The world beloved Fool 作:へっこむす
読んでくださった方々に感謝を。
お気に入りしてくれた方々にはより一層の感謝を。
では続きです。
H10メガビルディング。
ナイトシティに十二本聳り立つ巨塔の一柱。
今はもう懐かしさすら覚えるその入り口でⅤは足を止め、他の建造物によって狭められた空を仰ぐ。
スモッグによって太陽光は歪んでしまっているものの、天気は一応快晴。気温も安全域内。絶好の行楽日和である。ただ行楽の途中で急なゲリラ豪雨に合う可能性は高めなので、拳銃の携帯は忘れない。因みに雨は鉄製かタングステン製。
Ⅴは思い切り息を吸おうとしたが、まだ人工肺が入っていない肉体であることを思い出してやめた。この街の空気は生身の肺に厳し過ぎる。まだ煙草を吸っていた方がマシなくらいである。それに吸ったところで、いまいち食欲をそそられない屋台のスパイシーな香りか、CHOOH2の焼ける匂いしかしないだろう。
(戻って、来たのね……)
以前はここに立つ度に期待だけを抱いた。これからいい方向に進んでいく。きっと大成する。自分なら絶対に出来るはずだ。根拠のない自信は悲嘆に暮れる未来の想像すら覆い隠した。そして夢と希望、野心と興奮に背を押され強く無謀な一歩を踏み出していた。
その先に待っていたのは薄暗い現実。
友を、自らの命を失う悲惨な未来。
幸か不幸か蘇った後は、いつも何かに怯えながらここに立っていた。
時間であったり、人であったり、何より死が恐ろしかった。一度死んでいるはずなのに、と今思えばおかしな話だが。
しかし、必要ないとわかってはいても簡単に直らないのが癖というもの。Ⅴは気持ちが焦れるのを感じ、胸に手を当てて落ち着けと自らに言い聞かせた。
(……行きましょ)
時間にすればほんの数秒。コツを知っていればなんのその。短時間で心を鎮め切ったⅤは進路を面舵に切る。
目的地はヴィクターの診療所。
ワールドとの会話を終え、時間の流れが正常に戻った後すぐジャッキーに迎えに行こうかと提案された。身体は怠いし頭痛も酷いし正直甘えたいところではあったが断った。確かミスティとデートだと言っていたはずで、最期を知る身としては彼女との時間を一秒たりとも邪魔したくなかった。
何より一人で考える時間が欲しかった。ごちゃついた頭を整理しつつ、自らの道を見定めるための時間が。
あと本音を言えば、顔を見たら冷静でいられなくなりそうだったから。
(不思議な感覚ね。懐かしいようで、憎らしい)
Ⅴは表現が難しい想いを抱きながら通い慣れた道を歩く。体調のせいで軽やかにとはいかないが、一歩一歩を大事に踏み締める。もう決して踏み外しはしないという意思を込めて。
(裏口使うのも久しぶりよね)
短いトンネルを潜り、階段を下って道を一つ渡ると裏口に辿り着く。
ジャッキーとのデートの次の日は基本的にミスティの店は午後開店となる。だから鍵が掛かっている表ではなく裏から入るのだ。
すかすかの鉄扉を開き、鼻を摘みたくなる臭いが充満する細い路地を抜けると地下への階段が見えてくる。初見では多少躊躇するその玄関口も今では何も感じない。寧ろ帰ってきたという安心感すら覚える。
転げ落ちないように階段をゆっくりと下り、門扉を開く。
アンダーグラウンドという言葉がこれほど似合う場所もそうないだろうとⅤは来る度に思う。
出迎えてくれるのは外とは一線を画した薄暗い空間と、それを照らす僅かばかりの光源。薬品の香りに少し混じった鉄の匂い。ボクシング中継の小さな騒がしさ。多少の肌寒さ。
最後に、ここの主である男の優しい声。
「ん?なんだⅤか。久しぶりだな」
経験した月日を如実に表す強面。儲かっているはずなのにいつまでも変えようとしない薄汚れた仕事着。憧れのボクサーが描かれた右腕にインプラントを入れていない肉体。
いつから自らの涙腺はこんなにも緩くなってしまったのか。
ヴィクターでこれでは、ジャッキーに会ったら気絶でもするのではと本気で心配になりつつ、涙が溢れないように上を向いたり深呼吸したりしてⅤはやっとの思いで平静を装った。
「ヴィク、まだくたばってなかったのね」
