The world beloved Fool 作:へっこむす
かっこよく物思いに耽るⅤさんを書いてみたかったんです。
それだけなんです。
「ふうぅー」
肺から吐き出した紫煙は、鼻腔に安い香りを残しながら一時的に空中に漂い、ガスに混ざって消えていく。微風に乗った煙が何処へ向かうのかはわからない。街に残り、また誰かの肺を犯すのか。街を出て、世界の雄大さを知るのか。空高く上り詰め、最後には消えてしまうのか。
街の人々と大差ないなとⅤは思う。
ナイトシティでは地に足をつけて生きることは出来ない。いつ何時、何が起きてもおかしくないからだ。
今この瞬間にも、きっと様々な人生に変化が訪れている。
小さな成功を経験し、より大きな成功を求め溺れる者。夢に、競争に敗れ、若しくは新たな何かを求め街から去る者。取り返しのつかない失態を犯したか、只々不運だったのか、命の灯火を燃やし尽くそうとしている者。
各々が各々の出来る最大限で以て選択した結末だ。煌びやかな報酬にありつこうと、如何なる理不尽に見舞われようと、自らの行動の責任は自らが負うべきもので、人に押し付けるのは間違いだ。
(……違うか。物事には正誤も善悪もない。あるのは感情が許せるか許せないかのみ、かな)
Ⅴは小さく首を振る。
今でこそそう思うが、過去の自分は小難しいことなど考えようともしていなかった。
掲げるは即断即決即行動。過去は顧みず、未来は考慮せず、唯々今を全力で生きる。無謀とも思える生き方だが、死が身近にあるこの街でなら別段悪いことではないし、実践している人間も少なくない。
だが生憎、Ⅴには出来なかった。正確には続けられなかった。
小さな成功で調子に乗り、大きな成功を求めたら途端に地獄行き。気がつけば前も後ろも覚束ず、吹けば呆気なく消え去った。
本当に、煙のような人生だった。
(今回はどうなるのかしらね)
右膝を立てて座り込んだⅤは、口先で煙草を弄びながらぼんやりと眼下に広がるナイトシティを眺める。もし太陽に意思があったとするなら、とてもいいやつなのだろう。だってわざわざ仕事終わりにこれだけ美しい光景を演出する事など、性格が悪ければ絶対にしないとくだらない考えが頭に浮かんだ。
住居であるH10メガビルディング。その屋上には初めて来たが、なかなかどうして悪くない場所だ。今日は風も穏やかだし、ガス靄もかかっていないため景色もいい。
ウエストブルック、シティセンター、ヘイウッド、パシフィカ。今後また訪ねるであろう地区がそれぞれの光を灯し始め、宵闇を今か今かと待ち侘びている。
時刻は既に日の入り目前。ヴィクターのところで随分と時間を使ってしまった。
ただ後悔は特にない。おかげで自分の体のことを色々と知れたのだから。
あの後ヴィクターに自分の身に起きているあれこれを大まかに説明した。半信半疑ではあったがやはり異常な値は正しいのだと証明したのが大きく、親身になって話を聞いてくれた。
未来で死んだこと。
そこから戻ってきたこと。
ジョニーと共に生きたこと。
体が強化されていること。
幾つかの制約があること。
条件を満たさないと死んでしまうこと。
ジャッキーの死や、これから自分以外に起こるであろう出来事は極力話さないようにした。
下手に知りすぎればヴィクターの身の安全が脅かされかねないし、アラサカの帝王が殺されます、大統領の護衛をします、などと言ってもさすがに信じてもらうのは難しいとも思ったからだ。
それでもありがたいことに、ヴィクターは出来る限りの協力を約束してくれた。本当に、彼には足を向けて寝られない。
代わりに身体を調べさせて欲しいと頼まれたが断る理由などなく、それどころかこちらからお願いしようと思っていたので好都合だった。
そこからぶっ続けで数時間、検証を繰り返した。
ヴィクターがボクシング以外で熱くなっているところは初めて見たかもしれない。ミスティが止めに来てくれなければきっと今もまだ診療所に引き留められていただろう。
ただ身体を任せた甲斐あって、クローム関連で幾つか判明したことがある。
中でも重要な点は三つ。
一つは、今の身体にはもうクロームを追加でインストール出来ないこと。
