるか分からないけど、時間稼ぎにはなるでしょう」
拒否するいわれもないため、促されるままに小部屋へ足を踏み入れる。
俺に続いて先生も中へ入ると、すぐさま彼女は内側の壁に触れ、また似たような操作を行った。
直後、石壁は元通りに閉じる。数秒のうちに、通路への出入り口は跡形も無く消えてしまった。
「いくら調査したからって、よく見つけましたね、こんなの」
思わず感嘆の声を上げる俺に、「まぁね」とノエル先生は控え目に返す。
その様子が、あまりにも
この人、口では調査なんて誤魔化したけれども、実際はヴローヴの配下を拷問した際に入手した情報なのだろう。
小部屋は七畳に満たないほどの空間で、机椅子などの家具の類は一切なかった。
ただ、部屋の隅に白色のプラケースがいくつか揃えて置いてある。ノエル先生は入るなり、いそいそとそれらへ手を伸ばした。
中から現れたのは、包帯や消毒液などの医療器具、それに飲料水のペットボトルなどなど。一時避難場所として、なかなかの準備がしてある。
先ほどは推量で『アジト』と表現したが、あながち間違いではなかったようだ。
「とりあえず、そこへ座って。止血はしとかないと」
肩の傷のことだろう。大人しく、地べたの石畳に腰を下ろす。
姿勢を落ち着かせると、ズキズキとまた痛みがぶり返してきた。灼熱に焼けた火かき棒で抉られているような。
――というか比喩するまでもなく、俺を貫いた黒鍵は、こうしている今も刺さったままだ。肩を正面から貫通し、後ろ側まで、ぶっすりと。
我ながらこんな状態で、よくも洞穴内を全力で走ったものだと、あらためて感動を覚える。
一方、聖水に焼かれた腹はと言えば、あれだけの苦痛を伴ったにもかかわらず、火傷どころか腫れてさえいなかった。
いったいどういう理屈なのやら、気になって仕方ないものの、それを尋ねる余裕は残念ながら無さそうだった。
「じっとしててね」
ノエル先生が、その黒鍵に手を伸ばしてくる。慌てて制止した。
「ま、待ってください。こういうのって、下手に抜かない方がいいんじゃ?」
「でも、そのままにはしておけないでしょ。いいから、じっとしなさい。先生のいう事が聞けないの?」
その言い方に、今更になって少しムッときた。
「先生、先生って……。その自覚があるなら、先輩にどうしてあんな事を言ったんです」
「別にいいじゃない」
彼女は少しも悪びれない。
「えれい――
でも、君は……私に先生でいて、欲しいんでしょ?」
「……否定はしません、けど。
っていったぁ!?」
こっちが気を取られている間に、ノエル先生の手が、無遠慮に黒鍵の柄を握った。
まさか、そいつを引き抜く気か? よせ、ただでさえ頭がどうにかなりそうなのに、肉を削ぎ落すような真似をされたら、痛みだけで発狂してしまう。
「せんっ――」
とっさに目をつむって……しかし。覚悟した終末はいくら待てどもやってこなかった。
恐る恐るまぶたを開くと、そこには黒鍵の――柄の部分だけを手にした、ノエル先生の姿が。
十字架にも見えるその柄を、ひらひらと振って、彼女はさも愉快そうに笑んだ。
「便利よねぇ。黒鍵って。こう見えて、結局は術式礼装の一種だから、術を解けば刃は消えるの。……っと、そうこうしてる場合じゃない」
嵌まっていたものが消えたせいで、大きく開いた傷口から、おびただしい量の血液が溢れ出ようとする。
寸前のところで、ノエル先生が間に合った。
傷口の前で、構えられた彼女の手のひら。小さく唱える、何か日本語ではない呪文。ぽうっと、蛍の明かりと見紛うような儚い光に照らされ――血は流れ出す前に止まった。
「これは……?」
「癒しじゃなくて、あくまで止めるだけの魔術。あと消毒ね。
縫合は手動でやらなきゃいけないから、まだ動かないで」
こうなったらもう、俺にできることと言えば先生を信じて、じっとしているだけだ。
先生はプラケースの中から、医療用と思しき針や糸類をめいめいに取り出し、てきぱきと準備を整えていく。
慣れた手さばきで針を構えると、俺の肩に身を寄せた。
「悪いけど、麻酔までは用意してないから。頑張って耐えてね?」
