角を曲がってそこにあったのは、肉塊だった。
しかも、溶けている。どろりとスライム状になった肉塊。
「……なにこれ」
気持ち悪い見た目をしているのは当然なのだけれど、率直な感想は本当に何だこれだった。
「うわっ、動いてる」
うぞうぞと這いまわる様に溶けた肉塊は蠢いている。
気持ち悪い。ほんっとうに気持ち悪い。なにこれ、モンスター?
俺がこの階層に入ってからずっと感じていたナニカはこれだった。こんなものを感じ取ってたの? なんで?
蠢く肉塊は道のど真ん中に位置していて、無視して通ることはできなさそうだ。
……どうする?
害、はあるのだろうか。こちらには気が付いてなさそう。目とかないし視界とかあるのかな。
不思議とそこまで警戒する気にはならなかった。なんか、動きが間抜けそうだったから? 理由は正直よくわからない。
ただ、何となく、なんとなーくそんな感じがするというだけ。勘だね、勘。
近寄ってみようか? 危ないか? ここでじっと待ってる? 待つ場所的にはあの肉塊の場所がベストなんだよな。どいてくれないかな。
やべ、気づかれたかも、こっちにちょっと寄ってきてる。
ゆっくりだからただ動いてるだけ? あっ、動き止まった……動き早っ!
「いやキモイキモイキモイって!」
凄い勢いで肉塊が這ってこちらに近づいてくる。
単純にキモイ。シンプルにキモイ。どうしようもないぐらいキモイ。
流石に逃げよう。
あっ、思ったよりも早い。追いつかれる。
「タンマタンマタンマっ!」
声を上げてもモンスターに通じるわけもなく。俺はなすすべなくその場に押し倒された。
臭いキツっ! 臭い臭い、マジで臭い。むわっと臭う。
「ヌメヌメしてるぅ。なにこれぇ」
粘度の高い体液が服に染みつく。幸いなことに、即座に殺されるということはなさそうだ。
重い。結構体重あるぞこいつ。スライム状なのもあって、手でどかそうとしても動かせない。
もがけばもがくほど、こいつの体に取り込まれてる気がする。
この体液、消化液とかじゃないよな? 皮膚がピリつく感覚はない。溶かされてはないと信じたい。
だとしても、状況がいいわけじゃない。他のモンスターが来れば死ぬのは免れないし、いつ胴体以外も覆われるかわかったものじゃない。顔にまでこられると、呼吸できずに死んでしまう。
疲れて動けなくなるまで、そこまで時間はかからなかった。
幸いなことに、俺の上に乗ってくる以外は特にアクションをしない。時々なんか動いているのを感じるが、俺自体には何もしてこない。
なんだこれは。もうどうにでもしてくれ……。
「シャーロットちゃん!?」
あっ。トリシェルの声だ。どうやら迎えに来てくれたらしい。助かった、この状況を何とかしてくれる人たちが来た。
「何をやっている……」
「ちょっとシャーロットちゃん、大丈夫!?」
「これは……モンスター、なのかな?」
ぞろぞろと分断された組がやってきてくれた。よかった、助かった。
「助けてくださーい」
「で、どういう状況だこれは」
「私が聞きたいですよ!」
彼らが来ても肉スライムは俺の上から退く様子はなかった。
プルプルと不思議そうに震えるだけだ。なんなんだこいつマジで、心の底から。
三人は少し顔を見合わせて、こちらを再度見てくる。
無事なのは理解したけれど、モンスターにのしかかられているだけという状況が理解しきれていないのだろう。大丈夫、俺もだ。わけわからん。
「どうすればいい」
「これをどかすか、引き抜いてください」
「引き抜くと言ってもな……」
リヴェンは少し困った様子だった。それもそうかもしれない。何せ、俺は今頭以外は肉スライムに飲み込まれている状況だ。
引き抜くとなると、必然的に頭を引っ張ることになる。
……やだな、それ。
「……やっぱり、こいつをどかしてください!」
「力尽くでどうにかなるのかな。まあいいや、一回試してみよう」
レイナードがさっそく試してみてくれる。
けれども、やはりぬるりと手をすり抜けていってしまうようだ。
「駄目みたいだね」
「なら引っこ抜くしかないか」
リヴェンは俺を引っこ抜くのに肯定派らしい。
もうちょっと躊躇してくれない? 危険に比べたら遥かにマシ? それはそう。
「何とか、何とか他の方法ないですか!」
「そんな悠長なことを……」
「じゃあ、こういうのはどう?」
次に出てきたのはトリシェルだ。その手の上には炎が浮かべられている。
「ほーら、燃えちゃうよ~」
じわりじわりと炎を近づけてくる。どうやら肉スライムを炙る気のようだ。
そんな方法で本当にどかせられるのか……? と疑問符を頭に浮かべていると、炎は嫌らしくじわりじわりと避けていっている。
うまくいってる!?