常人の十倍近い身体機能を有するⅤの肉体に常人用に設計されたクロームは適合出来ないそうだ。例えばゴリラアームをインストールしたとしても、今より強い力を出せるようにはならないし、かえって悪影響を及ぼす可能性の方が高いらしい。同じ理由でサンデヴィスタンや強化腱も無理。
ただ可能性を模索する中で、身体機能に殆ど関わらないものならばもしかしたらと、モノワイヤーなどのインストールを実験的に試みてみた。
だがそこで問題が発覚した。
なんとⅤの身体に手術用の刃が通らなかったのだ。
皮下アーマーと比べるのも烏滸がましいほどの頑丈さ。戦車の装甲でも着てんのか、とはヴィクターの言である。
そんなわけで、新しいクロームをインストールするのは実質不可能と結論付けられた。
ただし、その結論には一つ注意書きがあった。
それが二つ目。キロシだけは何故か問題なくインストール可能だったこと。
ヴィクターは心底驚いていた様子だったが、Vとしては予想通りだった。なにせもしキロシを入れられなければ、ワールドは超常的存在から即詐欺師に降格だ。短時間に一度だけの遭遇なうえ、掴みどころのない存在ではあったものの、嘘を吐いているようには思えなかった。核心が語られていない以上、盲目に信じるのは難しい。しかし、これで一つは信用出来る要素が確認出来た。前向きに捉えるべきだろう。
そして三つ目。
唯一既にインストール済みだったサイバーウェアであるミリテク製のサイバーデッキ、パラライン。駆け出し時代、要するに現在から数ヶ月前に無理をして購入したそれが、どうにも妙なことになっているらしかった。
(体の一部に、ねえ)
デッキが変容し、細胞とほぼ一体化している。
外から見ただけなので確実とは言えないまでも、ヴィクターの見解ではそういうことらしい。
何だかむず痒い感じがして、Vはそれがあるであろう首の後ろを右手で抑える。
元々外的要因だったサイバーデッキが細胞に癒着しているとなると、他の細胞への影響は多少なりとも発生し悪影響を及ぼす可能性は低くない。だが、今回の現象はサイバーデッキそのものが肉体の一部と化している。言うなれば、サイバーデッキという臓器が増えたということだ。
肉体が異物としてではなく元から存在する機能として認識している為、拒絶反応などは起きようはずもない。
加えてハッキングの際、脳に要求される情報処理をこれが全て請け負ってくれていることも確認した。つまりVは今後、片手間でハッキングを仕掛けられる。
頭では全く別の考えを巡らせつつ、身体は全く別の行動を起こしていながら、並行してハッキングは進んでいく。イメージとしては体内にネットランナーを飼っている、というべきか。ただそのランナーはジョニーやソミなどの全く独立した人格ではなく、自らの分身であり意思と感覚を完璧に共有できる存在。
この先Vと敵対する者は常に、頑丈過ぎる前衛とネットランナーの二人を相手にするハメになるわけだ。
「なんだかなぁ……」
正直にいえば、少々やり過ぎだと思う。法則を歪めるにしたってあからさまに度が過ぎている。
ハンドガン限定の射撃大会に、パンツァーで参加してスピードを競い始めるくらいにはどうかしている。
「人間、やめちゃったかあ……」
顎を掌で支え、銜え煙草で口を動かせば、灰となった合成草がふわりと舞う。軽く手にかかったというのに、微かな熱さはあれど痛みは微塵も感じなかった。肌が赤くなることすらない。
人間であることに拘りがあるかと問われれば、Vは首を傾げるだろう。
人間とは異なる存在でありながら、人間と大差ない者。人間でありながら、人間であるか疑わしい者。Vはどちらとも遭遇した経験がある。
だからその境界線は他者よりは幾分か曖昧で、自己の意識が保たれ、かつ実体があるのであれば他は気にしない。見た目が怪物になろうとも、肉体が化け物になろうとも、運命を変えられさえするのならもはや魂以外はどうでもいい。
そう思っていたつもりだし、実際今も考えは変わっていない。
とはいえいざやめてみると、埒外の身体能力をやけくそ気味に使って屋上へ不法侵入しつつ黄昏てみたくなったり。あまつさえもう少し覚悟を決める猶予をくれたらよかったのに、なんて想いが浮かんでくるのだから不思議なものである。
(それとも、それくらいしないとワールドの元には辿り着けないってこと……?)