頭の奥の方から該当する記憶を引っ張り出して、当時のセリフを再現したつもりだ。
声音が震えていなかったかは自信がなかった。
「相変わらず失礼なやつだな。しかし……」
ヴィクターは少し不思議そうにⅤを軽く眺めてから言う。
「纏う空気は随分と変わったな……何かあったのか?」
流石だ、とⅤは純粋に感心する。
鋭い観察眼と頭の回転の早さ。
経験の成せる技なのか、それとも天性のものか。ヴィクターが関わる相手を間違えた姿を見た試しがないのはそれが理由だろう。
Ⅴやジャッキーの他にもこの診療所を訪れる客は少なくないが、大体はマトモなやつしか来ない。
極偶にイカれ野郎も訪れるが、その時は最初は穏便に、最終的には腕っ節で追い返す。この街でリパーをやってるうちの半分くらいはそこらの傭兵よりは強い。ヴィクターもその半分に入る類だ。加えて彼には常連という味方がいる。Ⅴやジャッキーも含め、時折おいたをした馬鹿に常連の誰かが制裁を下すなんてことも起きる。身近に腕のいいリパーがいるだけで生存率にどれ程の差が出るか理解しているが故の行動だ。
彼の人望の厚さには鋭い感性を生かしたカウンセラーとしての面が大きいのだ。
「えぇまぁ、少し、ね」
詳細を語る三人を誰にするか。
条件を聞いた時点で、その内の二人は決まっていた。
「でもごめん、話す前にちょっと診てもらえない?昨日仕事でクライアントの神経ソケットに繋いだんだけど、何か混じってたみたいで」
「ふむ、頭痛や吐き気はあるか?光に過敏になったりは?」
「その全部よ」
「わかった、診てみよう」
言うが早いか、立ち上がったヴィクターは椅子を蹴って転がす。何気ない動作ながら正確な位置に設置されたそれは、ヴィクターがここで多くの治療を行ってきた証明となっていた。
「座りな、リラックスしろ」
「よろしくね」
言われたとおり、Ⅴは慣れた動きで診察台に座る。渡されたリンクをソケットに繋ぎ、久しぶりの感覚を味わいながら頭を背もたれに預け目を閉じる。
治療中は思考の時間だ。これからの流れを考えるのにちょうどいい。
ヴィクターは有体に言えばいい奴である。
ナイトシティで、それもリパードクでこれ程人情に溢れ信用の置ける存在はおそらく見つからない。
何度も命を救ってもらった過去もあり、そんな彼に自分の身に何が起きているのかを説明するのは確定事項ではある。だがいかんせん、どう話せば納得してもらえるのかが思いつかない。
リアリストな面もあるヴィクター相手では、私は未来から戻ってきました、で納得してもらえるとは考え難い。目に見える数値や医学的観点での証明がベストだ。それで信じてもらえることはrelicの件で実証済みなのだから。
(スキャンで異常値でも出れば話は早いんだけど)
ワールドは身体能力を統合し、強化したと言っていた。だったら数値に何かしらの変化が表れるのではとⅤは期待している。
脳波、筋繊維、骨密度。血中成分でも何なら心拍数でもいい。何処かしらが常識はずれの値さえ出してくれれば話が数段し易くなる。
話だけで足りないようなら実演するのも吝かではない。
(でもあたしって何が出来るのかしら……?)
ワールドはクロームなしでも最強だ、とも言っていた。だが具体的に何が出来るようになったかはさっぱりわからないのが現状だ。正直その辺りも質問しておきたかった部分である。
腕力、握力、脚力に持久力。耐久性、反射神経などなど、何がどれ程向上したのだろうか。一般人と比べてどれ程の差があるのだろうか。
最強を謳うのだから、まさか素人に毛が生えた程度ではないだろう。
Ⅴとしては、人二人くらいは簡単に運べるようになっていてくれると嬉しい。一人を運べるだけでも十分ではあるが、いざという時を考えるとやはり二人担げる力は欲しい。あるとないとでは取れる選択肢の数に大きな差が生まれるからだ。
あとはやはり反射神経と、それについていける足があるといい。機先を制するか否かで状況が一変するのは言うまでもない。一歩前に出る能力はクロームでも補えるが、似通った性能を持つクローマーを相手にすれば求められるのは結局素の反射能力。場合によっては出遅れても経験でカバー出来るが、やはりあるに越したことはない。
(って、あれ?)
