元トリニティの生徒はゲヘナの風紀を守りたい。 作:スイソーミズクサ
「はぁ……」
静寂の夜に、寮を抜け出した彼女は、溜息をついた。
冷たい夜風を浴び、苛立ちと不安を鎮めようとする。
「おっ、シロウさんじゃないっすか。こんな時間にどうしたんすか、もしかして散歩?」
間延びしているようで、それでいてキレのある曖昧な声が響いた。
声の聞こえた方に顔を向けると、腰まで伸びた黒髪と、閉じているように見える細い目をした少女が立っていた。
「……あぁ、イチカさんですか……」
少女……イチカに、シロウは返事をした。
その声は、静かな夜にひときわよく響いた。イチカは首を傾げる。
「なんか、機嫌悪そうっすね。」
「……そんなことはないです。私はいつも通りです。」
声色を少し高くして、表面上の気分を整える。
だが、それでは誤魔化せなかったのか、イチカは細めた目をわずかに開き、シロウを見つめた。
「あんまり抱えすぎない方が良いっすよ? もうすぐ高校生ですし、嫌なことは中学のうちに吐き出した方が、あとに引きずらないっすよ。」
「……そうですね……いや、何も抱えてませんから。」
口が滑りそうになるが、なんとか飲み込んだ。
「私は大丈夫ですから……心配しないでください。私はもう帰りますので、イチカさんも気をつけて。」
スカートの裾を軽く持ち上げ、頭を下げる。そのままイチカに背を向けた。
「……あまり無理しすぎるのも、どうかと思うっすよ。」
「あなたがそれを言うの?」
シロウは振り返らずに、そう呟いた。
「……仕事中に寝るのはどうかと思いますよシロウさん」
耳に強く響く声が聞こえた、鼻にコーヒーの香りが入り込んでくる。
目を軽く擦り顔を上げる、随分と深い眠りに陥っていたようで頭がグラグラと揺れる。
「仮眠室に運びますよ、邪魔なので」
「……アコ行政官、書類仕事って風紀委員と仕事じゃないと思うんですよ」
「普通に仕事ですけど、何を言ってるんですか?」
アコは目を細め軽く口を上向きに歪ませながら言う、声には重い怒気が乗っている。
明らかに怒っている。
「こういうのって、万魔殿の仕事じゃないんですか?」
「警備や巡回、その他装備の配備などは風紀委員会の裁量ですからね、あの人達がやっているのは少ない予算を渡してくることぐらいですよ」
アコは溜め息を吐き手に持った書類を委員長に渡す。
「と言うか俺、先月くらいまでただの風紀委員だったはずなんですけど……なんで書類仕事を……」
「そりゃ、幹部になったからだろ、出世だよ出世」
隣に座っているイオリが普段の猪ぶりからは考えられないほどの、速度で書類をテキパキと片付けていく。ちゃんと理解して処理しているのだろうか。
「ちょっと紅茶淹れますね」
シロウが気分転換の為に紅茶を淹れる準備をしようとする、その様子を見たアコは目を細めて口を開いた。
「コーヒーが見えないんですか?」
「嫌いなんですよコーヒー」
「これが楽しめないなんて、随分と子供なんですね」
「コーヒーなんて苦いだけの汁じゃないですか微妙に酸っぱいですし、正直これ飲むんだったら泥水啜った方がマシです」
「すごいありがちなことを言ったな……」
イオリが若干引いたような顔になって、シロウを見る。
「はぁー!?紅茶だって枯れた葉っぱを煮出しただけの汁じゃないですか!」
「あれは枯れてるんじゃなく、発酵させてるんです!そんなことを知らないなんて!お里が知れるわ!」
シロウは普段は出さない甲高い声で叫ぶ、その声に少しだけイオリはぎょっとしたが彼女は気づかない。
口論をする声が大きくなりすぎたせいか、ヒナは書類から顔を上げて二人を軽く睨む。
「……アコ、シロウ、ちょっと黙って」
「「きゅう」」
ヒナに凄まれた二人は軽い断末魔の様な声を上げてシュンとする。
シロウはしょぼくれながら、ポットの電源を入れて湯を沸かす。湯を沸かしているうちに段々と笑顔になっていく。
「ふふん、ふふん」
「……楽しそうだな」
「ですね」
先程怒られたことをもう忘れたのか、満面の笑みで鼻歌と同じリズムで首を揺らす。アコとイオリはその様子に呆れる。
「そういえば、家はどうしてるの?温泉開発部に爆破されたんでしょ?」
「……あっはい、一応今は仮眠室で過ごしてますね」
「そう……」
ヒナがシロウの方を憐れむような目で見る。
「温泉開発部も困ったもんというか……なんとかして懲らしめられないもんか……」
「名前に反して過激すぎる団体ですしね」
「そんな団体いくらでもあるでしょ、美食研究会だって字面だけ見たらただの食べ歩きサークルだもの」
そんな会話をしながら仕事を進めていく。
「そう言えばシロウ、早めに行っておくけど来月末にエデン条約の為にトリニティに行くわ、連邦生徒会長も来る大事な会よ」
「そうですか……頑張ってください」
シロウは心底どうでも良さそうに手を振って適当に返事する。
「いや貴方も着いてきてって話なんだけど……そんなに嫌?トリニティに行くの」
「嫌と言うより、面倒というか……」
「友達に会いに行くって気分で行けば?仕事で行くって思ってるから嫌になるんだよ」
イオリが顰めた面をしたシロウにそんな提案をするが、あまり効果が無かったようで、顔が更に険しくなる。