そもそも辿り着くの意味がわからないが、これだけの力があってなお、何か大きな障害が待ち受けているということなのだろうか。
不意に青い目をしたケンタウルス座アルファ星の科学者たちが脳裏に浮かんだ。
(……これは考えてもしかたないわね。今は目の前の目標に集中しましょ)
さようなら、人間の身体さん。
内心で長年連れ添った肉体に別れを告げ、Vは今後の方針についてへと思考を移す。
「目下最優先事項は、まあ考えるまでもないか」
Vは足ごと身体の向きを変え、忌々しく聳え立つ紺碧の壁を睨みつける。
数日後に決行されるであろうreric強奪。その任務を死者なしで遂行すること。
何が悪かったのか。どこで間違えたのか。どうすればよかったのか。
何度も何度も振り返った。散々悔やんできた。延々と考え続けてきた。だからもう対策は誰よりも念入りに練ってある。
展開が全く同じであれば、必要な知識と物を理解し事前に準備を整えられる今のVなら出来る。痕跡を一切残さず、誰一人として傷つけず、加点も付けたうえで完璧に任務を終えられる。
だがしかし、残念ながら世界はそこまでヌルい場を用意してくれてはいないようだった。
(去り際の言葉は、たぶんそういうことよね)
レムニスケートを向けて宣言した後、ワールドはくすぐったくなるくらい優しい笑顔を浮かべながら徐々に姿を薄くしていった。だが姿が見えなくなるかどうかという時になって奴は言い放った。わざとらしく言い忘れていたと前置きをして。
『全てが前回と同じとは思わない方がいい。君にリソースを割き過ぎたせいか、少々次元が歪んでしまったからね』
困惑するVを尻目に憎たらしく消えていった姿を思い出すとつまらない怒りが沸くので、一旦頭から追い出す。
Vにリソースを割いた、という言葉の意味はヴィクターのおかげでよくわかった。これだけ捻じ曲げたのだ、何処かしらで何か無理はしているはずで、次元に歪みが生じるのも当然の帰結だろう。何処でどういう変化が起こるかを考えても答えは出ないため、それは傍に置いておく。
大事なのは記憶が当てにならない可能性があること。
Vだけならば幾らでも対応可能だ。この身体と経験があれば、対応不可能な状況に遭遇する方が珍しい。レイフィールドを盗みに行って、敵にバシリスクが出てきたとしてもきっとどうにか出来るだろう。
だが言うまでもなく、ジャッキーやT-バグはそうじゃない。
彼らを自分とは別枠と考えるのは少し寂しさもある。しかし実際、彼らは普通の人間だ。不測の事態に陥った時、守らなければ命を落とす可能性は非常に高い。同じ過ちを二度と繰り返さないために、寂しいなどという感情に振り回されている場合ではないのだ。
「やるべきことは多いわね」
ジャッキーがデクスからの依頼を持って来るのは、記憶が正しければ三日後。そこからオールフーズでボットを回収してエヴリンに会い、計画が実行されるまでに三日。
Vに与えられた猶予はあと六日あるかないか。
それまでに必要な物と情報を揃え、万全を整えなければならない。
「よし、とっとと始めましょうか」
Vは己を鼓舞するように勢いよく立ち上がり、短くなった煙草を捨て靴の裏で入念に火を消す。
これはけじめの一本。最低でもあいつを解放するまで、もう煙草は吸わない。
顔を上げ、見据える先は次の目的地。
テックと喧騒の溢れる地、カブキ・マーケットである。