「ええ、それは大丈夫です。他ならぬ先生に、今日は散々訓練を受けましたから」
「それもそっか。じゃあこれも平気?」
ちくっと、全く何の遠慮も無しに、鋭い針が皮膚を抜いた。「いっづ!」
「なぁに、全然だめじゃない」
「ちょ、ほんと勘弁してください。今は先生しか頼れる人いないんですから」
自分でも情けない声が出ていると分かる。
しかし当のノエル先生は、むしろ手の動きを止めてしまった。皮膚を貫通しただけの、中途半端な状態で――無用な痛みだけが延々と続く。
これはいくら何でも、キツイ。聖水を掛けられるのは、まだ終わりのある責め苦だったが、これは違う。先生が手を動かさない限り――満足しない限り、俺は苦しみ続ける羽目になる。
「ねえ、やっぱりちゃんと聞きたいな」
「先生……! お願いですって」
慈悲を請う俺に、冷酷にも先生は言葉を続けた。
「どうして私なのよ。シエルさんだったら、こんな意地悪は絶対にしない。何なら、こんな面倒な手術しなくたって、もっと高等な魔術で一発で治しちゃうかも。
それくらい、志貴クンにだって察せたでしょ? なんで私なんかに、ついてきちゃうの」
「先生……早く」
貫いているだけならまだ良かったが、次第にぷるぷるとノエル先生は手を震わせ始めた。お陰で、裂けた皮膚が引っ張られ、この世のものとは思えない感覚が神経を襲う。
いつの間に、治療行為は拷問へと意義を変じていた。
「答えて。
あなたにいったいどれほどの、理由があったって言うの。あれだけ傷つけられて、コケにされて、愛している女を罵倒されて……。
どうして私の言うがままに、ほいほいここまで着いてきちゃうわけ?
君はまだ気づいてないかもしれないけど、壁のあの仕掛け、魔術回路の励起がないと作動しないんだよ? つまり、君の手じゃ決して開かないってこと。
私がその気になったら、餓死だって、窒息死だって思いのまま。文字通りの人生の袋小路」
答え……答えを言わないと。
今まで何だかんだと言い訳をして、避けてきたが、それも限界のようだ。
あるいは、そう思っていたのは俺だけで、彼女からしたらとっくに限度は通り越していたのか。
いずれにせよ、もう口にするしかない。結果がどうなるかは、目に見えているが、それでもこのまま弄り殺されるよりは、マシだ……と、思う。
「でも、ね。志貴クンが正直に打ち明けるなら、出してあげても、いいよ。もう一回、愛しのシエルさんに会えるチャンスをあげる。
あの場所では余裕が無くて、シエルさんに――エレイシアに伝えられなかったから、すごく残念だった。……君が工場跡で、私に告白してくれたこと。
えへ、えへへへ……。
君がぁ、どんな理由が知らないけど私に夢中になってること。カラオケで一晩過ごして、身体の関係になったって言ったら、エレイシア、どんな顔したんだろ! あーん、すっごく楽しみだったのに!」
「先生……は」
「はい、ここにいるわよ。さぁ志貴クン? 答えを聞かせて」
「先生はもうすぐ、死ぬんでしょう?」
ぴしり、と空気の鳴る音が聞こえた。
ノエル先生は凍り付いた。
あれだけ怒って、笑って、狂気に身をやつしていた彼女の、全ての感情が消え失せた。
同時に腕からも力が抜けて、俺を苛んでいた針も、ようやく離れる。
幸運にも、止血の魔術はまだ効力があるようで、傷口は致命的な決壊を起こす様子はない。これを神様だか、それとも天だかが与えた最後の猶予とみて、俺は続けた。
「俺は昔、大きな事故に遭いました。それが切っ掛けで、人とは少し違う眼を持つことになった。
この眼は、あらゆる物体の死にやすい線が見えるんです。そこを斬れば、どんな物でも容易く崩壊し、つまり死ぬ。
生物なら二度と起き上がらなくなりますし、壁とか鍵とかいった物なら、本来の役割を決して果たせなくなります。先生の使ってた斧槍を真っ二つにしたのも、この眼です」
そこで一度、唾を呑み込んだ。緊張のためか、喉が渇いて仕方ない。そう言えば、洞穴に連れ去られてからというもの、何も飲み食いしていない。
