「いやー。生きてる生きてる」
ベッドの上にトリシェルを寝かせ、椅子にリヴェンを座らせた。
こいつ、やっぱり死にかけで動いてやがった。慌てて治療したけれど、本当に治しきれたのか不安になる。
首だけを動かし、こちらを見てきた。
「何々、シャーロットちゃん。もしかして心配してくれてるー?」
「心配、してますよ。そりゃあ」
今回も、オークションでも助けてくれたし。直近はセクハラもしてこないし。
照れくさいけどさ。感謝はしてるんだよ。
いくらトリシェル相手だからって。そこまで薄情じゃあない。
「うっ!」
「どうかしました!? 傷が悪化しま……」
そんな、少し後ろめたさ込みで感謝を伝えると、突然トリシェルが胸を抑えて苦しみ始めた。
慌ててリヴェンの側から離れ、トリシェルの元へ向かう。
すると……。
「尊さにより天は砕け草木は平伏し――」
「なにを馬鹿なことを言ってるんですか。まったく」
ふざけた奴だ。心配して損した。
伸ばしてきた手をぺしりとはたき落として、リヴェンの元へ戻る。
『大丈夫ですか』
「……ああ」
リヴェンの方もリヴェンの方で、どうにも目と耳を俺の力では治すことができなかった。
これは俺の力が足りないわけではない。緋色の鐘のヒーラーの人にも試してもらったが、効果はなかった。
『ごめんなさい』
「いや、気にするな。これは……一人で先走った俺の落ち度だ」
見えも聞こえもしないということで、手のひらに文字を書くことで会話を行っている。
最初はどうしようか迷い、あれこれ模索した結果たどり着いた。
「まだ嗅覚と触覚が生きているからな。直感も込みで、ある程度は動ける」
『でも』
「ああ。戦うのは厳しいだろうな」
ぎゅっと口を固く結ぶ。
苦しいだろうに、それをおくびにも感じさせない。
それが、少しだけ辛い。
この状態のリヴェンを帰すことも憚られる。
セイラムは表にも影響力を持っているらしい。もし、あの爆発でも生き残っているのなら――今迂闊に外に出ることは危険だ。
どうするべきか。一番セイラムに詳しいのはトリシェルだ。だから今後の相談をするために声をかけようとそちらを見た。すると……。
「そして神は言った。『尊みあれ』。そして世界に尊さが満ち――」
……こいつ、ぶつぶつ言ってると思ったらまだやってたのか。
「ふざけてないで! トリシェル!」
「はいはーい。あなたのトリシェルちゃんです。どうかした、シャーロットちゃん」
もう動いても大丈夫なのか、ベッドから上半身を起こし、こちらへ体を向けてくる。
あれだけの重体だったのに、もう動けるのか。良かった。しぶとい奴め。
「今後の話をしたいんですけれど」
「ああ。そうだね、帰さない方がいいと思う」
「……」
「思考を読んでるわけじゃないよ? シャーロットちゃんがわかりやすいだけ」
先読みされるんだけど。
話が早くてよいと喜ぶべきか。気味が悪いと怖がるべきか。
ううん。今はありがたいと思おう。
少なくとも、今は味方なんだから。
「なんで帰すべきではないと?」
「セイラムが手を回したとき、今のこいつだけだとどうしようもないよ」
「それ、は……」
「あいつはこの町の権力層に働きかけられる。少しの間は、表だって動かない方がいいね」
やっぱり、そうなのか。
「シャーロットちゃんもだよ」
「私もですか?」
「むしろ、一番危ない。明確に敵対した今、なりふり構わず捕らえに来る可能性がある」
スッ、と血の気が引く。
そこまでの危機感は持っていなかった。
平気であんなことをする人間が、狙ってくる?