「そもそも、なんで着いて行く必要があるんですか、何の役にも立ちませんよ、俺は」
シロウは少し焦ったように早口で言う。額と掌には汗が滲んでいる。
「そう言う話じゃないのよ、いずれ一緒に仕事するかもしれないのだし顔合わせみたいなものよ」
ヒナはコーヒーを啜りながら言う。
「それに、貴方に関してはトリニティの生徒会長からの指名でもあるのよ、万魔殿の護衛として連れて来いって」
「護衛って…… しかも指名……意味がわからないですけど」
「まぁ別に貴方だけじゃないわよ、イオリやアコにも来てもらうし」
「そうですか……」
用意していた茶葉の入ったティーカップにお湯を流し込みながら言う。
その声色は非常に冷たい。
「まぁ付き合いだと思いなさい、嫌だと思っても、逃げられないことはこれから沢山あるから」
「……別に行かないとは一言も言ってません、仕事はちゃんとします」
書類を書く手がいつの間にか乱暴になっていることに気付く、あともう少し力を入れれば破れそうな程、紙に深い跡が付いている。
溜め息を吐きながらシロウは立ち上がった、
「……ちょっと昼食買ってきます……何か食べます?」
「では、サンドイッチを」
「私は唐揚げ弁当で」
「ハンバーグ弁当で……」
「了解」
シロウは軽い返事を返し、執務室を出て食堂へ向かった。
食堂内は怒号と罵声が飛び交い、弾丸の代わりに食器類が飛び合うときう地獄だった。普段はそこまで……いや酷くはあるのだが、今日は輪にかけて酷い。
「食器を投げないでください!」
食堂に常駐している風紀委員がなんとか止めようとしている様だが中々治らないようだ。
シロウは手助けをするべきか迷うが、関わりたくないと言う気持ちの方が強いので見て見ぬふりをすることにした。
本当に風紀委員なのだろうか。
「なってませんわね」
ガタリと椅子が勢いよく引かれる音がする。音がした方向を見ると、輝くような銀髪に透き通るような白い肌、ルビーのように赤い目を持つ、気品に溢れた少女がいた。
「偶にはこう言った環境でフウカさんの給食を頂くと言うのも、美食と考えてみたのですが……今日のは度を超えていますね……」
訳の分からないことを決意に満ちた表情で声高に叫ぶ。
「訳の分からないことを言いやがってお前は何だ!」
今から倒される悪役の様なセリフを、騒いでいた不良の一人が叫ぶ。
「私ですか……私は美食の探究者……美食研究会の黒舘ハルナです」
そう名乗った瞬間、食堂全体がどよめく。不安や絶望、焦燥感と言ったものが部屋中に充満していく。
彼女は殺気や威圧感などは出していない、ただ言葉で自分の信条や正体を話しただけだ、それなのにこんな様子になっている。それだけで彼女がとても恐れられていることが伝わってくる。
「おいおいやべーって、アイツはやべーよ逃げようよ」
「いやでも、なんか今逃げたら、怖気付いたみたいじゃん」
「でも爆破されたくないし」
「とりあえずもう静かにしとこうぜ」
だんだんとどよめきが収まり静かになっていく。
「あら……そこまで静かにしなくとも良いのですが……」
その様子にハルナは少しだけ残念そうな顔を浮かべる。そんなハルナにシロウ近づく。
「やぁやぁハルナさん元気そうですね」
「貴方は確か……風紀委員の」
ニコニコといかにも機嫌が良いと言った感じで声をかける。
「シロウです、いやぁ流石美食研究会、貴方のお陰で生徒達の暴走を抑えられました」
「いえいえ、私は美食の道を志す者として当然のことをしたまでです、それにここまで静かにするつもりもありませんでしたし」
「まぁ俺達としては仕事が減って助かったって所もあるので……謝礼金とかは渡せませんが飴あげますよ、のど飴ですけど」
シロウはそう言いながらポケットから包装に包まれたのど飴を出す。
「のど飴ですか、折角ですし頂きますね」
「おけ、んじゃ両手出して」
少しだけ機嫌を上げたハルナはシロウに両手を差し出す。
そしてシロウはそれに……
ガチャン
「えっ?」
手錠をかけた。
「なっ!?裏切りましたわね」
ハルナは顔を赤くしシロウを睨みつける、シロウは満足そうな顔をして、取り出したのど飴を口に放り込む。
「裏切ってない騙したんだよ、アホかお前は……俺は風紀委員だぞテロリストを捕まえるチャンスが目の前に来たならそうするだろ」
のど飴をわざとらしい音を立てながら転がす。
「くっ、まさか食で騙してくるだなんて、卑劣な」
「へいへい、話は牢で聞くからねぇ……そこの君、こいつ牢屋に連れてって」
シロウは困惑した様子の風紀委員に偉そうに指示を飛ばす。
「あっえっと……別に悪いことはしてませんよね」
「ん?そうだなぁ……別にいいだろ、いつもは暴れてるし、適当な理由つけて牢屋にぶち込めばいいだろ」
「……」
風紀委員は物凄い外道を見るような目をシロウに向けながら、ハルナを連れて行った。
シロウは仕事した達成感に噛み締めながら給食部から弁当を受け取り、上機嫌で執務室に戻って行った。
段々本性が現れ始めてますね。
因みに彼女は上司に当たる相手には敬語になります。友達だと思ったらタメ口になります。
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