あの寝台の上で、何時間縛り付けられていたか判然としないが、自分の体力がほとんど残されていないことは確かに思えた。
加えて、この肩の大怪我である。こうしている今だって、いつショック症状により貧血を起こすか知れたものじゃない。本当なら、こんな悠長な説明は一分一秒だって省きたいところだ。
だが、それでは不十分だ。この分からず屋の先生に、俺は一言一句、懇切丁寧に言い聞かせねばならない。
「さっきも言ったよう、あらゆる物質には死があります。巨大なビルにだってありますし、先生が持ってる針の一本にも、もれなくあります。
ですが、その量は一定じゃない。死にづらいものは少なく、発見しづらい。……例えば河原に落ちているただの石ころなんかは、あまりにもその役割が単純すぎて、もしくは死因が無さ過ぎて、死を与えることは困難です。
決して不可能じゃありませんけど、かなり時間がかかる」
口にはしなかったが、この例で言うなら夜のアルクェイドもそうだった。あいつは本人の言葉通り、死の線が全く見えない。空とか、海とかと同レベルの存在ということなのだろう。にわかには信じがたいが。
「そして、その逆もあります。死にやすい、壊れやすいものには線が多く見える。
卑近な例で言うなら、精密機械の死の線は見やすい。ちょっとナイフを突き入れるだけで、簡単にオシャカにできる。それの果たすべき役割が明確で、かつ、どうなったら終わりであるかが、想像しやすいからだ……と俺は思ってます」
「それがつまり――私に?」
先生はごく短い相槌で、この説明の結論を先取りした。
俺は小さく頷き、肯定した。
「廃工場で、先生を落ち着かせるために俺は眼鏡を取った。……あ、言い忘れてましたけど、この眼鏡は特別製で、つけている間は死の線が見えないんです。以前、大切な人に貰った優れもので。
ともかく、俺は先生を直に見た。先生の身体はすごく――死にやすそうだった。普通の人間より、何十倍、何百倍も。
小さい頃、事故に遭ったって言いましたよね。その時はまだ眼鏡を持っていなかったから、病人や、怪我人を何人も俺は見てきました。
だから、分かるんです。死期の近い人には、死の線が濃く、多く表れる。
そうなってたら、もうお終いです。お医者さんたちがどれだけ頑張ったって、みんな一人の例外も無く、二日、三日で死んでしまった」
「同じように……私も、遠からず死ぬと」
「はい。どんな原因か、までは読めませんけど。でも、たぶんガンとか、心臓病とか、そういう病気じゃ……ないですよね」
――ですよね、と付加疑問で訊いたのは、心当たりが彼女にあると確信していたからだ。そうでなければ、筋が通らない。
実のところ、病院にいたどの患者よりも、ノエル先生の病態は遥かに酷い。もう死の線に身体は覆いつくされ、線が裏腹に身体を成しているとさえ、言っていいくらいだ。
そういう状態の人間を、俺はここ最近の出来事でよく見聞きしてきた。
すなわち――。
「死徒。より正確に言うなら、その支配下の、屍者。
吸血鬼に血を吸われた人間は、一度死んだ後、起き上がって奴らの言いなりの人形になるんでしたよね」
「よく……知ってるじゃない」
ぼそりと、力なく先生は呟いた。
「知り合いの吸血鬼に、たっぷり講義を受けましたから。
先生、ヴローヴとこの地下墓所でやり合った時、やっぱり噛まれてたんじゃないですか? あまりにも平気そうな顔してるから、無事だったんだって勝手に俺は思い込んでました。でも――」
「対策はしてたわよ」
うなだれたまま、どこまでも弱々しい声で言う。
「代行者の基礎の基礎。吸血鬼を狩る人間が、敵に回ってたら仕方ないでしょ? そういう対策は、教会が総力を挙げて、全代行者に施しているの。
私も例に漏れず、過剰なくらいの結界を身に刻んでいた。
けど、あんなのがいるなんて聞いてなかった! こっちは起きたばかりの転生体を寝ぼけ眼のうちにさっくり殺すだけの簡単な任務のつもりだったの。
それが何!? 二十七祖の一柱が、街で大暴れしてるなんて有り得る!? シエルさんは好きにすればいいけど、私なんかがどうにかできるわけないじゃない!