なんと恐ろしいことか。想像するだけでおぞましい感情に支配される。
「二人とも、クランハウスに泊まっていきな。というかこの部屋から出ない方がいい」
「でも、トリシェルと一緒にいることは向こうもわかってるんですよね?」
「流石に向こうも緋色の鐘に喧嘩は売れないよ。下手すれば町ぐるみの戦争になるからね」
……そうか、レイナードの影響力はオークションの時にわかった。
クランとして最大手。所属しているのも大半が相当な実力者。
仮に緋色の鐘が冒険者業をストップさせたりでもすれば、町の経済は大きな打撃を受けるだろう。
仕事に対する信頼度が違うのだ。
商人や職人たちはそこを凄く気にする。一定以上の地位があれば、絶対にポッと出の冒険者に依頼を出したりはしない。
「セイラムは権力層に影響を出せるっていいましたが……」
「そう。職人層には手が回せてない。流石に町の運営を滞らせるわけにはいかないしね」
職人連中は気難しい連中が多い。上から単純に圧力をかけられれば、大人しく従うのは本当に一部だけだろう。
ここにいれば、俺たちの身の安全が確保されるのはわかった。
でも、それだけじゃダメだ。
「でも、私がここにいたら野良猫亭のみんなは」
「そっちは私が何とかする。信じて欲しい」
トリシェルは自分の胸に手を当てて、じっとこちらを見つめる。
真っすぐ。一切の曇りなく。
「信じて、欲しい」
「……わかりました」
リヴェンの方はどうだろう。
手のひらを開かせ、伝える。クランハウスに泊まることについて。
書き終わると、僅かに間をおいて口を開く。
「あいつらは自分の安全ぐらいは確保できる。伊達に俺の部下はしていないさ」
『なら』
「ああ、悪いが世話になる」
リヴェンは残ることを了承した。
「じゃあ、決まりだね。私はみんなに事情を説明してくるよ」
そう言って、ベッドから飛び降りる。
ぽんぽんとベッドの上を叩き、こっちに移っていいことを教えてくれる。
……いいのかな。でも、椅子も二脚しかないし、机も大きなものではない。
リヴェンの事を考えると、椅子に座らせたままより横にならせた方がいいかもしれない。
トリシェルのベッドにリヴェンを寝かせることは……本人がいいって言ってるんだから良しとしよう。
リヴェンの手を引いて、俺たちは椅子からベッドの上に移る。
そこまで見守って、トリシェルは部屋から出て行こうと扉に手をかけた。
「そうだ、トリシェル」
「うん? どうかした?」
「リヴェンは元に戻るんですか?」
これは大事なことだ。
ずっと目が見えないまま耳が聞こえないままでは、こいつの夢はどうなる?
あんなに強く語っていたんだ。こんなことで台無しになるのは、あまりにも可哀そうが過ぎる。
「……確実なのは、セイラムに治させることだけど」
「治してくれるはずがない、ですか」
「そう、だね。ごめん」
ごめん。何の謝罪なのかは、薄々わかる。
こいつは俺たちの味方をしてくれている。でも、同時にセイラム側に縛られている。
これができる精一杯に違いない。
――本当に、それしか方法がないのかもしれない。とも、思えてしまう。
「ありがとうございます」
部屋を出ていく背中に感謝の言葉を伝えるも、軽く手を振るだけでそのまま出て行ってしまった。
部屋に取り残された俺たち二人。
こうなると、どうすればいいだろう。
沈黙に耐えかねて口を開くが、言葉が通じないのだと気が付いて閉じる。
……やばい、沈黙が辛い。
何をすればいいだろう。
「……そこに、いるか」
「はい!」
声を発したのはリヴェンが先だった。
「あっ! ち、ちが」
声にしても意味はない。
俺は急いでリヴェンの手を取り、手のひらに綴る。
『はい』
「……トリシェルはいなくなったな」
『はい』
俺がそう答えると、リヴェンは大きく息を吐いた。
手元に意識が移る。僅かに震えていた。
顔を見上げる。真っすぐ前を向いていた。向いていた、が。
「すまない」
言葉から悔しさがにじみ出ている。
怒りも混じっているのかもしれない。
「すまない」
誰に対してだろうか。きっと、俺に向けられた言葉ではないのだろう。
「すまない……っ!」
――ああ、理解できた。
リヴェンは、治るとは思っていないのだ。
本能的になのか、どうしてなのか。悟ってしまったに違いない。
これは、どうにもできないものなのだと。
トリシェルの様子を見ていれば、何となくわかる。この症状は、人の手に余るものだ。
でも、リヴェンにはわからないはずだった。聞こえていないのだから。
俺には、こいつが何を感じているのかなんてわからない。
「諦めるな!」
強く、強く手を両の手で握り締める。
リヴェンの顔がこちらを向いた。
「まだ、まだ負けてない!」
聞こえてないのはわかる。でも、言わずにはいられない。
この熱は、この感覚は、直接じゃないと伝えられない。伝えられるはずがない。
「私たちは、俺たちは負けてない!」
オークションの時を思い出す。
あの時もこいつは落ち込んでいた。絶望していた。どうしようもない現実に打ちひしがれていた。
今回もそうだ。いいや、今回の方が酷い。なぜならば、既に起こってしまっているからだ。
持ち前の観察眼も、馬鹿みたいな地獄耳も、奪われてしまっているからだ。
「だから、だから……」
諦めるな。
その言葉を出すことができなくて。
俺の頭にもどうしようという言葉ばかりが浮かんできて。
だから、ただ抱き着くことしかできなかった。
俺のこの熱を、諦めたくないという思いを伝えたくて。
少しでも、触れていることで感じられるのなら。
僅かばかりの言葉よりも、多くを伝えられると信じて。
最初は体を強張らせたリヴェンも、俺を引きはがそうとはしなかった。
そこに俺がいることを確かめるように、僅かに俺の腕に触れるだけで……。