トリシェルの策は上手くいって、俺の上から肉スライムはどいてくれた。
ただし、俺はもうドロドロだ。体液を存分に浴びて、汚い汁が滴っている。
モンスターに襲われてその程度で済んだと思うべきか……。
「はい、シャーロット。そんなに体液を浴びたら麻痺毒がきついだろう? これを飲むといいよ」
「ありがとうござ……あれ?」
そうだ、このダンジョンのモンスターの体液には麻痺毒があるんだった。
でも、俺はまったく麻痺している感覚はない。ただ体液で濡らされて気持ち悪いだけだ。
「麻痺、してないです……」
「なんだって?」
レイナードは大変驚いた様子だった。よく見ると、彼らは大分体液を浴びてきたようだ。
ここに来るまでに何度も戦闘してきたんだろう。そうなると、体液を浴びれば麻痺しているって思うのは当然だよな。
「ねぇーえ。これどうする?」
そう言いながら炎をちらつかせつつ、肉スライムを通路の隅に追いやっているのはトリシェルだ。
モンスターにしては攻撃してこないし、様子もおかしいからどうするべきか悩んでいるのかもしれない。トリシェルなら、俺をこうしたら問答無用で燃やしてたりしそうな気がしたけど、思ったより冷静で助かった。
リヴェンも一緒になって、肉スライムを見張っている。こちらは不思議なものを見る目でじっくりと観察していた。
追われる立場となった彼は、隅っこで大人しく震えている。なんだかこうしてみると、少し可哀そうになってくる。
「……本当にモンスターなのか? こいつは」
「と、言いますと?」
疑問を呈したのはリヴェンだった。
「ここに来るまでモンスターと戦ってきたが、不定形の奴はどこにもいなかった。こいつは核となる本体もない、完全な不定形だ」
「ダンジョンによってはそういうモンスターが出るダンジョンもあるけれど、確かにここにはいないね。イレギュラー以前に見た記憶もない」
「さらに言えば、俺が出会ったモンスターはこちらを見れば即座に攻撃してくるものばかりだ。こいつはどうだ? ただそこにいるだけだろう」
確かに。襲われたと思ったけど、こいつはただ上に乗ってきただけだ。
じゃあ、何なんだこいつ?
「こいつ、まだこの期に及んでシャーロットちゃんの方に行こうとしてる……」
なんで? なんで俺にそんな執着してる?
怖いんだけど。ドロドロにされたし。
「もう燃やしてもいーい?」
「い――ちょっと待ってください」
許可を出そうとして、すんでで思いとどまる。
恐る恐る、トリシェルとリヴェンの後ろから肉スライムに近づいてみる。
何か引っかかるものがある。どこか普通とは違う気がする。
でもやっぱり、肉スライムは肉スライムだ。汚らしい見た目で、体液が滴っている。
何か違う気がしたけど、しただけだったか?
「……あっ」
「なんだこれは」
「白い……宝石?」
俺が再度近づくと、こいつの表面が揺れて白い宝石が顔を出した。
汚らしい本体にはあまりにも不釣り合いなそれを、俺に差し出しているかのように押し出してくる。
「……触ってって言ってるんじゃない?」
「え? 私にですか? なんで」
「何となく」
トリシェルの言葉にそうだと頷くように、肉スライムは震えてみせた。
ええぇ……。なんなのこいつ。人の言葉を理解してるのか?
これまた恐る恐るを手を伸ばしてみる。すると、向こうから押し付けるかのように寄ってくる。
頭の中に疑問符をいっぱい浮かべながら、仕方がなく俺は白い宝石に触れた。
――瞬間、目の前の世界が変わった。
白い髪の女、幼い子供、つなぎ目のない家、お揃いのペンダント。
神様の像、癒しの祈り、鳴り響く鈴の音、変わらぬ昼と夜の町。
狂ったように踊る木々、歌う花、吹き荒れる風の束――。
瞬く間に目の前の情景が変わり、移ろっていく。
網膜に直接映像を投射されているかのような感覚だ。追体験とも違う。俺はただ、見ているだけで……。
気が付けば、時間も忘れてその光景に見入ってしまっていた。
平和な世界、どこかで見たことがあるような気がする光景。何をしに来たのか、何をしていたのかも忘れて、その光景をただ見ていた。
懐かしさと、帰りたさが胸を満たす。呼吸すら忘れるほどに。
「おーい、シャーロットちゃーん?」
「……え?」
「突然泣き出して、どうした」
「え?」
え? 俺、泣いてる?
声を掛けられたことで意識が現実に戻ってくる。
そっと下を向くと、ぽたりぽたりと液体が地面に滴り落ちる。
あっ。本当だ、泣いてる。
「あれ? あはは、なんだこれ」
ジワリと実感が湧いてくる。同時に、わからなかったことが不思議と理解できた。
なんでこの階層に入った時、あんなにも怖かったのかが、理解できた。
孤独だ。孤独での恐怖だったのだ。
何が孤独を感じていたのか? この肉スライムだ。
なぜその感情を持っているのかはわからない。なんで俺に伝わったのかはわからない。
ただ、こいつは怖かった。怖くて、何かを求めてずっと彷徨っていた。それだけは理解できた。
俺は思わず、自分自身を抱きしめる。
伝わってきた感情の寒さで、凍えてしまう気がしたのだ。
「ありゃ、しぼんじゃった」
そうしている間に、肉スライムは徐々に萎んでいっていた。役目を果たしたかのように体から白い宝石が外れ、地面に零れ落ちる。
震えていた体は力なく弛み、地面に広がっていく。
「……なんだったんだ?」
理解できないとばかりにリヴェンが言う。
それはそうだ。俺だって理解しきれていない。
でも、これは必要なことだったんだという納得感が胸に残っている。こうして俺とこいつが出会って、こうやって終わる。そうあるべきだったんだと。
「三人共!」
レイナードの声が響く。同時に、地震でも起きたのか、ダンジョンが大きく揺れ始めた。
「なになになにっ!」
「揺れだとっ!」
「なーにこれ」
トリシェルだけ随分と余裕そうだが、それを気にしている場合ではない。
「あっ」
ぽかりと俺たちの立っていた場所が割れ、下へ直通の穴が生まれる。
視界が悪く、密集していた俺たちは全員割れた地面の範囲内だ。
「うわわわわわっ!」
「レイナード、これはよくあることなのか!」
「ない、ないよこんなこと!」
俺たちは五階層――エリアボスの階層へと、一直線に落ちて行った。
現在入社作業中で忙しいので、ちょっと更新遅れてます。すんません。