案の定、あの吸血鬼の一噛みはロザリオの防護も貫いて、瞬く間に私を……屍者にした。
ふ、ふふ。あはは! ねぇ信じられる!? 嘘みたいでしょ、私があのクソムシの連中の仲間入りなのよ!? 今まで何度も、あいつらを焼き殺してきた聖水で、今は私が溶かされちゃう側なの。
こんなのって、こんなのってさぁ……! 頭おかしくなるしかないでしょ!」
「先生……落ち着いてください」
今にして分かる。なぜあの時、工場跡で先生があれほどの狂乱状態にあったか。
支柱を失った彼女の精神は、とっくの昔に崩壊していた。
「ダメよ、志貴クン。もうダメなの。私、もう死ぬんだから。ううん、死はまだ救い。このまま心臓を止められるなら、それが一番。
浅ましくも棺の内より起き上がって、夜な夜な生者の血を求めてさまよう身体になるなんて――想像しただけで、私……は」
泣き崩れる彼女をとっさに抱き留める。簡易的な止血をしただけの右腕が抗議してきたが、無視だ。
「先生のために……俺は何もできません。そもそも吸血鬼化を止める方法自体、あるとも思えません。もしそれができるなら、とっくにあなたはシエル先輩か、教会に泣きついているでしょうし。
そうしなかったということは、一度噛まれてしまえば終わり……という事なんでしょう」
先生は泣くばかりで、何も答えてはくれなかったが、それがなによりの証左だった。
そんな彼女の両頬に手を当て、こちらを向けさせる。悲嘆に濡れた顔に、俺は言った。
「俺は先生に感謝してるんです。先生がこの街に来ていなかったら、今よりもっと大勢の人が吸血鬼に苦しめられていた。確かにやり方はちょっと過激だったけど、でも先生が連中の魔の手から、街のみんなを守ってくれていたことは曲げようのない事実なんです。
そんなあなたが、自暴自棄になって狂い死にするところなんて俺は見たくなかった。想像すらしたくなかった。
どんな終わりを迎えるとしても、せめて最期の時くらい、誰かの傍で、笑顔で旅立って欲しいと思ったんです。
だから、告白することに決めました。卑怯なやり方だったとは思います。責めてもらって構いません」
「ダメだったら!」
出し抜けに、先生は俺の腕を跳ねのけ立ち上がった。後ろへ大きく飛びのいて、壁に背中を擦りつけるようにしてまで、俺から逃れる。
「ダメダメダメ……! そんなの絶対にいけない! 君みたいな子が、私になんか近づいちゃいけない! 理解しようとなんてしなくていい! そんな嘘みたいな本気、二度と口にしないで!
なに、あの寝台の上で、君は眠りこけてでもいたの? 話、聞いてなかったの?
あれが、私の本性なの。君に、好きになって貰える資格なんて――」
「そんな資格、必要なわけが無いでしょう。だいたい俺、告白なんて生まれて初めてだったんですよ? めちゃくちゃ勇気を振り絞ったんですから、いい加減、返事くらいしてくれませんか」
「あぅ……」
苦悶ともため息ともつかない声を漏らして、ノエル先生は壁からゆっくりとずれ落ちた。隅に縮こまって、動かなくなる。
「先生。俺はそれでもやっぱり先生のことが――」
近づこうと、俺が立ち上がった、その瞬間。
座り込んでいた彼女の右手が、床の石畳を叩いた。がち、と何かのスイッチが入る音がする。
強烈な既視感に、俺は反射的にその方角の壁を見る。隠し扉となっていた、あの壁を。
果たして、止める間もなく、石壁は横へスライドし、元来た通路への道を開いた。
直後、強烈な閃光が俺の目を焼いた。とっさに腕を掲げて庇う。
ゆっくりと、その光に目を慣らしていけば、それを発する人物の正体はすぐにも判別できた。
「先輩」
俺の呼びかけは完全に無視し、シエル先輩はつかつかと先生の方へ歩み寄っていく。その足取りからは、殺意以外の何物も読み取れなかった。
「これでいいの」
全てを悟った――あるいは諦めた彼女の声が、とても小さかったけれど、確かに聞こえた。
「これが正解。初めから、こうしていれば良かった」
先輩の手の内に、黒鍵の刃が三本、音も無く生成されるのを目の当たりにして。
俺の決意も固まった。眼鏡を仕舞い、左手にナイフを抜き放つ。