Ⅴは違和感を感じ目を開ける。
物思いに耽っていて気づかなかったが、ヴィクターが余りにも静かすぎるのだ。
過去に余命を宣告された経験からⅤは若干不安を覚える。さすがにないとは思うが、もしこれでとんでもないウイルスに感染していてまた僅かな余命しかないなどと言われたらどうしてくれよう。
Ⅴは多分修羅になる。そしてワールドを仕留めるために何でもやる。
「あー……ヴィク?何かやばいものでも入ってたりした?」
馬鹿に思えるが割と真面目な考えは一度横に置き、Ⅴはおずおずと問いかける。
「あ、あぁ、いや、そういう訳じゃあないんだが……」
歯切れが悪い。Ⅴの不安は加速する。
彼の声音が下がるのは最早トラウマレベル。不安を超えて恐怖を抱きかねない。
「どうしたのよヴィクター。はっきり言って」
「……いやな、どうもスキャナーの調子が悪いようでな」
しかしどうやら悪い想像は外れたようで、Ⅴは心から胸を撫で下ろす。
「はあぁ、脅かさないでよ。深刻そうな声出すから何事かと思うじゃない」
「悪かったよ。ただ買い換えたばかりだったから少しショックでな」
高かったのに、と彼が肩を落とす姿は珍しくなんだか微笑ましく思えてしまう。
笑ってしまっては可哀想なので表面には出さないが。
「じゃああたしが稼げるようになったら買ってあげる。日頃の感謝の印にね」
「ほう、言うじゃないか。こいつは高いぞ?」
「期待してていいわよ」
声を上げるほどではないが、顔を見合わせてニヤリとするくらいの他愛無いやりとり。
頭を撃ち抜かれる前、身体を診てもらう時にはいつもこうだった。あの頃はそれがいつまでも変わらず続いていくものだと思っていた。
けれど違った。
銃弾を受けてからは身体は悪化の一途を辿り、ヴィクは気遣ってくれるばかりでくだらないやり取りなど出来る空気ではなかった。
思えば甘え過ぎだったとⅤは内心反省している。幾ら友とはいえ、ツケも溜まっているうえに命まで救ってもらって、人生のアドバイザーまでもこなしてもらった。その恩を、殆どの旅路で返す事はなかった。なんという恩知らずだろうか。
だが今回は違う。変えてみせる。Ⅴは受けた恩を何倍にも膨らませて返すのだと改めて決意した。
「それで、調子悪いってどんな感じなの?なんなら直すの手伝うわよ?」
「気持ちはありがたいんだがな。何度やっても身体機能を示す値が軒並み常人の十倍近くを叩き出しちまう。こりゃ一度分解してシステムから修正する必要がある。素人の手に負えるもんじゃない」
「あはは、十倍ってそりゃ酷いわね。あたし怪物じゃないあははは…………えっ、じゅっ」
一頻り笑って冷静になったⅤは思う。
え、それ壊れてないのでは、と。
ただ十倍という数字は、数多の経験を保有するⅤを以てすら即座に落とし込むのは難しい値だった。
「どうかしたのか?」
「あー、その、えーと……、あ、ウイルスは?」
「ああ、そこは安心してもらっていい。幸い除去機能に問題はなくてな、回路をフルスキャンして駆除してある。完全にクリーンだ、保証する」
「そ、そっか、ありがとう」
Ⅴはソケットからリンクを抜き、そそくさと椅子から立ち上がって自身を半径一メートル範囲に物が一切ない場所へ置く。
体調は頗る良い。
じわりじわりと続いていた頭痛も吐き気も綺麗さっぱりなくなり、まるで最高級のキロシを入れたかのように視界が鮮明だ。身体の応答も元通り。今なら車も素手で止められそうだし、グラードの弾丸も躱せる気がする。
本当に出来てしまうかもしれないことがとても恐ろしい。
「お、おい大丈夫か?本当にどうしたんだ?」
「うん、あー、何て言えばいいのかな……。ちょっとまだあたしも把握し切れてなくて……」
落ち着かない気持ちを表すように手がそわそわと勝手に動いてしまう。
確かに異常値が出れば説明が楽でいいとは思った。しかし出た値が異常過ぎた。
身体機能十倍。つまり単純に考えれば一般的な人間の十倍の力が出せる。もしそれが事実なら喜ばしいことだとは思う。そこらのチンピラやギャング、コーポの精鋭にマックス・タックすら敵にはなり得ないし、滅多なことでは死ぬどころか怪我すら負わない。そこに経験を加えたなら確かに最強と豪語しても嘘はないだろう。
だがⅤは喜悦と同時に恐怖を覚えた。
十倍の腕力。十倍の握力。十倍の脚力。そんな身体で、まともな日常生活が送れるだろうか。真っ先に考え得るのは、軽く触れたつもりでも容易く物を壊してしまうのではないかということ。扉の取手、食器、車のハンドル。繊細とは言わないまでも力加減が必要な動作は日常に溢れかえっている。もしさっきまではウイルスがストッパーになっていたから大丈夫だっただけだったとしたら。今はもう全てが上手く熟せなくなっていたらと思うとⅤは気が気でない。
「ヴィク、頼みがあるんだけど……何か普通の人の力じゃ絶対に壊せないものとかない?鉄の塊、例えばマンホールの蓋とか。あ、もちろん壊れてもいいやつで」
「何?あるにはあるが……そんなものどうするんだ?」
Ⅴの様子から只事ではないと思ってくれたのか、訝しみながらもヴィクターは要望に応えてくれた。
椅子から立ち上がった彼が、地下の奥の方へ姿を消しすぐに戻って来る。手には人の腕の形をした金属、ゴリラアームを持っていた。所々凹んでいたり傷がついている様子からして新品ではないようだ。
「こいつはこの前来た患者が置いてったもんだ。接続部分にもうガタが来ててな、スクラップ送りにしようと思ってたとこだが、腐っても合金性、生身の力でどうこうできる代物じゃないぞ」
ヴィクターはアームをノックするように叩く。コンコンと、硬質な音が室内に反響した。
「ありがとう、本当に。じゃあそれその辺に置いてあたしから距離を取って」
「……おいおいⅤ、ここを荒らされるのはさすがに困るぞ」
「大丈夫暴れたりしないって。ちょっと実演してみせるだけだから」
「実演?」
そう実演だ。
十倍という数値は驚愕に値する。Ⅴをして狼狽えるほどに。
だがこれはチャンスでもある。ヴィクターはその目で異常値を目撃した。二度三度とやり直しても、数値が同じであると確認している。そしてこのタイミングでⅤが相応の力を発揮して見せれば、異常値は正常値へと変化。ヴィクターはⅤの話を信じられはせずとも聞く耳を持ってくれるはずである。
Ⅴはヴィクターが近くのテーブルに置いてくれたアームを手に取り、また周囲から距離を取る。
(あ、なんかいけそう)
持った瞬間は特筆すべき何かはなかった。感じたのは多少の重さに金属の匂いと冷たさ、持ち主に酷使されたであろうアームへの憐憫。あとは、とある男の銀の腕を思い出したくらい。
しかし変わったのは、これを壊すものだと意識した時だった。
自らが発揮できる力の程度、加減の仕方。欲しかった情報が脳内を駆け巡り全身へ伝わってくる。銃を持った時にも生じた万能感が身体を支配する。
だがⅤは一気にではなく徐々に握る力を強めていく。このアームがどれだけの力であれば壊れるかを調べ、加減の基準を定めるために。
「……あら」
呆気なかった。
力を入れ始めて数秒も経たないうちに、バキン、と音を立てて右手に持っていたアームが肘の部分で真っ二つに割れた。
込めた力は全力からは程遠い。にも関わらず、ヴィクターが硬いと断言した腕はいとも容易く壊れてしまった。
壊れたアームが床を叩く大きな音を最後に、地下の診療所に細やかな沈黙が訪れる。
だがそれは、Ⅴがヴィクターの顔を見て吹き出してしまったことで霧散した。
「あっははは、何その顔」
この時のヴィクターの間の抜けた顔をⅤは一生忘れない気がした。